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田山花袋 河出文庫2011 初版は1924年 博文館
ここ数日なんなのか(暑気あたり?)調子悪くて、出社時間を遅らせたりしてしのぎました。二回目の接種したあとの状態と似ているから、またぶり返したかと思いましたが、ネットを見るとあまりそういう人はいないらしい。よくわからんが、だいたいいつも具合が悪くても自覚症状が綺麗に出ない人なので。
水曜日にうなぎくって、すたみなつけたつもりなんだけどな。
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これはちがう、かば焼きクロワッサンです。まあパイみたいな食感の食べ物でしたが、微妙にうな丼のたれっぽい味がしなくもなかったです。
話は戻りますが、ワクチン副反応、職場では軒並みこれにやられていまして、木曜日には私も不調だったので、仕方なく会議をキャンセルしました。ワクチン、思ったより結構大変。。
前置きが長すぎました。
『蒲団』『田舎教師』などの作品を残した田山花袋が、関東大震災の様子を記した随筆的な文章です。ぜんたいは50余りの小文で構成されていて、今風にいえば、誰かのブログをまとめ読みするような感じです。
田山花袋は震災当時代々木に住んでいたようです。だいたい今の僕と同じくらいの年配だったようだ。家の中は家具や本などが散乱したが、家族、親族は無事だったようだ。
代々木は、当時は東京市の郊外に相当したのでしょう。当時の市街地は浅草、両国、上野、神田あたりで、新橋から銀座にかけては東京の玄関口として、明治以降新たに整備され、更に東京駅を開業させて丸の内地区の整備が始まったところ。丸ビルは完成したばかりだったようです。
新宿は今日のような繁華街ではもちろんないのですが、省線や市街電車、バス、郊外電車(京王線)などの交通が既に整備されつつあったようです。ちなみに小田急線や西武線はまだないです。
花袋は明治中頃から東京で暮らしてきたので、その変貌していった様子をあれこれ思い起こしながら、被災した街を訪ね歩いています。
かつては「江戸」の色彩を強く残していた街が次第に「東京」となっていったと述懐し、この震災から復興することで名実ともに「東京」となるのだろう、と(いう意味の事を)書いています。
徳川夢声日記や高見順の日記などにも、戦中から終戦にかけての東京が描かれていますが、それよりも20年余り前の東京を描写した記述として、これは興味深いです。
銀座通りのこととかも、これまで意識したことはなかったです。たしかに新橋から日本橋まで、まっすぐの道が通っているけど、あれは外国人が横浜から汽車に乗って新橋(汐留)について、最初に東京の街に触れる通りだったのですね。。花袋はしかし、当初は西洋の物まね風の貧相な建物が並んでいるみすぼらしい街並みであった、と記述しています。
御茶ノ水付近の鉄道も被災したようです。もう15年も前ですが、やはり台風でしばらく不通になりましたね。。
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火事のこと、食料のこと、そして歴史に酷い傷跡をのこした朝鮮人虐殺のことなどにも触れています。知人が自警団に(『鮮人』に)間違えられ、悶着を起こした話などを紹介しています。甘粕事件について花袋は大杉栄にあまり同情はしていない。花袋はこうした世情の険悪化には比較的淡泊です。
というより、震災から1年余りで書かれた印象記なので、あまり詳しい情報は入っていなかったのでしょう。
被服廠のことも、克明に描写する形はとっていません。
これについて、本書解説の中で石井光太氏は花袋が「・その光景を意味づけることができないからではないか。現場を知らない人間は、起きた物事に意味や理屈を求める。・・だが、現実を見た人間は、物事に意味や理屈を付与する無意味さを嫌というほどわかっている。・・(黒こげの死体に)意味や理屈を求められても応えられるわけがないのだ。」と書いています。
大正の末に東京を襲ったこの未曽有の災害は、その後の日本に様々な影響を及ぼします。都市の復興は東京にあっては郊外への市域拡大をもたらし、交通網も整備されて今日の首都圏を形作ります。社会全体としては不穏な空気が強くなり、やがて大戦で一度は復興した東京も再び焼け野原になってしまう。。
ちょっと驚いたのは、花袋がこのことを予言するような記述を、本書の後段で述べていることです。
花袋は友人と遷都の話をしていて、そうなるといずれ東京がさびれた街になるかもしれない、と語り合います。
「しかし、そういう時代が来るかもしれませんよ。来ないとは決して言えませんね」
こういったBは深い眼色をした。
「それはないとも言えんね」
私もこう言ったが、二人の頭には、期せずして、外からやってくる敵のことが浮かんできた。海からやって来る強敵は、この都ではとても完全に防げそうには思えなかった。
「そうだってね?飛行機でもやってくる段になると、とてもこの地震の比ではないそうだね?この東京などは、一度で滅茶滅茶になってしまうってね?」
花袋は(空襲が)「ロンドンやパリさえあのような驚愕を来した・・」と書いていて、改めて調べたら、第一次大戦でも飛行船団による空襲は行われていたようです。以前何かで読んだのは、一次大戦中飛行機は偵察などの任務に使われ、敵機に遭遇しても互いにあいさつを交わし、などとあったのですが、そんなことはなかったか。。
ほぼ100年前の東京とその世相、とても興味深いです。