うさぎくん

小鳥の話、読書、カメラ、音楽、まち歩きなどが中心のブログです。

定額制音楽配信サービス(Google Play Music)を使ってみた

2016年06月26日 | 音楽

この記事はかなり前に書きはじめたものだが、色々と忙しくてまとまりがつかず、脱稿(^^;が今になってしまった。

使い始めて結構時間がたっているが、その間に使い方がわかってくるというか変わってきたり、しばらく忘れていたりしたので。。

初めから書き直したほうがよさそう。。

とにかく、Google Play Musicを使い始めたのは今年の春ごろ。当時、3か月100円で使えます、というキャンペーンをやっていた。

定額配信のサービス自体は知っていたが、それまで特別興味はなかった。音楽のダウンロード(Sony のMora)を使い始めたのは10年近く前だが、数年前にPCの故障でデータが飛んでしまい、しかもサービス体制がいつの間にか変わっていて、データの復旧もできなかった(それまでは、購入した曲は再ダウンロードできることになっていたが、データ形式が変わったらしい)。そんなにショックを受けるほど使っていたわけではないが、その前後から音楽はCDで聞く体制に戻っていた。

偶々、良く訪れるブログでApple musicの紹介をしていて、新しい音楽に(お金を気にせずに)触れることができる、などとそのメリットを訴えていた。

Appleもよいが、まあ、100円ならお試しで良いだろうかと思い、類似のサービスであるGoogleを。

 

Andorid系のアプリとしてもともと入っている、Google Play Musicを使う。サービスに加入すると、メニューから配信関連のサービスが使えるようになる。パソコンに専用アプリはなく、ブラウザでウェブサイトを開いて使う。

事前にネットなどで、各社の配信サービスの特質みたいなのを調べたが、Googleはアップルに比べると邦楽も比較的充実、検索がしやすい、他方、リコメンドシステムはアップルに軍配が上がるという。Googleのトップ画面は野暮ったくてだいぶ損をしている、というのもあったが、確かにそれは同意できる。。

 

リコメンドシステムは、使っていくほど正確さが増していく-これまで聞いた曲を分析して、好みの音楽を提供しやすくなる-という。

だが、いまのところそれほどメリットがあるようには思えない。カーペンターズが好きで、よく聞くが、同じ傾向の別の人の曲があったとして、それを聞きたいかどうか、聞いて気にいるかどうかはまた別の問題だ。ナウアンドゼンを聞いて、スキータ・ディヴィスのThe End of The World や、別の人が歌うジョニー・エンジェルを聞きたいと思ったら、自分で調べたほうが速いと思う。。

もちろん、そうでない聞き方もあると思うし、リコメンドされて新しい世界が開けるということもあるのだろう。もしかしたら、アップルならもっと意外性のある選曲をするのかもしれないけど。。

トップページには、日曜日の午後にふさわしい音楽、みたいなチャンネルがある。とりあえず何も考えずに音楽を鳴らしたい、というときに使うのかもしれない。有線放送的な使いかたともいえる。ジャンルやアーチスト別の「ラジオ」というのもあり、例えばボブディランのラジオというと、関連しそうなほかの人の曲なども交えて選曲されたものが流れている。

ただ、いずれも最初ちょっと試しただけで、今は使っていない。

いまのところ、全く知らない曲を知るには信頼できるラジオ(たとえばピーターバラカン氏の番組とか)のほうが、関連する話とかも聞けるので、そのほうが便利だし好きだ。

ただし、自分で能動的に、こんな演奏も聞いてみたいとか、先のラジオなどで紹介された曲をもっと聞きたいとか思うとき、定額配信は本領を発揮するような気がする。

 

その配信ライブラリだが、公称は3,500万曲だそう。

試しにビートルズのアルバムを探してみたが、だいたいそろっているみたいです。ビートルズのレコードはあまり持っていないので、これは便利です。

というより、さいしょに「イエローサブマリン」のアルバム全体をライブラリに入れたとき(ダウンロードもできる)、これCD屋に行けば2千円以上するのに、こんなに無制限に聞けちゃっていいのだろうかという、妙な背徳感を感じてしまった。

ジョニ・ミッチェルなんかも、90年代の一部のアルバムしか聞いたことがなかったので、デビュー当時から最新曲まで検索してライブラリに入れてみた。全部店で買ったら、数万円になるだろう。

たぶん、熱心なファンの人はそれでも、CDなどの形で買うのだと思うけど、業界の人もこれは結構大変かもしれませんね。

 

洋楽はだいたいそろっている感じがするが、邦楽はまだまだだ。

もちろん時間と共に変わってきてると思うが、最初試した時、松任谷由実、サザンオールスターズは、ラインナップになかった。検索でヒットはするのだが、オルゴールバージョン、みたいのが出てくる(これは配信システムの時と同じパターン)。

天地真理と山口百恵もない(^^;・。しかし、由紀さおり、山本リンダなんてのはあったりする。山本リンダとか、けっこう面白いなと思ったりして。。原田知世も、意外とよかったですね。

新山詩織なんてのもだめでした。

鬼塚ちひろはここで初めて知りました。面白かったです。

クラシックも、一応あるというレベル以上にそろっているみたいです。一度アンナ・ネトレプコの「ボエーム」全曲を(途中まで)聞きましたし、バッハのヨハネ受難曲なんてのも聞けます。とはいえ、やはりクラシックはCDで聞きたいですね。mp3 320bpsですし。

 

Andoroidなので、最初は常識的にスマホで通信しながら聞いてみましたが、それをやると電池の減り方がすごい。もともとGalaxy s6は電池が持たないのですが、ちょっともったいなくなります。データ通信量も相当なものになるでしょう。

先に書いたように、ダウンロードできるので、wi-fi環境で本体にダウンロードし、それを聞いたほうが多少電池にはいいようです。

今はタブレット(wi-fi仕様)にダウンロードしておいてかばんに入れ、それをBluetoothでつないでイヤホンで聞くような使い方をしています。まあ、もとより普段は耳の保護のため、出先で音楽を聞く機会はそうはないのですが。ちなみにダウンロードしたデータは、ほかのアプリなどでは開けないようです。

100円のキャンペーン期間が終わると、月980円となるのですが、続けるかどうするか。。

 

 

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英国国民投票雑感

2016年06月24日 | 社会・経済

ここでメディアやインターネットから借りてきたことを受け売りしても仕方ないし、含蓄のあるコメントを語れるわけでもないが、単純な感想を。

最初に思ったのは、良くも悪くもこれが民主主義だということ。

最悪の政治形態らしい(ほかのよりまし)といわれる民主主義だが、とにもかくにも今回は、主権者である国民が、少しだけ多く「離脱したほうがいい」と考えたということにすぎない。

英国が株式会社なら、大株主(である内外の利害関係者)の意向を反映しないとならない。利害関係者は、その意志があり状況が許すなら、株式を買い増しして発言権を得ることもできる。

しかし、国家は株式会社ではない。会社は株主のものだが、国家は国民のものだ。

民主主義はヒトラーとナチス政権を生み出した。今回も、欧州各地の極右政党が活発化するといわれている。それは事実だが、EUという仕組みが、果たして民主主義の精神を反映させた制度といえるかどうかは、かねてから疑問に思われていたはずだ。

もうひとつ思ったのは、冷戦崩壊後のグローバリズム的な流れが、ここではっきりと修正されつつあるのかな、ということだ。

「近代」国家的な枠組みから、次第に「新しい中世」的な世界に移行していくのではないか、という期待-グローバリズムと多様性が共存するような社会が、目の前にやってきたのではないかという幻想は、後退しつつある。

そうはいいながらも、個人的には「新しい中世」的な世界にむけて、世界が試行錯誤し続けてくれるのではないか、という夢を捨てきれていない。少なくとも、いくら極右が台頭し、移民問題が表面化する現状であっても、人々が80年前のような政治形態、問題解決の手法で満足できるとは思えない。歴史はゆっくりであっても、着実に進歩しているはずだ。

・・前から思ってるのだけど、いずれ機会が与えられるなら、もう一度大学に戻って政治学を勉強してみたいな。興味はあるが知識がないので、自分でどうも歯がゆくて。。

さいごにヘンリー・キッシンジャー氏の名言を。

Never say "never"

確認のために検索したんだけど、キッシンジャー氏の発言というのはあまり出てこなくて、代わりに下のような歌のタイトルが出てくる・。ふうん。

 

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イアン・ブレマー氏講演*

2016年06月22日 | ビジネス

日興アセットマネジメント株式会社主催の、イアン・ブレマー氏*(ユーラシア・グループ主宰)講演会に行ってきました。

このタイミングでお話を聞けるのは貴重です。なにしろBrexitの前日ですからね。

ちなみにブレマー氏は今のところ残留だろうと思うが、わからない、との見解でした。

ブレマー氏は表情豊かで、非常にわかりやすい英語で話される方でした。同時通訳いらないくらい。

なんとなく厚切り何とか氏を連想してしまいましたが。

ヨーロッパ大陸と中東の話、テクノロジーと地政学の話など、興味深いお話を伺いました。

詳しく書きたいのですが、なにしろ今週は忙しくて、ちょっとまとめられないようです。いずれ日経新聞や、日興のウェブサイトに掲載されると聞いております。

失礼。

 

写真は今日から26日まで開催されている、イギリス・フードフェアとミニのイベント。この時期に開催するとは、何とも絶好のタイミング。確信犯でしょうか?

 

 

 

*追記:Ian Bremmer氏の表記をブレーマー氏からブレマー氏に訂正しました。クレーマーとか、Blameばっかりしている人みたいですよね。。失礼いたしました。

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帰ってきたヒトラー(映画)

2016年06月21日 | 映画

映画を見るのはずいぶん久しぶりだ。たしか昨年秋の「フジタ」以来だと思う。スターウォーズをやっていたころから、肩こりと五十肩がひどくなって、何時間もじっと座っているのが怖くて行けなかったのだ。ようやく直ってきたので、先日はコンサートも行ったが、昔より終わった後の疲労感が強くなったような気もする・。

さて、この映画は先週17日から公開されたばかりだ。上映は都内でも3館のみと少ない。

興行収入的にあまり期待できないと、考えられているのかもしれない・・。とすれば、打ち切りにならないうちに行っておかないとと思って。。

今週はいろいろ予定が立て込んでいるので、週明け月曜日なのに見に行ってしまった。

小さなスクリーンだったが、月曜なのに結構な人の入りで、チケット売り場は行列になっていた。

 

1945年4月30日、ベルリンにある総統地下壕で自殺したアドルフ・ヒトラーは、なぜか現代のベルリンにタイムスリップし、気がついたときは小さな公園の植え込みに横たわっていた。

自殺前後の記憶はない。地下壕に戻ろうとするが、人々が自分に敬意を払おうとせず、奇異な目で見られていることに気付く。新聞を見て、自分が21世紀の世界に移動してしまったことに気づき、初めは衝撃を受ける。しかし、すぐに現実を受け入れるようになる。進化したメディアやIT機器に触れたり、民衆の抱いている社会への不満を聞きながら、彼は政界への復帰をもくろむようになる。

テレビ関係者とコンタクトを持ったヒトラーは、やがてお笑いタレントとして人気を博していく。

・・ある種お決まりのタイム・スリップものなのだが、なにしろ主人公がドイツではタブーであるはずのヒトラーであるところがミソだ。

原作は2012年に発表された小説で、ドイツではベストセラーになったという。映画は多少独自の展開となっているようだ。

予備知識なしで見たのだが、映画ではヒトラーが各地を訪ね歩き、街頭で人々の意見を聞く(おそらくシナリオはなく、ぶっつけ本番なのだろう)という、ドキュメンタリータッチとなっているのだ。

一応ドラマ的には、周りの人たちが(「本物の」)ヒトラーを、そっくり芸人と勘違いし、むきになる「本物」とのギャップが笑いを誘う、という設定なのだが、もちろん「本物の」ヒトラーなど今いるわけがない。。街頭で民衆の話を聞いているのは文字通りそっくりさんのヒトラーだ。

そして、このコスプレヒトラーさんは、民衆にとても人気がある。みんなと肩を組んで写真を撮ったり、女性に「ハグしていい?」などといわれたりする。

ヒトラーコスチュームは、現代のドイツではそれほど拒否感がないらしいのだ。もちろん、嫌がる人もなかにはいるのだが。

そして驚くのは、そのヒトラーに向かって、庶民たちがが社会に対する不満をあれこれ語るのだ。

 

細かいいいまわしは覚えていないが、移民労働者たちに対する不満がかなり多かった。

「いいたいことはあるんだ。でも、過去の経緯があるから、言えないんだ」といっている人がいた。

ヒトラー(の役の俳優)が、街頭で質問に答えてくれた人に、「一緒に戦ってくれるか」、というと、それまで社会に対する不満をあれこれ語っていたその人は「もちろん嫌だ。お断りだ」と笑いながら言ったのも印象的だった。

たぶん、ヒトラー(のコスプレ)というのは、毒の強いジョーク(と捉えられているの)であり、街頭の人たちはそれゆえにリラックスして、本音-現代の社会に対する不満を言いやすくなったのだろう。

そして、これは80年ほど前に、本物のヒトラーとナチスが、実践して成功したエッセンスそのものなのかもしれない。

当時でも、一定以上の教育を受けた階層の人たちから見れば、ヒトラーもナチスも悪趣味な冗談のようなものにしか見えなかったのだろう。しかし、逆にそれゆえに、彼らは大衆の心をわしづかみにして、強い流れを作ることに成功した。

エグさや派手な宣伝は着火剤であり、くすぶる不満は石炭のような燃料だ。根本的なところは変わっていない。

ただし、当時と現代の人々が違うのは、現代の人たちは歴史を知っていることだ。先にふれた、街頭でヒトラーと対話した人たちは、不満を抱きながらも、自らを抑制するという知識と力を身につけている。そう簡単には燃え上がったりしない。

この映画の一番の肝は(自分なりの解釈では)そこかな、という気がします。

 

彼らにとっては闇の、タブーとなる存在なのだが、それをあえて表に出すというのは、なんというかドイツらしいですね。日本人ならずっと隠し続けるでしょうね(またはイデオロギー色の強い作品にするか)。アメリカ人もたぶん、ちがう反応を示すと思います。。

小説もいま読んでいるので、読み終わったらまた蒸し返すかもしれません。。

 

 

 

 

 

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雑記

2016年06月20日 | 日記・エッセイ・コラム

だらだらとまとまりのないことを書いていいます・。

6月は案外といろいろやることが多かったりで、よく言えば変化の多い、別の言い方をすると気の抜けない日が続く感じがあります。

梅雨らしくない日も多くて、水源も心配なようです。

先週のイベント。

短時間で帰ってしまったのだけど、一応写真を残しておこうとE-P3を持参してきた。

こういうパーティとか、小旅行みたいなときにミラーレスはいい。真黒な一眼レフは重いし無粋な感じがするし、人に身構えられるし・。

それはいいのだけど、E-P3もさすがに5年前の設計(買ったのは3年前)なので、暗所でのAFはいささか厳しいものがある。ちょっと時代を感じる。

もともとE-P3はオリンパスが古い技術をなんとかブラッシュアップしてまとめた、という印象が強い。同年に設計されたLumix G3よりも洗練されていない、と思えるところがある。

もっとも、使っているとシーンによっては侮れない描写をするときがあって、おどろくこともある。 

後継のPen Fや、GX8などを検討したこともあるけど。。経済的にちょっとね。。

E-P3,どこまでつかえるかな。

実家でつくっていたきゅうり。収穫しないと大きく成りすぎてしまうらしい。

今年はあじさいが全体にはやいようだ。あまり梅雨の実感がなくて、撮影をしようとするまえに終わってしまいそうだ。

実家の近くにある大きなショッピングモール。いつも混んでいて、家族と行けずにいたがようやく行けた。

月曜日から映画を見に行ったりしたが、この話はまた後程。

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積み重ねてきたもの

2016年06月18日 | 日記・エッセイ・コラム

少し前のことになるが、以前一緒にお仕事をしたことのある方が、ながい雌伏の期間を経て、新天地で活躍されることになった。

ささやかなかがら内輪でお祝いの席を設け、お話を伺った。以前なら僕が気安く近づくことができないような、輝かしい経歴をお持ちの方だが、ここしばらくの間(かなり長いと言ってもいいかもしれない)は様々な苦労を重ねてこられたようだ。

その方がお話しされたことの中で、印象に残ったことは、「僕はこれまでの経歴の中で、あのときああすれば良かった、と後悔することが3つある。。」という話をされたことだ。いずれもお互いに共通の歴史があるからこそ、話が通じるエピソードなのだが、僕が印象的に感じたのは、個々のエピソードではなく、その方が自分が後悔している、と正直に語ってくれたということ、そのものだ。

いろいろな人生の積み重ねの中で、誰でも後悔するような事件の一つや二つは必ずある(その点においては自慢じゃないが、僕はいくらでも語れるかも。。)ものだ。それは当人にとっては伏せておきたいこととして、あまり語ろうとしないのが普通ではないかともう。

もし、そういうことを語れる状況があったとしても、こういうことは変に恨みがましい言い方になってしまったり、愚痴っぽくなったり、身の上相談みたいになったりなど、表現の仕方によっては場の雰囲気をおかしくするリスクは小さくない。

この方はそれをあっさりと、テレビの野球中継でひいきのチームか負けたことを悔やむような言い方で披露してくれた。

こういうことは簡単に見えるようで、実はとても難しいことなのではないかと思う。

聞いている僕などは、この方にもそういう人間的な弱いところがあるのだなと、親しみを持つと共に、ある種の度量の大きさのようなものを感じていたりする。

この方がさりげなく語ることができるのはたぶん、様々な苦労を自身で消化し、人生の不確かさや自分自身の脆さなどを身にしみて実感されてきたからだろう。もしべつの人が同じようなことを言ったとしても、同じような受け止め方ができるかどうか。なんだこいつ、愚痴っぽい奴、と思うかも知れない。

 

これまた少し前の話になるが、今年の初め頃に、久し振りに会った古い知人は、先ほどの話の方とは対照的だった。

家族のことですこし苦労してるらしく、こちらも同様の悩みなどを語ったりした。

ただ、その場ではともかく、しばらくしてから思い返してみると、なんだか苦労話のついでにさりげなく出てくる、自慢話のようなものが強い印象として浮かび上がってくることに気がつく。

彼も同じ時代を生きるうち、陰に陽にいろいろな苦労を重ねてきたにちがいない。ただ、表面だけ見ると、それなりに順調な人生を歩んできているように思える。

そういう、順調で明るい面が、不思議と強く出て見える。一般的にはその方がいいに決まっている。

ただ、その場で相手の話題に乗って、こちらの悩みを開陳すると、あとからはしごを外されたような気持ちになるのも事実だ。。

さいしょの方とは何かが違うのだが、なにが違うのかはよくわからない。

 

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宇野功芳さん

2016年06月15日 | アート・文化

音楽評論家の宇野功芳さんは、独特な語り口の文章で人気があった。

「宇宙が雪崩を打って落下するような第一主題、その後の32音符の下降音型が何という苦しみを訴えかけることか。第二主題への移行部における意味深いリタルダンドと、その後のものものしい神秘感、暗黒内でのまさぐり、すべてフルトヴェングラーならではの表現だ」(フルトヴェングラー ベートーヴェン「合唱」のライナーノートより)

 いわゆる美文調だが、昔のクラシックレコードのライナーはこういうスタイルのものが珍しくなかったようだ。ともあれ、僕が宇野功芳と言う名前を知ったのはこのライナーからだ。

自著などでの過激な発言(この曲の演奏録音はこの1枚だけあれば、後はいらない、とか、誰それ指揮の演奏など、聞く方が悪い、など)は、「語録」としてすっかり有名になっている。ので、僕がここで繰り返すことはないだろうけど、個人的には大いに楽しんだ。もっとも、演奏の好みは違っていたけど。

単なる毒舌なわけではなく、その文章の随所に音楽への愛情や少年っぽい純粋さがあふれていて、それゆえに多くの人から愛されたのだと思う。音楽家としても合唱の指揮、交響曲の指揮などをされていたが、好きなことをやれるだけやれた、幸せな人生だったのではないか。

10日に86歳で亡くなられたそうだ。ご冥福をお祈りします。

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カメラ関係のこまごまとしたこと

2016年06月12日 | カメラ、写真

大したことではないのですが、こまごまとしたことをまとめて。

E-P3を買った時、カードやジャケットなどと共に(一応)純正のCS-14SFというケースも注文した。

E-P3には当時、本革の立派な専用ケースが設定されていたが、それではない。オリンパスのロゴは入っているが、普通のミラーレスなら何でも入れてよさそうながま口型のケースだ。

出かけるときにE-P3を入れて持ち歩いていたが、今年ぐらいからなぜか、ケースを開けるとカメラがほこりをかぶっていることが多いことに気がついた。

12mm-32mmは、軽く艶のある黒塗装の外装なので、埃が目立つ。E-P3本体も、金属メッキのところに埃が目立ちやすい。

ケース自体はブリーフケースによく使われるようなナイロン、内貼りは黒の植毛生地みたいなやつ(どう表現していいのかわからないけど)だ。指ではじくと埃が舞い上がる。

ので、とりあえず洗剤を含ませた布で、内貼りを拭いてみた。

しかし、予想はしていたが、それはあまり効果がなかった。相変わらずカメラが埃をかぶる。

ふたの部分は、以前はもう少ししっかりしていたような記憶があるのだが、経年のせいか芯がなくなってきている。まあ、3年使ったのだし、取り替えてしまうか。

そう思って、適当なケースを買ってきた。税込みで1200円くらいい。少し小さいが、普通の標準ズームをつけたまま入れられる。純正よりもしっかりした弾力のある生地で、耐衝撃性も高そうだ。

これを買った後、オリンパスの純正アクセサリーを扱うコーナーをのぞいてみたら、CS-14SFはまだ売られていて、2,800円ちょっとの値札がついていた。。

昔、いくらで買ったのか全然覚えていないが、けっこう高かったんですね。。

しかし・・、2,800円か。。

家に戻ると、捨てるはずだったCS-14SFを引っ張り出し、そのまま洗濯機に放り込んだ。

乾かしてからカメラを入れ、少し連れ歩いてみたが。。今度は成功。きれいに洗濯され、指ではじいても埃が舞い上がることもなくなった。

買ってきたケースは、G3はじめ、色々と使い道はあるでしょう。。

 

G6を買った時、アマゾンかどこかで買ったトランセンドのメモリーカード(32G)だが、画像を転送すると、過去に取りこんだことのある画像を含め、重複してみんな保存されてしまう。

G6は連写を多く使うので、一度に数百枚の写真を転送することも珍しくない。32Gだから、過去の写真もかなり多く保存されている。

それらを含め、カードに入っている画像すべてを、パソコンに差すたびにまとめて転送してしまうのだ。

カメラ側の問題なのか、あるいはパソコンの取りこみソフト側かわからずにいたが、試しに別のカードを使ってみると、正常に未取り込みの分だけ転送される。

ので、原因はどうやらカードにあるようだ。正常なら取りこむときに、なにかフラグをたてているのが、うまく動作しないのだろう。

この際、新しくカードを買ってみるか。

 

と思って、アマゾンなどを探してみたが、さいきんアマゾンは配送手数料を取るようになったので、必ずしも安く買えるとは限らないようだ。。

土曜日、秋葉原近くをとおる機会があったので、あきばお~とか、数件回ってみた。

で、買ったのがこれ。

上海問屋というところで見つけた。オリジナル商品らしいが、カード面に花札とか、ゴッホとかの絵がついている。切手みたいな感じだが。。

ダヴィンチですね。別に新しい製品なわけではなく、6年前から売られていたらしい。ただし、当時は今の11倍以上で売られていた。

まあ、動画をたくさん撮るわけでもないし、64Gもいらないんだけどね。

それに、税込みで2000円ちょっとだったが、これだとアマゾンでも送料無料になるね。

昔、フィルム時代に買った汎用ストロボが出てきた。電池がすこし傷んでいるが、一応動くみたいだ。Qでも使えるし、MFTでも大丈夫だ。

バウンス撮影もできる。

とはいえ、僕にはそれほど使う機会がないかもな。

 

 

 

 

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山王祭

2016年06月11日 | まち歩き

赤坂日枝神社の山王祭は例年6月に開催される。祭礼行列である神幸祭は隔年で開催されおり、今年がそれにあたる。

オフィスの近辺をお昼時間頃に通るので、過去何回か、昼休みに偶然遭遇している。4年前にもここに書いた。

今年は事前に情報はもらっていて、やってくる時間に外に出てみたが、多少遅れているようだった。

スタバでドーナツとコーヒーで食事してから、外に出てみると通りの向こうから太鼓の音がしてきた。

新幹線の撮影ではないから、ゆっくり待っていれば写真は撮れる。

天狗。。会社の子に見せたら、結構怖そうなお面の人が多いので、一人で見ると怖いかも、といっていた。

この方は騎乗している。普段から乗馬をしている人なのだろうか。

おみこし

飾りのついた四輪馬車、いや、飾りはあまりなさそう。

お馬さんが立派です。

和洋折衷なのでしょうか。

こちらは日本のお家柄、人力。

この日は気温29度。朝7時半に出発しているというから、さぞお疲れかと思います。暑いでしょうし。

きれいどころ。。

ちょっとぼけてしまった。残念。

干支の神輿。ちょっとマンガチックです。

このあと、京橋から日本橋にまわり、新橋を経由して戻ったらしい。普通に歩いても大変でしょうね。。

というわけでした。

 

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SNS白書2016

2016年06月09日 | デジタル・インターネット

さいきんの自分には珍しいことだが、相変わらずいろいろ抱えていて落ち着かない。帰宅すると眠くて、パソコンを開けない日が多い。

さて、SNSのはなし。

最初にSNSなるものに接したのはたぶんMixiだったと思う。6年くらい前のことだ。仲間内でいっせいに使い始め、そこそこに盛り上がっていたが、半年くらいしか続かなかった。いまはぜんぜん使わなくなった。知人の幅が広がらなかったのが最大の要因。

とはいえ、Mixiを通じて、何十年かぶりに小学校の同窓生とつながれた、という功績は大きい。
また、3.11のとき、携帯やメールがつながりにくい中、Mixiは連絡がとりやすかったというのも、印象に残る思い出だ。

Facebookは、もともと仕事つながりでアカウントを作ったのがさいしょだ。さくらとして、自社のアカウントでいいね!をするためだった。もっとも、最初のうちだけで、すぐに仕事とは関係なくなったが。

FBは利用しているユーザーが格段に多く、特に利用者がワールドワイドに広がっているところがポイントだ。昔働いていた、いくつかの職場の知り合いで、今は自国に戻っている人たちと、何十年かぶりにつながれたりする。これはすごいと思った。

初期の頃は、以前の勤務先関係の知り合い(との交流)がほとんどだった。職業生活では出会いと別れが頻繁で、縁が切れると会えなくなる人がほとんどだ。こうした、ゆるくつながれる場があるというのは、とてもありがたく思えたものだ。

このブログを始めたのも、実はFacebookがきっかけだ。前の会社の同僚の子が、同じようにFBとブログを連携させていたので、それをまねしてみたのが最初だ。ただ、だんだん使っていくうちにFBとブログの読者層がだんだんとちがっていることに気がつき始めた。ので、今は連携させていない。ときどきほぼ同じ内容のことを両方に書いてみたりしているが。。

Twitterも、先ほどの同僚の子がきっかけだ。アカウント持ってますか、といわれて、作ってみた。この子、同じ職場だった頃はそれほど親しかった訳ではないのだが、なぜかネット上ではウマがあって、一時期盛り上がっていたりした。さいきんはちょっとご無沙汰かな。

LINEは仲間内の連絡手段として使い始めた。Mixiとおなじ経路だ。今でもメール代わりに使うことは多い。グループでチャットするみたいな使い方は正直苦手で、あまり使うことはない。書き込むタイミングが難しいんですよね。顔を見ないで筆談しているような感じでしょう。スタンプは一応あるけど。。

LINEに限らないが、ネット上の仲間同士の交流というのは一時期ものすごく盛り上がったりするが、ときに潮が引くようにさめてしまうものもある。FBでもなんでも、かつては数時間おきぐらいに書いていた人が、すとんと書かなくなったりする。まあ、飽きるんでしょうね。。

先ほど同僚の子のことを書いたが、現実世界ではそれほどでもなかったのに、ネット通しで妙に仲良くなる人という人はいるものだ。こうしたSNSというのは、ひとの別な側面を見せてくれるものなのかもしれない。

FBの友達の中には、実際にお会いしたことのない人が何人かいる。小鳥の愛好家グループの人が多い。Twitterでフォローしている人たちは、むしろ知人ではない人の方が多い。有名人の方や、愛読しているブログの作者、写真つながりの人などが中心。鉄道会社とかニュースサイト、災害情報などもフォローしている。

Twitterは即時情報源として便利。熊本で地震があったことも、Twitter経由だった気がする。違法性はないが不適切、という言葉も、ハッシュタグで最初に知った。自分で発言することはあまりない。一言言いたい、というときはあるもので、これからコンサート、みたいなことはよく書く。あれは、開演前に電源を切るので、その直前につい書きたくなったりするのだ。

FBとはてきとうに付き合ってそこそこ書き込んだりしているが、最近は友達の輪が広がりすぎたりして、ちょっと書きにくくなった気がする。このブログだと、自分勝手に鳥の事を書いた後で歴史の話をしたり、いろいろしているが、FBはなまじ読んでいる人の顔が見えるので、ある程度みんなに伝わるような話題を、とつい考えてしまう。この春ごろから、小鳥の迷子情報のグループからの投稿をシェアしたりしていたが、鳥好きの友達も限られるので、そのシェアがどれだけ有効かも疑問だ。。難しいですね。

そんなわけで、FBはちょっと曲がり角かも。まあ、無理のない範囲で。。

 

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AI

2016年06月08日 | 日記・エッセイ・コラム

少し間が空いてしまいました。
いろいろ調整することがあって、時々取りこぼしたりしていますが、なんとか収拾をはかっています。

さて、先日旧友と飲んだときの会話から。

AIが普及してくると、人がやらなくて良くなる仕事といえば。。それは経理関係。複雑な税法もAIに聞けばすぐ答えてくれる。公認会計士もいらない。法曹関係もAIでまかなえる。

じゃ、人間はなにをすればいいのか。

介護、福祉関係ならいまでも人は足りない。需要はますます高まっている。

でも、そういうのもロボットとかができれば、力仕事もらくらく引き受けてくれる。

それに、頼む方も、なまじ人間にやってもらうよりは、(無機質な)機械の方が、気が楽でいいかもしれない。。

なんでも今は、執刀医が手術するとき、補助器具のようなものを使うそうだ。執刀医がメスを入れていると、それ以上やると切りすぎです、みたいな警告をしてくれるらしい。。

飲みの時の話はここまでだったが、そのあとぼんやりと自分で考えるに。。

先日、囲碁の対局でAIが人間の名人に勝った、というニュースが流れたが、たぶん、いくらAI対人との対局で常勝するようになっても、棋士や名人は存続するだろうし、今と同じような敬意を持って遇されていくだろう。

囲碁、将棋などの勝負事は人間の能力を闘わせるもので、結果だけが求められるものではない。

法律の世界はどうだろう。アメリカの裁判ドラマなんかを見ていると、いかに陪審員の心を動かすかが勝負どころだったりする。AIが人間の弁護士を、あるいはAI同士でも良いが、論破したとしても、それで得られた評決に人々が納得するかどうか。。

医療の世界は奥が深い。手作業では難しいところを機械で補うことは、これまでも行われてきたし、これからもますます進むだろう。そして、将来はいのちをいかに救うかー尊厳死などの問題がさらに大切な問題として、人々を悩ませることになるかもしれない。患者や親族たちと、医者との関係はますます重要になる。

それでは、会計の世界はどうだろう。。
う~ん。。。。

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べつの世界、思い

2016年06月04日 | 日記・エッセイ・コラム

「ヨコハマ買い出し紀行」第14巻(電子書籍版)83ページより


 なんでも、ドラえもんには都市伝説があるそうだ。のび太君は事故で植物状態となり、夢の中であのお話を生み出したのだと。

ある世代の子供たちの間でかなり広がったらしい。

僕らの世代ではドラえもんは第6巻でいったん終わったんだよね。。その後漫画は再開され、アニメも人気を博して今のような国民的キャラクターとなっていく。

連載は20年以上と長期にわたるが、のび太君たちは小学生のままだ。連載当初ののび太君が順調に年を重ねていけば、今頃は子どもが社会に出ているくらいの世代になるのかな。漫画の中ではのび太君が大人になり、孫まで登場する話もあるが、都市伝説によれば、その間ずっとのび太君はベッドの上で夢を見続けているらしい。

 村上春樹「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」では、「私」は思考回路を人為的に「操作」されて、自らの意識が『別の世界』に行ってしまう、と知らされる。「私」がその後客観的に見てどういう状態になるのかについては描かれていない(「死ぬわけではないのですよ。意識が永遠になくなるだけです」)。

『別の世界』においては、時間の概念がなくなる。

飛んでくる矢が止まって見える、といわれるように、思念の世界においては、一瞬のうちにすべてを見ることもできるし、永遠を体験することもできる。肉体には死が訪れるので、正確には永遠ではないが、思念の世界においては限りなく不死に近い永遠の生、が広がっている。「そこであなたは、あなた自身になれる。そこには何もかもがあり、同時に何もない」

細かな説明を省くとこんな感じじゃないかと思うが、ようするに「私」は現実世界とのコンタクトを失うが、自分の作り上げた世界において、いつまでも生き続けるようになるらしい。

『別の世界』は、物語では「街」といわれている。

主人公「僕」はどこかからこの、壁に囲まれた「街」にたどり着き、そこでの暮らしを始める。過去の記憶は失われている。そして、今はまだ残っているが、「街」での生活に慣れるに従って、最終的には心を失わなければならないとされている。心を失うことができなかった者たちは、森の奥へと追いやられる。

「僕」が仕事をしている図書館には、人々の記憶や夢の跡が、行き場を失ったまま残されている。

「街」は「世界の終わり」と呼ばれ、何人もその、高い壁にかこまれた「街」を抜け出すことはできない。鳥だけが壁を超えて行き来できる。

はじめ、「僕」は「街」違和感を抱き、抜け出すことを画策する。その一方で、「街」の人たちと触れ合ううちに、そこでの生活にも愛着を持ちはじめる。。

 

 「ヨコハマ買い出し紀行」は別の世界の話ではない。

しかし、近未来の日本という想定のその世界では、かつての街の賑わいは失われ、人類は「夕凪の時代」を迎えている。

そこにかつていた人たちの多くは去り、彼らの記憶や想いのようなものが、そこかしこに残されている。

残された人々と共に暮らす、「ロボットの人たち」は、ふつうの人間たちよりはるかに長い生を送ろうとしている。彼らは次第に失われていく、ふつうの人たちとの思い出を惜しみ、しだいに広がっていく世代間のギャップに寂しさを感じる。ロボットの人たちは、自らのアイデンティティの範を普通の人たちにとろうとするが、そうしようとすればするほど、自分たち自身が「別の世界」であることを実感し、ときに苦しんでいるようだ。

 

もし、「べつの世界」の入り口が開いていて、入ることができるとしたら、どうするだろうか。

 

 

 

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コバケンx 日フィル ベートーヴェン交響曲ツィクルス 第1回

2016年06月03日 | 音楽

今日はお昼から休暇をもらい、荻窪に行く。

杉並公会堂がリニューアルして10周年とのことで、今年の日フィル杉並公会堂シリーズはそれを記念して、ベートーヴェン・ツィクルスとなるそうだ。

その第一回が今日と、5日日曜日に公演される。

ふつうコンサートは夜や休日に聞きに行くので、平日の明るいうちに行くのはちょっとへんな感じですね。。

なんか急に樹木希林の「昼間っから?」というCMを思い出してしまった。。失礼。

プログラムは交響曲第1番、ピアノ協奏曲第5番、交響曲第5番と、かなりのハイカロリー。

ピアニストは小山美稚恵さんです。この方、考えてみると実演で聞くのは初めてだな。

CDを買うとサイン会に参加できます、と宣伝していたが、前日に別のCD買っているし、まいいかと思って見合わせた。

ただ、帰るとき、混雑したロビーを歩いていら目の前に美稚恵さんが現れて、思わず目礼してしまった。。

交響曲第1番は個人的には結構好きで、以前はCDとかではよく聞いていたのだけど、なんとなく聞きすぎてやや食傷気味になてしまっている。

たぶん演奏家にとってはけっこう難しい曲なのではないかと邪推する。。めったにコンサートにはかからないですよね。

冒頭のテンポがけっこうゆっくりしているので、あれあれと思ったが、そのうち気にならなくなった。

素人の戯言としてお許しいただきたいのだけど、この曲、どうしてもトスカニーニなどの快速テンポの演奏が耳に残っていて、それとちがうとあれ、と思ってしまうのだけど。あ、たしか朝比奈隆がかなりずっしりした演奏をしてましたね。。

「皇帝」はこうして聞くと、派手な曲ですねえ。これも素人うさぎの感想としては、緩徐楽章に入ってからが好きです。第1楽章はちょっとくどい、とか言ってみたりして。。

小山さんのアンコールは「エリーゼのために」でした。カロリーの高い曲の後なので、焼き肉の後のハッカ飴みたいにさわやかに感じました。

交響曲の第5番も、というか、ベートーヴェンの交響曲自体、さいきんはなかなかコンサートにかからないように思えますが、こうして聞くと実に面白い。CDとかだと聞き流してしまうのですが、低弦から始まりチェロ、ヴィオラ、ヴァイオリンと呼応していく様子などは、実演で見てはじめてわかる面白さです。時間的にも手ごろでダレないし、無条件で楽しめる。

これまた素人の感想ですが、今回冒頭呈示部を反復しなかったような気がするんですけど。。聞いててあれ、と思ったけど、気のせいかな?

最後は例によってコバケンさんのスピーチが入りましたが、かなりエキサイトされたせいか、声を枯らしておられました。

次は三重協奏曲と交響曲第3番、以下、2番-7番、ヴァイオリン協奏曲・4番、と合計6公演予定されています。全部聞けるかどうかわかりませんが。。

肩はここしばらく落ち着いていて、以前よりはかなり楽な状態だ。2時間もつかな、と思ったが、大丈夫だった。

演奏者も大変だったと思うが、聞くほうもけっこう疲れた。。

 

さて、先日、CD屋に行きそびれた話をしたが、昨日帰りに新宿によってお目当てのブツを買ってきた。

予定ではチャーシューラーメンを食すとされていたが、前日にやさいタンメンを食べたので、さすがにその気にはなれなかった。。

フリッチャイのベートーヴェン。ちらちらと聞きましたが、「エロイカ」は颯爽とした名演。5番は’61年の録音ということで、白血病でテンポが遅くなってからのもの。あとでまたじっくり聞いてみたいと思います。

チェルニー=ステファンスカのマズルカ全集。チェルニー=ステファンスカは本場ポーランドの生まれで、マズルカはポーランド人でないとわからないとされている。。

大好きなのはフランソワの演奏だが、それとどう違うか、堪能してみたい。全集は2枚にわかれていて、お店にあったのは後半だけだったが、新譜では入手できないかもしれないと思い購入した。ただ、Amazonを見ると廉価版になって出ているらしいですけどね。。

 

 

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6月

2016年06月02日 | 日記・エッセイ・コラム

わかりにくいけど、画面中央付近に虹。

 

帰りの電車で「村上ラヂオ3」を読んでいたら、”年を取って楽になったことのひとつは「傷つきにくくなる」ことだ。慣れの問題なのだろうけど、考えてみると若いころに比べ感受性が鈍ったのだろう。仕方ないことだが。若いうちに十分苦労して傷ついておけば、年を取ってから楽になるよ。何かあったら布団かぶって寝てしまおう。”というのがあった。

確かに慣れてはきたと思う。・・。ただ、楽になったかというとどうかな。

朝、前の晩の電話でのやり取りを思い出しながら、あまりにあっさり受け流しすぎたので、不躾で大変失礼を・・とフォローを考える。

あんまり鈍くなりすぎると、周りとの差しさわりが出てくる。

ため息が。。

芳しくない報告をしないといけないので、一息入れる。

終わったら、帰りに新宿によって、中古CDを探してみよう。

ショパンのマズルカか、なかったらフリッチャイ指揮のなにか。そのあと、時々行く店でチャーシューラーメンでも食べようか。

と、思っていたが、話が長引いて残業。。

仕方がないから、オフィス近くのお店に入った。隣にいた人たち(おおきな保険会社のかたがた、らしいですね)が、ビール飲みながらくだまいていた。。

という、6月の始まりでした。

風がつよいね。

 

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いわさきちひろ美術館

2016年06月01日 | まち歩き

いわさきちひろ美術館で、企画展「村上春樹とイラストレーター展」が開かれているので行ってみた。

佐々木マキ、大橋歩、和田誠そして安西水丸さんのイラストが展示されている。

初期の村上作品、「風の歌を聞け」や、「1973年のピンボール」などの表紙は、佐々木さんのイラストの印象が強い。

原画は紙にガッシュで描かれているがとてもそうは見えないほど力強い画風だ。


安西水丸さんもエッセーなどで村上氏の文章と一対のようになっていて、印象深い。ただ、展示はそれほど多くはない。

和田誠氏はジャズシンガーのイラストと、それについての村上氏の文章を載せた「Portrait In Jazz」を僕も持っている。こちらは展示が豊富。

帰りにミュージアムショップで、いくつか本を買ってきた。

村上作品のうち、絵本系はあまり買ったことはなくて、「羊男」もこれがはじめて。

「村上ラヂオ3」はしばらく前から店頭に並んでいましたね。こちらのイラストを手掛けた、大橋歩氏の作品も展示されていた。

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