うさぎくん

小鳥の話、読書、カメラ、音楽、まち歩きなどが中心のブログです。

とんぼ

2021年08月30日 | 旅行記

また・でたらめてきとうなルートでちょろっと旅に出ます。北関東をくるっと一回り。

ちょうど電車が出そうなので飛び乗ったら;


一緒に交尾中つがいのトンボも車内に入ってきた。

近頃の電車は通勤車でも窓が固定式で(換気用に薄く開くところもあるが)、トンボも窓から出たがっていたが、ガラスにぶつかって出られない。

僕もなんとか誘導しようと思ったが、うまくいかなかった。

とりあえず窓際に落ち着いたみたいだ。

このとき、片側7人掛け、向かい合わせて14人分の座席には乗客5人ほどが座っていた。いずれも男で、3人は20歳そこそこの若い子、一人は中堅(やや若い)サラリーマン風の男、そして僕だ。


トンボが車内に入ったのは驚きはしたが、僕などは内心「あ・トンボだぁ(はあと)・・!」ぐらいの気持ちでいたのだが・。

若い子たちはなぜか、飛び回るトンボに恐れをなして、真っ青になって震えている・(ちょっと大げさかもしれない)。

いやこれがもし、スズメバチだったらそりゃあ怖いが(あとはちゃばねとかも)、トンボなんだけどな。。

中堅サラリーマン氏はさすがに落ち着いた態度で、カバンを開いてごそごそしている。

何かと思ったら、ビニール袋が出てきた。

ん~、生け捕りにして坊やのお土産にするのか?

と、思ったら、それを手袋代わりにして捕まえようとしている。。
ガじゃないんだからねえ。。

電車が次の駅に近づいたので、僕はすぐ脇にいた子の羽根をひょいとつまんで、表に出してやった。
サラリーマン氏も追い込みには成功したらしく、こっちに飛ばしてくれたので、一緒に出してあげた。

これで車内に平和は戻ったわけだが・。



若者よ。

トンボを見たら、ゆびでぐりぐりやって、目を回しているすきに捕まえるって、べんきょうしなかったのか!

君たちはいったい学校でなにを習ってきたのかね。。

そんなことでは大人になって、アルちゃん一羽捕まえられなくなってしまうぞ!しっかりせい。
へ~、かいぬし・ずいぶんといせいがいいねえ・・。

あたしたちそんな簡単につかまんないわよ。。

おでかけの話は「鉄道部」に書く予定です。っても、たいしたこと書けないけど。
これは、見かけると幸せになれるという、イーストアイ・。


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夏を閉じる日 2021

2021年08月29日 | 日記・エッセイ・コラム

僕はひじょうに(まったく)縁ゆかりがあるわけではないので、ためらいながらここに掲げるのですが、29日の命日ということで、遺された詩と、あとニールダイヤモンドのソングサングブルーと、一応へたくそな対訳を掲げておきます。




夏を閉じる日    
        
               鈴木 由里


 夏を閉じる日

 散っていく花びらに 少しの言葉がほしい
 空回りしている詩に 確かな鼓動がほしい


 夏を閉じる日

 ブランコの揺れる あの日に戻りたい
 開かれた白いページに 瞳を埋めていたい


 夏を閉じる日

 心を閉じて 一人でいたい










悲しみのうた
みんな知っている
悲しみのうた
どこの庭にもひとつは育っている

君も僕も ときどきは ブルーな気持ちにとらわれるものだ
だけどそんなときは その悲しみを歌にして
それを歌ってみるんだ
なんども歌ってみるんだ

悲しみのうた
柳のように泣きむせび
悲しみのうた
それを枕にしてねむる

でも面白いだろ 泣きながら歌っていると
いつのまにか いい気分になってる 自分に気がつくんだ
どうしようもなく そうなるんだ

僕も君も ときどきは ブルーな気持ちにとらわれるものだ
だけどそんなときは その悲しみを歌にして
それを歌ってみるんだ



リンクを以下にまとめます


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えさば

2021年08月28日 | 日記・エッセイ・コラム


サイゼリヤはイタリアから来た方が食べてもかなりおいしいらしい。
本場イタリアの味に近くてコスパ最高。イタリアに帰った気分になるとか。

ふだんでも安いけど、ランチメニューが安いのには驚嘆した。ドリンクバーつけても600円だ。

ただ、さいきん行ったら、注文を自分で書く(メニューにある記号を紙に書いて渡す)方式になっていた。店員さんもかなり忙しそう。

なんとなくだけど、昔より雰囲気が荒れた感じになってきた気がする。。

ガストなんかも、タブレットに注文を入れて送信する方式になっている(飲み屋さんと同じ)。



都心のガストだと、勤め人の個食対応が進んでいて、横を仕切られた長テーブルが用意されている。4人座れるようなテーブルはあまりない。
代わりに充電コンセントとかは充実している。

この手の個食対応は、別に詳しく調べたわけではないが、マクドナルドとかのファストフードが早かった気がする。知っているのは丸の内国際ビルとか、有楽町ビル地下のマックだ。

お昼になるとたくさんの勤め人が並んでいて、たくさんの案内の人がてきぱきとお客をさばいている。
その頃は横の仕切りはなかった気もするが、ブースの幅は狭くてたぶん60~70センチくらいだったと思う。横長相席みたいなものだ。

客さばきの見事さにも感心したが、なんだかニワトリさんの餌場っぽいな、と思ったものだ。

ファストフードは文字通り、ファストさこそバリューなので、それはよい。
ファミレスはちょっと違うような気もするが、だんだんとそういう方向に行っているみたいだ。

まあ、都心と郊外では店の作りもサービスも多少違うのだろう。。
ただ、全体的な傾向としては各種サービスの「合理化」が進んでいるのは確かなようだ。

この2枚は2004年夏の撮影で、たしか今は郊外型喫茶店(むさしの森珈琲)に変わった?と記憶している。郊外型喫茶店はすこしお高いが、ホスピタリティもやや上な感じがする。

今のファミレス、とくに、あのドリンクバーというのが気になる。
今は当たり前になっているけど、往々にして周辺が汚れているし、子供や若い子たちが集まって、いまいちな雰囲気を作り出している。

昔はーあれはいつ頃までやってたのかしらーピンクの制服を着たウェイトレスさんが、サーバーを持っていつも歩き回っていた。
空いているカップを見ると「コーヒーのお代わりはいかが?」と聞いてきた。
ファミレスにおいては、完全に見られなくなったと思う。珈琲屋さんはそもそもお代わり自由じゃないから、そういうのはない。

ぜんぜん関係ないけど、上の写真のカメラはコンタックスT3。
とても良かったんだけど、当時からちょくちょく故障していて、この先修理できなくなったらなんだなと思って売ってしまった。
かなり高く売れて(但しアクセサリー類はだめ)喜んでたが、今は買った値段の2-3倍で取引されている。

各々方、それは趣味が過ぎますぞ。
GR3かRX100になさいまし。


これも昔話だけど、閉店してしまった国際フォーラムのロイヤルカフェテリアは良かったな。。

時には大勢の人たちへの供食が必要なので、店内はゆったりしていたし、お客は社食方式でトレイを持って、流れ作業で移動しながらスープやメインディッシュやらを受取り、最後にお会計をする方式になっていた。
一部の料理はそこで、あれなんて言うんだろ、できあがるとぶうぶういうやつ、あれを受け取って会計する。

今は改装してベジタブルバーになったけど、ちょっとお値段的に普通にランチするところではなくなってしまった。

(上の沖縄ソーキそばはロイヤルで食べたと思うけど、いまいち確信がない。。ふつうのランチはハンバーグ定食とかそんなやつ)。



というわけで、あれだな、東京オリンピック招致の宣伝文句がお・も・て・な・し、だったわけですが、質量保存の法則じゃないけど、収益のないところにサービスは供与されないわけです。

高級店では依然高度なホスピタリティが保たれているでしょうから、勤め人向けの供食サービスの合理化は、需要に応じてよりきめ細かいサービスが提供されるようになった、と言えなくもないですね。

ですが、たとえばこんな風に考えたりもします。

日本の家電製品は作りがしっかりしていて、その割には安いと言うことで一時期世界を席巻しました。自動車もそうです。

しかし、安価な海外製品が次第に追随し、価格競争力は厳しくなりました。
そこで高付加価値な高級製品の開発こそ、これからの日本の目指す道とされてきました。

そういう製品作りは進められたし、一方でお手頃な価格の製品は、海外に開発製造を依頼して供給するようになった。

その結果、ふつうのひとが使う安価な製品は昔よりも作りが悪かったり、耐久性が悪いものが増えた。

他方、メーカーが上級向けとして国内開発、製造をした製品は、確かに値段は立派なのですが、不要な機能や無駄なこだわりがあって、それに魅力を感じられるひとが限られるようになってしまった。

つまり、適度にコスパの良い製品は、もう作れなくなってしまった。

サービス業も、もしかしたら、そういう方向に行くのかなと。
でも、まだ工夫の余地はあるかな。。







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せつな

2021年08月27日 | 日記・エッセイ・コラム




また在宅勤務時の話。今週月曜日のことだけど。

仕事を終えて車でスーパーに向かう途中、ラジオを付けたら壇蜜さんの声が聞こえてきた。
あとから調べたらレギュラー番組じゃなくて不定期でやってるらしい。
移動中10分も聞いてないかんじだったから、ぜんたいの内容はよくわからなかったが、ちょうど聞いていたときは小説家の燃え殻さんと、切ないこと、についてなのかな?話をしていた。

燃え殻さんは子どものとき、お小遣いもらって夏祭りとか出かけると、まだ始まったばかりなのになんか切なくなった、という。いまは賑やかだけど、いつかはこれも終わるんだ、と考えてしまう、と。


夏休みに感じる、この寂しさ感って、すごくわかる気がする。。

少年の頃、というかちょうど13歳の年の夏なんて、なに見ても切なくて寂しい感じがした記憶があるな。。友達と遊んでても、なんか悪ふざけして親戚のおばさんに怒られてても。

箸が転げても可笑しい、という言葉があるが、なに見ても寂しい、切ない、という。

それでまた、夏の終わりという季節が、妙にそれに似合うのだ。

あれは不思議といえば不思議だ。冬が終わるとなんかうきうきしてくるし、春が終わると梅雨になるのは嫌だけど、寂しくはない。秋が終わると街がにぎやかになって、もうすぐクリスマス、みたいなホクホク感がある。。
夏はいちねんで一番さびしい。。

強い日差しや暑さが、少しずつ陰ってきて、それが、盛りを過ぎていくという、なにか心に訴えるものを増幅させるのかな。。

壇蜜さんは、それを受けて?漫画家の旦那に話して怒られた、というエピソードを話していた。

街を見ると家々にあかりが灯っている。そこにはそれぞれの生活がある。大きな団地の、部屋の灯りをみていると、それぞれの家には、キッチンにめいめい色んな形や大きさの、冷蔵庫が置いてある。それを開けると、その家の人の好みの、いろんな種類のドレッシングが何本か出てくる、というようなことを連想する。。

と、話したら旦那さんから「やめてくれ~」と言われたという。なんか、妄想が広がって、ちょっとヘンなところに誘われてしまうのかもしれない。

壇蜜さんは経歴も多彩だけど、話をさせると不思議な浮遊感覚があって、面白い人だな。。ステレオタイプの美人じゃなくて、コケットさと素顔の落差がいい。。女性はどう思うのかしらね。

何よりも鳥好き、動物好きで、前にテレビで、飼ってるコザクラインコ(だったかな)のニギコロ(手のひらで甘えてコロコロする)見せてくれたし、何かの動物番組でも、司会やってたし。。

話が合いそうというより、普段そばにいても妙にしっくりきそう。まあ、ありえないけど。

その、月曜日のお昼、モールに出かけてコーヒーを買い、フードコートで食事した(かなりひさしぶり)。

セットは4皿ついているが、一皿ずつぜんぶちがうスプーンやれんげ、箸をつかうようになっている。

まあ、それだけの話だけど。。

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在宅勤務近況

2021年08月25日 | 日記・エッセイ・コラム
以前書いたが、この6月ぐらいから在宅勤務のときは、実家に行ってやるようにしている。基本は終日実家でやるが、半日のときもある。

7月初め頃、緊急事態が一時的に終息したので在宅も徐々に減らそうと思っていた。
しかし結局また状況が、今度は更にひっ迫してしまった。
なので、一応週のうち2日は在宅という目標は変えていない。

街が怖い、という感覚は、ここに来て強くなった。
ただ、7月ごろはかなり'くだけた'通行人を見かけたものだが、さいきんは少し人々の緊張感が強くなっている気がする。

去年ぐらいまでは、在宅勤務にするとどうもだれてしまって、能率が上がらなかったものだが、最近はだいぶ慣れてきた。自宅よりは実家でやる方が多少集中しやすいようだ。

これには複雑なものがある。実家というのは本来、心くつろげる場所なはず、なのだが、仕事のときはどこか、自分で心にリミッターをかけているようだ。

今週は月曜と、今日が在宅勤務だ。月曜はずっと実家で仕事した。

今朝はなんとなく鳥の様子が気になったのと、PCというかネットの調子が悪くて、朝実家に出勤?しそびれた。実家には午後行くことにして、自宅で執務を開始した。


詳細はぼやかすけど、グローバルで取ろうとしている契約があって、とりまとめしているUKに見積を提出しているが、いつも日本は高いと言われている。

今日も見直せと言われたから突っぱねたら、その上司らしい人からメールが来た。

なんでも世界30か国で話を進めているが、日本はいつもとても高い。例えばブラジルはXXドル、韓国はOOドルだ。もっと努力しろ・。

と、いう話が、お昼過ぎに来た。

ちょっとむっとしたので、ランチは後回しにしてすぐ返信を書いた。
ブラジルのGDPは世界9位で人口は2億、韓国は12位だ。購買力平価は大きく違うはずだろう。。我々はいつもベストの努力をしておるのだぞ。。

GDPのことはネットで調べて書いた。ほかにもなにかエビデンスはないかと探したが、やめることにした。
昔の感覚だと、日本は物価の高い国だったのだが、今はデータ的に、そういうものを出すのが難しい。というか物価、高くない。

時々話題に出るビッグマックの価格は、アメリカが日本の1.6倍、イギリスが1.3倍でユーロ圏もだいたいそのくらいだ。韓国も高い。中国と日本が同じぐらいらしい。携帯電話の料金も、先年まで日本は高かったが、さいきん値下げが進んで、明確な差異はなくなったようだ。一応5Gだと日本はUKの倍以上高い。これは普及していないから、てのもあるかもしれない。

なので、うちの見積もりが高いのは、物価水準からしたらやはり高いのかもしれない。しかし、それじゃやっていけんのだよ。

あとはあれか、彼の国々はAI化、システム化が進んで、人手に頼らずとも効率よく作業できちゃうとか。

まあ、ちょっと色々考えちゃいますな。。

お昼はどこかでちょっといいお弁当でも買おうかと思っていたが、もう疲れて面倒になったので、家にあったカップ麺食べて終わりにした。

4時になってしまったが、残りは実家で。
だいたい6時ぐらいをめどに、仕事を切り上げるようにしているが、もう近頃はだいぶ陽が短くなった。
今日は更に遅くなって、終わるのが7時半になってしまった。

戸締まりをして、PC片付けて、お茶碗とか洗っておしまい。

車で来ているので、帰りはいつもと違うスーパーまで行ったりして、気分を変えて帰る。これがちびっと、楽しい。
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が、出た

2021年08月24日 | 動物 いきもの

市役所のウェブサイトに目撃情報として注意を呼びかける案内が出ていたのがたしか先週ぐらいです。
見かけたら、近づかない、目を合わせない、餌をやらない。市に連絡して。

この子、その10日くらい前に、北西部で確認されたのと同じ個体ではないかと思われます。。わからないけど、たぶん。

その後更に南下して、別の自治体のウェブサイトでも目撃情報の記事が掲載されました。その南の街、さらに南の街と、だんだん移動しているようでした。

昨日今日あたり、とうとう都区内に入ったようです。民放のニュースでも取り上げられたらしいです。

これらの情報が全部つながっていて、同じ個体がずっと移動しているかどうかの証拠はありません。だけど、そうそう人里に出てくるものでもないですしね。。
更に推測を重ねると、たぶんですが、県西部の山のどこかから出てきたんじゃないかと思われます。

ただ、わからないのは何故移動しているのか、です。
確かに田園地帯を中心に移動しているような気もしますが、途中には4車線の道路とか、川とかもあるような気がするし。

「なんでまたこっち(都心)に来るんだ!」(佃法務大臣)



「ほかに、行動生物学的にも何かないか?」

「行動パターンと言ったって、やつはただ移動しているだけです。
なので思考も特定できません。」

「知能レベルが不明なら、我々とのコミュニケーションは無理だろうな。。」

急に思い出してしまった (またそういう、おたっきぃな・)。。。
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情報過不足

2021年08月22日 | 日記・エッセイ・コラム


書こうとしたきっかけは先日、友人がSNSで最近の日本の時事情報ー感染の拡大や政治、経済もろもろのことを列挙して(かなりの数に上った)憂う、という書き込みをしていたことだ。
 そのときは軽くやりとりして終わったが、あとでこれは前から考えてることとつながりがあることだな、と思い始めた。

のだが、じつはPCの前に向かって、ずっと書こうとしているのに、書けない。

なので、とりあえずざっと書いてしまうと、漫然と情報に接するのはやめて、必要に応じ見ないようにすることも(これからは)大切だと思う。

食事と似てる。色々な食べ物を並べられると、次々食べたくなるが、いちどにやればお腹を壊すし、慢性的に食べ続ければ体重が増えてもっと体によくない(えらそうなことを言えた義理ではないが)。

消化する時間も必要なのに、良く噛まずに呑み込んでしまう、という現象もけっこう起きていると思う。

こうして書いてみるとどうにも平凡だし、自分の中でも色々反論が始まってうまくまとまらない。すこし距離を置いてじっくり考える時間も必要です、とまとめてもいいのだが、正常性バイアスかかってて、大丈夫だと思っていると危ないとか、とにかく難しいからね。。

別の視点から見ると、なんとか賢明にものごとを捉えて判断しようとしても、そこには限界がある。
太平洋戦争では庶民が意外と日本の実情をよく知っていて、開戦前から敗戦を予想していた人が結構いたそうだが、実は政府関係者も軍人の多くも、情勢から開戦の無謀さを理解はしていた。
戦争が長期化するにつれ、そうした冷静さが失われて、神がかり的な論調が強くなった。

そうなるべきではなかった、などという話ではなく、人間は危機に遭遇すると往々にしてそうなりがちだ、という事を心にとめると考えたらどうだろう。
その時代でも人々は、神話を語る人の話は聞き流しながら、食料や疎開先など身近で重要な情報を互いに交換していたのだと思う。

まあ、最後までうまく書けない感は残るけど。。
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いろいろ2021

2021年08月21日 | 日記・エッセイ・コラム
真ん中に電線が。。

土曜日は親の通院予定と鳥の通院予定が重なった。このほか都区内に行く予定もあったが、コロナ禍が苛烈になり休止してしまった。

鳥の通院予定は先に決まっていたが、調整して各予定が無理なく収まるようにした。

親の通院付き添いにはもう一つ問題があって、いま使っている(代車の)軽のワンボックスだと座席位置が高くて、乗りこむのが大変そうなのだ(ステップはあるが狭くて不安定)。

妹と相談したが、踏み台とかも用意できないので、カーシェアで借りることにした。

ものすごく久しぶりに借りてみた。車は軽が増えているようだ。
場所とタイムテーブルを見ると、適当なのはこれしかなかった。

ウェブで調べてみたが、ふつうの乗用車よりは5センチぐらい、床が高そうだ。が、まあ大丈夫かと判断して予約。

駐車場まで自転車でいかねばならない。久しぶりにマンションの駐輪場に行ったら、停めてあるはずの場所に誰かの自転車が停められている。
周り見回してもない。盗まれたか?と焦る。
つぶさに一台ずつ見たら、目立たぬところに置いてあった。いつの間にか移動されていたらしい。


ふだん古い車しか運転してないので、ポップな感じの内装はなんか楽しい。スマートキーでエンジン始動がボタンなのと、アイドリングストップ機能が目新しい(流石に初体験じゃないけど)。

それで親乗せたら、やっぱりまだ床が高いんだよね。。脚、痛いからちょっとたいへん。

だけどあれだよね。今流行のミニバンとかSUVとか、昔に比べると各車背も高くなったけど、床も上がってるんじゃないかな。
それで困ることとかないのかしら。

というか、バスとか低床ノンステップとかの方向に行ってるのと逆だな、と今回初めて気がついた。。

さて発車。このとき、さっきは交差点でアイドリングストップして、メーターに砂時計が出てたのに、でなくなったのに気がついた。もちろん、あれ?くらいで気にはしてなかった。



クリニック内の付き添いは妹に任せて、自分は車内待機。ラジオ聞きながら、前最後まで読み切れなかった「地球へ・」を再読していた。エアコンはかけられない(エンジンはもってのほか)ので、窓を開けておくが、今日は曇りがちの空で、まあ大丈夫。外気温29度。

ふつうの(昔の)鍵式のキー(なんかよけいわからんな)だと、差込んでひねった位置でACCモードになるが、スマートキーはボタンを何度か押してACCになるからわかりにくい。ラジオを聴くためにはナビがついてないといけないらしい?し、よくわからんがとりあえずエアコンは止めたが、メーター周りの灯りは消えないみたいだった。

途中から車が「ぴい」とか言うようになった。

何の音かわからない。定期的にくりかえし言うので、ラジオも切った。
2時間ちょっと経って、ようやく親が出てきた。

色々申し送りを聞いて、それじゃあ、と発車ボタンを押したら。。

くんくんくん、と車が言って、メーターにシステムエラーです。とかいう表示が出た。

ようするに動かない。

症状としてはシステムも何も、バッテリー上がりのように思える。

カーシェアの会社に電話する。ロードサービスを手配しする。ジャンプコードつないで動かなかったら、現地解散になるので、公共交通機関で帰ってくれと。

このまま親を置いておけないので、妹とタクシーで帰ってもらった。
妹は「おにいちゃん車運わるいんじゃないの??」という。
そんな運、あるんか?

まずタクシーが来た。
ドライバーはおばさんで「あれ、車乗ってるから何かと思った・・あれまあそれは。自分の車だったらジャンプコード積んでるんだけどねえ。。お気を付けて」と、親切に声をかけてくれた。。

ロードサービスも来た。
ボンネット開けて、エンジンボタン押したらあっけなく始動。

「シェアカーなので特に助言できないが」というが、これ、アイドリングストップついてるけど・・というと、運転席行ってとめてくれた(どっかにボタンあるんですね)。
「まあ普通はバッテリーすくないとアイドリングストップ自動で止めるけどね」
「あ!そういえば、運転してたら途中でしなくなったんです」
「ああ、それじゃ前から足りなかったんだ」

発車してから動き出すまで1時間。シェアカーだからその分も利用料チャージされる。。それって、払うんですかと会社に聞きたい気もしたが、面倒くさいからやめた。



車を返して帰宅。急いでアルを、今度は代車の車に乗せてお医者さんへ。

遅れる見込みである旨、お医者さんに電話したが、幸い15分程度の遅れで済んだ。

ちょっと体重減って37g。でもちょうどいい感じだと。
今朝、ちょうどペレットの袋が空になった。先日新宿京王で買えなければ、翌日からペレットなしになるところだった。。

この一週間、ご飯あげる量ケチってたわけじゃないけど(オーツ麦とかもあげたりとかね)、まあ一安心。

てなわけで、いろいろ困ったり、いろいろ気がついたり、いろいろ親切にたすけられたり、いろいろ。
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ありました

2021年08月18日 | セキセイインコ


ペレットみつかりました。

おともだちから情報もらって、新宿京王のことりまつりに行ったら、置いてありました。

よかったよかった。

デパートなので会場の写真撮影は遠慮しましたが、ここ、いちど入るとお財布に良くないですね。。。理性をフル稼働させないとやばい。

今上記ウェブサイト見たらことりまつりとZOO FESTIVAL両方やってたんですね。ことりなのになんでクロマグロのぬいぐるみがおいてあるんだろ、と思ってた。。パンダの赤ちゃんのぬいぐるみ(ニュースでやってるような)とか、色々ありました。

うちにもペンギンはいますが、お店のディスプレイでたくさん並んでるのを見ると、たいへんに良い眺めで。。しかも裏側にまわると後ろ姿が・。思わず溶け落ちそうになりました。。

あと、オオサマペンギンのひな?ちゃいろいやつ、がいて、これは買わずに帰るのが辛かったです。。

はなしがあれですね。

それにしても、会場のお客の97%は女性なんですね。。まあ慣れてるけど。
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ペレットがなくってこまったぞい

2021年08月15日 | セキセイインコ
「う~ん・・」

「どうしたの?」
「じ・じつは・」

「なあに?」

「こまった・・」

「だからなあに?」

終戦記念日、各地で雨の被害が大変なようで、お見舞い申し上げます。
幸い当地(自宅周辺)は息災なのですが、依然厳しいコロナの感染状況には悩まされます。

親も僕もワクチン接種は終わっていますが、これで面会も気兼ねなくできると思っていたのですけどね。。お墓参りは一人で行ってきました。

4,5日前まであれほど暑かったのに、今日は半そでだと寒いくらいですね。。セミも意気があがらないのか、超スローテンポでみ~んとか言っていました。。

神社に寄った帰り、ペレットがそろそろだと思い、お店へ。
考えてみると、来週お医者さんに行くので、その時に買ってもいいかと思ったのですが、今使ってる袋がそろそろ終わりかけているので。

バイパス線は比較的空いていたのですが、交差点まで数百メートルのところで工事中表示があり、途端に動かなくなりました。
けっこうあっさりあきらめて、反対側にそれて角を曲がり、ぐるっと大回りして、お店に向かいます。借り物(代車)のナビはわかりにくいのですが、適当に走ったらうまくいつもの通りに出ました。

それで、そこからが本題なのですが、いつも買っているハリソンのアダルトライフタイム・ファインを買おうと思ったら、ありません。

ファインがないときはスーパーファインを買っているのですが、それもありません。

お店の人によると、輸入元で入荷が遅れていて、今月下旬か来月になるかもしれないと。。

この7年間でこれは初めてだ。

前、通販で買っていた頃使っていたお店も見たのですが、そこも欠品で、メーカー製造遅延及び輸送が安定しないため、とあります。

事情はぜんぜんわからないのですが、近頃問題になってる、労働需給とか、コンテナのひっ迫とか、関係あるのかしらね。。

 大粒(中大型鳥用)は売ってるので、それ飼おうかと思ったけど、かなり固いんですよねこれ。いざとなったらコーヒーミルでやっちゃおうかしら。

「こまったなあ」

・・まあ、うちでは食糧安全保障上の見地から、シード(種。ふつうの鳥用ごはん)はいつもある程度確保しておりまして・。当面はそれをあげることにするか。

別のペレット、ラウディブッシュとか、ズプリームとか、この子たちは食べたことないから、簡単に乗り換えるってのもむずかしそう(この辺は在庫はあるとは思う)。

「やいやいやいやい!かいぬし! なんとかしろ!」





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ひとはなぜ戦争をするのか

2021年08月14日 | 本と雑誌
A.アインシュタイン、S.フロイト 講談社学術文庫2016年
初出は2000年花風社

この紹介を15日付で書くのもなんかベタすぎるので・。

1932年に国際連盟がアインシュタインに「人間にとってもっとも大事だと思われる問題を取り上げ、もっとも意見を交換したい相手と書簡を交わしてほしい。」という依頼をします。

これに対しアインシュタインが選んだテーマは戦争、相手はフロイトでした。

当時アインシュタインは53歳、フロイトは76歳で共にユダヤ系でした。間もなくナチスの勢力が拡大し、二人はそれぞれアメリカとイギリスに亡命することになります。

書簡自体は非常に短いもので、フロイトは2度にわたり返信を書いていますが、後半の養老孟司氏、斎藤環 氏の解説を含めても、紙の本で73ページほどです。


アインシュタインは、各国が権利の一部を国際機関に委譲し、紛争解決をその機関に委ねればよいはずだが、現状それは不可能だ。人には権力欲があり、その性格の中に攻撃的な一面を持っている。戦争を避けるためにはどうしたらよいのか、と尋ねます。

フロイトはアインシュタインへの返信の冒頭で、結構大胆な表現をしています。
「人と人とのあいだの利害の対立、これは基本的に暴力によって解決されるものです。動物たちはみなそうやって決着を付けています。人間も動物なのですから、やはり暴力で決着をつけています。」

ただし、人間には意見の対立とそれについての話し合い、というものもあるなど、社会の発展によって様々な対立が生ずるようになった、とフロイトは続ける。

最終的なフロイトの結論は、文化を発展を促せば、戦争の終焉へ向けて歩みだすことができる、というものだ。


論理の展開については本書を読んでもらうしかないが、養老氏と斉藤氏の解説も、非常に重要な指摘をされているので紹介する。

養老氏は二人が議論の中で扱わなかった問題として、当時の政治情勢と人口問題を挙げている。養老氏は特に後者について、人口問題は戦争の大きな背景になっていて、第一次世界大戦も根本にはその問題があったのだと思う、と述べている。

かなり飛躍した論理のように思えるが、人類の数というのは、ここ数百年の地球の歴史を語るうえで決して外せない課題だと思う。この往復書簡が交わされた時代、世界人口は20億程度だった。19世紀はじめごろの約2倍である。
この間100年少々である。

産業革命は人類に様々な恩恵を与え、人々の活動範囲は格段に広がったが、過剰な人口は社会的な軋轢を高め、食料や資源などを巡る利害の対立を深めた。

ということは理解していたが、養老氏の指摘は少し意外なものだ。
人が増えると、ものも不足するけれども、社会の中で若者の居場所も不足する。・・若者が余れば、当然ながら軍隊が役に立つ。まともな仕事で若者が重要な部門と言えば、当時は軍隊に決まっていた・・会社と違って軍隊は雇用に制限がかかっているわけではない。軍隊が大きくなれば、戦争の危険はむろん高くなる。

肥大化した軍隊は対外的な危機を誇張し、戦争を起こす。第一次世界大戦では欧州で数百万の若者を殺した。
それで人口問題が解決したかと言うとそうではない。再び起きた大戦では、若者に限らず更に多くの人々を殺した。それでも戦後はベビーブームになり、いっそう人口が増えた。

そして、世界人口はいま(2019年)77億人とされている。10年前の秋には70億を突破したといわれていたが、この10年で世界では、全日本の人口の5倍もの人が新たに増えたことになる。

この問題は極めて重要かつ不都合な真実というか、まあ人々が目を向けたくない問題の一つだと思う。バッタやアライグマが増えても環境に影響がでるが、人間はそれどころの話ではないのである。アライグマはジェット機に乗ったり、ジャングルを切り拓いてバナナ畑にしたりはしない。自然環境への影響はとうぜんに出る。


脱線しました。

斉藤環氏は精神医学の観点から、フロイトの論理展開について丁寧に解説されている。

フロイトは、人間には「生の欲動」(エロス)と、「死の欲動」(タナトス)が備わっていると考えていた。これらは心よりもむしろ身体に深く根差したある種の傾向、ベクトルの事を指す。
生の欲動は生を統一し、保存しよとする欲動、死の欲動とは破壊し、殺害しようとする欲動を示す。

人間はあらゆることを後天的に(言葉により)学ぶ必要があるが、「生の欲動」「死の欲動」はより古い、根源的な人間に備わっているもの、とフロイトは考えた。

「死の欲動」を簡単に取り去ることはできない。それではどうするか。
それは「生の欲動」に訴えかけることではないか。

たとえば「生の欲動」の現れ、人間の間に「感情の絆」を作り出す必要がある。
その例として「愛するものへの絆」、「一体感や帰属意識」を例示している。
ひととつながり、相互理解を深める。相手の感情や行動を理解し、偏見をなくして「同一化」する。

斉藤氏は、インターネットやSNS等の発達した今日では、それが以前より容易に実現できる環境になりつつある、と述べています。しかしながらSNSは時に社会の分断化を招いているように思えますが、人類はこれを克服し、使いこなしていく必要はあるでしょう。

フロイトの最後の結論で述べられた、「文化の発展」について、斉藤氏は以下の見解を述べています。

・・文化とは人間の価値観を規定するものです。価値観を文化として洗練していけば、『生きてそこに存在する個人』にゆきあたるはずです。つまり文化の目的とは、常に個人主義の擁護なのです。そうなると、いかなる場合にも優先されるべき価値として、個人の『自由』『権利』『尊厳』が必然的に導かれてくるでしょう。

・・言うまでもなく『戦争』は、そのあらゆる局面において、『個人』の自由、権利、尊厳を犠牲にせずにはおけません。平和主義者が戦争を嫌悪し拒絶するのは当然のことなのです」(一部抜粋省略)。


この往復書簡は、訳者の浅見氏のあとがきによると、本書出版(2000年)まで世間に知られず埋もれていたのだそうです。往復書簡が交わされた翌年、ヒトラー政権が成立し、冒頭に書いたように二人は亡命する。ナチズムの嵐の中で、二人の議論は忘れ去られてしまったのだと。

それから90年を経て、この間にも様々な、などと簡単には言えないほどの出来事がありました。アインシュタインの指摘した国際機関も、当時の国際連盟では実現しえなかった国際平和へのより強い権限を、国際連合が持つに至っています(さっきから国際法の本を探しているのだけど見つからない・・)。理想とは遠い現状があるにしても、人類がある種の方向性を持って努力を続けてきていることは、認めても良い気はします。
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とりてつ

2021年08月13日 | 鉄道、車、のりもの

・・雨が大変ですね。みなさまお大事になさってください。

撮り鉄と釣りは、どこか似ている・。

と言っても、僕は釣りの事をあれこれ語れるほど造詣が深いわけでも何でもない。。中学生の頃、「釣りキチ三平」に刺激されて、何年か友達と釣りに行った。その後は完全に途絶えてしまった。。

大人になって、いちど友達と東京湾だったか、船に乗ったことがあったけど、もう生き餌をつかむのが怖いのよ。。イソメでしたっけ、げじげじみたいなやつ。あれ、噛みつくんだよね。。おおおおおお・・。

手近な鮒とか、タナゴとか、ヤマベ釣りならエサはキジ(ミミズ)、アカムシ、あとなんだっけ、ようするにウジ虫ですよね、白いやつ。。針にぷちっとさして。。
ううう。。

ぜんぜんアウトドア系、だめだな。。

すみません、話が飛びすぎました。

しかしながら、釣りに行くときの楽しさ、みたいな感覚は身体に残っていて。。

川とか池に行くと、流れの様子とか、周りの地形を観察して、魚のいそうな場所を探す訳です。

池なら虫とか落ちてきそうな木陰とか、川なら流れが変わる淀みとか、「いい感じのところ」があります。釣れそうだなあ、という場所。
釣りをしない時でも、川とか見るとああここ、よさそうだなとか、思ったりするものです。

色々考えて、釣り糸を垂れるというのが楽しい。
まあ、釣れなかったな・昔は。
大人たちは上手いな、と思って観てたけど。


撮り鉄にもそういうところがあって。

車窓を眺めながら、この辺かな、というアタリをつけておきます。
現地についたら影を見て、逆光にならない方向を見定める。少しずつ歩きながら、電柱などの障害物をうまく避けられる場所を見つける。線路がカーブしていたら、ふつうなら内側に立つと列車がきれいに入りますが、色々な場合があるので、その辺も考える。


とか、仕上がりを色々想像しながら行動するのが面白い。
なんてこといいながら、碌な写真を撮ってないですけど。。

昔はフィルムで撮ってましたから、その場でどう撮れているかは確認できませんでしたからね。。

あと、今だと平気で高速連写してますが、初期のデジタルもメモリーとか少なかったので、できなかったですね。。

あれこれ考えたところで、運もあるし、運を生かす実力も必要だし、色々難しいです。

あと、世の中にはいろんなことが恐ろしく上手な人がたくさんいますから・。中井精也さんの写真とか、テレビだと楽しそうに解説しながら撮ってますけど、あの方の写真こそぜったいに真似できないですね。。あやかりたいですけど。。

ただ、自分で考えて、それがあたると楽しいものです。

なので、自分を含め撮り鉄する際には、無理のない範囲で楽しんでほしいものだと思います。。むきになるとぎすぎすしますからね。。

中井精也さんや六角精児さんとか、かけくらやっている市川 紗椰さんなど、鉄道好きの方がテレビ、ラジオにふつうに出てくる時代になりました。
鉄ヲタ選手権なんてのもやってるしね。。

うちの鳥はたぶん、鉄ではないです。
列車を運転すると、ぴいぴい鳴きますが、あれはちょっとテンションなのかもしれない。調理でミキサーがあがあ言わせても鳴くから、音がすると騒ぎたくなるアレかもしれないし、よくわからんけど。





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ここじゃない

2021年08月10日 | まち歩き
前日の天気予報では10日の最高気温は都心で37℃、さいたま39℃、熊谷40℃、と言っていました。

10日はお休みを頂いたのですが、不要不急もなにも、こう暑くてはまともに出かけることもできそうにないです。ネットでどこか行けるところ、探したのですが、どうせなら暑いところを見てくるか、と。

かなり前、たしか12年ぐらい前に一度来たことがあります。ここから廃線跡をたどって、終点の辺りまで行ったら日が暮れて、真っ暗で遭難するかと思った。。バス停が見つからなくてね。

日本一暑い街として、しばしばニュースで取り上げられます。
この日も駅前や、冒頭に掲げたデパートのところにカメラ持った人たちがうろうろしていました。

大きな街ですが、別に観光都市という訳でもないです。
うちからだと高崎とかのほうが、車なんかで行きやすかったりするせいか、あまり縁がないんですよね。。

街でみつけた、鳥のせ。

とりのす

冒頭の大型寒暖計(4mあるそうです)が入り口にある八木橋デパートです。
自宅で地図を見たときは駅のそばにありそうな気がしていたのですが、かなり歩きました。。東京駅八重洲口から日本橋高島屋に行くぐらいはあるような気がします。

2時前ぐらいに着きましたが、この日の気温は写真の36.5℃が最高ぐらいだったんじゃないかな。。八王子とかで39℃行ったらしいですね。。

食事時だったので、途中にあったちょっと雰囲気のよさそうな蕎麦屋の戸を開けてみたのですが、手前に親子連れが立ってて・。大変そうなのでそっと閉めました。

そのうちデパートについちゃったので、7階のレストラン街で食べました。
標準サイズでもLでもLLでも値段同じだというので・L、頼んだ。

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風つよし

2021年08月09日 | 日記・エッセイ・コラム
昼過ぎに出かけたが、当地では台風の影響で風が強かった。
未だに車が修理から帰ってきてないのだが、代車の軽ワゴン(郵便配達で使っているような)は信号待ちしていると風でゆらゆらする。。

さて、オリンピックも終わりました。

大会前や開催中は、あまりここで触れないようにしていたのですが、そろそろいいでしょう。

もともとスポーツ中継って、そんなに一生懸命見る方ではないのですが、その割には結構楽しみました。個人的には新種目のスケボーと空手が面白かった。。スケボーって、なんか見てて楽しそう。こんど生まれ変わったらやってみたい。今生でやるのは色々むずかしそうです。

空手は選手が熱いし、柔道やレスリングよりテンポ良い感じがして・。


開催直前にはずいぶんと困ったことが湧き出てしまい、とにかくSNSがやかましかった。ツイッターはキーワードにフィルターかけて見えないようにしましたが、それでも出てたな。言ってることが間違ってるとか、気に入らないとかいう問題じゃなくて、ちょっと煩わしいのです。

誰でしたか、言葉というのは言い過ぎるようにできている、とか。陰謀論とかもそうですが、言い出すと引っ込みがつかなくなるとか、とにかく色々困ったことになりやすい。

確かに色々問題のあった五輪開催でしたけど、いちばんの問題は世論が割れたことじゃないですかね。。

色々強く反対された方々も、また心平らかに日々過ごせるように祈りたいと思います。どうしろってのは、特にないですけど。

SNSといえば、香港の知人が会期中、よく書き込んでいた。
広東語で「行け、行け、いけ!」みたいなことしか書いてないのでよくわからんが、結構香港選手も活躍したみたいです(金、取ってますね)。

こういうことはまあ、書いても問題ないんだろうな、とか、考えちゃったりもします。。

ちなみに閉会式はわりと良かったみたいなこと、書いてました。楽しんでくれたみたいです。
僕らは盆踊りに驚いちゃいましたけどね(もっとも、盆踊りももう2年も見てないんですよねえ)。。



ドイツの関係者が差別的な発言や、馬をたたく(虐待)などして大会追放になった、というニュースは、どのくらい報道されているのでしょうね。

わりと意識高い系の人が多そうな国という印象ですが、まあ人間ですからいろんなことがあるのです。人間なんてそんな立派なもんじゃないのです。

ただですね。今google翻訳でみたらKamelhändler überholenと言うらしいんですけど(らくだ商人を追い越せ)、やっぱり大会関係者にわかるものなのでしょうか。
馬は。。かわいそう。騎手さんもね。

それにしても、まじめな話このさき、心穏やかに暮らせる日々はくるのだろうか。
じんるいにさいわいあれ。

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Kさん

2021年08月08日 | 記憶の断片
先月のこと、なんとなく土用丑の日のことを想っているうちに、だんだんと昔の事を思い出してきた。
名前がとっさに出てこなくて焦ったが、なにかの拍子にふと思い出したのね。


社会人になって最初の職場では、まわりの人間関係からぼろぼろになり、ほぼめんたるでぃすおーだーの状態に陥っていた。
いま思えばかなり迷惑な奴だったんだけど、時折自席にいられなくなって、仕事中抜け出して別の職場に行っては、油を売っていた。

自分のいたところとは違うエリアに、わりと静かな人がおおい部署があって、おとなしい感じの女性がふたり、働いていた。

若手のOさんは僕とほぼ同年輩で、先輩格のKさんはいくつぐらいだったのかな。。
Oさんはお父さんお母さんのもとでしっかり育てられたお嬢さんという感じで、子どもがそのまま社会人になったような感じだった。
Kさんはたぶん色々社会経験されて・・なんとなく、ずっとお一人で暮らしてこられたような感じがした。

何を話していたのかぜんぜん覚えていない。Oさんを笑わせるのが結構好きで、なにか面白いことを考えては話していたような気もする。おふたりとも、僕の話によく乗って笑ってくれた。

確か、作業の自動化が進んで、お二人のやっていた部署は廃止になった。Oさんは経理部に異動し、Kさんも別の場所、僕のいたエリアに移動したように記憶している。

その後も二人のところに、個別にお邪魔しては何か話をしていた。ただ、Oさんは別部署に一人で異動したので、職場で声をかけるのは憚られる雰囲気になって・・たまに廊下とかで軽く話す程度になっていった。

Kさんはよく残業していて、これも今思えば申し訳ないんだけど、そこにお邪魔しては脇に座って話をしていた。。
Kさんは時折、ふんふんと鼻歌を歌いながら、仕事をしていた。

どこかで聞いたことのある歌だなあ、と思って色々と記憶をたどって、ふと思い出した。この曲だ。

とんとんとんからりんと 隣組
格子を開ければ 顔馴染
まわして頂戴 回覧板
知らせられたり 知らせたり

メロディは、当時関東地区でよく流れていた眼鏡チェーンのCMで使われていたので知っていたけど、CMは一部編曲されている。Kさんの歌っていたのはオリジナルバージョンだ。

Kさんをいちど、お食事に誘ったことがある。

何の話からそうなったのか、全く忘れたけど、「うなぎで有名な銀座竹葉亭は、じつは鯛茶漬けもおいしい」という話をKさんがしていて、それではお誘いしましょう、ということになった。

竹葉亭と言うのは今もあると思うが、この30年の間に移転していて、その前の場所だったと記憶している。
金曜日、夏でまだ少し明るい時間に一緒にオフィスを出て、たぶん軽くビールでも飲んだのかな。

また行きましょうみたいな話はしたけど、残念ながらこの一度で終わってしまった。




あの頃、高野文子の「るきさん」という漫画があったけど、頭の中の印象ではKさんはるきさんに似てる・・ような気もするけど、漫画を見るとぜんぜんちがう。るきさんの方が若くて行動的。さいごはイタリアに移住しちゃうんだよね。。

でも、マイペースな感じがどこか似てる。

とはいえ、もう少しKさんの方が屈託があるかな。。

前にも書いたけど、ちょうどオガワクンぐらいの年代だったんだよね自分。。



Oさんの方こそ、おデートにお誘いすべきだったのかと思うが、どうもそういう雰囲気には最後までならなかった気がする。。

数年後の春、Oさんは退職された。辞める前に廊下で会ったとき、そのことを告げてくれて、言い方は忘れたけど、この後きっと良いお知らせがくるはず、みたいな事を言われた。
別れ際に、何か意味ありげに微笑んで、その場を去っていった。

その時は何のことかさっぱりわからなかった。
が、しばらくしたら、経理部から、(推薦をもらったので)こちらに異動しないか、というオファーが来た。
たぶんこれが端緒となって、その後は少しずつ、自分の方向性が定まっていき、精神的な危機からも抜け出して行けたように思う。

その意味で、Oさんには感謝してもしきれないものを感じる。
んだけど、その頃はあまり実感なかったし、じゅうぶんなお礼も伝えてないよなあ。。

今はSNSとかもあって、昔の同僚とかにもつながることができるようになったが、KさんもOさんもその後の行方はわからない。
大きな会社なら、OB、OG名簿とか、あるのでしょうけど。。
たぶんもう、一生お会いできないんだろうな。。




コメント (6)
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