記憶というのは、否応なく失われていくものらしい。
それは人間に与えられた、自己を守るための当然の機能だ。もしこれまであったあらゆることをすべて覚えていたら、さぞつらい人生になってしまうだろう。
しかし、忘れてしまいたくないことがあることも確かだ。
とかいいながら、5年の間に忘れたことが多いのも事実ですね。
このブログに書いた、3.11関連の記事をいくつかピックアップしてみました。
震災前まで
午後2時46分、そしてその後
今年の3.11
3度めの春
4年
つい先日にも書いたが、もう情報の鮮度がだいぶ落ちていて、細かいことを忘れてしまっている。 前に書いたかどうかも、ちゃんと見返さないと思い出せない。
すこし、当時の写真を掲げてみます。
丸ビル1階のホール。カメラのExif情報によると午後7時16分ごろになっていて、これは自分の記憶と一致する。
それまでに家族と連絡がとれ、新宿まで行くことに決めたのだ。オフィスには泊まりこみを決めた男性を中心に、まだけっこう人が残っていた。
初詣みたいだと、当時は思ったものだ。普段はランニングの人がびゅんびゅん飛ばしていて怖いのだが、この日は車も人も渋滞で動けない。
特に狭くなっているところがだめで、仕方ないから車道に出たりしていた。
当時はまだあった赤プリ。後で掲げるが、ここの風景も変わった。下に人の頭が見えるけど、この辺りもかなり人が多かった。ただ、この先外苑通りを超えて、紀尾井町方面へ細い道を四谷に向かったのだが、その辺は空いていた記憶がある。道を知らないから、行けるのかな、と思いながら歩いていた。
午後8時過ぎ。多少道に迷っているが、ここまで1時間弱でついている。新宿付近についたのは9時過ぎだった。
これは再掲になってしまったようですが、新宿南口、京王新線の改札付近。券売機はみんな発売中止になっていた。
途中で家族と落ち合い、少し休憩してから出発した。この写真は午後10時過ぎ。
親せきの家に一泊し、翌日従兄の車で送ってもらった。家の中は、本棚や積み重ねた書類、CDなどが散乱。
CDは勢いを付けて飛んで行ったので、ケースの多くが割れてしまった。考えてみると、この辺の対策はしていないな。また同じことが起きてしまうね。
12日の午前中に帰宅して(少しひんやりしたが、よく晴れて日差しが気持ちのいい日だった)、家の状態を一通り確認した。帰宅途中、多くの家が割れた食器を家の前に掃き出しているのを見た。うちは食器に関しては、コーヒーカップの取っ手が取れた以外、無事だった。
最初にコンデジでしばらく撮影して、人心地ついてからD70sに超広角レンズをつけて撮影している。上の2枚がそうだ。もうパソコンも立ち上げている。時刻は12時過ぎ。だから、テレビの画像は12時の定時ニュースだと思う。もっとも、当時は1日中報道番組だったが。
これは前に書きかけてやめた記憶があるが、4時過ぎくらいかな、既にニュースの焦点が福島第一原発に向けられていたときのことだ。
時折、ヘリから発電所を鳥瞰する映像が映し出されていたが、午後2時頃の映像ということで、これが何度も繰り返し使われていた。
4時半頃、1号機の付近で爆発音と煙が観測された、というニュースが報じられた。
このときも最初は、午後2時のヘリからの映像が映されていたが、5時前ぐらいになると、午後4時半頃撮られた映像(ライブ映像?)が流れてきた。
発電所の映像はもう何度も画面に流れていたので、真四角な「建屋」が4つ、並んでいる様子は記憶に残っていた。
その午後4時半頃の映像、を見た時、文字通り目が点になった。その四角い建物が一つ無くなっているのだ。
ところがこのとき、アナウンサーはこの変化に気がついていなかった。「画面を見る限り、煙のようなものは写っていないようです・・」と、軽く流していた。
なぜ気がつかないのか、とても不思議だった。絶対何か起きているはずなのに、テレビの人たちはなにをのんきなことを言っているのだろう??なんだか、自分がひとりで孤立しているような、変な気持ちだった。
このときの驚きは忘れられない。
そのときはアナウンサーと、教授だか論説委員だかのひとが解説していたが、最初は原子力設備は安全に管理されています、どうか皆さん、パニックを起こさないでください、などと言っていた。しばらくして、ようやく異変に気がついたのか、画面を上下分割して、建屋がなくなっている様子を示すようになった。論説委員も慌てていて、国や電力会社は糾弾されるべきだ!と怒り出していた。。
話が長くなりましたが、今年もオフィスから新宿まで歩いてみました。最後にその写真を。
幸い、雨は降っておらず、気温も5年前のような、寒さに戻っている。
商工会議所は、昨年既に閉鎖されていたが、今は解体されて整地が進んでいる。
おおむね5年前と同じルートで歩いたが、議事堂付近から官邸のあたりは脇に避けて行かざるを得なかった。デモ隊が抗議活動をしていたからだ。
ドラムセットと拡声器で、ラップ音楽のように(少し違うか)XX反対!と叫んでいる。ドラムの響きは、人々の理性よりも感性に強く働きかけるようだ。
ここであまり政治的なことに首を突っ込むつもりはないが、そういうのって、ちょっと方法が正しくない気がするんだけどな。
毎年歩いているが、今年は道に人通りがとても多い気がする。
と、考えて気がついたが、今日は金曜日なのだ。
あの日も、飲み会を予定していた人は多かったと思う。実際、飲食店はけっこうやっていたので、電車が動くまで飲んでいた人もいたのかも知れない。
今日は帰宅難民は歩いていない。
綺麗に撮れなかったが、新しいビルができて、風景がすこし変わった。
街は変わり続けている。