うさぎくん

小鳥の話、読書、カメラ、音楽、まち歩きなどが中心のブログです。

slumbers

2017年05月30日 | 日記・エッセイ・コラム

先日、鼻風邪をひいたとき、最初は市販薬(ベンザブロック)を買ってきて使った。これ、注意書きにも書いてあるが、眠くなる。

それも、飲みなれない最初はかなり暴力的に眠くなるので、ちょっと弱った。今はお医者さんの処方された薬を飲んでいるが、これは別に眠くはならない。

もともと、もう何か月も忙しいうえに夜中に何かすることが多くて、電車に乗って座席に座ると瞬間的に寝てしまう、という状況が長く続いていた。

不思議と地下鉄だと寝やすい。外の風景が単調(というか、原則風景はない)せいだろうか。目が覚めたときは一瞬、何だなんだかわからない、ということも多かった。気絶に近い状態だったかもしれない。

この週末、やはり用があって朝早く出かけたが、夜は特段の用もなかったのでこれ幸いとひたすら寝ていた。それで人心地着いたような気もする。

自分もやっているのかもしれないが、電車に乗っているとき、隣の人が居眠りして頭をもたせかけてくる、という経験、ここ1週間ほどで立て続けに2回ほど経験した。どちらも女のひとだ。

一人は僕よりは少し若いかな、職場では現場のベテラン、という感じの人で、最初は仕事の書類らしきものに何やら書き物をしていたが、やがて船をこぎ始めた。遅くまで残業して、大変なのだろうな。。

もう一人はかなり若い女性だった。目の前の席が空いたので座ったのだが、その前から夢の中にいたらしい。座ったらすぐに、背中が重くなってきた。その時ちょうどハードカバーの本を読んでいて、少し背を丸めるような感じで座ったのだが、その背中を枕にしている。スーツにお化粧がつくのではないかと・・。

これが酔っぱらいのおっさんだったら、つつくか逃げるかすると思うが、女性だと少し困ることになる。そのままやにさがって?、ニヤケていいたらそれこそばかみたいだし(さいきん舞台でそういう役柄の演技をしましたが)、かといって変につついたりするとこちらが悪いことをしていると勘違いされる恐れがある。まあ、そのままにしていても危ないかもしれないな。

それにしても、人の重みを感じるというのは、なんというかあまり無下に扱ってはいけないような意識もあり(猫が膝の上に乗ってすやすやと眠り始めたときのことを想起せよ)、お疲れなんだなあ、という神妙な気持ちにさせられるところがある。

大昔の話だが、たしか中学の頃、偶々横に並んだ同年ぐらいの女の子に寄りかかられて、恥ずかしかったりうれしかったり、目を覚ましたらどうしようとひやひやしたりと、とてもどぎまぎしたことを思い出した。何十年もたっているが、余程印象に残ったのか覚えているな。

 

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ふたたび

2017年05月27日 | 健康・病気

風邪がぶり返して弱った、と会社の子に言ったら、まずお医者さんに行きなさいと怒られた。

今朝行って、薬を処方してもらう。

明日も朝早い。気の休まる暇もないが、まあだからあれこれ考え込んだりしないで済む、ともいえるのですが。

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カール

2017年05月25日 | 食・レシピ

ニュースが、今日はネット上ではだいぶ話題になっていました。

明治のスナック菓子「カール」が、東日本での販売を終了する、と発表しました。

カールといえば個人的にはチーズ味とカレー味の2種類というイメージでしたが、カレーのほうは販売終了になり、チーズ味と、関西向けに作られたという薄味が継続となるそうです。

世代的には、ちょうど育ち盛りの頃と販売時期が重なっているので、販売終了は感慨深いです。

まあやはり、帰りがけに買ってきてしまうわけです。

昔はたしかに、よく食べたけどなあ。ちょっと歯にくっつく感じがあるんですよね。

カレー味のほうはパッケージの雰囲気が変わりましたね。シンプルなオレンジ色でしたが。

どっちが好きかというと、どちらもそれなりに好きでしたが6:4くらいでチーズが多かったかな・。

前に買った記憶あったな、と思って写真を探してみたら、ありました。受験の時期で、こんな語呂合わせで売っていたのですね。

ここにも紹介しています。このときも、かなりひさしぶりに買ったという印象がありました。

報道ではポテト系スナックに押されて売り上げ低迷とありました。

ポテチはジャガイモの不作で、販売に制限がかかっているというのにね。

そういう話、最近は多くなった気がします。乳製品が不足してバターが買えないとか、バナナが品薄とか、いろいろ。

昔からそうだったけど、自分が知らないだけなのかな。

余談。転居のとき、電話機も取り換えてしまおうと思っていたのですが、機能に問題がないので、引き続き使っている古いファクス。

用紙は普通紙ではなく、ロール式(インクリボンか熱転写)という、超古典的なものだ。

もう長いことファクスとして使っていないし、紙も切れたままだった。先日量販店をぶらついていたら、消耗品として用紙がまだ売られているのを発見。買い込んできた。消耗品が置かれているということは、まだ現役で使っている人がそこそこいるということか。。パソコンでいったらWin98の時代ですからね。。

そのロール紙、取り付けようとしたら直径が大きすぎて入らない。。何メートルか引っ張って捨ててしまい、収めました。

子機の充電池もいかれていたが、こちらの替えも売っていたので交換した。前宅引っ越し後まもなく買ったものなので、御年18歳である。

 

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インコカラーズ

2017年05月24日 | セキセイインコ

自主制作だそうですが、すごいレベル高いです。

レオとそらのおうち(ケージ)の置き方や、建物(マンション)とかの感じはうちとにてるなあ。

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デカポス

2017年05月23日 | まち歩き

丸型ポストは見かければ「お、」とは思うし、時間があれば写真を撮ることもあるが、個人の環境としてはそこそこ見かける機会が多いのも事実だ。

実家から昔、一番近かったポストは今でも丸型で残っている(と思う)。以前住んでいて、今でも所有しているマンション近くにもあり、写真もいつか撮ったと思うが、今さがしても見つからない。これもたぶんまだあると思う。今度行く用があったら撮影しておこう。

現存する丸ポストの配置にはかなり地域差があるようで、東京都下西部地区は比較的多く残っているようだ。都区内にはほぼないし、地方でも残っているところとそうでないところがある。

上の写真は地域で丸ポストが多いことを記念して作られたでかポスト。高さは3m近くあるらしい。実際に投函もできる。

これは本物だと思うが、前後の写真が民俗資料館のような建物を写したものなので、レプリカか古いものを移設したものなのかもしれない。

懐かしいという意味では公衆電話、なかんずく赤電話などは絶滅の危機にあるのではないか。

神田神保町あたりで15年くらい前に撮影したが、被写体としては有名らしく、ウェブ上で同じ電話の写真をいくつも見ることができる。

 

 

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職場近くの本屋

2017年05月20日 | 日記・エッセイ・コラム

自宅近くの本屋も大事だが、職場の近くに本屋があると、行き帰りや昼休みに寄ったり、場合によっては日中休憩のために行ったり(大人の判断で)するので、けっこう利用頻度が高い。

最初の職場の入っていた建物には、真下の地下に1件、つながっている地下街の隣のビルにも1件、丸善があった(いずれも規模は普通の書店並みに小さかった)。更にその先のビル1階にも、少し大きめの本屋があった。丸善はその後数年で相次いで撤退してしまったが、代わりに別の店が地階にできた。オフィスの近所を歩くともう何店舗かみつけられたし、少し歩けば官報販売所(というのかな)みたいなのもあった。今から思えば、かなり恵まれた環境にあった。

神谷町近辺にも長くいたが、地下鉄の通路にあった小さな書店はよく使った。この時代はむしろ、一駅電車に乗って六本木にランチに行ったりしていて、駅近くにあった青山ブックセンターなどが印象深い。リブロなどもそうだが、他とは違った品ぞろえで興味を惹いた。普通の本というか、たとえば鉄道雑誌などはおいていなかったので、そういう本は地下のあおい書店を使った。ここは、以前はべつのなまえだったかな?

やはり神谷町ではないが、近くの六本木一丁目、泉ガーデンの中にあった書店も印象に残っている。比較的新しい店のはずだが、所狭しとたくさんの本が陳列されていた。ここも品ぞろえが独特だった。

今は地下鉄通路の書店もなくなり、一時期オフィス近くにあったブックファーストも撤退した。代わりにツタヤが駅近くにあるが、ここができたころはもう別の場所で仕事していた。

青山のあたりもあまり本屋はなかったな。外苑前のリブロは好きで、頻繁ではないがよく行っていた。ここなどはなんとなく、書棚のレイアウトが頭の中に残っている。

ツインタワーの流水書房も、たしか今はなくなってしまったと思う。ベルビー赤坂にも書店があったが、ここもビックカメラになってしまった。もうずいぶん前の話だね。

茅場町付近は本屋がなかったな。花王のビルの下にちょっとあったぐらいだ。もっとも、茅場町も広いので、別のところにあったのかもしれないが。

今よく使う書店はオアゾの丸善だが、転居後の通勤ルートが変わったので、「ちょうど帰り道の途中」というわけではなくなってしまった(改札口の前をとおりすぎて、帰りはまたもどってくるみたいな)。本屋さんも色々大変だろうけど、なんとか頑張って生き残ってほしいものだ。

話は飛ぶがうちの本棚、はやく棚板セットして片づけないとな。

 

 

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インシュレーター

2017年05月17日 | 日記・エッセイ・コラム

新しいダイニングテーブルで初めて写真撮ったけど、ちょっと光りやすいので(シーリングライトは固定)工夫が必要ですね。

 

鼻風邪の上、薬を飲んだら異常に眠くなって結構参っています。まあ、参ることには事欠いてないので多少増えても同じようなものですが。。

転居前、レコーダーはテレビ台の一番下に置いていたが、転居後は棚板の上の段に配置を変えた(アンテナ線の長さの関係)。ところが、レコーダーを起動してHDDが動き出すと、モーターの音がけっこう、耳障りに感じられるほど響いてくる。低く、ぶ~ん、という音がするのだ。安いテレビ台だから板厚も薄いのだろう。こういうのはオーディオ的にはNGなのだが、諸事情で致し方ない。転居のときラックも買おうと思ったのだが、色々あってそこまで気が回らなかった。コンポの数が多すぎて、おさまりが悪いんですけどね。

というわけで、写真のようなインシュレーターを買った。ソルボセインという、もともと医療用に開発された素材が使われている。これはスピーカー専用とあるが、量販店にはほかに適当なものがなかった。金属製のものとか、色々あったのだが、いずれも3000~5000円ぐらいのものが多く、ちょっと手が出ない。昔はもっと財布のひもが緩かった気がするが、どうも意識が変わったようで、個人的には興味深い。

昔は一通りやりましたけどね。オーディオ誌とかを参考にして、鉛やブチルゴム(人工芝を固定するための、粘り気のあるシート状のゴム)とかを買いこんで、色々作ったりした。鉛は、グラム0.5円ぐらいで買えた(今いくらするんだろう)ので、大量に買い込んでコンポの上に乗せていた(重量物をコンポに載せると、振動で筐体がの共振が抑えられ、結果音質が向上するとされた)。後年は現役のコンポが少なくなり、家のあちこちに鉛インゴットが転がっているような状態になった。鳥を放すとき、彼らがなめて鉛中毒にならないかと心配になり、どかしたりしていた。鉛は引っ越しのとき、全部置いて行ってしまった。

円盤状の鉛も売っていたので、これと先のブチル、そして振動係数の異なる銅板(磁気を帯びず、重量もある)を組み合わせて、コンポの足に敷いたりした。これも引っ越しで引退。引っ越しのとき、何個かほかのものと一緒に現宅に運ばれてきたが、たしか捨てたと思う。

インシュレーターで音が変わる、スピーカーケーブル、ピンプラグ、電源コードを変えると音が変わる、というのは当時のオーディオ雑誌でしょっちゅう特集していた。実際やってみると、なんとなく音が変わったような気がしてくるのだが、今から思うと健康雑誌の記事みたいだ。納豆でやせた、バナナで血圧が下がった(かどうかは知りません。今適当に思いついただけです)という記事みたいに、電源極性を変えると音が変わった、などとやるわけです。まあ、楽しかったですけど。

先に書いたように、転居時にそうしたアクセサリーは捨ててしまい、今は使っていない。ただし、メインのスピーカーにはTAOCのインシュレーターを、自作した足とともに使っている。TAOCは特殊な鋳鉄らしいが、時を経て表面が錆で赤くなってきた。

あと、東急ハンズで買った、黒檀のブロック。

硬くて、角がきっちり出ていてがたつきが皆無。一個いくらだったかな。これはミニコンの足で使っている。音質が向上するかどうかはわからない。

さて、ソルボだが、ブチルほどではないがこれもちょとべたべたした感触がある。振動吸収力は相当高いらしい。たしか、卵を(結構高いところから)落としても割れなかった、などと宣伝されているようだ。

それで、レコーダーの足に敷いてみたら。

見事に振動を吸収してくれているみたい。ぶ~ん、という音がぴたりと止まった。

これほど見事にやってくれるとは思わなかったので、ちょっと感激した。

スピーカー用だったので8枚入っていたが、残りの4枚はCDプレーヤーの下に敷いてみた。

てなわけでした。さて、早く寝て休養しないと。

 

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日記

2017年05月14日 | 鉄道、車、のりもの

金曜日:朝の出社は誰よりも早かったが、一部の仕事は優秀な部下に任せて!、業務外でちょっとやらないといけないことを。。

最近無性に辛いものが食べたくなる。昼食はデスクランチにして、タイ風グリーンカレーを買ってくる。450円と格安。味はまあまあ。

で、さっきの作業を終える。

そうこうするうちに、旧宅の近くの知人からメールがあり、旧宅を解体しているのを見たという。

業者から聞いていた解体工事期間は13日までだったので、今週は当然作業が進んでいるものと思っていた。友人から解体中の姿は見ないほうが良いと言われ、そうしていたのだが、言葉で伝えられてもちょっと心に響くものがある。

話を聞いて少し疲れたので(というより、ここのところ疲れがたまっているが)、午後7時過ぎには仕事を切り上げることにする。

量販店で時計を買った。

これはアマゾンで数年前に買った、逆輸入セイコー5。6,500円ほどの自動巻きで、まあ遊びで買ったのだが、なんとなくここまで使い続けてきた。

これ、困るのは1日たつと5分ぐらい進んでしまうことだ。安物の機械式なので文句は言えないが、それにしてもちょっと。

ちゃんとした機械式は高いし、実用的で安価なものをと思い、これを買った。

ソーラー式でも電波式でもない。普通の電池式クォーツだ。のでまだ世間に比べると遅れている(SLをやめてディーゼルにしました、という感じか。それも、観光用のきれいなSLじゃなくて)が、別に困ることは何もない。気に入らなければまた買えばよいだろう。

この日は1週間の疲れに押しつぶされ、帰宅後着替えもきちんとしないまま寝落ち、翌朝の体調はかなり厳しい状態に。

土曜日は雨。冬から春にかけて練習したオペラ公演がある。前述のように体調は酷いものだったが、なんとか。

ご来場いただきました方々、ありがとうございました。

 

日曜日の午前中はすこしゆっくり過ごす。さすがに体調を整えないと。

午後は知り合い筋のコンサートに。

初めてのホール。小さくて清潔、コージィ アンド タイディという感じ。フランス系のピアノ曲、ラモー、フォーレ、グラナドスという組み合わせで、特にグラナドス(ゴイエスカス)はすごい迫力でした。久しぶりにCD、買ってみようか。

 

このあと、既に更地になっているだろうと思い、旧宅を訪れたのですが、まだ解体中でした。

見ないつもりがつい見てしまった。

旧宅で片づけている間、家が僕に語り掛けてくるのか、不思議と感傷的な気持ちにになることが多かった。家の荷物をすべて搬出し、最後に掃除をすると、もはや自宅という感じがなくなり、気持ち的にも落ち着いたように思えていました。

解体中の様子を見るのは切なすぎるが、更地になれば吹っ切れるだろう、と思っていたのですが。

もしかしたら、既にこの世に姿をとどめなくなった旧宅の写真などを見るたび、これからは喪失感を感じることになるのかもしれないと、少しずつ感じ方が変わってきています。

写真は撮りましたが、ここに掲げるのは止めておきます。

 

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オペラ「カルメン」について

2017年05月14日 | 音楽

オペラ「カルメン」は36歳の若さで夭折したジョルジュ・ビゼーが残した代表作で、オペラなんか見ない人でも名前は知っているだろうし、序曲やアリア(闘牛士の歌など)も、聞いたことのないという人はまずいないと思う。他方、同じく30代の若さで夭折したモーツァルトやシューベルトに比べ、寡作であったために、作曲家ビゼーの名前は作品ほどには知られていない。オペラ通みたいな人がどのように評価しているのか、わからないが、演じる側から見ると、名前が売れているのでお客を呼びやすい。実際、大衆芸術たるオペラとして見ると、ノリのいいラテン系のリズムや、美しい旋律がてんこ盛りで、聞いているとこれは人気が出るはずだわい、と思う。

色恋沙汰、刃傷沙汰もので、ストーリーの矛盾なんかはノリですっ飛ばすという、ラテン的に豪快な物語展開だが、それにしても主人公のドン・ホセの性格設定は、もう少し何とかならなかったのか、といつも思う。女に言い寄られるとすぐのぼせるし、やたらと喧嘩っ早くて、すぐ刀を抜いたり鉄砲で撃ったり、挙句にふられた女にストーカー行為をして再縁を迫り、相手を殺してしまう。ここまでくると、感情移入しにくいではないですか。。

恋敵のエスカミーリョは無制限に?イケメンで、劇中では最後までいい思いしかしていない(恋人を殺されてしまうのだから、そのあとどうなったかは知らないが)。少しぐらい弱点があってもよかったのではないか。例えば暗所恐怖症、閉所恐怖症で、閉じ込められて「暗いよ~狭いよ~こわいよ~」と言わせるとか。などと書いているうちに、だんだんこの二人が諸星あたると面堂終太郎に思えてきた。そうするとカルメンはラムちゃんでミカエラはしのぶか・・。まずいな、ほぼはまっているではないか。。スニガはチェリー・・。

CDは昔はよく聞いていたこともあったが、最近はめったに聞かない。全曲盤で持っているのはカラスが歌った写真のものだが、このほかショルティが指揮、トロヤノスがカルメンを歌った録音の、ハイライト盤を持っている。このショルティ盤は、以前プロの声楽家の方がラジオで、全体に癖のない、オーソドックスな演奏として、勉強のために聞くのに良い、と言っていたことを思い出す。カラスは非常に個性的で聞かせるが、勉強向きでもないようだ。ショルティのの全曲盤は中古で狙っているのだが、なかなか出てこない。

 

 

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白いキャンバス

2017年05月09日 | 日記・エッセイ・コラム

連休中から村上春樹「騎士団長殺し」を読み始めています。いまのところまだ4割ぐらいのところ。連休中もとにかく移動時間が長かったので、電車の中で読もうと携帯していたのですが、本が退屈だというわけではなく、もう体が休みを求めていて、座って少したつと寝てしまう。いつものことながら、ハードカバーの本はかさばって重く、もって歩くのは大変です。通勤時に広げるのも難しいので、しばらくは重い本を持ち歩くことになりそう。

作中の話をするのまだは早いのですが、主人公が画家で、白いキャンバスをやぶにらみする、というシーンを紹介するくらいは、ネタバレにはなりますまい。主人公は私生活の変化から、一時的に絵が描けなくなるという経験をする、というところまではいいかな。

この主人公は才能のある絵描きという設定なので、そういえば僕も、などと話をつなぐのはおこがましいにもほどがある(ちょっとした賞を取ったり、小遣い銭を頂いたりはしているけど)。その辺はおいておくとして、僕も何か絵を描こうと思って画材を買ってきたはいいが、画材屋で買ってきた袋を開けないまま、部屋の隅に眠らせて、みたいなことは以前はしょっちゅうやっていた。

旧宅を片付けているとき、写真のような机の裏側とかを見ると、袋に入ったままのキャンバスやスケッチブック、イラストボードなどが大量に出てきた。

スケッチブックは残したが、イラストボード等は転居の時に原則全部捨てた。まっさらな状態なのだから当然「使える」し、それこそオークションか何かで売ることすらできるとは思うが、こちらには持ってこなかった。変な言い方だが、未完というか未着手のものを持ってくるのは、何となく負債をキャリーオーバーするような気分がして嫌だったのだ。必要があったらまた買えばいい。

にしても、画材はもちろんだが、模型を作ろうと買ってきた細い檜材、バルサ板、アクリル棒、真鍮線、いずれも素材のまま手をつけずに大量に出てくるのにはあきれた。模型店が開けそうだ。これらは同様の理由で捨てた。

高校時代を思い出して、HOゲージの模型を作ろうとパーツを買ってきたのがそっくり残っている。たしか7千円ぐらい払ったはずだ。プライム会員じゃなかった頃、Amazonで送料無料に達するまで(2千円でしたっけ?)まとめて注文した自動車のプラモデルが3台、そっくり残っている。子供の頃売られていた、未組み立てのSLのプラモ(オークションで買った。人が聞いたらあきれるような値段で)、実物に乗っていた頃買ってきて、塗装をしたまま20年以上しまい込んでいた車のプラモなど、これらについては捨てるに忍びなく、現宅に連れてきてた。プラモくらい何とか作るだろう。3年前に作り始めた空母赤城(と戦艦大和のお徳用セット)は、作り出したらパソコンが壊れたり、ペン殿の不幸があったりと、験が悪い気がしてきたので(やはりうちは平和産業に徹するべき)と思い、捨ててしまった。

油絵教室に通い始めたのは、現宅よりももっと狭いマンションに住んでいた頃だが、その頃は保有枚数も少なく、スペースは気にならなかった。この旧宅に越してからだいぶ枚数が増えたが、目立たない天袋などにしまっていた。

画材は捨てていないが、正直これから油絵を描くことは、今の住宅事情の元ではないかもしれない。書けばそれなりに思い入れも入るし、それを捨てるのは勇気がいる。正直、捨てても惜しくない駄作(客観的には全部駄作だが、自分基準で見ても)も多かったが、捨てるのを迷ったものもまた多かった。

何かを取り出して、残すべきかどうかを判断し、不要なら必要な措置をして捨てる。

それが少ないときには、時として快感に感じられる状況もあろう。しかし、どんなことでも短期間に繰り返しやれば、苦痛に感じるものだ。

 

これもあらかじめ予想していたことだが、転居をめぐる一連のできごとへの疲れが、じわじわとわき上がりつつある。そもそも、転居そのものが、より大きな動きのなかの一環なのだ。まあ、そんなときに、絵を描こうなどという気にはちょっとなれないかもしれないな。

と、いいつつ、気晴らしに手を出してみようかしら。

 

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定点

2017年05月08日 | 日記・エッセイ・コラム

旧宅の2階窓から見た風景の定点観測。

今こうしてみると、毎日やっていたようで抜けている日もあるし、アングルも適当だ。引っ越しを前に、なんとなくなし崩し的に始めたものだ。

以下、退屈な風景が続いて恐縮です。

4月3日(月)ちらほらと芽が出ている。

前々日に、現宅の鍵の引き渡しを受けた。

4月8日(土)

前日にCDプレーヤーなどを買っている。

当日日中は家族を病院に連れていくなどしたのち、新宅のカーテンの寸法を取るなどした。

4月9日(日)桜の花はまだ楽しめた。

4月10日(月)カーテンを見に行く。まだ注文する勇気は出ない。

4月12日(水)仕事が忙しい

4月13日(木)休みを取り、ペン殿のお墓+アジサイと、鉄道模型をレンタカーで輸送。カーテンを注文。

4月15日(土)前夜は仕事でかなり遅くなったが、朝早く目が覚めてしまい、散歩に出るなどしている。

4月16日(日)午前中車で現宅まで行くが、ぼんやりしていて運ぶべきものを忘れた記憶がある。日中かなり忙しかった。

4月17日(月)午前中休暇をいただき、銀行や区役所で手続きをする。

4月18日(火)だいぶ新緑が目立つようになってきた。ここはよく、メジロなどの小鳥が遊んでいたところだ。

写真では見えないが、この真下にあるブロック塀は猫の通り道だ。道というか塀は、奥に向かって続いている。

4月19日(水)旧宅からの出勤はこの日が最後。

4月20日(木)この日から休暇。ピアノが搬出される。

4月21日(金)古いパソコン等が搬出になる。

だいぶ前、20年以上通っていた床屋さん(自分の母親くらいの方が一人でやっておられた)がケガをして、しばらく休業している、と書いた

その後、その年の秋ごろ、いったん復帰されていたようだが、仕事量を制限しているのか土日が休みになってしまい、再会を果たすことができずにいた。

平日休みが取れているからと思い、訪ねてみたが、店は閉まっていて、入り口に「1月の休業日」という札がかかっていた。

今年の1月以降、休業日を更新していないらしい。

最初におばさんに刈ってもらったのが1993年の秋だったと思う。いまのところ、最後に刈ってもらったのは一昨年の11月下旬だ。まあ、これが最後、ということになるのだろうな。。

4月22日(土)ちょっと煮詰まってきた。

4月23日(日)ご近所へのお別れの挨拶を、一足先に終えた。

そんなに付き合いはなかったとはいえ、20年いたのだから正直辛かった。

4月24日(月)朝、決済手続きを終える。奥の建物は朝焼けに染まっている。この頃、朝はすぐに目が覚めてしまっていた。

なじみのクリーニング屋に預けていた、最後の1枚のシャツを取りに行く。おばさんと、息子さんとでやっていたところだが、なぜか馬が合うというか、親子とも親しくさせて頂いた。もとの生活雑貨のお店だった時代を含めると、20年近くの付き合いということになる。名残惜しかったが、さすがに電車に乗って洗濯物を預けに行くわけにはいかない。本当にぎりぎりまで洗濯物を預けに行っていた。

4月25日(火)転居当日。ゴミを大量に出したら、ご近所からクレームが来てしまった。それにしても自分でもあきれるぐらいゴミが出た。

 

一連の作業および判断は、好むと好まざるとに関らずすべて一人でこなさざるを得なかった。

ここは自分の家であり、そこにあるものは自分そのものだ。

家のものを片づけることで、四半世紀前から自分の歩んできた道のりを、実際にモノとして再確認し、そして捨てていった。

別の言い方をすると、自分の人生の決算整理のようなものだったとも言えようか。

そこで引き越される喜怒哀楽は完全に自分だけものだ(ただし、ここに書くことで少しは拡散しているともいえる)。

 

一連の手続きをしている間は、外から見ればずっと自分の中に引きこもっている、と見られてもおかしくはなかったかもしれない。

そして、そうしたことが、どういう理屈かはわからないが、今の自分と、周りの人たちとの関係に微妙に影響しているようだ。

 

決して楽な状態ではないが、とにかく目の前のことをやっていくしかない。これまでと同じく。

 

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秋吉敏子 ジャズと生きる

2017年05月07日 | 本と雑誌

 

岩波新書 1996

秋吉敏子(秋は正確には穐と書く)の名前はもちろん以前から知っていたが、ここにきて彼女の著作を読んだり、Google Play Musicで曲を聞いてみようと思ったりしたきっかけは、彼女のコンサートに関するテレビ番組を偶々見たからだ。ひと月あまり前、まだ旧宅で片づけをしていたとき、夜中にテレビをつけたらやっていた。

リンカーンセンターというのかしら、NYのことはよくしらないのだけでど、客席から奏者越しに、階下のラウンドアバウトと、その先の公園(セントラルパーク?)、そして通り沿いに立ち並ぶビル街が見渡せる。まずもって、そのホールの美しさが強く印象に残った。秋吉は巨漢のジャズメンを前に、時折大手を広げて指揮を執っていた。

この本は秋吉の66歳の時の自伝である。同じように新書版で生涯を振り返る本を出した朝比奈隆氏(指揮者)は、聞き手を設けて対談の形式をとっていたが、秋吉はストレートに自らの筆で生涯を振り返っている。

考えてみると、朝比奈隆と秋吉敏子は、ともに大陸で終戦を迎えたという点で共通点がある。朝比奈は東京の生まれで、関西が長かったが、デビュー後、30代の頃大陸に渡り、色々な経験をしたようだ。秋吉は生まれてから女学校を卒業するころまで大陸に暮らしている。やはり引き揚げは大変な経験だったらしい。

後の世代の者が、それを面白いなどと言ってはいけないのかもしれないが、そうした経験にはやはり興味を惹かれる。彼らが国内の枠にとらわれず、まだ海外渡航者の少なかった時代に早くから国外で活躍したのは、やはり大陸の経験があるからなのかな、とどうしても思ってしまう。

実際、秋吉は九州から東京に出て、米軍施設関係を皮切りにキャリアを重ねていったが、本書を読む限り、東京にははじめからはまりきれないようなスケールの大きさを持っていたように思える。彼女の才能を見出し、レコーディングや留学を勧めたのはアメリカから来た人たちだ。

その一方で、アメリカにわたってからの彼女は、しばしば自らの存在や成し遂げてきたこと、あるいはなすべきことについて常に悩みを抱えていたようだ。後年、数多くの賞を取り、グラミー賞には毎年のようにノミネートされるようになってからも悩み続けている。また、家庭と仕事とをめぐる悩み、特に一人娘との関係については相当悩んでいたようだ。音楽を捨てて家庭に入ることすら考えていたらしい。

一方では芸術家として、自らコントロールすることが難しくなるような衝動を内に抱えながら、それが現実に直面したときに生じる様々な問題に悩む。そうした過程がリアルに伝わってくるあたりは、秋吉の文章力の冴えがなせる業だと思う。スケールは全然違うが、そうした悩みが語られていることに、どこか救われるような気持になる。

夫君であるルー・タバキン氏とは、お互いに尊敬しあう芸術家でありよき伴侶ではあるが、生活の上ではかなり独立した状況にあるようだ。秋吉氏がメニエル病で急に動けなくなったとき、ルー氏は夕方までそれに全く気づかず、その後も横たわって苦しんでいる秋吉氏を前に、どうしたらよいかわからずに戸惑うだけだったという。秋吉氏は「ときどき私は、絶望的な孤独感と孤立感に襲われる」と書いている。

この思いを、今の自分の状況と照らして共感することには、少しためらいを感じないでもないが、あえてぶっちゃけてしまいたい気持ちもなくはない。どこから(誰から)見ても一面的な、不完全な自分を見せることしかできず、言い訳も儘ならないというのは辛いものだ。ただし、そんなことはおそらく秋吉氏を含め、誰もが同じように感じることなのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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ラ・フォル・ジュルネ2017といろいろ

2017年05月06日 | 音楽

連休、お休みとしてはしっかりいただいたが、家のこと、対外的なこと、色々と目白押しで、特にバケーション気分などではなかった。

もっとも、非日常的な日々を送るという意味では、この半年私生活はぜんぶ非日常ではある。

でまあ、今日一日は、用務もあったがちょっとだけ休日らしいことをする。

といいながら、朝は用務で昔住んでいた町へ。

先日引っ越したせいか、なんとなくここに住んでいた30代の頃を思い出す。

たしかにささやかな生活ではあったが、あの頃はそれで満足していたし・・。なんか「若いっていい」みたいな結論は嫌いなのだけど、争えないところもあるよなあ。

僕はラーメン二郎だの、一風堂だのというのはぜんぜん行かないのだが、ここは好きでよく来る。

昔、スマホをなくしたとき、あれこれ探してようやく思いついたのがこの店だったことがある。電話で確認し、夜伺って、チャーシューメン食べてから名乗りをあげた。

あの時の親切な対応がなんとなく心に残っていて。。勿論味は一流だ。かつおだし系ですね。

転戦します。これも毎年ほぼ同じ時期に行っていますが、今年からはこの辺に新しい名所ができていますね。

もうひとごみはしんどいです。。

カタルーニャ地方の明るい風景。

気持ちが晴れてきます。

というより、さっきもそうでしたが、やはり自分がだいぶくたびれていることに気づかされます。

但し今は休めないので、人にわからないように、できれば自分でもわからないように、取り繕いながら諸事をこなしていくことにしましょう。。

 

暗転。

ここでちょっとオフィスに行って、諸事をこなす。仕事(本業)ではないので、そおっと。。

まあ、ちょっと時間が余ったので。

 

転戦します。

 

最初にLFJに行ったのは4年くらい前だったかな。それまでもやっていることは知っていたけど、チケットを買うまでにはいたらなかった。

さいしょのとき、フィナーレのコンサートに行ったら、クラシック系なのにものすごい盛り上がっていて、ラテン系の乗り(ソリストがカスタネットおばさんだった。。名前、後で調べます。。)に度肝を抜かれた。

それ以来、この時期の強い日差し、新緑の緑とともに、LFJが風物詩みたいな感じに、自分ではなっていて、行かないと気がすまなくなっている。

毎年チケットを買いそびれるので、今年は早くからタイムテーブルを眺めてはいたのだが、引っ越し騒ぎでやはり買いそびれた。

本当は小さなホールでやっていたショパン「マズルカ」に興味津々だったのだが。

確保したのはショパン「ピアノ協奏曲第一番」と「アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ」という、べたな組み合わせ。ピアノはあの小山実稚恵さん。ドミトリー・リス指揮、ウラルフィルハーモニー管弦楽団。

小山さんは昨年日フィルのベートーヴェン・ツィクルスで「皇帝」を聞きましたが、それ以来です。

ウラル・フィルも指揮のリスさんも存じ上げませんが、ウラル・フィルのメンバーはなんというか、ロシアの地方都市の目抜き通りを行き交う人々、という感じで(なんだそれは)全員西欧系、スラブ系のひとたちのオケでした。日本人とか、東洋系の人などはいないようです。うさ耳で聞く限り、弦楽はなかなか美しい響きで、コンチェルトの緩徐楽章など、素敵でした。リスさんも、悠揚たる指揮ぶりでよく全体をまとめていました。

小山さんはこの大曲を終始緊張感あふれる演奏でこなし、アンダンテ(ネットで見ると、アンスピ大ポロというらしい?ですね)は大した迫力でした。演奏後の笑顔が素敵でした・・。

アンコールは「子犬」でした。以前よく聞いたプログラムは、ちょっとひねったものや耳新しい曲などを聞いたものですが、こと今回のプログラムについては、終始べた、という感じでした。

最終公演を聞くと、とんでもなく遅い時間になってしまうのもLFJらしいのですが、明日も早いのでそうのんびりもしていられません。

地下ホールでは派手なパーカッションによる(和洋折衷)、西欧風盆踊りみたいなことをやっていました。

ステージの周りで踊っていたひとたちは、プロなのかな?

いつも思うんですけど、僕の本質はこういうところで積極的に踊りだしてしまいたいものを持っているのではないかと。世間体その他でゆがめられ、実際には何もしないのですが。

広場の屋台でワインとつまみでも買いたいところですが、疲れたのと明日に備えるため、てきとうに。

下のレストランでガパオたべて、おしまいです。

 

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現状

2017年05月05日 | 日記・エッセイ・コラム

連休中も外出等様々な所用があり、部屋の片づけは最小限にとどまっている。

11日には家具が来るので、それまでに箱を片づける必要があるのだが。

この辺がかなり厳しい状況だ。

ここは、箱を使って臨時のテーブルを作っている。

スピーカーの上が満員電車状態になっている。音に影響が出る?そんなに大きな音が出せないので。。

それと、まだCDがごく一部しか取り出せていない。

書斎のミニコンポは、以前はPCとは反対側の本棚の上にあり、PCとコンポの接続(有線)は難しかった。

今はとりあえず机の上にコンポがある。ので、PCの音声出力をAUXにつないだ。これでGoogle Play Musicをある程度しっかりした音質で聞けるようになった。

PCのぽん、という操作音が一緒に聞こえてしまうという、難点はあるが。

先日壁コンセントからFMのアンテナ線を引いたと書いたが、この音声信号はモノラルらしい。ノイズ等は申し分ないが、音声は分離しない。

この連休の天気は申し分なく、メールやSNS等で伝わってくる友人知人の多くは、どこかでバケーションを楽しんでいるようだ。

今回時間を作って家族ともでかけるようにしたが、諸事情で遠くに行くことはできなかった。それでも楽しんでもらえたらしいが。

 

この街には全国でも有数の大きなモールがある。ここも連休中はたいへんな賑わいだ。

喧騒の中、時間待ちをしていると、数多くの事案をこなしてきたこの半年間の疲れが、じわじわとわいてきて、のぼせそうだ。

自分にとって、この街は古くて新しい。

何も知らない街で生活を始めるよりも、ある意味で精神的に負担がかかるだろうという事前の予想は、それほど的外れでもなかったようだ。

 

先日、いくつかのセクターでそれぞれ違う用務をこなして云々と書いた。

それぞれのセクターには何らかの軋みがあり、それらが見え隠れしながら、なんとかいなしている、というのが現状だ。

転居たけなわのときは緊急措置、暫定運用ということで、問題をスキップできる面もあったが、少しずつ、真正面から取り組んでいかなければならない。

 

ま、とりあえず箱、片づけないとな。

 

 

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There But For Fortune

2017年05月04日 | 音楽

ジョーン・バエズ 1963

ジョーン・バエズは、ここでは何度か取り上げているがフォークミュージック全盛時代の人で、おそらく当時はとても人気があったのだと思う。後から生まれてきた僕が彼女のことを知ったのは8年ほど前のこと、偶々聞いていた「ラジオ深夜便」がきっかけだった。そのときはピート・シーガーとペアで紹介されていた。

当時の若い人たちは彼女の音楽を、ある種のメッセージとともに清新な気持ちで聞いていたのだろう・・などと、わかったようなことを書いているが、そこから先は僕の勝手なイマジネーションだ。自分の持っている、60年代半ばの映像や雰囲気をつなぎ合わせて、それを音楽と結びつける。

幼い頃の記憶ー当時学生だった叔父たちとの関わり - しばらく預けられていた祖母の家の雰囲気や、その後で母と妹と電車に乗って行った、病院のある街の、埃っぽい雰囲気、などが、心の中で混ざり合う。

今は多少観光を意識して小奇麗に装っているその街は、昔はトラックが土煙を立てて走っているような、愛想のない町だった。子供であった自分から見ると、大人たちが難しい顔をして「仕事」をしている街に思えた。

うん、そうか。音楽の話なのだから、昔の思い出を語っていたも仕方ないな。

でもとにかく、頭の中にはそんな「大人の街」を歩く「若者」である僕が、新しい世界からやってきた音楽としてのジョーン・バエズをラジオか何かで聞く、というイメージが作り上げられてくる。わき目もふらずに「仕事」をし続ける街、やがて僕もその中に、世界を変えるために参加していくことができるという期待。。

話がとても飛躍しているが、こんな話はもちろん、この音楽を紹介する文章として正統的なものではない。その歌詞が語っていることは、何かの理由で収監されるに至った人、貨物列車に忍び込み、雨に打たれながら眠るホーボー、こぼれたウイスキーで床が染まるようなところで飲んだくれている人、爆撃され廃墟になった国に住む人たち、のことだ。そしてここに、偶々なにかの幸運で、今こうしている若者がいる・・。

不幸や、過酷な運命も紙一重、希望に満ちた若者も、彼らとそう違うわけではないんだよ、と・。

対比される若者は、やはり肉体的、時間的にとても恵まれた条件にあるが、そういう強さはしばしば、当人にある種の不安を呼び起こす。

この点この曲の歌詞は、あくまでも若者の視点で見た「社会」を描いているのだろう。大人がこれに似たことを語ろうとすると、それは『マイ・ウェイ』になってしまいそうだ。色々あったけど俺はここまでやってきたんだ、みたいな。

まわりくどいが、そんなわけで僕はこの曲を、「希望に満ちた若者がふと感じる不安感」みたいな視点で聞きたいようだ。

 

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