うさぎくん

小鳥の話、読書、カメラ、音楽、まち歩きなどが中心のブログです。

7年経過

2018年04月30日 | ブログ

2011年4月に始めたこのブログも、早いもので7年が経過しました。

これからもよろしくお願いいたします。

 

この1年振り返ると、1週間ぐらい書けずに穴あけるみたいなことを何度かやっています。時間的に厳しいとか、眠い、あるいは体調の関係で見合わせるとか、色々な理由はありますが、そういうときは頭で書くことを練っていても、体がついてこない、ということが多い気がします。

今思うと転居前の修羅場の1週間、よく毎日書いてたな、と思いますが、ああいうときはPCに向かって書くことで平静を取り戻す、という意義があったのでしょうね。

転居後の傾向として、以前は退勤後フラフラと街の中をさまよっている癖があったのですが、さいきんはとっとと帰宅することが多くなり、どうも好奇心が落ちてきたかなと心配しています。休日出かけることは、スケジュール的に今は困難に。実を言うと、今月半ばくらいから、それまで足枷のようになっていた色々の用事がふっと目の前から消えていて、つかの間の真空状態になってはいます。ただ、のびのびと手足を伸ばせるような状況ではない。。


写真はココの家を訪れたアルですが、このふたり、同じケージに入ると安心してしまって?止まり木に並んだまままったりしているのが好きみたい。で、そろそろ戻そうと声をかけると、途端に写真のようにお互いつつきあいを始めたりする。。アルはさいきん随分と知恵がついてきて、体重を測るときに苦労させられます。

アルはちょっとお羽根が抜けかけで、凸凹状態。4日にレントゲンの予定ですが、蝋幕は回復傾向。

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用もないのに

2018年04月29日 | カメラ、写真

♪用もないのに納豆売りが あ~あ~なっとぉ~!

というのは(歌詞をみてお判りになる方も限られているでしょうけど。世代的に。。)アッコちゃん見たさにそわそわする納豆屋の話ですが、こちらはウェブの記事を見てアマゾンなどを検索しているうちに、だんだんそわそわして、ついぽちってしまった。特別使う用もないのに。。というおはなし。

もともとはPentax Qシリーズを使って、通勤途中でマクロ撮影をする、という方の記事を見ていたのですが、記事によると最近の中国メーカーのストロボは非常に安価だが結構良いらしいと。調べてみるとたしかに。。国内メーカーのストロボはTTL自動調光できるタイプが数万円~で出ていますが、中国製は安いものでは数千円。日本メーカーは安価な汎用ストロボをあまり作らなくなり、そこに中国メーカーが入ってきているようです。

今はフィルム時代と違って、色々試してもすぐに失敗かどうかわかるし、失敗なら調整してやり直せばいいしで、マニュアルストロボを使って色々経験しながらコツをつかんでいくには、適した時代のような気がしてきました。

もっとも、そこまでのめりこむ気合いがあるかというと、あれなのですが。。

NEEWER(ニューワー)TT560という機種です。GN38、マニュアルモードの他、スレーブ発光モードあり。光量は8段階に調節可能。

KPをMモード、ISO100、1/60にして、とりあえず撮ってみました。バウンスさせるつもりでカーテンが光ってしまった。

少し落ち着いただろうか。。

色々具合を試してみないと。

白ちゃん。

参考書でも読んで、勉強しないとダメなようです。

一緒にこれも買いました。これは何かというと・。

内臓ストロボをコマンダーとして使うとき、光を直接被写体に当てないための「光よけ」です。

TT560には取り外し可能な足がついていて、自立可能なので、サイドから光を当てたいときなどに便利でしょう。

ちょっとテストしましたが、発光はちゃんとしてくれます。使いこなしはこれから勉強していかないと。

うちにあったストロボを引っ張り出してみました。

真ん中のサンパックauto22SRは、OM-1用に1998年だかに買ったもの。それより前に使っていたカコストロボが電池の液漏れでダメになってしまったので。

マンションの雨漏りの写真を撮りたくて買ったのですが、時間的に間に合わずにフラッシュ付き写ルンですを使ってしまった記憶がある。

右のNikn SB-400はD70s用に買ったもの。バウンス撮影をしたかったのですが、確かに撮影はしたものの、家族写真などを数枚とったぐらいで、その後はろくに使っていない。

当然他社のカメラでは使えないし、スレーブ発光もしないので、宝の持ち腐れ状態。

サンパックも液漏れでちょっと調子悪かったのですが、いまは問題なく使える模様。ただ、後で買った広角用ディフィーザーは、爪を割ってしまい使用不能に。

レバーを操作してISO100にして、下の表示を出すとF4で1mから5.5mまで使用可能と出る。昔はよく設定間違えて、失敗したものでした。

ま、そんなかんじで。

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2018年04月28日 | 日記・エッセイ・コラム

子供のころ、親の実家へ車で行くとき、通った道を時々思い出す。

国道と交差する道を右折すると、田園風景の中を走り、丁字路で突き当ったら脇の細い道に入って、やがて堤防を上る。堤防沿いに農家がいくつも並ぶ、特徴的な地区を超えると橋がある。橋の先はまた道が狭くなって、用水路沿いに走れば間もなく到着だ。近くに親戚も何人かいて、そのうち自動車工場を営んでいる伯父のところは免許をとってから何度も遊びに行った。工場は街道沿いにあったが、やがて近くの、運動場ぐらいある土地に古い車をたくさん並べて、外車を中心とした中古屋を始めた。そこにもよく通った。

祖母が亡くなり、こちらも運転はあまりしなくなって、しばらく行かないうちに、周辺の地域は大きく発展した。新しく広い道路が整備され、道沿いに大型店舗が立ち並ぶようになる。伯父のの街道沿いの工場は、今は紳士服チェーンの建物が建っている。数年前に訪れたときは、どこを通っているのかわからなくなっていた。

用がなければ車で出かけたりはしないのだが、あの頃通った道をもう一度確かめたくて、出かけてみた。

のだが、こちらの記憶もあいまいだし、やっぱりよくわからなかった。親戚の家はどこにあったことやら。。

この辺の、なんでもない風景のところで休んでいると、心が安らぐ。

エンジンを止めて、リアシートでしばらく読書でもすれば良かった。

-

話は飛びますが、この写真は18-135mm,その上の2枚は15mm F4Limitedで撮影したものですが、どちらもAUTOで撮影したのに、露出が少し違って見えますね。

15mmのほうはちょっとこってりした色乗りのように思えます。

ちょっと寄ってみました。

何十年ぶりかねえ。

たとえば鎌倉や京都などは、古の人たちの息吹を感じて、思いをはせたりすることができますが、この界隈は、それこそ藪の中で、何にもないと思っていた時期もありました。

しかし、こうしてみるとこの辺り、はるか昔から人々が生活し、このようなものを残すだけの文化を築いていたのですね。。

江戸などはかなり新しくて、せいぜい平安末期ぐらいでしょう。

ここは戦争末期の地下軍需工場跡地だそう。

工場を作っても、資材の搬送とかは大変だったでしょうな。

実際にはほとんど稼働せずに、終戦を迎えらたらしい。

一日、いいお天気でした。

 

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みずたま

2018年04月27日 | 食・レシピ

写真が今一つですが、もう食べちゃって撮り直しが効かないので。。

ロールちゃんの限定版がお店にたくさん並んでいたので、買ってみました。

パイナップル味だそうです。

開けてみて驚いたのは、ロールケーキの部分が水玉模様になっていること。

こりゃまるで、おしぼりというか、ハンドタオルみたいというか。。

 

 

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お腹いっぱい

2018年04月25日 | セキセイインコ

そういうタイトルでこんな写真を掲げると、自分の話かと思ってしまいますが。。

これは夜、近所のショッピングモールに行って、フードコートで食べたしらすかき揚げ丼(正式名失念)。思ったよりと言っては失礼ですが、本格的でおいしかったです。

お話が時系列と逆に進んでいきますが、なぜモールに行ったかというと、本当は近所の床屋に行きたくて車を出したのでした。

行ってみたら第2、第3火曜日は休み(今日は第4のような気がするが)だそうで、やっていなかった。

じゃ、どこかで食事でもするかと思い。。

モールに行ってみたら、大手の床屋チェーンがあった。初めて入りましたが、ちょっと仕組みがわからなくて戸惑った。

ほんとうは旧宅近くの床屋に行きたいとも思うのですが、なかなか難しくて。。

さて、本題です。

今日はお休みをもらって、朝、は雨だったので寝ていて、昼頃から家の用事をいくつか。午後は鳥のお医者さんに行きました。

目的の一つはココの健康診断。お医者に診てもらったのは2年前以来。

この子は飛ぶのが下手。前のお医者さんには知らぬ間に骨折したのでは、という話もありましたが、今回も原因は不明。

ただ、羽根が上がらないのと、少し下がっていて、風きり羽根が後ろでクロスしていない。

50肩みたいに上に上がらない。滑空はできるが上昇はできないでしょうね、と。その通りです。

そのう、うんちはきれいで全く問題なし。ちょっとほっそりしているけど、まあ筋肉とかはしっかりしているし、よく食べている。

骨盤が開いていないので、発情はしていない。卵を生む気配はない(むしろ鳥さんには良い傾向と)。

アル。

この子はまた、蝋幕の色がすこし茶色くなってきた。

保温をしっかりしてたら、何とか治るかなと思ったのだが、やはり変わらないので、今回またお世話になることに。

お医者さんによると、蝋幕の色変わりは、性巣腫瘍の場合も確かにそうなのだが、代謝が良くない場合にも起こると。腫瘍の子は本当にメスみたいに色変わりして、そのまま戻らない。アルは時間がたつと治っているので、たぶん代謝の関係でしょうねと。

しかし、一応レントゲンをとって確認しましょうね。

と、思っていたのですが、ここで問題発生。。。

 

 

今日、ご飯あげるのが少し遅くなってしまったのですが、お医者さんに見せたときにはお腹もそのうもご飯でいっぱいになっていて、

「これだとそのう検査とか、レントゲンとかしたりすると、吐いちゃう可能性があります。そうすると命にかかわることもあるので、今日はちょっと検査、やめましょう。。」

次回は朝、ご飯ちょっとだけで行くことになりました。。

 

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覚えていること

2018年04月23日 | 日記・エッセイ・コラム

1年前の4月第4月曜日は24日、この日に旧宅の引き渡し契約をした(実際の転居移動は25日)。

その時のことを覚えてるかというとそれはもちろん覚えてはいるが、その感覚は複雑だ。

昨日のような気もすれば、はるか昔のことのようにも感じる。転居日の10日くらい前の写真を見ると、絶望的に片付いていない気がするし、冬の最中からずっと孤独な片づけ作業を続けてきて、それが押し詰まってこの状態なものだから、その時の焦燥感はそうとうなものだったと思う(たぶんその時は感覚がマヒしている)。

少なくとも、今でも思い出したいことではない。この年の、というか前年末から、転居した後も秋口ごろまでは色々あって、まず気が休まることがなかったし、環境があまりにも急に変わりすぎたしで、にっちもさっちも行かなかった。体調も崩していて、秋まで原因不明の鼻炎に悩まされた。もっとも、その割には案外と楽観的に行動していたのが、自分でも不思議な気がする。

それがまた、思い出したくないなどと言いながら、写真を見返しては色々忘れていることに気がついたりとかしている。。

これはもう直前の写真で、だいぶ箱がまとまってきていますね。。

転居前夜。右側に箱が積んであるが、写真では見えない。鳥たちはこんな感じで前からいて、この辺の環境は最後までそう大きくは変わらなかった。

とはいえ、押し入れの片づけはだいぶ大変だったから、鳥たちもストレスは感じていたかもしれない。。

これは朝、引っ越し屋さんが来て、荷物を全部持って行った後、だと思う。よく見るとケージを置いていた台がなくなっている。

この辺のものをみんな車に積み込んで、現宅に向かった。

そのときの、鳥たちとドライブしたときのことは不思議と覚えている。

前後はあたふたと忙しいのに、ハンドルを握っているときだけはなんか晴れやかというか・。

最初に掲げた、自動車教習所のカットイラストみたいなかんじでした。。

このときはじめて、国道から現宅の前の道に直接行く行き方を覚えて、使ってみた。角を右折して、街路樹のある通りを走り始めたときの印象を、今でも思い出す。

こうしてみるとわからないけど、もう家具は片付いた後ですね。

こういう旧宅の映像を見ると、そこにすっぽり吸い込まれるような気がしてくるんですね。。時空を超えて戻るというか。

この家のない今の自分というのは、やはり昔の自分とは決定的にちがう存在だという気がします。いい悪いじゃないというか、たぶんまあそれでよかったんでしょうけどね。。

 

家具が届いたのは連休明け5月10日過ぎで、それまで食事するところがなかった。これはもうかなり片付いているが、最初は子供の作った秘密基地みたいな、箱に囲まれた中で食事していた。

テレビ周りはもう片付いていて、いまとあまり変わらない。

テーブルは窓と平行(テレビに対して直角)に置いていたが、転居後ほぼ1年となった日曜日、気分を変えてテレビ側に平行に配置してみた。

収まりは良いが、テレビと背面に座るひとはテレビが見えない。もっとも、椅子をぜんぶ使う機会はめったにないので、必要に応じてまた配置を変えればいいかと。

 

 

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初夏の記憶

2018年04月21日 | 日記・エッセイ・コラム

2年前の今週は熊本で大きな地震がおきた。先日からまた「日本沈没」を読み返したりしているが、7年前の東日本震災を含め、個人的になぜかまた地震に関心が向いたりしている。

暦の上ではまだ4月だが、ここ数日気温が一気に上昇して、初夏の気候である。

 

上に掲げたACのCM,震災の頃さんざん放映されて、割とトラウマになってしまった方が多くてあまり評判が良くない(ような気がする)。

たしかにあの頃を強く思い出させるので、楽しい感じはしないのだが、色々な意味でとても強い印象を受ける映像であることは確かだ。

 

おそらく初夏の頃の映像ではないかと思われる。木々の緑は生き生きしているし、子供たちも春らしい服装をしている。

映像を作られた方はどういう思いでいるのかわからないが、一つ一つのカットがとても印象的だ。

街路樹が揺れて見えるアスファルトの水たまりなど、なぜか嫉妬したくなるほど心憎い映像だ。

教室の中、あるいは実際に子供のいる家庭なのだろうか、家のリビングの映像などもとてもリアルで、説得力がある。

その間、間に挿入される街の風景、公園のブランコ。。

ずっと前に書いたけど、街を鳥瞰するシーンや、踏切のシーンなどは僕の知っている場所であり、この家庭もおそらくは、生まれ育った場所にほど近い辺りであると思われる(10キロ単位ぐらいの誤差はあると思うけど)。

そして改めて、この映像のシーンが初夏のころの風景であること。

このCMを繰り返し見ていた3月はまだ寒く、木々も芽吹いていない。寒い夜、暖房をつけながら、繰り返される震災のニュースの合間に流れてくるこのCMは、何の屈託もなく過ごしていた日々。。いえいえ、これから訪れるであろう季節を思い起こさせた。

 

個人的にはもうひとつ思い起こさせるものがある。旧宅の寒い夜や、日差しのぬくもりが残る2階の部屋の暖かさ、などが、映像を見ているとよみがえってくる。。

そういえば、ちょうど1年前の今週、長期の休暇をとって転居の最後の追い込みをしていたのだったな。。

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いすゞ 117クーペ

2018年04月19日 | 鉄道、車、のりもの

久しぶりのミニカー。Amazonで、もういつのことだか覚えていないが予約品として注文しておいたものが、先週届いた。本来の発売日はもっと先だったらしいが、前倒しになったとのこと。ほぼ同時期に、こちらは発売延期を延々1年近く繰り返してきたNゲージの蒸気機関車も届いている。どちらも中国製だが、かの地の製造事情はどうなっていることやら。

117クーペは日本を代表するスポーツ・スペシャルティとされているが、実物を見かけることはあまりなかったように思う。特に今回のプロトタイプは初期のハンドメイドモデルといわれるもので、これはほとんど見たことがない。一番覚えているのは、後期型の、ヘッドライトが角型になったやつで、色は臙脂かクリーム色のものが多かった。中古でいまでも流通しているのはこれが多いと思う。

デザインを手がけたジョルジェット・ジウジアーロは、かつては多くの日本車の設計に関っていて、車以外にも例えばニコンの一眼レフなどのデザインを手掛けたりしている。

時代の潮流が今とは違うので、単純に昔と今で比べることはできないが、昔の日本人、日本企業は決して野暮天だったわけではなく、むしろ鋭い美意識を持っていて、多くの優れたデザインの製品を世に問うていたようだ。70年前後の時代に、この117とか、トヨタ2000GTとかを作っていたというのは、当時の日本の自動車会社の状況(まだまだ発展途上)を考えるとすごいと思う。。

117に乗ったことはないけど、時代的に近いジェミニZZ/Rは運転したことがある。友達(のお兄さん)が持っていて、二人で交代で運転しながら九州を1周した。DOHCエンジンは、スペック的にはそれほどとびぬけたものではなかったが、とても硬派で音も良かった。車体の設計が古くて、スペースはせせこましかったが、つくりはしっかりしていた。

ピアッツァ・ターボのレンタカーも借りたことがあったな。当時としては珍しい、実用車ではなくスポーツモデルを貸してくれるというレンタカーのサービスで借りた。本当はスカイラインとかに乗りたかったと思うのだが、空きがなくてしかたなくピアッツァになったと思う。乗ってみると(サテライトスイッチには戸惑ったけど)結構よかった。

ピアッツァも、当時としては意欲的なデザインだったのに、あまり理解されなくてかなりの少数派だったと記憶している。

今回Amazonにしては珍しく、封筒のような簡素な包装で送られてきたが、ちょっと箱がつぶれていた。こういうのは初めてだ。もちろん、中身は大丈夫だったが。

 

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エヴァの震える朝

2018年04月18日 | 本と雑誌

エヴァ・シュロス 吉田寿美訳 朝日文庫2018年

最初の出版は新宿書房「エヴァの時代ーアウシュヴィッツを生きた少女」1991年5月 文庫化により改題

エヴァ・シュロスは1929年5月、ウィーンの中流ユダヤ人の家庭に生まれ、ナチスの台頭に伴ってベルギー、次いでオランダに移住する。イギリスに渡ろうと画策するが、ナチスのオランダ侵攻により果たせず、一家は分かれて隠れ家に住まうようになる。1944年5月、エヴァの誕生日の朝、ゲシュタポの踏み込みを受け逮捕、やがてポーランドに移送され、父と兄はアウシュヴィッツへ、母とエヴァはビルケナウ女子収容所に収監される。

逮捕時、エヴァは15歳の誕生日を迎えたばかりで、ビルケナウでは最年少の収容者であった(子供たちはガス室送りとなったらしい)。

ビルケナウ/アウシュヴィッツにはアムステルダムの家の近所にいたアンネ・フランクとその家族もいた。フランク一家とエヴァ、その母はのちに特別な絆で結ばれることになる。

アンネ・フランクと彼女の遺した日記は非常に有名だが、正直僕は日記そのものを読み通したことはない。20年ほど前、アンネとその周辺の人々を取り上げたNHK BSのドキュメンタリー番組は見たことがある。アンネの日記は、フランク一家のオランダ隠遁時代における記述がすべてで、その後の逮捕抑留後の様子は、関係者の証言としてしか残っていない。

エヴァのこの本は、ウィーンでの幸せな時代から始まり、アンネと同じオランダでの隠遁時代、逮捕移送後の過酷な時代を経て、さらにその先、解放されオランダに戻るまでの様子が克明に描かれているところに特色がある。エヴァは母とともに、過酷な境遇を生き抜いたので、そこでどのようなことが起きたかも知ることができるのだ。

興味深いのは、抹殺されるすんでのところで生き残り、進出してきたソ連兵に助け出されたのち、鉄道や船を使ってオランダに移送される、その道中の細かい様子が、かなりのページ数を割いて克明に描かれていることだ。解放後も母子生き別れになりそうになったり、色々な事件が起こる。しかし、収容時とは違い、その筆致は喜びに満ちている。

オデッサの豪邸が宿舎に充てられ、兵士たちが女性たちに服を支給する(手のひらで胸の大きさを測って、「大」、「中」と叫び、それにあった下着を配る。みんな大はしゃぎで、恥ずかしいなんて気持ちにはさせられなかった)。外出は禁じられていたのに、親子で悪戯心を出して街に出かけ、次々来る路面電車に迷いながら宿舎に戻り、大目玉を食う。などなど、極度の恐怖から解放され、誰も彼もがほっとして楽しい気持ちになっていた様子が伝わってくる。古今を問わず、どこにでもいそうな幸せな母子の珍道中のようにも思えてくる。

オランダに戻ってからのほうが、むしろ控えめな筆致なのは、そこが彼女にとっては辛い思い出の多い街であったからだろう。やがてエヴァはイギリスにわたることにある。

ざっと読み返してみて、やはり印象に残るのは、解放され帰還する道中の生き生きとした記述だ。収容所の暮らしなども、とても詳細に書かれてはいるものの、すこし淡々とした印象を受けるのは、これが小説や第三者のドキュメンタリーなどではなく、彼女の実体験を記したものだからだろう。

 

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雑記

2018年04月15日 | 日記・エッセイ・コラム

先日読了した本はホロコーストに関するものだったが、その日はちょうど13日の金曜日で、別に関係ないとは思うものの、なんとなく書く気がそがれた。13日の金曜日というのは、宗教的には迷信であるらしいのだが、今回アメリカ大統領が、シリア攻撃指示をしたのが13日だったと聞き、なんだかなあ、と思ったりもする。。

アメリカといえば先週はザッカーバーグ氏の議会証言が連日報じられていた。FBで知人たちのTLを眺めてみるが、FBの脆弱性であるとか、ザッカーバーグ氏に関することに触れている人はいなかった。

ちょうど別の個人的な件で、なんとなくFBに書き込むことが億劫になってきている。別に個人情報が心配だからアカウントを消そう、とは思わないし、ほぼFBだけでつながっている人、というのもいるのであれだけど、たまには休むか・・。今でも毎日習慣的に見てはいるが、昔はなかったわけだし。。

昨年古自動車を買ったときは、それまで車なしで長いこと暮らしてきたので、継続的に使うかどうか、様子を観ようという気持ちがあった。実際さいしょのうちはそれほど頻繁に使うこともなかったが、今年になってからは家の用事やらイベントの準備やらで、ほとんど毎日稼働する、という状態が続いている。遠出は皆無で、一筆書きのようにあちこち移動するような用事が一番多い。いろんな人、大きな荷物を載せる機会も多かった。

燃費は昔の車なので、こうした乗り方だとせいぜい7キロ/l行くかどうか。昨年あたりから原油価格は低迷を脱していていて、一時期落ち着いたものの中東情勢がらみでまた戻ってしまった。ハイオク高いのでやめたいが、年末にエンジントラブルの計器ランプがついて(工場で調べたが異常なしとの診断)、以来レギュラーに戻す気にはなれなくなった。日本のハイオクは欧州より過剰に?オクタン価が良いらしいのだが、なぜ各社横並びなのだろう。不思議とどこのスタンドでも、ハイオクはレギュラー+11円ぐらいの値付けになってることがおおい。欧州車仕様ガソリンとして、レギュラー+αの廉価版ハイオクでも売り出せばいいのに。

イベントのほうはひと段落なので、このさきどうなるか。ちょっとした遠出をしたい気持ちもあるが、GWは混みそうだし、時間があるかどうか。。

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望郷

2018年04月12日 | 日記・エッセイ・コラム

12日はペン殿の命日にあたる。

昨年は12日が無理だったので、13日にお休みをいただいて、旧宅から実家の庭に、ペン殿のお墓と、一緒に植えたアジサイを移設した。

既に現宅は借りてあって、一緒に先日掲げたNゲージのレイアウト(いわゆるジオラマ)も、旧宅から現宅に移動したのだ。良く晴れた、ちょっとひんやりとした日だったと記憶しているが、土を掘るのに汗だくになったことも覚えている。朝10時ごろレンタカーを借りて、積み込み、荷卸し、もろもろ全部一人でやったわけだが、どこかで思いどおりに行かなくなる可能性はありえた訳で、一日中結構緊張しどおしだった。前の月までは実家に仮住まいしていたが、この頃は旧宅に戻っていて、この日もレンタカーに乗って旧宅に戻り、たしか車を返した後、現宅のカーテンを注文しに行ったはずだ。

あの頃は、自覚はあったがかなりセンチメンタルな気持ちになっていて、旧宅というか、あの街を離れるのがどうも寂しくてならなかった。

それから1年がたち、さすがに現宅とその近辺にもなじんできた。これまたどうせそうなるだろうと思っていたが、時間がたてば自分も変わってくるものだ。

もしまた旧宅付近に住むことができたとしても、この1年の経験は消せない以上、それはまた新しい街とのかかわりになるはずであって、昔の自分の延長ではないはずだ。


とまあ、それはそうなのだが、今日は偶々時間が空いたので、帰りに旧宅付近に寄ってみることにした。

街そのものは用務で今もよく訪れているから新味はないが、今回はあくまでも個人的なセンチメンタル・ジャーニーである。

建て直された旧宅も見た。まだ新しい住人はおられないようだ。懐かしいというより、ご近所の方にばったり会ったら、どう言い訳したものかと思い、ちょっとはらはらした。

最後はもっと昔の、30そこそこの頃に住んでいた街に寄ってみたが、懐かしいという意味ではここが一番懐かしく思えたようだ。

昼間吹いていた強い風もやんで、なんとなく生暖かい夜。ちょっと若い頃に還った気分だった。

 

写真は撮る気持ちになれなかった。夕食に寄ったいつものラーメン屋さんでだけ。

 

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2018年04月11日 | 日記・エッセイ・コラム

写真家荒木経惟氏を追ったNHKのドキュメンタリー番組を、録りためていた録画から取り出して見たその数日後、ネット上で話題となっていた、氏を告発するモデルさんのブログ記事を読んだ。
 
ドキュメンタリー番組は、七七歳になった荒木氏が、体調不良や片目失明の問題を抱えながら、今も積極的に活動を続けているという内容だった。一方、告発文は、モデルの女性が荒木氏と契約を交わすこともなく、ほとんど無償でヌードなどの写真を撮られ、断りもなく出版や展覧会への掲示をされるなどし、女性の抗議にも誠意ある対応をしてもらえなかったというもの。 
 
モデルの女性は荒木氏を直接非難すると言うよりは、なすがままに流されていた自分を省みるような書き方になっている。基本的には、荒木氏とこの女性との個人的な問題ととらえることもできるが、彼女自身が昨今のMe Too の運動に触発されて声を上げたとしているところから、ある種の社会的な問題提起ともとらえることもできる。
 
もとより荒木氏の写真について、特別な関心を持っていた訳ではないし、写真家個人にもそれほど興味があるわけでもない(そうか、もう七七歳になったのか、とはおもったけど)。番組を見てからすぐ告発文をみたということもあるが、真相云々ということはさておいて、このNHK ドキュメンタリーそのものが、なんかしらけるというか、作り手の主張と受け手の共感性が乖離してしまったという感はぬぐえない。

率直な感想として、こうした人は、いろいろあるのだろう。

写真家、芸術家として、それなりの実力があってこそ、長く名声を保ち続けているわけだし、それは彼個人に人間としての何らかの力が備わっているからできたことなのだろう。そうした力は、時に周りの人に影響を与え、時に支配し、あるいは相手を損なうような形をとることもあろう。

モデルの方にそうした力が無いわけではない。現に、こうした告発文というのはある種の影響力という力を持っている。ひとりの個人には無くても、時代の流れが持つ力というのもある。今はそれがとても強くなって、社会全体を変えつつある。それとて、ある形の力であることに変わりはないのだから、それによって影響を与えられたり、時に支配されたり、あるいは損なわれてしまう人も出てくる。

周りに何も影響を与えなければ、クリーンで望ましい人生なのか、もろ刃の刃を強い意志で矯めることこそ求められることなのか、なかなか、難しい問題ではある。。

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へいとすぴ~ち

2018年04月09日 | 記憶の断片

10数年前、短期間ご一緒した同僚の方が、ランチのときに話してくれたこと。

「このまえ、渋谷の住宅街を歩いていたら、上のほうから『すちゅ~ぴぃ~っど』という声が聞こえてきた。。上を向いたら、窓から顔を出しているちいさな外人の女の子と目が合った・・」

その家は当時、ちょっと注目されていたIT関係か何かの企業の社長さんの家だったらしく、そのあとはその社長の話題になった。

でも、印象に残っているのは、女の子から罵声?を浴びせられた、ことを、まんざらでもない、という表情で話してくれた時の、同僚の話ぶりだ。


その時の同僚さんは、今はさる会社の社長さんを務めておられます。一時期だいぶ苦労をされたようですが。。

まあお互い、色々な目にあうものですねえ。

 

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キッチン越しに

2018年04月08日 | 日記・エッセイ・コラム

リビングの隅に鉄道模型のレイアウト(いわゆるジオラマ)が置いてある。

キッチンで炊事をしているとき、目をあげると電車が走っているのが見える。

もっとも、ふだんは不織布のカバーをかけてある。カバーをしていないと、埃が堆積して白っぽくなってしまい、運転にも影響する。

先日カバーを外してざっと手入れをし、それから2週間ほどそのままになっている。

カーテンを開けても大した風景は見えないが、こうしてキッチン越しに田園風景を楽しめるというのも乙なもの。。

とかいいつつ、さいきんどたばたしすぎて、部屋がまったく片付いていないことの言い訳に過ぎないのだけど。

思い起こせば1年前の今頃、このレイアウトだけ一足先に自分で運び込んだのだった。

引っ越し屋さんでは運んでくれないと思って。旧宅から運び出すとき、ご近所に図らずも披露する形になったのも、懐かしく思い出す。

去年は今頃でも桜が咲いていたんだよなあ。。

 

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安倍恭弘 SLIT

2018年04月05日 | 音楽

なんでいまさら・・なのですが、このアルバム、個人的には今頃の季節感があるのです。。

調べたところでは、発売が1984年12月22日だそうで、僕はたぶん、翌年の3月ごろ、貸レコードやさんから借りてテープに録音したようだ(今回初めてCD購入)。

ので、これを聞いていると、春の宵に、初めて買った「NAVI」(自動車雑誌)を読みながら、来るべき大人の世界に胸ふくらませていたころの自分を思い出す。

安倍恭弘さんはこのアルバムの楽曲しか知らない。たぶんレコードを手にしたきっかけは、前年にCMで使われた(日産スカイライン)のを覚えていたからだと思う。アルバム収録のDouble  Imaginationという曲が使われていた。

 

このアルバムの世界は、なんというか憧れの大人の世界・・ニューヨークに行ったり、車で行った旅の途中で勝気な彼女と別れたり、友達の彼女に横恋慕したり(それが憧れってのはあれですが)・。歌詞の端々に出てくる、車を示すことば(突き刺さるヘッドライト、ガードレールを突き崩していく、ミラーの彼方で点になる・・)も、まだ車など持てない身には憧れをかきたてられたものです。

当時のこととて、日本語英語交じりのかなり気取った歌詞ではありますが、全体のアレンジがなんともカッコいいので、とても自然に感じられる。。この頃を最後に、日本には大人がだんだんいなくなってきた(個人の感想)のですが、この頃はまだ、例えば八神純子さんとか、漫画で言えば課長島耕作とか、そういう世界が成り立つ時代だったようです。


春バテ、という言葉があるそうですが、今日は杉に代わってヒノキの花粉が随分飛んだそうで、なんか参ったわ。。

 

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