うさぎくん

小鳥の話、読書、カメラ、音楽、まち歩きなどが中心のブログです。

ダイアナ

2017年08月31日 | 記憶の断片

別にファンだとか、そういう意識はしたことはなかったが、とにかくテレビをつければしょっちゅう取り上げられていて、すっかりおなじみの存在だった。もとより、婚約の頃からニュースを通じていきさつを知っている。遠くの親戚より近く、はないけど、いろんなことは自然とフォローしていた。

あの日、というか翌日だったのかな、たしか朝体調が悪かったのだと思うが、午後出社することになった。たぶん、出かけるまでテレビ等も見ていなかったのだろう。当時住んでいた最寄駅から昼頃の、空いた電車に乗ると、反対側の座席でスポーツ新聞を読んでいる人がいる。折りたたんでいるので全体が読めないが、どうやらダイアナさんの記事だ。が、断片的に「死」のような文字がちらついて見える。死んだ?いやだな、そんなこと、起きてほしくないなと、目をそむけた。全体の情報を知ったのはたぶん、その夜のことだったと思う。

空いている電車と、新聞を読む人、このシーンが妙に記憶に焼き付いている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

キャスターという仕事

2017年08月31日 | 本と雑誌

岩波新書 購入したのはkindle版 2017年

国谷さんという方は、もちろんお会いしたことはないがたぶん、カメラを回さないところでお話をするときは、とても気さくで話しやすい方なのではないかと想像する。

テレビで見る彼女がそう見えないと言いたいわけではないが、番組の性質がそうだったのか、どちらかというと硬い表情を見せていることが多かったような記憶がある。

この本にもそういう、彼女の職業的な硬さというか、やや身構えたような表情が前面に出てしまっているきらいがある。

お世辞抜きで、国谷さんのジャーナリストとしての姿勢は立派だし大したものなのだが、率直に言って本書も、やや息苦しい感じがどうしてもしてしまう。

 

今はジャーナリズムにとって厳しい世の中だ。言論の自由は以前から権利として認められているが、それを表現し拡散することができる人は限られていた。それが今では僕ですらこうしてネット上に直接意見(というか、よたごとというか、ねごとというか)を掲げることができる。ペンは剣よりも強しなどというが、そういう意味ではアメリカは憲法修正第二条を世界中に広めてしまったといえるのかもしれない。

とはいえ、我々が持っているのはせいぜい小銃だが、既存のジャーナリズムはミサイルランチャーや高性能のレーダーなどを備え、その能力、機動力は個人とは比べ物にならない。

国谷氏も一つの師団を率いるくらいの地位にあったわけだが(あまりこの例えを引きずるのもなんなのだが)、そういう立場でい続けるというのは、はたで見るよりははるかに重く厳しいものだったのではないかと思う。個人の情報収集能力、発信能力が向上する中、持てる力を活用しながら自分たちの存在感を世に問い続けるというのは、簡単なことではなかっただろう。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

つかの間の

2017年08月29日 | まち歩き

毎年行っている絵の先生の個展、今年はいろいろあって行くのが最終日になってしまいました。

8月は個人的にはいろいろあって、「なんだか天気悪いなあ」ぐらいの感覚でしたが、天候は展覧会にもけっこう影響したみたいです。

たしかにあの、ゲリラ豪雨みたいのが来そうなときは外出したくなくなりますよね。

また、カレンダー的に今年はお盆休みが取りやすく、みんな遠くに行ってしまったのでは、とは先生の分析。

ともあれ、僕としては久しぶりに先生とゆっくりお話して、おなじみの作品を拝見することで癒されました。

今年はもう夏らしい日はないのかと思っていましたが、この日は久しぶりに。

ただ、どことなく風がさわやかで、むしろ早めの初秋という感じではありました。

ので、久しぶりにちょっと歩く気に。

もしかしたら教会に入れるかな、と思って訪ねてみましたが・。

ステンドグラスがみたくて。

この辺りをよく歩く方には、どこだかすぐわかると思いますが。

こういうスタイルで家を作ってみたい気もするな。

さすがにもう厳しいかねえ。

通りすがりでしたが、コンサートが開かれているところに遭遇。

ちょっと小腹が減ったので中華街へ。

横浜は、現宅からは直通電車で行けるので、比較的行きやすくなっていることを確認しました。

まあ時間は多少かかりますが、前宅から行くよりはむしろ早いようです。

また時間を見つけて行ってみましょうか。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ぬいぐるみ

2017年08月26日 | 動物 いきもの

なんかばかみたいですが・・、昔実家の車のリアシートにニワトリのぬいぐるみを置いていたことがあり、先日納車になった車にもなにか置いてみようかと、探していました。

Amazonで探して、値段的にも折あって注文したのがこの子。

中国から直送されてきました(すごいひしゃげたボール箱に入ったのが来た)。

「本物そっくり」というキャッチでしたが、まあそれほどでもないかと。

ただ、なんかイメージ違うな感はまだ引きずっていました。

そんなある日、そのときはお通夜に向かう途中だったのですが、駅地下の広場でぬいぐるみが売られているのを見かけました。

ここ、期間限定でいろいろなものを販売しているとこなのですが、今回は珍しくもぬいぐるみです。

HANSAという、オーストラリアのブランドだそうで、本物そっくりに作られています。

まあ、そのときは場合が場合だったので通り過ぎましたが、後日あらためて行って見てみると、確かによくできている。

写真のコリーは実物大ぐらいの大きさで、64,800円の値札が。

これは特別に大きくて、棚には3,000-5,000円ぐらいの小さめのものを中心に並べられています。

犬は種類も豊富。猫は思ったより少ない。うさぎはおなじものがいくつも並んでいたので、売れ筋なのでしょう。

フクロウたち。

ニワトリやひよこももちろんありました。

スタイルや質感(触り心地)はリアルですが、スケールは割と自由で・・。まあそれはそうでしょうね。1/1のゾウなんか無理ですから。

で、小鳥さんはやや大き目かな。セキセイさんもいましたが、ジャンボさんよりもまだ大きいくらい。

ほかにも、ネズミからシマウマ、キリン、かわうそ、羊、あとクモとかイヌワシとか、亀とか、とにかく種類が豊富。

これは上に乗って座れるタイプ。子供が遊ぶことができますが、普通の家庭で買ったら存在感がありすぎかも。

ゾウ、カバ、ライオンがありました。

シロクマ。実物大とは言わないまでも、1.5mぐらいはあり、迫力満点。

下を見ると小熊と子ペンギン。

ペンギンも買えばよかったな。

本当は昔飼っていたシェルティ(シェットランドシープドッグ)があれば、それを買っていたのですが(上のコリーはさすがに大きすぎ)。

迷った末、この子をげっと。

アルとココに見せたら慌ててました(ちょっとわりかったな・)。

というわけでした。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

乳と卵

2017年08月24日 | 本と雑誌

川上未映子 文芸春秋 (hontoによる電子書籍)

ちょっと季節が過ぎてしまったけど、物語の設定とだいたい同じ季節、学校の夏休みが始まっった暑い頃に読み始めた。きっかけは例の村上春樹氏へのインタビュー(「みみずくー」である。

いいですね。

リズム感というか、すこしぬめるような文体は、普通なら読みにくく感じるものだが、不思議と心にとけこんでくる。

川上氏は「みみずくー」で自分はフェミニストだと公言して、文学界における女性作家の立場についてかなり苦言を呈しておられた(この本を手にするきっかけでもあった)が、まあたしかにこれは、男性が書くのは難しいんじゃないかな。

ではあるが、誰にでも自分の中に男性と女性はいるものだし、たまにそういうところを刺激されると気持ちいいという感じはあるんじゃないかと思う。ので、読み進んでいくとだんだん自分とこの女性が融合してきて、変身願望がかなえられたような気持になれる。。テレビ等で見かける、女性姿で活躍している学者さんもこんな気持ちを味わっているのかもしれない。。

子供時代は仲が良かったが、いまは大人になり、ふだん違う環境で暮らしている(同性である)姉、難しい年頃の姪、それぞれの微妙な距離感、という設定も、すごく面白い。当然こういう経験はないが、どこか懐かしい、自分も経験した世界のように思えてくる。親族同士の関係というのは、男女関係なくどこかに共通するものあるのだろう。

これと線対称なアプローチとして、男同士の世界、兄と弟と甥という組み合わせで物語を作ることもできると思う。ただし、よほどうまく書かないと、ごく平凡なホームドラマになってしまい、あまり印象に残らないだろう。そう考えると、本作はやはり女性性に負うところが多いことはまちがいない。

 

まあそれにしても夏が間に合ってよかった。このまま涼しくなっちゃうのものねえ。。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

和の心

2017年08月22日 | 日記・エッセイ・コラム

今でも伝統的な純和風建築は、しかるべきところに頼めば建ててもらうことはできると思うが、一般的にはそのような建築に身近に触れること自体があまりなくなりつつある。

不動産関係も建築関係も素人なのであれだが、普通の住宅は僕らが子供の頃に比べても、和洋折衷の洋の割合がさらに高くなってきているように思う。そのほうが受け入れやすいのだろう。集合住宅でも、畳の間がある部屋は人気がない、と聞いて、驚いたことがある。

鉄筋コンクリートの家に作られる和室は、尺貫法の概念が通じない(これは大昔の団地の頃からそう。畳やふすまのサイズが一回り小さい)ことからして、和風建築とは異質なものだ。ふすまも、つくりとしては洋間の引き戸の表面だけ和風にしたもの、ということが多いようだ。

古い住宅のふすまは文字通り木と紙でできていて、現代の感覚ではいかにも頼りなげな感じがする。おそらく工作には職人技を要し、耐久性もベニヤの太鼓より相当劣るだろう。

(もっとも、すべての和風建築がそういう作りであったかはわからない。偶々前宅はそんな作りのふすまだったが、例えばお城のようなところはまた違う作りであるような気がする)。

前宅は昭和後期の木造住宅で、当時なりのモダンさと伝統を融合させたものだった。

今見るといかにも昭和(40年代)の日本家屋という感じだ。よく人には「のび太君の家みたいだ」と言っていた(漫画の設定ではかなり広い家らしいが)。

これとて、見る人が見たら随分と洋風でモダンな建て方だね、と思われるかもしれない。

 

昔の家は、畳の間がいくつかあっても、ふすまを外すと続きの広い間取りになるような作りが多かった。

来客時などはフレキシブルに使えて便利だが、プライバシーの観点から見るとかなり劣る。

前宅の場合、4つの部屋がすべて壁で仕切られていた。この点、当時としては(思想的に)新しかったのだと思う。

 

よく、昭和時代などとひとくくりで呼ぶとき、それはおおむね1960年代の前半ぐらいの時代を示していることが多いようだ。

各地に団地が建てられ、より西洋風な意匠を取り入れたアコモデーションが流行した。

それは一つの時代としては画期的だったことは確かだが、建築の流行はその前にも、そのあとでも変化している。障子窓がガラスになり(これは戦前からの流れ)、アルミサッシが普及する。それも最初は銀の地色だったものが、黒く染色され、ガラスも厚手のものが主流になる。

ひとつひとつの建物も、時代によってかなり変化があるが、それらがまとまった街となると、新旧様々な様式の建物が、少しずつ表情を変え、街を行く人々、自動車、ポストや電信柱、看板などが時代の移り変わりとともに変化していく。「三丁目の夕日」だけが「昭和」なわけではない。僕らの生きていた「昭和」は、また全く別の世界だった。

どんなものが和風といえるのか、なにがオーセンティックな和風建築なのか、という問いは難しい。ある意味ではどのような建物であれ、この国の歴史上存在した建物は全部和風だともいえるのかもしれない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

古自動車使用記

2017年08月21日 | 鉄道、車、のりもの

自動車のことを書きたいのですが、色々雑事にかまけているのと、季節のせいかここのところ眠くてしかたなくて、なかなかまとまった時間が取れません。。

先週は試し乗りに越生七福神を訪れましたが(シーズンがあるようで、対応されているお寺が少なかった)、あとは家族がらみの用事か、買い物、食事などに使っています。

ご存知の通り雨続きの毎日で、納車以来洗車などはしていません。。

今のところ、特にトラブルはなし。向かって左側のフォグランプが切れているようですが、ちょっとまだ対応できていません。

装備されていたオーディオは、ここ数年のうちに社外品に交換されていたようです。前に少し書いたパイオニアのカロッツェリア(FH-4100)ですが、当初はわからなったBluetooth接続などもできるようになり、音楽はスマホ(Galaxy S6 edge)にダウンロードした、Google Play Musicのデータを使うことが多いです。ラジオの局設定もできました。写真のようにイルミネーションがつきますが、最初はこれが数秒ごとに赤やピンクに変わる設定になっていて、随分とケバいオーディオだな、と思っていました。。設定の方法や表示は90年代風というか、ちょっとわかりにくい感じです。

ハンズフリーフォンも設定して、自宅に留守電メッセージを送ることは成功したのですが、通話時にこちらの音声が通らなかったり、ちょっとまだわかっていないことがあります。

この辺のツールが現代的なのは正直意外でした。本当はというか、古い車を使うからにはカセットをまた持ち出すことになるかな、と覚悟はしていたのですが。ちなみに本機のオリジナルの仕様はCD-MD装備だったようです。

ナビゲーションは暫くのあいだ、スマホ+Yahoo!カーナビでやっていたのですが、安価なポータブルナビをAmazonで見つけて、買ってみました。1万円ちょっとですが、特に問題はないような気がします。

色々ともう少し使ってみて、元気と時間があったら、レポートしてみたいと思います。。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

時代とともに

2017年08月16日 | 日記・エッセイ・コラム

若い人がツイッターで、この時期に放映されるNHKなどの戦争ドキュメンタリーに飽いたなどとつぶやいているのを見るのは、正直あまりいい気持がしない。

もっとも、僕らが若い頃はまだ将官級の人たちも生きていたし、一部の青年将校たちもつい20年ほど前までは健在だったものが、今ではその世代も100歳に近いとあっては、番組を作る人たちの苦労も並大抵のことではないだろう。

他方、「この世界の片隅に」などが根強い支持を集めているのだから、若い人たちが往時の日本の状況に関心がないという訳でもなさそうだ。

今は今なりの、高度成長期にはその時なりの、戦時もその時期なりの、時代性というのはもちろんあるし、「三丁目の~」とか、連続テレビ小説なんかを見ていると、そういう時代性が前面に出たような表現をされることが多い。それがあまり強調されると、異質な世界、という印象が強くなってしまう。

その一方、人と人、社会と人、時代と人との関係など、いつの世でも変わらないものも、日々の生活にはたくさんある。時代劇(明治、江戸時代以前など)はそれを楽しむというか、味わうもの、(というとらえ方もあるんじゃないかな)。

戦時の日本人たちの行動や生活を伝えるのは、何も証言者を集めて語らせるのが唯一の方法という訳ではない。「この世界の~」は、観客を当時の日本人の視点に引き込んでおいて、すずさんたちと一緒に戦争を体験しなおすことで、観客に強い共感を与えていたのだとおもう。当時の人にしても、戦争は全くの非日常だったのだし、みんなが笑って暮らせるのがいい、と思っていたという点では、現代と何ら変わることはない。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

まだ

2017年08月15日 | 鉄道、車、のりもの

色々と立ち直っていないようです。

世間は夏休み、ですね。。

駅を歩いていると、ここはターミナルなので旅行姿の人が目立つ。

先日礼服と黒ネクタイで歩いていたとき、旅行鞄+短パンの彼らとすれ違い、また追い越しながら、なんとなく敵意、とまで行かないが、彼らを邪魔にしている自分にふと気が付いた。そんなの、自分でもあほらしくなるような感情ではあるのだが。

それにしても、ここに来て雨ばかりだ。

同僚も体調を崩し、今日はマスクをしている。電車のエアコンも効きすぎ、オフィスの空調もだめだ。

連日猛暑でも、それはそれで困るのだろうが。

国際ニュースもいささか剣呑だ。

あのときが世界史の潮目が変わるきっかけだったと、あとから思うような事態に陥りかねない。

長閑な観光客たちの姿が、余計場違いに見える。たぶん、ニュースがどれだけ深刻なことを伝えても、今はあまり感じないのだろう。

というか、彼らはそこまで読んで行動してるのかもしれないが。

先日来た車を少しずつ動かしている。

スマホのナビはたしかに一応使えるのだが、安いポータブルナビを試してみようか。。

古い車だが、オーディオは近年変えたらしく、Bluetoothつきのコンポがついている。スマホと連携して、ハンズフリーは試してみたが、声はきれいに入るみたいだ。

スマホのオーディオソースも問題なく再生できる。

ラジオのプリセットがまだできていない。やり方がわからない。

音質はソース次第だが、ちょっとfレンジが狭いようだ。特に低音がすっぽ抜けている。

イコライザで調整したが、操作メニューが分かりにくい。

パイオニアのカロッツェリアですが、なんか高級なブランドネームという印象だったけど、あれですね。。

型番で検索すると、おねだんがこんなものなのね。。

それはともかく、ポータブルナビとBluetoothで、装備は現代の車並み、ということに。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

追われる日々

2017年08月13日 | 日記・エッセイ・コラム

だいぶ間が空いてしまいました。

法事、それに先立つ形で恩師の突然の訃報、仕事のやりくりと、色々と追われる日々でした。

これは自分の最近の傾向です。とにかく日々追われる。

 

同僚、部下の気遣いに感謝しつつ、こんな時にわかる、仲間内での自分の微妙な立ち位置の変化など、あれこれ感じながら。。

いつの間にか自分が「遠くから来ているひと」になっていたのにはちょっと苦笑い。。

 

そんな中、車が納車になったのですが、ディーラーさんが置いて行ったまま、4日も何もせず、ドアすら開けていませんでした。

ナビがないので、スマホでYahoo カーナビを使って代用しましたが、結構これで用が足りますね。。

 

画面が大きいほうがいいだろうと、4年前のNEXUS7を引っ張り出して再利用しようとしましたが、うちのはwi-fiモデルなのでちょっと無理なようです。

位置情報さえ取れればいいのかと思っていたけど、やはりネット通信は必要みたいです。

自宅から少し離れると、画面がブラックアウトしてしまう。

 

仕方ないのでスマホに戻しましたが、5.1インチのGalaxy S6 edgeでも、まあ非常に困りはしない。

Amazonには1~2万程度のポータブルナビが出ていて、どうしようかと思いますが、ようすを見るかな。

別の問題としては、スマホで地図を出しつつ、Bluetoothで音楽を演奏しながら、ハンズフリーで電話をかけると、あまりにもスマホを使いすぎ、ということはあるな。。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

週末

2017年08月05日 | 日記・エッセイ・コラム

先週末、鼻炎で苦労したと書いたが、月曜に医者に行って処方薬をもらい、今は治療している。

先週のようなひどいことにはならないが、まだ症状が全く止まっているわけではない。それと、どうも疲れやすいようだ。

季節が入れ替わったように、梅雨明けしてから天候不順になったということも原因かもしれない。たしかに朝夕は涼しくなった。

また同時に、雨もよく降るようだ(地域によってはかなり酷い天候のところもあるようです。お見舞い申し上げます)。

会社の子もここに来て調子が悪いようで、少し心配だ。

電車の中でも、旅行鞄の人が増えた。

先週はオフィスの入居するビルの納涼会、週末は行幸通りで盆踊りと、オフィス周辺もお休みモードに入りつつある。

先日から始まったスポーツイベントでは、佐藤琢磨氏が登場、通りを仕切ってカートの実演を見せてくれた。

偶々通りがかったら人だかりがしていて、のぞいてみたらちょうど始まるところだった。

 

今日も何かあったようだが、僕は仕事先のセミナーで早くにオフィスを出たのでそれは見ていない。

とりあえずホッとした週末だが、明日はおそらく仕事、そして法事その他、多少慌ただしくなりそうだ。

 

*次回更新まで少し間が開くかもしれません。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最後の秘境 東京藝大

2017年08月01日 | 本と雑誌

電子版で買いましたが、いつもならタブレットに表紙を出して写真に撮っているのに、今回買ったhonto版はなぜかこのカラフルな表紙が出てこない。ので、すみませんがあまぞんから拝借しました。

二宮敦人 新潮社2016

昨年本屋で平積みになっていたころから気になっていたのですが、けっこう売れていたようで在庫がなくなり、春になってようやく電子版で買いました。

芸大というか、美大はなんとなく憧れがあって、社会人入学(電車などで広告されている通信科など)について恩師に相談したこともあったが、そんなに生易しいものではないらしい。その努力を別のほうに向けた方が得、という助言だった。

それでもというか、美大生への憧れというのは、その自由さにおいてであって、昔はそんな話を聞くとなぜか心躍る気持ちになったものだ。

本書にもいわゆる世間的には変人ととられかねない人がたくさん出てくる。まあ紙一重というか、極限まで才能を突き詰めるような方たちなのだろう(筆者の奥様もかなり自由な型のようですが)。統制された世界と、自由な世界。ハイドンを聞いた後で、なんだろうたとえばリー・コニッツを聞いた時の自由さとか。そう、ただめちゃくちゃなことしているだけだったらあれですが、やはりそこには人の根源を揺さぶる何かが、彼らの人生には表出しているのでしょうね。。

残念ながら僕はもう、伸び伸びと手足を伸ばして世間を渡るようなことはできそうにない。あれこれ忖度しまくって、うまく接点を見つけていくことで精いっぱいだ。おそらく同時に、自由さに感応する感性も摩滅しつつあるのかもしれない。

詳しくは書けませんが、知り合いにこちらの学校の出身の方が数人います。一人の方いわく友達が出ているのでおどろいた、と。別の方とはもう長いこと会っていませんが、学生時代、学校の屋上で物置代わりに使われていた古い冷蔵庫を見つけ、中にあった金鋸で一緒にコンプレッサーの配管を切って遊んだ?ことが忘れられません。。なぜか一生懸命になって銅のパイプを切ろうとしていたのだけど、最後に「ぷしゅ==」とかいってガスが抜ける音がした。古い冷蔵庫なので、たぶん中はフロンガスだったろうに。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする