ネットでBOTを検索しても、ロボットの略、としか出てこない。もともと世間一般に使われていた略語ではないのだろうけど、自分のいた職場ではBOTとは東銀、The Bank of Tokyoのことを指した。
大手銀行の再編が一気に進んだのは’97年ごろ、山一証券、三洋証券、そして北海道拓殖銀行破たんしたころからだと思うが、東京銀行はそれより少し前、1995年の春に三菱銀行と合併し、姿を消した。東京の名前だけ、三菱東京UFJ銀行という長ったらしい名前の一部に残していたが、これも昨日からなくなってしまったのは、ニュースで伝えられたとおりだ。
’97年の金融危機のことを先に書いたが、13行あった都銀はそれ以前から少しずつ再編が進んでいて(太陽神戸+三井、協和+埼玉)、次第に体力勝負の様相を呈するようになっていた。東京銀行はもともと外国為替専門銀行で、他の全国銀行とは違う地位を与えられてた。支店の数もたしか国内に30ぐらいしかなかったと思う。1980年代に入り、他の大手行も外為に本格的に参入し、東銀がいずれ何らかの事業再編を迫られることは、既定の事実になっていた。
時期は忘れたけど、年配のメッセンジャーの方が、東銀と三和(のちのUFJ、転じて現三菱UFJ)と合併するらしいね、と聞いてきたことがある。そのときは本当に知らなかったので、いや、聞いてませんよ、と答えたが、その方は東銀が消えてしまうことをかなり本気で心配し、残念に思ってたようだ。
三菱は、都市銀行の中では上位には位置していたが一番ではなかった。それがこの合併で一気に国内最大、世界でも有数の大銀行に上り詰めることになった(当時は円高が一気に進んでたしか90円弱ぐらいまで行ってしまい、ドル建てで計算するとすごいことになるという、いつもの構図)。今日的な視点では、三菱はメガバンクでももっとも目立つ存在なので、そんなに違和感がないが、当時はあの三菱がねえ、という意外感はあったな。
とはいえ、東銀は独特の行風-なんとなくバタ臭い-があり、それにくらべると三菱はちょっと雰囲気ちがう感じがしたので、そこから来る寂しさというのは、外部者である自分にもあった。東銀マンというのは、外大とかを出て、海外赴任とかを経験し為替に詳しい特別なエリートだったのだ。よく地方の銀行とか相互銀行などが、東京支店で外為本部を作ったりすると、東銀出身の人を呼び寄せて指揮を執らせることが多かった。一般の行員は外為を知らないからだ。自分のいたところ(外国銀行の東京支店)にも、東銀の人がいた。日銀や監督官庁にパイプがあるからだ。
東銀の事務センター出身の子と仲良くなって話すことがあったが、事務センターの上司は英語ぺらぺらの超エリートだったが、なにかがあって、事務センターにやられたらしく、腐ってどうもやりにくい人であったらしい。。ただ一般には、東銀の人は辞めても引く手あまた、という状態が普通であったようだ。
で、上の写真だが、これは入行してすぐに、受けさせられた外為講座の終了証とテキスト。東銀の関連会社が主催していた、金融関係のセミナーのひとつ。外国為替はまだ特殊な世界だったので、東銀の子会社が主催していくつかの講座を開いていた。
場所は今のiiyoがあるビルもあたりだと思う。東銀ビルという、戦前の建物のような古いビル(詳細不明)がそのころ建っていた。この地図も古いというか、まだ国鉄本社なんて、、と思ってみていたが、考えてみると民営化はこの少し前のことだった。古いことは確かで、たぶんこの地図の中で、今でも当時の建物のままなのは海上ビルぐらいじゃないかな。
こんな話、ふだんは(なんだか偉そうできまりが悪いし、昔話ばかりするおっさんってのもなんなので)したくないのだが、まあたまには。。
詳細はもちろん書けないが、今日オフィスで懸案となっていたことが、一応決着した。
納得がいかないことばかりだし、考えるとやりきれなくなるが、仕方がない。
矢面に立った上司から報告を受けた。普段は困らせられることの多い上司だが、この件に関しては気の毒に思う。
といって、あれこれ話しても(口を開くと話過ぎてしまう人なので)どうかと思い、あまり余計なことは言わず、事務的に挨拶して部屋を出た。
用務のため本当に乾杯のときしかいられなかった夜の集まりでも、お疲れさまでしたぐらいしか言えなかった。
情のない奴だ、と思われているんだろうな。。
ひんやり、しっとりとした夜。悪くはない。
ここまでそういうことは考えずに来れたが、ふと、自分は今、大変長期の旅行に出ているところで、あの街に帰って角を曲がれば、旧宅がそっくり残っている、という妄想が頭をよぎる。
闇夜というのは、その先に色々な妄想を描くことができるものだな。悪くない。
タカヒロほど若くないので、ストレートなきつさは感じないのですが、色々と、きてはいますよね。。
誰かと会いたいという気分じゃないな・。
しかし・。
明日はまた気持ちを切り替えて。
ところでアルって、ココとこんなに体格の差があったっけ?写真のマジック?
日興アセットマネジメント株式会社主催の、イアン・ブレマー氏*(ユーラシア・グループ主宰)講演会に行ってきました。
このタイミングでお話を聞けるのは貴重です。なにしろBrexitの前日ですからね。
ちなみにブレマー氏は今のところ残留だろうと思うが、わからない、との見解でした。
ブレマー氏は表情豊かで、非常にわかりやすい英語で話される方でした。同時通訳いらないくらい。
なんとなく厚切り何とか氏を連想してしまいましたが。
ヨーロッパ大陸と中東の話、テクノロジーと地政学の話など、興味深いお話を伺いました。
詳しく書きたいのですが、なにしろ今週は忙しくて、ちょっとまとめられないようです。いずれ日経新聞や、日興のウェブサイトに掲載されると聞いております。
失礼。
写真は今日から26日まで開催されている、イギリス・フードフェアとミニのイベント。この時期に開催するとは、何とも絶好のタイミング。確信犯でしょうか?
*追記:Ian Bremmer氏の表記をブレーマー氏からブレマー氏に訂正しました。クレーマーとか、Blameばっかりしている人みたいですよね。。失礼いたしました。
昔は社畜とかブラック企業なんて嫌な言葉はなかった。でも、昔から過酷な労働を強いる会社はあったし、むしろもっときつかったような気もする。こういう言葉が近年聞かれるようになったのは、日本企業のマネジメントが、未だ過去の成功体験に縛られていることの現れではないかと思う。
日本の多くの企業はかつて終身雇用、年功序列が原則で、それが、日本企業の強さの秘訣であると論じられていた時代もあった。ほんの30年くらい前の話だ。日本企業の社員たちは共同して過酷な労働に耐え、共同体の厳しい人間関係に絡め取られていたが、その見返りとして生涯にわたる生活の安定を保証されていた。
高度成長がおわり、世界的な景気後退に見舞われた後も、日本だけは好調を維持し続けたことが、学者達に日本の良好な労使関係に目を向けさせた。80年代を通じて、欧米社会はそれまで自分たちがやっていた方法に自信を失いつつあった。そうした風潮も日本が脚光を浴びることに貢献していたと思う。
もうその頃既に、一部の構造不況業種ではその兆候が出ていたのだが、バブルが崩壊して企業が勢いを失い、更に日本全体が勢いを失ったとき、この日本型の労使関係はほころびを見せはじめる。若い頃、懸命に働いてきた人たちは、終身雇用、年功序列というはしごを外される。他方、社員を酷使し、縛り付けるという習慣は昔のまま、あるいは社会の厳しさを受け更に強化される。
昔はそうやって会社を大きくしてきた、という記憶が今でも社会全体に残っているのだろう。しかし、一言で言ってしまえば、もはやそれはシステムとしては「片手落ち」であり、昔うまくいったようには機能ないことに気がついていないのだと思う。
などと、柄にもないことを書いてしまった・・。「社畜」って、僕のイメージから言うと草食系の羊みたいな社員たちで、別に社長のとりまきである牧羊犬型社員がいて、その犬の指示に黙ってついていく、という感覚だったのだけど、ウェブをみているとどちらかというと「犬」の方を社畜というみたいですね(企業に飼い慣らされて一般的な倫理観と自由意思を失う)。
10/17舌足らずな表現を加筆修正しました。
別の話題も用意してあったが、もうちょっとだけ引きずります・。 いつの間にか10月に入り、季節はすっかり秋になったが、昼に外に出たらツクツクボウシが鳴いていた。先月末頃なら夏の終わりを告げる声として、寂しくも感じたろうけど、今聞くと、ちょっと・。
藤田氏のブログは、その後もネット上での反響は結構大きく、まとめ記事も作られた。
確かに僕を含めた多くの人は、ブログの内容を見て素直に反応したのだが、今日になって考えてみると、ひょっとしたら藤田氏に「釣られた」のかな、という気持ちに、だんだんなってきた。
先ほどのまとめ記事では、PR会社の本田哲也氏のFB上での発言を紹介している。経営者のメッセージを、外部メディアを利用して社内に伝えることで、インパクトを高めようとしたのでは、という見解だ。
誰をどう動かしたかったのか?という目的次第で、今回の成否は判断すべき。
続いてフォロワーの方とのコメントに対する回答として
手段への批判なのか、目的意識への批判(あるいは賛同)なのかを明確にしたコメントが求められますね。そこが整理されてないのは、日本特有の傾向だと思います
藤田氏ほどの人が、内外の反響を考えず一時の怒りに駆られて、あのような文章を書くとは考えにくい。おそらくある程度こうなることを想定して、その効果を狙ったと考えるべきだろう。
もっと言えば、この程度の「悪役」を買っても、自分の統率力や経営者としての管理能力への影響は大きくない、と判断されたのだと思う。むしろ、人材流出や、社内引き締めの効果、メリットの方が大きいと。
だとすれば、その経営手法はたいしたものだな。ただ、僕としては、この藤田氏のメッセージを受けて彼に真っ向から挑戦できるような社員、ライバル会社、人材会社がでてくれると、面白いと思う。
要するに彼の目的意識には賛成できない。
夕方オフィスのPCで読んで、会社の子と話題にしていた。夜にまたPCをみたら、各方面でだいぶ反響を呼んでいたようだ。
日経ウェブの経営者ブログ(サイバーエージェント・藤田晋氏)の記事のことだ。タイトルは「私が退職希望者に「激怒」した理由」という。
会員以外の方は購読できるかわからないけど、記事はこちら、藤田氏の個人ブログはこちら。
内容は、若い社員が同業他社から引き抜かれ、退職願を出してきた。藤田社長は激怒し、あえてそれが社内に伝わるようにした。理由は事業立ち上げプロジェクトの責任者でありながら、投げ出したこと、しかもその社員は過去に失敗して会社に損失を与え、今回は2度目の挑戦の最中であったこと、更に退職の理由が他社からの引き抜きであったことだ。
以前、自社で引き抜きを行った際、業界2位以下の会社は比較的寛容だったが、首位の会社は大変激怒していた。この厳しい態度こそ、業界首位を保つ理由なのだと思った。私があえて毅然とした態度をとったのは、そういう理由からだ、というもの。
日経には読者コメント欄があり、ざっとみたとき、年配者は藤田氏に理解を示す人が多く、若い人は反対の立場をとっているように見えた。ので、会社の子に感想を求めると、事情がわからないから何ともいえないが、どっちもどっちでは、というものだった。
その後、もう一度ブログと感想を詳しく読み、僕も匿名でコメントした。内容は、藤田氏の気持ちもわかるが、やはり疑問。第一に退職は従業員の最終かつ最大の決断であり、理由の如何を問わず尊重すべき。第2にプロジェクト途中の担当者退職は最終的には社長の責任であり、やめた社員に怒るのは責任転嫁だ、というものだ。藤田氏のブログは普段、それほどコメントがつかないが、今回はかなり賑わっているようだ。
コメントでは気を遣って?気持ちはわかるが、と書いたが、直感的には藤田氏の主張は全く理解できなかった。その気になればいくらでも突っ込むことはできるが(facebookをみたら、誰かがこちらの記事をシェアしていた)なによりまず藤田氏は社員を掌握できず、おそらくは人選を誤り、一時的にその新規事業を停滞させているのである。会社は株主のものだ。経営者として、その責任をなんと心得ているのだろうか?ブログの読者にはサイバーの株主や、利害関係者も多いはずだ。
今日の社会においては、従業員は丁稚でも徒弟でもない。経営者と従業員は立場の上では従属、指揮命令の関係にあるが、関係を解消することは(一定の条件の下)自由だ。辞めればお互い対等である。
あれだけ目を掛けてやったのに、恩を仇で返しやがって、とひとりで腹を立てているのは、むしろ理解できるが、「こないだ辞めた奴は無責任で恩知らずのふてぇ野郎だ、おまえらも気をつけろよ」と、社長が社員にいうなど、筋違いも甚だしい。
少し前にも、エステ関係の有名な社長が、労基法通りにやればうちはつぶれる、と発言して話題になったが、今回の件にも、日本人に染みついてとれないタテ社 会の意識を強く感じる。先日紹介したの山本七平氏の本にもあったが、捕虜になった英米人が、すぐに自分たちで役割分担を決めて、自治組織を作ったのに対し、日本軍捕虜はそれができず、暴力団のような組織ができて自然と暴力で統治されるようになった、という。各担当者はそれぞれのエキスパートであり、そこに上下はない、という欧米に対し、おまえは俺の子分、俺の言われたとおりにやれ、ということが常に意識されるのが日本人の、本質、なのだろうか・・・。ひとりひとりが、自分たちで作ったチームの一員なのだから、自然責任感が生まれるし、自分で考えるようになる。命令されて無理矢理やらされるのはその逆だ・・。
藤田氏は若手経営者のホープであり、サイバー社も新興の企業として注目されているだけに、ショックは大きい。
組織が成熟してくると、経営にはどうしても内向きの力がかかり、企業の存在価値である顧客創造から外れた行動をとるようになる、というのはピーター・ドラッカーの言葉だ。
この言葉から想像されるのは、伝統的、安定的な老舗企業のような組織だ。しかし、実際には比較的若くて小さなところであっても、内向きの傾向を示す組織というのは存在する。
僕自身、これまで実際に悩まされてきた。なぜこのような傾向がおこるのだろう。
一つ考えられるのは、その組織の母体となった組織が、内向き、硬直的である場合だ。大組織の子会社、外資系企業の在日法人などは、法人格は別でも人的には大組織の一部なのだから、ある意味では当然なのかもしれない。
でも、結構どこもこれに悩まされている。母体組織の優れた伝統を広めることと、現場に溶け込み柔軟に対応することとを両立しないとならないから、現場のものは非常に悩まされるのだ。
もう一つ感じていることは、組織の人そのものが既に、あるいは資質的に内向きである場合だ。
わかりやすいのは大企業出身の社員が、新たに設立した会社で従来のやり方を踏襲すること、つまり大企業病だが、これはお互い見つけやすいし、自分でも注意ができるので、案外大きな問題にはならないかもしれない。
自分の身の回りの人のことばかり気にしている人が、組織の重要な地位にいると、組織全体がそれに引きずられて内向きになりやすい。こういう人は概して、それに同調する、自分と似た人を近くに引き寄せるので、組織内が同質になりやすい。
大企業病というのではなく、経歴や才能が普通と異なっている人。ある種の才人。こういう人が、組織を動かそうとすると、時に自分の流儀と組織との兼ね合いに足をすくわれてしまい、周りが見えなくなることがある。
困るのは、こういう人は外部と接触しても、自分流のフィルターを通して普通と違う解釈をしてしまい、余計に世間離れしてしまったりする。自分では世の中のことを直に見聞していると思っているから、周りがそれをチェックすることもできない。
このタイプの人はトップには向いていないのだが、そうでなくても苦労することが多いようだ。確かドラッカーの著書でも、別の形で触れられていた(「優秀なビジネスマンが、転職先で成果を出せない。それは組織に求められていることをするのではなく、今までやってきたことと同じ仕事をしようとするからだ」)。
女性が、などというと昨今すぐ批判を浴びせられてしまいそうだが、傾向として女性の管理者は内向きになりやすいところがある。いわゆるmeddlesome old woman、世話焼きばあさんという言葉があるが、よく言えば組織を完全にコントロールしようとしすぎる、ということか。もちろん、男性にも細かい人はいるし、僕自身もバランスのとれた尊敬すべき女性の上司たちと仕事をしてきたことがある。
内向きの組織の人たちに、自覚症状はあまりないようだ。外から入って来た人は、順応できる人と次第に拒絶反応が酷くなってくる人とにはっきり分かれる(はじめから受け付けない人はそもそも入ってこない)。
どこかの時点で切れてしまって、外に飛び出す人もいるし、苦しみながら長く居続ける人もいる。実際どうなのかは知らないけど、僕の感覚ではヤクザの人たちの社会に近いのではないかと思う。まあ、外に飛び出せば、そいつは裏切り者、ということだな。
先に書いたように、企業規模の大小や、歴史にかかわらず、内向き組織は多く、大成功はしないにしても、淘汰はされにくいようにも思える。そこにはむしろ、生き残れる何らかの強みすら感じる。
ドラッカー的には、内向き組織は淘汰されるべき存在なのだろうけど、現実問題としてはそういう組織で生涯を送る人も多いし、それに満足している、あるいは 表向き不満がないようにしている人も多いと思う。よく考えると日本全体が内向きなのかな、とも思えてくるが、話が広がってしまい過ぎるので、それは置いて おく。
と、思ったけど、思考は止められない。やはり社会が内向きなら、その構成員である我々も、ある程度内向きの組織を容認するほうが、合理的なのかな・・。
だんだんわからなくなってきた。
ドラッカーは05年に亡くなったが、ちょうどそのころ、書店に並んでいた、The Daily Druckerというのを買ったことがある。1日1テーマの、いわば金言集である。英語の勉強にもなるかな、と思って買ったと思うが、これ、文章は結構難しい。最初カレンダー通りに、1日ずつ読んでいったが、たぶん途中で挫折していると思う。これを書いているのは3月27日だが、この日のページは"Command orPartner"だった。
今回参加資格として、ドラッカーの著作を1冊以上読んだことのある人、とあったのを見て、この本を思い出したのだが、全編読んでいないので、本当は失格だったかもしれない・・。そういえば、「もしドラ」がはやった頃は素通りしていたな。
とはいえ、冒頭行われたドラッカー・テストは6割正解で平均点クリアだったぞ!
もっとも、このセミナーはそんなに堅苦しいものではない。また、ドラッカーの「教義」を頭に詰め込むようなセミナーでもない。皆が興味のある課題を選び出し、それについて数人でテーブルを囲んで話し合う。これを、相手を変えて数回繰り返してまとめていく(ワールドカフェ、と呼んでいた)というセッションが中心だった。
会場は、子供の絵やぬいぐるみ(発言者はそれを手元に置いて話す)の置いてあるような、カジュアルな雰囲気の部屋で、飲み物を飲みながら行われた。参加者は僕と同じ年代の人が多いが、若手の人、中堅の人も結構多く、またコンサル会社の人も一緒に参加して一緒に考えていた。
印象的だったのは参加していた皆さんの頭の切れの良さだ。僕など、質問の意図を酌んで答えるのがへたくそだし、結果を簡潔に表現するのも四苦八苦だが、参加者の皆さんは短時間で見事に話をまとめていく。若い人たちを含め、皆さん立派なものだな、と感心した。
ワールドカフェはドラッカーとは直接関係ないようだが、初対面の皆さんと、胸襟を開いて話し合いすることができたのは、得難い経験だった。
当日の帰りに見た夕日。いつの間にか日が長くなった。
知人とランチしながらそんな話をしていた。
上海自由貿易区は将来、金融面、その他で香港の脅威となり得る。
これまで大陸とくらべ様々な面で優遇されてきた香港だが、上海が同等の地位を獲得していくと、香港も北京の顔色をうかがわないといけなくなってくるかも知れない。
なるほど。それが狙いなのか・(何を今更?見方が浅いぞ!といわれるかな・。)。
良く思うのだが、色々問題を抱えながらも、北京の影響力は中期的には相当程度まで強くなっていくだろう。日本だって、影響を受けないはずはない。今の日本人がふつうに持っている価値観-おそらくは戦後アメリカの価値観の影響を強く受けてきた-や、いままで僕らが当たり前のことのように思っていたこと、色々な自由や公正さなども、将来はまた違った姿になっているかも知れない。たぶん自分たちも気がつかないうちに。
そういえば、米大手通信社が、中国指導部の親族の資産に関する記事を「自己検閲」の結果配信中止になった、というニュースを見た。ああ、アメリカのメディア・・・。