うさぎくん

小鳥の話、読書、カメラ、音楽、まち歩きなどが中心のブログです。

くにがら

2023年08月31日 | 日記・エッセイ・コラム
先日行った宇都宮ライトレールの終点付近。移動範囲が限られているので電線が見えますね。。近頃は加工で消せるみたいですけど。

今月に入ってから改めて「日本の一番長い日」と「ヒトラー最後の12日間」を観て(DVD録画)、書籍で高見順「敗戦日記」夢声戦中日記(敗戦の記)を読み返している。

それで、今更ながら気が付いたこと(これを読まれている方は勿論、世間の皆さんは色々お詳しい方も多いので、恥ずかしながらですが)・。

映画では示されていないが、いわゆるドイツ国(ナチス政権下)の後を受けてフレンスブルクに設置された臨時政府はわずか3週間で解体され、その後東西ドイツが成立するまでの占領下において、ドイツに中央政府は存在しなかった。

日本では降伏を巡り政府内で議論が分かれたが、少なくとも国体の護持という点だけは意見が一致していた。その他諸事情もあり、少なくとも形の上では占領統治下においても日本国政府による統治は継続している(沖縄、小笠原諸島、北方4島等を除く)。分割直接統治の可能性も検討されていたといわれる。今日のような日本の姿があるのは決して必然ではなく、あるいは日本人同士で悲惨な抗争を繰り返す歴史が重ねられていたのかもしれない。

イタリアも大戦後半に国が割れた。日本はドイツ介入により成立したイタリア社会共和国を承認し大使館を置いた。一方イタリア王国(連合国に降伏)は戦争末期に日本に宣戦布告している。
日本はサウジアラビアとかイランからも宣戦布告を受けている。最後はソ連も参戦したが、そんな情勢を見たら、誰が見ても絶望的になっただろうな。

それはともかく、今の日本人とその政府、為政者との関係というか、日本人の為政者に対する意識というのは、先の大戦を含むこれまでの歴史が色々な形で影響して、今日に至ってるのかしら、と思ったりした。

余談というか、二つの映画を見ていると、日独政府関係者の敗戦間際の描写が対照的だ。ドイツでは地下壕でダンスパーティをしたり(退廃的!)、飲んだくれた末にピストルで頭を撃ちぬく。日本では青年将校はイキって当たり散らし、閣僚は終戦詔勅の文章を巡って議論している。

なんというか、色々違う。

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宇都宮LRT出発パレード

2023年08月27日 | まち歩き
8月26日に開業した宇都宮LRTの出発パレードを見て、終点まで乗ってきました。

乗車の様子は鉄道部に書きますが、ここでは記念行事の一環として行われた、ライトラインパレードの写真を掲げます。

当日の式次第は午前10時から関係者による開業式、11時10分から発車式、そのあと招待客を乗せた一番電車が走り、併せてマーチングバンドがパレードを行います。
開業式、発車式は実見していません。僕はパレードの終点(東宿郷電停)付近に移動してそこで電車を待ちました。

4年前に祝賀御列の儀を見ていますが、その時よりは人の数は少ない感じでした。とはいえ、フェンスの真ん前には立てなかったのでこんな感じです。

電車が来ました。
中央右に赤シャツ、みどり帽子の方が見えますね。

ニュース記事なのでいずれリンク切れすると思いますが、記者カメラマンが撮った映像がこの記事に掲げられています。
ここでも上記の方が映っているので、自分も映っていないかと探したのですが、見つけられませんでした。

電車はここで一旦停止し、これから交差点を舞台にパフォーマンスが始まります。

以下写真をまとめてずらずらと掲げます(16枚)。





これは沿線各地区の住民の方々が書かれた寄せ書き入りの旗。

この記事入力画面右にある画像投稿の欄にドラッグ&ドロップで画像をアップするのですが、複数同時にアップすると順番がめちゃくちゃになる、気がします。。仕方ないので、小さな絵の模様見て順番に並べています。


申し上げるまでもなく、ものすごく暑いです。


Pentax KPをLVモードにして可動モニター(チルトのみ)を下に向けて撮影しましたが、KPはLVモードで使うと電池消耗が激しく、この場所を離れる頃までに電池交換しました。
モニターもこの炎天下では視認が難しく、一六勝負で撮影しているようなものです。

現用カメラのうちOlympus E-PL9は液晶可動しますが下方には向けられません。液晶が上下左右可動なのはうちで持ってる中ではLumix-G3がそうです。こいつは軽くて良いのですが、なにぶん12年前(発売日)のカメラです。

その後継のG6は良いカメラでしたが今は手放して手元にありません。こいつも10年前のカメラですが中古で2万円はするみたいです。G7以降はさらにたかい。

性能とコスパを考えると、G3をまた持ち出す機会もあるのかもしれない。


このあと、いよいよ電車が出発です。
午後にかけて数本電車が動きますが、一般の人はまだ乗れません。
運転開始は午後3時から。それも3時台、4時台は整理券を持った人のみ乗車可能(宇都宮東口から乗る場合)。

このあと、マーチングバンドが再び演奏を始めて駅の方に引き返します。

高校生かな。


おつかれさまでした。

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例のデパート

2023年08月24日 | 社会・経済

投資ファンドに売って家電量販店を入れると言ったら区長が怒ったり組合がストライキするぞ!という状況になっている、例のデパート、には、こどもの頃良く行っていました。

毎月服を注文してたとかじゃなくて、模型売り場に入り浸ったり、本屋で立ち読みしたりしていたのです。

友達に誘われて、新聞社系の若者向けミニコミ誌かなにかの、企画室?談話室?に行ったことがあります。なぜか、そのデパートの一角にあったのです。
中学のときだったかな。行ったら同世代の女の子が数人いました。
男子校だったので日頃女子と話す機会がなくて、なんだか緊張したのですが、友達はやたらと社交的で、お・こいつそういうやつか、とか思ったことがありました。

模型売り場の店員さんとは仲良くなって、数百円ぐらいのパーツを度々買いに行ってました。デパート主催でペーパーキット・コンテストというのを数年やっていたのですが、それに出品して、選外だったけどしばらく店頭に展示してもらえました。

あの頃の百貨店は文字通り大根も薬缶も礼服も売ってたし、こどもはバルサ板やネジや糸鋸の刃も買うことができたのですが、今はできないのでしょうね。

知人が出店したりしてたので、ここ10年新宿銀座日本橋のデパートには行ってますが、どこも少なからず昭和感が横溢しています。だから良いのだ、となると、家電量販店がガチャガチャ店内放送を流すのはあれかもね。。

先日の日経では、ひところのように株主(出資者)だけが幅を利かせるようなのは近頃流行らなくて、すべての利害関係者(ステークホルダー)を満足させることこそ肝要だ、という方向に世の中変わってきつつあるそうです。
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た~んしぐなる

2023年08月20日 | 鉄道、車、のりもの

今の日本車はステアリング・コラムの右側に方向指示器(ライト)、左側にワイパー関係のレバーがついている。これに対し外国車は右ハンドル、左ハンドルに関わらず右側ワイパー、左側方向指示器となっている。先日読んだコラムでは少数の例外としてBYD,現代は日本車と同じ仕様にしているらしい。

これが紛らわしいというのがコラムの主題だった。

日本車に乗り慣れていて、初めて、またはたまに輸入車に乗ると、右折しようとしてワイパー動かしたり、前の車にパッシングライトで合図しようとしたらウィンドウォッシャーが出たり、というのはよくやる話だ。

日本車式の右ウィンカー左ワイパー、あるいは左ハンドルの左ウィンカー右ワイパーには一定の合理性がある。ウィンカーはワイパーより使用頻度が格段に高い。他方MT車の場合、左手(左ハンドルの場合右手)はシフトチェンジで忙しい。なので、(右ハンドルの場合)交差点曲がるときは右手でウィンカー操作して左手はシフトチェンジをしながら曲がる、という動作がスムーズにできる。シフトチェンジとワイパー操作を同時にしなければならない機会はそれほどはないと思う。

ではなぜ日本だけ右ウィンカーなのか、イギリスやオーストラリアの人は困ってないのかはよくわからない。生産国が右側通行の車が、右ハンドルの車を作るときには作りやすいというメリットはあると思う。
もっとも、ミニ(新世代BMW系列の)に乗ったときも左ウィンカー右ワイパーだった。
日本製イギリス向けの車はどうなってんのかしら。


ステアリングコラムのレバーは、昔からその用法が厳密に定められていたかというとそうでもない気がする。写真の車(前所有車)の場合、ウィンカーとパッシングは左レバーだったが、ライトのオンオフはダッシュ右の回転つまみで操作した。

もっと昔は明らかに各社まちまちだった。
子どもの頃親が乗っていたこの車(RT40コロナ)は、自分で操作したことは全くないが、興味津々だったのでどこがどうなってるのか、鮮明に覚えている。

この車のハンドルには同心円内側に半月型(下弦)のレバーがついていた。
それを右に回すと右ウィンカー、左に回すと左ウィンカーが点滅した。端の方を押せばホーンがなった。ハンドルの真ん中は押せるようにはなっていない。

よく父が無造作にウィンカーを操作して、誤ってホーンを鳴らしてたのを覚えている。

ライトスイッチ、ワイパーはダッシュに並んでいるタンブラー型のスイッチで操作した。こちらはむしろ当時一般的なアレンジだったと思う。
この車は当時のベストセラーだったと思うが、その操作法や各種のアレンジは少し個性的だった。内側開扉レバーを反対に押してかけるドアロックとか、リアのナンバープレート裏にある給油口とか。
子供の頃はそんなことが気になってて、細かいところまでよく覚えていたりするのだ。


最初は慣れなくて間違えてワイパー動かしたりはするが、しばらく使えばそれも慣れてしまう。

のだが、なんかの拍子にふと、また間違えることがある。あと、「あ・雨だ、わいぱぁを・いや待て、手が違うこっちだ」と、脳内で瞬間演算して補正することもけっこうあった。

というか、正直言うとごく最近も間違えた(ウィンカー出そうとしてワイパー)。
なんで昔の記憶がよみがえるのか、自分でもよくわからない。

そういう意味では、どちらかに統一した方が良いのかもしれないな。
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らあめん

2023年08月16日 | 食・レシピ
先週末ちょびっと出かけたのですが、帰りしな喜多方寄ってら~めん食べました。

せっかく喜多方にきたから、来たかった、わけです。

とはいえ、もとより日頃、行列のできるようなラーメン屋に通い詰めるようなことは全然しない人間、いやうさぎです。

喜多方もラーメンが有名程度の事しか知らず、とりあえず市のHP見て駅前の駐車場に車止めて、少し街を歩いて探そうと思いました。

この日は会津地方も台風の影響で、ものっすごく蒸し暑かったのです。
しかも、時折スコールみたいな雨が降ってくる。

あとで気が付いたのですが、喜多方の市街地はけっこう大きいですし、丸の内地下街みたいにラーメン屋が密集しているようなことはないので、駅から歩いて、という考えは名案ではなかったようです。


今回行った来夢も、店の前におおきな駐車場があるから、そのまま車で行けばよかった。道間違えて一度反対方面歩いたりして、もう汗だく。



とろけるチャーシューのおいしいこのラーメンは1,080円(税込み)。
蒸し暑い思いしたけど、しかしうまかった。

ちなみに往路の高速では佐野SAに立ち寄って、フードコートで佐野ラーメンを食べました。ここもお盆休みで行列でしたが、まあそれは仕方ないとして。
これが1,280円(税込み)。
そんなものかね、と思っていましたが、今思うと佐野ラーメンの実力はこんなものではないのかもしれない。

日帰りで行ける距離なので、今度は佐野までら~めん食べに、行ってみようかしら。


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ジャーナリズム

2023年08月15日 | 日記・エッセイ・コラム
月曜日に帰ってきて今日からまた仕事だ。先週木曜は在宅勤務だったがやることが多すぎて終わらず夜10時まで仕事、土日もちまっとPC開けてた。
今日は夜用があって帰らないといけないが、朝目が覚めたら7時で、もう出社するのがめんどくさくなった。同僚たちに無理言って今日も在宅にしてもらう。
なのでしばらくオフィス行ってないが、ずるずると仕事と生活が融合しつつある。


それはともかく。
せっかく終戦の日なので「にっぽんのいちばん長い日」を見たかったのだが、今日は果たせず。なんでも「真夏の話なのに画面に椿の花が映ってる」と聞いたので。。

この時期先の戦争にまつわるドキュメンタリーを色々やっている。物心ついた頃にはやっていたから、その蓄積は膨大なものになると思う。戦後40~50年ぐらいの頃は指揮官の方たちも存命で、かなり貴重な話を聞けたが、流石に今元兵士の方も少なくなった。少年兵の方たちのお話もそれなりに貴重だが、やはり話の内容は指揮官の方々とは異なる。

もはや今の若い人たちの中には日本が戦争したことすら知らない人がいる時代だが、一方でウクライナにロシアが攻め込むといった、我々からしたら今どきあり得ないと思うようなことが起きている。

なぜロシアがそんなことを始めたのか、いずれ世の中が落ち着いたら研究が始まるのだろうが、かの国でも毎年戦争ドキュメンタリーを繰り返し放送することになるのかもしれない。
かの国というのはロシアだが、それがどういう論調になるのかは今は何とも言えない。

この件は日本にとってもおおきい。今までの戦争ジャーナリズムはなぜ日本が他国と戦争を始めたか、それがどれだけ人々を苦しめたか、がテーマだった。

日露戦争100年の頃はそれなりに回想番組なども作られたが、太平洋戦争ほど繰り返し報道されるようなことはない。もしかしたら、なぜ勝ったかを考察した方が、これから起こるかもしれない事に役立つのかもしれない。

ただ、それでも戦争という歴史上の悲劇を直視することの価値はあるとは思います。今世界が全面戦争に陥っていない事自体が奇跡に近いものであり、どっかでタガが外れたらもうあれです。

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けんきゅう

2023年08月12日 | 日記・エッセイ・コラム

数日前のニュースだが;
という記事が気になる。

こういう分野では全然貢献できないし縁もゆかりもないが、部外者なりに日本の行く末が心配になる。

日本はノーベル賞受賞者も多く、世界的にも科学技術の分野では世界をリードする立場にある。
子どものころから、それはなんとなく当然のように受け止めてきた。だから(いきなり話があれだが)天才科学者の城ケ島博士(仮名)が開発したスーパーロボット、なんてストーリーも、それなりに物語として受け入れることができた。小松左京も「日本沈没」では野武士のような天才科学者(田所博士)やスマートな情報科学者(中田、のちに首相)を登場させている。

彼らが日本人であるが故に祖国を憂い、襲い掛かる災厄に自らの才覚をもって戦う、という物語になっている。異変に伴う各国の思惑にも毅然と対応している。

現実の日本では研究者は窮屈な日々を送っているとかで、今は毎年のようにノミネートされているノーベル賞もいつかは、などという話も聞く。



もっとも、先に触れたようにそういうアカデミックな世界のことはしょうじきよくわからない。ただし、今回ちょっと気が付いたことがある。

時折、というか最近は結構多いのだが、宇宙ロケットの開発に失敗したとか、旅客機の開発がとん挫したとか、半導体が作れないなど、ちょっと情けない日本、というニュースを聞くことがある。

そういう時僕は、それは残念だけどまあできないものは仕方ないし、それよりみんなが幸せに暮らしていければいいんじゃないか、と反射的に思ったりするんです。。

この発想、もしかしたらバブル期(というか日本経済が最高潮に達した昭和末~平成初期)前後を経験した人特有のものかもしれない、と、ふと思った。

僕自身も本当の本物は知らないのですが、その頃はまだ世の中に猛烈社員や会社人間がたくさんいて、そういう人たちが世の中を動かしていた。
今だとそういう事はブラックだとかいいますが、僕らの同級生も平日夜中まで仕事して、日曜は朝早くから社員行事で運動会に出て、とかいう話は普通にありました。

そういうのは良くない、日本人は働きすぎだ、これからはゆとりをもって生活をすべきだ、というナラティブが、そろそろ出始めていたのが昭和の末ぐらいからです。実際企業も自治体も、今みると浮ついたとかいう表現になりますが、急に何やら文化事業っぽいものを始めだしたりしていたのです。

がむしゃら過ぎるのは良くない、もっとゆとりのある人生を、というテーゼは、僕の若い頃に知らぬ間に染みついてしまったようです。

しかし、じっさい平成以後の30余年は、なんとかその猛烈さを緩める方向性でやってきたものの、それはそれで問題があるという状況になってしまったようです。人々が働かなくなったということではありません。たぶん昔の人の生活の中には、欠かしてはならない何らかのエッセンスがあったのでしょう。
昔の生活を変える過程で、そのエッセンスも失われてしまったのかもしれません。

昔のように懸命に働けば良いかというと、何かが欠けていれば結局それもうまくいかない。先に話題になった大手中古車会社も、芯に何かが欠けていたのでああなったのでしょう。

ではどうするか。答えはありませんが、個々人としては歩きながら考えていくしかないような気がします。。まあ世の中の流れは急に変わらないし、その前に自分がどこまで見届けていられるか、ってのもありますが。。
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へいてん

2023年08月10日 | まち歩き
あついねえ。


先日サンマルクカフェが閉店したと書きましたが、ここのところ色々なお店が閉店しています。

本屋+レンタルビデオ屋が7月半ばに閉店。書店の閉店はもう時代の流れですかね。子供の頃は図書館にはいかず、近所の本屋に毎日のように行ってました。鉄道の雑誌とか、そういうのを立ち読みするのが好きでした。小説とかを自分で選んで読むようになるのは中学生ぐらいからかな。古本屋も好きで、良く行ったものです。
今の子供たちは、雑誌を立ち読みする代わりにネットを徘徊ですかね。。

直接関係はないけど、携帯屋と薬局が閉店しました。薬局はわりと最近にオープンしたばかりだったので驚いた。ドラッグストアじゃなくて、処方箋出すようなやつです。ドラッグストアは逆にぼこぼこできてますね。あれはどの店も四角い箱みたいな建物で、どこも同じに見える。こないだ薬が欲しくて手近な店に入ったら、薬は申し訳程度に隅っこに置いてあるだけだった。改めて屋号を見たらディスカウントXXとかいう、あまり知らないチェーンでした。もっとも、近所のドラッグストアも似たようなものか。

それで、ちかごろいちばんびっくりしたのはこれです。
よく使っていたコイン洗車場に行ったら、9月に閉鎖だと。
機械洗車じゃなくて、自分で高圧水をしゅわしゅわかけるタイプの洗車場です。新500円玉が使えないとか、仕切りのテント布みたいのがぼろぼろになってるとか、そろそろ直してくれないかな、と思ってたのですが。

機械式は近所のスタンドにもありますが、今の車になってからは使ってないんですよ。なんか傷つきそうで。ほかの店探さないとな。
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超雑談

2023年08月06日 | 日記・エッセイ・コラム

先週忙しくてここに書こうにも書けなかったのでまとめて。。


・会食のとき、年配の知人が「コロナって結局インフルエンザでしょ。この3年間っていったい何だったんたんだろう・?」と言う。

その疑問のきもちはわかるけど、答えは出せそうにないな。この間オリンピックもあったし、戦争も始まった。4年前にはインバウンドで沸いていて、そしてまた今街は外国人観光客で溢れている。


・電車の中でもマスクをする人が減った。前はマスクなしの人を見ると何か違和感を感じたが、いまはそれもない。ただ、人々の表情がよくわかるのが、妙に新鮮な感じがする。



・過日、地下鉄の斜め向かいに座っていた女の子は完璧だった。髪を軽く三つ編みにして、少しくすんだ緑の、細い格子のブラウス、黒のプリーツのスカート。口元とか、軽いお化粧をしている感じなので、高校生ではないのかな。なんとなくさべあのまさんのイラスト(一般的なたとえではないかな)から飛び出てきたような感じだった・。
ちょっと近寄りがたい雰囲気を漂わせておいででした。。

別の日、年配の男性は口ひげ、顎ひげをきれいに整えて、薄いグレイの太い縁の眼鏡と良く似合っていた。外を歩くときはかぶせ式のサングラスもするらしく、手に持ってカバンにしまうところだった。帽子をかぶり、膝までのズボンだったことは覚えているが、不思議に何色の服装だったかは覚えていない。

週末の帰宅時、前に座っていたカップルは楽しそうだった。僕から見たら若いけど、30代に入りかけたころかな。男性は体格が良いがそれほどいかついわけでもない。女性はほっそりとしてやや色白。すこしお化粧が強いかもしれない。二人でスマホを見て、なにか語っては笑っていた(こちらはイヤホンしてたので、内容はわからない)。
とても平和な、なんだか懐かしいような世界。途中の駅で、女性が男性に肩をたたいていそいそと降りて行った。



・オッペンハイマーを主人公とした映画が作られたことも驚きだが、それを巡ってSNSで炎上事件が起きた(同時公開の「バービー」のアカウントに、原爆を思わせるポップアートが投稿され、公式アカウントが好意的なコメントを寄せた)のにも驚いた。同映画の日本での公開は未定だし、日本語サイトすらない。上記SNSは英語のものだが、それでも日本で強い関心と批判が寄せられた。

映画ではオッピーは自らが冷戦を主導する存在となったことに苦悩するというものであるらしく、別に核を礼賛したものではないらしい。

このことから感じられることの一つは、一般的な米国人(あるいはほかの地域の人たちもか)の核への関心度合いは、日本人のそれと異なるということだ。そして一般的な日本人は、先の大戦そのものについて自ら顧みることはあるとしても、核使用については今もなお強い関心(憤り)を感じていることがわかる。
改めてそれを感じさせるエピソードだった。





・従来の保険証を廃止してマイナンバーカードに一本化することについて、妹と話していたら、(今も親の保険証を預かっているが)マイナカードを預かるのなんて嫌だ、とのこと。
妹は介護職だが、年配者たちは自己管理ができなくなっている人が多いという。接種券も何度もなくして代わりに作ってあげたりとか、色々苦労してるらしい。

ラジオで誰かが言っていたが、マイナカードの取得は任意(番号自体は既に住民票のある人たちに付与済み)といいながら、保険証を廃止したので、健康保険を使いたい人(使いたくない人というのはいないと思うが)は搦手からマイナカードを取得せざるを得ない。
この先無保険の人が増えることにつながるのか、どうか。。

この辺もどうなるのかしら。

などと、色々気が付くことが多かった週末ですが、とにかく暑いので何か考えようにも参っちゃいますよね。。
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しぇ~ど

2023年08月05日 | 鉄道、車、のりもの

このごろは誰と会ってももう暑くてやってられない、みたいな挨拶を交わしています。誰もが同じ気持ちなので、挨拶としては適切です。

今週はとっても忙しかったので、もういそがしくて、と言おうと思ったら、先日お会いした方もそうだったらしい。先方から先にもう忙しくて大変で・・と仰られたので、はあそれは・と聞き役に回りました。これはたとえ同じ気持ちでも、同意は求められないようです。

それはさておき、暑いので車のサンシェードを買いました。
前にも持ってましたが、お風呂マットみたいなタイプのやつで、なんとなく使わなくなって荷室に敷いてあります。

今回のは傘タイプで、文字通り傘みたいに畳んで使う時は開くやつ。
収納性が良いです。

わりといい感じでカバーしてくれます。

難点は普通の傘みたいにきれいに折りたたんでしまおうとすると、くしゃくしゃになってできないこと。
傘袋もついているですが、とりあえず強引に丸めて突っ込んでます。
なので、思ったより気軽に開いて閉じて、という使い方はしにくいというか、ちょっと気が重くなるのが難点。





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