先日絵の先生の個展 (21日までです)でシナトラがかかっていて気になったという話をした 。そんなきっかけでちょっとシナトラのことを調べていたら、代表曲のひとつである「マイウェイ」がリリースされたのが1969年の1月、彼が53歳の時であることに気が付いた。ちょっと意外に思った。結構新しい曲(!)なんだな。もっと古い曲かと思っていた。もう一つの驚きは、シナトラが53歳でこの曲をうたったということだ。
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翻訳を参照させていただいたこちらの方 が、「この曲は歌手にとってリリースする時期が難しい」、とコメントされている。
デビューして数年の若手が歌っても説得力がないし、かといって本当にもうそろそろ、という年齢になってしまうと、別の意味でちょっと歌いにくい。40~60代ぐらいの(やや盛りを過ぎたくらいの?)年齢の歌手が歌うのが聞き手にとってはありがたいだろう、という。なかなか、含蓄のある指摘だ。
同じ方のコメントで、この曲が(年配の)男性に人気があるのは、(歌詞に)自分の人生を投影する(人が多いから)だろう、という。
迷ったり、うまくいかないこともあったけど、俺は俺なりに思った通りに生きてきたんだよ、という感じの歌詞、おそらく日本語の定訳もそんな感じなのだろう。
30年以上にわたり第一線で活躍してきたシナトラだが、常に順風満帆だったはずもなく、彼にとってもこの歌にはある種の思い入れがあったのだろう。この曲のリリース後2年ほどで、彼はいったん引退しているから、本当にthe end is nearと思いながら歌っていたのかもしれない。
この曲に感銘を受けたのは、日本でいえば高度成長期を戦い続けてきた産業戦士、その後輩たち、そのまた後輩たち・・。’70年代からのち、それなりの円熟期を迎えた大人たちだ。彼らは僕らが若いころ、飲み会などでマイクを取るとこの曲を好んで歌った。
なので、この曲を聴くと僕は歓楽街の喧騒とか、酔っぱらいが調子外しながら思い入れたっぷりに歌う姿が反射的に心に浮かんでしまう。
僕も今やシナトラや、マイクを持った先輩たちと同じくらいの年齢に達しているわけだが、しょうじき言って、とてもこの歌を「自分の人生に投影させながら」歌うような気にはなれない。「I did it my way」なんて、とても言えやしない。。
とはいえ、むかしに比べるとずいぶんと今生へのあきらめがついてきているから、もうちょっとすると、「なんとか自己流でやってきて、こんなになっちゃったねえ・・」ぐらいは言えるようになるのかもしれない。
話はちょっと飛ぶけど、今週月曜日は終戦の日だった。71年前の今ごろ、普通の市民たちは何を思っていたのだろう。。よくドラマなどでは、灯火管制がなくなって、世の中が急に明るくなった気がして・・という話が出るけど、そんな単純なものでもないだろう。市民といっても、それまで軍服の帽子を作っていた人、学徒動員で銃弾を削っていた女学生、隣組同士で防火訓練をしていた主婦、みんな、何らかの形で戦争に関わっていたのだろうし、毎日張り詰めた思いで日々を過ごしてきたのだろうし。。
僕が時々、本やウェブ等で将校たちの来歴を調べたくなるのは、彼らが終戦後どのような生き方をしたかに興味を感じるからだ。隠遁する人、露悪的な言動をする人、何らかの償いの行動をしようとする人、様々だが、それらを単純に酷いとか美しいなどと割り切っては言えないような、重みを感じる。彼らも、或いはかれらこそ、I did it my way,,などと歌うことはできないかもしれない。
さて、話がちょっと重くなったけど。
マイウェイはあれだが、そういや昔ドラマで「ちょっとマイウェイ」というのがあったな、と思い出して。。以前ここでも取り上げましたね 。
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やはり八千草薫さんがいいですね。。昭和6年生まれということですから、このころ。。