うさぎくん

小鳥の話、読書、カメラ、音楽、まち歩きなどが中心のブログです。

立冬

2024年11月07日 | 日記・エッセイ・コラム

暦の通り寒くなりました。
日中は雲一つない青空がきれいでしたが、終日冷たい風が吹いていました。

少し迷ったけどコートを着てきて正解だった。


今年の世界の気温はこの130何年の間でもっとも高かったらしいですけど。
あの暑い日々を思うと、今こうして秋が来たのがしんじられない気がしますね。

備忘記録ですが、昼休み皇居外苑の売店に行って、来年の皇室カレンダーを買いました。例年通りです。
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ハローウィン

2024年10月31日 | 日記・エッセイ・コラム


べつにハロウィンだからって、自分には関係ないんですけど、たまには早く帰ろうとしたら電車が止まってて、やれやれという。

いちおう研修は期限内にやりました。


そういえば昔はスーパーでミニカボチャ売ってましたけど、今見ない気がしますね。

6年前。 かぼちゃは右側です・もちろん。

昔はミニバナナも売っていたんだけど、あれも見なくなったな。
親がたべるのにちょうどよかったんだけど。



K3iii買ったとき、もうすこし大きめのカメラバッグを買おうと思ってネットで探してるんですけど、なかなかこれというのが見つからないですね。大きさの感じがつかめない。

もっとも、実店舗で見てもよくわからないです。

カメラジャケットは買いましたけど、カメラの大きさがわからなくて、お店で結構悩みました。家でつけて見たらいちおうぴったし入ったけど、少し肩がでてる。そういうものらしいですけど。

なんか、とりとめのない話で。
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思ったよりも良く晴れた

2024年10月30日 | 日記・エッセイ・コラム

先週末見た週間予報では今週は毎日雨、という感じだったし、昨日も思いっきりざあざあ降っていた。

今朝ちょっと車で出かけたときも雨だった(起きたときは雨の事忘れてた)。
こういう日は車が混むのよ。自転車の人が傘もって前見ないで走っているし。。

ただ、車のなかで聞いた天気予報では昼には止んで晴れますよ・と。


今日在宅勤務なので、これを利用して研修片付けようと思ってた。
締め切り今月いっぱいなのに、まだ43%しかできてない😰

しかし、なんだかんだ新しい事案がでてくるので、とりかかれない😱 

なんて、やっているうちに外が晴れてきた。

IT担当がサーバメンテナンスしてるので、終わったら飯食うことにして、知らせを待つ(終了後スタッフにアナウンスしないといけないから)。

晴れてきたので、昼飯は久しぶりに五右衛門でパスタでも食うべえ、と思ってたが、ぜんぜん連絡が来ない。

午後ミーティングもあるので、飯食いに行くのは断念。その辺のものを食う。

「一杯満足」という、めずらしいカップ麺(ふつうのカップ麺だった)。

あと、中途半端に残ってるご飯があったので、ソーセージ細かく切ってコンソメスープの素ぶっかけてオリーブ油で焼いて焼きめしにした。
すりごまをかけてみたが、これは余分だった。


ここのところ、さすがに真夏のひどい暑さは影を潜めたけど、けっこう湿度が高くって、少し歩くと汗が出るし、室内もなんとなくもわっとしていた。

今日も昼ぐらいまではそうだったけど、そのうち冷たい風が吹いてきた。

かなり強い風。

こんな感じも久しぶり。

夕方の天気予報では、明日は湿度が40%切るそうだ(東京)。今年の6月14日以来だそう。


夕方も研修やってたが、だんだん辛くなってきた。
最後の1チャプタはあしたやることにする。

なんか、やっば~い感じもするぞ。。。

また車乗って、めずらしく日本シリーズなんか聞きながらスーパーへ。

ここんとこスーパー行くと、日本ってとっても平和だよなあ、とつくづく思う。値段は上がったけど食いものは豊富にあるし。BGMものどかだし。

米も売ってる。

いつも地元産の米買ってるけど、新米が出回り始めた頃、さいしょに店頭に並んだのは千葉産、茨城産あたり、次いで新潟、秋田という感じだった。
暫くして地元産がでてきたので、先日買った。

収穫時期がちがうのかな、と思ったが、調べてみると千葉、茨城は米の生産高が関東では突出して多いのね。平地が多いし、宅地化してない所もおおいからなあ。

東京都産の米もあるにはあるが(昭島辺り)、生産高はかなり少ない。
耕地が少ないのは勿論だが、多摩地区などは水も来ないのだろう(用水引いてるしね)。

家がなかったら、葛飾とか江戸川あたりはいい米つくれそうかしら。
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遅ればせながら

2024年10月28日 | 日記・エッセイ・コラム
昨日の話ですが、選挙に行ってきました。

投票所行く途中でダイソーに寄って、帰りはスーパーでお昼ご飯とかを買いました。

このスーパー、投票に行くと5%引きですと宣伝してたのです。投票証明書または看板の写真を撮って見せると引いてくれる。証明書というのはわからなかったので、廊下にある投票所という案内紙を撮影して、レジの人に見せました。
何十円か安くなるだけですけどね。


夕方出かけたのですが、帰るころには開票が始まっていたので、電車の中でNHKプラスを見ていました。

だいぶ世の中が動いたようですな。

政治家と外資金融ぐらい不安定な職業もないと思いますが、代議士を目指すからには何か志を抱き、その実現を夢見ているものと思います。

ときどき、この人これがやりたかったんだろうな、と思う時があります。各国の首脳と協議するとか、論戦で議論を戦わせるとか。
今月初め、就任したばかりの石破首相と野田代表の党首討論を聞いたけど、彼ら政治家ですから、こういう議論を夢見てたんだろうな、と思ったりしました。あくまでも紳士的だが、真剣に議論を戦わせるというのは良いものです。

現実にはそんな晴れ舞台はほんの一瞬で、ほとんどの時間はややこしい人付き合いとか、会合に顔だけ出すとか、色んなこと持ちかけられたりとかに忙殺されているのでしょうね。世間の人は色んな事言ってくるし。

そういう世界でおかしくならずに生き延びていく日々と言うのは、常人には想像が難しいものがあるのかもしれません。
だから多少は変なやつでもいい、とは全く思いませんが。

ここのところ、人を容赦なく酷評したり、甚だしくは有権者まで罵倒するようなネットの論調を散々見てきましたが、そういうのも疲れてきました。

政治家の方々はここで原点に帰って、自分たちが夢に描いていた世界を実現すべく、頑張ってほしいと思います。
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沈黙

2024年10月07日 | 日記・エッセイ・コラム
日経の9月に連載された鈴木忠志さん(演出家)の「私の履歴書」から。

シドニーのオペラハウスで、鈴木さん演出の「トロイアの女」が上演されたとき、鈴木さんは三井物産会長の八尋俊邦 さんと一緒に観ていた。

鈴木さんの演出では舞台中央にギリシャの神像、あるいは日本の菩薩のような姿の男が立っている。ギリシャ兵がトロイアの子供や女たちに乱暴狼藉を働くが、この男はただ黙って見ている。

終演後のパーティで八尋さんは「この芝居は戦争になると神も仏もない、ということだな」と言った。

不幸にあった女たちにとって、(舞台の)神像の存在は何の意味もない。救いの手を差し伸べることもなく、ただ黙って見ている。

鈴木さんは八尋さんが自分の演出の意図を的確に捉え、きわめて簡潔に表現してくれたと思い、感動したという。

八尋さんは1915年の生まれ、戦争の悲惨な記憶を沢山持っているはずだ。
その経験が、鈴木さんの演出の意図を的確に捉えさせたのだろう。



なにかのきっかけで、それを見たり聞いたり、あるいは思い出しただけで条件反射的に涙が出てしまうことがある。

前に映画「この世界の片隅に」を観たときは、しばらくすずさんの事を思い出しただけで泣きたくなってしまい、ちょっと弱った。テーマ曲が「悲しくてやりきれない」なのだけど、あれを聞いても自動的に涙が出てきてしまう。

3.11の後、音楽会等では東北を応援することを意図して「ふるさと」を歌う、ことが流行した。来日したプラシド・ドミンゴも確か歌っていた。

僕の属する音楽団体でも、コンサートのさいごに観客みんなで歌う、という演出がなされた。

歌っていると、何十年と聞き慣れた歌なのに、なぜか泣けてくるのだ。

なぜか・ではない。理由ははっきりしている。3番の歌詞に「山は青き ふるさと 水は清き ふるさと」とあるが、歌いながら色々考えてしまい。。

ちなみに、いまはもう大丈夫です。



鈴木さん演出の舞台は見ていないが、じっと立っている神像、という設定を読んで、目に浮かんだ映像がある。

平山郁夫さんは広島で勤労動員中に被爆している。この絵は平山さんが描いた唯一の広島の絵だ。

真っ赤な空に不動明王の姿が見える。
不動明王は、何かを語り掛けたり、拳を振り上げたりはしていない。リンクの解説では、憤怒の中に深い悲しみをたたえた表情(でじっと見つめている)、とある。

この絵の完成画は見ていない。平山郁夫美術館で、構想のための下絵が展示されていたのを見た。

見ているうちに涙が自動的に出てきた。

鈴木さんの舞台演出でも、神像は人間の悪行を黙って見ている。
鈴木さんは、(演出を)無力な神像に対する皮肉、と書かれている。

しかし、個人的には、神像が全く無力だとは思わない。
そこにいて、人々の仕業を見ていること自体に意義があるように思う。
親不孝をしてしまった子供を、咎めるでもなく泣くでもなく、見つめている親のように。



狙ったわけではないが、今日はイスラエルのガザ侵攻(につながったハマスの奇襲)からちょうど1年だ。

ウクライナの戦争もそうだが、連日の報道を前にして、我々はなすすべもなく眺めているしかない。
しかし少なくとも、目をそらす事だけはせず、事態を見守り続けないと。
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秋雨

2024年10月06日 | 日記・エッセイ・コラム

10月は秋晴れの青空よりも、いつも雨が降っている印象がある。それと、秋の日はつるべ落としで、日の暮れるのがとてもはやい。
なので、どっかに写真撮りに行く(たいていは鉄道写真)にはあまり向いていない印象がある。

雨はいろいろ厄介だし、時々体調にも影響するけど(昨日は出先から戻って思い切り昼寝してしまった)、穏やかな雨にはある種の情緒があって悪くない。北陸のような豪雨は願い下げですけど。。

こんな日は谷山浩子さんとか聞きながら運転していると、むかしの思春期の頃見た街にたどり着くような気がしてくる。自分でじかに見た風景もあれば、テレビで観た、10ばかり年上の若者たちが活躍していた街とか。


先月の日本経済新聞「私の履歴書」は演出家の鈴木忠志さんだった。
この分野は僕は全く詳しくないのだが、なかなか興味深く読んだ。

連載最後の日のタイトルは「ヘンであること」で、鈴木さんはこう書いている。

私は自分のことを小さい頃から少しヘンな人だと思ってきた。だから日常生活はできるだけ一般の人たちと違わないように心がけた。
その代わり、舞台作品を創る時は、できるだけ普通の生活とはかけ離れた想像にもとづいたものにしなければと思ってきた。

自分のなかで妥協できない部分は徹底的にそれを追求し、ふだんの生活では周りの人に違和感を持たれないように努める。

鈴木さんは舞台芸術という、大きな資本を要する芸術を追求しながら、お店のオーナー、山村の住民の方々や自治体の長、大会社の経営者の方々と交渉し、協力を仰いできた。芸術家だからといって1から10までヘンであっていいわけではない。もちろん色々な芸術の在り方はあるが、鈴木さんの場合、この心がけがあっての今なのだろう。

ヘンであることについて鈴木さんは最後に、芸術だけではなく企業経営も同じであるとして、ご縁のあったYKKの吉田忠裕 を紹介しながら〝分け登る麓(ふもと)の道は多けれど同じ高嶺(たかね)の月を見るかな〟という、一休宗純禅師の 和歌を紹介して締めくくっている。 

・・自分を振り返ると、自分がヘンであることの認識は持っていたし、なるべくふつうにしようとも思っていたけど、けっきょく自分を厳しく追及することも、ごくふつうの人たることも徹底できず、中途半端な人生になってしまったのかしら・という反省はあるな。

鈴木さんのお話でもう一つ印象に残った事があるけど、また次の機会に。

*画像はAI(Image creater)
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兎的日乗

2024年09月22日 | 日記・エッセイ・コラム
下仁田かつ丼。卵でとじないで、さっとしょうゆダレに潜らせたカツが特徴。

◇予定が朝になって急にキャンセルになったので、どっか行こうかとウェブで探して、昼近くになってから、のこのこと高速に乗ってみた。



◇先週末ちょっと体調くずして、週明けにクリニック行ったら薬の処方と共に安静にして休め、と言われた。いちおう毎日出社したが、早めに退社し、残りは在宅勤務するなどして気をつけて過ごした。

 なにしろ残暑が・。9月は暑いだろうと覚悟していたので、猛暑日が続いても驚きはなかったが、身体の方は参ってしまった。
冷房された建物から外に出た瞬間が特にきついよね。毎回顔をしかめてる。。



◇FBで知人の方が山崎ナオコーラさんの「あきらめる」に感化された、とコメントしていた。失恋が好き、あの人を諦められる。失業が好き、買い物を諦められる。年を取るのが好き、可能性を諦められる。そうやってどんどん自分の中のいろんなものを捨てていく。でも、そこからまた立ち上がる欲望が生まれてくる。

 なるほど、これは見方を変えれば自分の中のこだわりを捨てる、という事なのかもしれない。妙なこだわりが自分を縛り、無駄に苦しむこと、けっこうありがちかも。



◇案の定、高速の入り口からすでに車で埋まっている。
いちおう30-40km/hくらいで流れているので、左の車線にとどまってクルコンを適当な速度に設定。これでアクセル放したままで前の車の動きに合わせて走ってくれる。

 時々右に左にやたらと車線変更を繰り返す車がいる。3車線のうちどこかが先行して流れる時はあるのだが、いずれそこも詰まって、すぐに追いついたりする。

 こういうときは諦めるのがいちばん。焦ってジグザク運転しても、結果は変わらない。

◇それにしても、今どきの日本車(に限らないのかもしれないが)は、昔に比べ渋滞にだいぶ適応してきていますね。
むしろそこそこ流れてる時の方が厄介で、遅いトラックを追い越しているとだんだんペースが上がってくるし、同調する後続車の目が気になったりと、気が休まらない時がある。どこかで自分のペースを調整する必要がある。こんな時もクルコンは有用だ。

◇今年は何度か長距離を走ったけど、前半は結構高速で気苦労したりとかあった。
 さいきんは落ち着いて走れるようになった・気がする。



◇早い時間(午後3時から4時半ぐらい)に地下鉄乗ると、夕方7時過ぎよりも混んでいる。用務で出かける人が多いのだろうね。

◇当地(自宅のある県)では条例でエスカレーターを歩くことを禁止し、片側を空けずに乗ってください、と呼び掛けている。

 多少は条例の効果があったのか、夜、駅のホームからエスカレーター乗るとき、右側(歩いて上る人がいる方)にも立ち止まる人が出るようになった。それでも行列が左側にできるが、そういうときは右側に立つようにしている。
都には条例がない(と思うけど)ので、都心で右側に立つ勇気はない。みんな当然右側は歩くものと思ってるようだ。

 ただ、その場の雰囲気があるみたいで、たまにみんな歩いている時もある。そんな時に右側に立つと、後ろの人があおり運転じゃないけど、ちょっとイライラオーラを発出されることがある。

 帰宅時はいいのだけど、朝のエスカレータはだめだ。急ぐ人もいるので右側には立てない。自分自身、歩くこともあるし。


 
◇昨日はむっとするほどの暑さはなかった。ただ湿度が高くて、少し歩いたら汗だくになってしまった。
 
 考えてみると、晩夏のうら寂しさとか、初秋の気持ちよさ、なんてニュアンスが、すっかりなくなってしまったねえ。
 
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暑い夏

2024年09月01日 | 日記・エッセイ・コラム

相変わらず不調です。動けないわけではないので、月曜は様子を見ながら運転再開になりそう。

お米の事が話題になっていますが、平成の米騒動の事は覚えています。あの時は天候が不順で、作柄が悪かったのです。
あの年の7月ごろの事はよく覚えています。梅雨明けになかなかならず、半袖では寒くて長袖を引っ張り出していました。

当時は今みたくやたらと写真を撮ることはしていませんが、その頃の写真を見ると、8月以降はそれなりに天気のいい日もあった気がします。騒ぎが大きくなったのは秋以降で、けっこう尾を引きましたよね。

翌年がとても暑い夏だったのも覚えています。ただ考えてみると、その後は暑い夏というのは普通の事になってしまい、あまり記憶に残っていませんね。ここ数年は暑いのが当たり前、特に梅雨が判然とせず、6月でもかなり暑い日が多い気がします。

平成5年の天候不順はフィリピンの火山噴火が影響しているそうですが、平成3年秋の野菜不足も覚えています。当時の職場の食堂の人が困っていました。
実は、米不足のほうは、個人的にあまり困った記憶がないんですよね。外食したら米がタイ米だったのは覚えてますが。

冷夏というより雨が多かったのは、あとは2003年(平成15年)かな。あのときは9月以降残暑が厳しかった。


もっとも、個人的な印象だけの話で、土日が雨の日が多かったというだけかもしれません。

2009年(平成21年)も、梅雨明けが遅かったですね。この年も後半はけっこう盛り返してきました。

というわけで、あまり本調子でないので、雑な感想を・・。
写真1枚目は今日、下の2枚は2003年です。2枚目は雨模様ですが、3枚目はそうでもない。これのみContax T3で撮りました。
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天気

2024年08月27日 | 日記・エッセイ・コラム

先週の旅行では、直接雨の中を歩くような事はありませんでした。ただ、往路の電車内から外がものすごい豪雨になっているのを見たり(マンガみたいに雨が線のように見えた)、新幹線も途中大雨の中走っているのは見ました。

この日は都心が豪雨に見舞われ、店舗が冠水したりと大変だったと、夜のニュースで報じていました。

翌日、駅から2キロぐらい歩くところがあったのですが、その駅に着く少し前から車窓が雨模様に。ところが着いたら止んでいました。
おかげで傘は差さずに済んだけど、雨上がりで蒸し暑いのには閉口しました。

いわゆるゲリラ豪雨で、限られた地域に強い雨が降るのですね。列車に乗っていると途中まで土砂降り、少し走るとカンカン照り、という光景によく遭遇します。

道中徳川夢声「戦争日記」を再読していたのですが、夢声は空襲の焼け跡を見ては、この一帯は焼け野原だが通りのこちら側は無傷だ・、我が家も今は幸運にも残っているがやがては・・、などと書いています。

外の大雨の状況を見ながら、ちょっと似てるな、と思ったり。

しかしかがらこの話、浸水や洪水被害も多々発生しているのですから、あまり洒落にはならないですね。

考えてみると先月の山形行きのときも、訪問地の少し先では大変な豪雨で被害も出ましたが、道中はほぼ無難でした。
ただし、栃木付近の高速で前が見えないほどの豪雨に遭遇しています。

今回の場合、出かける1週間前には台風7号が上陸、今週は台風10号が上陸かもしれないと言われています。その間を縫っての旅行でした。
ので、どちらも大筋では運が良かったというべきかもしれません。
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台風

2024年08月17日 | 日記・エッセイ・コラム
朝5時過ぎに出かけたときは確かにそれなりに降っていた。
なるほど、こんな感じで、だんだん風も強くなるのかなと、そのときは思った。

昨日と同様に午前中だけ在宅勤務。

打ち合わせをして一休みし、パン買いに行くが雨は降ってなかった。

次の会議は社でやるので急いで出社。やはり雨はほとんど降らず。電車は空いている。それでも都心に出るとまあまあ人がいる。

オフィスは予想通りガラガラ。上司によると、朝来た時は数人しかいなかったそう。お昼頃かなり強く降っていたそうだ。

今は大丈夫でもまた雨が強くなるかもしれない。はやめに帰るのが正解かもしれないが、やはりそうもいかず、7時ぐらいまで働く。

地下鉄も街もまあふつうだ。人は少ないが、家電量販店もコンビニもやっているし、インバウンドの人たちも電車に乗ってる。
有料ライナーも運行していたし、ダイヤ通り走っていた。
気温は低めだったので、外歩くのは割と楽だった。
ただし湿度は高く、ここ数日でかなり体を消耗させてしまった。

一夜明けて、予報通りものすごい暑さ。
すこしだけ軌道にのったこともあれば、どうもすっきりしないこともあったり、色々あった一週間。
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8月15日

2024年08月15日 | 日記・エッセイ・コラム
今日も午前中は在宅勤務で、会議終わってひと段落してからテレビつけたら、ちょうど戦没者追悼式が始まっていました。

毎年同じような感想を抱くのですが、というより年を追うごとに思いを強くするのですが、あのとき日本が国体を護持できて、くにのかたちを保つことができたのは奇跡と言うか、当時の人々が辛うじて保ってくれたというか。
もっと悪い形にはいくらでも成り得たはずです。


飯食うひまがないので、なぜか袋ラーメンをつくって急いで食べて出社。
オフィスが蒸し暑い。

明日会社の子と面談だったが、雨が大変そうなのでリスケ(でも自分は出社)。

夕焼けがきれい。
南トラ臨時情報終了。

地下鉄で隣の席にいたむくつけき黒人旅行者の方、年配の日本人女性が来たらすごい勢いで席を立ち、座るように促していた。じぇんとるまあん。

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雷雨

2024年08月08日 | 日記・エッセイ・コラム

予報では天気が悪そうな事を言っていたが思ったより晴れていた。
7月末のように暴力的に暑くはないが、蒸し暑い。
洗濯をしながら在宅勤務を開始する。
テレビつけっぱにしていたが、パリは夜中なのでふつうに新日本風土記とか、やっている。

昼休みの時間、実家に寄って郵便物を取り、軽く雑草を取って除草剤を撒く。
これだけで相当に汗が。

昼にやることを色々考えていたが流石に時間がない。スーパーでタオルと昼飯を買って戻り、食べたらすぐ仕事に戻る。

夕方、飲み物を取りに行ったついでに洗濯物の乾き具合を見て、書斎に戻る。窓の外からなにか作業しているような音が聞こえる。
と、思ったらそれは雨だった。

洗濯物ちょっと濡れてしまった。
庭の除草剤、流れちゃうだろうな。ざんねん。

早めに仕事終わりにするつもりが、結局いつもと同じくらいに。

家の事すこしやっていれば小やみになるだろうと思っていたが、雷と雨がはますますひどくなる。テレビをつけたら、うちの辺りも警戒レベル4の警報が出ている。

いつもなら買い物に行くが、あきらめてその辺のものを食う。

小やみになったので買い物に行く。スーパーに近づくと様子が変。看板の灯りが消えている。駐車場に入ってよく見ると、入り口に「営業中止」と掲げてあり、店員が何人かいてお客と話している。
たぶん水が入ったのだろう。

別の店に行き、ついでに給油して戻る。コメが入荷していた。
また雨が降ってきた。

ラジオでナイターをやっていたが、よく聞いてみると高校野球だった。

昼間外で汗かいたせいか疲れたので、ごろごろしながら本読む。テレビはやり投げとか、陸上とか、やっている。

・ふと目が覚めたらだいぶ涼しい。エアコン切って、鳥のケージにカバー掛けて、寝る。


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また忙しくなった

2024年07月14日 | 日記・エッセイ・コラム
先月辺りまでは少し静かだったが、ここにきていくつか仕事の案件が重なって忙しくなってきた。ルーティンの仕事と違い、工程が自動的に進められるわけでもないので、重なるとちょっと厄介だ。仕事しない時でも色々考えていることが多くなる。

先週身体を冷やして風邪気味になったが、熱を出して寝込むことはなかったものの、咳が残って弱った。夜寝られなくて数時間ごとに起きたり、しばらく咳が出て往生したり。水曜日は横浜の方にコンサートに行ったのだが、咳が出るのをこらえるのが結構大変だった。
会話をするときの発声はちょっと風邪声っぽいときもあるものの、なんとかニュアンスで伝えることはできる。しかし歌のレッスンの時は全くダメで、声にならない。けっこうダメージが大きかった。。
ただ、週末になってようやくよくなってきた。

先月からあれこれ迷っていた携帯の契約変えだが、結局キタムラに3回通って、金曜日に機種変(と同じキャリア内でのコース変更)をしてきた。
この5年で色々制度が変わって、契約も端末の買い方も変わったらしいが、その辺詳しくないのでお店に相談していたのだ。

若い人はネットで買ってしまうらしいが、どうも気後れがして(色々面倒な気がして)、結局キャリア携帯の型落ち格安端末とプラン変更でお茶を濁してしまった。お店の方からはあと何か月かしたら系列の安いキャリアに変更しましょう、とのおすすめ。

昔は2年おきにスマホ取り替えていたし、それどころか途中で壊れて修理に出して、前のデータが全壊したことも何度かあった。それでもたいして困らなかった。しかし今はマイナポータルとかLINEとか色々入っているしなあ。

金曜に端末を持ち帰り、昨日午後から情報収集しているが、まだ設定していない(で、うだうだとこのブログを書いている)。
新しいもの買って、うれしいよりは面倒臭い方が先に立つというのもなんだねえ。。


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七夕

2024年07月08日 | 日記・エッセイ・コラム

ものすごく暑い七夕の日でした。
昔はこの時期雨が多くて、天の川を眺めたくてもたいていは果たせない、なんて情緒がありましたが、そんなの風情はもう過去のものなのかもしれません。

あと昔は暑い年もあればそうでもない年もあったりしたものですが、これからは目に見えて気温が底上げになっていくのかしら。

まあ、心して過ごしていくしかありませんね。

よく地球温暖化で怒っている人がいますが、あれは暑くなるから熱くなっているんでしょうか。仮に地球寒冷化が進むとしたら、それでも熱くなるのかな。
熱くなったら余計温暖化するような気もするんですけど。ご自身がCo2の排出源になってるところがまず問題ですし、人類が80億にも増えたというのに少子化対策してるとか、そういう矛盾をみなさんでよく話し合ったほうが良いとは思います。
しかしながら、まずは自分の命を守らなければ。



それはそうと七夕の日曜日、それらしいことは何もできませんでした。。
朝、車のディーラーに行って24カ月の点検をしてもらいました。ここのところ少し走って18,000キロぐらい。昨年同様フィルターを取り替えてもらいましたが、どうも黄砂がだいぶ入っているようでした。車内の匂い止めもしてもらいました。
オイル関係の交換は追金なし。
コーティングのメンテナンスもしてもらって、多少きれいになった感じがします。

帰りがけにショッピングモール寄って郵便局で書留を出し、イタトマで食事。イタトマも高くなったなと思ったけど、じゃことアサリとシソの和風パスタは旨かった。

真昼は少し避けて親を散歩に。外は暑いがお店に入ると寒いというし、やはり色々厳しいよね。

夕方、スマホの契約の事でキタムラへ。

とりあえず手持ちのスマホのSimだけ変えてと考えてたけど、対応リストに入ってない(古いので)と言われ、さてどうしたものかと。同じメーカーの普及機がつい先日発売になったが、価格表を見るとその前の機種がとても安い。ので、在庫確認してもらう(買えないかもしれない)。
移行が不安なので、時間のあるときに来た方が良いという事になり、たぶん来週かな。

夜はテレビが選挙がどうしたとかで騒がしいので見ないことにして、代わりに犬のアニメをちょっと見て、とっとと寝る。
そんな七夕でした。


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冷えた

2024年07月06日 | 日記・エッセイ・コラム

金曜の午後は半日かけてオフサイトの会議だった。
100人位の会議室だが、大きなビルで同じフロアに、うち以外の会議客はいない。
長時間会議をすること自体、けっこうつらいものがあるが、それに輪をかけてつらかったのは会場が寒かったことだ。まるでシンガポールのオフィスみたいにキンキンに冷えている。
気温35度とかなので東京もシンガポールと同じようなもんだし、そのくせ東京の生産性は半分以下だから、ここは向こうの流儀に従って締めてかからないといけないのかもしれない。

とはいえ、朝から調子悪かったし、きつかった。しかもその後夜は立食形式の懇親会が2時間ぐらいあって、立ちん坊だったので、家帰ったときはもうへろへろになっていた。


その会議の途中で、幼馴染のグループLINEから友人の訃報を知る。

10年ほど前から、昔の仲間が時折集まって飲み会とかをするようになった。
僕は途中から少し違うコースに進んだので、子供の頃はすれ違いで会っていない。
他のみんなは昔からの友達だと思うが、僕が彼の事を知ったのはその飲み会が始まった頃で、いい年になってからだ。

ただ、付き合いのとてもいいやつで、飲み会ではほぼ必ず会っていた。
二次会でなじみのお店案内してくれて、夜中の2時ぐらいまで飲んだりしたこともあったなあ。。




ちょっと喪失感がありますね。
まあ出会いもあれば別れもあるし、再会しても最後は別れるわけだし。
こちらもこの数年来、いま一つ調子よくないしね。



会社の会議と懇親会も、ふだん話さない人たちと話したりしてちょっと緊張もしましたが、これも出会いと別れを感じさせますね。話していたらお互い知っている人の名前がどんどん出てきたりして。。

しかしまあ、とりあえず、寒かったな。
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