気持ちの弱ったときは村上春樹を読む。もっとも、本屋に行っても読んでいない本はあまりない。
村上朝日堂も、読んでいないはずはないが、ぱらぱらめくって、読んだことを思い出せなかったので、買ってみた。
(もっとも、オーディオ・スパゲティのところを見て、前に読んだことを思い出した。20年以上前に読んでいる)。
週刊誌の軽いコラムだが、30年近く前のものだ。今読むとさすがに隔世の感を感じる。
交通ストの話、それに締め切りと植字工の話など、もう今の若い人は理解できないのではないか?
30年ぐらい前まで、主に春になると、JR(当時国鉄)や大手私鉄の電車がストで運休になっていた。もちろんみんな迷惑したし、もっと昔には乗客が怒って暴動を起こすという、今の日本では信じられないような事件もあったが、僕らが子供の頃は、いつも入れない線路に行って遊んだりできたので、ちょっとうれしかった(本当はいけないけど)記憶がある。
植字工の話も、もう昔話だろうな。
銀行員がボーナスの預金を勧誘する、という話は、今もあるのだろうか。文中協和銀行と出てくるが、30代半ばより若い人は初めて聞く名前かも知れない(いまのりそな銀行)。
「主夫」の話。この経験が「ねじ巻き鳥」の描写につながってくるのか、とも思ったが、この経験に関する村上氏の見解は鋭い。
こうしてみると世間一般で「主婦的」と考えられている属性のうちの多くのものは決して「女性的」ということと同義ではない様に僕には思える。つまり女の人が年をとる過程でごく自然に主婦的な属性を身につけているわけではなく、それはただ単に「主婦」という役割から生じている傾向・性向にすぎないのではないかと言うことである。
更に、世の男性は一生のうちせめて1年くらいは主夫をやってみるべきだと述べ、そうすれば、現在社会でまかり通っている通年の多くのものがいかに不確実な基盤の上に成立しているかというのがよくわかるはずである、と言う。
夢を見ない、と言う話を読んで、河合隼雄氏との対談を思い出した。僕は結構夢を見る。小説を書けば、僕も癒されるのだろうか?
この頃の村上氏は36歳。評論の話など、結構ナマな怒りが文面に出ているところもあったりして、色々と面白かった。
「神の子どもはみな踊る」は、2年前の震災後読んで、ここに簡単な感想を書いた。このブログを書き始めた、最初の頃の話だ。そのときの感想は簡単なものだったが、今読み返すと、やはりどれも味わい深い作品に思える。神の子ども・は「1Q84」につながりそうだが、もしかしたらこちらの方が切れ味が良いのでは?そういえば、上の村上朝日堂では、僕は二日酔いの気持ちがわからない、と言っていたが、わかるようになったのか?
「アイロンのある風景」、「タイランド」どちらも心にしみいる、とても後味のよい作品だ。「UFOが釧路に降りる」は、ちょっと仕掛けが大きすぎて、短編に収まりきっていないかんじがある。
「かえるくん、東京を救う」は、村上氏らしい、スーパーナチュラルな作風で、面白いのだが、ややその作風に引きずられすぎている感じがしなくもない。「蜂蜜パイ」は、今現在未読だ。