うさぎくん

小鳥の話、読書、カメラ、音楽、まち歩きなどが中心のブログです。

新潟、山形方面行き その2

2024年08月03日 | 旅行記
新潟市内で一泊し、主に日本海東北自動車道を経由して北に向かいます。

今思うと村上の辺りから海沿いの道(一般道)を行っても良かったかもしれません。高速も全通していないので、途中から一般道に入り海側に出ます。


途中道の駅に立ち寄りながら、粛々と進みます。新潟からだとあんがい距離があるのですが、先の予定をはっきり立てていないので、あまり余計なことはせずに進みます。



鶴岡。

この頃、約20キロほど北の酒田や新庄では大雨で大変なことになっていました(改めてお見舞い申し上げます)。
この辺りも、どうなっているのか心配したのですが(実際市内の一部では前日に雨が大変だったようです。さらに言えば新潟市内も相当水が出たようです)、着いてみると市内の川の水かさを含め、特に雨の影響はないようでした。


城下町のイメージでしたが、むしろ文明開化の匂いが。

致道博物館。
市内に残った建物を移築してひとところに集めたそうです。

建物内。

ミニチュアの室内模型が並んでします。



趣味の部屋。作り掛けのボディはコロナ1600GTと見た。。


もちろんミニチュアだけではなく、他の建物では古い農家の民具や、明治時代の警察の建物内の様子を展示しています。
さらに古い、古代の化石とかも見られる。

『さかな』

なんという大まかな。。


農家や幕末期の建物も保存されていますが、明治期の西洋館風の建物がこれだけたくさん残っているのは、少し意外でした。

近くの「致道館」に模型の展示がありましたが、市内中心部(現在の市役所)に明治9年に建てられた西洋風3階建ての学校「朝暘学校 」は、室数が42もある巨大な木造建築で(しかし、完成からわずか7年で火事で焼失してしまった)、この街が明治以後いかにモダンな街に変貌していったかを示すものでした。
今でも地域の銀行とか、大学の研究施設などが立ち並び、この地域の中心的な都市として機能していることがわかります。

まあ、行く前のイメージは庄内藩の城下町で、侍や町人が行き来するようなイメージだったのですが。。


そう、つまり『海坂藩』ですよね。

というわけで、今回最大の目的はこちら藤沢周平記念館でありました。

お昼ちょっと前でしたが、館内お客さんは2人くらいで、ひじょうにじっくりと見て回ることができました。

ひじょうによかったのですが、ここでうまく記述できるようなものもないのですが。。

まあしかし、これが海坂藩か、という聖地巡礼的な。。

ここでも、道中最終区間のあつみ温泉から高速に乗ってしまったので、少々悔いが残ります。そのまま海沿いに走れば「海上藩」もなぞることができたのですが。。ナビに頼りきりではなく、事前に計画を立てることも大切かもしれません。というか最近忘れてました。

鉄道(羽越線)はこのような城下町の定石通り、市の中心部から少し外れたところを通り、そこに駅前の市街地が広がっています。

とりあえず駅に行ってみようかと、車を城址公園に置いたまま歩いたのですが、梅雨明け前とはいえ32℃の炎天下でそれは無謀だったようです。

駅前の商業施設らしい建物に食文化云々と書いてあったので、レストラン街かと思って入りました。
目の前が観光案内所みたいになってて、ちょっと雰囲気ちがうと思ったのですが、とにかく暑かったし、レストランは確かにあったのでそのイタリアンに。
お客さん自分だけ。

ランチ2,200円で高めでしたが、たしかに印象に残るおいしさでした。

鶴岡城址に戻るのは流石に歩くのはやめて、市内循環バス(ハイエースみたいなミニバス)におっかなびっくり乗りました。乗り方がよくわからなくて、「こっち、これ押すの」とかゲラゲラわらいながら教えてくれた親切なおばさんに助けられながらなんとか乗りました。

当地から鶴岡までは新潟経由で行く方法と、東北道から山形を経由して行く方法があります。どちらも450キロぐらいです。帰りはこの山形ルートを使いましたが、やはり一部一般道利用で月山を超えていきます。高速は対面通行で制限70Km、一般道は50か60km/hで流れてますからあまり変わらないです。前後の車と延々一緒に走ることが多いのでちょっと気疲れしますけど。

出がけに満タンにして、新潟から出発するときに再度給油、帰宅してからまた給油して満タンにしました。今回の全行程は968Km, 新潟で21.64l (@165円)、帰宅後33.69l(@156)、燃費は17.5l/km という結果でした。
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新潟、山形方面行き

2024年07月31日 | 旅行記
先日も書きましたが、25、26日と新潟、山形方面に出かけてきました。

ご存じのように先週は梅雨前線が北日本に局地的な豪雨をもたらし、各地で深刻な爪痕を残しました。改めて被災地の皆様にお見舞い申し上げます。

豪雨は他人事ではなくて、当地でも先週水曜日には竜巻による被害、今日も夕方に局地的な豪雨で市内でも水が出たようです。僕自身は先日書いたように高速でホワイトアウト的な豪雨に遭遇しました。。

今回訪れた地方も、数10キロ先では堤防決壊などの被害や、鉄道や道路の被害もあったようですが、幸い旅先はいずれも無難でした。

さて・はじめます。

まず、長岡の街を訪れました。
ここでの目的は山本五十六記念館。

書籍その他、色々な形でこれまでその人物像に触れる機会がありましたが、最近ではNHKのドラマ「倫敦ノ山本五十六 」で、香取慎吾さんが五十六を演じたのが印象的でした。
開戦時アメリカでは悪の象徴のような捉えられ方をしていましたが、最近では再評価の動きもあるとか。
ロンドン軍縮会議はその後の日本の方向性を定めた出来事の一つだと思いますが、一個人の力では如何ともしがたい時代の流れと、そのなかでカギを握らざるを得なかった男(五十六)の相克に、なんとも言えぬ重いものを感じます。


なのでこの人は、わかりやすいスーパーヒーローではないのですよね。
にも拘わらず、色々な場面で立役者として祭り上げられてしまう。

ただ、歴史上の人物と言うのは多かれ少なかれ、そういう面があるのかもしれません。

山本五十六記念館のすぐ近くには河合継之助記念館があります。

この人と長岡藩が幕末に活躍したことは知っていましたが、何で読んだのか思い出せないんですよね。。司馬遼太郎ではなかったと思う。

それから、2年前に映画(「峠 最後のサムライ」)になったことも実は知らなかったのですが、主演の役所広司さんは13年前に山本五十六の映画で、やはり五十六を主演されているのですね。

今更なに言ってんだよ、という感じですが、すごい人ですね。僕の中では役所さんと言えば阿南惟幾「日本のいちばん長い日」ですが、歴史上の有名人総なめですね。
いいだすときりがないみたいですけど。。


二日分をまとめて書こうかと思ったのですが、やはり長すぎるので続きは次回にします。なにしろ暑いので(仕事以外で)なかなかPCの前に座れなくて。。
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ゲリラ豪雨

2024年07月27日 | 旅行記
木、金と、車で出かけていました。
出かけた話はあとで書くとして、ここでは高速で大雨に見舞われた話。

昨日金曜日、山形道経由東北道で帰りました。途中「災害派遣」の札をつけた自衛隊の輸送車と何度もすれ違いました(大雨で被災された方々のお見舞いを申し上げます)。

朝から、移動した先々いずれも薄曇り程度で、雨にはほとんど逢いませんでした。帰りも至極順調だったのですが。。

夕方5時を過ぎると高速もだいぶ混んできました。ずっと同じような車と並走して疲れたので、安達太良のSAに入ったのが午後5時45分ぐらい。

走行中、夕日が眩しかったのでサングラス(メガネの上からつけるやつ)を着けようとして落としてしまいました。それを拾って、空を見たけどパラパラと雨が降ってくる。もう使わないかな、と思いました(が、その後また日が差したので、しばらく使いました)。

なぜかSAに寄ると食べたくなる串付きフランクを食べて、6時くらいに出発。オーディオからはドビュッシーのピアノ曲が流れていて、夏の夕べに相応しい音楽だにゃあと、まったりした気分になっていたのですが。

この頃には周りの車はかなり減っていました。時折追い越し車線に出て、遅いトラックを抜いて戻るを繰り返していました。そのうちずっと後ろを走っていたVWが前に出て、その姿を追いながら走っているところでした。

夕方になっていたとはいえ、かなり急に暗くなってきたな、と思う間もなく、フロントグラスに通常の何十倍ぐらいの雨粒?が落ちてきた。側面や屋根からもパチパチと雨粒が被弾する音が聞こえてくる。目の前には滝のようなものが。

空には時折光の筋が見え、赤灰色に明るくなる。
矢板の辺りです。いやあ、さすがは栃木だねえ、とか思いながら減速。。

雨はどんどん激しくなります。よくバケツをひっくり返したようにとか、機械式洗車機に入ったような、といいますが、そんな感じです。

前が見えない。

車のライトは自動でアップになっています。道路の白線と、道路わきにある反射板だけが頼りです。それも見えるのは10mぐらいか。前後の車のライトは見えます。幸い空いていたので、追突等の恐れは小さかったのですが、それでも見えないまま走ってぶつかるんじゃないかと、相当びくびくしました。
ただ、停車すると追突されますので、ハザードをつけながら走りました。50km/h弱ぐらいは出ていたと思います。

一瞬白線も前車のライトも全く見えない、という状態が、たしか3度ぐらいあったかと思います。滝の中に突っ込んだようなものです。ただ、状態は一様ではなく、目を凝らせばすぐに白線や反射板が見えます。それでも相当怖かったです。

ひじょうに激しい状態だったのはそれほど長くなかったと思います。
雨の前、7時になったら音楽を止めてラジオのニュースを聞こうと思ってました。大雨との格闘がすこし落ち着いて、ふと気が付いたら7:11でした。FMはダイバーシティが作動して違う周波数になっていましたが、AM(594MHz)はすぐに聞こえました。雨でもラジオはふつうに聴けました。

宇都宮以南の3車線に入ってからも、しばらく激しい雨は続いていました。佐野辺りまでだいぶ強かったかな。

とにかく怖かったのは追突です。

激しい雨に遭ったのは(今思うと)矢板北PAを過ぎた辺りだと思いますが、その先上河内SA、あるいはどこかの出口があっても、停車したり高速を降りたりという判断はできませんでした。視界が悪いので、道を外れたり他車にぶつかる方が怖かったのです。
ただ、道路が混んでいたら別の判断になったかもしれません。

大型トラックの人たちは慣れているのか?けっこう平気で走っていました。さっきまでこっちが抜かしていたのに、ばんばん追い越していきました。

あと、カーナビの地図を見てたら、雨雲と思われる黄色い塗りつぶしが表示されていました。そういうのも表示されるんですね。ただ、それ見て逃げるわけにもいかない。高速なのでスケール800mぐらいで表示していたけど、ふつうはもっと細かい地図で見ますからね。。

大雨の中を走った経験は前にもありましたが、今回のが一番すごかったです。
地元で雨(つい先日がそうでしたが)だと対応のしようがありますが、長距離移動の場合は一考の余地がありそうです。。



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白河の関

2024年06月30日 | 旅行記

用事があって白河に行ってきました。

用事というのはこれです。
鉄道廃止後に線路敷をバス専用道路にして運行していた路線があるのですが、その専用道路が一部廃止になるそうなので、ちょっと見てきたのです。

この話は鉄道部に書く予定。

そのついでに寄ったのが白河の関です。
ついでといってはなんですけど。。

言葉としてはよく聞くのですが、箱根の関所みたいにはっきりした遺構が残っているという訳でもないんですよね。

これは・ちがいます。近くの白河の関公園にあった藁ぶきの家です。
整備中なので中に入れなかった。

白河神社を中心に遺構の調査が行われ、保存されています。


梅雨の晴れ間で暑い日でしたが、木陰が気持ちよかったです。

近頃はどこへ行ってもインバウンドの人だらけですが、流石にここにはいなかった。目だったのは案内図を熱心に見る歴史おじさんみたいな人や、公園であそぶ親子連れくらいかな。

以下、写真の数結構あります。











暑かったのですがやはりお昼は白河ラーメンということで。
国道289号線沿いにたくさんお店が並んでいますが(どういう訳か白河から棚倉方向に向かう進行方向右側にしか店がなかった。なにか理由があるのかな)、棚倉から戻る途中の適当なところでお店に入りました。
縮れ麺でわりともちもちしています。


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海ほたる、富津岬

2024年05月28日 | 旅行記

アクアラインに行ってみました。今まで話には聞いても、行った事はなかったのです。


そもそも今の住まいから、実用的なルートとして使い道があるかというと・、ないかも。
千葉方面行くなら外環を通るのがふつうでしょうね。

都心(中央環状線)を経由していくのですが、あれ、延々トンネルで、楽しい道とはいいがたい。

率直に言って、アクアライン自体も似たようなもので、ただまっすぐなトンネルを通るだけという感じ。

海ほたるから先は橋ですが、生憎雨模様だったので特に風光明媚というかんじではなかったです。


雨は降ったりやんだりでした。
雨でも別にいいやとは思っていましたが。

久しぶりにシグマの超広角(10mm-20mm)を持ち出しましたが、防水でないのはともかく、フードが浅くて前玉が出ているため、直ぐに雨滴がついてしまう。ちょっと撮影厳しかったです。

ゴジラの足跡。
これ、撮影した時は気が付かなかった。。


この手前辺りから、ゴジラ出てきたんでしたね、。



左右に分かれた建物とか、なんとなく雰囲気が東京国際フォーラムを連想します。時代的に近いというのもあるかな。


海鮮ものは高そうなので洋食にしたけど、結局結構高かった。東側にはB級グルメっぽいものがあるのでそこでも良かったかな。

インバウンドの人たちはわかるけど、子ども連れの人が多かったのが不思議。学校休みなのかな。

千葉に渡って、買い物してもなんなのでとりあえず富津岬に行ってみようと。

地図で見るとそうでもないけど、結構距離がありました。
今更ですが、通っている道が国道16号だという事にきがついてびつくり。

行ったら雨風がつよい。

雨を手でよけながら撮影したら、手が映ってしまった。。



展望台も一番上はかなり風が強くて、上るのを断念。

ちょこっと撮影して退散です。

帰りは木更津南から高速に入りました。
圏央道C4への分岐があったので、なんとなくそちらに向かったけど、圏央道まだ全通してなかったのね。

八街あたりから下に降りて、冨里から東関道経由で帰りました。がいかんどうとか、渋滞すると面倒だから。

圏央道は渋滞さえしなければ、けっこう眺めが良くて好きなんです。
昔は退屈で困ったけど、いまは運転支援使えるので楽々だし。
道中いろいろ、考え事しながら帰りました。

広大な関東平野を西に向かうと、前方の雲の切れ間からオレンジ色の夕日が見えてきて、なかなか結構でした(写真は撮れぬ。あれか、ドラレコがあるのか。あれ、どうやって見るのかしら)。
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双葉町、フルハウス

2024年03月28日 | 旅行記
少し間が空いてしまいました。


伝承館に行くべく国道6号線を走っていくと、双葉に近づくにつれて交差する道に、この先帰還困難区域で通行に制限あり、と示す表示が目立ってきました。沿道は山がちの風景から平らな地形に変わり、閉鎖しているコンビニやガソリンスタンドも見えてきます。この辺りが双葉の中心街らしい。伝承館はその先でした。

ので、伝承館を出た後、ふと思い立って、少し戻って二葉駅の方に行ってみました。

二葉駅は4年前、常磐線の全線運転再開に伴い整備され、周辺は特定復興拠点区域に指定されて整備が進められています。

街のもとの姿は知らないのですが、今更地になっている辺りにも多数の商店や旅館などが立ち並んでいたようです。

Google ストリートビューを見ると、2013年の様子がわかります。
震災前の建物は一部を除き順次解体が進んでいますが、解体前の建物を利用してグラフィティアートが描かれています。


カーナビには・。

東邦銀行双葉支店。
現在は隣町浪江支店の店舗内店舗として営業中です。

建物はほぼそのままの形で残っています。
地震の起きたときはまもなく窓口が終了する時間帯でしたから、店内にお客さんもけっこういたかもしれません。

余談ですがあの日、取引先の銀行営業の方は自転車でうちの社に向かっていたそうです(たしかビルまで来たんだったかな)。大きな地震に驚いて、そのまま銀行に引き返したと、後日聞きました。

ここは解体されるのか、いつかは整備して再利用するのでしょうか?

消防団の建物です。
ここは隣に新しい建物が既に建っています。
この絵、街の人々の笑顔が心に刺さる、いい絵ですね。。

津波ではないと思いますが、壊れていますね。
消防車と言うか、赤い消防団の車は津波に飲まれて大破し、伝承館の庭に保存されています。

地震で止まったということでしょうか。


双葉町図書館。



解体は決まっているそうですが、おそらく本以外の備品等は当日のままになっているように思えます。



街を歩いていると、ごく普通のモダンな民家が多数建っています(建坪は首都圏民がみると相当に大きいです)。窓にはカーテンも見えます。

普通に人が住んでいるのかなと思って近づいてみると、どうも様子がおかしい。おそらく避難指示が出て、とるものもとりあえず家を空けられたのでしょう。退避後そのままということではなく、或いは定期的に住民の方が戻って整備されているのだとは思います。

そうした写真を掲げるのは失礼なので掲げませんが、一番印象に残ったのは商家の二階の窓越しに、室内干ししている洗濯物が見えたことです。


双葉を後にして、小高駅に向かいました(電車じゃなくて車ですけど)。
無人駅だそうですが、駅舎に店舗が設けられ、待合室も色々装飾されています。
「おだか」駅なんですね。
なんか、Kの字を消したのかしら。。


ここに来た理由はこのお店です。

作家の柳美里さんが経営されている、ブックカフェのフルハウス。

・・実は柳さんのすごいファンだとか、そういう訳ではなくて、そういえばテレビで紹介されていたな、程度の認識で来たのですが。。

人の書斎を眺めているような感覚がありますね。

手前がカフェ、ここにも書架がありますが、奥にも二部屋あります。



前から読みたかった柳さんの山手線シリーズ(本人自署入り)と「みずうみ」を買いました。

それと岡崎京子「ping」。
見つけたときは「お・」と思いました。

カフェで少し読みましたが、あれだね、いつのまにか時は流れ。。


ケーキセット740円。
チーズケーキに塩と胡椒がついていて、お好みですこしつけて召し上がってくださいと。

これ、そうとうおいしくて、車で帰りながらあれうまかったなあ、と思い出したりしていました。

という訳で旅は終わり。
自宅からおよそ240キロぐらいですが、できれば今回見逃したところを含め、再訪してみたいです。

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東日本大震災・原子力災害伝承館 ほか

2024年03月25日 | 旅行記
浜通りを訪れた本来の理由は、3.11の記憶をたどるためです。

震災から13年が経過し、被災した各自治体は引き続き復興への努力が続く一方、あの日の記憶を風化させないようにと、各地で伝承館を建てたり、公共施設の一角に展示室を設けたりしています。

いわき市にも情報館、記念碑は多数ありますが、短時間ですべてを回るのは無理です。いわき市ではアクアマリンに隣接する商業施設、いわき・ら・ら・ミュウ2階に展示された「いわきの東日本大震災展」を見るにとどめました。

地震に伴う津波の被害はきわめて広範囲であったわけですが、いわきも相当の被害を各地で受けていたようです。

小名浜も相当な被害を受けたようです。泉から出ている福島臨海鉄道は1年近く運休、後に小名浜の駅を移転し、跡地にはとてもきれいなイオンモールが建てられています。街は賑わいを取り戻してきているように思えます。

翌日はいわき駅付近から北上し、6号線沿いの四ツ倉を目指しました。
この道の駅も津波で被災しています。

ここには砂浜があり、夏は海水浴場としてにぎわうようです。

土曜日の朝なので、サーファーと散歩の人ぐらいしかいません。

そろそろ春ですが、この日も寒く、昼頃から雨が降りはじめました。

やはり、なんとなく「真冬のサーファーはまるで カラスの群れのよう・」と歌いたくなってきます。

昨日だって、小名浜の第二埠頭を歩いていたら、だんだん日が暮れてきたので;

「あ・お・い とばりが 道の果てにつづいてる~・」とか、心の中に自然とうかんでくるわけです。。


やっぱり、スイッチが入っちゃいますよね。

閑話休題。

しかしながら、穏やかな中にも秘めたエネルギーを漂わせているこの波を見ていると、自然の持つ暴力性と、そこで暮らす人々の思いに心を巡らせたりするわけです。

例えば三浦半島の西側とか、湘南の辺りの風景と、この辺りの沿岸のたたずまいは何か違う気がします。

前者は(幸いなことに)ここ100年、巨大地震や津波などの被害からは免れています。葉山、鎌倉、江の島は人々が行き交い、賑わっています。

翻って、この辺りの街も人々のたたずまいは、どこかこの自然に心を許していないような感じがあります。


四ツ倉を後にして、双葉町に向かいます。

往路、常磐道にも国道6号にも表示がありましたが、一部に帰還困難区域が残り、立ち入りも一部制限があるようです。
東日本大震災・原子力災害伝承館

4年ほど前に建てられたようです。周辺は非常に広い平地が広がっていますが、13年前にはここを波が押し寄せたそうです。ただし、今は盛り土が施され、多少かさ上げされているようです。

このピアノも波に洗われたそうです。

双葉町は福島第一原子力発電所のある大熊町の北側に位置しています。
震災の翌日、ほぼ全町に避難指示が出され、一昨年まで帰還困難区域に指定されていました。現在は避難指示も解除になり、復興に向けた努力が行われています。



M9の地震、そのあとすぐに襲ってきた津波、さらに翌朝から始まった全町避難と、町は翻弄され続けます。

11日の昼過ぎまでは、いつもどおりの早春の金曜日だったのですが。

震災の翌早朝、半径10キロ圏の避難指示発令。

同日午後、1号機建屋が水素爆発。


続いて14日には3号機、さらに定期検査中だった4号機も。

廃炉に向けて準備が進められていますが、思惑通りに進まなかったり、処理水を巡っても地元漁業関係者との調整に腐心したりと、次々と難題が待ち受けているようです。


原発の是非は時折政治的な論点として取り上げられます。たしかに大変な悲劇なのですが、他方ここで感じたことは、たくさんの人たちが果てしなく思える努力を重ねて、とにかく今日の姿にまでもってきているということです。

嘆き悲しむのでもなく当たり散らすのでもなく、何とかしなきゃと重ねてきた努力を思うと、日本人と言うか、人間て大したものだとおもったりもします。

ビデオ映像を見たあと各展示を見て、さらに少し待てばトークセッションも参加できたのですが、ちょっと心があれになったので失礼して館を出ました。

腹はへったので、隣の施設で昼飯。前日福島産の魚介類を買えなかった(翌日も移動するので。まあ何か乾き物でも買えばよかったかも)ので、ここで赤魚のランチを食べました。大変美味でした、。土曜のお昼ですが、お客さんがとてもすくないようです。がんばってください。

旅は続きます。
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アクアマリンふくしま

2024年03月24日 | 旅行記
福島浜通りのほうに行ってきました。

アクアマリンふくしまは東北有数の水族館です。
3.11で被災しましたが、見事に再起しました。
・とはいえ、こうして訪れるまではあまり知らなかったのですが。

水族館ですが、順路通りに進むと最初にネズミがでてきます。
これはタヌキです。みればわかりますけど。

カワウソがいる水槽です。
カワウソは右側の巣にいるのですが、けっこうはしっこくて、撮影できませんでした。すごく近くで見られるので、迫力はありましたけど、。


生物の起源から進化した過程を展示していますが、とっても興味深いです。
全然詳しくはないのですが、仕事中に時々ウィキとかで古生物の記事を読むのは好きです。

カブトガニはよく動き回ります。不思議な生き物ですね。。

イカ、じゃない以下、適当に撮影成功したものだけ並べていきます。

すぐ手前がガラスですが、こいつらおおきなあんよをバタバタうごかしていました。全然前に進まないのですが、何やってたのでしょうか。


実物はここまできれいではなかった。

鯛、いやタイの人らしい団体さんが来ていました。
福島も海外からの観光客はだいぶ来ているみたいです。よしよし。

かなりかわいいです。

この辺はきれいに撮れます。


ゆでる前から赤いんですね。



海で出会ったら相当きもちわるい気がします。
よくこんなものを捕まえて食うな。食うけど。

これは何と言うのか、砂漠のきつねみたいな動物ですね。かなりかわいいです。

金魚の館。金魚もかわいいですね。

なかなか見ごたえがありました。

この埠頭には海保の船が停泊していました。
友達が海保ですが、こんな船に乗ってるんですかね。。

余談。
先週の土曜に洗車したのですが、20日の雨は泥水みたいな雨だったのか、さわってもザラザラする程汚れてました。
もともと汚れの目立たない色しているんですけどね。

翌日は雨の中高速走ったので、泥は落ちたのですが、リアガラスなどは少しくすんで見えるくらい汚れています。
今日も夜は雨で、疲れてたので洗車しなかったけど、春は洗車けっこう大変。

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京都のうさぎ神社

2023年11月25日 | 旅行記
書こうと思ってずっと手が付けられずにいた話です。。
京都に行ったとき、泊まった宿の近くにこの神社がありました。

通りから見ると何の変哲もない神社です。
提灯の柄がちょっと気になりますが。。
岡崎神社という名前を聞いても、そこから何かを想像することは難しいです。

いきなりこれです。

ちょっと雨降ってたもので。。

この時、朝9時に集合してみんなと出かけることになっていました。
朝食後、少し空いた時間をみつけて訪れました。

ので、まだお札を売るところが開いてなくて、お守りとか買えなかったのが残念。。





それほど古いものではないようですね。

というか、ここまでくると相当確信犯というのか。

アニメのキャラクターもどきというか。


うさぎを神の使いとする神社として、さいたまの調神社があります。
数年前にそこにも行きました。

手水のところに巨大うさぎがいて、口から水を吐き出しているという、ちょっとエグ味の効いた演出、じゃない、設定になっていました。

こちらはもっとタガがはずれているというか、思い切りカワイイを前面に出しているというか。

とても、京都らしいですね。






うさぎの御祈願

月を仰ぎ、力を体に満たしたうさぎです。

子授け、安産をはじめ、各々の御祈願を祈り、
うさぎに水をかけて おなかをさすってお参りしてください。

お札に願い事を書いてかけてあります。
その画像をここに掲げるのはさしさわりがありそうですのでしませんが、
どうやら世界中の人たちがここを訪れているようでした。

ちょっと見たところ、英語、ドイツ語、スペイン語?(ラテン系ぽかった)、タイ語、繁体字の中国語あたりが目につきました。

Wishing for health, wealth, and prosperity for our family.
We pray for healthy babies and a dog will be well. 
Also, for peace in the world.

世界中のだれもが、うさぎをかわいいと思うし、願い事を書いて手を合わせてお祈りしたくなりますよね。
平和な世の中が続きますように。。




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都市

2023年07月17日 | 旅行記
週末仙台に行ってきました。
基本的にてつたびなので、詳細は「鉄道部」の方に書くつもりですが、ここでは別の感想を。

仙台市は東北最大の都市で人口は110万人に達します。平成元年に政令指定都市に移行し、宮城県内の半数近くの人が住んでいます。
政令指定都市がどんなものなのかとか、そういう行政云々のことは素人でよくわかりません。スケールメリットがありそうというのはなんとなくわかります。仙台市には南北に市交通局の地下鉄が走っています。
南北線は’87年の開業、東西線は震災後の8年前に開業しました。
経営状況は少し大変なようですが、乗車した実感としては結構利用客は多いようです。
これに石巻から松島を経由して仙台市中心部には地下線で入る仙石線、南北を貫く東北本線、山形方面へは仙山線、名取から空港へ向かう空港アクセス線などによって、仙台都市圏が形成されています。




仙台空港は新千歳、関西、九州、那覇などの国内線のほか、台湾、中国本土(25日再開)などを結んでいます。
3.11の震災のときは津波が押し寄せ(地震発生時、奇跡的に旅客機は滑走路にいなかったそうです)、小型機やヘリが押し流されました。
僕は丸の内のオフィスにいて、ワンセグのニュースでそれを見て、天を仰いだのを覚えています。

12年が経過して、街には当時の様子を思い出させるものはありませんが、うっすらとペンティメント(画家が後に塗りつぶした下絵)のように浮かび上がってくるものがあります。





大宮から新幹線に乗りましたが、仙台まで1時間ちょっとです(上野からは1.5時間ぐらい)。いちおう昔を知ってますから、ちょっと感覚がバグりますね。今でも常磐線経由だと4時間ぐらいかな。。

交通の便はかなり良いと言っていいでしょう。
太平洋側に面した平野で気候は穏やか。雪は降るけど積もるようなことはあまりないそうです。

仙台駅前はパルコとヨドバシカメラが大きくて驚きますが、見たところ都内の繁華街よりはコンパクトで何でも買い物しやすいように思えました。


地下鉄の話に戻りますが、ひとつ感心したことがあります。
それぞれの駅、どこもトイレが改札の外にあって誰でも利用できるようになっています。それもひじょうにきれい。公営の地下鉄だからなのかな。
たぶん関東地区の駅はそうなってないと思う(都営地下鉄はどうだろうか)。

ただ、ごみ箱が見当たらないのは困った。新幹線のホームや待合室にはリサイクル専用(ペットボトル)の回収箱があって一般ごみ禁止とあり、その一般ごみ捨て場がない。
大宮のスタバで買ったコーヒーの紙コップを捨てられなくて、在来線乗り換えて石巻に着くまでずっと手に持ってました。
最後は石巻市役所(の中のイオンにあるフードコート)で捨てた。

コンビニ(ファミマが多い気がした)の店前にもないような気がしたけど。
どうしてるのかしら。。

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宝登山、長瀞

2023年03月31日 | 旅行記
満開になった頃から雨続きで、今年は桜を見ることがかなわないかと思っていましたが、後半にはいって見る機会が増えてきました。

休みだったので午前中はのんびり過ごし、昼過ぎに出かけました。
おおむかし、小学6年の時に塾の友達が集まって、この辺に行ったことがあります。今回はそれ以来です。
みんな、元気かな。

宝登山神社は長瀞の駅から山に向かって伸びる参道をずっと行った先、山の中腹にあります。参道は冒頭に見られるような見事な桜並木です。

昨年行った、同じく秩父にある三峰神社に通じるような、きらびやかな装飾を持つ神社です。

御祭神は神日本磐余彦尊 (かんやまといわれひこのみこと、神武天皇)、大山祗神 (おおやまづみのかみ)、火産霊神 (ほむすびのかみ)です。大山祗神以外は聞いたことがありませんが、ウェブによるとミシュラン旅行ガイドにも紹介されている、由緒正しい神社である由。

東国を平定した日本武尊がこの付近で山火事に遭い、困っていたところに犬たちが集まって火を消してくれたのだそうです。このことに感動した日本武尊はこの山を火を止める山、すなわち火止山(ほどさん)となづけたそう。

ファイヤーわんこたちがどうやって消火活動をしたのか、想像するとたのしいですね。

秩父地方には山の中腹に神社が設けられることが多いようですが、人も資材も限られた中、造営するのは大変だったんだろうな、と思ったりします。

宝登山は標高500mほどですが、県内唯一のロープウェイで山頂まで結ばれています。山頂には小動物園と、宝登山神社の奥宮があります。
武甲山が遠望できます。

桜はちょうど今が満開という感じ。




今回は車で来ましたが、長瀞駅はこんな素敵な建物でした。

遅く行ったのでライン下りは終了していました。
京都で残念な事故が起きましたが、こちらは安全に気を付けて運航中です、と昨日ローカルニュースでやっていましたね。

というわけで、かるい気晴らしでした。
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伊豆半島 一周

2022年12月20日 | 旅行記
18日から19日にかけて、伊豆方面に行ってきました。

もともとは9月に京都鉄道博物館などに行けなかった、リベンジとしての旅行計画でしたが、家のことなどいろいろあって、計画が流動化して直前まで何も決められず。

比較的近場でなにかできないか考え、当初は富山も候補にありました。それか、会津若松。会津城久しく見てないし、喜多方ラーメンたべて、五色沼行って沼尻鉄道の廃線跡めぐって・・と色々考えられます。日本酒も良い。

しかし、これらの北の地はここ数日の寒波のため、不可能と判断されました。
じっさい、無理して出かけていたらえらい目に遭っていたことでしょう。。

つぎに、千葉でもいいんじゃないかと。アクアライン走った事ないし、房総半島一周するのも手ごろでよいかなと。
これは、てきとうな宿が取れませんでした。

それで、半島といえば伊豆半島はどうかと。
いうことで。

すが、日曜日はいろいろあって、出発できたのが午後4時過ぎ。
3時間のドライブなので、それ自体はなんちゃない(土佐弁)のですが、とうぜん何もできませんわな。

ここには友達が数人いるのですが、こんなにどたばたの日程では会うこともかなわず。

あまりニュアンスが伝わらないと思いますが、ここんとこなんか思ったように物事が運ばん状況なのです。。

運ばんといえば、この日は新幹線が停電で止まり、多くの人が影響を受けて大変だったみたいです。ホテル近くの駅でも、たくさんの人が立ち尽くしていました。

幸い、といってはなんですが、僕の方は車でしたので、交通の面では影響を受けずに済みました。

寒い夜で、ホテル周辺は商店もほとんどなくて、とても暗いかんじの街並みでした。駅で食事してあとはこもってました(「1Q84 再読」はここでかいたのだ)。

部屋は眺めのよい高層階でしたが、家の明かりもまばらって感じで。
テレビつけてサッカーみながら、というかほとんど寝てました。

で、朝起きて外見たら、上のような風景が広がっていました。
眺めの良い部屋、だったのです。

月曜なので通勤の人とかたくさんいて、あわただしい朝の風景のなか、すこし静謐な場所へ。

それにしても口がでかいやつだ。

ネットで見ると、伊豆半島一周は2泊3日ぐらいで行くのが良いよ、とあります。まあ、見どころは色々あるようですが。

今回は色々立ち寄ったりはあまりせず、くるっと反時計回りで行くことにしました。

松崎から少し南にいったところの、名もない駐車場付近ですが、富士山と海がきれいに見えました。

この日は良く晴れていましたが風がものすごく強くて、すごく寒かったです。
海に近い道では、時折海岸に当たった波しぶきが道路まで飛んできて、フロントグラスにかかったりしました。

観光地に立ち寄るのも良いですが、今回は車を繰って眺めの良いところを回るだけで、十分楽しめました。

こないだの三峰山同様、ワインディング・ロードが続く行程でしたが、基本ATのスポーツモード(比較的低いギアを維持する)で走り、長い下りではマニュアルモードでM3,M2を選択して走りました。

冬場特有の、透明で明るい日の光と、落ち着いた山々の色合い、そういうのを見ているだけで、気持ちが良かったです。

車内の音楽は、何枚か持ってきたバレンボイムのベートーヴェン・ピアノソナタが不思議と良かったです。午前10時の田舎の風景に、よく似合っていました。

石廊崎灯台に行こうとして、道間違えました。
まちがえて石廊崎漁港に行ってしまった。
今日は観光船も休みで、誰もいない。店もやってない。

写真はそこから少し行った、何でもない海岸。
まるっきりではなく、ほんの少し、人がいて車が走ってたりします。
いいかんじです。

下田についたのが2時半ぐらいで、ここでお土産を買って(旅行支援でもらったクーポン使って)、あとは海岸沿いをひたすら走って、真鶴道路、小田原厚木、でしたっけ。
厚木でものすごい渋滞に遭いましたが、それ以外はスムーズでした。

というわけで、ちょっとだけ気分転換です。
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三峰神社

2022年11月27日 | 旅行記

名前はしばしば耳にするが、いままで行ったことがなかった。

東京にも高尾山とか、山の上にありますよね。
いわゆる観光名所になっているけど、都心から電車に乗って、高尾山口で降りてケーブルカーに乗れば、そこそこの時間でたどりつける。

ここも、秩父鉄道の終点が三峰口なので、そこからすぐにたどり着けるかというと、そうはいかない。

よく言えばすけ~るが大きいというか・。ありていにいえば、遠い。

秩父市からだと、車で1時間以上かかるかな。
バスもあるから、誰でも行くことはできる。
こういう、カジュアルな感じの?バスだけど、ものすごい林道をくねくね走っていく。
写真ではよく見えないけど、このバス、都心の通勤時間並みにものすごく混んでいた。入口までたっている人でびっしり。う~ん、大変そうだな。。

今朝になって気が付いたのだけど、今日はぽこっと、時間が空いていたのだよね。

親のいる施設が、コロナ拡大で面会とかができなくなった。
ほかの用事も、とりあえず今じゃなくてよい。
ので、朝になってどこかに行こうかと考えた。
そうだ、三峰、行こう。

ただし、動き始めたのは昼頃だという。。

行きは関越を使ったが、道はすいていた。
花園で降りて、道の駅で食事でもするべえと入ったが、隣の農協販売所を含め、駐車場が満杯でとめるところがない。
仕方ないからぐるっと駐車場を回って本線に戻った。

そのまま移動を続け、秩父市内に入り、秩父の道の駅に寄った。
ここもレストランは混んでいる。。
もうめんどくさくなって、立ち食いのタヌキそばを食べておしまいにした。
写真を撮ろうと思ったが、あまりにも平凡なたぬきなので、撮らなかった。。

先を急いだが、道中の話はあとでするとして。

驚いたのはここもとっても混んでいること。
こんな感じで並んでいて、初詣並みにすこしずつ前に進む感じになっている。
時間は午後3時半ぐらいである。

あまりこういうのは詳しくありませんが、この装飾的な様式は何というのでしょうね。

全般に派手目です。
手許にある神社の事典には、三峰神社は取り上げられていません。この辺はあで調べてみるか。。

関越などではオートクルーズ+車線維持+前車追尾の機能を使って走ることができる。自動運転ではないが、一応アクセルから足を放して差し支えない(ハンドルを放すと警告が出る)。

これ、一般道でも使うことができる。
ただし、車線維持機能は効かない。左右の白線をセンサーが読み取って制御するらしいが、ある程度速度がでていないとだめらしい。

田舎道を延々走るときなど、適当な速度に設定しておけば、定速で走ってくれるので楽だ。前車がいる時も、てきとうな車間を維持したまま走ってくれる。

前後に車が並走している郊外の2車線の道などでも、速度が乗ってきたら前車にロックオンして、そのまま走れる。信号などで止まらなければ、ずっと走っていられる。赤信号になったら、自分でブレーキかけた方がスムーズだ。
センサーは赤信号を認識しない。車任せにしていると、そのまま設定速度で突っ走ってしまう。その点は注意が必要。

この辺の自動装備は、最初は余計な感じがしていたが、使えば便利だし疲れも軽減される。

ここまでやっても事故は起こるんだよね。。
そこはちゃんと、頭で考えて状況を判断しなきゃだめってことなんですが。。

あと、秩父往還と二瀬ダムから先の林道は、けっこうトリッキーなつづら折りの道だ。

うちの車、こういうところは得意だろうなと前から思っていた。
で、案の定くねくねした道はかなり楽しい。ひょいひょういひょい、ふふふふふん、という感じで走れる。

上りはずっとDレンジで通してしまったが、帰りはエンジンブレーキのため手動変速に切り替えた。セレクターを右にして、前後させてギアを切り替える。下り坂でM2に落とすと、びっくりするほど滑らかに回転が上がってショック無くエンジンブレーキがかかる。
Dだとキックダウンするのに時間がかかるので、上りもMモードの方がよさそうだ。

のだが、ラリー選手権ではないので、速度制限は守らないといけない。
それ無視してぶっ飛ばすのも大人げないし。
そうすると、カーブで引き離したミニバンとか、乗っている人若くて怖いもの知らずなものだから、直線で遅れを取り戻そうとぶぶぶっと追いすがってくる。

ので、トータルで見ると別にうちの車が速いわけではない。
そんなこと考えながら走っていると、それはそれで結構つかれる。

というわけで、まだ修業が足りないようでした。。


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京都公演

2022年09月12日 | 旅行記
音楽団体の、京都での初公演を手伝うため、土曜日曜と京都に行ってきました、
最初は前日に現地入りし、京都鉄道博物館とかを見学して、日曜も知人の接待で観光する予定でした。が、家の用があるためにすべてキャンセル。
土曜に直接会場に行き、翌朝帰るという、最小限のスケジュールとなりました。

会場受付と、舞台の撮影(静止画)を担当しました。
動画撮影は現地の、知り合いの方がやっていました。この方が割と神経質な万事周到な方で、客席の床がやわで揺れることをとても気にされていました。

ので、動画も静止画もだいたい同じ、客席後方から撮影するのですが、こちらは遠慮してやや後ろに三脚を立て、撮影者はさらに後ろの客席付近に立つことにしました。ひな壇式の客席ですから、三脚(SLIKエイブル300DXという、一応一眼用の丈夫な奴だが入門用)をいっぱいに広げても(シートピッチの関係で制約あり)撮影時は中腰にならざるを得ない。

腰、やられました。
ぎっくりと違うから、動けなくはないけど、終演間近の頃にはへろへろ。

動画さんの機材、すごかったな。LumixSシリーズ、4台ぐらい使って、外付けのモニターとか接続して、ヘッドフォンしながら撮影してた。
なんかはいま~すとか、飛びそう。。

ホテルは御所の近くでしたが、朝外に出て最初に目についた神社が、足腰のお守り云々とあったので、お参りしました。そこが唯一京都で寄った神社です。

御所は横を通っただけ。
ここでGR2のカメラケース(中に予備電池)を落としました。
地下鉄の駅で気が付いたけど、ゴロゴロ引っ張って疲れてたし、戻ることはしなかった。

というわけで、いろいろと疲れました。。
珍しい経験だから、気分転換にはなったけど。
コメント (2)
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第3村

2022年08月07日 | 旅行記


当地の今日はうす曇り、気温は30℃ぐらいだと思いますが、午後エアコン切って昼寝して、一瞬軽い熱中症ぽくなりました。どうぞお気を付けください。。

さて、掲題の第3村は、上のニュースの通り昨年公開されたシン・エヴァンゲリオンに出てくる架空の地名です。撮影には(これはアニメ作品ですが)ミニチュアを作成して作画の参考にしたらしいです。

この駅と機関区らしき建物にはモデルがあります。
7月の旅行では、そこに行ってみました。

現地で買ったクリアフォルダー。包装を外してないので、光っちゃってますが。

天竜浜名湖鉄道の、天竜二俣駅です。



国鉄二俣線として昭和18年に開業し、昭和62年に3セク化されました。
戦時中、東海道線が不通になった場合のバイパス線として企画され、実際にその目的で使われたこともあったようです。

しかし、平時には利用者も多くなくて、近代化も進まなかったようです。
それが逆に幸いし、古い施設が今日まで温存される形になりました。

とりわけ、この天竜二俣駅にある、転車台と扇形機関庫は希少なものです。
転車台は有形文化財として登録されているそうです。
これね。

蒸気機関車の時代は、これで機関車の向きを変えることが必要だったので、全国各地に設置されていました。
今も保存運転を行っている路線では、改めて新設するケースなどもあるようですが、ここのように昔から周辺の線路を含めて残っているのは少ないと思います。

鉄のひとにはわかると思いますが(さいきんの人はあれかな)、昭和18年と言うと、蒸気鉄道としては比較的遅い部類に入ります。ので、このターンテーブルも、国鉄の標準から言うと新しめの、*8.8.'22訂正下路式というタイプです。

このことは重要で、この路線の設備が今日まで残ったのは、旧様式の蒸気鉄道を比較的新しい時代に作ったため、施設全体が状態の良いまま、令和まで引き継がれた、という面もあるようです。

もちろん、既に79年が経過しているわけですが。

木造の駅付属設備。

乗務員の基地になっていたので、それなりの規模の建物が整っています。

一部は現役で使われています。

象徴的な意味合いを持つ、給水塔。
蒸気機関車は大量の水を必要とするので(お湯焚いて走りますから)、その水をここで賄っていました。6tの水を溜めていたそうです。

今は実際には使われていません。

ツアーでは実際に転車台に車両を乗せて、転回実演もしてくれました。
そこら辺のことは鉄道部のブログに書くつもりです。

車両は今日の標準的な気動車ですが、色々なカラーのラッピングを施した車両がほとんどのようです。

これはエヴァンゲリオンバージョンですね。

ちょうどクリアフォルダーになっていました。

ツアーは午前、午後の2回でしたが、午後の部に間に合うために高速飛ばして(慣らし中なのでスピードは控えめに、代わりに途中休憩しなかった)来ました。30分ぐらい前に着いたけど、ちょっと膀胱きつかったな。。


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