うさぎくん

小鳥の話、読書、カメラ、音楽、まち歩きなどが中心のブログです。

谷村新司さん

2023年10月16日 | 昔のラジオ、テレビ
谷村新司さんの音楽的な功績については、色々な人が語ってくれると思います。
この方ラジオのパーソナリティとしてとても人気がありましたよね。
深夜放送も有名でしたが、考えてみるとあまり何度も聞いた記憶はないです。
ただ、後にもっと早い時間帯、たしか夜9時台の番組で再びお話されていました。
天才秀才バカというラジオコーナーは、豆本みたいなのが売られていて、たしか友達に借りて読んだんじゃなかったかな。

この方、話しぶりがクールかつ軽妙なのですが、当時ひとつ感じていたことがあって・。すごくエッチな話がお好きなんですよね。
不思議と、話し方がクールなせいか嫌らしい感じはあまりない。のですが、内容はエッチなのです。
あれは不思議と・心がないというか・なくはないのか、趣味的というか、サイボーグ的な感覚といったらいいのか。。デュエットで女性の胸に手を入れる(演出)みたいなのもありましたね。。

お正月に家族と親戚の家に行った帰り、ラジオをつけたらチンペイさんの番組をやってました。しばらくしたら例のエッチなお話が始まって、家族全員凍りついたことがあります。たしか9時台だったと思う。。ラジオ消すのもできないというか、しばらく会話が止まってひじょうにこまりました。。

しかし・気を取り直して、ご冥福をお祈りいたします。

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キイ・ハンター、と猫

2020年06月09日 | 昔のラジオ、テレビ
在宅勤務していますが、今日はどうもごたごたしております。。連絡がつかなかったり急に予定が入ったといわれたり。。
ちょっといがいがした気分。。

それはともかく。

ひじょうにふるいドラマ(50年以上前)です。

たまたま、北陸地方の失われた私鉄のことを調べていたら、キイ・ハンターで(その鉄道が)ロケに使われた、という記述があり、そこから色々手繰ってアマゾンに安いDVDが出ているのを見つけた。本来何枚組かのセットらしいのだが、ばらされて1枚だけで売られていた。1300円ぐらい。それで、例によってぽちってみました。

スパイサスペンス物の嚆矢となった作品かもしれませんが、設定は荒いものの、野暮ったいという感じはしない。当時なりにあか抜けた感じ。野宮真貴さんいうところの渋谷系という世界かしら。
割と直球勝負で。。これ観ていると、大河ドラマとかもそうですが時代が下るにしたがって無理に新味を付けようとあれこれ手を加えてしまい、それがドラマの賞味期限を短くしているのが良くわかりますね。

歴史の勉強になります。。

スイスやフランスから来た、という設定が良く出てくるが、海外渡航もまだ非常に珍しいものだったのでしょうね。。一般の人が海外旅行に行けるようになったのは、ドラマの始まる4年ほど前だったようです。海外旅行が爆発的にブームになる直前、人々の関心も高かったのでしょう。

とかいいながら、たぶんここ数か月の日本の海外渡航者(in/out)は、きっとそのころより少なかったりするんだろうね。。戻るのかねえ。。

沖縄ロケの回が収録されていましたが、当時沖縄はアメリカ施政下にあり、道路も右側通行でした。映像を見ていると日本車も結構走っていますが、当然左ハンドルですね。。主人公たちが乗っているのは主にアメリカ車のようですが、今ならレクサスぐらいのサイズでしょうか。割とおとなしいデザインの車がいくつか出てきますが、車種は僕には見当がつきませんでした。

日本車がいるということはある程度本土との経済交流があったのでしょうが、人の行き来(渡航にはパスポートに準じたものが必要だったようです)がどの程度あったのか、その辺もまだ勉強不足でわかりません。
沖縄のことは自分、まだ知らないことがたくさんあります。。

物語では前半ハイジャックが行われます。ハイジャックのこともちょっと調べてみましたが、盛んになるのはこの後70年代に入ってかららしいです。そもそも、定期航空便が盛んに運行されるようになったのはこの時期、まだ10年やそこらという感じだったわけで。今みたいな厳めしいセキュリティ・チェックはまだなかったようです。
 なにしろ、ドラマでは飛行中にビジネスマンらしき人がカバンから売りものの銃を取り出して、客に見せているみたいなシーンがあって・。現代人とは感覚がぜんぜんちがう。

諜報目的で宇宙ロケットが日本の砂漠(!?)に不時着するというエピソード、その発想自体に驚かされますが、宇宙飛行、東西冷戦というのが非常にトピカルな話題だったことがうかがい知れます。

という訳で?色々刺激を受けました。いろんな視点から現代史をみなおしてみたいとおもいます。。。
爆弾と知らないで放り投げて真っ黒けになる津川啓子と谷口ユミ。こういうのは今見ても笑える。


で、タイトル後半の「、と猫」ですが。

土曜日は夕方激しい雨でしたが、その間にもなんとなく近くで「みぃ、みぃ」言っている声は聞こえていました。。??と思っていたのですが、翌日、よく見かける三毛猫が、駐車場のリフトのところで盛んにニャーニャー言っているのに気づいた。。

「なんかあったの?」と聞くが、こちらを向くとすごく興奮しているので、そこはそのままに。

夕方になったら、誰かが通報してくれたらしい。やはりリフトの下に子猫が落っこちたらしいです。落ちたのか、自分で入っちゃったのかは不明ですが。

段々と人だかりがしてきて、マンションの人たちがみんな興味深そうに見ていた。最初の子が網ですくわれてくると、子供たちは大喜び。

黒いのと、白っぽいのと、きじとら系がいたらしいです。

家のことだから、写真掲げるのはあれですが、これならいいかな。またすみっこに潜り込もうとしている子猫。
その後この子たちがどこ行ったか、わからないんですけどね。。




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追記

2019年08月30日 | 昔のラジオ、テレビ
しょうじき、昨日の記事(夏を閉じる日 - うさぎくん)を、書いたものかどうか、さいしょ少し迷った。僕は公共の電波に乗って放送された手記の朗読を読み、強い印象を受けたことは確かだが、直接鈴木由里さんにお会いしたわけでも、一慶さんを含む、由里さんとつながりのあった方々と直接お話したわけでもない。

ご遺族のお気持ちを考えると・、そういえばさいきん京アニの犠牲者の方の名前を報道したものか、議論もあったようだが、あまり軽々しく扱うことは慎まなければ、という気持ちも働く。
また、一慶さんも朗読紹介の前に、(毎年朗読を放送することが)形式的なイベントになってしまうこと、繰り返すことにより心が動かされなくなることを恐れている、と語っている。

他方、昨日リンクを張らせていただいたなんでもかんでもさん(でいいのかしら?トラ刈りオヤジのノラないハナシ)の言われるように、往時は大きな反響を呼んだものの、時が移り人が移りするうち、次第に忘れ去られていくことが惜しまれる、という見方もある。僕も同感で「ともしび」は「愛と死をみつめて」のように出版という形はとらなかったものの、今でも多くの人に感動と勇気を与えてくれるとおもう。

以下は雑多な感想になってしまうけど、この時代の深夜放送というのは、今僕らがSNSなどで色々交流しているのと同じような役割を果たしていたんだな、ということに改めて気がつく。リスナーが限定されやすい深夜の放送は、より濃いつながりになりやすかったのだろう。

改めて言わずもがなのことを書いてしまうが、健康であれば様々な可能性が開けるはずの、何にでも感じやすい年代に、これらを制限され失わしめる、という人の運命というものを、どう捉えたらよいものだろうか。
人の想いは、どこに消えていくのだろうかという、昔よく考えたことをまた思い出してしまう。想いの強さは、人をモティベートすることに大いに役立つが、それが矯められると人を苦しめるし、ときには刃を自らに向け、傷つける力にもなりうる。

また「ともしび」からの引用をさせてください。残った足の切断を告げられ、悩んだ末これに向きあう決意をした4月の終わりごろ書かれた詩。

平凡な奥さんになりたい。

朝、5時に目を覚ましてお味噌汁を作ります。

中身はお豆腐とわかめが彼好みです。

自分で漬けた漬物をかわいい鉢によそおいます。

厚焼き卵を上手に焼いて、焼のりも出しましょう。

朝の準備ができたら、彼と子供を起こします。

子供は小学校の2年生、成績は悪いほうです。

でも私は怒りません。だってその子はとても心が優しいから。

彼と子供を門まで送って、お掃除、お洗濯をします。

午後になると子供が帰ってきて、
前の公園に勉強もせずに遊びに行きます。

私は夜ご飯のお買い物に駅前のマーケットまで、自転車で行きます。

そして、彼のためにお酒のさかなをまず初めに買いましょう。

それから急いでうちに帰って夕ご飯を作ります。

彼は6時に戻ります。

3人で夕食を済ませ、子供といっしょに漫画を見ます。

子供が寝たら、二人でお酒を飲みながら昔のことを話します。

そんな平凡な奥さんになりたい。 
(昭和47年4月30日)

輪廻転生ということがあったとして、鈴木由里さんの魂がその体を離れ、また生まれてくる誰かの体に宿ったのだとすると、もしかしたらその新しい体は、鈴木由里さんがかつて夢に描いたような生活を、今頃本当に送っているのかもしれない。
もしそうなら、鈴木由里さんであったころは多少辛い思いをしたものの、早くその体を離れて行ったことは、むしろ幸せだったのかもしれない。
多少辛いどころではなかったとは思うが、その想いは今でも生きているし、決して無駄な人生ではなかったはず、ですよね。

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ゆきねえのセイ!ヤング

2018年03月29日 | 昔のラジオ、テレビ

深夜放送をよく聞いていたのは中学生ぐらいのころで、高校生になるころにはそれほど熱心には聞かなくなっていた。あの頃、友達が聞いていて学校で話題になるから、と番組を聞いたりしていたが、年齢とともにあまり話題にしなくなったのだろう。夜更かしして2-3時間寝ただけで学校に行く、なんてことをしていたから、身長が伸びなかったと、若いころ悔やんでいたこともあったな。まあ後悔後を絶たずみたいな話だけど。

ので、高校生ぐらいになると夜更かしもほどほどにする知恵もついてきたのだろう。今回これを書くために、wikipediaでセイ!ヤング(東京の文化放送が深夜1時~3時ごろ放送していたラジオ番組)のことを調べたら、僕が放送を聞かなくなってから間もなく、放送枠自体がなくなっていたことを初めて知った。

文化放送自体、それほど熱心に聞いていたわけではなかった。セイ!ヤングで多少でも聞いていたのは、谷村新司さんや、吉田拓郎さんの放送ぐらいか。

吉田拓郎は結構好きで割と聞いていたけど、放送当時の拓郎さんは、斯界の大御所ではあったものの、その活動状況は爆発的な人気を誇っていた20代の最高の時期ではなくて、そのせいかなんというかやや地味な番組という印象があった(そこが好きだったような気もする)。

とはいえ、最終回のとき、放送を担当してリスナーの声を聴いているうちに、新たな活躍をする良い刺激になったと、コメントされていたとおり、放送の期間はもちろん、その後も精力的な活動を継続していくことになる。

もう一人印象に残っているのが、兵頭ゆきさんだ。これもwikipediaを調べると、当初は東海地区を中心に活躍していたものが、ちょうど放送を担当してた頃から次第に全国的な人気を博すようになってきた、のだという。そもそもラジオを聞いたころ、兵頭ゆきというひとがどんな顔の人なのか、見たことがなかった。あのさばさばした語り口は昔から変わらないが、その後テレビで見かける兵頭さんは、また別のキャラクターを見せているような気もしないではない。ラジオの頃のゆきねえは、どちらかというとやはりとても地味な存在だったのだ(友人に兵頭ゆきのラジオを聴いている、と言ったら、あのシャンプーのCMの、と言われた。それは兵頭まこ。長い髪が素敵なモデルさんでしたね。ちなみにちなみに、これまたwikiで調べて、その後は声優として活躍されていたということを、これまた初めて知った・・)。

などと書いているが、正直ゆきねえのセイ!ヤングを聞いていたのはたぶん数回とか、そのくらいかもしれない。ただ、関心があったことは確かで、それが証拠に最終回のさいごの部分を、テープに録音したのが残っている。

だいたい、こういう昔話を書くときは、その放送を録音して、あとから繰り返し聴いているから、ということが多い。このゆきねえの最終回もそうだ。放送終了は3月の末頃なので、たぶん春休みで、たまたま遅くまで起きていたのだと思う。聞いているうちに最終回と知って、慌ててテープを探して録音したらしい。

セイ!ヤングでは最終回なのだが、聞いているうちにどうやら、来週からはTBSラジオ(パックインミュージック)のパーソナリティとして放送が続くことが決まっていたらしい。「来週赤坂(TBSのスタジオがある場所)で会えちゃうんだもん!(だから寂しくない)」などと言っている。

放送終了間際になって、リスナーのはがきを読みながらお悩み相談のようなこともしている。

たぶん高校生ぐらいの女の子だと思うが、「どうして何をやってもうまくいく人と、努力してもうまくいかない人がいるのでしょうか。あまりの不公平に私何も言えません。。」「幸せってどういうことなのでしょう。私のうちはふつうのサラリーマンで、お金持ちのうちの子からみたら不幸なのかもしれないけど、もしそのうちの子が病気だったりしたら、一家健康なうちは幸せなのかもしれない・・」などというはがきを紹介している。それを受けて、ゆきねえがなにか良いと思うことがあったら、夢中になってやってごらん、みたいなことを言ったのかな。細かいことは忘れたけど、ゆきねえがこういうストレートな悩みに答える姿を見ると、なんというか説得力があって、いいもんだな、と当時も思ったのだと思う。

最後に答えたのが、28歳のサラリーマンだかの人の投稿で、前半録音が残っていないが、「大人になるというのはいとおしさとか悲しさとか、そういうものを全部飲み込むことなのだ、と悟りました」みたいなことを言ったらしい。これに対し、「そんなことはない。そういうものが心の中にたくさんたまって、あふれ出てしまっている人のほうが、むしろ素敵ね。」と答える。

ゆきねえは、大人になって、そんなに堅苦しく自分を抑えるのではなく、もっと自分の粗野な部分を出してしまっても大丈夫、通用するから、という。もし通用しないなら痛い目にあって、それはダメなんだとわかる(そしたら直せばいい)。今日、仕事で会った43歳の中年のおじさんに、将来どんな風になりたいか、と聞いたら、「社長になりたんだ!」と言われた。なんか子供が意地はっていってるみたいで、いとおしい感じがした。だから、あなたもそんなに堅苦しく考えないで・。

当時の僕はまだ大人の世界など知らず、しかし、そろそろそこに仲間入りする自分を想像できる時期に入りつつあり、より身近に期待や不安を感じられるようになっていた。ので、28歳(すごい大人だ)の人も色々悩むことがあるんだなあ、とか、粗野な部分を出していいよ、という言葉に勇気づけられるなあ、と思ったりした。

そんなこんなで、僕にとってゆきねえは、フランクで頼りになる姉御、という印象が強い。

ずいぶん長く書いたが、もう一つ言いたいことがある。放送の最後に流れていた曲のことだ。wikiではセイ!ヤングの後テーマ曲は「夜を横切る君には」となっているが、僕が記憶しているのとは違う曲だ。エコーの効いた女性の声の歌だった。イントロはピアノで静かに始まる。歌のが始まるとすぐ、ゆきねえのおしゃべりが入ってしまうので、歌詞前半はほとんどわからない。雰囲気、少年が深夜に、部屋の窓を開けて星を眺めながら夢想するという、内容のようだ。

星降る夜は・・(以下歌詞不詳)

風に炎は ゆらめいて

ガラス窓が たたかれる

落ちて行け 落ちて行け

あなたの部屋に 僕の愛

今宵恋が僕を 染めて行く 

今宵恋が僕を 染めて行く

もしかしたら兵頭さんが歌っているのかもしれないし、正式にレコードとして発売されたものではないのかもしれない。いずれにしても、この曲に関する情報はネット上でも目にしたことがない。


今日もまた長い夜。

日中色々な人と会い、色々な話をした。

何年かしたら、今日のことを思い出すこともあるのかもしれないな。

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夜が来る

2016年12月29日 | 昔のラジオ、テレビ

夜遅く、といっても8時ごろだが、オフィスを出ると、普段はまだ明かりがついているビル街も今日は暗くなっている。

向こうから男がふたり、歩いている以外に人影はない。

その時、昔テレビでみたこの曲が心をよぎった。

と、いうのはすこし脚色が入っていまして、実は帰りがけにSNSで友人に、「これからかえりま~す」などとかいていたら、頭をよぎった曲は「津軽海峡冬景色」だったのでした。

さよなら あなた わたしは 帰ります~ 風の音が 胸をゆする 泣けとばかりに ですね。。なんだってこんな。。

でも、帰りがけにこの曲がうかんだことも確かです。そのときはまだ、曲名が「夜が来る」だとは知らなくて、ウィキで調べて知りました。

You Tubeで検索するときも、サントリーじゃなくてニッカかと思ってた。

 

小林亜星さんの作品だったんですね。

このシリーズは覚えています。

財前統合幕僚長さん*ですね。この頃は京都にお住まいで、娘さんは東京で暮らしていたのですね。。

なんてことのない筋書きなのですが、この「父の上京」編は非常に心に刺さります。駅で別れるときの後ろ姿が実にいい。ダメだよねえ、さいきん涙腺緩くて。。

もし自分に娘がいたら、どんなにか切ないだろうな。

*「シン・ゴジラ」のときの役名。「礼はいりません。仕事ですから・。」の言葉も、心に刺さりました。國村隼さん、実に味のある役者さんです。

「恋は遠い日の花火ではない」

90年代の半ば。あのころ、自分がどう感じていたのか、ちょっと思い出せないな。たぶん、言葉としては理解できても、本当の意味はわからなかったんじゃないかな。

恋は、遠い日の花火ではない。

ささくれた日常にふと差し込む光、みたいな。

同じシリーズで、「降ろしてやれよ」

これは泣いちゃうような話ではないのですが、たった15秒でこれだけのストーリーを作れるなんて、本当にすごい。電停を降りたあと、声をかけてくれた車内の青年を探そうとする田中裕子さんの表情が素晴らしい。忘れていた何かを思い起こさせます。路面電車につきものの、トロリーのスパークを、かりそめの恋にかけたような使い方、ほんと素晴らしいですね。。

そうやって心に潤いをとりもどしながら、街を歩く。

今年も暮れていきます。

普段通りにいかないところもあるのですが、とにかく今は今です。

 

 

 

 

 

 

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ミッドナイトプレスクラブ

2016年10月04日 | 昔のラジオ、テレビ

この番組を最初に聞いたのは、中学1年の冬だった。一人で試験勉強しているのが寂しくて、ラジオをつけてみたら、ブルージーな音楽とともに、中年の男がよくわからない英語でべらべらしゃべっている。。深夜の時間は外人向けに放送しているのか、と勘違いして、しばらくはこの番組が始まるとラジオを消していた(放送は平日深夜0時から10分ぐらい)。

外人向け、が勘違いであったことは間もなく分かったが、前後の時間帯が若者向け娯楽番組(「恵美子の長い付き合い」とかね)なのに、この番組だけはかなり異色の硬派な放送内容だった。ほとんど理解できてなかったと思うが、子供というのは意外と敏感に世相をキャッチできるもので、この竹村健一という人は、やや保守的な意見の持ち主だな、ということは、肌で感じていた。

英語を全面的に打ち出すというのも、当時は珍しかった。80年代に入ると、FMを中心にして、英語で放送案内したりDJやったりというのは普通のことになっていくが、この時代に でぃす ぷろぐらむ いず ぷれぜんてっど ばい XX なんてことを言っている番組はほとんどなかったんじゃないかな。英語がファッションになっていくと、だんだんと薄味になってきて、ほとんど日本語みたいな感覚になっているが、この時代の英語は妙に味が濃い。

前後に流れる女性のナレーションも、どこがどうとは言えないが、なぜか70年代の北米企業の秘書が話しているような、時代性を感じる・・昔の日本語アナウンスが、今のそれとはどこか違うように。。 

”みどないと ぷれーすくらぶ ぷれぜんてど ばい おり べてぃ あいほうぷ ゆー えんじょいど りすにんぐつぅあわ ぷろーぐらむ ぐっない” この、オリベッティというところの発音、オリとベティの間にためがはいるあたり、聞いているとなんとも心地よいというか・。西欧の女性特有の、乾いた色気みたいのを感じてしまう。 

あの頃の、ウェスタナイズ、アメリカナイズされたビジネス世界の雰囲気は、もうアメリカ本国でもみることはできないんだろうな。今はより薄味に - 都内のイタリアンレストランが、本国に迫る味とアコモデーションを備えながら、微妙に味の癖を消しているようなやり方で - なっているはずだ。

この番組のテーマ曲を聞くと、そんなこんなの思い出が一度に噴き出して、心が震えてくる。

 

 

 

 

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私だけの十字架

2015年10月19日 | 昔のラジオ、テレビ

ご存じ(かどうか)「特捜最前線」のテーマとして使われた曲である。

といいながら、僕は特捜最前線をそれほどよく見た記憶がない。大滝秀治さんと、音楽がなぜか印象に残っている。

この音楽-刑事ものドラマなのに、なぜか妙にしんみりとした曲調・・。

なにより、「十字架」という言葉が引っかかる。

話者はあの人に対し何か取り返しのつかない悔いのようなものを感じているのだろうか?

よくわからないですね。

ただね・・、昔の刑事ドラマにはこういうしんみりした感じが似合うものがよくあったような気がしますよね。

こういう曲は、都会の音楽なのだと思う。田舎には似合わない。牛が草を食んでいるような牧草地や、軒先に干し柿がぶら下がっている農家の縁側に、似合わないでしょう・。

表参道とか道玄坂あたりの、ほこりっぽい歩道をコートの襟立ててあるいたりとか、三愛のネオンを見ながら有楽町に向かって歩くと、向こうに国電が走っていたりとか、知っているんだか、頭で作り上げたんだかわからない、懐かしい都会風景を思い起こしたりしてしまう。

「特捜最前線」は70年代後半からバブル直前くらいの放映だそうだ。あの頃は日本がいちばんきらきらしていた時代だと思うが、まだすこし大人の世界が残っていたのかも知れないな。そうした大人の香りは、社会や経済が落ち着いてくると急速に姿を消してしまったような気がする。まあ、世代が変わったということなのでしょうね。あと、社会が上り調子な分、すこししんみりできるだけの、ゆとりもあったのかも知れない。

僕はちょっとだけ昔を知っているから、ときおりこんな曲を聴いて、忘れていたものを思い出したくなる。

 

藍川由美さんの代表的なCD(を録音したMD)。20年ほど前のリリースだが、この「私だけの十字架」はじめ、誰もが知っている(かな?)有名なテレビドラマや映画のテーマ曲が収録されている。

話がとぶようだけど、「人間交差点」も、日本経済の成熟期からバブル最盛期にかけて書かれているんですね。あの頃の日本・・。日本人、やっぱり変わったよね。

 

 

 

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糸居五郎のオールナイト最終回

2015年07月29日 | 昔のラジオ、テレビ

本当は今月上旬に書こうと思っていたのだけど、何かと忙しくて・・。

ニッポン放送のアナウンサー、DJだった糸居五郎氏の、最終放送があったのが、34年前の今月上旬だったので、できれば同じ時期に書きたかったと言うだけの話だが。

糸居五郎さんは、ご存じの方も多いと思うけど日本のDJの草分けのような方だった。詳しい経歴はwikipediaを見ていただきたい。

もとより僕自身、それほど糸居さんのことを詳しく知っているわけではない。僕がラジオ(深夜放送)を聞き始めた頃は、日曜深夜にソウル・フリークという番組と、月曜深夜3時のオールナイト・ニッポンを担当されていた。それぞれかなり遅い時間なので、そう毎度聞けるわけではない。ソウル・フリークは多少早い時間だったが、子供にはちょっと取っつきにくい音楽をやっていた記憶がある。オールナイトはもうすこし幅広い選曲だったと思うが、なにしろ時間が遅く、試験勉強のときに数回、聞いた程度だと思う。

ただ、僕はなんとなく直感的に、糸居さんのことが好きだった。それは、この人は相当純粋な「趣味人」だな、と思ったからだ。

いまどき(でもないが)の言い方だと「オタク」というほうが一般的かも知れないが、オタクと趣味人はやっぱりちょっと違う。戦前から趣味活動をされていた方、たとえば自動車の小林彰太郎さんとか、オーディオの菅野沖彦さんとか、あまり一般的ではないかも知れないが鉄道模型の山崎喜陽氏とか、こうした方々は、当時としては中流以上の家庭に育ち、高い教養としっかりとしたマナーを身につけた方々、と言う点で共通している。昔はよほど余裕のある家庭でないと、大学には行けなかっただろうし、趣味に没頭するような余裕は持てなかったのだろう。

糸居氏は大学卒ではないらしいが、小石川の実業家の家に育ち、服装などのしつけもかなりされていたようだ。たしか、スーツなどは気に入った店を決めて、ずっとそこで作るように、と父親から言われたそうだ(「月刊宝島」の特集で読んだと思うけど、今現物がなくて確かめられない)。物腰が柔らかくてとても上品な印象を受ける。この最終放送でも、ゲストで来てくれたディキシー・キングスの薗田憲一氏にに「こちらでお話ししてもよろしゅうございますか?」などという言い方をしている。

一方で当時としてはかなりモダンな家庭だったようで、お兄さん方がジャズのレコードなどを聴いていて、幼少の頃からそうした音楽に親しんでいたらしい。やはり最終放送で、「なにしろ物心ついて最初に聞いたのがこういった、チャールストン・ディキシーランド・ジャズだったから・・ 1920年代、まだ小学校に上がってない頃、僕ちょうどこんな音楽ばっかり聴かされて・・たとえば、あの頃覚えているのは'Who' Who stole my heart away, whoなんて、あの・あたいのはーと誰か盗んじゃったなんて、まああの、幼稚園時代の子供が一生懸命口丸めて歌ってた、あれを思い出します」と語っている。

オールナイトでは、そのときの最新ヒット曲をかけておられた記憶しかないが、糸居氏の原体験というか、音楽好きになった原点はこうしたジャズ・エイジ、1920年代狂騒の時代のジャズだったようだ。ディキシー・キングズが次はハロー・ドーリーを演奏しますというと、糸居氏は「じゃあそれ、ひとつ、盛大に・・まあぶっ放しましょう、なんて・・だんだんだんだんこんな調子になってきて Hello, Dolly!!」という感じで、かなり乗って楽しまれているようだ。

戦前に満州に渡り、森繁久彌に指導を受けてアナウンサーになられたそうだが、なんとなくそうした、大陸のロマンというか、そういうおおらかさも、氏の話しぶりに深みを与えているのだろう。

僕はここでガイ・ロンバード楽団の「素敵なあなた Bei Mir Bist Du Shoen」とか、アレキサンダー・ラグタイム・バンドなんてのを初めて聴いて、このころかなり、クラクラと来てました。時間ができたらこうした、昔のポピュラーとかを勉強したいというか、まとめて聴いてみたいと思っているんだけど・・。すごく味が「濃い」ですよね・・。うちにはグレン・ミラーとかベニー・グッドマンくらいしかないけど、かなりびしびし来ます。いま(いつ?)は、音楽もグローバライズしたぶん、薄味になっているのかも知れないな。

まあ、はなしがまとまらなくなりそうなのでこの辺で終わりにしますが、たぶん大変だったとは思うのですが、好きなことを職業にして、純粋にそれに人生を捧げた方として、僕には大変印象に深い方だったわけです。Hi, GoGoGo and Goes On!

録音は偶然、期末試験で起きていてラジオをつけて慌ててテープを探してしたものだから、前半は入っていない。写真はテープを10年ほど前にMDに落としたものを掲げいているが、オリジナルのテープも探せば出てくるはずだ。MDのテープ落としはかなりやったのだが、これもまた何らかの形で変換しないとな・・。

 

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最初のカセット

2015年03月22日 | 昔のラジオ、テレビ

中学入学前、2月上旬に、初めてラジカセを買ってもらった。スタンダードのラジカセだった。スタンダードというブランドは、単純に現在のマランツのこと(マランツもデノンといっしょになって、単体では残っていないが)だと思っていたが、wikiなどを見ると社名は’75年に日本マランツに変わり、STANDARDのブランドは無線機関係のブランドとして八重洲無線に譲っているらしい。とにかく、うちにあったのはスタンダードブランドのラジカセだ。写真はそのスタンダードのラジカセに付属していた、試供品のカセットテープだ。

それまで我が家にはコンパクトカセットをつかう機械がなかった。ので、これが我が家で初めてのカセットテープと言うことになる。

当時はテープが貴重で、上書きを繰り返して使うことが多かったが、この最初のテープだけは、買った頃の録音がそのまま残っている(購入時に上書きしたかどうかは覚えていないけど)。

本来の目的は、中学入学後の英語勉強にあったわけだが、とにかく音が録音できる機械なんていままでいじったことがなかったので、早速遊び始めた。最初に興味を持ったのは、どうやらテレビの録音だったらしい。そう、ビデオデッキも家にはなかった-VHSもまだ登場していないころなので、ふつうの家にはなかった-のだ。

テレビの録音は、HDMIなんてあるわけないし、ピンケーブルはあったとは思うが、当時はしらない。内蔵マイクをテレビのスピーカーに近づけて録音した。だから、家族の声も一緒に入っている。僕が「し~っ」といっている声と、家族がふざけてわざと大声で話している声も入っている。

内容別に言うと、主題歌、CM,ドラマ本編、ニュースなどの録音がある。

主題歌としてはまず、少年探偵団のエンディングテーマ。江戸川乱歩の作品だがこれはリバイバルして現代的にしたもの。スポンサーだったのか、富士重工のCMも一緒に入っていて、怪人20面相が「明智君、きみならどうするかね?」などと言っている。スバルは昔はちょっと変なCMをやっていて、たしか原辰徳と岩崎宏美がイメージキャラクターになっていた頃もあったと思う。

CMではほかに洋酒,テレビなどの宣伝。いつも思うのだが、昔の日本と今の日本は名前は同じだが今とぜんぜんつながりのない世界のようにも思える。大人の世界というか・・。僕が見ていた大人たちのように、僕もなれるのかと思っていたが、いつまでたってもあの頃の大人の世界にはたどりつかない。いつかなれるんだろうか?

三菱テレビのCMはある種現代的だ。 タバコのセブンスターが大写しになり、刑事が上司に「ホシが黒か白かはっきりしない」という(セブンスターのパッケージには、小さな星がたくさん並んだデザイン)。三菱のテレビならはっきり見えるという宣伝。人物は最後まで出てこない。ああ、録音だから映像は記憶でしかないが。

おばQはU子さんにお茶やお花を教えるというエピソード。

「太陽にほえろ!」は音大生?の恋人をウィーンに行かせるために、何か犯罪をおかした大学生の話らしい。彼女が(犯罪で得たお金で)渡航する寸前、羽田空港(当時唯一の国際空港)で彼はつかまってしまう。「どうして行かせてくれないんだ!」と泣き叫ぶ。

銀河テレビ小説「となりの芝生」のテーマ曲が入っている。人気のあるドラマだったが、内容はさっぱり覚えていない。

同じ頃放映されて いた、民放のドラマのテーマ曲が入っている。題名もドラマの内容も全く記憶がない。はっきり覚えているのは、テーマ曲のバックに、お茶の水駅の丸ノ内線と 中央線の映像が使われていたこと。電車が行き来している様子が子供心に引っかかって、そこだけ見ていたような気もする。歌詞は、著作権云々を言われると困 るが;

風は東から吹いてきた / 娘が一人 恋をして /  胸の風車を廻します / から・から・から・から / 恋は向こうむず / 恋はまっすぐ / 恋はため息 / 恋は・誰にもとめられない というもの。

誰かご存じないですか??

 

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ムーミン(昭和版)

2013年12月11日 | 昔のラジオ、テレビ

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YouTube: ムーミンのうた

ムーミンのテーマパークができるとか・・。

僕らにとってムーミンといえば、この古い方だ。ウィキペディアによると、旧版のムーミンは当時作者トーベ・ヤンソンがその脚色ぶりに難色を示し、より原作に忠実な平成2年の楽しいムーミン一家が放送されると、昭和版は再放送や、DVD等の販売が控えられるようになったらしい。

当時の日本の状況を考えれば、親しみやすい形に脚色するのは自然なことだったのだろう。以前はとても人気があってよく再放送をしていたし、交通安全週間?か何かのポスターに、毎年使われていた。

平成版の方は見たことがないが、たとえ平成版の方が原作に忠実だったとしても、子どもの頃見た昭和版が、僕にとってのムーミンだ、という思いがある。本物はどっちだ、ということよりも、やはり懐かしい声や音楽の方が、心を震わせてくれるものなのだがなあ。

このテーマ音楽のことは、しっかり心に残っていて、よく頭の中で鳴り響いている。特に間奏のストリングスのところはとても好きで、よく口笛を吹いたりする。

ムーミンの声は岸田今日子。アルトの、深みのある声でとても良く似合っていた。ムーミンパパは髙木均。紳士的なパパぶりだった。スノークは広川太一郎。気取っているようでどこか間の抜けた台詞(王立学習院の卒業生ですからねえ)が好きだった。

スノークが「はずらかしい(=恥ずかしい)」という言い方をしていた(これは広川さん流か)ので真似して、人前で言うと「・・どこの方言??」と言われたりした。

原作(もちろん日本語訳)は小学校2年の時、読んだ。学校の図書室ではなく、クラスの本棚にこの本があって、借りて読んだ。結構文字数が多くて、読み応えがあるなあ、と思った記憶がある。同じクラスの寺田さんという女の子が、次私に貸して、と言ったので、酒屋さんをやっていた彼女の家に届けに行った。今あの辺の街はどうなっているんだろうな・・。

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雪うさぎのCM

2013年02月26日 | 昔のラジオ、テレビ

寒い、寒いと言っていると、そのうち春が来て、書くチャンスが1年間なくなってしまいそうだ。

子供の頃聴いたCMって、不思議と覚えているもので、このカルピスのCMも、今もはっきり耳に残っている。

お父さんと男の子が、雪の降る夜、外を見ながら話している(親子の姿は出ていなかったような気がする)。
・・こんな夜は雪うさぎがやってくるよ。  ゆきうさぎが?

 るふるん るふるん ゆきうさぎ ((男の子)ゆきうさぎ)
 るふるん るふるん まっしろな ((男の子)まっしろな)
 雪ふる夜は ゆきうさぎ
 まっしろ まっしろ ラリラリラリラリ
 るふるん るふるん ゆきうさぎ
 雪ふる夜には

ウェブで検索すると、同じように覚えている人はたくさんいるみたいだ。たしかに、日曜夜のアニメの時のCMだったよね。


(写真はカルピスとは何の関係もないけど・・。)
Dsc_0402

それで、突然思い出したが、同じ頃か、もう少し後でやっていた、シャッター(商店などの)のCMが好きだったんだ。もう歌詞の一部が思い出せないけど、さびのところで、

夕日におはよう 朝日にお休み

と唄っていた。

つ まり、シャッターだから、閉店後に顔を出しておはよう、朝が来たら仕舞われるのでお休み、というわけだ。忘れてしまった他の部分、最初のところは「僕らに  歌が 歌えたら・・・」ではじまる。映像は、ごく普通の街の商店が、店じまいして夜になり、また朝が来て・・みたいなものだったとおもう。音楽がなんとなく好きで、CMを見るのが楽しみだった。

こちらの方は、検索しても映像も、ヒントらしいものも出てこない。

 

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ちょっとマイウェイ

2012年02月05日 | 昔のラジオ、テレビ

桃井かおり主演のコメディドラマで、1979年から80年にかけて放映された。オープニングテーマは「パル」というグループの「夜明けのマイウェイ」という曲。この曲と、バックのアニメーションが好きで、シングルレコードを買ったりした。

正直内容は良く覚えいていないのだが、当時はぼやきながらも頑張る桃井かおりや、おっとりした八千草薫がなんだかいいなあ、と思いながら見ていた。今考えて見ると、我ながらませているんだかなんだかよくわからん子供だったな。

わりとモダンな印象があるドラマだったけど、今見るとどうなんだろうな。桃井かおりさんみたいな人って、今もし身近にいたらなかなか、いろんな思いをさせられそうですねえ

去年再放送していたらしい(CS)けど、残念ながら見そびれた。

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グランド・ポップショー

2012年02月05日 | 昔のラジオ、テレビ

 TBSラジオの、いわゆるナイターオフの番組で、放送枠は毎週日曜日午後6時半頃から、9時頃までだった。2シーズンというのか、2年にわたって放送されていて、最初が1978年秋から79年春まで、次が79年秋から80年春までだったと思うが、最初の方は記憶がなくて、80-81年だったのかもしれない。とにかく覚えているのは80年前後の頃のことだ。

 タイトルの通り、洋楽をかけまくる番組で、総合司会は小島一慶さん、レギュラーのコメンテーターは八木誠さん、大瀧詠一さん、山本エミコさんだった。それぞれが専用のコーナーを持っていて、八木誠さんはヒットチャートに関する蘊蓄のようなお話、大瀧詠一さんは彼らしくマニアックな話を披露していた。

 八木さんの話で覚えているのは、チャート1位の連続記録とか、ヒットチャートに関するお話が多かった。大瀧さんはビートルズのイントロクイズみたいな回があって、イントロが一番長い曲、短い曲はそれぞれ何かとか、他にもいくつか質問があったが、マニアックでとても難しいクイズだった。

 山本エミコさんがどんなコーナーを持っていたのか、良く覚えていない。この方を最初に知ったのは、宇崎竜童さんの番組のアシスタントとして出演していたときで、独特の、元気いっぱいな女の子という話しぶりが印象的だった。たしか一時期少し体調を崩されて、しばらく休んでいたが、その後生島ヒロシさんと平日夜の番組(夜はともだち)を担当された(時期は前後しているかもしれない)。

 聴取率は芳しくなかったようだ。スポンサーがなかなかつかなかったようで、一慶さんがリクエストはがきを読みながら「お葉書が来ると言うことは、営業面でもプッシュできるんです」みたいなことを言っていた。
番組をもり立てるため、月曜の朝になったら、昨日グランドポップショーを聞いたかい、と誰彼となく声をかけようという運動(一声と書いて「いっせい」運動)を呼びかけたり、喫茶店に置かれている新聞の、ラジオ欄に赤丸をする(赤丸運動)をみんなでやりましょう、と言ってみたりしていた。

 おそらくある時期からはスポンサーが全くなくなってしまったらしく、CMの時間は自社の番組宣伝とか、系列会社(TBSハウジングとか)のCMばかりになっていた。
エンディングで一慶さんが「民放界の良心」とか、「TBSの持ち出し番組」みたいなことを自嘲気味に言っていた。当時でも洋楽番組を2時間半(しかも最新の曲ではない)やるというのは難しかったのだろう。

でも、僕にとっては、いろいろな音楽を教えてくれた貴重な番組だった。カーリー・サイモン、キャロル・キング、O'Jays、グラス・ルーツとか、まだまだいっぱいあると思うけど。一慶さんの番組だから、ヴァン・マッコイとか、シェール「悲しきジプシー」などもかかった。

「悲しきジプシー」については、「もしあなたが古いレコードを置いていある店で、この「悲しきジプシー」を手にする機会があったら、その歌詞を、味わってみてください。とっても悲しい物語なんです・・」と紹介していた。
ヴァン・マッコイは、「この曲は(昔担当していた)深夜放送の後テーマ音楽で、この曲を聴くとつい立ち上がって「そろそろお別れの時間が・・」と言いたくなる」などと言っていた。

録音したカセットは、まだどこかに転がっているはずだ。カセットは、バックアップ用に以前MDに落としたが、目論見と違ってあと10年してもカセットの方が再生機器が残っていそうな感じだな・・。

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ソリテア

2011年11月15日 | 昔のラジオ、テレビ

1980年頃のこと。そのころ日曜の深夜には、どこの局も放送を休止していたが、この‘ソリテア’はTBSラジオの、放送を休止する直前の番組だったと思う。深夜1時過ぎだ。

番組テーマ曲はオープニング、エンディングともビートルズの曲だった。オープニングはNo Reply、エンディングはGonden Slumberだった。二人の男女-一人は「ジェットストリーム」の城達也さん、もう一人は「あい きょうこ」さんという方が一つのテーマ(60年代が大きなテーマだったと思う)について語り、ちょっとしたストーリーを紹介する、というもの。「あい きょうこ」さんは低音の落ち着いた語り口が特徴。FM東京(現東京FM)の平日午後6時からやっていた「丸井ミュージック&モア」という番組もやっておられた。二人ともとても大人だった。考えて見ると今の日本には、一人も大人がいなくなってしまったような気がする。

耳に残っているのは、イギリスのブラックユーモアを紹介しながら、カーメン・マクレエの曲を紹介していくという番組構成で、あれはたぶん録音して何度か聴いたんだと思う。産院で、生まれたばかりの赤ん坊に対面する母親が、おくるみに包まれている姿を見て「あら、包んでくれなくていいのよ。いますぐ、ここで食べるんだから。」と答えるというジョーク(??)。続いて城達也さんが、「さて、今夜の特集はカーメン・マクレエです」というと、あいさんが、「この人の声は機械のように正確で、冷たいんです」と紹介して、ビートルズのカバー(And I Love Her )やFor Once In My Lifeとかをかけていた。カーメン・マクレエなんてのも、何とも大人っぽい歌手に思えたものだ。

コメント (8)
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