うさぎくん

小鳥の話、読書、カメラ、音楽、まち歩きなどが中心のブログです。

容疑者

2019年10月29日 | 社会・経済
自分が知らないだけなのかもしれないが、米軍に急襲されて自殺したIS指導者は、なぜバクダーディ容疑者とよばれるのだろうか? 例えば日本で殺人事件を起こして追われている人物は、日本の刑法に違反している疑いがあるから容疑者だが、そういう場合は軍隊は出てこない。

これが国際法上の戦争に相当するなら、容疑者というのはおかしい。ヒトラー容疑者とはいわない。イラクのサダム・フセイン大統領は政権崩壊後イラク国内に潜伏していたが、捜索に当たってフセイン容疑者と呼んでいたかな?この人は拘束後裁判を受けて死刑判決が出た。だから容疑をかけられて、裁判で刑が確定した。
バグダーディがもし米兵の前で抵抗しなかったら、(シリア?イラクの?)裁判を受けられたのだろうか? ・・まあ、自分たちが国家だと言っているのだから、話はかみ合わなかったかもしれないが。

などと思ってwikiを見たら、容疑者と言うのは法的には被疑者と呼ばれるもので、被害者と音が似ていることからマスコミではこれを容疑者と呼ぶようになったとある。法律用語ではないならまあ、用語の誤用とは言えないのかもしれない。

以前ここに書いたし(戦争の本質 - The West Wing雑感)、このブログにもどこかで書いた記憶があるが、今回のように国家(軍隊)が、特定の個人を殺害するような行動にはどうも違和感を感じるのだ。ビンラーディンの時もそう思った(あれはたしかパキスタンに知らせていなかったはず)。
米軍は当然法的に齟齬を来さないように手続をとっているだろうし、ISは実際に残虐行為を働いたのだろう。それに今回は米軍が直接殺したわけではない。自分で勝手に死んだのだと言われれば確かにそうなのだが。。。



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日産フェアレディZ(S30)

2019年10月23日 | 鉄道、車、のりもの

goo blogは数か月前に記事入力のフォームが変わったのだが、新しいフォームではカテゴリの入力欄が下のほうにあるので、つい設定を忘れる。このブログのカテゴリは「鉄道、車、のりもの」から始まっていて、何も入力しないとこれになってしまう。昨日の「吾妻ひでおさん」も、「鉄道、車、のりもの」で出してしまった。。
でも今回は正真正銘の「鉄道、車、のりもの」の記事だ。

さて、日産フェアレディZは、今年50周年を迎えたそうです。
Zが50年ですが、Z50じゃないですよ。。それだとカテゴリが「カメラ、写真」になってしまいますから。。
しかし、あまりそういう考え方はしないほうが身のため?だと思うけど、こうあれやこれや新しいマウントや仕様を出しまくると、共食いというか同士討ちというか、そういうことにならないんですかね。。今はもうあまり雑誌とか読まないけど、SNSとかで流れてくる噂ではカメラの売り上げも相当落ちてるみたいだし。Z50なんか、MFTを狙い撃ちしてるみたいでやな感じ。。オリンパスもさいきんはなんかねええ。。

フェアレディZが50周年を迎えた話でしたね。
なのだそうです。
それで、トミーテックがLimited Vintage Neo として新たにZ 2by2を発売したので、買ってみました。
ちょっと傾いちゃった。
箱から出してすぐ思ったことは、ちょっと大きいような感じがするな、というものでした。2シーターの全長は4.2m、少し長い2 by 2 でも4.4m弱しかないんですよね。今でいうと86とおおむね同じぐらいです。もっとも、測っていないのでその辺はわかりません。たぶん合ってるのかもしれない。


LVシリーズを最初に手にしたのはたしか15年ほど前、プリンスグロリアとクラウンでしたが、そのころに比べると格段に精密になりましたね。。ダイカストの厚みを感じさせない、ガラスの処理なんかお見事です。細かな色差しもだんだん手が込んできて、フュエールリッドの鍵穴まで。。
グリーンのZって見たことあったかな。。なんとなく、Cピラー付近の造形に同じ時代のケンメリ・スカイライン、またはローレルが思い出されます。
忘れていましたが、’77年式です。

なので、隣の117クーペとは世代が若干違います。初登場の年はだいたい同じですが、これは初期のハンドメイドモデルですからね。。
子供の頃自動車図鑑とか見ると、たいていこのZが冒頭に出てきたものです。
あの頃他の車は4年ぐらいで全然違う形になってしまうのに、これは10年も同じ形でしたから、ある種の安定感が感じられました。これはずっとこのままなのかも、という気すらしてたけど。

一度だけ、友人のZを運転したことがありました。ノンパワーのステアリングが重かったけど、がっしりした車という印象だったな。。
というわけで。
記事まとまらないけど、せっかくなので写真だけ。。
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吾妻ひでおさん

2019年10月21日 | アニメ・コミック・ゲーム
子供の頃雑誌で「ふたりと5人」を読んでいたし、高校ぐらいの頃「ぱふ」「少年少女SF漫画大全集」あたりに頻繁に取り上げられていて、割と身近な存在だったのだが、あまりまとまった作品は読んでない気がする。「失踪日記」もまだ読んでいません(さっき買ったのでこれから読みます)。

絵柄はかわいいが(とくに女の子はかわいい)、非常に毒がある、といより闇が深い。。そうとうにきついロリコンものとか、明け方の夢みたいな異世界、海鞘みたいな生き物が出てくる病的な表現も、この可愛い絵柄に包まれて読めてしまう。
実際子供向けのアニメもつくられたけど、この闇の世界こそがこの方の真実だったのでしょうね。年齢重ねてきて、よくわかるようになりました。可愛いと闇は隣り合わせの世界ですね。。

決して万人向けではないですけど、とても優れた漫画家さんでした。ご冥福をお祈りいたします。
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忘れていたわけではない

2019年10月20日 | セキセイインコ
あれは忘れもしない、5年前の10月12日のことです。
連休の中日だったみたいですね。終日曇りで気温はかなり低めだったと記憶しています。翌日の午後から台風の影響か雨が強くなっていたようですが、火曜日はすっきり晴れたようです。

天気の話は別にいいのですが、12日のことを忘れていたわけではない。忘れていたわけではないのですが、何しろ今年の10月12日は台風19号で大騒ぎだったもので。

2014年10月12日。
そう、12日はアルとココのお迎え記念日でした。
なぜか天井に潜り込もうとするココ。
10月13日、午前11時ごろ。カメラはなぜかPentax Q10 06 Telephoto Zoom +0.7補正。 生憎センサーが小さくて、手前のケージを消すことはできない。いい写真なんだけどなあ。
ココちゃんもすっかり大人の女になりました。
なにしろ艱難辛苦を乗り越えてきましたから。。
ココは人間もカメラも嫌いなんだけど、少し待てば写真は撮れる。
アルのほうが落ち着きがなくて、撮影しにくい。
それとこの子、どうも写真に撮るとぐずぐずと情けないかっこして写ることがおおくてね。
先日急に気温が下がった時は、寒そうな様子を見せていたので取り合えず20Wのペットヒーターをつけてやった。といっても、室温22.5℃である。
今日あたりは24度ぐらいもある。
記念日といっても、粟穂ぐらいしかあげなかったけど。
さあ、げんきでいこう!
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AUTUMN

2019年10月19日 | 音楽

ジョージ・ウィンストンのピアノソロアルバム。

録音が1980年6月、リリースが同年11月だそうで、ちょっと意外な気がした。というのは、御存じのようにこのアルバムが日本でよく知られるようになったのはその4年後、トヨタ「クレスタ」のCMに使われたのがきっかけとなったからだ・・。そうじゃないのかもしれないが、とにかくこのアルバムを聞くとどうしても、山崎努とクレスタを思い出してしまう。あれ、よかったな・。若い頃はあれだったけど、本当はおっさんになった今こそ、ちょうどいい車なんだけどねえ(似合う似合わないは別の話)。山崎努も、「スローなブギにしてくれ」の頃からファンです。あのいかついけど権威主義的でない感じが。。さいきんは鈴木首相なんて、名演技でしたね。。

話が大きく飛びました。
とにかくジョージ・ウィンストンはこのAUTUMNと、最初期のBallads and Bluesが一番まとまっていて、繰り返し聴いても飽きない。ウィンダム・ヒル系でいうとウィリアム・アッカーマンのIt Takes a Year、映画音楽のCountryなどもよかった。あと、ウィンダム・ヒルではないが国内CD未発売のAukland  Solisten のAir、これは本当の逸品。いずれも僕がごく若い頃に聞いたアルバムというのがあれで、ほかにもGoogle Play Musicとかで色々探してはいるのだが、自分の感受性が鈍ったのかなんなのか、これはという作品は発掘できていない。
ともすればムードミュージック的な扱いを受けて、軽く見られがちだが、抗いがたい魅力があるのも確かだなあ。。なんか(日本の季節感で言えば)晩秋の、荒涼とした枯野に吹く寒風という感じが良く出ていて。。

今回わざわざ中古で買ったCDはボーナストラックのついた2枚組で、ドアーズのジム・モリソンの作曲した「水晶の船The Crystal Ship」、「戻れぬ二人Too Much Between Us」「記憶の彼方I Can't See Your Face in My Mind」が2枚目に収録されている。このうち戻れぬ二人は、Googleの配信盤に入っていて馴染み深いものだが、他の2曲は初めて聴く。曲のことはさておいて、どうもこの3曲、録音状態が今一つなのが気になる。。
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府中市美術館

2019年10月14日 | アート・文化

台風19号の被害は広範囲かつ深刻なものとなりました。被災された方々、心よりお見舞い申し上げます。

前回も少し書きましたが、現宅から半径数キロの範囲で見ると、けっこう土地が低く水が溜まりやすいなど、気を付けないといけない地域があるな、ということに改めて気がつきましたが、人口増加に伴い多少宅地として不向きな土地にも開発が進んだという経緯もあるようです。

 子供の頃、雨が降るといつも池のようになっていた土地も、今は開発されて公団住宅やマンションが立ち並んでいます。こちらはそれを見ているけど、他所から来た人は昔の姿を想像しにくいでしょうね(法律上購入時に説明を受けることはあると思いますが)。もちろん治水技術が進歩し、問題ないと判断されて開発が進行したことは確かですが、気象の変動具合によっては改めて問題が浮き彫りになる地域も出てくるのかもしれません。。
 
12日は朝から雨でいかにも不穏な感じの天気、明けて13日は台風一過で夏を思い出させる暑さ。そして14日は小雨模様でぐっと秋めいてきました。
日替わりでこう天候が変わるというのも、体に悪い気がしますが、まあ今日あたりの気候が季節的には今頃の時期に相応しいものなのでしょうね。
 ちなみに昨日は出がけこそ秋空を満喫できましたが、そのあと用務で地下室に籠ってしまいました。今日は長くできずにいた洗車をすべく早起きしたのですが、結局間に合わず。いちおう雨の中洗いはしたけどね。
 
早朝から続々入ってくる被災の情報を見るのに飽いて、何気なくEテレを見たら日曜美術館をやっていました。
アートシーンで紹介されていたのが府中美術館のおかえり”美しき明治”という特別展。
明治初期、欧州から派遣された西洋画家たちや、それに触発された日本人画家たちが描いた日本の美しい自然や、庶民の素朴な生活の様子などを集めた展覧会です。展示点数も多く、かなり力の入った展覧会という印象でした。写真が未熟であった当時、絵画は当時の様子をビジュアルに伝える貴重なメディウムでもあります。ミレーやノーマン・ロックウェルの描く庶民を、日本のそれに移し替えたものという見方もできますが、そこは地元、かつての日本人はこんな感じだったのかという驚きを、なんというかより立体的に感じられるような気がします。

用務先でスケジュールの都合で見に行った美術館や、恩師の個展などを除けば、美術展に行くのって本当に数年ぶりくらいかな。
もちろん恩師の個展に行っても感銘は受けるのですが、見に行こうとする動機はどこかに別のものが入っているのであって、自分の自由時間にアートに触れに行くというのはまた別の心の状態が必要です。

なんか久しく、そういう気持ちになれなかったんだよね。。

府中は地理的にはそれほど遠くないのですが、車で行くとけっこう時間がかかってしまう。。電車だとよけい時間かかるかな。芸術の森というホールもあって、文化度高いな府中。。
いや、地元にもホールはあるし、隣町にも美術館はあるんだけどね。
というわけでした。

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颱風

2019年10月12日 | 日記・エッセイ・コラム

こちらは台風の真っただ中です。
鉄道が台風で計画運休するようになったのは数年前からですが、すっかり定着してきているようです。一般商店やレストランなども軒並み休業。
午前中、近所を少し歩いてみましたが、他の店がみんな閉まっている中、調剤薬局だけが毅然として?開業中である様子が印象的でした。医療関係、福祉施設関係の方々、本当に頭が下がります。

もちろん、事業的には不利なはずの店休という決断を下した経営者の方々にも頭が下がります。。しかしこれもやっぱり日本人的で、もう他所が閉めたらあまり選択の余地がないのでしょうね。

本当はあまり良くないと思ったのですが、どうしても今は人がいない実家が気になって、車を出してみました。午前中は店を開けていたスーパーも閉まり、鉄道も運行を停止。街は文字通りのゴーストタウンになっていました。ドラッグストアも店を閉めていましたが、コンビニはほとんどが開店中の様子で、異彩を放っていました。もちろん閉めている店もいくつかあって、道中いくつコンビニ見たのかわからないけど、店閉めていたのは3店ぐらいかな。

本当は先週書いた少女終末紀行に絡めて書こうかと思ったのですが、ちょっと不謹慎な感じもしてきてやめます。。が、この人気のない街の様子はまさに「ディストピア」ですね。。普段の土曜日の午後なら、道は車で埋まり、スーパーやモールは親子連れでいっぱいのはずなのに。「これがあの渋滞道路・・」という感じ。店は閉まっているけど、一部の電照式の看板やサイネージなどは点いたまま、というのもディストピア感です。。こんな光景は、僕も長く生きてるつもりですけど見たことはないな。。正月はまた違いますからね。正月ならレストランは賑わっている。。

今住んでいるところは、前にも書きましたが平らな大地の、新しく区画整理された場所にあり、ハザードマップを見ても地震や水害にはかなり強いところです。ですが、車移動レベルで近所を見てみると、近くにも水害などに敏感な地域はかなりありますね。。
歩いていたら、低い植え込みからクルッポという声が聞こえてくる。見たら土鳩さんがいました。ビルの陰なので、風をよけられると思ったのか。
頑張って生き延びてくれ。。

皆様もどうかご無事で。
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まるで

2019年10月11日 | 日記・エッセイ・コラム
台風19号は昭和33年の狩野川台風に匹敵する大型の台風で、12日には首都圏に上陸の恐れがあるとして、数日前からニュース等で早めの避難、準備をと呼びかけています。

金曜日は早めに帰った。地下鉄が故障か何かでかなり混んでいて、既になにか異様な雰囲気。ちょうど高見順「敗戦日記」を読んでいたので、車内の様子が一瞬昭和20年の東京に見えてくる。すぐ身近に危険が迫っているのに、そこだけは機能している都市。この後、この人たちの身にもなにが起こるかわからない。。
この日、僕はカフェインとりすぎで気分が悪く、長時間電車に乗っていたので余計きつかった。帰宅後ダウン。。少し休んで、スーパーと実家を見に行く。

スーパーの棚が空になっていることに驚く。昨日もパンがなかったが、更に減っている。
まるで3.11のときみたいだ。
ざっと店内を回ってみたけど、お米、野菜もかなり減っている。。意外なところではバナナがなくなっていた。魚はあるが肉は安いものがなくなっている。ステーキ肉とかは残っている。冷凍食品はあんがい減っていない。お惣菜棚は空。
お菓子も減っていたが、お店もだいぶ補充したらしい。
というわけで、皆さまおどうかお気をつけを。
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また来る

2019年10月10日 | 日記・エッセイ・コラム
台風がまた来ますね。
今日の夜、スーパーに行ったらパンのコーナーが空っぽでした。。もう買いだめか。。野菜もけっこうなくなってる。お菓子も。
どうかお手柔らかに。
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少女終末旅行

2019年10月07日 | アニメ・コミック・ゲーム


この漫画を最初に読んだのはちょうどアニメが放映され始めたころ、2年前の今ぐらい。きっかけはよく訪問するブログで紹介されていたから。ただ、アニメはそのときは見なかったし、単行本も1巻を買っただけでその先は読んでいなかった。全巻読んだのはつい最近で、Fire HDでプライムビデオも見るようになったのでアニメも全部見た。

さらに言うと、アニメ化されたころに発売されたアンソロジー本も読んでみた。さらにさらに、作者が影響を受けたという弐瓶勉「BLAME!」まで読んでみた。

作者つくみずさんがインタビューに答えて、いくつかの影響をうけた文学作品、漫画などを紹介しているが、そのひとつがBLAME!、ほかに村上春樹の「ノルウェイの森」「ダンス・ダンス・ダンス」江國香織「きらきらひかる」などからメッセージ性を受け継いだのだという。作品世界から見ると「世界の終わり-」のほうが近いかな、と思ったが、メッセージ性といわれるとちょっと考え込んでしまう。でもとにかく、影響は反映しているのだろう。

BLAME!との共通点は階層状になった巨大な人工建築物の描写だ。都市が縦方向に階層状に広がっていくというのは、SFのことは詳しくないけどあちらではポピュラーな設定なのだろうか。思い出すのは1980年代半ばに刊行されていた季刊「少年少女SF漫画大全集」に、やはり階段状の世界に住む人たちの物語を読んだことがある。女性たちの家族と、下からやってきた長身の紳士が、いよいよそこで暮らせなくなったので上の層に引っ越そうとする、という話で、全体の絵柄は僕は内田善美風だったような気もするし、山岸涼子という気がしないでもないが、いずれも作品リストにないので、作者は誰だかわからない。実家に行ってもしあればまた読んでみたい気がする。。

それと大事なのは、これがディストピア、人間社会の終末を描いているということだ。かつては遠い未来の、高度に管理化され自由の著しく制限された社会を描いたもの示す言葉だったが、妙なことにというか、最近は文明崩壊が進み、社会の統制が無くなった世界を描くものがそう呼ばれている感じがする。言葉の定義はどうでもよいが、本作では名前がついて会話を交わす登場人物は6巻を通じ5人であり、最終巻でまだ生きていることが判明しているのは二人だけという設定だ。

思うにこうした文明崩壊ものも、先の超管理社会を描いた作品の延長線上にあり、崩壊した社会で謳歌する自由、だれもいない世界で、かつてはそこにいた人々に思いをはせるという描写は、息詰まるような管理のもとで生きる人々を描いたかつてのディストピア小説の陰画にあたるのではないか。

もしかしたら、じゃないのかな、我々は現実社会の変化、かつてのSF社会がしだいに現実に反映されていくにしたがって、さらにその先の世界を描くようになってきたのかなとも、ちょっと考えたりはする。。

次第に人が消えていく社会という点で「ヨコハマ買い出し紀行」(この題名と「少女終末旅行」との間に何も関連性がないとはとても思えないのだが、インタビューではあれだけ他作品からの影響を語っていたつくみずさんから、本作品への言及はない)にも通じるものを感じるが、もちろん「ヨコハマ」とは想定する世界も時代も設定に対する考え方もまったく違う。

「ヨコハマ」は近未来というか、おそらく平行世界上の現在~近未来に近い時代設定で、舞台や設定などにかなり読者に解釈する余地を与えている。その作りこみが「ヨコハマ」の魅力のひとつになっていると個人的には思うが、これに対し「少女」は、そうしたものをある程度拒否することで、論点を絞り込んでいる。

1000年未来の出来事でありながら、チトとユーリの乗り物や銃、カナザワの乗っていたバイク、カメラ、イシイの作ろうとしていたプロペラ機などは、20世紀初めから21世紀ごろという、非常に限られた期間の技術で作られている(ケッテンクラートは古い技術をもとに、設定された時代に作られたものとされている)。つまり、そういうガジェットの設定は、ある意味でどうでもいいのだ。
チトとユーリの、高度に記号化された姿もそうだ。芦名野さんも「コトノバドライブ」あたりになると登場人物の描写に力が入らなくなっているけど、ヨコハマの頃はけっこう読者サービスしていたな、と改めて思ったりもする。画力としてはつくみずさん、大したものだなと思う。

ちょっと長くなってしまったので、また次回に続きます(予定)。




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ダウントンアビー 映画版

2019年10月05日 | 映画


先月イギリス、アメリカで公開され、好評を博していると伝えられる映画「ダウントン・アビー」の日本公開が2020年1月10日に決まったそうです。

映画化されるという情報は数年前に伝わったものの、撮影を含めてその後の消息がとぎれとぎれにしか伝わらず、一時は本当に完成するのか、と思われていた時期もありました。アメリカでもオーディエンスの反応は大変良いそうです。

このブログでも5年ほど前から、テレビ放送の感想を何度か書いていますが、見返してみるとシーズン5から後の記述がないですね。シーズン5は2017年のたしか1月から春にかけて、シーズン6は2017年5月から夏にかけての放送です(ウィキを見ても国内放送日の記録はないようです)。

この頃のことでよく覚えているのは、シーズン5が始まった時期がちょうど実家に仮住まいしていた時期と重なり、実家にレコーダーがないので見ることができなかったことです。最初の2話ぐらいをディスクに落として、ポータブルプレーヤーで見たりしていましたが(いまだとスマホとかで見られるのでしょうけど)、いずれにせよ気分的にドラマ見るという状況ではなかった。シーズン6は現宅に転居した直後に始まったのですが、実際に見たのは放送終了後、夏にまとめてだったと思う。
 
NHKの放送は2014年から始まっていますが、この2014年から17年にかけての期間は、個人的には家族を取り巻く状況が大きく変わった時期にあたります。そう思えるのは、ちょうどシーズン1の集中再放送ののち、シーズン2が始まったころ(ダウントン・アビー - うさぎくん)と、家庭で問題が生じた時期がちょうど重なったからでしょう。
それからしばらく、あのちょっと切ない感じのタイトル曲や、時代と世代が移り変わる様子を描くドラマの内容が家の事情と重なり合い、タイトル曲を聞くたび、古き良き時代が去っていくドラマの描写を見るたびになんだか苦い思いを感じていました。

5年前の自分の記事をちらちらと見返してみましたが、いまより5歳若い自分が、その時の自分なりに色々一生懸命考えているな、と。色々身の回りが変わったので、確かに隔世の感はあるな。それと、アルもココもまだ子供子供している。。
それから、時代や社会も確実に変わりました。時代が変わるのは何も1920年代だけじゃないですね。

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独ソ戦 絶滅戦争の惨禍

2019年10月02日 | 本と雑誌

写真のことはあとで。

岩波新書7月刊行の、ベストセラーとなった本です。大木毅著。
もともとこの戦争について深い知識があったわけではないが、もし戦史に興味のある人が読んだら、近年の新しい解釈に目を開かれる思いをするかもしれない。
若いころに当然の見解とされていた史実が、実はその時の政権-ソ連共産党、西ドイツ政府などによって、ゆがめられて伝えられていたらしいということに、ある種の感慨を感じる。関係者が存命であるか否かによっても伝えられる情報は変わってくるし、もちろん機密扱いされている資料の公表によっても見解は変わってくる。
長年漫然とそういうものと思っていた史実も、今は必ずしも学会の定説ではないのかもしれない。。これは良書でした。

ほんとうは増税後外食は避けようと思っていたのですが、ついコーヒー屋さんとかには行っちゃいますね。いつものスタバの、なじみの店員の子が、「持ち帰りますか?」と聞くのであ、そうか今日から値段が違うんだよね、と改めて思ったりしました。その子に「持ち帰りますと言って、そのあとその辺の席に座って飲み始めたらどうするの?」みたいなこと聞いたら、う~んそれはもじもじ・・という感じでした。困っちゃうよねえ。

上の写真は初めて入ったSizzlerというサラダバーのお店です。前は日替わりランチが900円ぐらいで食べられる、大衆的な店だったのですが、業態が変わってからどうも入りにくくて行ったことがありませんでした。増税前最後のチャンスと思い、思い切って挑戦してみました。
勤め人のランチで入るには、お値段と時間(あれこれ選びながらゆっくり食事しないと、十分に楽しめない)の点で厳しい感じがします。

増税後の買い控えというのも、少し経つと免疫ができてしまってあまり話題に上らなくなるものです。たしかに昨日とまったく同じ商品が、今日はみんな高くなっているというのは、どうにも面白くはないですよね。でもそれが必要なものなら、結局買わざるを得ない。買いだめしといても、いつかは今の値段で買わないわけにはいかない。5年前もそんなこと思ったな。。
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