在イタリア、ソムリエワインノートとイタリア映画評論、他つれづれ appunti di degustazione

ソムリエ 20年、イタリアワインのテイスティングノートと、なぜか突然のイタリア映画評論、日本酒、日本茶、突然アートも

”リボッラ・ジャッラ 2002” ラディコン

2008-04-11 16:29:43 | Friuli フリウリ
“Ribolla Gialla 2002” Radikon –Friuli Venezia Giulia
一番最初にラディコンのワインを飲んだのはヴィニタリーである。
その頃は、ラディコンもスタンドを出していた。
しかし、その次の年かさらに次の年にはまだ出ていたが、その後はやめてしまった。
そうやって出店しなくなった優良ワイナリーがどれだけいることか。
だから、ヴィニタリーはもう面白くないのである。

その時、赤、白ともに何種類か飲んだのだが、一番印象に残っているのは、メルローの、かなり古い、7,8年はたっているヴィンテージのものだった。
友達の間で、噂が回ってきて、スタンドを探して訪ねていった。
同じ年、友人が協力していたスタンドでも自然派ワインをずいぶん飲んだが、今思い起こすと、自然派ワインとのふれあいの初期だったと思う。
その頃は、何がなんだかよくわからなかったと、今は正直思う。
どうして今頃、こんなに古いヴィンテージを出すのか?
(リリース直後ではないと思ったが、飲み頃を知ってもらう為に出していた感じだったと思う。)
共通して「臭み」がある。
こういうワインもワインなのか?
普通のワインとは大きく違い、では、何が違うのか?
美味しいと言えば美味しいが、それより変わっている、というのが印象だった。
その後、頭の片隅にいつも残っていたとは言え、「一般的な通る道」を通ることとなったので、よりボディのあるワイン、よりパフォーマンスの良いワインに魅かれる時期があった。
バローロで言うと、伝統的よりモダンなタイプ、という感じである。
しかし、そういったワインに飽きてくるようになると、頭の片隅から、再び出てきた。
決して飽きの来ないワイン。体に優しいワイン。自然の恵みとしてのワイン。
今はその良さが理解できるようになった。

こういう自然派ワインを、最後まで好きになれない人はいるだろうが(このところローマで有名になったジャーナリストF. T氏は、「自然派ワインなんて、みんな同じ」と豪語したようだ)、年とともに好きになっていく人も多いと思う。
その時に、経験があるかないかで変わるわけではないが、経験があった方が良いような気がする。
あの時にはこう感じた、今はこう感じる、という比較は面白いものだと思うからだ。
というわけで、初心者には絶対に美味しいと感じないとは思うのだが、一度飲んでおくことをお勧めする。
もちろん、飲むワインは、ラディコンでなくてもいい。グラヴネルでもヴァレンティーニでもぺぺでもいい。自然派ワインの洗礼は早い方が良いと、個人的に思う。

で、ラディコンのリボッラ・ジャッラ。
色は、玉ねぎの皮を濃いめにした色。白だが、皮を漬け込んでる(macerazione)とわかる。
香りは、若干臭みがあるが、自然派好きにはこれが良い、とも言える。パフォーマンスのあるワインのようなふくよかさではなく、ワインの持っているふくよかさ、豊かさが表現されている。複雑で、揮発酸volatileが若干強く、酸化臭が感じられ、オレンジ、丁子、日本人ならわかる(日本人でないとわからない)シソ、梅の香、そして、スパイス臭、ドライ・フルーツ、イナゴマメcarrubaなど。
味は、酸が強い。ボディは、程よく、最近、どーんとしたワインが多すぎるよね~と感じる。白なのにタンニンを感じるくらいの口当たり。持続性かなりあり、タンニンの心地よい渋さが消えたこと、甘さが出てくる。

なお、容量は、研究の末のこだわりで、750mlではなく、500ml。
ボトルの首の直径なども一般のものとは違っている。

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