乱鳥の書きなぐり

遅寝短眠、起床遊喰、趣味没頭、興味津々、一進二退、千鳥前進、見聞散歩、読書妄想、美術芝居、満員御礼、感謝合掌、誤字御免、

『身毒丸 』 折口信夫  7  芸道のため、第一は御仏の為ぢや。心を断つ斧だと思へ。かういつて、龍女成仏品といふ一巻を手渡した。

2024-09-01 | 民俗学、柳田國男、赤松啓介、宮田登、折口信夫
(写真はイラン。テヘラン博物館の『アイスマン』
 ずいぶん時を経て、氷の中から発見されたという。)



『身毒丸 』 折口信夫  7  芸道のため、第一は御仏の為ぢや。心を断つ斧だと思へ。かういつて、龍女成仏品といふ一巻を手渡した。



   「折口信夫全集 第十七巻」中央公論社
   1954(昭和29)年11月
   「折口信夫全集 27」中央公論社
   1997(平成9)年5月



 踊り手は、一様に手を止めて、音頭の絶えたのを訝しがつて立つてゐた。

 と切れた歌は、直ちに続けられた。


 然しながら、以前の様な昂奮がもはや誰の上にも来なかつた。


 身毒は、歌ひながら不機嫌な師匠の顔を予想して慄へ上つてゐた。




 あちらこちらの塚山では寝鳥が時々鳴いて三人を驚かした。

 
 思ひ出したやうに、疲れたゞの、かひだるいだのと制多迦(せいたか)が独語をいふ外には、対話はおろか、一つのことばも反響を起さなかつた。


 家へ帰ると、三人ながら くづほれる様に、土間の莚の上へ、べた/″\と坐り込んだ。


 源内法師は、身毒の襟がみを把つて、自身の部屋へ引き摺つて行つた。


 身毒は、一語も上つて来ないひき緊つた師匠の脣から出る、恐しいことばを予想するのも堪へられない。


 柱一間を隔いて無言で向ひあつてる師弟の上に、時間は移つて行く。


 短い夜は、ほの/″\あけて、朝の光りは二人の膝の上に落ちた。



 芸道のため、第一は御仏の為ぢや。心を断つ斧だと思へ。

 かういつて、龍女成仏品といふ一巻を手渡した。




 
『身毒丸 』 折口信夫  1  信吉法師が彼(身徳)の肩を持つて、揺ぶつてゐたのである。

『身毒丸 』 折口信夫  2  此頃になつて、それは、遠い昔の夢の断れ片(はし)の様にも思はれ出した。  / 父の背

『身毒丸 』 折口信夫  3  父及び身毒の身には、先祖から持ち伝へた病気がある。  身毒も法師になつて、浄い生活を送れ」

『身毒丸 』 折口信夫  4   身毒は、細面に、女のやうな柔らかな眉で、口は少し大きいが、赤い脣から漏れる歯は、貝殻のやうに美しかつた。

『身毒丸 』 折口信夫  5  あれはわしが剃つたのだ。たつた一人、若衆で交つてゐるのも、目障りだからなう。

『身毒丸 』 折口信夫  6  身毒は、うつけた目を睜(せい)つて、遥かな大空から落ちかゝつて来るかと思はれる、自分の声に ほれ/″\としてゐた。

『身毒丸 』 折口信夫  7  芸道のため、第一は御仏の為ぢや。心を断つ斧だと思へ。かういつて、龍女成仏品といふ一巻を手渡した。


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『身毒丸 』 折口信夫  6  身毒は、うつけた目を睜(せい)つて、遥かな大空から落ちかゝつて来るかと思はれる、自分の声に ほれ/″\としてゐた。

2024-09-01 | 民俗学、柳田國男、赤松啓介、宮田登、折口信夫
(写真は『俊寛僧都物語』

『身毒丸 』 折口信夫  6  身毒は、うつけた目を睜(せい)つて、遥かな大空から落ちかゝつて来るかと思はれる、自分の声に ほれ/″\としてゐた。



   「折口信夫全集 第十七巻」中央公論社
   1954(昭和29)年11月
   「折口信夫全集 27」中央公論社
   1997(平成9)年5月





 田楽師は、また村々の念仏踊りにも迎へられる。

 ちようど、七月に這入つて、泉州石津の郷で盆踊りがとり行はれるので、源内法師は 身毒と、制多迦童子(せいたかどうじ)とを連れて、一時あまりかゝつて百舌鳥の耳原を横切つて、石津の道場に着いた。

 其夜は終夜、月が明々と照つてゐた。


 念仏踊りの済んだのは、かれこれ 子の上刻である。


 呆れて立つてゐる二人を急き立てゝ、そゝくさと家路に就いた。


 道は薄の中を踏みわけたり、泥濘を飛び越えたりした。


 三人の胸には、各別様の不安と不平とがあつた。

 踊り疲れた制多迦(せいたか)は、をり/\ 聞えよがしに欠をする。


 源内法師は鑢ででも磨つて除けたいばかりに、いら/\した心持ちで、先頭に立つてぼく/″\と歩く。


 久かたぶりの今日の外出は、鬱し切つてゐた身毒の心持ちをのう/\させた。


 けれどもそれは、ほんの暫しで、踊りの初まる前から、軽い不安が始中終彼の頭を掠めてゐた。


 は、一丈もある長柄の花傘を手に支へて、音頭をとつた。

 月の下で気狂ひの様に踊る男女の耳にも、その迦陵頻迦のやうな声が澄み徹つた。

 をり/\見上げる現ない目にも、地蔵菩薩さながらの姿が映つた。


 若い女は、みな現身仏の足もとに、跪きたい様に思うた。

 けれども身毒は、うつけた目を睜(せい)つて、遥かな大空から落ちかゝつて来るかと思はれる、自分の声に ほれ/″\としてゐた。

 ある回想がの心をふと躓かせた。

 の耳には、あり/\と火の様なことばが聞える。

 の目には、まざ/″\と焔と燃えたつ女の奏が陽炎うた。



 



 
『身毒丸 』 折口信夫  1  信吉法師が彼(身徳)の肩を持つて、揺ぶつてゐたのである。

『身毒丸 』 折口信夫  2  此頃になつて、それは、遠い昔の夢の断れ片(はし)の様にも思はれ出した。  / 父の背

『身毒丸 』 折口信夫  3  父及び身毒の身には、先祖から持ち伝へた病気がある。  身毒も法師になつて、浄い生活を送れ」

『身毒丸 』 折口信夫  4   身毒は、細面に、女のやうな柔らかな眉で、口は少し大きいが、赤い脣から漏れる歯は、貝殻のやうに美しかつた。

『身毒丸 』 折口信夫  5  あれはわしが剃つたのだ。たつた一人、若衆で交つてゐるのも、目障りだからなう。

『身毒丸 』 折口信夫  6  身毒は、うつけた目を睜(せい)つて、遥かな大空から落ちかゝつて来るかと思はれる、自分の声に ほれ/″\としてゐた。
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『身毒丸 』 折口信夫  5  あれはわしが剃つたのだ。たつた一人、若衆で交つてゐるのも、目障りだからなう。

2024-09-01 | 民俗学、柳田國男、赤松啓介、宮田登、折口信夫
『身毒丸 』 折口信夫  5  あれはわしが剃つたのだ。たつた一人、若衆で交つてゐるのも、目障りだからなう。



   「折口信夫全集 第十七巻」中央公論社
   1954(昭和29)年11月
   「折口信夫全集 27」中央公論社
   1997(平成9)年5月





 何も知らぬ身毒は、其夜一番鶏が鳴くまで、師匠の折檻に会うた。


 
 夜があけて、弟子どもが床を出たときに、青々と剃り毀たれた頭を垂れて、庭の藤の棚の下に茫然といでゐる身毒を見出した。


 源内法師の居間には、髪の毛を焼いたらしい不気味な臭ひが漂うてゐた。


 師匠は晴れやかな顔をして、廂に射し込む朝の光りを浴びてゐた。

 然しそれは間もなく、制多迦童子(せいたかどうじ)と渾名せられてゐる弟子の一人に肩を扼せられて出て来た、身毒の変つた姿を目にした咄嗟に、曇つて了つた。



 何も驚くことはない。

 あれはわしが剃つたのだ。たつた一人、若衆で交つてゐるのも、目障りだからなう。


 身毒を居間に下らした後、事あり顔に師匠の周りをとり捲いた弟子どもに、こだはりのない声で から/\と笑つた。



 瓜生野の田楽能の一座は逢坂山を越える時に初めて時鳥を聞いた。

 住吉へ帰ると間もなく、盆の聖霊会が来た。


 源内法師はこれまで走り使ひにやり慣れた神宮寺法印の処へさへも、身毒を出すことを躊躇した。

 そして、その起ち居につけて、暫くも看視の目を放さなかつた。

 どうも、うは/\してゐる、と師匠の首を傾けることが度々になつた。





 
『身毒丸 』 折口信夫  1  信吉法師が彼(身徳)の肩を持つて、揺ぶつてゐたのである。

『身毒丸 』 折口信夫  2  此頃になつて、それは、遠い昔の夢の断れ片(はし)の様にも思はれ出した。  / 父の背

『身毒丸 』 折口信夫  3  父及び身毒の身には、先祖から持ち伝へた病気がある。  身毒も法師になつて、浄い生活を送れ」

『身毒丸 』 折口信夫  4   身毒は、細面に、女のやうな柔らかな眉で、口は少し大きいが、赤い脣から漏れる歯は、貝殻のやうに美しかつた。

『身毒丸 』 折口信夫  5  あれはわしが剃つたのだ。たつた一人、若衆で交つてゐるのも、目障りだからなう。
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『身毒丸 』 折口信夫  4  身毒は、細面に、女のやうな柔らかな眉で、口は少し大きいが、赤い脣から漏れる歯は、貝殻のやうに美しかつた。

2024-09-01 | 民俗学、柳田國男、赤松啓介、宮田登、折口信夫
『身毒丸 』 折口信夫  4  身毒は、細面に、女のやうな柔らかな眉で、口は少し大きいが、赤い脣から漏れる歯は、貝殻のやうに美しかつた。



   「折口信夫全集 第十七巻」中央公論社
   1954(昭和29)年11月
   「折口信夫全集 27」中央公論社
   1997(平成9)年5月





 この仲間では、十一二になると、用捨なくごし/\髪を剃つて、白い衣に腰衣を着けさせられた。

 ところが身毒ひとりは、此年十七になるまで、剃らずにゐた。


 身毒は、細面に、女のやうな柔らかな眉で、口は少し大きいが、赤い脣から漏れる歯は、貝殻のやうに美しかつた。

 額ぎはからもみ上げへかけての具合、剃り毀つには堪へられない程の愛着が、師匠源内法師の胸にあつた。



 今年は、今年はと思ひながら、一年延しにしてゐた。

 そして、毎年行く国々の人々から唯一人なる、この美しい若衆はもて囃されてゐた。


 牛若というたのは、こんな人だつたらうなどいふ評判が山家片在所の女達の口に上つた。




 今年五月の中頃、例年行く伊勢の関の宿で、田植ゑ踊りのあつた時、身毒は傘踊りといふ危い芸を試みた。

 これは高足駄を穿いて足を挙げ、その間を幾度も/\長柄の傘を潜らす芸である。



 苗代は一面に青み渡つてゐた。

 野天に張つた幄帳の白い布に反射した緑色の光りが、大口袴を穿いた足を挙げる度に、雪のやうな太股のあたりまでも射し込んだ。

 関から鈴鹿を踰えて、近江路を踊り廻つて、水口の宿まで来た時、一行の後を追うて来た二人の女があつた。

 それは、関の長者の妹娘が、はした女一人を供に、親の家を抜け出して来たのであつた。


 耳朶まで真赤にして逃げるやうに師匠の居間へ来た身毒は長者の娘のことを話した。

 師匠は慳貪な声を上げて、二人を追ひ返した。




 
『身毒丸 』 折口信夫  1  信吉法師が彼(身徳)の肩を持つて、揺ぶつてゐたのである。

『身毒丸 』 折口信夫  2  此頃になつて、それは、遠い昔の夢の断れ片(はし)の様にも思はれ出した。  / 父の背

『身毒丸 』 折口信夫  3  父及び身毒の身には、先祖から持ち伝へた病気がある。  身毒も法師になつて、浄い生活を送れ」   (病気)

『身毒丸 』 折口信夫  4   身毒は、細面に、女のやうな柔らかな眉で、口は少し大きいが、赤い脣から漏れる歯は、貝殻のやうに美しかつた。

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『身毒丸 』 折口信夫  3  父及び身毒の身には、先祖ある。 身毒も法師になつ浄い生活を送れ」 

2024-09-01 | 民俗学、柳田國男、赤松啓介、宮田登、折口信夫
『身毒丸 』 折口信夫  3  父及び身毒の身には、先祖から持ち伝へた病気がある。  身毒も法師になつて、浄い生活を送れ」   (病気)



   「折口信夫全集 第十七巻」中央公論社
   1954(昭和29)年11月
   「折口信夫全集 27」中央公論社
   1997(平成9)年5月




「 とうちやん これは何うしたの」
と咎めたの顔を見て、返事もしないで面を曇らしたまゝ、急に着物をひつ被つた。

 記憶を手繰つて行くと、悲しいその夜に、の語つた言葉がまた胸に浮ぶ。


 父及び身毒の身には、先祖から持ち伝へた病気がある。

 その為には得度して、浄い生活をしようとしたのが、ある女の為に堕ちて、田舎聖の田楽法師の仲間に投じた。


 の居つた寺は、どうやら書写山であつたやうな気がする。

 それだから、

というたやうに、稍世間の見え出した此頃の頭には、綜合して考へ出した。

 唯、からだを浄く保つことが、の罪滅しだといふ意味であつたか、血縁の間にしふねく根を張つたこの病ひを、一代きりにたやす所以だというたのか、どちらへでも朧気な記憶は心のまゝに傾いた。


 身毒は、住吉の神宮寺に附属してゐる田楽法師の瓜生野といふ座に養はれた子方で、遠里小野の部領の家に寝起きした。




 
『身毒丸 』 折口信夫  1  信吉法師が彼(身徳)の肩を持つて、揺ぶつてゐたのである。

『身毒丸 』 折口信夫  2  此頃になつて、それは、遠い昔の夢の断れ片(はし)の様にも思はれ出した。  / 父の背

『身毒丸 』 折口信夫  3  父及び身毒の身には、先祖から持ち伝へた病気がある。  身毒も法師になつて、浄い生活を送れ」   (病気)
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『身毒丸 』 折口信夫  2  此頃になつて、それは、遠い昔の夢の断れ片(はし)の様にも思はれ出した。  / 父の背

2024-09-01 | 民俗学、柳田國男、赤松啓介、宮田登、折口信夫
『身毒丸 』 折口信夫  2  此頃になつて、それは、遠い昔の夢の断れ片(はし)の様にも思はれ出した。  / 父の背

   「折口信夫全集 第十七巻」中央公論社
   1954(昭和29)年11月
   「折口信夫全集 27」中央公論社
   1997(平成9)年5月




「おまへには、まだわかるまいがね」
といふことばを前提に、は小半時も、頑是のない耳を相手に、滞り勝ちな涙声で話してゐたが,大抵は覚えてゐない。


 此頃になつて、それは、遠い昔の夢の断れ片(はし)の様にも思はれ出した。



 唯この前提が,その時、少しばかり目醒めかけてゐた反抗心を唆つたので、はつきりと頭に印せられたのである。


 その時五十を少し出てゐた父親の顔には、二月ほど前から気味わるいむくみが来てゐた。


 父親が姿を匿す前の晩に着いた、0奈良はづれの宿院の風呂の上り場で見た,父の背を今でも覚えてゐる。

 
 蝦蟇の肌のやうな、斑点が、膨れた皮膚に隙間なく現れてゐた。




 
『身毒丸 』 折口信夫  1  信吉法師が彼(身徳)の肩を持つて、揺ぶつてゐたのである。

『身毒丸 』 折口信夫  2  此頃になつて、それは、遠い昔の夢の断れ片(はし)の様にも思はれ出した。  / 父の背



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『身毒丸 』 折口信夫  1  信吉法師が彼(身徳)の肩を持つて、揺ぶつてゐたのである。

2024-08-31 | 民俗学、柳田國男、赤松啓介、宮田登、折口信夫
『身毒丸 』 折口信夫  1  信吉法師が彼(身徳)の肩を持つて、揺ぶつてゐたのである。

   「折口信夫全集 第十七巻」中央公論社
   1954(昭和29)年11月
   「折口信夫全集 27」中央公論社
   1997(平成9)年5月



 身毒丸の父親は、住吉から出た田楽師であつた。

 けれども、今は居ない。

 身毒は をり/\ その父親に訣れた時のようすを思ひ浮べて見る。

 身毒はその時九つであつた。


 住吉の 御田植神事の外は 旅まはりで、一年中の生計を立てゝ行く 

 田楽法師の子どもは、よた/\と 一人あるきの出来出す頃から、もう二里三里の遠出をさせられて、 九つの年には、父親らの一行と  大和を越えて、伊賀伊勢かけて、田植能の興行に伴はれた。


 信吉法師というた彼の父は、配下に十五六人の田楽法師を使うてゐた。


 朝間、馬などに乗らない時は、疲れると屡 若い能芸人の背に寝入つた。

 さうして交る番に皆の背から背へ移つて行つた。


 時をり、うす目をあけて 処々の山や川の景色を眺めてゐた。


 ある処では青草山を点綴して、躑躅の花が燃えてゐた。


 ある処は、広い河原に幾筋となく水が分れて、名も知らぬ鳥が無数に飛んでゐたりした。


 さういふ景色と一つに、模糊とした 羅衣をかづいた記憶のうちに、父の姿の見えなくなつた、  夜の有様も交つてゐた。


 その晩は、更けて月が上つた。


 身徳は夜中にふと目を覚ました。

 見ると、信吉法師が彼の肩を持つて、揺ぶつてゐたのである。






 最後になりましたが、 折口信夫の『身毒丸 』を教えて下さいましたお方に心より感謝申し上げます。
 ありがとうございました。

 近日中に、
   「折口信夫全集 第十七巻」中央公論社
   1954(昭和29)年11月
   「折口信夫全集 27」中央公論社
   1997(平成9)年5月
などがあれば、図書館で借り、楽しませていただきたいと思います。

 


『身毒丸 』 折口信夫  1  信吉法師が彼(身徳)の肩を持つて、揺ぶつてゐたのである。




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『無縁・公界・楽』1 【縁切り寺、駆け込み寺】  網野 善彦  (日本中世の自由と平和 平凡社ライブラリー 1165) 

2020-10-11 | 民俗学、柳田國男、赤松啓介、宮田登、折口信夫

『無縁・公界・楽』1 【縁切り寺、駆け込み寺】

 網野 善彦  (日本中世の自由と平和 平凡社ライブラリー 1165) 

 

 以前にも読んだことがあるのか、あるいは、内容が重複しているのか、おさらい的な感じがする。

 しかし、網野 善彦著の本は興味深いので、もう一度よみ始めている。

 

 江戸時代の縁切り寺や若狭の駆け込み寺や周防ぐの無縁所まで読んでみたが、中には監視や今でいう監視役を兼ねた駆け込み寺があったことに驚いた。

 

 関税免除の特権を認められた「無縁所」が全国でも何例か認められたらしい。

 また寺によっては、借銭・借米の追求禁止。

 無縁所を保護しつつ祈願することによって、戦国大名が無縁所の原理を閉じ込めようとした。

 

 次は京の無縁所。

 京とあっては、丁寧に楽しまねばなるまい^^

 

 たまたま家人の本棚に無造作に置かれていた『無縁・公界・楽』だが、こういった内容は好きなので、時間を過ごす口実がまた一つ見つかったと喜んでいる。

 

 

公界(くがい)

 ① 公の場所。おおやけのこと。表向き。晴れの場。公的な用事。

 「述懐は私事、弓矢の道は-の義/太平記 19」

 ② ひとなか。ひとまえ。世間。公衆。

 「さやうの事を仰せられたらば、-で恥をかかせられう/狂言・花争」

 ③ 交際。ひとづきあい。

 ④  「苦界くがい」に同じ。

 ⑤ 課役。

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 『宮田登 日本を語る 4 俗信の世界』  「境界」「境」「辻」「辻占」「市」「川」「堀」「闇」他  吉川弘文館 

2020-03-23 | 民俗学、柳田國男、赤松啓介、宮田登、折口信夫

  『宮田登 日本を語る 4 俗信の世界』 吉川弘文館 



『宮田登 日本を語る 4 俗信の世界』、本日読了。
 後半では、境界を掘り下げたの話が興味深かった。
「境界」「境(さかい)」「辻」「辻占(つじうら)」「市(いち)「川」「堀」「闇」他多くの境界にまつわる内容が、心をくすぐる。
「境」という場所の民俗的な事例を提示して、近代や現代の都市の場所制の民俗的背景や考え方などをクローズアップさせる。
 その後に、現代の都市生活について導く。
 宮田登氏の『俗信の世界』は、誠、面白い。



 Ⅰ=祈りの民俗(人は神仏に何を祈るか/民間信仰と現世利益/江戸時代に再編成された日本の宗教/奇怪なる神々/絵馬について/江戸の絵馬―絵馬の由来と変遷―/安産の神仏たち)/
 Ⅱ=俗信と心意(俗信の世界/日本民俗信仰に表われた“符呪”/日本人と匂い/辻のフォークロア/神霊・怪異の音/餅の呪力―里の食物誌―/日本の数信仰/名前のフォークロア―命名の心意―/俗信の諸相)/
 Ⅲ=世相と俗信(日本コスモロジー―現代における宗教の意味と意義―/現代都市の怪異―恐怖の増殖―/現代都市の命運―都市の民俗学序説―/民俗学からみた
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5月5日の「柏餅と粽(ちまき)」    『宮田登 日本を語る 4 俗信の世界』 「餅の呪力」より 

2020-03-22 | 民俗学、柳田國男、赤松啓介、宮田登、折口信夫
 北野天神 絵馬  KYOTO

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 『宮田登 日本を語る 4 俗信の世界』 「餅の呪力」より 「柏餅と粽(ちまき)」


 5月5日の「柏餅と粽」


 柏餅

 柏餅は江戸の風俗
 『世事百談』巻四

 ならば、京都の人々が端午の節句ごろになるとこぞって餅屋に足を運び、
「(柏餅)味噌餡10個下さい。」「20個下さい。」
と言いたるは、近年の姿であったのかとほくそ笑む。

 「端午には、ちまきの餅や柏餅」
 『酒餅論』寛文年間(江戸時代中期)


 粽

 柏餅よりも古い。入水の投ずることに意味があった。
 『本朝草木』
 邪悪な妖獣というべき竜が五月の宴に出没し人を殺して去る。
 人々は護符として茅の葉にコメを包み、竜型に巻いた。
 その粽を宴会で帰路刻んで食べた。
 この竜型を粽と称した。

 ある時、老人が腰に粽をつけないで、宴会に加わらずぼうっと眺めていた。
 人々が各自竜型(粽)を刻み出すと、老人の顔色が変わったので、衆人これを捉えて殺したという。
 老人は竜の化身だと考えられたのだろう。


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3月3日の草餅について 蓬よりも母子草(鼠麹草 ははこぐさ)の方が古かった。  『宮田登 日本を語る 4 俗信の世界』 「餅の呪力」より 

2020-03-22 | 民俗学、柳田國男、赤松啓介、宮田登、折口信夫

 檜

 

 

 

 

 

 


 『宮田登 日本を語る 4 俗信の世界』 「餅の呪力」より 「草餅」


 3月3日の草餅
  蓬よりも母子草(鼠麹草 ははこぐさ)の方が古かった。
  『文徳実録(もんとく実録)』『古今要覧』

  蓬餅は菱形
  『守貞満腔(もりさだまんこう)』

  草餅に中国の故事を載せる。
  『拾芥抄(しゅうあいしょう)』

  「西土には、漢世より蓬餅を食し、…西京雑記に載せたれば…邪気をはらふといふにもとづきて蓬をもちひしにゃ、殊に蓬は香気よろしければ、鼠麹草(ははこぐさ)にかへ用いしならん」
  『古今要覧』

  蓬も鼠麹草も香りの強さが珍重され、邪気を払うとされたのだろう。
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『宮田登 日本を語る 4 俗信の世界』 オンパラパラ ラントリ。コロナウイルス、消滅〜〜〜!エイ!!  吉川弘文館

2020-03-21 | 民俗学、柳田國男、赤松啓介、宮田登、折口信夫
   『宮田登 日本を語る 4 俗信の世界』 吉川弘文館       P.1~P.90

 以前にも読んだ宮田登氏の『日本を語る 4 俗信の世界』を読み進めている。
 Ⅰ では、ケとケガレとハレや、村から個人の祈願、イタコやゴミソ、絵馬(古代先行の先生もおっしゃっていた生馬(うま)の話などを興味深く読んだ。

 そして、Ⅱ の俗信と心意(俗信の世界)の初っ端に、Ⅰ と重複するが、こんなことが書かれていたので、単語/\で追ってみたい。


 日本民俗信仰に表われた“符呪”

 護符と呪符
 「熱さまし桜護符」 (市川市妙正寺)
  江戸時代に疱瘡が流行し、桜の皮を細かく刻んだものを煎じると熱に効くと言う感想した桜の皮が、お守りに入っているらしい。

 富士講
  江戸時代中期には、富士山を祈る富士講は、主として「おふせぎ」と言う呪法を用いて、信者を集めた。(開田各業始める 伝)

 道切り  
  疫病などの災厄が村内に防ぐことの呪術  


 忌む、払う、浄め

 民俗学状の儀礼論からいうと、
   ケ 日常生活状態
   ケガレ
     個人次元では身体の不調、病気にかかり、日常生活が維持できなくなった状態
     共同体では村や町が天変地異、災害に襲われ、崩壊の聞きに遅された状態

 このケガレに対する抵抗手段として、
     忌む、払う、浄めという三つの儀礼が行われる。


 苦しい時の神頼み。

 私も何らかの形で、忌み、払い、浄めようかしらん^^

 オンパラパラ ラントリ。コロナウイルス、消滅〜〜〜!エイ!!

 
 Ⅰ=祈りの民俗(人は神仏に何を祈るか/民間信仰と現世利益/江戸時代に再編成された日本の宗教/奇怪なる神々/絵馬について/江戸の絵馬―絵馬の由来と変遷―/安産の神仏たち)
 Ⅱ=俗信と心意(俗信の世界/日本民俗信仰に表われた“符呪”) 

 内容説明
 人は神や仏に何を祈るのか。日本的な現世(げんぜ)利益(りやく)の観念を、祈願・禁忌(きんき)・予兆(よちょう)・占い・まじないなどのさまざまな具体例を通して解き明かす。地名や命名の心意、あるいは色・音・匂いの民俗的な意味を問い、近世の絵馬・七福神などの図像資料から現代の都市の怪異に至るまで、時間と空間を大胆に横切りながら、現代における宗教の意味を明らかにする。


 Ⅰ=祈りの民俗(人は神仏に何を祈るか/民間信仰と現世利益/江戸時代に再編成された日本の宗教/奇怪なる神々/絵馬について/江戸の絵馬―絵馬の由来と変遷―/安産の神仏たち)/
 Ⅱ=俗信と心意(俗信の世界/日本民俗信仰に表われた“符呪”/日本人と匂い/辻のフォークロア/神霊・怪異の音/餅の呪力―里の食物誌―/日本の数信仰/名前のフォークロア―命名の心意―/俗信の諸相)/
 Ⅲ=世相と俗信(日本コスモロジー―現代における宗教の意味と意義―/現代都市の怪異―恐怖の増殖―/現代都市の命運―都市の民俗学序説―/民俗学からみた
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『底本 柳田國男集 第二十七巻』柳田國男 より「猿回しの話」「絵馬と馬」など六項目  猿の舞は、元は朝廷の儀式→ 後に浄瑠璃

2019-02-15 | 民俗学、柳田國男、赤松啓介、宮田登、折口信夫
 写真は、奈良 氷室神社



 『底本 柳田國男集 第二十七巻』柳田國男 より「猿回しの話」「絵馬と馬」など六項目  猿の舞は、元は朝廷の儀式→ 後に浄瑠璃





 『底本 柳田國男集 第二十七巻』より


      「猿回しの話」336-340
      「絵馬と馬」341-343
      「板絵沿革」344-349
      「龍王と水の神」350-354
      「片葉蘆考」355-361
      「諸国の片葉の蘆」362-363
      「七難の揃毛」364-365
      「民族覚書」366-369



 只今は『底本 柳田國男集 第二十七巻』より
      「河童駒引」49-110 を読んでいる途中



「猿回しの話」 336-340

 滝沢馬琴の『阿旬伝兵衛實實記』は奈河七五三助合作の浄瑠璃「近頃河原の達引」から引かれているという。

 のちに歌舞伎でも上演され、松嶋屋さんが伝兵衛の味を見事に生かされている。

 色々な役者で見たが、馴染みのあるところでは、片岡我當さんの「近頃河原の達引」は見事なまでにこなされていた。

 
 本書の「猿回しの話」の中では、猿回しは後に、次のような演目が記され、面白いと記されている。

    浄瑠璃のお俊傳兵衞(ママ)
    猿芝居の春駒
    狂言のウツボ猿


 猿の舞は元々は神事であり、宮中(京都)では一月の三日に演じられていたという。

 その後派生し、滋賀の出である猿曳きの本家本元の小野家の名を語り猿回しを全国で展開すると行った輩が多く現れたという。


 上に書いたように、猿の舞は朝廷の儀式であった。

 これは馬の息災を念ずるものであったためにだんだんと広がり、小野家から猿曳気を全国に広げた人たちがいるとも書かれている。

 猿と馬とは関連性の強い動物であり、猿が馬を引いたという画も残っているという。



 「絵馬と馬」341-343

 絵馬には興味があるので、本を飛んだり講演を聞いたり、神社仏閣や博物館に行ったことがある。

 絵馬の派生や本来の意味合いなどは、学者によって諸説唱えられているのであるが、

    民俗学者
    美術史学者
    考古学者
    各研究分野の各学者
    他
によって、全く違った観点から説を唱えられているのが面白い。

 柳田國男氏と某美術史家(忘れました)は多少類似点が認められるが、私の聞いた考古学者(名は伏せておきたい)は生贄の観点から問題視されていた。

 
 どれが正しくどれが間違いと言ったことは、現在に生きる私たちにはわからない。

 どれも正しいのであろうかもしれない。

 私は、絵馬が多く飾られた絵馬堂は、昔の人たちにとって目をなごませる場所であったのが正直なところであったと考えている。

 また祈願や願い、そう言った心を形に表す奉納するということも事実であったように感じる。

 この語りは今も私たちの生活の一部に残り、合格祈願や無病息災などを絵馬に書き、納める人々は後をたたない。


「絵馬と馬」では興味深いことが多く書かれていたが、各学者の研究分野の立場によって見解が大きく異なっていたということだけを記録にとどめたい。



「猿回しの話」と「絵馬と馬」以外にも六項目を読んだが、記録が長くなるので、ここで止めたい。
 
 今は本書から「河童駒引」を読んでいる最中。

 家に『底本 柳田國男集』全巻揃えているので、気が向いた時に読めるのは非常にありがたい。

 

 







 『底本 柳田國男集』

 筑摩書房

 昭和四十五年八月  第一版

 980円



 



 
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102:『定本 柳田國男集 第二十七巻』から「絵馬と馬」「龍王と水の神」「ツク舞について」など 筑摩書房

2014-10-24 | 民俗学、柳田國男、赤松啓介、宮田登、折口信夫
  (藤の木古墳)



  102:『定本 柳田國男集 第二十七巻』
     「絵馬と馬」「龍王と水の神」「ツク舞について」「蛙の居らぬ池」「馬力神」「京都の耳塚の史實」「鮭と兄弟と」
      筑摩書房



『定本 柳田國男集 第二十七巻』から興味のある項目を読む。

 今回は、「絵馬と馬」「龍王と水の神」「ツク舞について」「蛙の居らぬ池」「馬力神」「京都の耳塚の史實」「鮭と兄弟と」

「絵馬と馬」の最後のくだりは柳田國男氏らしくて痛快。


 最小限と考えている記録が随分たまりにたまっていて、身動きが取れません。

 興味が多すぎ、時間不足が原因だと思います。(深く反省^^)

 今回も項目記録のみにて失礼申し上げます。



 



「絵馬と馬」344-349

「龍王と水の神」350-354

「ツク舞について」404

「蛙の居らぬ池」412-413

「馬力神」416

「京都の耳塚の史實」419

「鮭と兄弟と」435














コメント (2)
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62:『日本民間信仰論 増訂版』から 第一・二篇(一部) 桜井徳太郎 弘文堂 1973年

2014-05-06 | 民俗学、柳田國男、赤松啓介、宮田登、折口信夫
(田原本今里浜 蛇巻)


 62: 『日本民間信仰論 増訂版』桜井徳太郎


弘文堂,
1973年 
448ページ
昭和51年4刷
昭和33年に刊行された『日本民間信仰論』の増訂版


 ゴールデン・ウィークの中頃の夜中の事
 急に民俗学関係の本が読みたくなったので、書棚を物色。
 その夜は桜井徳太郎著の『日本民間信仰論 増訂版』がひときわ輝いたので、一部読む事にした。


  第二篇 民間信仰の特質から 
   第六章 呪術と民間信仰 {一 現代と呪術/二 呪術の成立/三 呪術の構造/四 呪術と習俗}


 この章は大変わかりやすく、面白く感じた。
 やはり、民俗学関係ののほんは楽しいなと思いつつ、次に 第一篇 民間信仰の原点から一部を読む。

  第一篇 民間信仰の原点
   第二章 氏神の包容性の問題 {一 問題の所在/二 氏神の統制力/三 氏神と代参講/四 外来信仰受容の態度/五 境内末社の成立}
   第三章 氏神信仰と祭祀組織 {序 調査上の問題点/一 村の概観/二 氏神社の変遷/三 祭祀組織と機能/四 祭祀組織の変遷}
   第四章 地域社会の伝承的信仰 {はしがき/一 弓頭行事/二 年頭行事としての弓頭/三 春祈祷としての弓頭行事/四 年占行事としての御弓行事}


 第二章 第三章は、京都の中心部で生まれ育った私には、随分難しい…(笑み)
 尤も、京都でも吉田神社付近では今も色濃く残っているのであろうかもしれない。

 第四章の弓の行事は本書で書かれる意味も持たれていたんだと、また一つ広義に意味を理解できた。

 第一篇 民間信仰の原点には「サカムカエ」の話が出ていた。
「サカムカエ」の話は 第三篇 民間の伊勢信仰 第一章 サカムカエに詳しく書かれているが、途中まで読んで断念した。
 途中、他のほんに関心が出てしまったからだ。その名も『猫のさうし』(御伽草子  日本古典文学大系)
 話を戻そう…
「サカムカエ」についてはある程度はわかったので、将来何かで読む機会に恵まれるのではないかと直感的に感じた。

 読みたい本がいっぱいあり、時間が旨く使えないと嘆きながらも、今日もやれ本や!やれ芝居だ!のと、機嫌良く遊ぶ。










目次   (データーベースより)
序説 日本の民間信仰 {一 民間信仰の定義/二 民間信仰の実相/三 民間信仰の特色}
第一篇 民間信仰の原点
 第一章 民間信仰の重層性 {一 問題の所在/二 高山祭の実況/三 高山祭の三型式/四 高山祭にみられる信仰の重層性}
 第二章 氏神の包容性の問題 {一 問題の所在/二 氏神の統制力/三 氏神と代参講/四 外来信仰受容の態度/五 境内末社の成立}
 第三章 氏神信仰と祭祀組織 {序 調査上の問題点/一 村の概観/二 氏神社の変遷/三 祭祀組織と機能/四 祭祀組織の変遷}
 第四章 地域社会の伝承的信仰 {はしがき/一 弓頭行事/二 年頭行事としての弓頭/三 春祈祷としての弓頭行事/四 年占行事としての御弓行事}
 第五章 山の神信仰の諸問題 {一 問題の所在/二 初めて山に入ること/三 入山を忌む山神祭/四 山の神信仰の変遷}
第二篇 民間信仰の特質
 第一章 民間信仰の特質 {一 問題の所在/二 新旧文化の接触/三 真宗信仰と固有信仰との習合/むすび}
 第二章 講と待行事 {一 問題の提起/二 講の種類と性格/三 研究の推進}
 第三章 「講」成立の進行的基盤 {一 「講」成立の信仰的基盤/二 「講」の二面性/三 「講」の特質}
 第四章 信仰的講集団の成立 {一 講集団の研究/二 地域社会の講集団/三 「講」結合の変化/四 歴史的推移/むすび}
 第五章 講集団の組織と機能 {一 社会集団としての「講」/二 「講」研究の意味/三 「講」の形成と展開/四 「講」の類型と機能/むすび}
 第六章 呪術と民間信仰 {一 現代と呪術/二 呪術の成立/三 呪術の構造/四 呪術と習俗}
第三篇 民間の伊勢信仰
 序章
 第一章 サカムカエ {一 問題の所在/二 村落におけるサカムカエ行事/三 サカムカエ行事の類型/四 サカムカエ行事のもつ意義/むすび}
 第二章 ハバキヌギ {一 問題の所在/二 転化と還帰の習俗/三 神人転機の場所/四 代参者の送迎/五 神人転機の推移}
 第三章 抜参りの源流 {一 お蔭参りと抜参り/二 抜参りと成年式/三 成年式の信仰行事/四 民間信仰発展の三段階/五 伊勢代参の源流}
第四編 民間信仰の諸相
 第一章 離島の信仰生活 {一 対馬の伝承的信仰/二 伊豆諸島}
 第二章 利根川下流域のオビシャ {はじめに/一 オビシャ行事の大要/二 オビシャ行事の分布/三 オビシャ行事の分析/四 特殊な神事/五 弓射のみられないオビシャ}
 第三章 秩父地方の信仰生活 {一 秩父の風土と信仰/二 三峰講}
 第四章 河運習俗と信仰 {一 信濃川支流域の舟運習俗/二 熊野川の筏流しと信仰}
あとがき
索引(事項索引・地名索引)


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