乱鳥の書きなぐり

遅寝短眠、起床遊喰、趣味没頭、興味津々、一進二退、千鳥前進、見聞散歩、読書妄想、美術芝居、満員御礼、感謝合掌、誤字御免、

小栗判官

2018-07-09 | 説経節、幸若舞、舞の本等
 写真は伊勢の夫婦岩
 ただいま楽しんでいる『中世の貧民―説経師と廻国芸人 』のしょっぱなに説経節や土車(つちぐるま)について触れられている。
 説経節にせよ万歳にせよ伊勢からこられた方が多い。
 

   『説経節』「信徳丸」東洋文庫(『弱法師』『摂州合邦辻』『文楽瑠璃集 』の「摂州合邦辻」比較)
   『説経節』から 「付 信太妻」 東洋文庫 平凡社
   『古浄瑠璃 説経集』から「さんせい太夫」 岩波 新版古典大系
   『さんせい太夫考』から「説経序説」「さんせい太夫の構造」岩崎武夫著 平凡社選書
    東洋文庫『説経節』から「山椒太夫」「注」「解説:山椒太夫」昭和44年3月
   『説経節』厨子王丸& 『幸若舞』信太(平将門孫)& 『説経節』小栗判官 = 重瞳、双瞳







 小栗判官について



 小栗判官(おぐりはんがん)は、伝説上の人物で。
 これを主人公として日本の中世以降に伝承されてきた物語。
 妻・照手姫の一門に殺された小栗が閻魔大王の計らいで蘇り、姫と再会し、一門に復讐するという話で、説経節の代表作であり、浄瑠璃や歌舞伎などになっ。
 常陸国小栗御厨(現在の茨城県筑西市)にあった小栗城の城主である常陸小栗氏の小栗満重や、その子・小栗助重がモデルとされる。

「小栗の判官」「おぐり判官」「をくりの判官」「をくり」「おくり」などの名でも伝えられる。
『中世の貧民―説経師と廻国芸人 』によれば、「をくり」の表記は「ふぉぐり」と発生するので、間違いだと指摘されていた。

 小栗判官の伝承は多く残っており、後に創作されたものもあり、それぞれにかなりの相違が見られる。
 説経節や浄瑠璃、歌舞伎など多くに脚色されている。また縁のある土地にもそれぞれの伝承が残っており、小栗の通った熊野街道は小栗街道とも呼ばれる。

 人物としての小栗判官は、藤原正清、名は助重、常陸の小栗城主。
 京の貴族藤原兼家と常陸国の源氏の母の間に生まれ、83歳で死んだとされる。
 15、16世紀頃の人物として扱われることもある。

 乗馬と和歌を得意とした。子宝に恵まれない兼家夫妻が鞍馬の毘沙門天に祈願し生まれたことから、毘沙門天の申し子とされる。

 藤沢市遊行寺(清浄光寺)長生院(小栗堂)がある。
 応永22年(1415年)、上杉禅秀が関東において乱を起こした際、満重(他の資料では小栗判官(小栗助重)の父の名であるが、この伝承においては判官自身を指す)は鎌倉公方足利持氏に攻め落とされ、落ち延びる。
 その途上、相模の国に10人の家来とともに潜伏中に、相模横山家(横山大膳・横浜市戸塚区俣野に伝説が残る)の娘・照手姫を見初め、結婚の約束を交わす。
 横山は、旅人を殺し金品を奪う盗賊であった。照手姫は本来上皇や法皇の御所をまもる武士である北面武士の子であったが、早くに父母に死に別れ、理由あって横山大膳に仕えていた。

 小栗の行為に怒った横山庄司親子は、小栗を人食い馬と言われる荒馬「鬼鹿毛(おにかげ)」に乗せ噛み殺さようと企てるなど、さまざまな計略を練るものの失敗。
 しかしついには権現堂にて酒に毒を盛り、家来もろとも殺してしまう。横山は小栗の財宝を奪い、手下に命じて小栗と家来11人の屍を上野原に捨てさせる。
 この事実を知った照手姫は密かに横山の屋敷を抜け出すが、不義の罪により相模川に沈められかける。
 危ういところを金沢六浦の漁師によって助けられるも、漁師の女房に美しさを妬まれてさまざまな虐待を受け、最後には六浦浜で人買いの手に売り飛ばされてしまう。
 姫は売られては移り、移っては売られて各地を転々とするが、最後まで小栗への貞節を守り通す。

 小栗伝説にふさわしい佇まいを残す湯の峰温泉(上流より湯筒が見えるあたり。)
 一方、小栗は地獄に堕ち、閻魔大王の前に引きずり出されるが、裁定により地上界に戻されることができた。
 しかし異形の餓鬼阿弥の姿で、癩病にかかっており、歩くこともままならない。幸いに藤沢の遊行寺(清浄光寺)の大空上人の助けを蒙り、地車に乗せられて東海道を西進する。
 小栗が殺された夜、遊行寺では大空上人の夢枕に閻魔大王が立ち、
「上野原に11人の屍が捨てられており、小栗のみ蘇生させられるので、熊野の湯に入れてもとの体に戻すために力を貸せ」
と告げていた。
 上人はそのお告げに従って上野原に行き、死んだ家来達を葬るとともにまだ息のあった小栗を寺に連れ帰ったのであった。


 説経節にみる小栗判官伝説
 正本として、延宝3年(1675年)「おぐり判官」(作者未詳)、年未詳「をくりの判官」(佐渡七太夫豊孝)その他がある。

 鞍馬の毘沙門天の申し子として生を受けた二条大納言兼家の嫡子小栗判官が、ある日鞍馬から家に戻る帰路、菩薩池の美女に化けた大蛇の美しさに抗し切れず交わり、妻としてしまう。
 大蛇は懐妊するが、子の生まれることを恐れて隠れようとした神泉苑に棲む龍女と格闘になる。
 このために7日間も暴風雨が続き、小栗は罪を着せられ常陸の国に流された。
 この場所にて小栗は武蔵・相模の郡代横山のもとにいる美貌の娘である照手姫のことを行商人から聞かされ、彼に頼んで照手に文を渡す。照手姫から返事を受け取るや、小栗は10人の家来とともに、照手姫のもとに強引に婿入りする。
 これに怒った横山によって、小栗と家来達は毒殺され、小栗は上野原で土葬に、家来は火葬にされる。照手姫は相模川に流され、村君太夫に救われるが、姥の虐待を受け、千手観音の加護により難を逃れたものの人買いに売り飛ばされ、もらわれた美濃国青墓宿の万屋でこき使われる。

 一方、死んだ小栗と家来は閻魔大王の裁きにより
「熊野の湯に入れば元の姿に戻ることができる」との藤沢の遊行上人宛の手紙とともに現世に送り返される。餓鬼阿弥が小栗の墓から現われたのを見た上人は手紙を読み、餓鬼阿弥と化した小栗を車に乗せると胸の木札に「この車を引くものは供養になるべし」と書きしたためた。

 多くの人に引かれた車は美濃の青墓に到着する。
 常陸小萩の名で働いていた照手姫は餓鬼阿弥が小栗であると知らずに5日間に渡って大津まで車を引き、ついに熊野に到着する。熊野・湯の峰温泉の薬効にて49日の湯治の末、小栗の業病は完治し元の体に戻ることができる。
 その後、小栗は京に戻り天皇により死からの帰還は珍事であると称えられ、常陸・駿河・美濃の国を賜ることになる。また、車を引いてくれた小萩を訪ね彼女が照手姫であることを知り、姫とともに都に上った。
 やがて小栗は横山を滅ぼし、死後は一度死んで蘇生する英雄として美濃墨俣の正八幡(八幡神社)に祀られ、照手姫も結びの神として祀られた。

 小栗判官伝説をつたえる熊野権現堂の碑(神奈川県藤沢市石川)がある。
 鎌倉大草紙にはやや異なる話が書かれている。
 道重は三河の国に落ち延びたが、子の小次郎助重は相模国権現堂[注釈 1]に泊まった際、盗賊に毒を盛られたが照手姫という遊女に救われて三河へと逃げた。
 後に照姫を探し出して宝を与え、盗賊を退治したという。

 御物絵巻「をくり」、奈良絵本「おくり」があり、これらは説教節から詞章を得ていると見られている。
 また瞽女歌の中にも類似の物語が残っている。

 近年では、1991年(平成3年)に初演された梅原猛作のスーパー歌舞伎『オグリ』、1994年の大野一雄による舞踏『小栗判官照手姫』、2001年の遊行舎による遊行かぶき『小栗判官と照手姫-愛の奇蹟』(説教節・政太夫)、2009年(平成21年)の宝塚歌劇団花組公演『オグリ! 〜小栗判官物語より〜』(木村信司作・演出、壮一帆主演)、1982年に初演された遠藤啄郎脚本・演出の横浜ボートシアター仮面劇『小栗判官照手姫』などがある。
 また1990年に、近藤ようこによって漫画化・発表されている。

          ウィキペディアによる。




 みなさまご訪問いただき、誠にありがとうございます。
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講演「某奈良学」    『説経節』とつながる

2012-09-19 | 説経節、幸若舞、舞の本等


 講演「某奈良学」を二時間聴く。

 中でも興味を持ったのは、近畿地方の寺前につくられたという○人宿(お話中のことば)のお話

 癩病患者などを集め住まわせたという。

 近畿地方にはこういった住居説くが五、六十。奈良には二十数宿あったとのこと。

 これで『説経節』の作品に出てくる四天王寺や他の寺の内容がわたくしの中で消化されつながった。


 予定していた某町主催の古事記の講演は時間的に断念せざるを得なかったが、変わりに意義あるお話を拝聴でき、光栄に感じた。

 今月は古文書が後ひとつ。

 今月の講座は二時間三コマを含め、五コマ(九時間)受けることにとなる。

 年を重ねてから講義を受けるのも楽しいものだ。







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123: 『幸若舞』から「築島」東洋文庫 355  なか 昔のことかとよ。…

2012-08-14 | 説経節、幸若舞、舞の本等




  2012年  本

    123: 『幸若舞』から「築島」(つきしま)


 東洋文庫 355

 『幸若舞』から「築島」   283-312 注313-333

        「解説 築島」376-379




 なか 昔のことかとよ。その頃平家の大将おば、安芸守清盛あきのかみきよもりと申しける。

 こんな美しい日本語から始まる「築島」

「人柱立てられるべき」なんど、公詮議有りしかども、「それはなかなか罪業なるべし」とて、石の面おもてに一切経を書いて、築かれたる故こそ、経の島とは名付けけれ。

『幸若舞』「築島」では、人柱は立てられなかったことになっている。 

 しかし『源平盛衰記』の記述は違うと解説にあった。



 以前読んだ『幸若舞』から「信田」東洋文庫(「さんせい太夫」「信田」関連:8 ) 
17: 『古浄瑠璃 説経集』から「さんせい太夫」 岩波 新版古典大系
18:『さんせい太夫考』から「説経序説」「さんせい太夫の構造」岩崎武夫著 平凡社選書
19: 東洋文庫『説経節』から「山椒太夫」「注」「解説:山椒太夫」昭和44年3月
20:東洋文庫『幸若舞』「解説:信太」「解説」  岩波 新版古典大系『舞の本』「解説」
『説経節』厨子王丸& 『幸若舞』信太(平将門孫)& 『説経節』小栗判官 = 重瞳、双瞳
『閑吟集』118 情けは人のためならず 119 るゝるるるるるる るるるる ルンルン
24: 『舞の本』から「信田」70-101  岩波書店 新日本古典文学大系
25: 『幸若舞』から「信田」東洋文庫(「さんせい太夫」「信田」関連:8 )
 



 記録したいことが山の様にたまっていますので、今回も簡単なメモだけで失礼いたします。

 
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85:『ミラクル絵本で楽しむ 小栗判官と照手姫』―伝岩佐又兵衛画 太田彩監修 (4枚)

2012-06-09 | 説経節、幸若舞、舞の本等













記録だけ  

    85: 『ミラクル絵本で楽しむ 小栗判官と照手姫』―伝岩佐又兵衛画



 太田彩 監修

 伝 岩佐又兵衛画

 絵巻「をぐり」  宮内庁三 丸尚蔵館所蔵

 東京美術

 1,890円







 目次

     人気の絵師と浄瑠璃操り、夢の共演──絵巻「をぐり」への誘い   太田 彩
     絵巻「をぐり」の概要と特徴
     伝説の絵師、岩佐又兵衛とは?


第一巻 鞍馬の申し子
 京の公卿、大納言兼家殿に待望のお世継ぎ誕生!!

第二巻 妻選び
 元服に伴い、「常陸小栗」と改名……
 深泥池の大蛇、小栗を見初める。

第三巻 魔性の誘惑
 鞍馬寺にて待ち受けるは憂い顔の美姫ひとり……
 小栗、流罪となるも、常陸で判官の位を得る。

ついに出逢った運命の恋人たち。
世紀のロマンスが今始まる。

第四~五巻 婿入り
 小栗が恋した、まだ見ぬ美姫は……
 美しくもきわどい言葉で、この文が……
 東国武士の掟を軽んじた強引な婿入りも……

第六~七巻 人喰い馬
 コケにされたと、怒り心頭の横山殿……
 屋根を駆け、大樹を登る。……

第八巻 小栗暗殺
 夫に迫る大事の予知夢!?……
 小栗の命運、ここに尽きたか……
 最愛の夫を殺され、悲嘆にくれる照手姫を……

第九巻 照手の危機
 ああ、おいたわしきは、照手の姫さまよ……
 すんでのところで、命長らえた照手姫……
 助かったのも、束の間のこと……

第九~十巻 照手の行方
 明日はいずこへ、売られゆく。

第十巻 青墓の宿
 遊女になれとの無体な要求。拒んだ照手に……

照手の話はいったん置いて……。
ここは冥界、黄泉の国。

第十~十一巻 小栗蘇生
 地獄の閻魔に情けをかけられ……

第十一~十二巻 餓鬼阿弥の旅
 引かれて上るは東海道。めざすは熊野……

第十二~十三巻 夫婦の奇縁
 醜い姿の餓鬼阿弥が、愛しき夫とはつゆ知らず……

第十三巻(一) 悲しき別れ
 餓鬼阿弥の旅は、いつ終わるのか。
 もしも、この身が二つあったならば……

第十三巻(二) 熊野・湯の峯へ
 人の情けが繋ぐバトンリレーのような…
 蘇りし日から数えて、四四四日目……

第十三巻(三) 小栗復活!!
 湯の峯の霊力が奇跡を起こす!

第十四巻 再びの邂逅
 「父上、母上、小栗です!!」
 何と数奇なめぐり合わせか……

第十五巻(一) 大団円
 罪を裁いて、恩には報い、一件落着……
 小栗、大往生!!……

第十五巻(二) 結びの口上
 これにて、物語はおしまい……

巻末付録  本書をより深く味わうために
〈解説その一〉絵巻のルーツ、「小栗伝説」
〈解説その二〉又兵衛工房と古浄瑠璃絵巻群
〈資料その一〉現存する、又兵衛の古浄瑠璃絵巻群(「をぐり」を除く)の概要
〈解説その三〉絵巻「をぐり」の物語ダイジェスト
〈資料その二〉絵巻「をぐり」各巻概要

絵で知る人々のくらし
 座産と鳴弦/長寿を願う蓬莱飾り/吉夢と凶夢/埋葬の方法/小栗伝説のキーパーソン、藤沢の上人/篤い信仰を集めた、熊野詣


















 絵巻「をぐり」は現在十五巻。

 三百メートル、三百十二段、本来二十六巻


 記録 『通し狂言 當世流小栗判官(後編)』2011年 /『スーパー歌舞伎 新・三国志』1999年でもふれたが、伝 岩佐又兵衛画 の『ミラクル絵本で楽しむ 小栗判官と照手姫』を楽しむ。

 この場合の再生は「因果の車」と「湯」

「湯」には霊力があると民俗学の諸先生方が書かれていた。『小栗判官と照手姫』では「湯の夆」とある。

 小栗判官は湯につかり、49日目で復活した。









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『通し狂言 當世流小栗判官(後編)』2011年 /『スーパー歌舞伎 新・三国志』1999年

2012-06-09 | 説経節、幸若舞、舞の本等


  『通し狂言 當世流小栗判官(後編)』2011年 /『スーパー歌舞伎 新・三国志』1999年





 『通し狂言 當世流小栗判官(後編)』

出演:市川亀治郎(四代目猿之助) 市川笑也 市川右近 市川猿弥 市川笑三郎 市川春猿 市川寿猿 坂東薪車 坂東竹三郎 中村獅童 
2011年
88分
カラー
【出演】片岡愛之助 猿翁・猿之助・中車襲名記念特集~市川猿之助の世界~ 衛星劇場が二ヶ月連続でお届けするスペシャル企画。 伯父三代目猿之助の当たり役三役に亀治郎(四代目猿之助)が初挑戦。 「三代猿之助四十八撰」の一つで数々の仕掛けを巧みに織り込んだ復活古典狂言。序幕は横山家の御家騒動を背景に小栗判官が馬術の腕を披露する。二幕目は漁師の浪七が照手姫の危難を救う場面。三幕目は判官、照手姫、お駒の三角関係から天馬に乗っての宙乗りが見せ場で、大詰は主要登場人物が顔を揃えての大団円となる。 伯父三代目猿之助が当たり役としてきた判官・浪七・お駒の三役に亀治郎(四代目猿之助)が初挑戦した話題の舞台をTV初放送でお届け。 (2011年/平成23年10月・新橋演舞場)



 演目が『小栗判官』とあって興味あり。

 実は図書館より『小栗判官と照手姫』をお借りしていたので、演目『小栗判官云々』に興味あり。

『通し狂言 當世流小栗判官(前編)』は見そびれたが、『通し狂言 當世流小栗判官(後編)』を見る。

 前半は見ていないが、絵巻の『小栗判官と照手姫』とは、かなり違うようだ。

 絵巻の『小栗判官と照手姫』はどちらかといえば『説経節』「信徳丸」(『弱法師』『摂州合邦辻』)を思い浮かべる箇所あり。

 説経節『小栗判官』を読んだ上で、再び『通し狂言 當世流小栗判官(前編)(後編)』を見たい。


 舞台『通し狂言 當世流小栗判官(後編)』は88分なのだが、二時間以上見たような錯覚に落ち入る。

 そのため番組編成を勘違いし、残念なことに2010年4月(歌舞伎座さよなら公演)坂田藤十郎さんの『藤娘 』を見逃す……ショックは大きい。



 



 『スーパー歌舞伎 新・三国志』

出演:市川猿之助(二代目猿翁) 市川笑也 市川猿弥 市川笑三郎 市川春猿 市川段治郎(現・月乃助) 市川右近 市川門之助 市川亀治郎(四代目猿之助) 中村歌六
1999年
215分
カラー
【出演】市川段四郎 猿翁・猿之助・中車襲名記念特集~市川猿之助の世界~ 衛星劇場が二ヶ月連続でお届けするスペシャル企画。 三代目猿之助が生み出した「スーパー歌舞伎」は、従来の歌舞伎の枠を破り“スピード・スペクタクル・ストーリー”の三本柱を掲げ、奇抜なアイデアや大掛かりな演出を取り入れた。熱狂的な支持を得たスーパー歌舞伎の一つの到達点と言える『新・三国志』がついに登場。 テーマは「夢見る力」。劉備玄徳は女だった、関羽と劉備の恋…。有名な「赤壁の戦い」の舟の沈没シーン、幻想的な宙乗り、そして関平安良が獅子奮迅の戦いを見せる30トンもの本水を使った立ち回りなどスペクタクル満載の舞台だ。 (1999年/平成11年4月、5月・新橋演舞場)




 わたしが高校生の頃の猿之助さんは南座でくるくるまわっておられた。

 そういった意味で、なつかしさを感じる。


 わたしは この舞台でも 中村歌六さん、猿之助さん(二代目猿翁)、亀治郎さん(四代目猿之助)くらいしかわからない…。

 以前松竹座で見た『ヤマトタケル』でもどなたが出ておられるのか二役なのかわからない。

 普通の歌舞伎とも演劇とも違うある「間」

 従来の歌舞伎や花組芝居のネオ歌舞伎とは違い、スーパー歌舞伎のコツをつかむのはわたくしには難しそうだ。


『スーパー歌舞伎 新・三国志』の舞台構成そのものは面白く、京劇の方が出てこられる場面になると楽しいと感じた。





 御襲名おめでとうございます。
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2月21日 9代目團十郎に小判を突き返した 根付師 尾崎 谷斎(おざきこくさい)

2012-02-21 | 説経節、幸若舞、舞の本等


 2月21日

 尾崎 谷斎(おざき こくさい) 武田谷斎とも名乗る 

 本名 尾崎惣蔵

 1835年(天保6年)- 1894年(明治27年)2月21日)

 根付師

 

 ウィキによれば、谷斎は象牙よりも鹿角を好んで使用。具材の安い鹿角に芸術的価値を持たせることが谷斎の本領

 仏具・蝙蝠・霊芝(茸)の作品が多い。

「谷斎彫り」といわれる)で時代の人気を得、当代人気番付にも頻繁に登場
 谷斎ものを持たない芸者は本物ではないとまで言われた。


 9代目市川團十郎が、注文してからなかなか届かないことに痺れを切らして、金に困っているのだろうと、金十両を送りつけると、谷斎は、馬鹿にするなと怒ってその小判に「金十両確かに受領せり」と彫って送り返したという逸話が残る。
 
 

 江戸時代、 團十郎他人気歌舞伎役者、芸者が身につける櫛や根付けは一般の庶民の憧れでもあり、大きな宣伝効果があった…

 大和文化館学芸員さんが講演「江戸の人気蒔絵師・原羊遊斉」そんなお話をなさっていたことを思い出す。


 ところでわたくし 尾崎 谷斎(おざき こくさい)のねつけを知らない…

 という訳で調べてみると、なんだかどこかで見たことがある。

 嶌谷コレクション「幕末、明治の彫刻師 尾崎谷斎」

 私にはあまりわからない世界だが、鯔背な役者や勝ち気な芸者や祭の男衆が何気なくこれをつけていると、美しいだろうと思う。


 

 


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29:『さんせい太夫考』から「しんとく丸」と母子神信仰の世界 岩崎武夫著 平凡社選書23

2012-02-10 | 説経節、幸若舞、舞の本等




2012年  本

    29:  『さんせい太夫考』から「しんとく丸」と母子神信仰の世界    96-136




 
『さんせい太夫考』から「しんとく丸」と母子神信仰の世界    96-136


 岩崎武夫著

 平凡社選書23


 以前 2011 14; 『説経節』「信徳丸」東洋文庫(『弱法師』『摂州合邦辻』『文楽瑠璃集 』の「摂州合邦辻」比較)が楽しかった、

 なのでその流れに任せ、8日。京都往復の時間を利用して『さんせい太夫考』から「しんとく丸」と母子神信仰の世界 を読む。



 気になった点は二つ。

 1
 しんとく丸がや舞になったのは、継母の呪いと行った単純な者ではなく、観音様のお怒りにふれたというのが直悦的理由。

「親の因果が子に報い」…で、重くのしかかってくる。

 本書には詳しく載せられていたが、ここでは割愛させていただきたい

 2
『さんせい太夫考』「さんせい太夫」では 浜辺の風呂船と「しんとく丸」の四天王寺の軒下という『境界』についてのべられていた。

『さんせい太夫考』 「しんとく丸」では、四天王寺の軒下という『境界』と歌舞伎『曾根崎心中』天満屋(遊郭)の縁の下

『曾根崎心中』の縁の下でお初のことばに促され、心中を決意   132-133



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25: 『幸若舞』から「信田」東洋文庫(「さんせい太夫」「信田」関連:8 )

2012-02-07 | 説経節、幸若舞、舞の本等



 2012年  本

    25: 『幸若舞』から「信田」


 東洋文庫 855

 『幸若舞』から「信田」   169-237

        「解説 信田」369-372




17: 『古浄瑠璃 説経集』から「さんせい太夫」 岩波 新版古典大系


18:『さんせい太夫考』から「説経序説」「さんせい太夫の構造」岩崎武夫著 平凡社選書



19: 東洋文庫『説経節』から「山椒太夫」「注」「解説:山椒太夫」昭和44年3月



20:東洋文庫『幸若舞』「解説:信太」「解説」  岩波 新版古典大系『舞の本』「解説」



『説経節』厨子王丸& 『幸若舞』信太(平将門孫)& 『説経節』小栗判官 = 重瞳、双瞳


『閑吟集』118 情けは人のためならず 119 るゝるるるるるる るるるる ルンルン

24: 『舞の本』から「信田」70-101  岩波書店 新日本古典文学大系


25: 『幸若舞』から「信田」東洋文庫(「さんせい太夫」「信田」関連:8 )
 (←今回の記録)



 今回は題名などの記録だけで失礼いたします。














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24: 『舞の本』から「信田」70-101  岩波書店 新日本古典文学大系

2012-02-07 | 説経節、幸若舞、舞の本等
   (写真は 信田   『入門 奈良絵本・絵巻』石川透著から)



 2012年  本

    24: 『舞の本』から「信田」


 岩波書店

 新日本古典文学大系

 『舞の本』から「信田」  70-101



 岩波古典文学大系『説経節』「さんせい太夫」、 『説経節』「さんせいだゆふ」、 『さんせい太夫考』から「説経序説」「さんせい太夫の構造」を読み、『舞の本』や『幸若舞』の中に納められた「信田」が「さんせい太夫」徒に建てんが多いことを知る。

 確かに類似する部分が多い。

『舞の本』では「信田」を二度読む。

「さんせい太夫」「信田」ともに復讐物語だが、その内容は海の外の諸国に負けずといった残酷さだ。

 映画『切腹』をみたことがあるが、それどころではなかろう…。

 ヨーロッパの首切りも刃が厚く、上手くしに切れなかったと言うが、浜歩く民に木ののこを引かすとは…

「信田」では残酷な記述は短かったものの、指20本云々から始まる拷問には震えが生じた。


 ところで、「信田」を読んだあと、小松和彦氏の『異界を覗く』を読み終えた。

『異界を覗く』の異人を受け入れる宿のことが取り上げられていた。

 タイミングのせいだかなんだか、「さんせい太夫」「信田」の人身売買の宿を思い浮かべた。

『異界を覗く』では旅人を殺し金品を奪って豊かになるが、その因果が子に何らかの影響を与えたといった芝居のような言い伝えが書かれていた。












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『説経節』厨子王丸& 『幸若舞』信太(平将門孫)& 『説経節』小栗判官 = 重瞳、双瞳

2012-02-06 | 説経節、幸若舞、舞の本等




『幸若舞』「信太 しだ」 を読み、英雄伝説のひとつのパターンに出会った。

 厨子王丸& 信太& 小栗判官 = 重瞳、双瞳

 『説経節』小栗判官葉今のところ未読。

「信太 しだ」を一通り読了したところなので、次は東洋文庫でもう一度味わいたい。

   「説経さんせい太夫」と森鴎外「山椒太夫」  
 
   「説経さんせい太夫」と『幸若舞』「信太 しだ

 上二点の類似点と相違点を充分に味わいたい。

 

 

 

       重瞳(ちょうどう)、双瞳(そうとう)

 

 『説経節』「さんせい太夫」  厨子王

 『幸若舞』「信太 しだ」      平将門の孫   平将門(彼も重瞳)

 『説経節』「小栗判官」(未読)小栗判官も?   (『幸若舞』「信太」による)


 

 双瞳(そうとう)
 〔補説〕 「そうどう」とも
 [1] 一眼の中に二つのひとみがあること。奇人の人相。
 [2] 左右両方の目。両眼。


 重瞳(ちょうどう)
 厨子王が選ばれた理由は額の米三つと重瞳(ちょうどう)
 (19: 東洋文庫『説経節』から「山椒太夫」「注」「解説:山椒太夫」昭和44年3月)

    

 

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20:東洋文庫『幸若舞』「解説:信太」「解説」  岩波 新版古典大系『舞の本』「解説」

2012-01-30 | 説経節、幸若舞、舞の本等





 2012年  本

    20: 東洋文庫『幸若舞』から「解説:信太」「解説」 岩波 新版古典大系『舞の本』から「解説」 








 東洋文庫『幸若舞』から「解説:信太」    335-358
            「解説」       369-372


 岩波 新版古典大系『舞の本』から「解説」  589-620




 




「さんせい太夫」を読んでいると度々『幸若舞』「信太」にふれられるので、書斎から東洋文庫『幸若舞』と岩波 新版古典大系『舞の本』を照り出す。

「信太」を読もうと試みたが、いきなりでは幸若舞がどのような伝統芸能だったかが検討がつかない。

 仕方が無いので解説から読むことにした。

 光若舞の歴史や流れや能との関係が明確。

 基本骨組みは似ているが,とり上げる部分が違うので都合がよい。


 二冊共にメモしたところは多いが、長文をさせるためにここでは省略したい。

 新版古典大系『舞の本』「解説三」では桜井徳太郎『御霊観の系譜』をあげられているが,この内容は多くの話に共通。

 類似内容は 岩崎武夫著「さんせい太夫孝」の解説にも少しふれられていた。

 
 解説を読んでいると,多くの謡曲が出てくる。これも読まねば…。

 仕方が無いので観世流謡曲百番集上下二冊や岩波の謡曲集をまわりに置く。

 ところが知人に教えをこうと、バカ程重たい日本古典大辞典で調べると良いらしい。

 せいぜい広辞苑の大きさと重みが限界の私には,つらい。

 だが、ぐるりが必要な本に取り囲まれるというのは、ある意味要塞のようで案外落ち着く。

 書棚に囲まれた部屋の中でさらに自分のまわりに城壁のように積んだ本に味を隠すのは気持ちが安らぐ。

 ある作家の某作品を思い浮かべたが,内緒ビッチだよ。


 




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19: 東洋文庫『説経節』から「山椒太夫」「注」「解説:山椒太夫」昭和44年3月

2012-01-29 | 説経節、幸若舞、舞の本等



 2012年  本

    19: 東洋文庫『説経節』から「山椒太夫」「注」「解説:山椒太夫」




 昭和44年3月10日 初版

 平凡社

 東洋文庫 248

「山椒太夫」
「注」
「解説:山椒太夫」

 361ページ


 



 新版古典大系。『古浄瑠璃 説経集』「さんせい太夫」、『さんせい太夫考』から「説経序説」「さんせい太夫の構造」を読む。

 引き続き、東洋文庫『説経節』

「注」を意識しながら「山椒太夫」「解説:山椒太夫」を読む。



 国分寺と四天王寺の違いが顕著のあらわされている。

 厨子王が選ばれた理由は額の米三つと重瞳(ちょうどう)ウィキペディアより ▼

 重瞳(ちょうどう)とは、一つの眼玉に、瞳が二つある眼のこと。とくに、中国の貴人の身体的特徴として現れることが多い。 たとえば、伝説上の聖王である舜は重瞳だったという。また、資治通鑑などの史書によれば、項羽も重瞳だったという。
 明らかな異相であるが、王の権威付けのためか、特に古代中国の王には重瞳にかぎらず、常人とは異なった身体的特徴をしていることが多い。たとえば、文王は四乳といって乳首が四つあったというし、禹は三漏といって耳の穴が三つあったという伝承が残っている。
 日本においても重瞳は貴人の相と考えられ、豊臣秀吉、平清盛などが重瞳だったという伝承がある。もっとも、これについての信憑性はきわめて薄く、まともに論じられることはめったにない。物語においては、壇ノ浦夜合戦記で源義経、幸田露伴の『蒲生氏郷』で秀吉が重瞳だったという設定になっていたりもする。
 海音寺潮五郎は、水戸光圀、由井正雪などについても重瞳であったという説を紹介した上、「ひとみが重なっている目がある道理はない。おそらく黒目が黄みを帯びた薄い茶色であるために中心にある眸子がくっきりときわだち、あたかもひとみが重なっている感じに見える目を言うのであろう」と論じている(文春文庫『中国英傑伝』、英雄総登場)。
 医学的には、二重瞳孔といって、瞳が二つになる症例が存在する。先天的にそうなる場合もあるし、なんらかの物理的衝撃を受けた場合など、虹彩離断が著しく悪化した場合も二重瞳孔になる。虹彩離断になったばあいについては物が二重に見えるという不具合が生じ、治療には外科手術が必要である。

 
 中東では四ツ目の犬や斑には意味があるようだ。だが四ツ目の犬は重瞳では無く,眼の上に眉毛のような斑が入った犬のことだったように思う。



 東洋文庫『説経節』では森鴎外の作品が有名だと言うことで、「山椒太夫」とつけられたという。

「山椒太夫」の山椒は出所がわからないと示されていた。

 新版古典大系『古浄瑠璃 説経集』では「さんせい太夫」、『さんせい太夫考』では「説経さんせい太夫」と記されている。

「さんせい太夫」はかなり面白そうだ…。



 展開や風習や行動やそれぞれの意味合いに興味深い箇所が多くある。

 かなり長文になりそうなので,ここでは控えたい。



 次は「さんせい太夫」に関係があるらしく解説などに多く出てきた『幸若舞』『舞の本』二冊から「信太」を楽しみたい。

 

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21; 『説経節』から 「付 信太妻」 東洋文庫 平凡社

2011-02-24 | 説経節、幸若舞、舞の本等


 記録だけ   2011年度 21         



    『説経節』から 「付 信太妻」

    
      
  
 

 昭和44年3月10日 初版

 平凡社

 東洋文庫 248

「付 信太妻」  253-306

 361ページ




「われはもとより、仇し野の、草葉に影を、隠す身の、人の情けの、深きゆえ、幾年月を、送りしが、以下なれば、浅間氏や、色香妙なる、花ゆえに、心を寄せて、水鏡、うつる姿を、嬰児(みどりご)に、見とがめられしは、何事ぞや。これぞ縁の尽きばなり。………」  (286)(『説経節』より引用)
      (アクセントの関係で句読点が付いています。)



 歌舞伎で好きな演目のひとつ『芦屋道満芦屋道満大内鑑』(あしやどうまんおおうちかがみ)


    恋しくば、尋ねて来てみよ、和泉なる、信太の森の、うらみ葛の葉
      (アクセントの関係で句読点が付いています。)


 子を抱きかかえながら障子に書く姿のしなやかさと切なさは心に染み入る場面です。

 子を抱えあやしながら、右手左手、後ろ向き、口で筆を持ち書く葛の葉。

 その見事な運筆には感動致します。

 一番最近では扇雀さんの演じられた『芦屋道満芦屋道満大内鑑』を見ましたが、驚くばかりの表現力で、年月のたった今も心に残っています。




「付 信太妻」では清明の祈祷による安名の死の再生も描かれ、色々な意味で興味深く感じました。

「付 信太妻」は「付」とあって、『説経節』における信太妻の全てでないのが少し残念かも知れません。

 好きな演目の話を読み、有意義な時間を過ごさせていただきました。



 
 今回も題名記録のみにて失礼致します。




 



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14; 『説経節』「信徳丸」東洋文庫(『弱法師』『摂州合邦辻』『文楽瑠璃集 』の「摂州合邦辻」比較)

2011-01-30 | 説経節、幸若舞、舞の本等


  
 

 記録だけ   2011年度 14         



    『説経節』から 「信徳丸」

    
      
  
 

 昭和44年3月10日 初版

 平凡社

 東洋文庫 248

「信徳丸」   115-160

「信徳丸」解説 328-330

 361ページ ?+税   


    


 テレビで通し狂言『摂州合邦辻』を見たので、その元となった謡曲『弱法師』(観世流百番集)を読んだ。

 これは楽しい!と思い、次に『文楽瑠璃集 』の「摂州合邦辻」

 この際だからと、本日『説経節』「信徳丸」と解説を読む。



『説経節』の「信徳丸」は謡曲『弱法師』に内容は近い。

 謡曲『弱法師』の前後があり、内容はふくらみがある。

 その分謡曲『弱法師』は心情の深みが読みとれる。

 能楽では弱法師と共に歩むとされる女性の説明はない。

 おそらく義母だとされているが、当時皆が知っていたという「信徳丸」の無駄な説明は省かれたといわれているようだ。



『説経節』では信徳丸の出生や名付け詳しく、乙姫との出会いのおもしろさにも目を惹くものがある。

 義母の呪いの方法はアワビの貝に毒を盛る(摂州合邦辻)のではなく、木打ちの数の多さに驚く。

 この呪術には呪術を持って解決し、義母のお涙(摂州合邦辻=信徳丸の種に自害)といった話の展開はない。

 木打ちを羽箒で払い、信徳丸の目を払うと、眼病は失せ、目が開く。

 民俗学的には箒は呪術的な性格を持っているとされる。

 現在でも皇室が繭を育て絹織物をつくる行事を『正倉院展』で知ったが、その繭を育てる前に、繭部屋(?正式名不明)を皇后様が玉などを施した特別な箒でお払いになるとされている。

『説経節』「信徳丸」では箒は再生の意味で用いられている。

 

 信徳丸は眼病(ライ病)となって、天王寺に捨てられる。

 あとで偶然父と出会い連れ帰るというのが謡曲『弱法師』

『説経節』では乙姫が自分の身は美しすぎると巡礼の身に変装して信徳丸を探すといった、深い愛情を感じる。

 この部分は歌舞伎の『摂州合邦辻』よりも趣を感じる。

 歌舞伎の『摂州合邦辻』と『説経節』の「信徳丸」では膨らます部分が違う。

 これは興味深い。

『説経節』「信徳丸」はどのような声色で語られたのだろう。

 これを芝居仕立てに読むおもしろさも、捨てがたい。

『説経節』は口調が良くわかりやすいので、イメージは歌舞伎舞台となって広がる。

 


 話は飛ぶが『源平盛衰記』で「漆を湯を沸かして身にあび、ほちょうして癩病(ライ病)のごとくになって」という記述がある。

 詳しくは誤解を招くといけないのでここでは省く。

 癩と盲目からの救済の物語の背景には、乞食芸能者であった説教の徒の願望と共感が織り込まれていたと、東洋文庫で荒木繁氏は説かれている。


  
             



 最後までおつきあい下さいましてありがとうございました。

 心より感謝申し上げます。



 間違いやお気づきの点がございましたら、教えていただけましたらうれしいです。

 宜しくお願い申し上げます。      乱鳥








 
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13; 『文楽瑠璃集 』から「摂州合邦辻」 日本古典文学大系 昭和40年

2011-01-30 | 説経節、幸若舞、舞の本等




 2011年度 13



        『文楽瑠璃集 』から「摂州合邦辻」
                



『文楽瑠璃集 』から「摂州合邦辻」

 日本古典文学大系 99

 P、303~328

 岩波書店

 昭和40年 1000円(P,472)



 昨日夜中テレビで歌舞伎「摂州合邦辻」を見たあと、『観世流百番集』「弱法師」を読んだので、今回は日本古典文学大系の中から『文楽瑠璃集 』から「摂州合邦辻」を読む


『文楽瑠璃集 』から「摂州合邦辻」は娘が俊徳丸の後を追って実家に帰ってきた部分だけが載せられている。

 娘(俊徳丸の義母)の真意を知り、せつなくて涙を誘う部分。

『鳴神』の場合は内容や表現が大きく変えられていたが、『文楽瑠璃集 』の「摂州合邦辻」は原作に忠実。

『文楽瑠璃集 』を読むと 娘(俊徳丸の義母)の母親の重要性が感じられる。

 皆の橋渡し的存在で、テレビでは今回東蔵さんだったが、この役はべなところでは 東蔵さん、田之助さん、竹三郎さん以外は思い浮かない。


 俊徳丸といえばわたしが読み始めようとしている東洋文庫の『説教節』にも載っている。

 せっかくだから、ここに三日は俊徳丸で楽しむことにする。
 




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