乱鳥の書きなぐり

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2016年5月1日 氷室神社 献氷祭と、『左伝』  (写真 7枚)

2016年07月04日 | 古典全般(奈良〜江戸時代)




    2016年5月1日 氷室神社 献氷祭



 5月、氷室神社の献氷祭に伺わせていただきました。
 歴史床しい「氷室」の意味合いを感じ取りつつ、神事に舞楽。家族と、楽しいひと時を過ごさせていただきました。


 

 

 

 

 
 神饌の数々
 
 
 氷室神社(ひむろじんじゃ)  Wikipediaより
 由緒は「氷室神社縁起」絵巻に記されており、また『続日本紀』や『元要記』にも散見される
 和銅3年(710年)、元明天皇の勅命により、吉城川上流の月日磐に氷神を奉祀し、厳寒に結氷させたものを氷室に蓄え、翌年に平城京へ献氷させる制度が創始された。
 翌和銅4年(711年)6月1日に初めて献氷の勅祭が興され、以降毎年4月1日より9月30日まで平城京に氷を納めた。
 奈良朝7代、70年余りの間はこの制度は継続したが、平安遷都後は廃止され、貞観2年(860年)、清和天皇の時期になって、現在の地に奉遷され、左右2神を併せ三座となった[4]。社殿が建立されたのは建保5年(1217年)とされている。
 以来、春日大社の別宮に属し、式年費用や営繕費、祭礼費などは春日社、興福寺の朱印高2万石、および社頭所禄、三方楽所料2千石などの一部によって行われたが、明治以降はこの制度も廃止され、氏子と冷凍氷業界の奉賛により維持される形になっている。



「氷室神社縁起」絵巻があるのだと、縁起絵巻が好きな私の心は踊る。
 真向かいの奈良県立博物館で公開される機会が、今後あるかもしれないかなと期待する。

 
 昨年八月、『なら氷室神社創建の謎(平城京と氷室社の創建について)』という公演を拝聴したことがある。

 その中に『春秋左伝』の話があった。

 
 『左伝』(十七 十八) 家族所蔵

 『左伝』(十八)に 「無氷」などの記述がある。

 講演の内容では、次のようにおっしゃっていた。(うる覚え)
  氷室は、神聖であるべきである。
  災いをもたらせない。
  これ(氷の貯蔵)を配る。
    ↓
  これをやめれば、災いを来たらす。

『左伝』(十七 十八)を眺めていても「蛇乗龍」といった言葉が、目に入る。
 

 
 『左伝』(十七 十八)のはじめのページ


 公演を聴き終えた後、たまたま全巻持ち合わせていた『左伝』に、心ときめいた。

 民俗学で度々出てくる氷室。
 今年の五月、氷室神社 献氷祭に参らせていただけたことを嬉しく感じる。

 関係者の皆様、神社で偶然お話しさせていただきました皆様、心より御礼申し上げます。
 ありがとうございました。







コメント (6)
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