「介護録」とユルユル日記

介護終了、ブログタイトルかえました。

ご挨拶

2014年12月7日をもって私の介護生活は終了しました。

介護中、このblogに毒吐きし、多くの介護仲間さんに助けられました。
過去記事を読むと穴があったら入りたい気分でもありますし、今とは考え方も違うところもあります
身勝手な独りよがりも多々ありますが、そんなあれこれも、介護中の方たちのデトックスに一役かえたらという思いから「介護録」として残しておくことにしました。

今後はユルユルと日常をつぶやきながら時に介護や認知症に対する思いを書いていこうと思います。

タティング

タティングは↓こちらに 写真をアップしていくことにしました。
お暇が出来たらのぞいてやって下さい。
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夜の散歩

2006-07-01 | ●介護録(~2015.2月)
ここのところ、毎日出ています。
もう仕方ないので、夜の散歩と割り切ってます。
時間は短いので、まあヨシとします。

それにしても五月までは、月に片手で数えるほどに減っていた徘徊が六月になって増えだし、最近はほぼ毎日になっているのはなぜなの?
私の風邪ひき時期と重なって増えてきた…風邪のせいならそのうちまた納まるのかな。

最近の母のアレレな行動。
●頭に白いモノをかぶっていた…よく見ると、それはトイレの便座カバー(うちのはO型)髪がうるさいのでかぶっていると言う。
●食器が足りない。あちこち探した。あきらめていたら、母の下着の引き出しに茶碗と小皿が…。ブラジャーに包まれていた。
●ついさっきの服装は、半袖プルオーバーの上に薄い長袖ボレロ、そしてその上から半袖ブラウス。

咳が止まらず、なんとはなしに疲れモード。
一月前まではデイの日は、あれもこれもやりたくて、やらなきゃソンなきがして、時間を無駄にしないぞーというノリでガンガン動いていたけれど、最近は、テンションが低く、一つ二つ、何かをやればよいほうで、何もかもスロー。
やりたい気持ちより、乗り切れない気持ちが強く、やや気力低下。時間がもったいない…と思わなくなってしまった。アレレ…いいのかなーこれで…。


2006-07-01 | ▼ユルユル日常
横田めぐみさんの元夫と韓国のご家族が対面した。
フクザツな心境だった。

ヨンナムさんは迷いもなくよどみなくペラペラと亡き妻のことを語る。
彼の娘は今度は本名で挨拶をする。
二人が悪いのてはない。横田さんご夫妻が言うように彼らも犠牲者だ。

彼らにとってあれは「単なる嘘」ではないのだろう。
「上からの指令による逆らいがたい現実」なのか、それとも、「崇高な思念に基づく任務」なのかはワカラナイ。

人は訓練されれば(命がかかっているという現実ゆえか?)、あんなにも冷静に公の場で真実ではないことを語れるものなんだ…とつくづく思う。

「嘘も方便」という言葉があるように、時にはその場を丸く収めるため、余計な心配をさせないため、嘘をつくこともある。
でも、基本的に人間は「嘘は悪いこと」と教えられているから、「嘘」への嫌悪感や罪悪感が根付いている。

母の的はずれな質問には、嘘で答えなくてはならないことが多い。それは悪ではなく、仕方ない手段なのに、嘘をつくことへの「抵抗感」はいつも私の中にある。

母から死んだ父のことを「どこに行ったんだろう」と尋ねられる。
死んだと言わない方がいいのだろうから、適当に話しを作るしかない。たけど、ドラマのようにスルスルと嘘をつけない。
「えっ?」とか「うーん?」と曖昧な返事して時間稼ぎする。その間にテレビなどに気がいけばそれでいいし、母の方から「まだ仕事だろか」などと言ってくれたら「うん」と一つ返事するだけで終える事も出来る。

あれこれと作り話をするより「うん」だけで終わる嘘のほうが気が楽。
嘘をついていい場面でも「つきたくない」という心理が働くみたい。

不思議なもので、まったくの「ありえない話」の時のほうが、簡単に嘘でもなんでもあることないこと言ってしまえる。
でも、現実とかぶっていると、嘘がつきにくい。
死んだ父のことを生きているように話すのも楽しいことではない。
…しかも一度ですまないし……(∋_∈)

やっぱり嘘つきたくないなー
ホントは、本当のことをちゃんと話して、そして、分かって欲しいよ。
無理だから、逆効果だから、しないけど……ホントは話したい。