「介護録」とユルユル日記

介護終了、ブログタイトルかえました。

ご挨拶

2014年12月7日をもって私の介護生活は終了しました。

介護中、このblogに毒吐きし、多くの介護仲間さんに助けられました。
過去記事を読むと穴があったら入りたい気分でもありますし、今とは考え方も違うところもあります
身勝手な独りよがりも多々ありますが、そんなあれこれも、介護中の方たちのデトックスに一役かえたらという思いから「介護録」として残しておくことにしました。

今後はユルユルと日常をつぶやきながら時に介護や認知症に対する思いを書いていこうと思います。

タティング

タティングは↓こちらに 写真をアップしていくことにしました。
お暇が出来たらのぞいてやって下さい。
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魂があるならば…

2007-01-16 | ●介護録(~2015.2月)

ーラの泉で江原さんがよく言うでしょ
「今、お母さんがここに来てて、こう言っているんですよ」って。
で、時々ふと思うんたけど、認知症のまま最期を迎えた場合、魂はどうなるのかなって。肉体から解放されれば正常?

人の思考って脳が支配していると思う……だから前頭葉がダメになると感情のコントロールが出来なくなったりするわけで……

目の不自由だった人が肉体から解放されれば全てが見える…というのはわかりやすい。でも、認知症が死後解消される…ってなんだかよく分からない。

例えば母が死んで、魂になって私の後ろにやってきたとして、その時の母は、認知症になってから以後の記憶というものをもっているのかしら?
自分がどんなふうに病気になってどうやって死んだかわかっているのかしら?
その間、介護していた私とどんなぶつかり合いがあったかを記憶しているのかしら?
魂になったら認知症になっていた生きていたときの自分を理解するとしたら、それはそれでコワイよ。といって認知症のままの魂…っていうのもなんか考えられないし。

ああ、人ってホントに肉体と魂と別々なのかしら?
魂と脳の関係ってどうなってんだろな?