「介護録」とユルユル日記

介護終了、ブログタイトルかえました。

ご挨拶

2014年12月7日をもって私の介護生活は終了しました。

介護中、このblogに毒吐きし、多くの介護仲間さんに助けられました。
過去記事を読むと穴があったら入りたい気分でもありますし、今とは考え方も違うところもあります
身勝手な独りよがりも多々ありますが、そんなあれこれも、介護中の方たちのデトックスに一役かえたらという思いから「介護録」として残しておくことにしました。

今後はユルユルと日常をつぶやきながら時に介護や認知症に対する思いを書いていこうと思います。

タティング

タティングは↓こちらに 写真をアップしていくことにしました。
お暇が出来たらのぞいてやって下さい。
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リスク

2008-09-19 | ●介護録(~2015.2月)
片づけをしていて古い日記を見た。ちようど、母が骨折した頃。
うちに責任はないと言っていた施設側の態度ががらりと変わり、治療費を払うと決まった頃。(簡単に言うと、私が骨折当日の朝に受けた電話の、職員の言葉の中にマズイことがあり、それであちらが非を認めたような感じ)

私自身、かなりナーバスになっていた。
リバヒリがどうなるのが、歩行能力がどうるのかもまったく分からなかった頃だし、付き添いがずっーーーと必要になった場合、どうしようか…とか。

日記の中には、ネットの仲間からエールをもらい勇気づけられ、逆に当てにならない親戚ー…なんて一言もあったりする(^^ゞ

この時、私はハングル検定三級受験を申し込んでいて、試験日は手術の一週間後。
まったく勉強しないまま(ラストスパートってやつをしないまま)とりあえず受けた(予想通りに落ちた)

で、その時の日記……

ふと思った。
以前なら、こんな試験を終えて家に帰ったら、母が「どうだった?」なんて聞くんだろうなー
でも、今は家には誰もいない。
いたとしても、私は母に試験を受ける話なんてしてないだろう。してもすぐ忘れるもの。
旅行に行ったとか…そういうことも何も言わない。
だいたい、そういうことはいつも母のいない日にやってるんだ。
それをするためにショートを使ってる。
そして、そのショートで骨折してしまった。

………こんな感じ。

こういう後悔の念。介護者が抱えるこの気持ち。
施設の人にはわからないだろうね。
預けるからには、何かがあるかもしれないと覚悟しなくてはならないのかもしれない。
だけど……
ショートを使う→転倒するかも?骨折するかも?病気になるかも?なんて預ける度に考えないよ。
信用して、信頼して、預ける。
安全性への配慮、してくれているものだと思っている。

故意ではないから、人手がないから、大変だろうという想像はつく。

介護度が重い人に手がさかれる分、母みたいに一人で歩いたり食べたりできちゃうとスタッフ側が油断する傾向はあるみたいだ。

私はシングルなので、母をショートに預けるときは、自分は野球を見に行ってたり、旅行してたりするわけで…私の都合、私の楽しみのために母を他人に委ねているという感覚。(他の家族のため…とか仕事のためじゃない)
もちろん、そうやって息抜きしないと在宅介護は出来ないし、私にも私の人生があるというのもわかってるけど。

そんなショートで骨折されるとツライ。
幸い、母は歩行に支障なく、以前とほぼ変わりなく生活しているけど、もし車イスになってたら、ますます介護は大変になっていたわけだから、ショートを使わなければ良かったという後悔をラストまで持つハメになっいたはず……なんて思うとコワイゾ。

母の場合、この先、骨頭がダメになる可能性はある。そしたら今度こそ人口骨頭だ。
家にいても骨折したかもしれないし……
365日一人で介護は出来ないし……

仕方ないことなんだけどね。