ご挨拶
2014年12月7日をもって私の介護生活は終了しました。
介護中、このblogに毒吐きし、多くの介護仲間さんに助けられました。
過去記事を読むと穴があったら入りたい気分でもありますし、今とは考え方も違うところもあります
身勝手な独りよがりも多々ありますが、そんなあれこれも、介護中の方たちのデトックスに一役かえたらという思いから「介護録」として残しておくことにしました。
今後はユルユルと日常をつぶやきながら時に介護や認知症に対する思いを書いていこうと思います。
2014年12月7日をもって私の介護生活は終了しました。
介護中、このblogに毒吐きし、多くの介護仲間さんに助けられました。
過去記事を読むと穴があったら入りたい気分でもありますし、今とは考え方も違うところもあります
身勝手な独りよがりも多々ありますが、そんなあれこれも、介護中の方たちのデトックスに一役かえたらという思いから「介護録」として残しておくことにしました。
今後はユルユルと日常をつぶやきながら時に介護や認知症に対する思いを書いていこうと思います。
功罪…なんて大げさな単語を使ってしまいました
「おしどり夫妻の老老介護」
「画家でもあるタレントの絵日記介護」
清水由貴子さんの自殺もあり、テレビでよく見るようになりました
何人かの介護者さんのブログでも、触れていました
こういう現象……果たして、どうなんだ?
私たちが、ここで「認知症は…」と何百回書き込むより
芸能人がテレビで1回語るだけで多くのインパクトを世間に与える
そういう立場の人には「伝える義務」もあるだろうと思う
だから語ることを否定はしない
ただ、それが
美談とか、夫婦愛の物語とか、明るい介護だの、笑って介護だの
そういうところだけに焦点を当てられては困る
ノウハウとして、「こう考えるとすこしは明るく介護できる」とか
「介護生活の中にも、こんな笑える一幕もある」とか
それはそれでいいけれど
背後には、その何倍もの涙、怒り、苦しみ、悲しみ、憤り、切なさが
それこそ、人一人を自殺に追い込むほどにあるということをちゃんと伝えてほしい
「今、明るく語れるアナタにも、苦しくて死にそうになっていた時期があるはず」で
今まさに、そこにいる介護者にとって
明るくだの笑ってだの、そんなものは、その人たちを追いつめる「毒」でしかない
箸袋一つで介護が変わるなんて…介護者の何人が納得する?
それはね、介護を何年か続けて、個人がたどり着いた一つの形でしかない
ビゴ母は介護認定を受けた時、すでに「娘を認識しない瞬間」を持っていた
認知症としては初期で、いろんな能力は保ちながら
一般的はに重度になってから出るという「家族がわからない症状」が出ていたのだ
そんなことはどんな本にも書いてなかった
そして私は、去年やっと、母のことを抵抗なく、心も痛まず名前で呼べるようになった
母を「おかあさん」と呼んでも、「お母さんって私のこと?」みたいな反応をされる時
「K子さん」と呼び直す
それが出来るまで、4、5年の時間が必要だったのだ
身内の介護はそういうものだ
それを、いとも簡単に、心の持ちようですぐにでも
明るく楽しく、上手な介護できるみたいな宣伝はしないでほしい
愛情のある限り
献身的で感動あふれる介護が出来るなんて映像ばかり流さないで欲しい
いい話、感動、美しい夫婦愛
それを見て介護者は救われるの?
介護の現場は救われるの?
少なくとも私は感動しない、共感も覚えない
テレビも本も、タレントが関わればそれはエンターティメントだから
キツイ、苦しい、汚い、救いのない話ばかりじゃ商売にならないもんね
だったら、商売にしないでほしいんだけど
今更何も期待しない
NHKの特番でさえ、肩すかしのモノが多いし
シミジミ感じ入る人もいるのだから、私がひねくれているのかしら?
わけ知り顔のコメンテーターがああだこうだと語るのも
なんだかピンとこないこともあるし
なんだろうな~~この感覚のズレ