「介護録」とユルユル日記

介護終了、ブログタイトルかえました。

ご挨拶

2014年12月7日をもって私の介護生活は終了しました。

介護中、このblogに毒吐きし、多くの介護仲間さんに助けられました。
過去記事を読むと穴があったら入りたい気分でもありますし、今とは考え方も違うところもあります
身勝手な独りよがりも多々ありますが、そんなあれこれも、介護中の方たちのデトックスに一役かえたらという思いから「介護録」として残しておくことにしました。

今後はユルユルと日常をつぶやきながら時に介護や認知症に対する思いを書いていこうと思います。

タティング

タティングは↓こちらに 写真をアップしていくことにしました。
お暇が出来たらのぞいてやって下さい。
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介護者ネットワーク

2009-05-28 | ●介護録(~2015.2月)

↑介護者の現実

役所の保健師は知ってる、ビゴ家の近くにも介護者がいることを
ケアマネもわかっている、自分の担当している介護家庭がビゴ家近くにもあることを

でも、守秘義務だとか個人情報で、私たちは知ることは出来ない 

私のような引っ越し組はなおのこと
近隣に自分と同じ介護者がいるのかワカラナイ

利用している施設が催しものをしても、年に一回程度
それも被介護者も一緒だから挨拶がせいぜいでゆっくり話せるわけでもない
介護者の集いは定期的でなくては意味がない 

学生時代はクラスメイトが…
バリバリと働いているときは、そこで出逢う人々が…
子育てしているとママ友が…
人は、その環境によって新しい出逢いが生まれたりするモンだ

では、介護者は介護という新しい環境で新しい出逢いがあるか?

ほぼナイ

近年は、被介護者だけでなく、介護している人をも支援しなくては…
という流れが見える、確かに…

でも、そのためにどうするか?…というと
「 介護サービスを使いやすくし介護者を介護から解放する時間を長くする」
という話で終わってるように思う
それだけで
「介護者さん、ラクになったでしょ
これは違う、多分、違う 

介護から解放された時間、それは確かに、気持のよい時間
自由で、ラクで、精神的疲労を取り除く時間

でも、それだけでは救えないモノがある

孤独とか、閉塞感とか、社会からの疎外感
家族が認知症だという、悲しみとか、切なさとか、重さとか 

そんなものは、介護から一時解放されただけでクリアになるもんじゃない

 介護者支援には
介護者同士のネットワークを作ることが必要なんじゃないの?

私は幸いにもあることがきっかけで、地元の介護者さんと時々ランチしてる
何時間でも話はつきない

このブログを見てくれている人の中に
帯広・十勝在住であったり、あるいは少しくらい遠くても
介護者同士の出会の場があるなら、行きたいよ~って人はいるんだろうか?

先日配られた広報の、「市長への手紙用紙」に
「介護者ネットワーク(あるいはサロンのようなもの)を作るべき」って
書いて送ろうかな……と思っているビゴであります