「介護録」とユルユル日記

介護終了、ブログタイトルかえました。

ご挨拶

2014年12月7日をもって私の介護生活は終了しました。

介護中、このblogに毒吐きし、多くの介護仲間さんに助けられました。
過去記事を読むと穴があったら入りたい気分でもありますし、今とは考え方も違うところもあります
身勝手な独りよがりも多々ありますが、そんなあれこれも、介護中の方たちのデトックスに一役かえたらという思いから「介護録」として残しておくことにしました。

今後はユルユルと日常をつぶやきながら時に介護や認知症に対する思いを書いていこうと思います。

タティング

タティングは↓こちらに 写真をアップしていくことにしました。
お暇が出来たらのぞいてやって下さい。
→こちら Instagram

介護:熱視線?!

2013-08-24 | ●介護録(~2015.2月)

ある程度進行した認知症介護をしている人ならば
なんとなくわかると思うのですが……

視線はこちらを向いているから「私を見ている」と思っていたけども
ある日
「確かに私を認識している(続柄を理解しているかはともかく)目」を感じた時に
ああ、さっきのあれは私を「見てなかった」と思う感覚。

視線がこちらを向いていても、「認識していない(らしい?)目」は
私を通り越し、その向こう?あるいは、見えない何か?を見ている…ような。

昨日、たまたまEテレビで発達障害のことをオンエアしていて
発達障害あるお子さんを育てた方が
一対一で接しているときは気づかなかったけど、集団の中に入ると明らかに違うことに
気づいたと話していた。

それに似た経験が昔あって(以前も書いたかもしれない)
自閉傾向のある就学前児童の治療保育の場でお手伝いをしていた時のこと。
私が担当していた子は、発語ナシでこだわりが強くパニック的な状態になることもよくあった。
でも、手をつないだり、抱きついてきたり、そんなことはよくある子で
だからごく普通に視線を合わせていると思っていた。
ところが
友人の代理で保育園のアルバイトに一日だけ入った時
(土曜の夕方、家族の迎えが来るまでの保育)
そこにいた十数人の園児たちの……熱い視線!

初めての「この人だれ?」的な視線
「何をしてくれるの?」とか
「絵本読んで~」とか
そんな期待?の視線

それを感じた時に
自閉傾向児である彼の視線は、実は私を通り越して背後の壁まで
到達している…と思った。

治療保育の場は当然のことながら、そういう子供たちばかり。
その道のプロでもなくあくまでヘルプな立場だった未熟な私は
健常児の集団と接して、改めて、その違いを肌で感じた。

スーパーパイザーである大学の先生に
これだけ子供たちがいても、聞こえてくるのはワーカー(治療保育をしている大人たち)
の声ばかりでしょ
と言われて、その通りだ…と気づく……。

母を見ていると、そのときの治療保育のことを思い出す。
認知症と自閉症、似ているところもあって……。

先週、面会したときの母は
半泣き顔で私を見ていた。そして、何か言葉を発していた。
娘と認識しているかは不明だけど
この日は「私」を「見ている」というのがはっきりわかる感じだった。
こういう日があると
「この間、私に向けた視線は、今日とは違う」と感じる。

「目は口ほどにものを言う」

ホントに。

……………………………………………

昨夜の「スーパーナチュラル」は
日本酒の霊だか妖怪?だかが出てきた
「しょうじょう」と言っていた。
猩猩か?
ATOKには、想像上の動物とか大酒飲みを表す等々説明が。
謡曲の中にそういうのがあるらしい。
想像上のその動物はオラウータンに似ているとか
顔が赤くて……など書いてあったけども
スーパーナチュラルに出てきた猩猩は

ほぼ「貞子」だった………
(このドラマには悪魔とかいろいろ出てくるけど
やっばり日本的なモノは、恐ろしい~~)

神道の儀式で清められた日本刀で切れば消滅する
…というストーリー。
ディーンが日本刀振り回してたけど
構えが全然アレなんで日本刀には見えなかったな~