「介護録」とユルユル日記

介護終了、ブログタイトルかえました。

ご挨拶

2014年12月7日をもって私の介護生活は終了しました。

介護中、このblogに毒吐きし、多くの介護仲間さんに助けられました。
過去記事を読むと穴があったら入りたい気分でもありますし、今とは考え方も違うところもあります
身勝手な独りよがりも多々ありますが、そんなあれこれも、介護中の方たちのデトックスに一役かえたらという思いから「介護録」として残しておくことにしました。

今後はユルユルと日常をつぶやきながら時に介護や認知症に対する思いを書いていこうと思います。

タティング

タティングは↓こちらに 写真をアップしていくことにしました。
お暇が出来たらのぞいてやって下さい。
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退院はナシ

2014-05-06 | ●介護録(~2015.2月)

五月1日木曜日、朝、発熱に関する医師からの説明があると電話がきた。
先週末からの発熱。
私、その週の金曜に病院に行ったし
週明けて月曜にも行ってるのに発熱の話は何もナシ。
なぜ?
そういうものなの?

療養病棟に移るときの話は
一時、食事を止め、その後嚥下訓練。その結果により胃瘻の決断を…というものだった。
だから、木曜の呼び出し時、発熱の説明と共に、胃瘻がどうのいう話が出るものと思っていた。

いつまでたっても始まらない嚥下訓練におそらく訓練は無理なんだろうという思いもあった。
だから
胃瘻の話がメインなのか?
…にしてもなぜこんなに何ヶ月も何もないままだったの?
体の状態など時間が必要だったの?
それとも胃瘻もムダな状態まできてる?
それとも発熱がもっと深刻な何かだったり?

いろんな思いがグルグル


医師からはまず発熱の説明
肺炎ではない。
明日から抗生物質投与。
現時点で原因不明だが一ヶ月前にも発熱があり、それは脚も付け根から入れている点滴のカテーテル(?)からの感染だったので今回も同じと思われる。
…というもの。
(4日、日曜日、看護師に聞いたら、やはり同じ感染で発熱の問題は解決。)

この発熱の説明の後に今後の話として

退院はあり得ない。ここで最期、その心づもりを……

という話をされた。
肺炎で初めて入院した時も、高齢者なので朝見たら呼吸が止まっていたということもありますと言われているので、
明日それが起きても不思議ではないのは承知なんだけど
「退院は無い」と言われ、「最期」が
私の中で現実味を帯び、木曜からずっと、今、電話がなるのではないか…とか、
「その時」がきたらまず何をする?…とか
考えすぎてちょっと気が変になりそうでした。

不安は今も消えてないけど、
熱が落ち着いたし、今危ないと言われたわけではないので、少し気持ちもフラットにはなった。

医師からは
退院はナシ以外の話がない。

こっちにしてみると
嚥下訓練は無理とかなんとか、とにかく何か説明がほしい。

「このまま点滴で終わって行くということですか」と
療養病棟移動時に言われた嚥下訓練と胃瘻のことを口にすると
「胃瘻の要望があるんですか」
と逆に聞かれた

えっ……

療養病棟の医師は最初から嚥下訓練だの胃瘻だのは考えていなかったみたい。
そうとは知らず
私は、嚥下訓練の開始、もしくは訓練不可で胃瘻か鼻からかの選択決断を医師から言われるのをただ待っていた。
医師の判断が降りる時を待っていた

「待つ」ことに徹した自分がバカ
なんだ?この数ヶ月って…

今回の説明が
嚥下訓練無理、胃瘻も勧めないという話から始まって、この病棟で終わる心づもりを…だったらストンと心に落ちて行ったんだろうけど…

それは私の勝手な言い分か…

だけど、聞かなければ何も知らせてくれない、説明してくれないらしいこの病棟が……なんだかな~

一般病棟の時は看護師と顔を合わせばイロイロ話が聞けたんだけど、療養病棟ってそこらへん違うのかな。

療養病棟で終わるのはちょっと嫌だな…とそういう思いがあるけれど…

数年前、痙攣で神経内科に掛かった時に医師が
「いずれ食べなくなったら胃瘻になり、その時は療養病棟を探して入るように。療養病棟に入って正面玄関から出てくる人はいない(つまり霊柩車で出て行く)」
と言われたけど、そのとうりになるらしい。

出来れば在宅で看取り、やることやった悔いなし…と介護を終わらせたかったけど…。