「介護録」とユルユル日記

介護終了、ブログタイトルかえました。

ご挨拶

2014年12月7日をもって私の介護生活は終了しました。

介護中、このblogに毒吐きし、多くの介護仲間さんに助けられました。
過去記事を読むと穴があったら入りたい気分でもありますし、今とは考え方も違うところもあります
身勝手な独りよがりも多々ありますが、そんなあれこれも、介護中の方たちのデトックスに一役かえたらという思いから「介護録」として残しておくことにしました。

今後はユルユルと日常をつぶやきながら時に介護や認知症に対する思いを書いていこうと思います。

タティング

タティングは↓こちらに 写真をアップしていくことにしました。
お暇が出来たらのぞいてやって下さい。
→こちら Instagram

進行するということ

2015-03-11 | ●介護回想(2015~)
認知症……
治らないのならせめて進行しない病気であれば……と思ったことがある。

介護は……重たい。とても重たい。
でも大事な家族だから、100才まで生きる人が少なくない時代、認知症でも進行しない状態で大往生するなら……という思いはあった。

とはいえ
介護度3くらいの母は行動傷害がてんこ盛り。
出歩くし、妄想あるし、女王様だし
この状態で進行せずに大往生という年まで生きたらそれはそれでキツイ。
認定受けたのが70初めだったから先が長い
私がもたない……とも思った。

介護度4の後半になると
徘徊はなくなっていたし、歩けないわけではないものの自発的に動くことも減った。
妄想、作り話はあるけれど、日本語がだんだん宇宙語になっていた分、意味不明でいわば外国語で話されているようなもの。
意味がわからなければ、内容にイライラしたり腹が立ったり、落ち込んだりすることはないので適当に相づちするだけでいい。

だから、この状態で進行が止まるなら楽かな?……と感じた時もある。

でも老化が進んで身体介護が増すと、その上で(ある意味中途半端に)進行が止まった認知症だと厳しいだろうなぁと思っていた。

結局うちの場合、80才前に誤えん性肺炎になったから、状態が変化して入院となり
その時点で私は、介護ラストスパートだ……と覚悟したわけだけど。

進行し肺炎になり食べることさえ出来なくなった姿を見ているのは辛かった。
世の中の80才はみんなあんなに元気なのに……と、上ばかり見てしまった。

そんな状態になってしまうと

作り話にイライラしてもコミュニケーションが取れた頃、
目が離せない大変さがあっても立って座って歩けた頃、
記憶がグタグタであろうと、食事がぐちゃぐちゃで汚なかろうが、
着替えに時間が掛かろうが
喜怒哀楽が出せて、美味しいものが食べられて、意味不明でもコトバがあってたまには意志疎通が出来た時が懐かしいと思った。

肺炎になる前は
歩いてた。
笑ってた。
ありがとうとか、美味しいとか、痛いだの、熱いだの言えていたのにね。

自分がもっと上手く食事介助出来ていたら

そう思った。

療養病棟にいた去年の初夏
タンが出てゲホゲホした母に、答えなど返らないのは承知で
「苦しい?」と声をかけたら
「うん」と大きくうなづきながら答えた。
意志疎通が出来たと明確に感じたのはこれが最後。

そんなふうに進行して終わっていくなんて切なすぎる
認知症はせつない

今はそんなふうに思う。

行動傷害に向き合っていた頃には考えられないような思いデス。
当時はとにかく自分が死にそうな思いだったから。

介護はいずれ終わるのです。