ゆっくりと | 認知症を知り、認知症と生きるe-65.net
短い言葉でゆっくりと……
というのはよく聞いていた。
ただ具体的にはよくわからなかった。
どうしても、普通のペースで話しかけてしまう。
何とはなしにネットを見ていたら↑のページに行き当たった。
「公園に行こうよ、天気もいいし、
散歩するのも身体にいいから行きましょうよ」
という声かけが認知症の人には
「公園に行く……
天気がいい……
散歩……体にいい……」
となって、混乱してしまうということ。
よく考えれば上の文章には
1 公園に行こう
2 天気がいい
3 散歩しよう
4 散歩は体にいい
ということが入ってるけど、健常者はなんの問題もなく、その内容を理解している。
ふと思った
英会話のヒアリングで、こんな会話が流れたら、苦手な私は
うん?公園に行こうっていったよね、天気がいいともいってるのか?で、散歩?健康がどうしたとかも言った?
なんてなりそうだな~~と。
でも、1文ずつ聞かされたら、少しはましに聞き取れるかも。
いつだったか、母の言葉がほぼ宇宙語になったとき、私はわざと、自分も意味不明な言葉を発してみたことがある。
(けしてイジメたわけではありません)
すると、母はとても奇妙な顔つきになって黙ってしまった。
ということは
私の言葉はちゃんと聞こえてる、しっかり理解出来ないにしても日本語として響いていたということだと思う。
だから時に、「寒い」とか「痛い」とか「危ない」とかの単語が出たのだろう。(大抵、ネガティブな単語)
そして多分
何か返事もしていたのだろう。
私にはそれが「宇宙語」だったけど。
(宇宙語だから介護するわたしは楽になった。何を言ってるか分からないから。わかると、それは違うでしょ!とか反応してしまうので)
お仕事として認知症者と接する人とは違い、家族介護者に、常に、短くゆっくりね……と言うのは酷だと私は思う。
分かっていてもなかなか厳しい。
こういうことをあまり言われると
「なにがなんでもやらなければいけない!私が頑張らなくてはダメだ。出来ない自分がおかしいの?」
なんて気持ちになって追い詰められる
心のどこかに留め置いて、余裕のあるときに……って、それくらいで勘弁してほしいな。
うまく実行できるかどうかは別にして
こういうことを知っているだけでもプラスになることはあるはずだから。
声かけも含め、後悔の場面は沢山です。
介護の知識が親の状態より先行していたら良かったな。
暑いので頭廻らない。又🙋
ホントは実践出来れば、おそらく自分が楽にはなると思うのです。
でも家族の介護は感情が先にでちゃうから。
認知症の症状がどんな出方か?というので対応は変わるから、もしかすると、わりとうまく対応出来る家族もいるかもしれないけれど、ほとんどの場合、分かっていても出来ないです。
まあ、でも、知識として全く知らないのと頭の片隅にあるのとでは多少違うかな?と思うわけですが……。