介護初心者のとき、本だとか専門家に
「こうしましょう」とか「○○してあげましょう」「こうしなくてはいけません」と書かれていたり、直接言われて
出来ない!
上手くいかない!
言われた通りにやったのに!
と落ち込む経験はみんなあると思う。
私が介護を始めた頃は、今ほど介護する側の視点で物事が語られることはなく
あなたは健常者だからガマン、あなたのやり方がマズイ、もっとうまくやりなさいという論調がおおかった。
まだ、介護経験談は美談として語られていた。
例えば
母を叱ったのは不潔行為をした一度だけ
なんてことが書かれた介護本。
今の私なら、ホントかぁ?と疑って、この本は×と評して終わり。
(もしくは、認知症といってもうちの母のようなアルツハイマー型ではなくて、年相応のボケ的な対応しやすいケースだったのかもしれない)
でも、介護初心者のころの私は
「どうして自分はうまく出来ないの?人としてどこかおかしいんじゃないか?……きっと独りっ子だから……何かが欠落してるんだ……」
と考えた。
独りっ子って
ワガママ、甘えん坊、兄弟の関係を知らないために云々……
と言われる。(そういう側面があることを全否定しないけど)
子供の頃
例えば、「それは嫌だ」というと
「独りっ子だからね~~(ワガママなんだ)」と言われてしまう。
その「嫌だ」は、大したことではなく、他の誰かも普通に言うことなんだけど、独りっ子だとそこを突かれる。
それがやっぱり嫌で、
ここでやりたくないと言ったら独りっ子だからと言われるからガマンしようって、よく思った。
そんなちょっとしたトラウマのせいか
介護で、母にイライラしたり、キツいことを言ってしまうのも独りっ子のせいかも知れないと思ってきた。
そんな私……
昨日、同じ独りっ子介護者さんと話した
「マニュアルのようにうまく介護出来ないのは自分が人としてどこかおかしいからかと思ってた」
「ウンウン」……激しく同意する独りっ子介護者さん。
「実はずっと、それは自分が独りっ子のせいかもしれないと思ってきた」
そういうと、電話の向こうで独りっ子介護者さんは泣き出した。
同じ思いを持っていたから。
私だけじゃなかったんだ……と救われた。
子供の頃は何にせよ、独りっ子のせいにされることがあり、それはなぜだか妙に悲しく、嫌だった。
言われると、言い返すことも出来ず黙る。耐える。
世の中の人は多分、独りっ子だから~~と言うことに変な意識はないんだろう。
でも、独りっ子だから~~という言葉に含まれる意味は絶対にいい意味じゃないものね。
だけど、独りっ子に生まれたことはどうにもならない。
私のせいじゃない!と激しく思っていたあの頃。
今は独りっ子家庭も多いから、いいなぁ~~なんて思う私。
独りっ子介護者は
色々一人で背負う
一人で最終決断
ヘルプを気安く頼める人がいない
役割分担が出来ない分ストレスもたまりやすい
等々ある。
でも逆にいえば
口だけ番長はいない
一人で決めるからもめない
お金のことで嫌な思いもしない
一人で出来ないことは有料でも他人の手を借りてかえってスッキリ
というよいところもある。
一長一短。
ひとり介護は心細いけど
ひとり介護は重いけど
なんとかなる
生まれるときも死ぬときも人はひとりなんだから
といいながら
人はひとりでは生きていけないんだよ……
なんて言葉もやっぱり心に痛いけど
独りっ子介護、頑張れ!
「こうしましょう」とか「○○してあげましょう」「こうしなくてはいけません」と書かれていたり、直接言われて
出来ない!
上手くいかない!
言われた通りにやったのに!
と落ち込む経験はみんなあると思う。
私が介護を始めた頃は、今ほど介護する側の視点で物事が語られることはなく
あなたは健常者だからガマン、あなたのやり方がマズイ、もっとうまくやりなさいという論調がおおかった。
まだ、介護経験談は美談として語られていた。
例えば
母を叱ったのは不潔行為をした一度だけ
なんてことが書かれた介護本。
今の私なら、ホントかぁ?と疑って、この本は×と評して終わり。
(もしくは、認知症といってもうちの母のようなアルツハイマー型ではなくて、年相応のボケ的な対応しやすいケースだったのかもしれない)
でも、介護初心者のころの私は
「どうして自分はうまく出来ないの?人としてどこかおかしいんじゃないか?……きっと独りっ子だから……何かが欠落してるんだ……」
と考えた。
独りっ子って
ワガママ、甘えん坊、兄弟の関係を知らないために云々……
と言われる。(そういう側面があることを全否定しないけど)
子供の頃
例えば、「それは嫌だ」というと
「独りっ子だからね~~(ワガママなんだ)」と言われてしまう。
その「嫌だ」は、大したことではなく、他の誰かも普通に言うことなんだけど、独りっ子だとそこを突かれる。
それがやっぱり嫌で、
ここでやりたくないと言ったら独りっ子だからと言われるからガマンしようって、よく思った。
そんなちょっとしたトラウマのせいか
介護で、母にイライラしたり、キツいことを言ってしまうのも独りっ子のせいかも知れないと思ってきた。
そんな私……
昨日、同じ独りっ子介護者さんと話した
「マニュアルのようにうまく介護出来ないのは自分が人としてどこかおかしいからかと思ってた」
「ウンウン」……激しく同意する独りっ子介護者さん。
「実はずっと、それは自分が独りっ子のせいかもしれないと思ってきた」
そういうと、電話の向こうで独りっ子介護者さんは泣き出した。
同じ思いを持っていたから。
私だけじゃなかったんだ……と救われた。
子供の頃は何にせよ、独りっ子のせいにされることがあり、それはなぜだか妙に悲しく、嫌だった。
言われると、言い返すことも出来ず黙る。耐える。
世の中の人は多分、独りっ子だから~~と言うことに変な意識はないんだろう。
でも、独りっ子だから~~という言葉に含まれる意味は絶対にいい意味じゃないものね。
だけど、独りっ子に生まれたことはどうにもならない。
私のせいじゃない!と激しく思っていたあの頃。
今は独りっ子家庭も多いから、いいなぁ~~なんて思う私。
独りっ子介護者は
色々一人で背負う
一人で最終決断
ヘルプを気安く頼める人がいない
役割分担が出来ない分ストレスもたまりやすい
等々ある。
でも逆にいえば
口だけ番長はいない
一人で決めるからもめない
お金のことで嫌な思いもしない
一人で出来ないことは有料でも他人の手を借りてかえってスッキリ
というよいところもある。
一長一短。
ひとり介護は心細いけど
ひとり介護は重いけど
なんとかなる
生まれるときも死ぬときも人はひとりなんだから
といいながら
人はひとりでは生きていけないんだよ……
なんて言葉もやっぱり心に痛いけど
独りっ子介護、頑張れ!
訪問ありがとうございます。
コメント、本当に嬉しいです。
そんなふうに言っていただけると続けてよかったと思えて、私もエネルギーをいただけます(^-^)
介護が終わって新しく発信できることはあまりないですが、いつでも記事の内容関係なく愚痴でもなんでも書いてくださいね。
なんか涙が出てきます。私も独りっ子介護者です。
これからちょくちょく読ませていただきたいです。
このブログに会えて良かった、ありがとうございます。
メイン介護者でまわりの兄弟にストレスぶつけ続けていられるならいいけれど相手も大人しく受け止め続けてはくれないでしょうね~~。
意見が分かれると何を決めるのも大変そう。
重い荷物、がっつり一人で抱えるのもキツイけど、数人で持つのもバランスとるの難しくてどこかにしわ寄せ来そうだわ~~
どちらにしろ、体、壊しそうですね。
そう考えたら、もしかすると独りっ子介護のほうが楽かもしれません。
わたしは、母がなくなって1年と八ヶ月過ぎた今のほうが寂しさが強くなっていて、まだ色々ダメダメです……。
誰が悪いとか何が悪いではなくて、それぞれの思いやらなにやらがなかなかうまく回らないというか……折り合いをつけることが難しくなるんですね。
とりあえず近所の方のイヤミ?!は華麗にスルーということで。
口ではなんでも言えますもんね。その人が介護してくれるわけじゃないし。
よく言われることこですが、介護が始まる前に親族で話し合っておくことが出来てみんなが納得いく形におさまるならそれが一番いいんでしょうけど、現実にはそれがなかなか出来ないし……
どこかで割りきっていくということなのかな?
なにかを得れば、何かを失う……なんだか人生って、そんなもんかも……と今しみじみと思いました。
口だけ番長は、嫌だなぁと思うけれども、
口だけ番長を責めまくれば、ストレス発散になりそうですよね~
何もかも、兄弟のせいに出来れば、楽なのに。。。
自責の念に苦しまなくて済みそうだし^^;
経験がないので さっぱりわかりませんが、、
突き詰めて考えると、
親からの思いも、一人に集中して育ったので、時間そのものが 大荷物。
大荷物を降ろす場所もないし、
どんな選択をしても
自責の念も、成功談も
ひとりっきり 担ぎっぱなしと 思います。
重たいよぉ~~~
でも、だから、足腰丈夫なのかも。
うへへ^^;
でも悔いばっかりで自分を責めてしまうのでまだ重いですね〜
long-good-byeですか・・
あ〜急いで気持ちを整理しなくていいんですね
まだぐちぐち言おう( ̄∇ ̄)
ちょっと楽になりました♡
今は嫁さんを来れなくした との近所のバアサン達の言葉に一番傷つきますが お天道様は見ていてくれるかな
私には 25になる一人息子がいます 六年ぶり同居。 息子にはガッカリばかり 一人っこのせいかな、、、 と親は思う、、けど 叔父に当たる弟はまともでしょう と言ってくれます。
世間の評価って 人って 一くくりにするのが一般 無責任なわけですよね
因みに主人の親は 支援の内から義兄姉は施設へ。たまに外出することしか 私達はできません。主人は激怒ですが 反って気楽に会える とも言っています 引き取る、、勇気が私にはないです。義父母が戻りたい家は 暮らしていた家ですし
長々すみません
結論は 自分で親をみれる事は苦労も含め幸せ って事かな そ
人は無いものねだりしちゃうので、私はつい兄弟がいたらなぁと思ったけれど、そんなこと思っても仕方ないので、逆に兄弟がいた場合のデメリットを考えて一人でよかったんだ……と思うようにしてたわけです。
誰かに任せるなら周りは口は出さないとか、
お金のことでブツブツ言わないとか、
介護者としては言いたいところだけど、なかなかそうもいかない現実。
むずかしいですね。
私は、兄弟いますが、利己主義なので、自分の来たいときに来て、来てほしい時に来てくれたことはありません。
ほぼ、一人で決めてきましたが、いちいち了承とらないといけないのがめんどくさかったです。
でも、居てくれたからよかったこともあったような気がするので(笑)兄弟いたほうがよかったのかなぁ?
心細い時いっぱいあったけど、乗り切らないとしかたなかったですよね。
私は、介護に関係ない友達に救われたかなぁと思います。一時だけでも、介護してること、忘れさせてくれたから。
あ、過去形ばかりですが、私の介護は続いています。
在宅でできなくなったので、環境がすごくかわりました。介護してるって言えない感じします。だから、過去形・・・。