ビビッド能里子トーク・サロン

医学的にも珍しい満十年の認知症介護について。自己分析や気分転換、幸せを感じる心の癖の付け方、メチャ料理など楽しく書きます

真夜中に考えたこと

2019-11-24 02:40:27 | エッセー

 ふと目を覚ますとまだ雨の音、もう3日間も雨が降っている。

お天気は何日続いても気にならないが、お天気によって気分が左右される

「躁うつ気質」の私は気分が滅入りがちになる。まして真夜中なのだ。

 真夜中は「魔の時間」と言われるそうだが、そんな時間に考えることは

決してポジティブなことはない。認知症9年目の夫は最近あまり食べなく

なって心配とか、私は何故これほど長生きしたのだろうと考えたらある勉強会

で聞いたこんなことを思い出した。

 

それは「65歳まで健康で元気だった人ばかりのデーターをとったら、その

平均寿命は96歳だった」と。それは一体何人の平均値だろうと思ったが

「私もそれに当てはまる」、と思ったら鬱々となって飛び起きた。

いくら元気でも96歳では、「まだ元気で生きているのだ」程度の認識で、社会的

な存在感がなく、価値は明らかにに目減りしている。こんなことを考えるのは、人生

の先輩たちに失礼だろうか?そのデーターが正確であれば、もしかしたら私もその仲間

入りになるかも知れない。私は長生きなんかしたくない!と思いながら生きてるけど。

 

 長年大家族の抑圧から解放され、思いのままに燃焼して生きられるようになった

38・9歳の頃、子育てをしながらも「自分のためだけなら、いつ死んで惜しくない」と

絶えず思っていた。でも、たとえ命は自分のものでも、それは神の摂理に反する

自分では断つことはできないのは当然だが・・・

 まして、この世に未練を残して、若くして病気や事故で亡くなる方を思うと、そんな

のは大変傲慢だと思う反面「私は夫を幸せに見送ったら、淋しいだけではなく、誰にも

迷惑を掛けないためにもすぐに死にたい」、と考えるのは単なる我がままで自分勝手

だろうか?よく分からない・・・

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする