ビビッド能里子トーク・サロン

医学的にも珍しい満十年の認知症介護について。自己分析や気分転換、幸せを感じる心の癖の付け方、メチャ料理など楽しく書きます

バースデイアフター・バラのお風呂

2017-11-21 06:59:23 | エッセー
 お誕生日に頂いた5つのお花のアレンジメント、毎日沢山のお花に囲まれて
とても幸せだっだ。手入れをしながら8日間もたしたが、さすが今日は限界
後から頂いた一つをのぞいて、キレイな分だけとってから処分することにした。
 確かバラは40本以上あったけど、今日はまだ30輪ほど残っていて、抜いたら
ハラハラと花びらが落ちたけれど、キレイなテーブルクロスにのせて写真を撮った。
 今日はバラの風呂、これは誕生日後例年の習慣でもう22年になった。

59歳最後の夜一流ホテルで盛大に開いた「自分に賭けた期間のご褒美」の
パーティーは、ホテルのマネージャーから「これほど格調が高いパーティは
滅多にありません」と褒められ、目立ちたがりで、派手好きな私には大満足だった。 
 溢れるように頂いたお花は、参加して下さった方に差し上げても、まだ沢山
あった。その直前に「梅丘ヨーガ教室」と「能里ダンススタジオ」を統合し
夫が建てた我が家のビルに移転し名前も変えた。
※バラ風呂の習慣になった昔のパーティ 見て下さいね




※その頃私を支えてくれた方達


※母 娘 孫と踊ったダンス

 次の日は私の誕生日、深紅のバラを60本切り取り、バスタブに浮かべた。
むせかえるようなバラの香り、まるで女王様になったような気分だった。
 その頃のバラは香りがあったが、今のバラはまったく香りがない。
 それから毎年誕生日に頂き、お花を楽しだ後のバラ風呂が習慣になった。
量はあまり多くないけれど、身体にまとわりつくバラと戯れた、とてもステキな
バスタイムだった。頂いたワインを飲もうと箱から出したら、こんなメーセージ
がついていた。「小池先生 何時も有難うございます これからもいろいろな事教え
て下さいね 愛してま-す!」
 女性に「愛してます」と言われたのは初めてで、思わず笑ってしまったが
彼女は今年開いたセミナー参加した読者で、クライアントで、ヨーガの生徒さん。
 今では飲み友達になった才女だ。また一緒に飲もうね!

 一緒に入浴したバラは、24時間風呂には良くなのでい、全部バスタブから出した
けど、花弁が随分落ちたけれど、まだとてもキレイ、可愛そうになりキレイなお皿
に並べた。
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心の中が柔らかくほぐれて

2017-11-20 00:07:59 | エッセー
 午前中にまたお花が届きビックリしたが、それにはこんな目^セージがついていた。
「能里子先生
 今年6月に遠隔ヒーリングして頂き有難うございました。あの後更年期障害らしき
症状も序序におさまり心身共に落ち着いてきました
先日のブログで11月12日がお誕生日と知りました おめでとうございます!
数日遅れて申し訳ありませんが、その節の御礼としてお祝いの気持ちをお送りいた
します これからの一年間が(そしてその後も!)能里子先生にとって素晴らしい
日々になりますように アクティブなブログこれからも楽しみにしています」

 彼女は私の長年の愛読者で兵庫県に住んでいる方だが、昔私がスタジオで開いた
セミナーに参加して下さった。また以前「メンターのような存在」と、ご自分
のブログで、私を紹介して下さったこともあった。時折メールのやり取りがあるが
体調があまり良くないと知り、しばらく遠隔ヒーリングをお送りさせて頂いた。
 遠隔ヒーリングは、お顔や雰囲気が分かった方がイメージが出るので効果的。
そのため、写真をメールで送って頂いたが、とても美しい方だった。
 私にとって何より嬉しいのは、人様のお役に立てること。
現在も著書を通じて交流がある方は何人かいるが、でもそれは私には大変
励みになり、感謝に値することだと思っている。
 愛らしいお花を見ながら、心の中に幸福感がフワーと広がったように
感じた嬉しい日だった。


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心の中のキャンバスに色を塗って

2017-11-19 03:59:54 | エッセー
 真夜中の二時、夢を見て目が覚めた。色々な事が頭の中に次々と浮かんでくる。
いくら目を閉じても眠れそうもない、このまま起きてしまうと絶対眠れないと
じっとしていたら、夫がまたしゃべっている。とても寝言は思えないほど、ハッキリ
した会話だ。すると「今の私の気持ちを心の中のキャンバスで色で表現しよう」と
ふと思った。まっ白な大きなキャンバス、愛や幸せは絶対にピンク、癒しは柔らかい
グリーン、夢はバイオレット、明るさ、無邪気さはイエロー、そしてエネルギーは
光のような黄色、悲しみはブルーに茶色を混ぜてなどと塗っていたら・・・

 私の自己コントロールは、欺瞞ではないかと思った。幸せ、運が良くて、健康で
などなど、できるだけネガティブな面は見ないようにしている、そんな自分がたまら
なく健気になった。プロだからこそ抑えている激しい感情は、諦観と言う形で蓋を
した・・・すると何故か突然、パリのマルモッタン美術館で、楕円形の広いモネの
部屋の真ん中の椅子にたった一人で座って、モネの絵に囲まれた至福感を思い出した。
 ことに印象的だったのが、黄色の大きな太陽か月か覚えていないが、私の目の前に
あった。あんな素敵な体験は二度とできないだろう。
 これが私の特徴かもしれないが、メランコリックな気分の時は、必ず突然楽しい
思い出、それもビビッドなカラーで思い出す。続けてオランダの
「キューケンコフ公園」カナダビクトリ島「ブチャードガーデン」
パリジベルニーの「モネの庭園」美しい花々をありありとイメージできた。
 ブチャードガーデン、モネの花園は二度行ったけど、もう一度行きたい
のはチューリップの「キューケンコフ公園」だ。
 
 今4時8分、でもこんな感情をリアルタイムで表現できるのは、何と有難いこと
だろう。それにしても・・・もっと心が年をとりたい!
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二人の女性に刺激を受けて

2017-11-18 07:38:26 | エッセー
 ☆82歳のプログラマー、若宮正子さん
 それを知ったのはNHKのニュースだったが、私は感心して、すぐにネットで
調べて見た。すると「1935年生まれ。60歳でパソコンと出会い動画の編集や
SNSなど様々なことに挑戦。80歳にしてプログラミングを学び始め、81歳で
高齢者向けアプリ「ひなだん」を開発。アップル社主催の「世界開発者会議
(WWDC)」に招待され、ティム・クックCEOから世界最高齢のアプリ開発者
として紹介された」 高齢者でもできるようにと、お雛様のアプリ「ひな壇」を
開発したそうだが、私はメカオンチの上、あまり関心がないのでアプリはいじった
ことがない、私には想像を絶する世界だけれど、この年齢でこんな凄い事ができる
なんて、とすっかり嬉しくなった。写真がどうしても貼り付けられないので残念
 
 ☆100歳の女医さん高橋幸枝さん
 今日またまたびっくりした!何となく感覚的に好きだったので、誕生日に三省堂で
買った本の著者は、何と高橋幸枝さんという100歳の女医さんだった。
 まだこれから読む本だけれど、パラパラと見出しを読んでみたが、心の中に
フワーっと入ってくるようだ。元気な後期高齢者は100歳まで生きると言われ
長生きする高齢者だけれど、まだ現役でこんなに活躍する方がいるのは、本当に
嬉しくて勇気が出た。

 私まだ82歳になったばっかり、10代からダンスで、30代からヨーガ鍛えた体は
まだ元気で健康だ。もの覚えは悪くなったけど、好奇心は旺盛友人達も多い、誕生日
には「希望の星」「期待感」「憧れ」のメッセージも多かったし、長年「マイエン
ジェル」なんて言ってくれるボーイフレンドもいる。
 目標の著書50冊、残りは後9冊、毎日ブログを投稿するのも生きがいだが、
いつかきっと本が書けると希望的観測をしている。
 私もまた若い人達から「あんな風に年齢を重ねたい」「年をとるのもそう悪く
ないのだ」と、希望が持てるような年齢を重ねるため、毎日楽しい努力を重ね
ようと、大変刺激を受けたお二人だった。
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11月15日の読売新聞記事より(ご高名な医師が認知症になって)

2017-11-17 06:26:37 | エッセー
 「認知症医療の第一人者で、診断に使う知能検査開発者として知られる精神科医
の長谷川和夫さんが、自ら認知症であることを明らかにした。半世紀にわたって
診療と研究に携わってきた医者は、今何を想うのか? 
「認知症ありのままの僕」と言うタイトルで、高名な長谷川和夫先生が、川崎市で
開催された講演会で、認知症と初めて公表した。顕著に症状を感じるようになったの
は約一年前から。薬も飲んでいるという。認知症は高齢になるほど多くなる。国の
研究班の推計では、60代後半で3%程度の有病率が、80代後半では40%程度
95歳以上では80%程度になる」
つまり認知症は頭の良し悪しに関わらず、高齢者(若年性もあるが)の病気だ。
昔は現代ほど長生きしなかったから、少なかったのだろう。
※長谷川先生の書斎(読売新聞記事より)
 
 昔は認知症は、痴呆とか、ボケとか言われていたが、私は以前から関心があり
映画になった「恍惚の人」(有吉佐和子原作)を、義母と夫を誘って見に行った。
 その頃からだんだん寿命が延びて、これからはそんな老人も増えるのではと何となく
予感していたからだった。その頃はまだ「ストレス」「リラックス」という言葉が
一般的ではなかった。私はすでにその時代に、催眠法のリラクゼーション、ダンスの
明るさなどを取り入れ独自のヨーガを創案し「リラックス・ヨーガ」と名付け、自分
の教室で指導していてたのは、すでに心理学を勉強して知識があったからだった。
 その映画は私には大変ショックであったことも忘れられない。
※?新聞の取材記事の私のスタジオ

 そのため、夫が認知症と診断されたけれど、決して驚かなかった。
夫には「高齢者の病気だから、決して恥ずかしくないので、友人や知人達にも正直に
話す事」と勧めた。すると彼は誰にでも「オレ、認知症で松沢病院へ通っているんだ」
と平気で話し、みんなに驚かれた。また現在より認知症に対して知識がなく、偏見され
ていた頃だったためか、主治医の先生からは「勇気ある行動」と、大変お褒めにあずかった。
 現在の夫は今の事もすぐ忘れる、自分の年齢、月日も分からない、判断力、思考力は欠けて
いる。でも人格そのものは決して変わっていないし、その場で感じることは衰えてはいない。
 それは私が心理カウンセラーとして、夫を決して怒らせず、いつも機嫌の良い状態をキープ
するように、毎日配慮し対応してきたからだと思っている。
 今まで何度か世田谷区の所々で開催している「認知症家族の会」に出席したが、夫のように
穏やかで、いつも平常心の認知症患者は全くいないようで、「認知症優等生」であるのは間違い
ない事実だ。でも、緩やかではあるが、確実に進行している夫を介護するのが、現在の私には
もっとも大切なことだと思っている。
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