阪口直人の「心にかける橋」

衆議院議員としての政治活動や、専門分野の平和構築活動、また、趣味や日常生活についてもメッセージを発信します。

防衛予算を増やしても国民の命は守れない-食料安全保障について勉強会を実施

2023年09月05日 23時44分53秒 | 政治
 昨日は東京大学の鈴木宣弘教授を岐阜に招いての農業勉強会を行いました。

 日本の食料自給率はカロリーベースで37%ですが、戦争や経済制裁などで物流が止まれば8%、さらに肥料が止まれば4%になるそうです。お金で買えない事態になった時に、お金で買うことを前提とした今の食料安全保障は大きなリスク。海外からの物流を止められたら世界でもっとも餓死者が出る構造の日本において、防衛予算を増やしても国民の命を守ることにならないことを132枚のスライドを見せながらお話頂きました。これまでの自民党の政治が守ってきたのは国益でさえなく、米国益、正確に言うと米国の一部既得権者益を守ることで自分たちの保身を図ってきただけだと改めて感じました。

 属性を問わない人権や地球益、人類益と国益をどのようにバランスしていくか。それは政治の大きな役割です。一方でその対極の構造的暴力を生み出している政治は何としても変えなくてはと改めて実感しました。業界団体や労働組合、宗教団体などのしがらみに縛られず、タブーなく本質に切り込んでいく。それはれいわ新選組の真骨頂。他の野党からさえ鬱陶しいと思われていると思いますが、今の政治の本質が示している矛盾を追及することは私たちみんなの利益になると昨日も実感しました。

 会場いっぱいの人々に来て頂き、皆さんの視線が最後まで途切れることなく私たちに向けられていたことが印象的でした。来場された方々、多くのボランティアの方々のご協力、本当にありがとうございました。










日本の安全保障と平和外交-平和構築のフィールドと議員外交の視点から

2023年08月02日 00時02分18秒 | 政治
7月29日『日本の安全保障と平和外交-平和構築のフィールドと議員外交の視点から』というテーマで美濃加茂市で講演しました。その時のレジュメと映像です。
https://youtu.be/oxcJfMiiDjo

YouTube映像:日本の安全保障と平和外交-平和構築のフィールドと議員外交の視点から


平和外交について具体的に考察する
「防衛費を増やすのではなく平和外交に力を入れるべき」とは多くの議員が言っているが、具体的には何ができるのか?私自身が平和構築の現場に長年携わる中で問題意識を持ち、国会議員としても取り組んできたテーマの成果と課題、再び議員になって実現を目指していることをお話する。日本だからこそできる平和外交の在り方を考える。

議題 
①日本の安全保障をテーマに現実的な戦争の危機について考える
②日本国民に知らされていない米軍の特権と、その問題点を共有する
③日本にとっての安全保障上の問題と今後必要な対応について考える
④日本だからこそできる平和や民主主義への貢献は何か考える
⑤北朝鮮の日本国籍者の帰国とセットにした拉致問題の解決、カンボジアにおける自由で公正な選挙制度への改革支援など、阪口が行ってきた平和外交を検証する

提言①
紛争地域の平和構築と民主化支援、紛争仲介外交など国際的な平和貢献を日本の安全保障の柱のひとつにして『攻められにくい国』を目指す

提言②
米国との関係は最重要。だからこそ、米国にはできない、日本だからこそできる平和貢献を行う可能性を追求すべき。米国の短期的な国益のために従属的になるのではなく、地球益、人類益を中心に据えて行動するパートナーとして、存在感を示す日本の在り方を探らなくてはならない。

問題提起
Q1.防衛費を増やせば有事の際に米国に守ってもらえる?
米国には日本防衛の義務。(日米安保第5条)があり、歴代内閣は米国大統領に確認。しかし、米国は自国の利益に基づいて行動する。守る対象の重要性と、そのために必要なコスト、予想される被害や費用、また世論の動きを考慮して軍事行動の是非を判断すると思われる。
大統領は議会の承認の必要性を理由に軍事行動を拒否する可能性もある。米軍基地への攻撃ではなく、尖閣諸島のような無人島のために戦争のリスクを冒すかどうかは極めて疑問。一方、『自ら闘わない者を助けない』こともまた事実。まずは自衛隊が闘い、ウクライナのように日本国民自ら徹底抗戦することを要求される可能性がある。  

Q2.中国は日本に攻めてくる?
中国政府の武力侵攻の戦略目標は、台湾の統治機構を自らのものにすること。米軍が介入することになれば、そのコストは極めて大きなものになる。また、国際社会の中国に対する非難が高まり、厳しい経済制裁が科される。中国はエネルギーを海外に依存しており、石油、天然ガスを止められると軍事作戦、および国民の生活に大きな支障を来す。武力侵攻は目標達成のための最後の最後の選択肢。民主主義を知る新しい世代のリーダーは、今の中国共産党の在り方に疑問も持っている。次世代とのより良い関係構築にも注力すべき。

Q3.敵基地攻撃は真珠湾の二の舞? 
日本が『敵基地攻撃能力』によって先制攻撃することになれば中国の攻撃に正当性を与え、国際世論、米国の世論は日本への軍事協力に反対する可能性が極めて高い。付け入る隙を与えない法整備と防衛力の整備は必要。同時に外交力の強化と徹底的な平和貢献によって、『攻められにくい国』を目指すべき。

Q4.防衛費を増やせば中国に勝てる?
中国の軍事力の拡大によって、中国の海上・航空戦力が圧倒的優勢になる中、防衛費を今後5年間に43兆円まで増額しても単独で対応できる防衛力に到達することはもはや不可能。口だけ勇ましい政治家が何を言ったところで軍拡競争は不毛。軍事力対決に勝てる見込みはない。地上戦になればさらに多くの犠牲を払うことになる。

安全保障上、日本が取るべき戦略

攻めることが損だと思わせる戦略の追及
日本の対中劣勢が固定化した戦略環境において、もっとも有効な戦略は、「作戦遂行能力を拒否」することを目的とする拒否戦略(denial strategy)である 仮に戦力差が顕著であったとしても、現状変更を企図する相手に攻めることは損だと思わせる戦略が現実的。

敵基地攻撃は真珠湾の二の舞になる
相手が攻撃に『着手した』と見なし、日本が『敵基地攻撃能力』によって先制攻撃することになれば真珠湾の二の舞になる。しかし、着手したかどうか判断する情報は米軍に依存。相手の攻撃に正当性を与え、国際世論、米国の世論は日本への軍事協力に反対する可能性が極めて高い。敵国条項(国連憲章第53条、77条及び107条の通称)は死文化されているとされるが、中国、ロシアの反対で削除されていない。付け入る隙を与えない法整備と防衛力の整備は必要。尖閣諸島などでの偶発的な衝突が戦争につながる可能性は徹底してなくしていくべき。

中国海警の第2海軍化と偶発的な戦争を避けるための法整備
2021年2月施行の中国の海警法第22条では、軍艦、公船、民間船を問わず外国船によって中国の主権や管轄権が侵害されている場合には、海警局はそれらの不法行為を排除し、危険を除去するために必要な
武器使用を含む全ての措置を執ることができると規定。

海上保安庁だけでは秩序を維持することができないと認められる事態に限り、閣議決定を得て海上警備行動か治安出動を閣議決定して自衛隊に対処させることは可能。

警察権限と防衛権限のあいまいな境界線
領域警備の責任は海上保安庁が負う。海上保安庁25条は軍事的任務に就くことを禁止。警察権限では、外国の軍艦や公船に対する武器使用は不可能。国家主体(軍隊など)に対してはどこまでが警察権限で、どこからが防衛権限なのか現状では不明確。自衛隊が国家主体に警察権で対応する選択は可能。(自衛隊法82条の海上警備行動)海上保安庁と海上自衛隊、さらに米軍との役割の明確化が必要。

岸田首相は有事の際の日米の指揮命令権統合を否定(2023年1月)
「自衛隊による全ての活動は、米軍との共同対処を含め、我が国の主体的な判断の下、憲法、国内法令等に従って行われるものであり、自衛隊及び米軍は各々独立した指揮系統に従って行動している」と述べ、有事の際の日米の指揮命令権の統合を否定。日米防衛協力のための指針においても、『自衛隊及び米軍は、緊密に協力し及び調整しつつ、各々の指揮系統を通じて行動する』こととしている」と回答。

軍事行動の際に起こり得る米軍の対応
米軍は衛星やレーダー、情報機関などからのデータや情報をAIを使って統合解析し、陸、海、空軍、海兵隊が情報を共有して作戦や指揮に活用する方向にシステム転換中。有事になると日本が組み込まれることは確実。

そもそも、日本有事の際の指揮権は密約によって米国が担保
1952年7月23日、マーク・クラーク陸軍大将と吉田茂首相『日本有事の際には自衛隊は米軍の指揮下に入る』との密約。(指揮権密約)吉田茂首相は「日本国民に与える政治的衝撃を考えると当分の間は秘密にすべき」との考え。クラーク陸軍大将と、マーフィー駐日大使も合意。未だに公開されていない。
軍隊の指揮権をあらかじめ他国が持っているのであれば主権がないことを認めているのと同じ。政府は公表できない!裁判権放棄密約と身柄引き渡し密約、基地権密約など、すでに米国側は公文書として公開しているが、日本政府はこれまで虚偽の答弁をしてきたことを明らかにして問題解決すべき。

日米の、事実に基づく信頼構築が同盟を強化する
日米の平和協力は日本の平和、地域の平和を守るために重要。平等な協定に近づける努力を政治が果たすべき。日米の本当の信頼構築のためにはおかしいことは明らかにする、正常化していくことが必要。
朝鮮戦争の混乱の中でできた違法な条約や協定は見直して、時代に合ったものに変えていくことが必要。日本政府には解決不可能。米国の連邦議員の認識を高め、共同で解決に向けて動く議員外交に力を入れるべき。

日本国民が事実を知らないことは日米同盟の弱さにつながる。日米同盟を強化するには、政治がこの問題から目をそむけず、矛盾を解決する必要がある。
日本は徹底的な平和貢献を基盤にした外交力の強化によって、『攻められにくい国』『攻めてはいけない国』を目指すべき。日本の強みを活かせる貢献として、特に平和構築と民主化支援、紛争仲介外交に力を入れるべき。同様の緩衝国家でもある平和国家(北欧諸国、東南アジア諸国等)に呼びかけ、平和に向けて行動するリーダー国として『平和版NATO(軍事ではなく平和のために協力する多国間連盟)』を創設する努力をすべき。

平和外交に向けての阪口の実践と提言
1.北朝鮮において拉致被害者を含む全ての日本国籍保有者を人道的措置として帰国させる議員外交の成果と課題
2.選挙の正当性が問題だったカンボジアにおける『信頼できる』選挙人登録のための電子化提案と実現
3.カンボジアで実現した自由で公正な選挙制度改革の輸出の可能性
4.『オシムの言葉』から学ぶ紛争仲介外交の本質

拉致問題の解決の糸口としての日本国籍者の人権問題
1959年に始まった北朝鮮への帰国事業の検証が必要。
日朝赤十字の事業に日本政府も協力。約60万人の在日コリアンのうち93,440人が帰還。日本人妻1,931人を含む日本国籍保有者6,679人が帰還。
北朝鮮では、帰国した人は北朝鮮人であり、国内問題との立場。しかし、日本の国籍法11条では、「自己の志望によって外国国籍を取得した時は日本の国籍を失う」「北朝鮮に帰った、北朝鮮の人と結婚しただけで失うことにはならない。国籍法13条では「外国の国籍を有する者は法務大臣に届けることで日本の国籍を離脱することができる」したがって、北朝鮮への帰国者は未だに日本国籍を保持。

法務省は帰還者93000人のリストは保持
動揺階層、または徹底的な監視対象である敵対階層に分類されて苦難の生活。安倍晋三官房長官(当時)は拉致問題に集中しないと目的が達成できないと国会答弁(2006年1月27日)し、帰国事業で北朝鮮にいる日本人は軽視。

中国は1997年には刑法を改正し、刑法8条国境管理妨害罪を新設。中国内の
脱北者を手助けする自国民を5年以下の有期懲役に処することを決定。『脱北』はますます困難となった。

アントニオ猪木参議院議員との議員外交
拉致問題については金正日第一書記の報告(被害者全員死亡)を覆すのは困難であり、拉致被害者を返せと言うばかりでは一向に解決につながらない。多くはまだ生存との考えに立ち、アントニオ猪木議員と訪朝し、姜錫柱副首相(党内序列3位)などと会談を通し、現実的対応の可能性について議論。帰国を望む全ての日本人を対象とするとして、人道的対応として日本国籍保有者の帰国を認め、『拉致被害者を潜り込ませる』可能性について調査。世界屈指の埋蔵量と質を誇る北朝鮮のレアアースなどの資源開発への投資や技術供与により、北朝鮮に対して日本人、さらに自国民に対しても人道的対応を求めることで、日本人帰国問題と拉致問題をセットで解決する方法を提案。国会でも再三質問(安倍政権は黙殺。北朝鮮渡航自体を批判する世論を喚起)

カンボジアの平和構築と民主化支援
1992年3月~1993年9月 国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC)が展開。国連史上唯一、国連が一国の暫定的な統治を行い、治安維持、難民の帰還、地雷除去、行政、警察の指導を行い憲法制定議会選挙を実施。  
1997年、第2党となり、フンシンペック党と連立を組んだカンボジア人民党が軍事クーデターで政権転覆。国民は強権政治や腐敗に不満。2013年の国民議会選挙は与党人民党が68議席対55議席で野党救国党に勝利。有権者登録の不正があったとして国民の不満が爆発。    

UNTACの一員として阪口自身が有権者登録を行い二重登録などが生じやすいことを実感。衆議院議員として日本、カンボジア政府に有権者登録の電子化を提言。不正が起こりにくい選挙制度への改革を実現。日本は特にカンボジア国民IDを選挙管理委員会のホストコンピューターに連結させ、二重登録などの不正が起こらないシステムを構築。植野篤志国際協力局長(現在カンボジア大使)の国会答弁によれば、このシステム導入は僅か2億円で実現。

2013年と、有権者登録の電子化(2017年)によってより正確な登録が可能になった後の2018年を比較すると、人口が1468万人から1603万人に約135万人増加した一方で、有権者は968万人から838万人に130万人減少。過去の選挙において大きな問題とされた二重登録が大きく減少。(2023年国民議会選挙の有権者数は971万人。5年前から133万人増加)
投票の権利の可視化が可能になり、現場の混乱が解消。今後は選挙の正当性が疑われる国への制度の輸出可能性を探るべき。

紛争仲介外交におけるイビチャ・オシム元サッカーユーゴスラビア代表監督の提言
サラエボ出身。内戦中のユーゴスラビア代表監督として民族主義者に脅迫されながらもフェアな選手起用を貫く。「サラエボの魅力は各民族が共存する多様性。ユーゴスラビアのサッカーの魅力も同じ。多種多様な個性のそれぞれの強みを見つけ、磨き上げ、一体にすることが監督の仕事」と語る。

対立関係にあったセルビア、クロアチア、ムスリムのサッカー協会をボスニア・ヘルツェゴビナサッカー協会として統一。W杯予選に出場する資格を得て、2014年、ボスニアを初めてW杯出場に導く。
紛争仲介外交は大きな平和貢献であり、日本にとっても課題。紛争と和解、紛争仲介における重要事項などをかつての勤務地サラエボでインタビュー(2017年12月28日)
紛争解決のための仲介や、平和構築など平和に寄与することを目指す日本にとってできる限り中立と思われることが不可欠。アメリカ追従になり過ぎるとその可能性を放棄することになるとのこと。同席した夫人によるとオシム氏が仲介者として信頼され、サッカー連盟の統一に寄与できたのは監督時代から中立を貫いたからとのこと。オシム氏は「仲介者は多様性の価値を認め、紛争の相手も同じ人間としてリスペクトして接することが重要」と提言。




れいわ新選組ボランティアの行動指針『ボランティア10ヶ条作り』

2023年07月29日 19時30分09秒 | 政治
https://www.youtube.com/watch?v=YEaagmlqbIM
『ボランティアの行動指針を一緒に作ろう!』-ゆうすけさんによるインタビュー映像


ボランティア本部として、れいわ新選組のオーナーズやフレンズ、そして1万人を超える活動登録をしているボランティアの方々にアンケートをお送りし、今、一緒にボランティアの行動指針を作っています。

今日、友資さんに動画を撮って頂いたものが映像になりました。当事者が政治に関わり社会を変えていく参加型民主主義。私たちはこの法則をボランティアのルール作りにも当てはめて、民主的な方法で『ボランティア10ヶ条』を作成しようと考えています。是非、ご回答ください。

2023年カンボジア国民議会選挙監視報告

2023年07月27日 22時19分33秒 | 政治
7月20日から24日まで、平和構築NGOインターバンドの団長としてカンボジア国民議会選挙の監視活動を行いました。

1.活動期間と訪問対象
7月13日から現地で活動した先遣隊、および約30年間現地で企業経営を行いカンボジア政治への見識の高い小市琢磨カンボジア日本人会長を含め、計8人で活動を行いました。
カンボジア選挙管理委員会(NEC)、カンボジア自由公正選挙委員会(COMFREL)の責任者、日本大使館では植野篤志大使からヒアリングを行った他、カンボジア政治・選挙制度研究者へのヒアリング、人民党の選挙キャンペーン及び炊き出しの監視、大学などにおける若者の政治意識についてのヒアリングなどを行った他、投票日(7月23日)にはコンポントム州で7か所の投票センター、19投票所で活動を行いました。
2.活動の目的
1992年、国際社会の協力によって国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC)が展開。国連史上初めて一国の統治を暫定的に担い、カンボジアの平和と民主主義のための活動を行いました。1993年5月に憲法制定議会選挙を実施して30年。このプロセスにおいて日本は自衛隊を初めて海外派遣するなど積極的な役割を果たしました。国連ボランティアとして選挙の支援活動に関わっていた中田厚仁さんが殺害されるなどの大きな犠牲も払いましたが、日本の平和貢献の歴史において、カンボジアはもっとも成功した例と、未だに評価されていると感じています。

日本は今後とも国際社会への平和貢献を続けていく責任があります。カンボジアの選挙支援の成果を検証し、より良い民主化支援の方法を継続的にリサーチすることは、大きな意義と必要性があると考え、今回の活動を行いました。

NGO・インターバンドとしては2002年、2003年、2013年、2018年にカンボジアに選挙監視ミッションを派遣しています。私にとっては1992~93年に国連、1998年に日本政府の一員としてカンボジア選挙の実施支援、監視に関わったことを合わせ7回目になります。

今回は特に下記の視点で活動を行いました。

①国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC)において国際社会が協力して実現を目指したカンボジアの平和と民主主義の現状を点検する

②衆議院議員として日本、カンボジア政府に有権者登録の電子化を提言し、不正が起こりにくい選挙制度への改革を実現することができました。日本は特にカンボジア国民IDを選挙管理委員会のホストコンピューターに連結させ、二重登録などの不正が起こらないシステムの構築を目指しました。植野篤志国際協力局長(当時)の国会答弁によれば、このシステム導入は2億円で実現しています。今回、このシステムがどのように運用されているか、今後に向けての課題は何かリサーチする。

③中田厚仁さんが活動した地域であり、また、コミューン選挙においてキャンドルライト党が躍進した地域を含むコンポントム州で投票と開票を監視し、人々の投票行動について考察する。

7月23日、国民議会選挙が実施されました。全体の投票率は84.58%。125議席中、120議席を与党人民党が確保、5議席をフンシンペック党が獲得見込みです。私たちが開票を監視したコンポントム州プラサットバラン郡のクラヤン地区は昨年のコミューン選挙においてキャンドルライト党が第一党になった地域です。投票所502では投票率は約71%で人民党156票、フンシンペック党120票と接戦でした。コミューン選挙で示された野党支持の民意が一定程度国民議会選挙にも反映されたと考えられます。

3.今回のカンボジア国民議会選挙に対する評価
評価できる点
長く課題とされた有権者登録プロセスの信頼性については大きな向上が見られました。2013年と2017年のコミューン選挙で有権者登録の電子化が実施された後の2018年を比較すると人口が1468万人から1603万人に約135万人増加した一方で、有権者は968万人から838万人に130万人減りました。過去の選挙において大きな問題とされた二重登録が大きく減ったことを意味します。(今回の有権者数は971万人で、5年前から133万人増えています)2018年に続き今回も投票所においては投票の権利に関する混乱は見られませんでした。以前は投票の権利をめぐって大きな混乱が見られたことと比較すると、有権者登録の精度や管理に関しては大きな進化があったと評価できます。

今後に向けての課題
2018年、そして今回の2023年の国民議会選挙において、最大野党が参加できない状況は極めて大きな問題でした。民主主義を進化させるためには複数政党制により健全な競争が必要であり、国民が自由に政治的意見を表明すること、メディアが自由に報道すること等も非常に重要です。これらを考慮すればカンボジアの民主主義は、UNTACが目指した理想からは未だ遠いと言わざるを得ません。

私たちは公正な政権は公正な選挙制度からしか生まれないと考えています。従って公正で透明性の高い選挙制度をつくるための改革の努力は、継続的に行うことが必要です。今回は日本政府をはじめ多くの国、民主化支援NGOが選挙監視団を送りませんでした。私たちはその判断を尊重すると同時に、将来のカンボジアの民主主義のため、今回も私たちの独自の視点で監視活動を行うべきと判断しました。今回の選挙監視を通した日本の市民社会からの提言として、下記について国会を通して日本政府などに提言し、それらの実現に向けて努力したいと考えています。

改善に向けての提言:
① 有権者登録における精度のさらなる向上
2017年のコミューン選挙以来、国民IDをデジタル化し、選挙管理委員会のホストコンピューターに連結させることで、二重登録は劇的に減少しました。また、同時に導入された生体認証システムによって同じ人物が投票することは不可能になっています。日本が支援した有権者登録システムは2026年に契約が終了する予定であり、技術の進化に伴うより高度なシステムの構築については今後も検討すべきです。ただし、投票しなかった人の被選挙権を奪う法律と結び付け、個人情報が立候補の自由を奪う目的で使われることは決してあってはならないと考えます。

② カンボジアの経験と技術の輸出を支援する
カンボジアの有権者登録は大変精度が高く、有権者登録の信頼性の欠如が民主主義の阻害要因になっている国にこのシステムを輸出する価値は大きいと考えます。カンボジアの経験と日本の技術的支援とセットで一緒に平和協力を行う可能性についても引き続き追求していきます。

③ 透明なインクに変える
投票する権利、投票しない権利はどちらも尊重されるべきです。より多くの人々が選挙に参加することは、本来は望ましいことですが、投票は強要するべきではありません。他国では、特殊な光を当てた時のみ反応する透明なインクを使っている例もあります。投票者の人権を守る上では透明なインクの導入を検討すべきです。

インターバンドが訪問した投票センター(学校)および投票所
① Hun Sen Balaing High School (1069,409.408.407)
② Hun Sen Achartek Acnavoat Primary School
(452.453,454,458,459,1115)
③ Thnal Beak primary and Secondary School(358,1067)
④ Atsu School (607)
⑤ Sam Dachakak MhasonaBdey Dokcho Fun Sen Drey Kdey Primary Secondary School (634,635,636)
➅ Kompong Chuteal Primary School(1079)
⑦ Krayea High School (502,503)































『ボランティア本部事務局長「維新」を選んだその理由』-ゆうすけさんによるインタビュー映像

2023年05月30日 22時04分18秒 | 政治
れいわボランティアの友資(ゆうすけ)さんが再び私を題材に映像を作ってくれました!
https://www.youtube.com/watch?v=mB_Pkb-pOiw

『ボランティア本部事務局長「維新」を選んだその理由』-ゆうすけさんによるインタビュー映像


『ボランティア本部事務局長「維新」を選んだその理由』というとてもダイレクトなタイトルですね!私は属性で人を判断することはしません。「〇〇党だから〇〇な人」と決め付けることは思考停止を招く要因になると思っていますが、前回の映像『れいわボランティア本部の未来を担う重要人物』には多くの共感や期待の声を寄せて頂くとともに、私が、れいわ新選組とは政治的なスタンスが大きく異なる維新に在籍していたことに違和感や不安を感じるとのコメントを寄せられた方もいました。ゆうすけさんは偶然お会いした路上での選挙運動中にインタビューをしてくれました。

原発をやめるために原発国民投票をすべきと考え、2012年に民主党の代表選に立候補する方に公約に入れるよう働きかけたこと、快諾してくれた原口一博衆議院議員の推薦人になったが、民主党政権として原発国民投票を実施する流れを作ることはできなかったこと、当時、橋下徹大阪市長は反原発の急先鋒であり、維新の議員や維新に合流しようとしていた議員も原発国民投票は賛同してくれたこともあって維新に行ったこと、その後橋下徹市長が原発容認に動いたこともあり、維新でも意見集約が難しい中、衆議院予算委員会で安倍総理に原発国民投票を提案したこと、安倍総理からは重要な政策決定を国民に委ねるのは国会議員の責任放棄だとの答弁があったことなどをお話ししています。

私の国会質疑をベースに飯田泰士さんという研究者が『原発国民投票をしよう!』という本も書かれています。

国民投票の実施によって国民が政治に関心を持ち、より多くの国民が政治参加すること、情報公開が進み、民主主義を鍛え、市民と政治の関係を発展させることになること、私自身が紛争国の民主化支援に関わった中で実感したことです。

れいわの一員として国民投票という新たな政治文化を作る役割も担っていきたいと考えています。

れいわ新選組のボランティア本部を立ち上げる役割を担うことになりました

2023年05月16日 23時09分45秒 | 政治
https://www.youtube.com/watch?v=OtIWLxnh9EA

『れいわボランティア本部の未来を担う重要人物・阪口直人』友資(ゆうすけ氏)作成動画

ご報告
れいわ新選組が『ボランティア本部』を立ち上げることになり、その実務責任者としてお手伝いをさせて頂くことになりました。

私自身、30年にわたって様々なボランティアに関わってきました。ボランティアを通して学んだこと、ボランティアを通して得た仲間は自分の人生の糧になっていると確信しています。

忘れられない政治風景があります。2018年、アメリカの下院議員選挙のお手伝いに行った時、40年前、選挙ボランティアで知り合い結婚し、以来、選挙のたびにボランティアに来ている老夫婦と話す機会がありました。見ていると選挙で知り合った仲間が沢山いて、再会を喜び合っていました。トランプ大統領の独善的な政治と闘うためにボランティアの方が編集した『抵抗の手引書』を手に話してくれた彼らの言葉が忘れられません。

「こんな楽しいことはないよ。同じ価値観のいろんな人と出会えて、再会できて、社会を良くすることにも貢献できるんだからね。沢山歩くので健康にもいいし!!」

日本でもこんな選挙文化、政治文化を作っていきたいと強く感じる経験でした。

ボランティアに参加してくださる方は、決してポスター貼りやビラ配りが大好きなわけではないと思っています。社会をもっと良くするため、様々な不条理と闘うための最後の希望をれいわに託してくださっている。だからこそ、手弁当で駆け付け、率先して大変な役割を担ってくださっているんだと思います。

そんなボランティアの方々の思いをしっかり受け止め、私自身のこれまでの経験や問題意識を注ぎ込んで、ボランティア本部をより良いものにしていこうと決意しています。

足立区議会議員選挙の応援にボランティアとして駆け付けてくださった収益利他型ユーチューバーの友資(ゆうすけ)さんが、私の思いを素敵な映像にしてくださいました。一日で6600回以上再生されて、大きな反響がありました。ゆうすけさん、ありがとうございます!

中田厚仁さん30年平和フォーラム

2023年04月08日 22時32分02秒 | 政治
 今日4月8日はUNTAC(国連カンボジア暫定統治機構)で、自由・公正なカンボジアの選挙の実施のために活動していた中田厚仁さんが銃撃を受けて亡くなってから30年になります。
京都芸術大学、外務省、国連ボランティア計画が『中田厚仁30年平和フォーラム』を実施し、私は基調講演を行いました。UNTACの特別代表を務めた明石康氏など、国連や各国政府で活躍する平和構築、平和外交のエキスパートが参加される中、約40分、お話ししましたが、皆さんの途切れることのない熱心な視線を感じ、私の問題提起が基点になって、民主化支援の在り方や、日本の平和貢献の在り方など様々な議論がなされました。このような機会を作れたことを本当にありがたく思います。
下記の様なテーマでお話ししました。
1:中田さんの足跡をまとめた絵本『中田厚仁物語-夢は世界を平和にすること』を通して中田厚仁さんのパーソナリティーの紹介。この絵本はクメール語研修の2か月間、ルームメートだった時に直接聞いた彼の言葉を引用して編集し、すでにカンボジアと日本で約3500部配布されている。
2:自由で公平な選挙の実施のために命を懸けた彼の遺志を継ぐ活動として、衆議院議員として、カンボジアの選挙制度改革に取り組んだ。有権者登録のプロセスに二重登録などの不正が起こり得ること、それをコンピューター化することで不正を防ぎ得ることを国会で提案した。その結果、コンピューター化に生体認証機能も加え、自由公正な選挙を行う制度的基盤はできた。
しかし、カンボジアでは2017年に野党第1党・救国党は国家転覆を図ったとして解党させられた。変化を望む国民が投票する政党がなくなり2018年の選挙で与党人民党が125議席全てを獲得した。カンボジアの民主主義は危機的状態にある。
3:彼が人生の終焉を迎えた場所にできたナカタアツヒト村と『アツ学校』の現状を紹介。現在は小学生300人、中学生が130人学んでいる。貧困のため学校に通えない子どもも多いため、NGOインターバンドは補習授業実施のための支援をしている。 
4:日本の平和貢献の在り方について問題提起を行った。特にカンボジアの選挙制度改革による学びを、同じような選挙プロセスの不正が民主化の阻害要因になっているミャンマーなど第三国にどのように応用して実行するか問いかけた。
中国の影響もあり、民主化しなくても豊かになれると考える国が増えています。どのように民主主義の質を向上させ、ひとりひとりを幸せにするシステムに進化させるか、これは今後の大きな課題です。この2日間一緒に考えていきましょう!
講演はパワーポイントを使って行いましたが、近く、日本語で、オープンな形でオンライン講演を行いたいと思います。また、私が理事を務めるインターバンドはこの7月23日に行われるカンボジア総選挙に選挙監視ミッションを派遣し、『ナカタアツヒト村』を含む地域で選挙監視を行います。今回インターバンドからボランティアとして参加してくれた人々が中心的な役割を果たす見込みですが、一般の方々にも参加して頂ければと思います。市民による選挙監視ミッション、一緒に作っていきましょう!

Today, April 8, marks the 30th anniversary of the shooting death of Atsuhito Nakata, who worked for UNTAC (United Nations Transitional Authority in Cambodia) to implement free and fair elections in Cambodia.

Kyoto University of Arts, the Ministry of Foreign Affairs, and the United Nations Volunteer Program conducted the "Nakata Atsuhito 30th Anniversary Peace Forum," at which I was the keynote speaker.
I spoke for about 40 minutes in the presence of experts in peacebuilding and peace diplomacy working for the UN and various governments, including Mr. Yasushi Akashi, who served as UNTAC's Special Representative. I felt everyone's uninterrupted and enthusiastic gazes on me, and my presentation of issues served as a starting point for various discussions, including how we should support democratization and how Japan should contribute to peace. I am very grateful for this opportunity.

I spoke on the following themes.

1: Introduction of Mr. Nakata's personality through his picture book "Nakata Atsuhito Story: My Dream is to Make the World Peaceful," which summarizes his footsteps. This picture book was edited with quotes from his words that I heard directly from him when we were roommates during the two months of Khmer language training. About 3,500 copies have already been distributed in Cambodia and Japan.

2: As a member of the House of Representatives, I worked to reform Cambodia's electoral system as an activity to continue his legacy of risking his life for the implementation of free and fair elections.
I proposed to the National Assembly that the voter registration process could be subject to fraud, including double registration, and that computerization of the process could prevent fraud. As a result, the institutional basis for free and fair elections was established, with the addition of biometric functions.
However, in 2017, Cambodia's first opposition party, the National Rescue Party, was disbanded for attempting to overthrow the state. The people who wanted change no longer had a party to vote for, and the ruling Cambodia People’s Party won all 125 seats in the 2018 election. Cambodia's democracy is in crisis.

3: The current situation of Nakata Atsuhito village and "Atsu
School" which was established in the place where he ended his life.
Currently, 300 elementary school students and 130 junior high school students are studying there. Since many children are unable to attend school due to poverty, the NGO Interband is supporting the implementation of supplementary classes. 

4: I raised the issue of how Japan should contribute to peace. In particular, I asked how the lessons learned from Cambodia's electoral reform could be applied and implemented in third countries, such as Myanmar, where similar electoral process irregularities have been an obstacle to democratization.
China's influence has led me to believe that more and more countries are thinking that they can be prosperous without democratization. How to improve the quality of democracy and evolve it into a system that makes each individual happy is a major challenge for the future. Let us think about this together during these two days!
















新年のご挨拶と2022年への感謝

2023年01月01日 00時00分26秒 | 政治
あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願い致します。

2023年は、来る総選挙に向けた政治活動を本格的に再開するとともに、地に足を付けた社会生活、そしてずっと取り組んできた国際協力活動と両立することを目指し、頑張りたいと思います。

2021年10月の衆議院選挙で落選し、今後の政治活動をどうすべきか?との判断を迫られるとともに、社会人としての基盤を再構築しなくてはとの現実に直面しました。『総支部長』になることは、地域をまわる政治活動に専念すること。私の場合、そんな生活が過去にも長く続いたので、総選挙がすぐにはないとの考えに立ち、議員ではなくても、自分の経験や長年の問題意識を発揮できる場を探したいとの思いに強く駆られました。幸い『政策担当秘書』の資格を持ってこともあり、複数の議員から政策スタッフとして手伝って欲しいと声を掛けて頂きました。特に30年来の友人でもある牧山ひろえ参議院議員が、外交防衛委員会所属の羽田次郎参議院議員とのご縁を作ってくださったこともあり、国会に勤務しながら、羽田議員の政策担当秘書としてこれまでの問題意識を活かすことを仕事にすることができました。

ロシアによるウクライナ侵攻、敵基地攻撃能力や防衛費増額に関する議論など、安全保障が大きな政治課題になる中、国会質疑や政策作りのための調査・研究に自由なスタンスで取り組めたことは、私にとっては大きな意味があり、非常にありがたいことでした。

2022年は『政策担当秘書』としての仕事が中心でしたが、新たな1年においては、来る衆議院選挙に向けた準備を加速させつつ、引き続き、野党として自民党に対峙できる政策立案能力に貢献できるように、そして日本の民主主義を鍛えることにも寄与できるように、役割を果たしていきたいと思います。引き続きよろしくお願い致します。

防衛費増税と『アメリカに守ってもらう』ことをセットで考えるロジックの非常識

2022年12月31日 23時44分26秒 | 政治

 今年もあと少しになりました。先日、2人のアメリカ人と話していたら、日本の防衛費増強について質問されました。金融の専門家としてのキャリアアップのためにMBA取得の勉強をしている30台前半の青年達で、発展途上国の支援にも熱心で、アメリカの政策についても批判的に考える訓練をしていることが伝わってくる人たちでした。

 彼らが心底驚いていたのは、日本では、いざという時にアメリカに助けてもらうことと、防衛費増強がセットで考えられていることでした。「申し訳ないけど、アメリカが戦争するかどうかの判断は、アメリカにとって利益があるかどうか以外の理由が入り込む余地あり得ないよ。日本が頑張っているんだから、助けようとはなるはずがない」とハッキリ言われました。もちろん、私の考えも同じです。彼らはアメリカに助けてもらうためとする防衛費増強派の根拠のないロジックに心底驚いていましたね。ある意味、ウクライナがハードルを上げていて、全国民が武器を取って闘うぐらいの状況になって、初めて頑張っているように見えるんでしょうね。それでも『先制攻撃』をしたのが日本であれば、「まず、アメリカ世論の賛同は得られないだろうね」とも言われました。完全同意です。

 私は『国民を守る』ことはもちろん政治の大きな役割だと思いますが、それは食糧安全保障や、明確な安全保障政策としての平和への貢献、何より国民生活の安心を守ること等と信頼に足るバランスがあってこそだと思います。いわゆるジャパンハンドラーの言葉がアメリカの考えと思っていたら、致命的な間違いを起こすことになります。

 アメリカ大統領にしても、アメリカ軍の犠牲を生む可能性、場合によっては米国本土も攻撃を受ける可能性、そしてアメリカ世論の賛同を慎重に考えながら、それが本当に『日本とともに戦うこと』と釣り合うのか、慎重に判断せざるを得ません。『日本も防衛費を増やして(アメリカの武器を高く買って)頑張っている』からという理由で日本のために参戦するなどという判断は到底起こり得ないと思います。

『1ミリ』の差が生んだ歴史的なスペイン戦勝利の裏で、歴史的な政策転換が専守防衛を変える

2022年12月03日 15時08分35秒 | 政治
たった『1ミリ』の差が歴史的な逆転ゴールを生みだしたW杯スペイン戦。三苫薫選手と田中碧選手、劇的なゴールの立役者が学んだ鷺沼小学校は、川崎市の両親の家から何度かジョギングで行った距離にあります。この3月に撮った時はまだ東京オリンピック出場を祝う横断幕でしたが、まさに世界を驚かせてくれました! 

世界の中での存在感が低下し続ける日本にあって日本人選手の活躍は嬉しいことですが、昨日は、もうひとつ『歴史的』な大きな出来事がありました。敵基地攻撃能力の保有を与党が正式合意。これまでの専守防衛から大きく政策転換することになります。相手が攻撃に着手したと判断した時には、敵基地を攻撃することを安保3文書に明記し、射程距離の長いミサイルの開発・配備に乗り出します。しかし、何をもって着手と判断するのか、敵基地、そして指揮命令系統とは何を対象とするのか?首相官邸や行政府は含まれるのか等の質問に、政府は個別具体的な質問には答えられないと、あいまいにしています。極めて大きな問題です。

相手が攻撃に着手した時、という解釈は非常に難しく、相手も同じように解釈するでしょう。もし、『オフサイドトラップ』に引っ掛かり、最初にミサイルを撃ったなら、日本が先制攻撃をしたとして、間違いなく相手に攻撃の口実を与えるでしょう。日本全土が圧倒的に多くの攻撃能力を持つ敵の攻撃に晒されるのは疑う余地もありません。ウクライナがロシア国内を決して攻撃しないのも、それをやってしまったら国際社会を味方にできなくなるのを知っているからです。

また、日本が攻撃された時の民間人の安全確保はどうするのか?まさに国家の主権にかかわる有事の際の指揮権は、米国なのか、日本なのか。米国の公文書として公開されている指揮権密約(1952年)の存在を含め、政府の答弁は常にあいまいです。しかし、主要な装備、暗号、GPSなどは米軍仕様ですし、今、米軍は統合全領域指揮統制(JADC2)」システムによって米軍内の情報共有を進めています。情報、監視、偵察活動で得た情報を陸軍、海軍、空軍、さらに宇宙軍、海兵隊をひとつのネットワークに接続して情報を共有し、意思決定の迅速化と最適化を図っています。この中に自衛隊が統合され、戦略の意思決定に日本自身は関与できないことを危惧します。

残念なことですが、私たちの未来への影響は専守防衛の政策転換の方が遥かに大きいのです。スポーツで盛り上がるのは素晴らしいことですが、歴史的な政策の転換が歴史的な勝利の陰で本来の注目を得ることなく決定され、実行されていくことには大きな危惧を感じます。

付け入る隙を与えない安全保障体制の構築は当然重要です。しかし、政治的『中立』を担保してこそ可能な、平和構築や紛争の仲介を『日本だからこそできる平和貢献』として磨き上げ、『攻撃しにくい国』として実績を積むことが安全保障の柱のひとつにするとは、私が長年主張し、取り組んできたことですが、その可能性がますます小さくなることを残念に思います。

写真は数年前の8月にドーハ市内を散策した時のものです。この時期は連日50度前後の猛暑でした。すさまじい暑さの中、危険な労働で命を落とした多くの出稼ぎ労働者の問題にも向き合わなければと改めて思います。

国民の命と尊厳を守るために真に必要な安全保障とは何か。最後の1ミリまで諦めず、あるべき姿を追及し続けなくてはと、改めて痛感しています。















イビチャ・オシム元監督の民族共存への思いを再び

2022年11月25日 02時03分15秒 | 政治
昨夜は日本がドイツを破った試合の後に放映されたNHKスペシャル『民族共存へのキックオフ-“オシムの国”のW杯』を食い入るように観ました。この番組は2014年に観て、元サッカーユーゴスラビア代表監督のイビチャ・オシム氏が果たした役割に深い感銘を受けました。オシム氏についてもっと知りたい。私自身のボスニア・ヘルツェゴビナ勤務の経験をもとに、『紛争の仲介』や『紛争後の和解と民族の共存』という長年の問題意識についてオシム氏の考えを知りたいと願うきっかけになった番組です。

W杯予選に参加する条件としてFIFAから突きつけられた、セルビア、クロアチア、ムスリムに分裂したボスニアサッカー連盟を統一する大きな役割を果たし、祖国ボスニアを2014年のW杯ブラジル大会出場に導いたオシム氏の哲学がその半生とともに描かれています。ユーゴスラビアが分裂し、内戦に突入していく中、代表チームの監督として、民族主義者の脅迫を受けながら、あくまでも中立でフェアな選手起用を貫いた信頼が、彼が最高の仲介者になり得た大きな要因だと改めて実感しました。

2017年、再びボスニアに行き平和構築の調査をした際、ボスニアサッカー協会を訪ねオシム氏が果たした役割についてヒアリングしました。用意していた質問を次々にぶつけたところ「それはオシム氏本人に聞くのが一番ですよ」と言われることが沢山ありました。「本人は今、オーストリアのグラーツにいるので、そちらに行けるなら連絡しますよ」と言ってもらったのですが、日程的に不可能でした。残念でしたが、脳梗塞で倒れ、心臓にも病を抱えるオシム氏に会えるとは思っていませんでした。ところが!その夜連絡があり、何とオシム氏がサラエボに来て、私に会ってくれると言うのです。サラエボ勤務の外交官で高校の同級生でもある熊倉隆行氏、そしてボスニアサッカー協会の方々の尽力でした。

オシム氏の言葉の数々に心を打たれました。
「サラエボが魅力的だったのは、各民族が共存する多様性があったからだ。サッカーの美しさは、多種多様な個性がそれぞれの強みを見つけ、磨き上げ、一体になることだ。私はそれをサラエボから学んだ」

国家分裂の危機に瀕したユーゴスラビアをワールドカップでベスト8に導き、レアル・マドリードなどの強豪チームからのオファーを断り続け、弱いチームを劇的に変える数々の奇跡を見せてきた名監督だからこその言葉の重みを感じました。オシム氏の生き方自体が、大国、あるいは力のあるチームが意のままに世界を操ろうとする世界の現状への強烈な問題提起と感じました。

オシム氏の奥さん(アシマさん)からは日本がアメリカから武器の購入を増やすことについてどう思うかと聞かれました。日本はアメリカとは同盟関係にあるが、私は紛争解決のための仲介や、平和構築など平和に寄与する日本を目指していて、それを安全保障の戦略のひとつと考えている、そのためにはできる限り中立と思われることが不可欠。アメリカ追従になり過ぎるとその可能性を放棄することになるので反対と答えると、アシマさんは手を叩いて同意し、オシム氏が仲介者として信頼され、サッカー連盟の統一に寄与できたのも中立だったからだと強調していました。隣で私をじっと見つめながら深くうなづくオシム氏の表情も印象的でした。

サラエボがセルビア人武装勢力に包囲され多くの市民が命を落とす中、祖国に帰れないオシム氏と、自分だけがサラエボから出るわけにはいかないと苛烈な生活を耐え抜いた夫人は、生死さえも確認できない時期が長く続きました。だからこそ、平和を願う気持ちの強さ、サッカーを通した民族融和への二人の思いは心に刺さりました。お二人からは口だけ勇ましい日本の政治家とは真逆の本物の勇気を感じました。

体調の不安があるオシム氏との会話時間は30分。アシマさんが時間を管理すると言われたのですが、あっと言う間に1時間が経ち、そろそろ失礼しなくては...と思った時にオシム氏が言いました。「もう少し話そう!グラッパに付き合ってくれないか?」オシムが悪戯っ子のような目で見たアシマさんは仕方ないわね...と言う顔をしながらも、オシム氏が語るほどに元気になり、会話を楽しんでいると言って喜んでOKしてくれました。さらに2時間、オシム氏の少年時代、これからのオシム氏の夢など奥さんも交えて熱いトークを聞くことができました。幸せな3時間でした。

貧しい労働者の家に生まれたオシム氏は、奨学金を得てサラエボ大学数学科に入学。ボスニア工科大学の学長でもあるガニッチ氏(元ボスニア・ヘルツェゴビナ大統領)によると、際だって優秀な学生だったそうです。数学の教授を目指していたそうですが、東京オリンピックの代表選手になったことを契機に大学を中退し、サッカー選手になったそうです。大学生当時、数学を教えていたのがアシマさんで、オシム氏は教えることもとても上手だったそうです。その当時は生活のためにサッカーをしていたけど、指導者としてのオシム氏は契約金や報酬については、一切話を聞くこともなかったそうです。「いくらもらえるの?と聞いても知らない!と言うのよ!」と言うアシマさんは、そんな夫を心から誇りに思っていることが伝わってきました。

オシム氏に夢を聞くと「民族共存の象徴としてのスタジアムを作りたい」とのことでした。私が1996年に日本政府の選挙指導員としてサラエボに勤務していた時、まわりの山をセルビア人武装勢力に包囲され、平地が少ないサラエボでは戦死者の埋葬場所の確保が困難で、1984年のオリンピック会場、オシム氏がプレーし、采配をしたサッカー場、さらに一部の山の斜面が墓地になり、雪が積もったかのように真っ白に見えました。残念だけど、サッカー場は民族主義者の争いの場でもあったと言うオシム氏。だからこそ、民族融和の象徴としてのサッカースタジアムを作りたいとの言葉、胸に迫りました。

この旅では、前述のエユプ・ガニッチ元ボスニア大統領にも会いましたが、難しい道と知りつつも理想を貫くオシム氏の生き方そのものがボスニアの人々に大きな影響を与えているとのガニッチ氏の言葉を実感しました。苛烈な内戦の当事者であり、今は少数派であるセルビア系住民との関係は今なお多くの火種を抱えています。だからこそ、セルビア系のミシモビッチ選手が主力としてボスニアをワールドカップに導く活躍を見せたことの意義はとりわけ大きなものだったことを実感しました。「同じ人間として接すること。多様性の価値を認めること」仲介者としてのオシム氏がセルビア人によるサッカー協会を説得したシーンはこの番組のハイライトであり、私が一番聞きたかったことでした。オシム氏は人生を通してその言葉を体現してきた人だと感じました。

私に会うつもりになったのは、サッカーではなく民族和解や平和構築について聞きたいという風変わりな訪問者だったからだそうです。でも、グラッパを飲むに連れ、サッカーについても熱く語り始めました。日本代表やジェフ市原のかつての教え子について、また戦術について質問もされましたが、この点では詳しく答えられなかったのは心残りです。でも、私の名刺の『走るさかぐち』はオシム氏の『考えて走るサッカー』を参考にしたと答えると、政治もサッカーも自分が汗をかくことが大切だよ!と大きく頷いてくれました。

今年5月に亡くなったオシム氏。劣勢を耐え凌ぎ、ドイツから劇的勝利を挙げた日本代表の活躍を天国で喜んでいることと思います。

#イビチャ・オシム
#オシム監督
#ボスニア・ヘルツェゴビナ
#サッカーワールドカップ





















政権交代可能な野党を作るためにー政権を担う本気を理解してもらうために

2022年11月22日 18時14分02秒 | 政治

日曜の夜は市民連合の勉強会で講師を務め、質疑応答を含めて2時間あまりお話をしました。

緩み切った自民党の相次ぐ不祥事の責任の一端は、我々弱すぎる野党にもあります。与野党が伯仲した緊張感のある国会にしなくては!との思いで、自分自身が経験した民主党時代の政権奪取を目指した本気の取り組みをまず振り返りました。

民主党が政権交代を実現した過程では、5000万件もの『消えた年金』について、2兆6000億円もの年金を、本来受け取る権利のある人に返したこと、マニフェストを通して政党としての価値観、そしてビジョンを明確に示したことなどを改めて問題提起しました。

通常国会では『提案型野党』を目指したようですが、残念ながら与党にとっては与しやすい野党であったようです。臨時国会においては一転、統一教会と自民党の関係を追及する一方で、維新をはじめとする野党各党と協力し、統一教会の被害者救済法など議員立法を通して政府に実現を迫るなどの一定の成果を挙げています。

昨年の衆議院選挙に向けて消費税ゼロを政権公約に入れるよう枝野代表(当時)に申し入れたところ、今、手の内を明らかにすると与党に真似されるとして、なかなか明快な回答を得られませんでした。しかし、大企業、富裕層寄りの自民党とは異なり、私たちは不条理に苦しむ人々の側に立つこと、大企業を支える中小零細企業を守ること、『ひとりひとりを幸せにする』ために子育てや教育などに力を入れることなど、目指すべき社会の違いは明らかです。生活に苦しむ人々の安心を作ることが、結果的には、より多く税金を払った方にもプラスになるような経済システムを作ることも重要。大企業の利益が上から滴り落ちるトリクルダウンではなく、生活の安心が需要を喚起し経済を押し上げる、そんな社会を作っていかなくてはなりません。

このような旗、つまり自民党政権の対立軸になるようなビジョンを示した上で、国民を巻き込み、他の野党の協力も得て政権構想、そして政策を示すべきとして、その方法について問題提起し、議論しました。ちょうど20人の参加者と白熱した議論になりました。結局新幹線の終電は逃してしまい、夜行バスで東京に戻ることになりました。




岸本周平知事候補の応援と、串柿の里で古民家を再建した夫婦との再会

2022年11月18日 20時42分44秒 | 政治
今日は政治活動における恩人であり、尊敬する先輩、岸本周平和歌山県知事候補の応援に入りました。夜行バスで朝7時過ぎに和歌山駅に到着。レンタカーで海南市、紀美野町、岩出市、紀の川市、さらにかつらぎ町をまわり、衆議院議員時代に私を応援してくださった方々に岸本知事の誕生に向けて支援をお願いしました。夜は岩出市での演説会に参加しました。

挨拶まわりをした方々は80歳を大きく超える方々も多かったのですが、皆さん元気でいらっしゃることに安堵しました。また、串柿の里として知られる四郷にも足を伸ばしましたが、2008年秋に平野博文元官房長官のお父様の案内で挨拶に伺ったことを未だに覚えている方もいて、和歌山の人情の厚さが身に沁みました。

四郷での嬉しい出来事はもうひとつ。江戸時代の古民家を手作業で修復し、石窯ピザと自然食や野草茶などの茅葺き茶屋『月空』を再開した岡さん夫妻と再会できたことです。堀越観音近くで古民家を改修した空間があまりにも素敵で、何度か通ったのですが、奥さんが体調を崩されたとのことで、前回行った時は廃業してしまっていました。とても残念に思いましたが、今回は新たな古民家の改修と、空間アートプロデューサーとして宿泊場所まで創作していて驚きました。手製の干し柿のお菓子を頂きながら、自然や伝統文化の中で生きるスローライフが生み出す可能性について語り合いました。

スーパー官僚と言われた超エリートでありながら、一貫して地を這う活動を続け、普通の人々の声を何より大切にする岸本さん。

「全国で活躍している起業家や投資家、文化人などの皆さんにアイデアを出してもらうプラットフォームをつくる。そこに、和歌山の若い経営者、女性、シニアの方々、NPO、学生など多様な皆さんの知恵を融合して躍動感あるプロジェクトをつくりたい」岸本さんのこんな政策は、岡さんのような方々もきっと勇気づけることでしょう。投票日は11月27日。是非、皆さんも応援してください!


























#岸本周平
#和歌山知事選挙
#串柿の里
#月空

村上市長選へー伝統を活かし未来を拓く、町おこしプロデューサー吉川美貴さんの挑戦

2022年11月03日 22時30分48秒 | 政治
新潟県村上市で、町家や雛人形など今ある資源を活かした町おこしで奇跡のような成果を生み出した友人の吉川美貴さん。来年6月の村上市長選挙に無所属での立候補を決意し、活動を始めました。美貴さんのご主人、吉川真嗣君は、私の早稲田大学時代からの親友で、城下町村上市が『近代化』によって全国どこにでもある金太郎あめのような街になることを、袋叩きに遭いながらも身体を張って止める挑戦を最初に始めた『観光カリスマ』でもあります。美貴さんは吉川君の活動の辣腕プロデューサー。そして、『まちづくりの非常識な教科書-35万円で10億円の経済効果を生んだメソッド』や『町家と人形さまの町おこし』などの著書を持つ高い発信力を持った研究者、文学者でもあります。

何度か訪ねた村上市ではお二人の温かいおもてなしを受けました。お二人が始めた『町家の人形さま巡り』によって町家の奥に眠っていた江戸時代の雛人形が多くの方々に感動を与え、行くたびに伝統的な造りのお店が増え、コンクリートの塀が黒塀に変わり、人形さまSLが走り…と町が大きく変化し、寒くて暗くて不便な、遅れた村上の象徴だった町屋が、実は近代化が遅れた故に残った宝だったことを皆さんが誇りに思うようになったことを感じます。そして、お二人のライフスタイル自体が、伝統的な手法での鮭の加工を営み、浪漫亭という古民家で暮らし、日頃から着物を着て…と、徹底して、伝統的な生活の知恵から学び実践する暮らしを送っています。

今、多くの町で地域の価値を再発見する試みが始まっています。間違いなくその先駆けのひとりが、吉川君、そして美貴さんです。お二人の新たな挑戦が、今度は何を生み出すのか。私もワクワクしています。


村上市の未来を拓く。吉川美貴さんへのメッセージ


映像は今日の会合に向けてお二人に送ったメッセージです。














アントニオ猪木さんの逝去を悼み、そばで見た闘魂外交の本質を改めて考える

2022年10月01日 22時59分41秒 | 政治
アントニオ猪木さんが逝去されました。難病と闘う、信じられないほど痩せた姿は本当にショックでしたが、絶対に回復すると信じていました。今、悲しみの底に沈んでいます。

私にとっては子どもの頃から絶対的なヒーローだった猪木さん。その猪木さんと北朝鮮、キルギス、そして2度のスリランカと4度にわたって海外での議員外交にご一緒させて頂くなど、人道問題や紛争解決をテーマに行動を共にできたことは本当に幸運でした。

実は今日は御嶽山に登っていました。岐阜県と長野県にご縁を頂いた人間として、8年前の噴火によって亡くなった方々を慰霊する思いもあり、急遽日帰り登山をしていました。山頂まであと5分あまりの場所で訃報を聞きました。山頂では猪木さんのご冥福をお祈りし、共に過ごした貴重な時間を振り返っていました。

議員外交をともにした中で見た人柄とエピソード、そして政治家アントニオ猪木の価値は何だったのか、改めて振り返ってみたいと思います。

子どもの頃から私はアントニオ猪木の大ファンであり、異種格闘技戦を次々に仕掛ける格闘家として、また、政治家としてイラクの人質救出に尽力するなどスケールの大きな生き方に大きな影響を受けました。中学を卒業したら新日本プロレスに入門して鍛えてもらおうと本気で考えていたほどです。

国会議員としてご一緒した印象は、燃える闘魂・アントニオ猪木のイメージとは異なり、徹底して平和主義で本当に心優しい人ということでした。

1.北朝鮮外交-拉致被害者を返しやすい環境作り

「そもそも猪木議員は何しに北朝鮮に行ってるんだ?」という批判の声も多く聞きました。

 プロレスラー・アントニオ猪木の師匠である力道山の娘がスポーツ大臣を務めていたこともあり、金日成主席が亡くなった時にはメーデースタジアムで延べ38万人を集めた平和の祭典を実施しました。その姿が北朝鮮では切手にもなっています。だからこそ猪木議員は対話の窓口であり続けていました。

私たちは核開発、レアアースなどの資源開発、スポーツ・文化交流などについて意見交換をしましたが、もっとも大きな関心のひとつはもちろん拉致問題を含む人道問題でした。一日も早い帰国を実現させるなど拉致問題解決の努力を求めるのは当然ですが、1959年に始まった帰国事業で北朝鮮に渡ったものの、現地で筆舌に尽くしがたい苦難を味わっている日本人、あるいは日本人配偶者やその子供たちの存在も決して忘れてはならないと考えていました。

従って、いかに北朝鮮側が拉致被害者を返しやすい環境を作るかを考える方が現実的と考え、拉致被害者と北朝鮮在留日本人の帰国とリンクさせるのが私たちの戦略でした。

猪木氏との訪朝では、姜錫柱(カン•ソクジュ)書記と3回にわたって意見交換をする機会を得ました。姜錫柱書記は元副首相で、その時点でも外交の責任者だった。金日成・カーター会談や、2002年に小泉首相が訪朝した際の金正日総書記との首脳会談に同席するなど金日成主席、金正日総書記、金正恩第一書記と3代の外交を支えてきた重鎮です。私たちは相手のメンツも立てながら、『人道的配慮によって』希望する日本人全体を対象に帰国を認めさせ、結果的にその中に拉致被害者も含まれるストーリーを描いていました。そのためには、徹底して信頼関係を構築する必要があります。政府としては言えないことを議員外交で伝えて可能性を探り、政府と協力して成果を引き出す戦略でした。

日本政府との連携、議員外交との役割分担についてはアントニオ猪木議員は予算委員会などで再三安倍総理に呼びかけていたが、安倍首相は極めて冷淡な反応だったことが残念でなりません。

日本政府の交渉窓口だった宋日昊(ソン・イルホ)朝日国交正常化交渉担当大使は党内序列では当時61番目。アントニオ猪木議員は政府の交渉窓口より遥かに力を持った外交担当者と交渉できる唯一の存在だからこそ、「猪木をもっと使ったらいいんだ!」との叫びが心に刺さりました。

湾岸戦争時、イラクでは多くの日本人が人質となりましたが、その際に当時のサダム・フセイン大統領と交渉し、費用も私費で賄って41人を救出したのは外務省でも時の政府でもなく、アントニオ猪木議員でした。

相手政府だけではなく、あらゆるルートを駆使して可能性を探るのが本来の外交の姿です。アントニオ猪木という稀有な存在を失ったこと、日本の外交の可能性を考えても残念でなりません。

2.キルギスーペレストロイカ・ボクサーとの再会

私は20代の頃、協栄ボクシングジムに通っていたことがあります。一緒に練習しながら旧ソ連出身のユーリ・アルバチャコフ、そしてオルズベック・ナザロフが世界チャンピオンに昇り詰める様子をそばで見ていましたが、彼らはアントニオ猪木議員が『ペレストロイカ・ボクサー』として招いたボクサーでした。ソ連が崩壊し、素晴らしい才能を持ったボクサーの活躍の機会がなくなってしまいましたが、彼らにチャンスを与えたのがアントニオ猪木議員でした。

2010年夏、10月に行われる選挙監視活動を効果的に行うためのリサーチでキルギスを訪問した時、私はオルズベック・ナザロフ氏に再会しました。彼はキルギス共和国初の世界チャンピオンとして国民的英雄でした。その彼が「日本に帰ったら是非、猪木さんにお礼の気持ちを伝えて欲しい。あの時チャンスをもらえなかったら今の私はなかった」と切実に訴えてきたのです。

その時は、アントニオ猪木氏と連絡を取る方法を見つけることはできなかったのですが、その後、何と同じ国会議員として議員外交のパートナーになったのでした。

様々な議員外交に取り組む中、意を決してオルズベック・ナザロフ氏のことを猪木議員に伝えたところ、「是非、行きましょう」と即答してくれました。タイミングを図っているうちに私は落選し、衆議院議員ではなくなってしまったのですが、2015年5月、私が実行委員長として第1回大会開催に奔走したキルギス・シルクロード国際マラソンの第4回大会に参加してくれたのでした。貴重なGW期間中、世界中から招待される中、すでに国会議員ではなくなっていた私の求めに応じて、首都ビシュケクからも遠く離れたイシククル湖畔まで来てくれたのは、まさに、人のつながりを大切にする猪木議員らしい判断と行動力だったと思います。

 「先生、一緒に議員外交の本を出しましょうよ」首都ビシュケクに戻った時、猪木議員は提案してくれました。「私が本を出せば必ず買う読者がいますから、私で良ければ少しでも先生の力になりますよ」

アントニオ猪木と共著を出せるなんて夢のような話です。私も『苦しみの中から立ち上がれ』などアントニオ猪木の著書のほとんど全てを持っていて、多くを学んだひとりです。企画書を一緒に考えたり、一緒に出版社を当たったりしてくれたのですが、この提案は未だに実現しないまま、天国に行ってしまいました。

猪木さん、安らかにお眠りください。猪木さんに薫陶を受けたひとりとして、仲間とともに、議員外交、民間外交の可能性を切り拓いていきたいと思います。本当にありがとうございました。

#アントニオ猪木
#闘魂外交