今日は前原誠司前外務大臣とミャンマーの民主化運動指導者・アウンサンスーチーさんの電話会談を国会の私の部屋で行いました。アウンサンスーチーさんとの電話会談は3回目です。最初は私自身が話し、96年にスーチーさんの自宅前で行われていた対話集会に参加していたこと、前原外務大臣が中心に推進している「パッケージ型インフラ輸出」が、ミャンマーの民主化実現に寄与する可能性があることを話しました。2回目は岡田幹事長に話して頂き、今日は前原前外務大臣との会談をセッティングすることができました。分刻みのスケジュールの中、時間を割き貴重な会談の実現に努力してくださったお二人と全ての方々に感謝を申し上げます。
前原さんが外務大臣の頃から、何とかふたりの電話会談を実現したいと思い、努力を続けていました。おふたりとも会談を望んでいましたが、ミャンマーをめぐる複雑な政治情勢により実現しませんでした。しかし、前原さんが政府の要職を離れている、おそらく今しかないタイミングで話してもらうことができました。
二人の会談は和やかでもあり、しかし、火花が散るような緊張もはらんだものでした。アウンサンスーチーさんは、建国の英雄でもある父・アウンサン将軍の日本での足跡を探るため、京都大学に留学し、東南アジア研究センターで研究生活を送っていた時期があります。前原さんが京都大学に在学していた時期と重なっていて、まずは、共通の恩師についての話題で和やかに始まりました。一方、前原さんがミャンマーで総選挙が行われたことに対し、「一定の評価をする」としたことには「選挙をしただけでは民主化への前進とは言えません」「私の釈放は見せかけです」と、強い言葉で反応しました。しかし、決して十分に民主的なプロセスで行われたとは思っていないこと、しかし、選挙の実施を機に方向転換をすることが、双方にとって良い方向につながるとの考えに対し、「前回の選挙を認めると、次回も同じようになる可能性がある。しかし、民主主義の実現に時間がかかることは理解している」と、スーチーさんも応じました。前原さんの直球に対しスーチーさんも直球で返したことで、お互いを認め合う、そんなやりとりでした。
スーチーさんはさらに、今のミャンマー社会においては法の支配や基本的人権の尊重、また国民の知る権利が保障されていないこと、さらに昨日ミャンマー政府から「政治活動の禁止」を通達されたことを訴えました。不条理に対しては対決を選ぶ。そんな毅然としたの意志が電話口からも伝わってきました。それはなぜなのか、前原さんが聞いた途端に電話が切れました。確認したところ「停電」だったそうです。ここで会話は終了となりました。ここまで約30分。対話が佳境に入ろうとしていたところだけに本当に残念でした。
スーチーさんの周辺では、このような状況で突然「停電」になることはよくあるそうです。彼女が感じている不条理の一端を痛烈に感じました。
ここまでのお二人の見解は、すでに様々な場所で表明されたものであり、特別新しいものではありません。しかし、二人の人間力が正面からぶつかり、お互いを認めた上で、信念と理念に基づく言葉を交換する、そんな本物の外交の一端を感じることができました。
何としても、近いうちに次の機会を作らなくてはなりません。
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