阪口直人の「心にかける橋」

衆議院議員としての政治活動や、専門分野の平和構築活動、また、趣味や日常生活についてもメッセージを発信します。

衆議院本会議で自衛隊法一部改正案について質疑

2013年05月24日 02時15分33秒 | 政治
衆議院
 今日は衆議院本会議で登壇しました。自衛隊法の一部改正の法律案について質疑するのが目的でしたが、私は国益だけではなく地球益や人類益も追求し、尊敬される国になることが、安全保障にもつながる真の国益になることを、自分自身の経験も交えて訴えることをテーマにしました。


5月23日衆議院本会議での質問


 20年前の5月23日は、演説でも話したカンボジア総選挙の投票日でした。歴史的な一日をともに過ごし、今はJICAで平和構築専門家としてエジプトに勤務している黒田一敬さんをはじめ、多くの方々から温かいメッセージを頂いたこと、心から感謝致します。
 

 今日の原稿、そのまま紹介します。


 日本維新の会の阪口直人です。自衛隊法の一部を改正する法律案について質問するとともに、関連して海外における自衛隊の活動を、国際社会の平和に貢献することで安全保障につなげるにはどうすれば良いかという視点で質問させて頂きます。

 アルジェリアにおけるテロ事件の発生を受けて、事件への対応を検証し、在外邦人の輸送に関して速やかに現行法の不備を是正するべく対応していること、評価したいと思います。テロ事件を受けて検討委員会を立ち上げたプロセスをご説明頂き、また、今回浮き彫りになった課題は何だったのか、まずは防衛大臣にお聞かせ頂きたいと思います。

 今回、新たに規定される自衛隊による「車両」での輸送については、従来の航空機や船舶による輸送に比べると、危険に直面する可能性が高まると想定されることから、その実施に当たっては外務大臣・防衛大臣が輸送の安全が確保されているか否かを判断することとされています。では、どのような基準によって判断を行うのでしょうか? アルジェリアのような国において、判断の根拠になる情報を収集する術を持っているのでしょうか。今回、明らかになったようにアルジェリアでは情報収集を行う十分なパイプがありませんでした。研究者やNGOのネットワークを使ったり、政府同士では十分ではない部分を議員外交で補うなど、あらゆる資源を総動員して情報を取る体制を構築した上で、近い将来は情報収集のための専門機関の設立も必要だと思いますが、外務大臣、および防衛大臣の見解を伺います。

 さて、車両による輸送を行う際には、武装勢力などから襲撃や妨害を受けるなど、不測の事態が発生する可能性があります。一方で、武器使用にかかわる規定は現行の憲法解釈で許されている範囲内で対応することになっています。例えば、自衛隊が保護対象者の輸送活動中に、偶然邦人が襲撃を受けている状況に遭遇した際にはどうするのでしょうか。私自身、カンボジアでの平和構築活動中に武装勢力から銃撃を受けた経験があり、当事者としての意識を持っています。必要と判断すれば駆け付けて、武器を使用して救出することはできるのでしょうか? このような状況で自衛隊が素通りするしかないならば、人道上も、国家としての尊厳を考えても問題だと思いますが、防衛大臣の見解を伺います。

 今回の法案改正に向けた対応は迅速だったと思いますが、これまでの自衛隊の海外活動の検証は、十分に行われているとは言えません。

 私は、紛争後の平和構築という分野に長く関わってきましたが、1992年~1993年にかけて、自衛隊を初めて海外に派遣したカンボジア、および、1994年から翌年にかけて、2番目に派遣したモザンビークにおいて、国連の平和維持活動に参加していました。カンボジアにおいては1993年5月に実施された憲法制定議会選挙を自由公正に実施するため、ベトナム国境に近い山岳少数民族の村を拠点に、選挙指導員として活動していました。

 カンボジアへの自衛隊派遣は、まさに国論を二分する議論の末に決まりました。日本政府は当時のカンボジアでは比較的安全と言われたタケオ州に施設大隊を派遣して道路の補修を行っていました。私自身、自衛隊の活躍ぶりをこの目で見たいと思い、何度か現地にも足を運びましたが、隊員の方々は本当に真摯な姿勢で任務に取り組んでいること、日本人として誇りを覚えました。任務は、各国部隊がPKOの任務を果たすために必要な簡易舗装を行うということでしたが、「もっと日本の技術を活かして本格的な道路を作りたいんだよ!」と、おっしゃる方も多くいました。

 もっとも、当時のカンボジアは現在とは比較にならないほど危険な状況でした。自衛隊の活動地域にも地雷や不発弾が埋設されているリスクがありました。最初のPKOでもあり、今後の国際貢献の方向性を決める上でも全員が無事任務を遂行して帰還することが大きな責任であったと思います。過酷な環境の下、隊員の方々は、高い意識で活動に取り組んでいましたが、当時の任務は自衛隊が持つ能力、士気の高さを十二分に活かすものだったのか、派遣した政府、そして政治の側には真摯に検証する義務があると思います。この点について、どのように評価、検証し、その後の自衛隊の海外派遣に活かされたのか、官房長官にお答え頂きたいと思います。
  
 カンボジアにPKOを派遣したときのコストは、防衛省の負担分が104億8千万円、また内閣府の負担が14.7億円で、合計119・5億円と報告されています。イラクにおける自衛隊の活動は、予算執行実績ベースでは陸上自衛隊737億円、海上自衛隊5億円、航空自衛隊226億円、合計970億円とのことです。しかし、政府の報告書にはその内訳は詳細に示されておらず、対費用効果についても記されていません。この点については検証されたのかどうか、財務大臣、お答えください。

 今後の自衛隊の海外派遣、さらに日本政府の平和への取り組みを進化させる上で、今からでも過去の自衛隊の海外派遣について検証し、評価、課題を明確にすることが必要だと私は考えていますが、この点について、官房長官、および防衛大臣の見解をいただきたいと思います。

 カンボジアにおいては、日本政府が簡易補修をした国道二号線、三号線などは自衛隊が撤退し、最初の雨季が終わった後にはもう多くの穴が開いており、通行に支障をきたしていました。現地では、日本の自衛隊は撤退したときに道路まで持って帰ってしまった、とも言われていました。どうして日本は世界最高レベルの技術を持っているのに、こうなってしまったのか。現地の方々からは何度も尋ねられました。出発前の任務を途中で変えることは極めて難しいと思いますが、状況の変化、ニーズの変化に対応すべく途中で方針を調整することはできないのか、今後のためにも検討して頂きたいと思います。外務大臣、如何でしょうか?

 さて、検証と言えば、イラク戦争への関与に関して、例えばイギリスにおいては大変大きな議論になりました。イギリスの独立調査委員会は、イラク戦争の開戦時に政策決定にかかわったブレア元首相、そして当時財務相であったブラウン前首相などを証人喚問して、徹底的に追及をしています。イラク戦争は、開戦の根拠であった大量破壊兵器は見つからず、また、十万人を超えるイラク人の死者が出ました。アルカイダとの関係も見つかりませんでした。米国のオバマ大統領がみずから、間違った戦争であったと言っております。私は、当時の日本政府においてイラク戦争に関与した最高責任者であった小泉元首相にも国会に来ていただいて、何を根拠にイラク戦争への参加と自衛隊の派遣を決めたのか、その結果責任をどのように考えているのか、ぜひ証言をいただきたいと思っています。この点について官房長官の考えを伺いたいと思います。

 災害時において、自己完結で対処できる自衛隊の能力の高さは東日本大震災でも実証されました。現代社会では、大規模災害が発生した時、最初に救援活動に駆け付けることを各国が競い合っています。紛争後のPKOにおいても同様で、各国部隊は、活躍ぶりを国際社会、現地社会にアピールし、PKOが終わった後の復興支援において有利なポジションを獲得すべく競い合います。例えばカナダは「ファースト・イン、ファースト・アウト」がPKO展開における国の方針になっています。もっとも必要とされる場所に最初に入り、もっとも重要な任務を行うことを目指しているのです。独自の情報収集・分析を行う力、日頃の準備が試される局面であり、日本にとっての大きな課題だと思います。本法案に関わる、在外邦人の輸送が安全に実施できるかどうか判断する上で必要であり、自衛隊による、安全保障、災害救援、平和貢献、さらに経済戦略、外交交渉の方向性を決め、正しい判断を行うために死活的に重要な情報収集・分析機能の強化をどのように考えているのか? 官房長官に伺います。

 地震災害などが起きた時の対応は、自衛隊だけではなく、NGOなど、市民社会による支援も大きな力を発揮します。その場合、もっとも効果的と思われる対応を行うための枠組みが存在しない場合があります。例えば、今、紛争が続いているシリアの難民を支援する目的でトルコなど周辺国に医師を派遣する場合、アラビア語を理解する近隣の国の医者を緊急医療活動のために日本の費用で派遣をする方が、素早く、かつ効果的な活動を行える可能性があります。例えば、トルコにおいては、トルコで医師免許を取った者でなくては医療活動を行えない法律があるようですが、紛争や大規模災害発生時には、目の前の命を救う貢献ができるように、あらかじめ取り決めをしておく必要があると思います。法律やスキームの壁があるから救える命を救えないということがないように、災害や紛争が想定される地域での活動の可能性をシュミレーションした上で、もっとも効果的な活動ができるように準備しておくことが必要と思いますが、柔軟なスキームの構築に向けた政治の意思があるのか、外務大臣に伺います。

 私はもっとも大きな価値のある外交のひとつは、紛争解決の仲介役、平和の推進役を果たすことだと考えています。平和国家である日本は、アジアの紛争解決に大きな成果を生み出す可能性があると思います。政府と市民社会の人的資源を総動員して、紛争の仲介という役割を積極的に果たすべきではないか?外務大臣の見解を伺います。日本が紛争を仲介し、平和の道筋を作った国で自衛隊が平和の定着に貢献し、市民社会が貧困の解決や制度作り、人作りに寄与する。このような活動を一体的に行うことができれば、国際社会における日本の価値が高まり、地位の向上につながるのではないでしょうか?

 カンボジアでのPKO活動に参加していた時、任務の遂行中に銃撃されて亡くなった中田厚仁さんという青年はプノンペンでの研修中、ルームメートでした。お互いに安定した生活を捨てて、危険なカンボジアに来たのはなぜか、よく話し合いました。「平和をつくることに関して、誰かがやらねばならないことがあるとすれば、僕はその誰かになりたい」中田厚仁さんの答えでした。国際社会においても、どこかの国がやらねばならないことがあれば、それは日本がやる、そんな気概を持つ国家にならなければならない。相手に付け入る隙を与えない防衛力を高めることと同時に、自衛隊の活用も含めて国際社会の問題解決に積極的に寄与する姿勢を見せる。また国際社会の問題解決のため、日本だからこそ提供できることの価値を磨き上げ「尊敬される日本」になることが、安全保障にもつながってくると思います。

 その意味でも、自衛隊の海外派遣を含むこれまでの外交方針を検証し、日本としての正しい方向性を探ることを改めてお願いし、質問を終えます。ありがとうございました。





橋下代表を囲んでの10時間を超える議論で主張したこと

2013年05月19日 15時04分06秒 | 政治

 昨日は、橋下徹共同代表を中心に、参議院選挙に向けた少人数での政策協議を行いました。私たちが目指す社会を実現させる上で柱になる政策について、真剣な議論を続けました。

 橋下代表には、持論を一方的に主張する、また、敵を容赦なく攻撃するイメージを持っている方が多いと思いますが、昨日は穏やかな笑顔を見せながら、謙虚に多岐にわたる政策課題に耳を傾け、的確な問題意識を提示し続けていたことが印象的でした。午後1時に始まり、終了したのは夜中の0時前、10分ほど休憩以外は10時間を超える白熱した議論が続きました。頭脳の持久力と瞬発力が試された濃密な時間でした。

 多岐にわたる議論であり、政策については、所属議員の意見をさらに聞いたうえでさらに練り上げる必要があります。全てを記すことはできませんが、私自身がどうしても伝えたいと思っていた点については、しっかり主張し、基本的な考え方については理解を頂いたことと思っています。


 1.維新が「右寄り」の政策を提示することで喜ぶのは自民党。私たちはかつて民主党を支持し、維新に期待を寄せた健全な改革を求める市民の受け皿であることを目指すべき。今のままでは彼らは離れてしまう。したがって国益を追求すると同時に地球益、人類益を追求する姿勢を政策を通して示すべき

 2.特に外交・安保においては、国際社会に対して日本がどのような価値を提供できるのか、政策の中に提示すべき。それは法の支配であり、民主主義、自由主義経済である。インフラの海外展開を行う際には、法整備支援や、グッドガバナンス支援、民主化支援などをパッケージにして中国などとの競争に長期的に勝ち抜いていく基盤を作るべき。

 3.日本を取り巻く状況が緊張感を増している中で「付け入る隙を与えない」防衛力の強化は必要。同時に、ソフトパワーを磨き、特に平和に対する貢献、文化や国民性に対する親しみや尊敬を持ってもらう戦略も重要。それらも「付け入る隙を与えない」要因になる。

 
 最後の1時間は橋下代表の従軍慰安婦に対する発言をどのように受け止め、対処していくかについて議論しました。私自身は、自分たちの考えを声高に主張するよりも、慰安婦の方々の思いを徹底的に受け止めるべく最大限の努力をすることが、理解を得る最良の方法だと思っており、その旨を伝えました。

 私が副会長を務める政策調査会では、毎週火曜日から金曜日まで朝1~2時間近い政策議論を続けています。私たちはまだまだ発展途上の政党ですが、代表を囲んでここまで徹底的な議論ができる政党文化は大切に育み。さらに発展させていかなければと思っています。
 
   
 

 

カンボジアの学校支援のお願い-障害児・孤児のための伝統音楽の学校を支援してください

2013年05月01日 00時02分58秒 | ボランティア

 友人のイギリス人バイオリニスト、キャサリンから、カンボジアに設立した学校(Kampot Traditional Music School)が経済的に苦境に立っているので支援して欲しいとのメールが届きました。


写真上:22歳の時に学校を設立したイギリス人バイオリニストCatherine Geach さん(1995年撮影)

「23歳の校長先生・キャサリンの夢(阪口直人国際協力HPで紹介したキャサリンの生き方と学校の紹介です)」

 この学校は1994年9月、内戦で親を失った子供や、戦闘に巻き込まれ障害を負った子供たちの自立のために伝統音楽を教える目的で設立されました。キャサリンがこの学校の設立準備を始めたのは彼女が20歳の時です。16歳で英国ロイヤル・アカデミ一に入学した才能豊かなバイオニストのキャサリンは、1991年、19歳で卒業後、すぐにカンボジアで活動を始めました。プノンペン芸術大学でバイオリンの先生をするかたわら、カンボジア人自身が設立した地域社会生活向上のためのNGOで伝統音楽を習い、プノンペン郊外のNGOで障害を持った人々に音楽を教えていたのですが、切実に支援を必要とする人々は、より多く地方に存在していると痛感し、さらに、ポル・ポト時代に徹底的に破壊されたこの国の伝統文化が存続の危機にあることも痛感しました。

 各州をまわってリサーチを重ねたキャサリンは、伝統音楽に理解があること、内戦による荒廃が著しいこと、また他のNGOがほとんど入っていないことなどにより、障害児、孤児のための伝統音楽学校をカンポット州に設立することを決意。大変な苦労の末に22歳の時に開校し、活動を続けてきました。


写真上:学校でのキャサリンと生徒たち(1995年)


 キャサリンとは私がUNTACで活動をしていた1993年にラタナキリ州で初めて会い、その後、「難民を助ける会」の小味かおるさんに改めて紹介されて、その生き方と志の崇高さに魅了されました。1994年、私自身もこの学校を支援する基金を設立して応援していたことがあります。学校の運営が軌道に乗ってからは、「是非、他のもっと支援を必要とするところにお金をまわしてあげてください」との彼女の提案もあってビルマの視覚障害を持った人々を支援する活動に切り替えました。これがアウンサンスーチーさんとの出会いやビルマの民主化支援にもつながっているのです。

 その後何度も訪問しましたが、彼女の理想をそのまま反映する神聖な雰囲気に満ちていました。最近では昨年2月にも訪問しました。子供たちに伝統音楽や踊りを教えるプログラムに加え、今は、地域の一般の方々に音楽を教える学校としても大きな役割を果たしていました。

 私はいつも日本のNGOが再現したカンボジアの民話を描いた絵本を持ってこの学校を訪ねるのですが、当時は生徒だった子供たちが今は先生や職員になっていて、子供たちとともに明るい笑顔で迎えてくれたのが印象的でした。今回は絵本を70冊ほど持って行ったのですが、一部は前に持って行ったものと重なっていて、今は父親になった当時の生徒たちもやってきて子供たちに読んで聞かせている姿を見ていると、時の流れを感じましたね。

 この学校への寄付は下記HPから行うことが可能です。10ドルから可能ですので、是非、ご協力ください。

寄付はこちらからお願いします

現在の学校の紹介


写真上:子供たちに伝統音楽を教えるキャサリンを描いた絵


写真上:当時の生徒たちはこの学校の先生や職員になっていました。


写真上:カンボジアの民話の絵本を熱心に読む子供たち