先月の22日から25日までカナダ・ケベックで行われたIPU(Inter-Parliamentary Union)の国際会議に参加してきました。紛争後の和解の実現についてスピーチを行った他、セルビア、ミャンマー、韓国、東ティモール、南アフリカ共和国、モザンビークなどからの代表団と二国間の会談を行いました。
私のスピーチは国連大学のスピーチ原稿(英文)と同じテーマだったので、こちらは日本語でアップしますね。
写真上:紛争後の「正義の回復」についてスピーチをする私
写真上:私が1994年~95年にかけて国連PKOで選挙支援をしていたモザンビークからの代表団とも二国間会合を行いました。
写真上:時差ボケ対策も兼ねて朝はいつもジョギングをしていました。
写真上:一緒に参加した江田五月団長、中林美恵子衆議院議員と
私のスピーチ原稿
日本から来た衆議院議員の阪口直人です。私は議員になる前は、カンボジアやモザンビーク、東ティモールなど紛争を経験した国で平和構築や民主化支援に関するフィールドワークを行っていました。その経験から、軍事独裁政権や内戦が引き起こした人権侵害を乗り越え、どのように国民和解を実現していくか、考えてきました。
一般に,戦争を始めることは比較的容易ですが、戦争を終わらせることは難しく、紛争の仲介や戦後の和解はもっと難しいとされています。ご夫婦や恋人との間で、そのことを実感している人も多いと思います。したがって、私は個人としては、紛争をできるだけ避けるようにしています。しかし、起こってしまった紛争、人道的介入の必要性が生じるなど、どうしても関わらなくてはいけなくなった内戦や国家間の紛争をどのように解決し、再発を防ぐのか、私は「正義の回復」に焦点を当てて、特にビルマのケースについて少し問題提起をしたいと思います。
戦争は暴力の極限形態であり、たとえ和平が結ばれ、戦闘は終わっても、当事者間の不信や憎しみは戦後も根深く残り紛争再発の火種となり続けます。戦後処理をどう進め、どのような方法で和解を図るか、和平実現のためにも,また和平後の平和構築、平和の定着のためにも決定的に重要な課題です。
戦後処理は、戦争被害の回復が中心になります。それらのうち人道犯罪などの戦争犯罪については、戦後、事実関係を解明し、責任者を処罰して、損害を賠償させることで、戦時に侵害された人道への罪を償う、それが和解への第一歩と考えられています。
つまり、「正義の回復」が必要なのです。重大な暴力と、暴力が引き起こした人権侵害に対しては、本来は裁判によって裁くのが法の支配です。しかし、裁判制度が機能していない場合、また、対象者があまりにも多く、正確に行えない場合、真実委員会(truth commissions)を設置し、公的機関として裁判を補完する役割を果たすように与える方法もあり、すでに30か国以上で行われています。国によって戦争や人権侵害の状況は大きく異なるため、それぞれ役割は違います。南アフリカにおける「真実和解委員会」東ティモールの「受容真実和解委員会」、ルワンダのガチャチャなどは、真実の究明により正義を回復し、和解につなげる移行期における試みと言って良いでしょう。その目的は、一言で言えば、「事実と引き換えの和解」です。
「和解」の土台は人権侵害の事実を国民が共有することであり、そのためにはまず具体的に何が起こったのか、事実を解明しなくてはなりません。従って、真実委員会は人権侵害に関与した者が、個人として名乗り出て、自らの加害行為について事実をすべて明らかにすればその法的責任を免除するとします。それにより、被害者にとっては赦すことの代わりに最も知りたい事実、たとえば家族がどのような状況で誰によって殺されたのか、行方不明になっている者がどこへ行ったのかなどについて知る可能性が生まれます。「免責」は、加害者の処遇であると同時に被害者の救済も目的にしています。そして、加害者は免責されるので補償は国家が引き受けるのです。
言い換えれば、これは加害者の処罰を重視する応報的正義(罪と罰)ではなく,被害者の救済に重点を置く「修復的正義Restorative Justice」と言えるでしょう。あるいは,これは加害者への「赦し」による被害者や家族の救済と言えるかもしれません。その背景には、マンデラのANCにはガンジー主義の影響が強く、ルアンダにおいてはキリスト教の考え方が底流にあります。
さて、ビルマにおいては、軍事独裁政権が長く続きましたが、軍事政権の流れを引く現政権は昨年半ば以来民主化の方向を打ち出し、今、劇的な変化の最中にあります。私は今年、民主化運動の指導者で、今は国会議員でもあるアウンサンスーチー氏と2回会談する機会がありました。彼女が長年におよぶ自宅軟禁中もマハートマ・ガンジーの言葉を引用して訴え続けた、暴力によらない方法で自由と民主主義を実現する理想が、近づいていると言えます。
アウンサンスーチー氏が党首を務める国民民主連盟(NLD)が圧勝した今年4月の補欠選挙において、彼女が強調していたことは、法の支配の確立、憲法の改正、内戦の終結の3つです。法の支配の確立とは、ビルマで長く続いた軍事独裁政権下における暴力や人権侵害について、その真実を明らかにすることを含むと私は解釈しています。一方で、民主化を進めようとしているテインセイン現大統領とアウンサンスーチー氏は、今はお互いを必要としており、今、過去の人権侵害について厳しく追及することは、民主化の流れを止める可能性もあります。この点について私は多くのビルマ人に質問をしました。多くの人は法による裁きは必要だが、今は、その時期ではない、また裁きは最も重要というわけではないという答えでした。2015年に行われる総選挙で政権交代が実現し、民主化が軌道に乗った後で良いとの意見が中心でした。軍事政権の恐怖による支配、その結果生じた過酷な人権侵害に対して、国民の多くが寛容とも言える考えを表明したことに私は驚きました。
ここで重要なのは、仏教的な価値観です。罪を応報的に裁くよりも、慈悲の心で赦しを与えることを仏教では重視しているのです。
スリランカのジャヤワルダナ元大統領(当時は大蔵大臣)は、1951年のサンフランシスコ講和会議において、第二次世界大戦後の対日戦後賠償を「憎悪は憎悪によって消え去るものではなく、ただ慈悲によって消え去るものである、「hatred ceases not by hatred, but by love)という仏陀の言葉を引用し、対日賠償請求権を放棄しました。
「日本に今、この段階で平和を与えるべきではない」「日本は南北に分割して統治すべき」など、さまざまな対日強硬論が中心であった中、上記のブッダの言葉を引用し訴えました。
「戦争は戦争として、終わった。もう過去のことである。我々は仏教徒である。やられたらやり返す、憎しみを憎しみで返すだけでは、いつまでたっても戦争は終わらない。憎しみで返せば、憎しみが日本側に生まれ、新たな憎しみの戦いになって戦争が起きる。
戦争は憎しみとして返すのではなく、優しさ、慈愛で返せば平和になり、戦争が止んで、元の平和になる。戦争は過去の歴史である。もう憎しみは忘れて、慈愛で返していこう。」
と、対日賠償請求権の放棄を明らかにするとともに、わが国を国際社会の一員として受け入れるよう訴える演説を行いました。この演説が、多くのアジアの国々を動かし、対日賠償要求を放棄するきっかけを作りました。
アウンサンスーチー氏が言っているように、法の支配は重要であり、ビルマにおいても、過去の政権の人権侵害については、その事実を明らかにして、法による裁きを行うことは必要だと思います。では、ビルマにおいて、事実の究明はどのようなタイミングで、方法で行うのでしょうか? 第一義的にはビルマの人々の選択ですが、文化や宗教に根づいた価値観を理解した上で、国際社会が、そして市民社会が意義のある役割を果たせるように、サポートしていく必要があります。
私はアジアの、同じ仏教国でもある日本が果たすべき役割は大きいと思います。この方法は比較的小さな額の投資で、長期的な平和構築に貢献するはずです。そして、法整備支援や教育支援、グッドガバナンス支援や民主化支援とパッケージで行うことで相乗効果が生まれます。このような視点での貢献こそ、日本ができる最大の貢献であり、それは長期的に日本の国益にも貢献します。さらに将来には、市民社会と協力して紛争の仲介役を目指すことにも発展させていきたいと思っています。
最後に、紛争の解決は本当に難しいことなので、国際的な紛争解決を行う能力のある方でも、家族や恋人の間での紛争は極力避けるようにしましょうね!