阪口直人の「心にかける橋」

衆議院議員としての政治活動や、専門分野の平和構築活動、また、趣味や日常生活についてもメッセージを発信します。

民進党よ、都知事選は攻めに徹した戦略で臨め

2016年06月21日 00時19分33秒 | 政治

 参議院選挙に続いて都知事選挙が行われることになった。民進党には攻めに徹した戦略で臨んでもらいたい。安倍政権の暴走を止め、緊張感のある国政を取り戻すためにも。

 民進党はもっとスターを生み出す発想が必要だと思う。猪瀬知事、舛添知事と二代続けて自民党が推薦した知事が政治資金に関する不祥事で辞職。今回の都知事選挙は、少なくとも相手は逆風からのスタートになる。知事や市長はいわば地域大統領。国政に比べて政策や個性をアピールする機会も多く、オリンピックの顔になる特別な役割も担うことになる。改革への情熱とリーダーシップがあり、発信力のある候補を擁立できれば十分に勝てる可能性があり、それが民進党への支持を取り戻す大きな可能性を生み出すことにもなり得る。

 現状では蓮舫参議院議員がベストに近いと思っていたけれど、彼女の不出馬は残念。乾坤一擲の勝負をして欲しかった。しかし、良い候補者になる可能性がある人を全力で説得し、全力でサポートして何としても勝たなくてはならない。もちろん、相乗りなどは論外だ。



舛添都知事の問題を例に、金持ち優遇の政治から、公正な社会をつくるための政治に!とJR松阪駅前で訴える




国連ボランティア終身名誉大使・中田武仁氏の逝去に思う

2016年06月17日 23時19分22秒 | ボランティア

 中田武仁氏が逝去されました。心からご冥福をお祈り致します。

 武仁氏との出会いは1993年4月11日。ご子息・中田厚仁氏の追悼式の場でした。厚仁さんが生まれた時に庭に植えた桜の一枝を持ってプノンペンに来られた武仁氏。壇上に立ち、毅然とした態度で英語でスピーチされた姿の気高さに、体が震えるほどの勇気と誇りを感じました。

 『親おもう 心にまさる 親心 けふの音づれ いかに聞くらん』

 吉田松陰が刑死した時の辞世の句です。「誰かがやらなければならないことがあるとすれば、僕はその誰かになりたい」そんな自らの意志を実現するため、平和な日本を離れ、カンボジアでももっとも危険なコンポントム州を志願して、若い命を散らした最愛の息子。知らせを聞いた気持ちはいかばかりかと思うと、私はもう、胸が詰まってまともに目を合わすことはできませんでした。それでもご挨拶しなければと思い、勇気を振り絞ってプノンペンでの研修期間中ルームメートとして過ごしたことなどを話しました。

 柔らかいまなざしで私を見つめ、落ち着いた口調で言われた言葉、心に焼き付いています。「お世話になりました。おかげさまで厚仁も幸せな人生を送れたと思います。ありがとうございました」

 その後、私の著書『心にかける橋』の推薦文を書いて頂いたり、何度か講演にも来て頂きました。『世界市民』としての生き方について、また、厚仁さんに影響を与えたポーランドでの経験などについての感動的なお話に、多くの私の友人、また学生も大きな影響を受けました。

 1995年10月1日、私自身もカンボジア・カンポット州で武装集団に襲撃されたことがあります。命の終焉を覚悟した全身が凍り付くような恐怖、一瞬の後に実感した生きる喜び。それは自分にとって運命的な瞬間でした。自分の命が大切であると同時に、他人の命も同様に尊いのです。身近な人が命を奪われ、自分自身も命の危機に瀕した経験は、自分の使命を明確にしてくれました。平和の尊さ、戦争の悲惨さを伝え、平和構築に寄与すること-私の政治活動の原点です。昨年末に訪れたナカタアツヒト学校について報告できなかったことが未だに心残りです。

 この写真は追悼式などでの遺影にも使われました。任地コンポントム州に向かう厚仁さん。私と握手した時の輝くような笑顔、忘れられません。(1992年9月8日撮影)

 映像:『世界を変えた100人の日本人 カンボジアの民主化のために生きた若者 中田厚仁』