阪口直人の「心にかける橋」

衆議院議員としての政治活動や、専門分野の平和構築活動、また、趣味や日常生活についてもメッセージを発信します。

アフガン政権崩壊とタリバンについて考える

2021年08月18日 23時54分04秒 | 政治
タリバンの攻勢によりアフガニスタンの政権が崩壊しました。

2001年12月、私は『民主党ペシャワール事務所』の事務局長として現地に派遣されていました。テロ攻撃によって後に崩落したホテルを拠点に各地をまわり、アメリカによる対テロ戦争によって犠牲になったアフガニスタン、そしてパキスタンの部族地域に住む人々、支援活動をする人々にヒアリングしました。民主党が街頭で集めた募金2,500万円をもっとも有効に使う方法は何か調査するのが私のミッション。この活動を通して軍事力によって抑え込むアメリカの支配は必ず失敗する。紛争地域のリアリティーを知る人間としてアメリカにはできない平和への貢献を行うのが日本の役割だ。それを国会で提言したいとの思いが生まれ、私が国会議員を志す直接的なきっかけにもなりました。

アフガニスタン政権の崩壊は、テロとの闘いと称して多くの民間人を殺傷し、政権の腐敗と米軍依存の構造を作ったアメリカの責任がまず問われなくてはなりません。しかし米軍をいつまでも駐留させるわけにもいきませんし、長く駐留しても結局は同じ結末になったでしょう。アメリカだけでなく、長い期間、様々な外国によって蹂躙された歴史が今のアフガニスタンの状況を作っていることを考えると、国際社会には同様に大きな責任があると思います。

政権崩壊のニュースが大きく報道された16日、アフガニスタンの中でも特に過酷な迫害を受けているハザラ族の女性と娘さんに相談を受けました。以前、街頭活動中に通りがかったので少し話したのですが、現地でタリバンによる殺害や拷問の恐怖に直面している親族を救うため、日本に招くにはどうすればいいのか、改めてゆっくり話を聞くことになりました。とても聡明で日本語も堪能な娘さんと、お母さんが、現地から送られてくるタリバンによる脅迫や残虐行為を伝えるメールや写真を見ながら訴える現地の状況に衝撃を受けました。彼らは途方もない不安と恐怖の中にいると痛感しました。

私が首藤信彦衆議院議員の政策秘書をしていた2001年、同じハザラ族のヒサールさんという方の難民申請やあまりにも酷い入管の扱いの改善に向けて協力したことがあります。今、彼は同じ境遇のアフガニスタン人、特にハザラ族の方々を熱心に支援していますので、ヒューマンライツウォッチの土井香苗代表に連絡を取って彼の連絡先を調べ、まず彼に相談に乗ってもらうことにしました。

タリバンは今のところ、融和的な政権運営をアピールしているようです。この方針を継続するよう国際社会は力と英知を結集すべきです。しかし、タリバンは極端なイスラム法の解釈を行い、女性の人権を軽視し、文化や宗派が異なる人々を暴力と恐怖で支配する統治を行ってきました。特にハザラ族などシーア派でペルシャ語系の言葉を使う人々から状況を聞くと、タリバンによる人権蹂躙が予告され、すでに様々な残虐行為が行われていると口を揃えます。この状況を座視することはできません。

こんな世界を変えるためにジャーナリストになって、将来は政治家になりたいと語る女の子と話していると、まさに今、私自身が置かれた状況で何をすべきか、より明確になりました。












終戦から76年。戦争と和解についてアジア的価値観による解決手法を考察

2021年08月15日 22時50分01秒 | 政治
今日は終戦記念日。激しい雨が上がったので午後5時間の街頭活動をして戻ってきたところです。今日は戦争と和解について考えてみたいと思います。

私は戦争と和解をテーマに列国議員同盟(IPU)の一員として演説をしたことがあります。(2012年10月。カナダ・ケベック)

私は紛争国の民主的な選挙支援や、除隊兵士の自立支援などに長く従事していました。スピーチでは、戦争中に行われた様々な行為について真実を明らかにすること、そして正当な裁きを行うこと、つまり『正義の回復』が非常に重要であることは当然であるとともに、アジア的な『赦し』の思想が新たな局面を生み出すためには重要ではないかとの問題提起です。これはもちろん、加害者の側の責任をあいまいにすることではありません。

スリランカ(当時はセイロン)のジャヤワルダネ元大統領(当時は大蔵大臣)は、1951年のサンフランシスコ講和会議において、「憎悪は憎悪によって消え去るものではなく、ただ慈愛によって消え去るものである(hatred ceases not by hatred, but by love)」という仏陀の言葉を引用し、対日賠償請求権を放棄しました。

「戦争は戦争として、終わった。もう過去のことである。我々は仏教徒である。やられたらやり返す、憎しみを憎しみで返すだけでは、いつまでたっても戦争は終わらない。憎しみで返せば、憎しみが日本側に生まれ、新たな憎しみの戦いになって戦争が起きる」

「戦争に対して憎しみとして返すのではなく、優しさ、慈愛で返せば平和になり、戦争が止んで、元の平和になる。戦争は過去の歴史である。もう憎しみは忘れて、慈愛で返していこう。」

 対日賠償請求権の放棄を明らかにするとともに、わが国を国際社会の一員として受け入れるよう訴える演説を行いました。

「日本に今、この段階で平和を与えるべきではない」「日本は南北に分割して統治すべき」など、さまざまな対日強硬論が中心であった中、この演説は多くのリーダーの心を動かしました。ドイツが東西に分割されたことなどを考えるとジャヤワルダナ大統領は私たち日本人にとっての恩人と言えるでしょう。
こんな歴史的事実も踏まえて紛争と和解についてスピーチをしたところ、スリランカからの議員団は立ち上がって大きな拍手をしてくれました。残念ながら多くの日本人が知らないこの事実を、私は教育の場でも教えるべきだと思っています。
 2013年、スリランカ仏教において大きな役割を果たしたダルマパーラ師の生誕150周年記念式典に招かれ、アントニオ猪木参議院議員とともに参加しました。猪木議員のツテでスリランカ最大のテレビ局(マハラジャ・グループ)の会長にスタジオに招いて頂いたので、このことをお話しし、スリランカの方々に日本人として改めてお礼を申し上げたいとお願いしたところ、会長の鶴の一声で私のメッセージが放送されることになりました。その日はちょうど中国の周近平主席がスリランカを訪問し首脳会談をした当日。現地のニュースはその話題でいっぱいでしたが、ゴールデンタイムのニュースの中で放送して頂き、冒頭のジャヤワルダナ大統領の言葉を引用して、アジア的価値観、仏教的価値観に基づいた紛争解決の新しい手法について提案することができました。不断に真実の解明を行う責任、赦しによってさらに重くなる責任をどのように果たしていくか、そこに国家としての責任や誇りも問われると思います。

こんなことを思いながらスリランカ人のウィシュマ・サンダマリさんが名古屋入管の施設で体調を崩し、今年3月、死亡した事件について思いを巡らせています。ウィシュマさんの収容中の様子を撮影した監視カメラの映像は遺族に対して開示したとのことですが、国会にも公開し、再発の防止、非人道的な行為を繰り返す入管の在り方について徹底した対策を行うきっかけにすべきです。事実を解明するより隠すことを優先する政府の姿勢には到底納得できません。ジャヤワルダネ元大統領の崇高な姿勢、そしてスピーチを思うとなおさらです。

写真1 アントニオ猪木議員とマハラジャのTVスタジオで
写真2 日本を代表してスピーチした中林美恵子議員と私
写真3 今日の『走るさかぐち』
写真4 ダルマパーラ師の記念式典で









『走るさかぐちの歌』街宣バージョン

2021年08月07日 18時07分47秒 | 政治
 先日、私の活動を応援して下さっている入君京子さんが、『走るさかぐちの歌』街宣バージョンを作曲してくれました。一緒に収録し、路上での『熱闘ストリート民主主義』の写真を中心に、様々な活動の写真を載せて動画にしました。

 音楽教室を主宰しシンガーソングライターでもある入君さんとは、弾き語りと絵本の朗読の会をこれまで何度も実施しています。絵本『中田厚仁物語』を何度も一緒に読み、平和について皆さんと一緒に考える機会を作ってきました。オリジナル応援ソングを作ってもらえるなんて本当に感激です。

『走るさかぐちの歌』街頭活動バージョン


 https://www.facebook.com/naoto.sakaguchi.12/videos/523324168993773(上記で聴けない場合はこちらから)


最後に1票差で勝つためにーオリンピック選手から学ぶこと

2021年08月07日 17時02分46秒 | 政治
 解散総選挙は早くて10月、遅くて11月。衆議院議員の任期は4年ですから総選挙に向けた闘いはオリンピックと通じるものがあります。違いは、選挙は大きな組織や追い風を受けるとそれだけで当選してしまうことがある一方、オリンピック選手は血の滲む努力を重ね、自分の力でギリギリの闘いを勝ち抜く必要があります。大きな組織も追い風もない私が勝ち抜くにはオリンピック選手並みの努力が必要と思いますが、状況を打開するため自分自身が日々全力を注ぐ境遇こそ、政治家を育てる上で不可欠のものと実感します。

 オリンピックも残すところあと一日。新型コロナウイルスの感染拡大が爆発的に広がる中、選手たちは普段は感じる必要のない葛藤やストレスを感じながらの日々だったと思います。そんな中での全力プレーには心打たれます。

 早稲田大学で空手をしていた時、出場した全国大会で圧倒的な強さで優勝したのは、当時の世界チャンピオン、西村誠司選手でした。突きや蹴りのあまりの速さに圧倒されました。今回、息子さんで金メダルが期待されていた西村拳選手が東京オリンピックに出場するとのことで注目をしていました。結果は残り0.1秒で逆転負け。本人にも父親にも悔やみきれない無念の結果だったと思います。一方、最後まで諦めず逆転した相手選手の精神力には感銘を受けました。

 競技を問わず、4年に一度の夢の舞台で最後の最後まで闘い抜く熱い闘いからは多くを感じ、学びます。

 私の闘いも最後に1票差で勝つつもりで粘り抜く決意です。(写真は早稲田大学の卒業アルバムから)