阪口直人の「心にかける橋」

衆議院議員としての政治活動や、専門分野の平和構築活動、また、趣味や日常生活についてもメッセージを発信します。

再挑戦に向けての第一歩

2006年06月28日 21時52分18秒 | 政治

 皆さん、こんにちは。阪口直人です。

 神奈川17区総支部代表を辞任して、改めて国会議員公募に応じることをお伝えしましたが、今日、応募書類を提出しました。おそらく大変な倍率になると思いますが、「政治を変えるため、私が取り組みたいこと」というテーマに思いの限りを込めて、応募作文を綴りました。

 私はもともと公募に応じての衆議院議員候補者だったので、ゼロからのスタートでした。今回、再出発するにあたって、このブログ上でも多くの方々から激励を頂いたこと、感謝申し上げます。ウクライナやインドネシアからも応援して頂いて本当に嬉しかったです。皆さんに応援して頂くよろこびを力に、もう一度、力の限り挑戦します。

 阪口 直人  
  

中田英寿はイチローになれなかったのか?

2006年06月26日 23時00分47秒 | スポーツ
 One for all, all for one.

 ワールドカップにおける日本チームの惨敗は、この言葉に象徴される「チームとしての価値観の共有」に失敗したことが大きな要因に思える。

 さて、大会が始まる前、「中田英寿はイチローになれるのか」というようなテーマの記事を多く読んだ。

 サッカーと野球。分野は違っても、これまでは二人とも、黙々と自分の仕事をする孤高の天才のイメージだった。

 しかし、ワールドベースボールクラッシックで、孤高の存在だったイチローが喜怒哀楽をストレートに表現し、卓越したリーダーシップでチームを引っ張ったこと、また、イチローを中心に世界一を勝ち取った日本チームの結束があまりにも見事だったことから、今度は中田へと期待が高まったのも無理はない。

 もちろん中田英寿はイチローとは別の人格であり、イチローになる必要はないけれど、キャプテンの宮本がいるにも関わらず、中田のリーダーシップが注目されたことは、リーダー論として見ても興味深かった。

 ところが、報道で知る限り、中田はチームに溶け込む努力はしたけれど、誰も彼のやり方にはついて行けず、チームからはすっかり浮いてしまっていたようだ。W杯に賭ける思いの違いにフラストレーションを募らせ、途中からは、「勝手にしろ」とばかり、仲間とは完全に壁を作ってしまった。そんな報道が繰り返されるたびに不信感が生まれ、ますます中田は孤立する。その悪循環が日本代表からエネルギーを奪ってしまったのではないか。

 私は良いリーダーの条件として、まわりを輝かせる能力を持っていることが重要だと思う。自分たちの部下の輝きに照らされてこそ、リーダーの存在も輝く。しかし、中田は結果として逆の状況を作ってしまったようだ。

 もっとも、ふたりが置かれた状況、そして野球とサッカーの競技自体の違いも考慮しなくてはならない。

 84年ぶりにメジャーリーグの安打記録を塗り替えたイチローは32歳にしてすでに伝説である。川崎や青木、西岡などの若手選手を中心に、全員が憧れ、少しでも近づこうとすることでチームに運動エネルギーが生まれた。イチローのプレーの質は明らかに他の選手とは違う。そんな彼がチームに飛び込み、あくまでも熱く、時におちゃめにメッセージを伝え続けた。それを嬉々として受け入れた他の選手によって、イチローのリーダーシップも輝いた。

 一方、ヨーロッパではなかなか出場機会さえもない中田。彼が代表チームに入るたびに不協和音が生じ、また、ジーコ監督がそんな中田を重用することで、チームには不満が渦巻いた。また、容赦なく仲間を批判する彼の言葉も、挑発的、独善的に響いた。

 その結果が一次リーグでのあまりにも惨めな敗退。

 守備も攻撃も役割がしっかりと決まっている野球とは違って、サッカーはゲームの展開に合わせて、様々な役割を演じなくてはならない。試合を観る限り、中田は誰よりも走り、ボールを奪う「土」の役割を演じていた。しかし、FWが機能せず、勝つためには中田自身が「花」にもならなければならない。そんな役割が、代表チームの中で破綻してしまったこと、それが何とも気の毒に見えた。

 One for all, all for one.

 これはラグビーにおけるチームプレーの精神をあらわす言葉だ。ラグビーにおいては、才能のきらめきを持った選手とともに、痛いプレー、地味なプレーをひたひたとやり抜く選手、つまり「土」に徹する選手がより多く必要だ。昨年、私を感動させてくれた早稲田大学のラグビーチームでは、それまでは「花」のひとりであった佐々木隆道が、キャプテンになってからは「土」に徹し、背中でチームを引っ張る役割に徹していたことが印象的だった。

 日本チームは一次リーグで惨敗。中田英寿は、期待されていた「イチロー」にはなれなかった。しかし、彼が最後まで黙々と走り、チームメートを鼓舞し続け、最後はピッチに倒れ込んで号泣していた姿、それは皮肉にも、今大会の日本チームが見せた、唯一心に響くシーンだったような気がする。


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若手経営者との会合

2006年06月22日 19時42分28秒 | 政治

 昨日は、浅尾慶一郎参議院議員と共に、コンピューターのソフト開発と販売を行なうベンチャー企業の若手経営者の方と会食し、また、ビジネスの現場を案内して頂きました。

 経営者の方からは、発展途上国のIT技術者が日本の企業で活躍する機会を創出するプロジェクトへの、熱い思いと可能性を伺いました。私自身が関わっていく可能性についても、話し合いましたが、私の専門分野や経験とも密接に関わる仕事と感じました。また、持続的に働ける環境を整備することで、双方に、また、お互いの国に対しても貢献できるプロジェクトになることを確信しました。

 それにしても、カリスマ的な業績を上げている若手経営者の方が発散するエネルギーは、政治家が持っているオーラともまた違った大変魅力的なものでした。また、ビジネス社会特有のスピード感も非常に刺激的でした。政治やNGO活動にも、もっと取り入れていかなくてはと痛感しました。

 
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もちろん、NEVER NEVER NEVER SURRENDER!

2006年06月21日 00時08分54秒 | 政治
 皆さん、こんにちは。阪口直人です。

 このたび民主党神奈川県第17区総支部代表を辞任することになりました。

 もっとも政治活動を辞めるわけではありません。事務所、住居は引き続き小田原に構え、国政を目指して活動を続けます。

 民主党には、2度落選した新人候補者は原則として公認しないという規約があります。もっとも、他の選挙区ではごく稀に例外もあり、神奈川17区のような選挙区では簡単に結果を出すことは難しいこともあって、事務所も継続し、活動を続けてきました。しかし、党本部から、再挑戦を目指す人は、一旦、総支部代表の辞任届けを出した上で、改めて民主党の候補者公募に応募して下さいとの連絡があり、このような運びとなりました。

 次回総選挙に向け、挑戦は続けますので、ご心配なく! まずは民主党の公認を得られるように頑張りますので、今後とも応援してくださいね。

 
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大切なものを守り切る文化

2006年06月18日 10時49分57秒 | スポーツ
 「ワールドカップ、私の視点」へのコメント、ありがとうございます。

 サッカーを通して見る各国の文化や国民性を感じること、それはワールドカップの楽しみだと思います。もっともTVの報道は騒いでいる人たちを映すのが殆どで、なかなかそんな様子が伝わらないのは残念なことです。
 
 対戦国があらゆる戦術・インテリジェンスを駆使して戦う様子、そこに文化を感じるのは楽しいですね。とりわけ、弱そうな国が戦術や精神性において上回り、スター選手のいる強豪チームを倒すのを応援するのは快感です。高校野球を観る視点に近いかもしれません。

 今年のラグビー日本選手権で早稲田大学が社会人の強豪・トヨタ自動車と闘った時、遥かに大きく強い相手にインテリジェンスを駆使した展開でリードを奪い、最後は魂のタックルを連発して守り切って勝った試合には本当に感動しました。でも、日本には「大切なものを守り切る文化」が希薄なのかもしれません。後半39分から3点を奪われ惨敗したオーストラリア戦を観て強く感じました。

 守ることと停滞は対極です。本当に守るために必要なのは「打破する勇気」だと思います。政治も同じですが。

 今日は決勝トーナメントへ生き残りを賭けたクロアチア戦。過酷な内戦を経て独立を勝ち取り、民族のアイデンティティーを守った歴史を選手も経験したクロアチア。この点で勝てるかどうか、注目して観戦したいと思います。


 写真:墓地になったサラエボのサッカー場 大塚敦子氏HP(http://atsukophoto.com/photo/column4.html#top)より 


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ワールドカップ、私の視点

2006年06月14日 19時01分54秒 | スポーツ
 1996年、選挙指導員として活動していたボスニア・ヘルツェゴビナの首都・サラエボで、こんな小噺を聞いたことがあります。

 「君の兄さんは何してる?」「サッカー場でゴールを守ってるよ」「父さんは?」「観客席で応援してる」過酷な内戦が続き、セルビア人勢力に包囲されたサラエボでは、周辺の山々から銃弾が降り注ぎ、多くの市民が犠牲になりました。オリンピック会場やサッカー場まで墓地になり、犠牲者が埋葬されました。これはそんな状況を表し、また少しでも悲しみを忘れようとする小噺ですね。

 90年のイタリア大会でマラドーナを翻弄し、世界的なスターになったストイコビッチはユーゴスラビアの国民的英雄でしたが、内戦によって民族は引き裂かれ、セルビア人の彼は、ボスニアでは敵意の対象になっていたようでした。
 
 しかし、彼もまた戦争の被害者です。ユーゴスラビアチームは国際サッカー連盟から排除され、タレントが揃い優勝さえ期待された94年は予選を戦うこともできませんでした。コソボ内戦に伴うNATOのユーゴ空爆の時、試合でゴールを決めた後、ユニフォームをたくし上げ、Stop Strikeと書かれたTシャツを見せながらピッチで咆哮していた姿も忘れられません。

 そんな経緯もあって、ワールドカップでは、内戦や圧制から立ち上がろうとしている国、サッカーによって国民の心がひとつになり、内戦や混乱から立ち直るきっかけが生まれそうな国を応援することにしています。

 そんな視点で私が応援している国は、旧ユーゴスラビアのセルビア・モンテネグロとクロアチア、今なお内戦の色が濃いアンゴラ、そして今夜初戦を戦うウクライナです。 
 
 キエフを訪ねた時、多くの人たちがワールドカップへの初出場に期待を募らせ、世界屈指のストライカー、シェフチェンコの活躍を楽しみにしていました。オレンジ革命で真っ二つに割れ、未だ政治的な混乱が続くウクライナ。代表チームの活躍は、国民が心をひとつにできる素晴らしい機会だと思います。

 シェフチェンコはチェルノブイリ原発事故の被災者など困っている人々を助ける活動にも積極的で、将来は大統領に!と期待する人も多いそうです。世界最高レベルの選手が人間的にも尊敬を集めているとは嬉しいことですよね。シェフチェンコが活躍してウクライナが快進撃をすることになれば、本当に将来、国の指導者へと、国民の思いが高まるかもしれません。こんな視点で応援するのも楽しいでしょ!?

 写真:「セルビア人をやっつけろ!」戦争ごっこをするボスニアの子供たち 

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早稲田大学での講義

2006年06月10日 22時52分30秒 | ボランティア
 昨日は早稲田大学で講義をしました。

 平和構築についての連続講義で、私は「民主化支援と国際選挙監視活動」というテーマで話をしました。私はこれまで9ヶ国、14回の紛争地での選挙監視活動経験がありますが、平和プロセスにおける選挙実施の意義を高め、同時に、選挙がもたらす負の影響をどのように最小化できるのか、市民が寄与できる活動の可能性をテーマに話をしました。

 これまで、多くの大学やシンポジウムなどで講義や講演をしましたが、母校で講義をするのは初めてだったので、とても感慨深く、楽しいひと時でした。

 今日、話していて自分自身で感じたこと、それは、このような授業をしていても演説のような話し方をする癖がついてしまっていることです。演説をする時は、ある争点について、それを解決するエネルギーや意思を伝えること、つまりオーラを伝えることを目的にしますが、学会やシンポジウムでは論理的に、説明的に話すのが一般的です。
 授業の場合は何よりも、「対話」を重視して話すことにしているのですが、昨日は最初からテンションが高すぎて、なかなか途中では修正できませんでした。パワーポイントやビデオ、インドネシアやアフガニスタン選挙のスライドを見せて話したので、学生は目線も変わって救われたと思いますが・・・。伝えたいことに対しては、拳を振り上げながら声のトーンを上げて話すことが習慣になってしまっていて、前の方に座っていた女子学生が、そのたびにおかしそうにニヤリと笑っていました。あまりこんな先生はいないのかもしれません。

 多くの学生が授業の後も列を作って質問してくれたこと、とても鋭い問題意識と、平和構築の現場で活動する強い意志をもっていることを嬉しく思いました。私の著書「心にかける橋」の読者がいたことにも驚きました。

 次回は「平和構築と除隊兵士支援」というテーマで話すことになっています。


 写真:アフガニスタン大統領選挙(2004年)投票所のスタッフと



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ナイロビの蜂

2006年06月04日 10時20分41秒 | ボランティア
 先日、ナイロビの蜂(The Constant Gardener)というイギリス映画を観ました。

 ナイロビに駐在している外交官ジャスティンと、人道活動家の妻テッサの愛の物語なのですが、とても重い社会派映画としての側面もあり、考えさせられました。

 この映画は、テッサが不慮の死を遂げるところから始まります。事なかれ主義で、庭いじり以外何も興味のなかったジャスティンが、テッサの足跡をたどる中で、彼女が危険を冒しながら貧しい人々を実験台にした製薬会社の結核治療薬治験を追及していたことを知ります。彼女の愛の大きさと勇気を知ったジャスティンは、しかし、同様に命を狙われ天国の妻のもとへと旅立つ・・・そんなストーリーです。

 私も国連ボランティアとして南部アフリカのモザンビークで活動していたことがありますが、この映画の様々なシーンと同じ経験を何度も味わいました。例えば結核治療帰りの貧しい女性が赤ん坊を抱きながら灼熱の太陽の下を歩いているシーン。車で通りかかったテッサはジャスティンに「乗せてあげて!」と声を張り上げますが、ジャスティンは「目の前の一人を助けたところでどうするんだ。同じ人は、他にも沢山いるんだ」とはねつけます。確かに、みんなが歩いている中、特定の人を乗せる行為は不公平と受け止められ、住民同士の軋轢を生む可能性さえあります。また、国連と同様、外務省のような組織では、現地の人を同乗させることは恐らく禁止されているのでしょう。しかし、せめて目の前の人を助けることをせずに、何ができるのか? そんな葛藤に苦しみながら、私自身緊急性や、必要性の度合いなどを考えながらその都度、対応していたことを思い出しました。全ての人を乗せることも、本当に困っている人を断ることもできない。そして、自分の本来の仕事は別にある・・・そんな状況で、どんな行為が人々との信頼関係を築き、より人間的な行為なのか、そこに決まった答えはなく、その場その場で判断していく他なかったように思います。

 そのジャスティンはティサが殺された地域に行くため、国連食糧計画(WFP)の飛行機で村を訪れた時、村が襲撃され、ジャスティンは現地の子供と一緒にようやく国連機まで辿り着きます。彼はその子を救うため、国連機のパイロット懇願するのですが、「規則で援助関係者以外は乗せられない」と断られてしまうのです。私自身も拙著「心にかける橋」(学陽書房)の中で、私の任地の村(ラタナキリ州ボケオ村)に住む、重度のマラリア患者を国連のロシア人パイロットと大喧嘩をした挙句、緊急の輸血を行うため病院まで乗せてもらったカンボジアでの体験を書きました。瀕死の状態だった患者が無事戻ってきた時の安堵感とともに、同じケースが起こった時に、いつも同様の対応はできないことを痛感し、村でマラリア患者が危険な状態に陥るたびにその家族の視線を痛いほどに感じる毎日でした。

 この映画で描かれているように、巨大製薬会社が企業間競争に勝つため政府と癒着して人体実験を行う行為、それは許されない人道上の罪だと思います。その一方で、死に瀕した人間が少しでも助かる可能性があるなら、安全性が確認されていない薬であっても飲んで治したい。そんな切実な現場の要望があるのもまた事実なのです。私の知人の医者が、「医者の腕は手術の回数に比例する。だから、若いうちに失敗しても責任が問われない国で経験を積ませる制度を作ってはどうか?」と政策提言をしてくれたことがありました。私は素直に頷くことはできませんでしたが、少なくとも、誰も行かないことで見捨てられる患者の一部は助かり、また、その経験によって、日本に戻った後の治療にも生かせるならばメリットはあるのです。何が正しい対応なのか、日本での常識は、現場での圧倒的な貧困と、人間の尊厳の危機の前では意味をなさないことを、私自身何度も思い知りました。

 自分の中では少し遠くなってしまっていたアフリカでの日々。しかし、その当時の葛藤と政治を志した原点を再び認識し、いろんなことを考えさせられた映画でした。

 写真:建築現場で資材を運ぶモザンビークの子供(1994年撮影)


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秦野市長・古谷義幸氏を訪ねて

2006年06月03日 13時50分37秒 | 政治
 昨夜は、友人の秦野市長・古谷義幸氏を自宅に訪ねました。

 大先輩である古谷さんを友人とは全くおこがましい話なのですが、古谷さん自身が、公的な場でいつも私を「僕の友人」と紹介して下さり、かつ、いつもざっくばらんに話せる関係を作って下さるので、私も友人として付き合わせてもらっています。

 激務の中、貴重な時間を割いて下さった古谷さんと話していて実感したこと、それは、地位が人を作ること、そして、4年の浪人生活を経て就任した市長の仕事に人生を賭けて取り組んでいることでした。
 
 古谷さんには私の選挙対策本部長を務めて頂いたこともあります。市長選挙を控え、あらゆる票を取り込みたい無所属の立場でありながら民主党候補の選対本部長を受けることは、大きなリスクだったと思います。しかし、「よその国の平和のために地べたを這って頑張ってきた阪口君だからこそ、応援しなくてはならないんです」いつもこんな演説で、雑音を封じ込め、一貫して支援・応援をして下さいました。私が奮い立ったのは言うまでもありません。
 
 これほどの「友情」に応えないわけにはいきません。今年1月の市長選では、私も連日街頭に立ち、合計150回近く街頭演説をさせて頂きました。それがどの程度勝利につながったかどうかはわかりませんが、私がいつも演説の中で紹介した「古谷マニフェスト」を実現する決意をいっそう強くしたこと、それは確信しています。

 私が昨夜感じたのは、たとえ一期4年で終わることになっても、将来、古谷市長がいたから秦野は良くなったと言える仕事をする決意です。たとえ、選挙でお世話になった業者であっても、市にとって不要と思えば切っていること、市の将来に必要であれば、住民に土下座してでも実現させること、また、選挙戦のライバルを要職に就けたことに対しても、市のためであれば、協力し合うのは当然のこと! と言い切る姿は、気概にあふれ本当に頼もしく映りました。

 そんな古谷市長を、私も温かく、厳しく見守っていきたいと思います。しかし、私にできる最大の応援は、市民派の首長の方々が政策を実現できるような連携を国政と構築することですね。改めて自分の役割が明確になったように思います。

 古谷さん、ともに頑張りましょう!!

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