阪口直人の「心にかける橋」

衆議院議員としての政治活動や、専門分野の平和構築活動、また、趣味や日常生活についてもメッセージを発信します。

『リスクが高まることはない』は有り得ない-安全保障関連法案の特別委員会を傍聴して

2015年05月28日 09時09分56秒 | 政治

 昨日は、国会で目覚しい活躍をしている維新の党の議員から、紛争地域で活動していた視点で政府の安全保障関連法案について問題点を指摘して欲しいとありがたい申し出を受け、5ヶ月ぶりに国会に。私なりの問題意識をお話しました。この点についてはタイミングを見て、書いていこうと思います。

 さて、昨日から安全保障関連11法案に関する特別委員会での審議が始まりました。松野代表と柿沢幹事長の質疑を委員会室で傍聴したのですが、両委員の追及に対する総理の答弁は、完全に破綻していました。「自衛隊員のリスクが高まることはない」と決めつけた本人、および中谷防衛大臣の発言に縛られて、論理のすり替え、ごまかしの連続。「丁寧に説明する」と、実は時間稼ぎのための原稿の棒読み時間が異様に長い状況に、不安を感じた人も多かったと思います。「リスクが高まることはない」という安倍総理の説明の矛盾点について、現場の視点で指摘したいと思います。
 

① 当該国の国民からの憎悪の感情がもたらすリスク

 集団的自衛権の行使は、対象国からすれば『売られてもいないケンカを自分から買いにきた』ことでもあり、その国の国民から激しい憎悪の感情を持たれるリスクがある。また、テロリストの攻撃対象になる可能性も高まる。襲撃してきた武装勢力に自衛的措置を行えば、たとえその場では「正義」の行動であっても、相手は攻撃を受けたと解釈する。また、民間人が巻き添えを食う事態になれば憎しみ、報復の連鎖が生じる可能性が高い。自衛隊員のみならず、現地にいる日本の民間人も報復のターゲットになる可能性が生まれる。

②非戦闘地域から「現に戦闘が行われている地域以外」への拡大リスク

 自衛隊が活動したイラクのサマワ、カンボジアのタケオ州などは、例外的に治安上の問題はあまりない地域とされていた。一方、安全な地域に引きこもり状態では十分な貢献が出来ないとの問題意識によって、後方支援、非戦闘地域のみだった活動範囲を飛躍的に拡大することとなった。戦闘現場になりうる可能性があれば、速やかに作業を中止する、あるいは退避すると定めているので安全と首相は答弁(岡田代表との党首討論)しているが、現場では、このような考えは通用しない。

 今回の法律が制定されれば武器や弾薬、また武装した兵士も運べる。つまり、自衛隊は自分たちを殺すための兵器や人員を運ぶ。相手からみれば敵そのものであり、当然攻撃のターゲットになる。攻撃側は被害を受ければ派遣国の世論が揺れることを知っているので、戦闘が行われていない地域で活動していても攻撃対象になる。また、テロリストに狙われる可能性が増大する。現在戦闘が行われていないから安全とは、全く戦場のリアリティとはかけ離れた考え。自衛隊員の命を預かる最高責任者の説明としては全く無責任。

 総理に聞きたい。リスクがないと断言したのに自衛隊員、民間人に犠牲が出た場合はどのように責任を取るのか。戦争になれば必ず人は死ぬ。武力の行使をすれば外国人を殺傷し、民間人も巻き添えにする可能性が生まれる。自衛隊法施行規則39条には「我が国を防衛するために」「危険をかえりみず」「身をもって職務の完遂に努め」と宣誓するとあるが、実際に戦闘行為に従事することまでは想定していない隊員も多い。『命令を下す立場』としての安倍総理の覚悟の示し方は、まず、命のリスクは高まるけれど必要だと、本質に誠実に向き合うことが出発点ではないのか。


厳しい追及をする柿沢幹事長


原稿を読む時間が長い安倍総理


こんな時に自分がこの場にいられないのは痛恨ですが、今回は本当にありがたい申し出でした。日本にとってのターニングポイントですから、党派を超えて問題提起をしていきたいと思います。



キルギス・シルクロード国際マラソンと『シルクロード経済圏構想』②

2015年05月22日 22時47分17秒 | ボランティア

 今回のマラソンで一番嬉しかったこと、それは、「恩人であるアントニオ猪木議員にお礼を伝えたい!」とのオルズベック・ナザロフ元議員との4年前の約束に応えて、首都から遠く離れたイシククル湖畔まで猪木議員と同行できたことです。私は1990~1992年にかけて協栄ジムで彼と一緒に練習したボクシングの仲間でもあり、キルギス最初の、そして唯一の世界チャンピオンにもなった国民的英雄です。彼が日本に来るきっかけは1989年、猪木さんが『ペレストロイカ・ボクサー』として旧ソ連の実力者だったナザロフ氏をスカウトしたことがきっかけでした。3人の友情を育むことができ、マラソンの開会式の舞台でキルギスの多くの方々にもこのストーリーを伝えることができ、素晴らしい機会になりました。

 私自身は、大会のアドバイザーとして開会式や表彰式で挨拶や賞品の授与を担当させてもらった他、『コスチューム・ラン』の部(5キロ)を走りました。最初はハーフマラソンを走る予定だったのですが、3月31日に椎間板ヘルニアと診断されて無理はできないと判断し、予定を変更しました。(統一地方選挙の応援をしながら気合で治しました!)結果はこちらで優勝し、表彰する予定が表彰もされることになりました!!

 もう一つ、嬉しいことがありました。3年前のレース中に、近くの村で生まれた男の子と再会したのです。その父親と村長は、大会の実行委員長でもあった私の名前をつけてもいいですか?と聞きに来ました。嬉しいのですが、いくらなんでもナオトでは苛められるかもしれない。キルギス人に相応しい名前の方がいいはずと思い、いくつか候補を挙げてもらった中で私が決めることになりました。私に似た名前「ナルボト(昔の皇帝の名前)」をはじめ、いくつかの候補を挙げてもらいましたが、その中で私が選んで「クバヌチベック」という名前になりました。キルギス語で「幸せ」「喜び」という意味のこの名前。世界一美しい湖畔で、世界一幸せな大会の日に生まれた男の子に相応しい名前だと思います。

 実は、カンボジアには私の名前をつけてくれた男の子がいます。当時、平和構築活動として除隊兵士の社会復帰を支援していたのですが、バッタンバン州のKing氏の子どもがNaotoと名付けられました。何とキング・ナオト君です!しばらく会っていないのですが、今はどうしているのでしょう。会いに行きたいものです。


アントニオ猪木議員、ナザロフ氏と一緒に


マラソンの号砲はもちろん「1・2・3・ダー!」でした!


今回唯一?のレース中の写真です。100人以上の沿道の方々とハイタッチをして、マスクをつけたり外したり・・・。忙しいマラソンでした!


サマコフ議員の姪っ子、ナシカットさんと。このような写真、マラソン参加者とたぶん200枚ぐらいは撮りました!


コスチューム・ランの文化はまだまだ未熟。この格好で走れば優勝するしかなかったようです。


少し緊張気味のクバノチベック君と


13年前、King Naoto君と


サマコフ議員から贈られた民族衣装を着て。猪木議員はキルギスから帰ってすぐ、『イノキ・ゲノム』にこの格好で登場したそうです!


(デイリースポーツ新聞社の写真より)


キルギス・シルクロード国際マラソンと『シルクロード経済圏構想』①

2015年05月22日 22時20分03秒 | 政治

 大阪都構想の応援に駆け回り、報告が遅くなりましたが、5月2日にイシククル湖畔で行われた『第4回キルギス・シルクロード国際マラソン』にアントニオ猪木議員と一緒に参加しました。

 キルギスでは『走る』と言えば馬に乗って走ることが一般的。子どもが自転車に乗るように馬に乗って走っている国ですが、マラソンの実施によって人々の間に、そして子どもたちにも走る文化が生まれつつあることを実感することができました。
それにしても世界中から要人に招待されているアントニオ猪木議員が手弁当で首都から遠く離れたイシククル湖畔まで来てくれるとは、本当になんて感謝すればいいのか・・・。キルギスの人々は大感激でした!

 さて、私がこのマラソンの実施に関わってきた大きな理由のひとつは、キルギスの経済発展や民主化支援にどのように関わっていけるか、現地の政治家や人々と関係を構築してきっかけを見出すことです。日本ではあまり知られていませんが、隣接する中国の新彊ウイグル自治区は今、大きな開発のうねりの中にあります。中国が安定と繁栄を続けるためには、毎年10%近い経済成長が必要とされていますが、現在は5~6%程度に下がってきていると言われています。そのため、内陸部、そして新彊ウイグル自治区の開発を推進力として、経済成長率を回復させることが急務になっています。そのための事業として、7000メートルを超える天山山脈を抜けるトンネルを建設し、中央アジアのキルギスからヨーロッパに抜ける鉄道を建設する事業が進んでいます。さらに7000~8000メートル級が連なるカラコルム山脈をトンネルで突き抜けてパキスタンからアラビア海へ向かう道路と鉄道も、カシュガルからパキスタンに向かう『カラコルム・ハイウェイ』に沿って大規模な工事が2020年の完成を目指し工事が進んでいました。
 このような状況を活かす一方で、中国に『呑み込まれる』ことなく、独自性を活かした開発を行うにはどうするか、猪木議員、そしてキルギスの有力議員であるサマコフ議員ともども話し合いを続けました。その結果、日本の技術を活かした地熱発電を行う可能性について視察して頂くとともに、放牧に適した土地を活かし、より付加価値の高い畜産を行うための技術の移転について、政治的サポートをしていこうとの結論になりました。
アントニオ猪木議員は40年以上前に『アントンハイセル社』を作り、ブラジルにおけるエネルギー問題、環境問題、畜産産業の解決に尽力した経験があります。このような事業をサポートするには最適だと思います。


子ども駅伝大会の開会式で


子どもたちに走ること、そしてスポーツの楽しさを語る


子ども駅伝大会の表彰式で


子どもたちにも猪木イズムは浸透しているようです!


カラコルム山脈で。背景の7000メートルを超えるゴングール連峰


標高3800メートルのカラクリ湖で。背景はムスタグ・アタ峰(7546メートル)


カラコルム山脈を抜ける鉄道工事が進む


第一回のマラソン実行委員長をともに務めたサマコフ議員と


カシュガルの旧市街をキルギス人のビジネスマンに案内してもらう。

ここからが本当の勝負!-大阪都構想、僅差で否決

2015年05月18日 22時14分58秒 | 政治

 「既得権を守ろうとする団体を叩き潰し、納税者の側に立って府民、市民のためになる役所を一からつくりたい。東の東京都に並ぶ、西の大阪都になる。最高の政治家の夢ですよ!」

 投票を翌日に控えた16日の夜、なんば駅前での『最終演説』でこのように叫んだ橋下代表。この日の演説のクライマックスであり、魂に響く言葉でした。この言葉を待っていた!奇跡の大逆転もあり得る!! 投票日も最後の力を振り絞って活動を続け、開票結果を待ちましたが、投票者数140万6084人(投票率66.83%)のうち、賛成69万4844票に対し、反対は70万5585票。僅か1万741票差で大阪都構想は否決されました。歴史を作る一日と思っていただけに、失望、落胆の思いは自分自身が落選した時よりも遥かに大きなものでした。

 実はその前日の夜、橋下市長にメールを送っていました。読んで頂いていたのかどうか、わかりません。でも、最後の演説は、理路整然としたプレゼンテーションではなく、反対派に対する反論でもなく、橋下徹の原点である夢を語って欲しいと強くお願いをしました。「僕は、大阪を日本一の町にしたい。いつまでも日本の二番目、三番目ではなく、住民が日本一幸せと思える町にしたい。お笑いしかない、たこ焼きしかないと思ってる国民も多い。でも、大阪は日本のトップランナーになれることを僕は見せたい。皆さんと一緒に大阪の未来を守る。そのための制度作りが大阪都構想。それが実現するか、5月17日の皆さんの意思にかかってるんです!」こんなイメージで語ってもらえたら!とメールを書いたのでした。繰り返しますが読んでもらったのかどうか、わかりません。でも、橋下市長の演説は、私の思いに近いものでした。「私には夢がある」と語ったキング牧師の演説や、「アメリカ合衆国が何をしてくれるかではなく、アメリカ合衆国に対して何ができるか考えよう!」と語ったケネディ大統領の演説を思わせる言葉に、聴いていた隣の人も「よしっ!」と叫んで痛いほど拍手をしていました。魂レベルで伝わる演説だったと思います。

 大逆転を信じて、昨日は投票所の前で、朝から20時までメガフォンを持っての演説、声がけを繰り返しました。当日の出口調査の結果が、各社3~5ポイントリードと聞き、心が躍りました。「都構想『賛成』で、大阪を日本のトップランナーにしましょう」「現状維持では大阪の未来は守れません。都構想『賛成』で「都構想『賛成』で大阪の未来、日本の歴史を一緒に作りましょう!」と全ての人に心を込めてメッセージを伝え続けました。

 ホテルでは国会議員とともに開票結果に釘付けになりました。まさに大接戦。一喜一憂というようなものではなく、まさに息を呑みながら、祈るような思いで画面を見つめるひと時でした。1万票前後のリードが続きましたが、100万票近く開票された段階で、2000票のリードに接近し、89%開票の時点では300票差で逆転を許してしまいました。98%の段階で62票のリードとも出ましたが、突然出た反対決定のテロップ。結局は1万741票差で大阪都構想は否決されてしまいました。一方、吹っ切れた笑顔の橋下市長は、政界引退を表明。自分なりにやれることはやってきた。『公』にお返しをしたいと政治の世界に入った。悔いはない。大変幸せな7年半だったと言い切りました。僅差でも負けは負け。「叩き潰す」と言って潰された。大層なケンカを仕掛けて命を取られないのは民主主義というのは素晴らしい政治体制!と、サバサバした様子でした。橋下徹という全く私心のない稀有なリーダーを引退に追い込んでしまったこと、痛恨の思いです。

 私たちができること、すべきことは、70万近い、リスクを取ってでも改革を望んで下さった方々の思いに応えること、そのためには、橋下氏を失って風前の灯になったとしても改革への歩みを続けることです。そのためには、維新という政党の存在意義を再確認する作業も必要でしょう。私個人は、改革勢力を結集し、安倍政権とは徹底対決路線で臨むべきと強く感じています。


記者会見での橋下市長


反対派の方々とは呉越同舟で声をかぶせ合い、火花を散らし合う


10時間以上も一緒に立っていると、連帯意識も生まれます。しばし歓談。すぐに戦闘開始!


『桃太郎』で激励に来てくれた高井崇志議員のチーム


大阪都構想で、大阪を日本を引っ張るトップランナーに

2015年05月16日 08時10分27秒 | 政治

 大阪都構想は、いつも2番、3番だった大阪を、人口880万の世界の大都市間競争に勝てる日本のトップランナーに変える挑戦でもあります。大阪はお笑いとタコ焼きだけではない。明治維新以来の大改革を皆さんの力で実現し、世界に誇れる大阪を一緒につくりましょう!『ひとつでも疑問があれば反対を』そんな後ろ向きの発想では世界から置いてきぼり。未来は守れません。皆さん、最後の一日、徹底して夢を語ろう!

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大阪都構想の実現は未来への責任①

2015年05月08日 09時02分15秒 | 政治
 政治に携わる者として、将来、未来の世代からこれらの質問を受けた時にどのように答えられるのか、そのために自分が何をしたと言えるのか、思い悩むことがある。

・・・少子高齢化と人口減少が深刻な問題になることはわかっていたのに、なぜ政治家は何もしなかったのか?

・・・原発は事故の発生や廃棄物処理が重大な状況をもたらすことがわかっていたのに、なぜ、政治家は自分たちの世代にツケを押し付けたのか?

・・・国と地方の膨大な借金が1000兆円を超える現状に対してなぜ、政治家は何もしなかったのか?

 未来への責任を果たすという意味において、大阪都構想は、このような疑問に対する渾身の回答のひとつだと考えている。

 日本において中央集権国家としての成長はすでに終わっていることは明らかだ。長期的な衰退から脱却して、活力のある社会に変えるにはどうすればいいのか? アベノミクス? 単なるカンフル剤であり、むしろ地方を苦しめる要因ではないか。私は本質的には統治機構を変えるしか方法がないと感じている。道州制を実現して日本の各地域が特徴を活かせるような統治機関を持ち、それぞれが資金を、人材を、アイディアを、技術を世界から呼び込んで魅力を競い合う。そして行政の無駄を徹底的に排除する。私はそれが日本に新たな活力を生み出す唯一の方法であり、国と地方の膨大な借金を解決する唯一の方法だと思う。そして大阪都構想はその最初の、大きな一歩だ。

 日本にはビジョンがないと言われて久しい。一方、近隣諸国はどうか? このGW、中国が進める『シルクロード経済圏構想』の実態を視察し、ビジネスマンと意見交換をするためにキルギスから中国の新彊ウイグル自治区に入ったが、すさまじい勢いで変化が生じていることに驚愕した。

 中国の最西端、シルクロードのカシュガルは、ウルムチから2000キロ近くの距離があり、かつては3泊4日のバスの旅で入るのがほとんど唯一の方法だった。今やウルムチとの間には週に100便近い飛行機が飛び、タクラマカン砂漠に沿う町を経由する鉄道でも約20時間で結ばれている。高速バスに乗れば同じく丸一日足らずで到着する。老城と呼ばれる旧市街は再開発が進み、伝統的な手法を活かしながらも便利な構造に生まれ変わろうとしている。そして、カシュガルは、「シルクロード経済圏構想」の柱のひとつである中国とヨーロッパを結ぶ鉄道網の要衝になろうとしている。内陸部の発展のネックとなってきた輸送路の問題を乗り越え、新疆ウイグル自治区と中央アジアをトンネルでつなぎ、中国とヨーロッパを直接結ぶ壮大な計画の中心になろうとしている。さらに、カラコルム山脈を抜けてアラビア海を結ぶ鉄道建設も2020年開通を目指して工事が進んでいる。

 そこにウイグルの人々の意向がどこまで反映されているのかはわからない。内政上の様々な問題もあるだろう。しかし、中国は中央が大きな権力を持つと同時に地方を徹底的に競争させ、そこで実績を上げた地方幹部を国家の指導体制に組み入れていくシステムを持っている。この点においては地方分権が進んでいる。例えて言えば、シンガポールや香港が国内に沢山あるのが今の中国なのだ。

 良し悪しはともかく、このようなダイナミズムを持った国と競争しなくてはならない現実を考えた時に、日本だけが旧態依然とした体制でやっていけるのかどうか、非常に疑問だ。

 大阪都構想になれば直ちにバラ色の未来がやってくるとは言わない。しかし、日本という国が近隣諸国との競争に負けないため、地方が特長を活かして魅力を競い合い、投資と人材を呼び込んで活力を得て、国家財政の問題にも寄与する。そのために他の方法が見当たらない以上、この構想をつぶしてしまったら、それは未来の世代に対する裏切りではないかとさえ、私は思う。