阪口直人の「心にかける橋」

衆議院議員としての政治活動や、専門分野の平和構築活動、また、趣味や日常生活についてもメッセージを発信します。

PKOの駆け付け警護に伴うリスクについて外務委員会で質問

2014年05月31日 00時40分40秒 | 政治

 今日は集団的自衛権について外務委員会で質問。岸田文雄外務大臣、武田良太防衛副大臣、小泉進次郎内閣府政務官との対決でした。

PKOの駆け付け警護に伴うリスクについて外務委員会で質問 衆議院インターネットTV(5月30日) 

 ストックホルム日朝外務省局長協議において北朝鮮が包括的かつ全面的な再調査の実施を約束したこと、これは大きな前進だと思います。

 一方、「全ての拉致被害者の家族がお子さんたちを抱きしめる日が来るまで私たちの使命は終わらない」との安倍総理のメッセージ、総理らしい国民受けを狙った言葉ですが、誤ったメッセージにもなり得ます。拉致被害者だけではなく、失踪した人々、また1959年からの帰国事業で北朝鮮に行き、生きてもう一度日本に戻りたいと切望する日本人配偶者、また戦後何らかの理由で北朝鮮に取り残された残留日本人など全ての日本国籍を持った方々の帰国を実現する強い意志を持って交渉することを要望しました。

 先日中朝国境地帯に行って感じたことは、北朝鮮は金正恩体制になり、軍事一辺倒だった金正日時代とは異なり「国民を食べさせていくこと」に軸足が置かれるようになったことです。そのためには国際的な経済システムの枠組みに入ることが不可欠ですから、北朝鮮も日本との関係を少しでも改善することを求めており、これらの日本人を外交カードに使おうとしています。とは言え、この機会を逃さず、何としても成果を挙げなくてはなりません。ただ、北朝鮮にはこれまでも再三茶番に付き合わされてきました。どのように実効性を担保するのか綿密な戦略が必要ですし、明確な成果なしに援助を与えることがあってはなりません。

 その後はPKOにおける「駆け付け警護」について質問。前回のブログで書いた問題意識をベースに、安倍総理の説明ではふれられていなかったリスクについて私自身の経験をもとに起こり得る様々な可能性を示し、政府によるシュミレーションがどの程度進んでいるかを確認しました。残念ながら、政府の備えはまだ極めて初期の段階であり、到底議論が尽くされていないことも実感しました。
 
 現在、PKOの形態は変化しています。武力行使権限を安保理から委託された多国籍軍と様々な協力を行うこともあるでしょう。その場合、現地の人々にとっては武力で平和執行を行う多国籍軍とPKO部隊は一体化して見えることを想定しなくてはなりません。

 紛争地域で活動する国連やNGOの要員は、そこに危険が存在することは承知した上で、現地の言葉を覚え、できる限りリスクを避けるように情報収集と地域住民との信頼醸成を図っています。従って、住民との信頼構築が必要な平和構築活動中に重装備の自衛隊が同行していてはむしろ活動が困難になるケースが多いのです。駆け付け警護が可能になることで目の前の日本人を救出できる状況が生まれ得ることも確かです。しかし、それは極めてまれなケースでしょう。その一方で、襲撃してきた武装勢力に自衛的措置を行えば、たとえその場では「正義」の行動であっても、相手は攻撃を受けたと解釈することもあるでしょう。駆け付け警護を行うことによって自衛隊、国連やNGOで活動する日本人も報復のターゲットになる可能性が生まれることも議論しなくてはなりません。

 私自身もカンボジアなどで銃撃・襲撃されたことがありますが、自分たちは丸腰であり反撃する意志はないこと、平和活動のために来ていることなどをしっかり伝えることで何とか危機を脱することができたのだと思います。一方的に駆け付けて武力行使による自衛措置を行った場合、かえって文民の命が危険にさらされることもあり得ます。

 このような様々なリスクを認識した上で、目の前の救える命は救う。重いテーマですが、この機会に徹底的に議論をしなくてはなりません。



外務委員会で小泉進次郎政務官に質問する私。今日は両院議員懇談会を抜けての質問だったので秘書による写真撮影はできず、衆議院インターネットテレビの画面を撮影しました。




分党。そして改革勢力を結集し野党再編へ

2014年05月30日 16時53分33秒 | 政治

 日本維新の会はふたつの政党に「分党」し、新たな道を歩むことになりました。私は橋下徹代表とともに行動し、維新の原点である改革政党としての使命を全うする決意です。

 私自身が維新に参加したのは橋下徹大阪市長が強力なリーダーシップで進めていた統治機構改革を実現すること、また、私自身が訴え続けてきた原発の是非を問う国民投票を実施し、脱原発経済・社会システムを構築する可能性を追求したいと思ったからです。ところが、私が維新への参加を決めた直後に太陽の党を立ち上げた石原慎太郎代表と合流。政策的に非常に保守的な考えの旧太陽の党、また旧立ち上がれ日本出身者の方々とは政策面で考えの違いもあり、改革政党として維新が掲げてきた政策の方向性が見えにくくなりました。とりわけ原発に対する考えがあいまいになったことで国民の皆さんの期待を裏切る結果になったこと、心苦しく感じていました。また、石原代表が唱える憲法破棄を前提とした自主憲法の制定は、戦後の日本の歩みを否定する事にもつながり、私の考えとは相容れません。

 したがって、私自身は今回の決定を極めて前向きに受け止めています。維新が維新であるためには、これからも実行力のある改革政党として突き抜けた存在を目指すべきです。

 一方で、政界再編を主導する役割も果たさなくてはなりません。私自身は国会においては穏健保守からリベラル勢力を結集し、脱原発の実現をはじめ既得権を打破する改革、統治機構改革による地方分権の推進、狭い国益ではなく地球益・人類益を追求し、地球社会の問題解決に貢献することで尊敬される国を目指すことが必要と訴え続けてきました。その上で、自民党に対峙できる強い野党を作ることが必要と痛感してきましたから、今回の決定は野党再編、政界再編につながるものと評価しています。

 今回は一部が出て行く「分派」ではなく「分党」。所属議員の数に応じて政党交付金を分配することが円満に合意されているのも、政界では極めて珍しいことです。全体としては「幸せな離婚」と言ってもいいのではないでしょうか。

 今後は、結いの党との合流を実現させ、民主党やみんなの党との連携へと野党再編を加速させていきます。自民党に代わり政権を担えるよう改革勢力の結集を目指していきます。




集団的自衛権、PKOの駆け付け警護についての安倍総理の説明への違和感

2014年05月23日 00時05分10秒 | 政治
 
 安倍総理は、4月15日、「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」の報告書について自ら説明をしました。その中でカンボジアの平和のために活動中に襲撃されて命を落とした国連ボランティアの中田厚仁さんと文民警察官・高田晴行警視を例に挙げ、彼らが突然武装集団に襲われたとしても日本の自衛隊は彼らを救出できない。見捨てるしかない。と、PKO活動における駆け付け警護の必要性を訴えました。

 私は領土的野心を持った外国に「付け入る隙を与えない」ための法整備と防衛力の強化は必要と考えています。また、目の前の救える命は救うことは当然と思うので、集団的自衛権やPKOにおける駆け付け警護について、あらゆる事態を想定して準備をする必要性は理解できます。

 私自身は紛争地域の平和構築が専門分野で、1992~1993年にかけては、まさに中田厚仁さんの同僚としてカンボジアで国連の平和活動を行っていました。中田厚仁さんはカンボジア内で一番危険なコンポントム州での活動を自ら志願し、村々をまわって過酷な活動を続けていました。安倍総理は「彼らが突然武装集団に襲われたとしても日本の自衛隊は救うことができない、見捨てるしかない」と説明していましたが、実際には駆け付けて間に合う位置で活動することはまずありません。紛争地域ですから私たちは危険が存在することは承知した上で、現地の言葉を覚え、できる限りリスクを避けるように情報収集をしていました。私も銃撃・襲撃されたことがありますが、自分たちは丸腰であり反撃する意志はないこと、平和活動のために来ていることなどをしっかり伝えることで危機を脱することができました。国連やNGOで活動する文民の方々も自らの命を守るために必死の自助努力をしていると思いますし、私たちも現地の人々の中に飛び込んで信頼関係を構築することが、仕事上も安全対策としても一番重要だと思っていました。従って「見捨てる」という総理の言葉に強い違和感を感じます。

 付け加えると、当時自衛隊はタケオ州などでの道路補修が任務。中田さんがいたコンポントム州との間には数百キロの距離があるため、たとえ駆け付け警護が可能であっても現実に救出は不可能でした。また高田警視は活動中、オランダ軍の護衛があったにもかかわらず殺害されました。安倍総理はその状況を説明せずに、自衛隊が警護さえすれば日本人を守ることができるかのような説明をしましたが、それは現実とは異なった認識です。

 住民との信頼構築が必要な平和構築活動中に重装備の自衛隊が同行していてはむしろ活動が困難になるケースが多いのです。一方、駆け付け警護が可能になることで目の前の日本人を助けることができる状況が生まれ得ることも確かです。しかし、それは極めてまれなケースです。その一方で、襲撃してきた武装勢力に自衛的措置を行うことがたとえその場では「正義」であったとしても、相手は攻撃を受けたと解釈することもあるでしょう。駆け付け警護によって自衛隊だけでなく、国連やNGOで活動する日本人も報復のターゲットになる可能性が生まれることも議論しなくてはなりません。撤退の条件を明確にすることも必要です。「この任務に命を捧げて下さい」と命令を下す責任者がリスクを明らかにしないのは不誠実な態度だと思います。


 安倍総理は集団的自衛権の必要性についても、自分の都合のいい解釈を続けていています。総理がパネルを使って説明した紛争国から逃れようとしている子供を乗せた米国の輸送艦にしても、戦争状態になり敵に狙われるかもしれない危険な状況の中をわざわざ輸送する行為にはリアリティーが希薄です。そのような状況になる前に退避勧告を出して飛行機などで安全な方面に脱出させるのが政府の役割だし、そもそも攻撃を受けたら個別的自衛権で対応できるはずです。子どもや赤ちゃんを前面に出し「身捨ててもいいのか」と感情に訴える手法で巧妙に世論を誘導しようとしているように思えますが、過度に感情に訴える手法は危険です。

 私自身が襲撃を受けた瞬間の記憶、今でも時々蘇ります。命の終焉を覚悟した背筋の凍るような瞬間、その後に実感したまだ生きられる喜び。それは自分にとって運命的な瞬間でした。自分の命が大切であると同時に、他人の命も同様に尊いのです。それが理不尽な戦争で奪われることがあるとすれば、何と悲しいことでしょうか。身近な人が命を奪われ、自分自身も命の危機に瀕した経験は、自分の使命を明確にしてくれました。

 2001年、アフガニスタンでの対テロ戦争を支持した小泉首相の判断によって、それまで尊敬の対象であったはずの日本人が憎悪と攻撃の対象になったこと、私自身、パキスタンの部族地域での活動中に何度も実感し、再び襲撃される可能性を常に感じていました。(ところが石破幹事長に至っては、多国籍軍への参加までも示唆しています。彼はアフガニスタンでの戦闘行為に参加しなかったことを後悔しているのでしょうか?) 平和国家・日本の分岐点になり得るのが集団的自衛権。リーダーの命令によって失われる命に対して責任を負う覚悟があるのか、安倍総理には様々な予測される事例を挙げながら、命令する立場の重さを国会で問いかけていきます。



ルームメートとして過ごした2ヶ月を終え、任地・コンポントム州に向かう中田厚仁さんとガッチリ握手



20年後、今は帰らぬ人となった中田厚仁さんと彼が殺された場所にできた「アツ小学校・中学校」で再び握手


パキスタンの部族地域での選挙支援活動を行う私。この地域はオサマ・ビン・ラディンが潜伏していると言われていたパキスタンの行政権、警察権が及ばない地域です。


身の安全のために現地の民族衣装を着て活動していました。





中朝国境で接した北朝鮮の自然や人々の暮らし

2014年05月21日 21時02分58秒 | 政治

 中朝国境では非常に印象的な多くの光景に出会いました。現地で撮った写真を通して紹介します。



朝鮮民族にとっての聖なる山、白頭山(中国名:長白山)の頂上で。年に何度とない快晴でした!



山頂のカルデラ湖、天池。こちらもめったに見ることはできないそうです。



長白山瀑布。天池の水は、鴨緑江、豆満江など中朝国境を流れる川になります。



延吉から列車で約1時間の図們(ともん)市にて。対岸の北朝鮮の山々は全く木がありません。国境の貿易業者は、中国への輸出のために切られたと言っていました。



延吉市から約500キロの道のりを走って到着した長白の町の対岸、恵山市の夕方の様子。つかの間の安らぎの時間にも見えます。この後すぐに町は真っ暗になり、電気が来ていない様子は明らかでした。



ゴミを拾う人々。以前はプラスティック系のゴミは争って拾われるため落ちていることなどはなかったそうです。清掃というよりは資源ごみを探しているように見えました。



洗濯をする女性の隣で髪を洗う少女



洗濯する人々の様子が延々と続きます


鉄道周辺でも多くの人が作業をしていました。専門的な技術者は少なく強制的に駆り出された人々が人海戦術で作業を行うので非常に効率が悪いそうです。


土砂崩れの処理に関わる作業でしょうか?



左上は木が伐採されたため、以前よりも遥かに大きな流れになったみたい!とは、同行した方の推測です。私も同感です。



ヤギは根っこまで食べてしまうので、食糧事情はますます悪循環になることが懸念されます。



子どもたちは元気に遊んでいました。この子たちがもっと希望が持てる未来をとしみじみ思いました。


この地域では犬肉料理を食べる文化があります。これは犬足料理です。




北朝鮮在住の日本国籍者、そして脱北者への人道的措置の必要性を外務委員会で質問

2014年05月17日 22時03分05秒 | 政治

 北朝鮮と国境を接する中国延辺朝鮮族自治州での調査をもとに、14日の外務委員会で質問しました。衆議院のインターネット放送でご覧頂けます。


外務委員会にて北朝鮮在住の日本国籍者、そして脱北者への人道的措置の必要性を質問 衆議院インターネットTV(5月14日) 


 私の問題意識は下記の4点に集約されます。その上で、下記のような質問をしましたが、政府の当事者意識が薄いことに衝撃を受けました。北朝鮮情勢は大きく変化する可能性が高く、適切な対応をするには情報収集、そして分析能力の向上が必要です。


1.1959年からの帰国事業に対して、日本政府としてはどのように評価・分析しているのか?

 1959年12月に日本に住む朝鮮半島出身者の方々の帰還事業が始まりました。日本赤十字社と北朝鮮の赤十字会が在日朝鮮人の帰還に関する「カルカッタ協定」を結び、日本赤十字が帰国希望者の登録や事業の運営を行い、赤十字国際委員会が助言という形で関与。日本政府も朝鮮総連と一緒に帰国事業を推進しました。当時の日本は在日朝鮮人の方々への激しい差別があり、能力を活かせる機会を見つけるのはほぼ不可能でした。従って、「地上の楽園」と喧伝された共和国建設の力になりたいと、大きな希望を抱いて海を渡った方々が9万3千人余り。その中には1800人の日本人を含め、6800人の日本国籍者も存在していました。ところが人々を待っていたのは一切の人権が認められない社会。北朝鮮の厳しい階級制度の最下層に近い位置に貶められた帰国者たちに対し、地元の人は帰国者と接触すると自分たちまで疑われることを恐れ、差別と密告で自分たちの身を守ろうとしました。どんなにひどい扱いを受けても守ってくれる後ろ盾がなく、特に日本人家族は自国を植民地支配していた敵国人とされてとりわけ非人道的な状況に置かれていたみたいです。多くの方が苦難の中で命を落としました。地上の楽園ではなく、まさに地上の地獄ともいえる場所であったことは明らかです。

 日本政府は生活保護率が高く、治安悪化の要因にもなっていた人々を『厄介払い』でき、北朝鮮は朝鮮戦争で失われた労働力、とくに炭鉱鉱山をはじめとする北朝鮮の人々さえ行きたがらない場所での労働力にするとのメリットがあったとされています。

① 帰国事業をどのように評価しているのか?

② 日本政府はなぜ、正確な情報を提供しなかったのか?

③ 当初説明されていた数年後の帰国を実現させるための働きかけはしなかったのか?


2.「日本国籍者の帰国」として、日本人妻と拉致被害者の帰国を要求すべき


 私を案内して下さった『日本から「北」』に帰った人の物語』の著者の方も、とにかく生きて日本に帰ることを支えに40年あまり、苦難に耐えたのでした。ところが、これらの人たちは両国間の条約によって「合法的に」「自分の意志で」行った人たちとされているので、拉致問題に比べると明らかに国民の関心は薄く、日本政府も積極的な対応をしているとは言えません。一方、最近は北朝鮮も「高齢で亡くなる前に日本に帰らせる」として表面上は人道主義を発揮して見返りを引き出す戦略に考えを改めているようです。

 拉致を認めていない北朝鮮に拉致被害者の帰国を求める交渉は、これまで目に見える進展がありませんでした。しかし、日本国籍の人たちを帰国させる交渉には応じる用意があるようで、最近になって比較的良い待遇になっているようです。日本人妻の里帰りは1997年~2000年にかけて3回(合計43人)ありましたが、北朝鮮への帰国が前提だったため、自由な発言ができない状況でした。今後は日本に帰って永住したいと考える希望者を受け入れる交渉をすべき。拉致被害者の人たち、さらに第二次世界大戦後に残留を余儀なくされた方々にも「日本国籍の人」という枠組みで帰国できるように交渉してはどうでしょうか?

① 拉致被害者、日本人配偶者、戦後北朝鮮に幽閉されて帰れなくなった残留邦人などの日本国籍者の正確な情報は把握しているのか?

② 交渉の戦略と状況は?

③ 帰国事業で北朝鮮へ行った在日朝鮮人とその子孫についても日本との往来の自由を認めさせるよう交渉すべき


3.中朝国境地域における脱北者に対する人道支援の在り方

 私が訪問した長白の町は北朝鮮に極めて近く、狭いところではわずか数メートル幅の川の向こうに北朝鮮の人々の生活が手に取るように見えます。夜は真っ暗になってしまう町並みや人々の様子を見れば貧しく苦しい生活は一目瞭然です。脱北者を巡る状況は常に変化しているようですが、命懸けの行動であることは変わりません。

 金正恩体制になって国境警備が非常に厳しくなった一方で、上手く川を渡っても中国側の捜索も厳しくなり、公安に見つかれば強制送還される状況は変わりません。初犯では2~4週間程度の調査で解放されることが多とのことですが、再度脱北した場合、また韓国など外国行きを企てていると見なされた場合は「鍛錬隊(短期強制労働キャンプ)」で6カ月ほど送られ、さらに「悪質」と見なされた場合は拘置施設行きとのことです。この場合、数か月以内に命を落とす可能性が非常に高いようです。

 しかし、国境貿易に関わっている人たちによれば、金正恩体制になり、金正日時代の軍事一辺倒から『国民を食べさせる』ことが重要と少しずつ政策転換しているようです。従って、経済的な理由で国境を超える人々に対しては黙認する状況も新たに生まれる一方で、国境を超える際にブローカーが介在し、借金を返させるための人身売買も横行しています。従わないと強制送還されるため、脱北者を巡る状況は相変わらず過酷を極めています。

 中国は1982年に国連の「難民協約」に加盟。難民や人権問題に直接関係する脱北者問題に向き合わなければならない立場ですが、脱北者を「難民協約上の難民」と認めていません。

 一方、「中朝相互犯罪者引き渡し協定(1966」と「辺境地域の国家安全と社会秩序維持のための相互協力議定書(1986)」も締結しており、さらに、1997年、警報を改正する時に刑法8条「国境管理妨害罪」を新設し、中国内の脱北者を手助けする自国民に5年以下の有期懲役を処するようにしています。


① 北朝鮮に戻された場合、命を落とす可能性が非常に高いにも関わらず中国政府が脱北者を強制的に送還している点について大臣の見解は如何か? 人道的な見地からどのように対処すべきか?

② 人道的措置の対象は国籍によって制約されるべきではないが、日本国籍を持っている人に対しては邦人保護の視点でも強制送還をしないように中国に働きかけるべき。また、出入国管理法で在留資格が認められる元在日韓国人と朝鮮人とその3等親以内の家族に対しても同様の対応をすべき

③ 脱北者が日本国籍ではなくても、脱北者が希望する国との往来の自由は認めるべき。『日本から「北」』に帰った人の物語』の著者の方も亡くなったご主人が北朝鮮人であり、北朝鮮国籍の子供たちの安否を非常に心配していた。

4.日本にいる脱北者の支援の在り方、

 帰国者と家族だけを受け入れている日本では脱北者に対する公的支援はない。2006年成立の「北朝鮮人権法」で脱北者を保護、支援することは明記されたが、具体的支援策は未だにない。民間のNGOがボランティアとして行っているのみ。

 韓国は2007年の法律に基づき、希望する脱北者全員を韓国で保護。昨年8月の時点で、2万5千人あまり韓国に滞在しています。また、国を挙げて脱北難民の強制送還に反対しています。脱北者には定着準備金や住宅支援金、職業訓練費など社会福祉から教育まで185万円~443万円程度を支給。(2013年10月現在)1999年に設立したハナ院では韓国社会馴染めるよう最初の教育もしており、その後はNGO、教会、自助組織が脱北者を支援。公的企業や役所では脱北者採用枠を設置している他、脱北者を採用する民間企業も税制優遇されます。脱北者は当初の「保護対象」としての対応から、南北統一を準備する人材と定義されるようになってきました。特別枠での大学進学制度があり、博士号取得者も輩出。国会議員も誕生しています。

 韓国と比較すると日本における支援は非常に脆弱です。日本では言葉の壁もあり、少なくとも最初の段階では自立をサポートするための措置が必要です。

 金正恩体制になり、軍の備蓄米を配給したり、土地を試験的に個人に分配したり、市場経済への移行を部分的に探っているようにも見えます。新しい局面に移行できるかどうかは国際社会との関係構築が重要。援助を獲得するために人道的措置として拉致問題の解決、日本国籍者の帰国、さらに脱北者への配慮などがより前向きに検討される可能性が出てきたと言えるかもしれません。ところが、これらの問題提起に対する日本政府の取り組みは大変心もとないものでした。北朝鮮とは国交がない以上、ジャーナリスト、地域研究者の情報活用も含めてあらゆる手段を通して交渉すべきです。アントニオ猪木議員など、政府にはないネットワークを持った国会議員による議員外交も有効な手段と考えています。


写真上:鴨緑江でゴミ拾いをする北朝鮮の人々


写真上:北朝鮮・恵山市の夕刻の様子






北朝鮮と国境を接する中国延辺朝鮮族自治州にて

2014年05月07日 01時33分15秒 | 政治
 
 この連休は北朝鮮と国境を接する中国の延辺朝鮮族自治州に来ています。

 1960年代に帰国事業で日本から北朝鮮に渡り、40年あまり過ごした後に脱北した方が中朝国境地域を案内してくれることになりました。この方は『日本から「北」』に帰った人の物語』の著者でもあり、ご自身も長白市で脱北後、この地域に戻るのは初めてとのこと。当時お世話になった方に会って残されたご家族の帰国の可能性を少しでも知りたいと切実な思いを抱かれていました。従って、延辺朝鮮族自治区の延吉や長白を中心に脱北者を巡る現在の状況を調査するとともに、拉致被害者、そして1959年からの帰国事業で北朝鮮に渡り、苦難の人生を歩まれた方々の帰国可能性を探りました。

 1959年からの帰国事業で北朝鮮に渡った方は9万3千人以上。その中には1800人の日本人妻と6800人に及ぶ日本国籍を持った家族たちも含まれます。

 日本での激しい差別から逃れ、「地上の楽園」で共和国建設の力になりたいと人生を賭けて海を渡った人々を待っていたのは一切の人権が認められない社会。日本政府としては生活保護世帯が多く、治安上の懸案事項でもあった人々を『厄介払い』でき、北朝鮮は在日朝鮮人を朝鮮戦争で失われた労働力、とくに炭鉱や鉱山をはじめとする北朝鮮の人々さえ行きたがらない場所での労働力の埋め合わせにするメリットがあったとの分析もあります。

 この方々を何とか帰国させたい、また、北朝鮮から国境を越えて中国に入る人々が置かれた最新の状況を調べ、人道的な措置と地域の不安定要因の最小化の両立につながる政策を提案したい、そんな思いを長年抱いてきましたが、今回は国会で問題提起を行う上での様々な情報を収集することができました。

 29日に日本を出発して当日の深夜に中国、北朝鮮、ロシアの国境近くの延吉市に到着。翌日からリサーチを開始しました。31日からは延吉から約500キロ離れた国境の町・長白に行きました。

 長白の町は北朝鮮に一番近く、わずか数メートル幅の川の向こうに北朝鮮の人々の生活が手に取るように見えます。夜は真っ暗になってしまう町並みや人々の様子を見れば貧しく苦しい生活は一目瞭然です。脱北者を巡る状況は常に変化しているようですが、命懸けの行動であることは変わりません。

 金正恩体制になって国境警備が非常に厳しくなった一方で、上手く川を渡っても中国側の捜索も厳しくなり、公安に見つかれば強制送還される状況は変わりません。しかし、国境貿易に関わっている人たちによれば、金正恩体制になり、金正日時代の軍事一辺倒から『国民を食べさせる』ことが重要と少しずつ政策転換しているようです。従って、経済的な理由で国境を超える人々に対しては黙認する状況も新たに生まれる一方で、国境を超える際にブローカーが介在し、借金を返させるための人身売買も横行しています。強制送還されると命を落とす可能性が高く、脱北者を巡る状況は相変わらず過酷を極めています。

 一方、新体制になり、軍の備蓄米を配給したり、土地を試験的に個人に分配したり、市場経済への移行を部分的に探っているようにも思えます。そうなると、新しい局面に移行できるかどうかは国際社会との関係構築が重要。援助を獲得するために人道的措置として拉致問題の解決、日本国籍者の帰国、さらに脱北者への配慮などがより前向きに検討される可能性が出てきたと言えるかもしれません。何としても解決につなげるため、日本政府の対応の在り方について国会で問題提起していきます。





北朝鮮恵山市を背景に



川で洗濯をする北朝鮮の女性たち



恵山市中心の様子