阪口直人の「心にかける橋」

衆議院議員としての政治活動や、専門分野の平和構築活動、また、趣味や日常生活についてもメッセージを発信します。

ピケティの問題提起に『身を切る改革』の実践で応える

2015年02月27日 23時43分17秒 | 政治

 今日、維新の党は企業・団体献金を禁止する政治資金規正法の一部改正案を提出しました。

 今、再び閣僚の「政治とカネ」の問題が次々に明らかになっています。私自身は企業・団体献金は受け取らない、政治資金パーティーはしない姿勢を衆議院選挙に立候補した12年前から貫いています。一部の企業や団体の既得権を守ることが目的化するなど政策の方向性をゆがめてしまう企業・団体献金の廃止は一貫して訴えてきましたが、維新の党が法案として提出したことには大きな意味があります。自分たちだけが身を縛っても他の政党が賛同しなければ立場を苦しくするだけですが、それでもやるべきだと思います。

 維新の党はこれまでも、身を切る改革を実践しています。

 『文書通信交通滞在費』は全面公開していますし、国会議員が歳費を自主返納する法案もすでに提出しています。私が党内で座長を務めていたクリーンな政治文化を実現する研究会では、政治団体の世襲を制限し、3親等内の親族が政治団体及び政治資金を引き継ぐことを禁止することも法案化する予定でした。一方で、お金持ちの人しか政治家になれないようでは本末転倒なので、弔電や祝電の禁止、選挙区に貼るポスターの枚数制限、私設秘書の雇用数の制限など、政治、選挙にお金がかからなくするための要項も法案に盛り込むべく準備をしていました。

 今、フランスの経済学者で『21世紀の資本』の著者、トマ・ピケティ教授は不公平の連鎖を断ち切るため、収入に応じて税金を高くするグローバル累進課税を進めるべく問題提起し、大きな議論を生み出しています。公平な社会をつくるという視点から、ピケティは資本家が自ら儲けた資産に対しても厳しい提案をしているのです。しかしながら、本来は公平な社会の担い手であるべき政治家が、自ら儲けたものでもなく、企業団体献金や政党交付金等の税金で集めた政治献金を非課税で引き継ぐのはどう考えてもおかしいと思いませんか? 格差を相続するだけでなく、不公平を相続するのですから! 

 小淵優子議員の様々な不透明な支出も、父親である小渕首相から引き継いだ莫大な政治資金の存在がそもそもの要因だったようです。経済産業大臣を辞任したから幕引きという話ではなく、今後も徹底追及されなくてはならないと思います。

 大阪では橋下徹市長が就任して僅か3年で、長年大赤字が続いていた市の財政が黒字になりました。教育関連予算は67億円から369億円に5.5倍以上も増やしています。教育によって未来を担う子供たちのひとりひとり可能性を高めること、これは成長戦略としても有効な投資です。『身を切る改革』をポピュリズムと評する方もいますが、橋下大阪市長が税金の使い方を抜本的に変える改革を実現できたその力は市長給与を42%カット、退職金を81%カット、市長の様々な特権を廃止するなど徹底して身を切る改革を実行し、市民の方々を説得したから生まれたのです。

 浪人生活をしていると所属する政党の財政力が弱まりそうなことは、かなり厳しい未来を覚悟することでもあります。しかし身を切る改革を断行する政策、姿勢について、私は党の考えに何ら異論はありません!


統一地方選挙に立候補予定の方々の政策ビラを作成中。最近は事務所で深夜まで過ごすことが普通になってきました!



アントニオ猪木議員へキルギスから熱いメッセージ!

2015年02月21日 21時51分24秒 | 政治
 
 今年5月2日には第4回キルギス・シルクロード国際マラソンが行われます。このマラソンは実は私が発案者。天山山脈を望み世界2位の透明度を誇るイシククル湖の周りを走るマラソン大会を開いてみては?という私の提案を、キルギスの有力政治家、サマコフ議員や、事務局のイバラット・サマコワさんが大変な努力で中央アジア初のマラソン大会として実現してくれました。私は国内外のマラソン大会を走った経験からアドバイスをしたりスポンサー探しをしただけですが、サマコフ議員と共に大会実行委員長として上位入賞者を表彰する栄誉を担わせて頂きました。

 その後の大会は国会開会中だったため私は参加することができなかったのですが、今年の第4回大会は何としても参加したいのでと、GW中に日程を変更してもらいました。落選してしまったのであまり関係なくなりましたが、再びランナーとして参加したいと考えています。

 さて、キルギス側はこの大会にアントニオ猪木議員が参加してくださることを強く希望しています。4月下旬にはパキスタンで格闘技大会を実施する予定でものすごい強行軍になりそうですが、是非、参加してください!と、昨日誕生日を迎えたアントニオ猪木議員にビデオメッセージを送ってもらいました。制作はイバラットさんですが、私も少し関わったビデオメッセージですので、その中身を少し紹介します。

 ビデオのクライマックスはキルギス出身の元ボクシング世界ライト級チャンピオンのオルズベック・ナザロフ氏が、恩人であるアントニオ猪木議員に熱いメッセージを送るシーンです。彼はソ連崩壊で才能を生かす機会を失いかけていた時、旧ソ連のキルギス共和国から猪木さんによって日本行きのチャンスを与えられたことで才能を開花させ世界チャンピオンになりました。今や国家的イベントになった『キルギス・シルクロード国際マラソン』に猪木さんに来て頂き、そこで再会しましょう!と訴えています。

 アントニオ猪木議員はプロレスラー時代、ボクシングや空手、柔道家との異種格闘技戦を次々に実現させるなど総合格闘家として新たなジャンルを切り拓き、世界的な知名度がある一方、アントンハイセルという環境事業をブラジルで起業するなど、新しい発想でひとりの人間の可能性を次々に見せてファンを魅了しました。また、スポーツ平和党の党首として当選した参議院議員時代、イラクでの人質救出に尽力したり、北朝鮮で平和の祭典を開催したり、北方領土問題解決のためロシアの首脳に働きかけるなど、独自の外交を展開。私はその活躍ぶりに心を躍らせると同時に、他の議員は何をやってるんだろう!と素朴な疑問を持っていたほどです。

 同じ議員として議員外交を行うようになって実感したのですが、アントニオ猪木議員の議員外交は、格闘家としての世界的知名度と実績があってこそのもの。誰かが真似できるようなものではありません。1990年にはイラクで『平和の祭典』として格闘技イベントを行ったことが当時サダム・フセイン政権下で人質になっていた日本人41人の開放につながりました。外務省が反対する中、自費でトルコ航空の飛行機をチャーターして人質を運んだスケールの大きさに感動したのを覚えています。また、先日ノーベル平和賞受賞者のマララさんと会えたのも彼女のお父さんがアントニオ猪木議員のファンだったことが大きいようです。未だ高校生の彼女は学業優先。また、テロリストに銃撃されたこともあって警備が厳重で簡単には会えない人だけに、アントニオ猪木議員の持つ政治的財産の価値を改めて実感しました。

 オルズベック・ナザロフ氏はアントニオ猪木氏が旧ソ連から『ペレストロイカ・ボクサー』として1989年に日本に連れてきたひとり。その後独立したキルギスが生んだ初のボクシングの世界チャンピオンとして国民的英雄で、元国会議員でもあります。私は1992年にカンボジアに行くまで具志堅用高選手などを生んだ協栄ジムでボクシングを練習していたことがあります。その頃、グッシー・ナザロフとして同じ共栄ジムに所属していたナザロフ選手は一緒に練習した仲間でもあるのです。ハードパンチとテクニック、そして強いハートを兼ね備えた素晴らしい選手でした。私自身が国会議員になり、キルギスの国民議会選挙を支援する活動の中、2010年にキルギスで再会。その時、「恩人である猪木さんに会うことがあったら是非、お礼を言ってくれ」と言われていました。とは言え、猪木さんとはどのように連絡を取ればいいのかわからなかったのですが、2013年には私と同じ『日本維新の会(当時)』からアントニオ猪木議員が立候補して当選。私が局長を務めていた国際局に希望して入って下さったこともあって、その後別の党になってからも是非、キルギスに一緒に行きましょう!とお誘いを続けているのです。

 ナザロフ氏は、世界ライト級のタイトルを6度防衛。網膜はく離の症状を隠しながら闘い続け、キャリア唯一の敗戦になった7度目の防衛戦(判定負け)ではほとんど目が見えない中での闘いだったそうです。その後症状が悪化して片目を取ってしまったそうで今回はサングラスでの出演ですが、恩人への熱い思いを語ってくれました。

 猪木さんには是非、パキスタンからキルギスに来て頂き、私たちランナーに闘魂注入をお願いしたいものです。





オルズベック・ナザロフ氏からアントニオ猪木議員へのメッセージ


マラソン会場で再び再会!


元気があれば何でもできる!


猪木さんへのメッセージビデオが入ったDVD


2010年に再会したオルズベック・ナザロフ氏


ボクサーとして活躍していた頃のナザロフ氏


イシククル湖と天山山脈


イバラットさんとボランティアの女子学生たち


第1回大会でゴールする私

海外で犠牲になった日本人を巡るその後-後藤健二さんと中田厚仁さんが遺したもの

2015年02月14日 22時01分50秒 | 政治

 『イスラム国』に拘束され、殺害されたお二人の日本人の事件は、最近もっとも強い印象を社会に与えたニュースだったと思います。海外での日本人の殺害事件として、今回に匹敵する社会的インパクトを与えたのは、国連カンボジア暫定統治機構に国連ボランティアとして活動中に銃撃されて亡くなった中田厚仁さんの事件(1993年4月8日)だったと思います。

 中田さんの事件がきっかけでテレビ朝日の報道ステーション(当時はニュースステーション)が46日連続カンボジアをトップニュースにしたと聞きましたが、各局とも中田厚仁さんや、息子の遺志を継いで国連ボランティア名誉大使になられたお父様の価値観や生き方を何度も特集し、プノンペンでの研修中、ルームメートだった私も何度もインタビューされる機会がありました。今でも中田厚仁さんの名前を言えば大抵の人が思い出してくれるほど日本人の脳裏に鮮烈な印象を与えた事件であり、その後の展開でした。

 湾岸戦争に140億ドルを拠出したにもかかわらず、感謝されなかった(ということになってる)。ならば…と、日本中を議論に巻き込んでPKO協力法ができ、人的貢献として自衛隊を初めて海外に派遣し道路補修を実施。しかし、自らの意志で赴いた国連ボランティアが自衛隊より遥かに危険な地域で他国の平和のために活動し、命を落とした事件がどれほど衝撃的だったか。現地にいた私には痛烈に伝わってきました。

 戦後、日本は確かに豊かになった。でも、自分たちだけの豊かな生活を追い求めてもいいのか?そんな問題提起が中田さんの姿を通して人々の心に刺さり、日本人の価値観を揺さぶった気がします。メディアも中田さんの生き方を極めて肯定的に捉えていたと思います。

 日本人の新たな生き方、また職業としての国際協力という選択肢、以前はほとんどなかったポジションが確立されたのもこの流れだったと思います。そのためにどうすればいいかという方法論が次第に確立され、新しい学部や大学院が設立される大きな流れの起点があの事件でした。私自身も『国際ボランティア学科』を設立した学校に学科長および専任講師として迎えられました。2年後に阪神大震災が起こり、「困っている人を助けたい」と駆り立てられるような思いで被災地に向かった人々にも大きな影響を与えていたこと、同じく現地で活動していた私も実感しました。

 しかし、中田さんとは同い年の後藤さんの事件をきっかけに感じるのは、全く逆の流れです。危ない地域に勝手に行ったんだから殺されたのは自己責任。自分たちには関係のない国でのことなんだから対応は政府に任せていればいい。政府の対応に疑問を呈したり批判するのは非国民。そんな国民の声がネットを支配し、その流れを政権自身が巧妙に作っている。昨日、『国境なき記者団』が発表した各国の報道の自由について報道がありましたが、日本は安倍政権になってから2年連続順位を落として韓国より下の61位。果たして健全な民主主義が機能しているレベルと言えるのか、危惧を抱かざるを得ません。

 後藤さんの渡航の理由や政府の対応の是非については今後検証されなくてはなりません。しかし、紛争や貧困の中で懸命に生きている子供たちの瞳の美しさに魅せられたひとりとして、あの子たちのためにも何とかしたい、しなければと思う気持ちが現地に向かう思いを後押ししたであろうこと、痛いほどわかります。

 自己責任論のもとに思考停止状態になることで『想像する』ことを放棄してしまうのは日本人が世界に貢献できる可能性を制約してしまうと危惧します。政治が露骨に介入し、メディアが加担することによってその状況が作られ、加速しているから余計腹立たしく、危機感を感じています。後藤さんが望んだのは決してこんな状況ではなかったはずです。



屋台で商売をする家族を手伝う女の子(1992)



牛舎に乗って農作業から帰る男の子(1992)


マラリアから退院した私を花を持ってお見舞いに来てくれた女の子たち(1993)



森林伐採による洪水で水没した村で会った女の子(1995)


研修を終えて任地・コンポントムに向かう中田厚仁さんと握手(1992)


中田厚仁さんが倒れていた場所にできた学校(2013)


和歌山2区支部長として再任されました-今日は公認候補予定者とともに記者会見

2015年02月11日 15時28分08秒 | 政治

 昨日、和歌山県2区支部長として正式に再任を頂きました。次の総選挙で国会に戻れるように全力を尽くします。

 そのための大きな一歩として、統一地方選挙に向けた公認候補予定者の擁立に力を入れています。今回、維新の党から和歌山県会議員と和歌山市議会議員に立候補予定の方々を和歌山県対策委員、和歌山市対策委員として4名公認しました。

 県会議員候補予定者は和歌山市選挙区から菅原博之、東牟婁選挙区から松下修巳。和歌山市議会議員候補予定者は林一、山野麻衣子の4氏です。
 
 本日、和歌山県総支部で記者会見を実施。多くの仲間に維新の改革に賛同して頂き一緒に闘えること、心強い限りです。全員の当選を目指して頑張ります。





憎しみの連鎖を断つために、今、何をすべきか-ジャヤワルダナ大統領の言葉から学ぶ

2015年02月08日 18時57分03秒 | 政治

 スリランカ(当時はセイロン)のジャヤワルダナ元大統領(当時は大蔵大臣)は、1951年のサンフランシスコ講和会議において、「憎悪は憎悪によって消え去るものではなく、ただ慈悲によって消え去るものである(hatred ceases not by hatred, but by love)」という仏陀の言葉を引用し、対日賠償請求権を放棄しました。

「戦争は戦争として、終わった。もう過去のことである。我々は仏教徒である。やられたらやり返す、憎しみを憎しみで返すだけでは、いつまでたっても戦争は終わらない。憎しみで返せば、憎しみが日本側に生まれ、新たな憎しみの戦いになって戦争が起きる」

「戦争に対して憎しみとして返すのではなく、優しさ、慈愛で返せば平和になり、戦争が止んで、元の平和になる。戦争は過去の歴史である。もう憎しみは忘れて、慈愛で返していこう。」

 対日賠償請求権の放棄を明らかにするとともに、わが国を国際社会の一員として受け入れるよう訴える歴史的演説を行いました。「日本に今、この段階で平和を与えるべきではない」「日本は南北に分割して統治すべき」など、さまざまな対日強硬論が中心であった中、上記のブッダの言葉を引用し訴えました。この演説が、多くのアジアの国々を動かし、他国が対日賠償要求を放棄するきっかけを作りました。ドイツが東西に分割されたことなどを考えるとジャヤワルダナ大統領は私たち日本人にとっての恩人と言えるでしょう。ほとんど知られていませんが…。

 昨年9月、スリランカ仏教において大きな役割を果たしたダルマパーラ師の生誕150周年記念式典に招かれ、アントニオ猪木議員、清水貴之議員とともに参加しました。スリランカ最大のテレビ局(マハラジャ・グループ)の会長にスタジオに招いて頂いたので、日本人としてスリランカの方々に改めてお礼を申し上げたいとお願いしたところ会長の鶴の一声で私のメッセージが放送されることになりました。その日はちょうど中国の周近平主席がスリランカを訪問し首脳会談をした当日。現地のニュースはその話題でいっぱいでしたが、ゴールデンタイムのニュースの中で放送して頂き、冒頭のジャヤワルダナ大統領の言葉を引用して、アジア的価値観、仏教的価値観に基づいた紛争解決の新しい手法について提案することができました。

 スリランカは反政府武装勢力「タミルイーラム解放のトラ(LTTE)」と政府軍の長年の内戦が終結し、今、国土の復興や民族の和解に取り組んでいる最中です。武装勢力を徹底的に壊滅させることで内戦は終結しましたが、その代償は大きく、憎しみの負の連鎖が解けない状況が続いていると言われます。その時は激しい戦闘の舞台になった北東部のトリンコマリーを訪問。日本のNGO「ピースウインズ・ジャパン」の活動をフィールド視察して、和解に向けての民族を超えた共同作業の実態も見ることができたので、人道援助として、このような取り組みを日本としてサポートすることも提案しました。
 
 さて、『イスラム国』による日本人人質殺害、そして、いつの間にか有志連合の一員になったことは、日本にとって大きな転換点だと思います。

 イスラム国は有志連合を『十字軍』と称していますが、アラブ世界において、これまでは紛争に直接的に関与してこなかった日本が得てきた信頼には大きな価値があると思います。紛争下における人道支援、紛争解決のための仲介努力、そして紛争が再発しないように公平な統治の枠組みを作るための法整備支援や、和解と相互理解の促進。これらの平和構築を行った上でインフラ整備などの復興支援に中心的な役割を担えば、大きな尊敬と信頼を得られることになるでしょうし、長期的に日本の国益にも貢献します。

 しかし、空爆によって民間人を殺戮することに加担すれば、日本は憎しみの連鎖の当事者になり、そのツケは、日本国内のテロや、海外にいる日本人への更なる攻撃へとつながることを危惧します。『テロには屈しない』のは当然のこと。その上で日本の価値、役割を最大化する方法は何か、私たちが行うべきは政権が行うことを盲目的に受け入れることではなく、国民の英知を結集して平和国家としての役割を果たすことだと思います。

 hatred ceases not by hatred, but by love 今こそ、ジャヤワルダネ大統領のこの言葉を噛み締め、形にすべき時だと思います。



アントニオ猪木議員とマハラジャ・グループのテレビ局のスタジオで。飛び入り出演だったので、上着やネクタイは車に置いたままでした。


ダルマパーラ師生誕150年記念式典でスリランカ政府首脳と


マハラジャ・グループの会長室で日本の平和貢献の在り方について熱く語る


北東部の町、トリンコマリー郊外でピースウインズ・ジャパンの平和構築事業を視察


虐殺の対象になった地域の住民に正義の回復と和解を実現する上での事業の在り方についてヒアリングをしました


ピースウインズ・ジャパンのスタッフの方々と

究極の局面でのメッセージの伝え方-後藤健二さん『殺害』のニュースに思う

2015年02月03日 20時55分17秒 | 政治

 『イスラム国』による日本人人質殺害は、私たちに様々な問いを突き付けました。

 私にとっての大きな衝撃は、『殺害』される直前の後藤健二さんの姿です。死を前にした時の立ち振る舞い、心の在り方は、生き様を問われる究極の局面。私自身も武装勢力に拘束されたらどうするか、どうあるべきか、何度も考え、シュミレーションをした経験があります。国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC)の同僚で任務中に銃撃されて亡くなった中田厚仁さんの最後の言葉は、交信用ラジオを通した"I’m dying"だったと言われています。お父様が「これで任務終了という意味だと思います」と雑誌のインタビューで語られているのを読み、紛争地域での活動は『いかに生きるか』とともに『いかに死ぬべきか』というテーマとも向き合うべき活動なのだと考えるようになりました。

 後藤さんの最後の姿は、万一のことがあった時、できることなら自分はこうありたいと思っていた姿そのままだったと改めて感じます。魂のレベルの高さを感じました。

 外国人の友人から「日本人はすごいね」「これがサムライ・スピリットなんだね」とのメールをもらいましたが、日本人がすごいというより、後藤さんが最悪の事態に対していかに準備ができていたかを示すものだと思います。

 さて、昨夜、ニューヨークタイムスの記事に対する私のコメントをfacebookに載せたところ、様々な反響がありました。

昨日のfacebookとニューヨークタイムスの記事 

 " Departing From Japan’s Pacifism, Shinzo Abe Vows Revenge for Killings"という見出しは、私なりに翻訳すると『日本の平和主義から離れて殺害への復讐を誓う安倍晋三首相』となります。後藤健二さんの『殺害』を報じる映像に対して「償わせる」と宣言した安倍首相。私は9・11の後のブッシュ大統領の言葉と通じる危うさを感じましたが、案の定、米国の権威ある新聞に「復讐する」という言葉に解釈されて世界に発信されてしまいました。今日の参議院予算委員会では「法による裁きを受けさせる」意味と説明していましたが、一連の言動、表情や声のトーンからこのように解釈されたということでしょうか。英語版の声明は、"hold them responsible"、つまり「責任を取らせる」と曖昧になっているので、ニューヨークタイムスは独自の判断でこのような解釈をしたのでしょう。

 法による裁きというと、イギリスのキャメロン首相の談話を送ってくれた友人によると、下記のような表現です。"Britain stands united with Japan at this tragic time and we will do all we can to hunt down these murderers and bring them to justice, however long it takes." 核心部分のbring them to justiceは、彼らを裁判にかけると明確です。

 復讐という解釈をさせないためには最初から明確に表現しておくべきだったということですね。もし、全く意図と違うのであれば、厳重に抗議しなくてはなりません。一方で、テロと戦うパートナーとしての日本の存在を米国内の世論にアピールする為、ある種の共同作業でこのような記事になることを黙認した可能性もあります。

 後藤健二さん、そして湯川遥菜さんが拘束されている間、メディア、そして野党は本格的な追及をしませんでした。人質の救出が第一ですから一定の理解はしますが、政府に対する建設的な批判や提案まで封印してはなりません。そして、最悪の結果になった以上、果たしてベストの対応ができたのか、厳しく検証する必要があります。私は、政府はほとんど有効な対応ができなかった印象を強く持っています。『テロに屈しない』姿勢を示すことは当然ですが、その上でイスラム国とは直接の連絡を取らず、交渉もしなかったことが『人命優先』のポリシーに適うものだったのか、国会での追及、そしてメディアの追及は不可欠だと思います。


テロとの闘いの本当の相手は?-後藤健二さん殺害報道に思う

2015年02月01日 12時07分28秒 | 政治

 今朝、後藤健二さんが殺害されたとの報道が流れました。『イスラム国』が作ったとされる映像を見ましたが、後藤さんが着ていたオレンジ色の服の上に置かれた生首は後藤さんに酷似しているように見えます。一方、斬首のシーンそのものはこの映像には映っておらず、私はこの映像が加工されたもので、後藤さんがまだ生きている可能性もある。0.1%でもその可能性を信じたいとの思いを捨てきれません。

 どちらにしてもこのようなテロ行為は断じて許すことはできず、国際社会は連携してテロと闘う強い意志を示さなくてはなりません。では、テロとの闘いの本当の相手は何か。私はテロリストを生み出す根本原因になっている不公平、不公正な社会構造そのものだと思います。

 私は『イスラム国』のようなテロ組織に持続可能性があるとは思えません。『イスラム国』を軍事的に壊滅させることは不可能ではないでしょう。しかし、その過程で殺された人々の存在が生み出す憎しみの連鎖が第二、第三のイスラム国を生む結果につながることは、米国によるイラク、アフガン攻撃で実証された通りだと思います。従って、グローバリゼーションが結果的に作り出す様々な不公平な現実を、持たざる側の視点を忘れずに是正するための努力の先頭に立つことが日本ができる最大のテロとの闘いだと思います。

 具体的には経済活動によって得た利益を社会の最も貧しい人々の自立にまわせるような制度の構築や、政治、行政の腐敗を是正するための法整備構築を含むガバナンス支援、選挙制度などを公正に機能させる民主化支援などに大きく踏み込むことが必要だと思っています。そしてこのような役割を担う人材を育てることです。

 テロには屈しない断固とした意志を示すことは重要ですが、相手を挑発するようなリーダーの言葉は日本人を攻撃する口実を与えることになりかねません。イスラム国自体、グローバル組織としてアメーバのように各地で増殖する組織でもあります。今後、あらゆる国で日本人がターゲットにされる可能性があることを危惧します。東京オリンピックもターゲットになる可能性が高いでしょう。

 紛争地域、戦闘地域の定義は困難です。(かつて小泉純一郎首相は「自衛隊が展開している地域は非戦闘地域だ」と答弁していました)。外務省が危険情報の対象にしている国は日本にいると全てが危ない場所であるように錯覚しますが、実際には現地の人々による日常の営みがあり、様々な人間関係の構築や現地情報によって危険を軽減することは可能です。そのようなギリギリの状況で「弱い立場の人々に寄り添いたい」という後藤さんの心情、私は共感します。一方、現地の人々の気持ちに添わない『人道援助』は、新たな混乱、問題の原因になる危険があります。『人道援助だから感謝される』発想は現実的ではありません。

 私自身が最初に活動した紛争地であるUNTAC(国連カンボジア暫定統治機構)統治下のカンボジアも、紛争4派によるパリ和平協定合意によって建前上は平和であることになっていましたが、実際にはポル・ポト派の離脱によって内戦状態にありました。『平和維持』活動のために派遣された自衛隊は、治安が日に日に悪化する中、日本人の命を守るどころか、自分たちの安全を確保することさえ他国に依存する状況でした。

 自分自身が再び紛争地域にいる、自分自身が後藤健二さんのような状況に遭遇することを今朝からイメージし続けています。自己責任での活動であることは前提とはいえ、実際に武装集団に拘束されていたら政府が国民の命を守るために最善を尽くして欲しいと感じるとは思います。そのために必要な法整備を行うこと、一方で、テロとの闘いはあくまでも平和的手段で行うこと、この二点をベストな形で行うための徹底的な国会の議論は不可欠だと思います。私自身が国会の議論に入れないことは無念の極みですが、国会議員であったことで制約があった現場との接点をより多く作り出し、少しでもこの議論に貢献したいと決意を新たにしています。



写真上:国連統治下のカンボジアで私が運転していた国連の車の上で遊ぶ子供たち。銃声や迫撃砲の爆音がやまないの中でも子供たちの日常生活は展開されていました。この子たちが大人になっていく過程を追うことができたのも大きな喜びでした。


 下記の写真も内戦状態のカンボジアでの日常のシーンの数々です。(1992~1993)


選挙人登録の様子を外から覗き込む子供たち


屋台の手伝いをする女の子


投票の秘密など、制憲議会選挙を自由公正に行うためのルールについての小冊子を子供に読む母親


車に上れず泣いていた小さな女の子の写真も撮りました!


朝、目を覚ました時に子供たちがいつものように迎えてくれる様子