阪口直人の「心にかける橋」

衆議院議員としての政治活動や、専門分野の平和構築活動、また、趣味や日常生活についてもメッセージを発信します。

人生の選択に大きな影響を受けたミハイル・ゴルバチョフ氏の逝去に思う

2022年08月31日 15時35分52秒 | 政治
ミハイル・ゴルバチョフ元ソ連大統領が亡くなりました。私の人生にもっとも影響を与えた政治家のひとりです。

私が子どもの頃、隣国の大きな存在だったソビエト連邦。怖くて、冷たくて不気味な存在と思っていた人が多かったことでしょう。また『嫌いな国』のナンバー1であったと思いますが、だからこそ、私は興味を持ちました。高校生の頃、ソビエト共産党が支配するソ連と、そこに住む普通の人々は違うのではないかと思うようになり、ソ連関係の本を読み漁るようになり、ドストエフスキーの『罪と罰』や『カラマーゾフの兄弟』、トルストイの『戦争と平和』『アンナ・カレーニナ』などのロシア文学を片っ端から読みました。ドラマティックで魂に響くストーリーに心奪われ、勉強の時間はほぼ読書に捧げたので成績は悲惨なことになりましたが、自分の考え方、生き方の核になる部分を育んでくれた読書体験だったと思います。

大学生になった時、そんな私の目の前に登場したのがゴルバチョフ氏でした。ソ連共産党のリーダーに上り詰めるまで、改革の意志は固く心に秘め、しかし、ソ連の体制は壮大なペテンであり、持続不可能であることを見抜いて、トップに立った時からペレストロイカ(改革)、グラスノスチ(情報公開)などを進めていきました。本当の勇気が必要なことだったと思います。それまでのソ連の指導者に見られなかった笑顔、また、理想を語る言葉の明快さにも魅了されました。

ゴルバチョフ氏の改革が、東西冷戦の終結、そしてソ連と東欧諸国の体制の崩壊へとつながって行く過程も、真に心躍るものでした。その頃の私は大学を卒業してキヤノン株式会社で複写機輸出部にいたのですが、希望して担当していたのが、ソ連東欧や中国市場でした。

1989年、天安門事件や、ベルリンの壁の崩壊など大きく歴史が動きます。翌年東西ドイツが統一され、さらにソ連が崩壊。自由、そして民主主義を求める人々のすさまじい熱量を感じ、そんな人々の鼓動を感じたい、できることなら力になりたい!と思う気持ちが私の心に湧き上がりました。そして3年後、国連が史上初めて一国の統治を暫定的に担い、自由で公正な選挙の実施を担うミッションがカンボジアで実施されることを知ったとき、何が何でも行きたい、自分の人生を懸けてこの仕事をしたいと思ったのは自然な思いでした。

昨日亡くなった京セラの稲盛和夫会長や、サッカー旧ユーゴスラビア代表監督だったイビチャ・オシム氏など、直接薫陶を受けた偉大な人物が今年相次いで世を去ってしまったこと、とても寂しく思います。民主化を進めると思われたロシアはウクライナに侵攻。ゴルバチョフ氏の理想はまだ道半ばです。国際的には大きな名声を得ているゴルバチョフ氏は、ソ連を崩壊させ、社会の混乱、さらに現在の紛争の要因を作った人物として、旧ソ連の国々、特にロシアでは評価していない人が大半のようです。しかし、不可能と思われた大きな壁に怯むことなく立ち向かい、世界史を大きく変える役割を果たしたゴルバチョフ氏の政治哲学ー対話と相互協調、そして政治思考の非軍事化には大きな影響を受けました。心から哀悼の祈りを捧げたいと思います。

*写真は旧ソ連のキルギス共和国で選挙監視をした時に代表して投票所で挨拶する機会があり、上記のような思いをお話ししました。ロシアでの活動の写真が見つからなかったこともあるのですが、旧ソ連の15の共和国のひとつでの民主的な選挙の実現は、まさにゴルバチョフ氏の功績だと思います。

*二つ目の写真は、サンクトブルグで通訳をしてくれた女性がロシア文学好きで、ドストエフスキーの『罪と罰』のゆかりの場所、つまりドストエフスキーが普段生活していたエリアで、主人公のラスコーリニコフが様々な行動をした場所として作品に描かれている場所を案内してくれました。右手奥の壁の下の隙間が、彼が老婆を殺した斧を埋めた場所とされているそうです。









カンボジアの未来について三上大使と、旧友と熱く語る

2022年08月27日 13時28分39秒 | 政治
三上正裕大使を訪問。大使公邸で『中田厚仁学校』訪問の報告をするとともに、来年のカンボジア総選挙も視野に入れた日本の民主化支援の在り方について意見交換をしました。1992年以降、カンボジアの選挙に関わってきましたが、有権者登録のプロセスに不正が入る余地が大きいことが毎回深刻な問題になっていました。長年カンボジアの民主化に取り組んできた問題意識を踏まえ、国会議員として日本の支援として有権者登録のプロセスを電子化するために奔走し、実現の道筋をつけることができました。一方で、カンボジアの民主主義は、2018年の総選挙の前に『国家転覆を企てた』として野党第一党を解党させる暴挙によって与党人民党が全ての議席を独占する状況であり、民主主義は後退していると言わざるを得ません。カンボジアの平和と安定に貢献したフンセン首相の功績は認めつつ、長男のフン・マネット将軍が後継指名された現実を踏まえ、日本として、民主主義陣営として、未来を見据えてどのような関係を構築していくのか意見交換しました。また、日本として国民IDの電子化に寄与したことを、カンボジアの教育や医療の向上にどのようにつなげていくのか、是非、政府としても具体的に検討して欲しいと提案をしました。国会での質疑を通して具体案を明らかにしていきたいと思います。

今回は、旧友と再会する嬉しいひとときもありました。小市琢磨さんは昨年脳出血で倒れ、まさに九死に一生を得る経験をしましたが、すっかり元気になり、今回の本の出版にも全面的に協力を頂きました。また、30年前にラタナキリ州で通訳として活躍してくれたソバーンは、災害対策のエキスパートとして活躍しています。インターバンドの仲間とともに旧交を温めることができ、いつものようにカンボジアの未来についても熱く語り合うことができ、私にとっての心の糧になりました。











中田厚仁学校を訪問して、クラウドファンディングで作った平和教育の教材を配布

2022年08月25日 13時01分16秒 | ボランティア
 国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC)で共に活動し、研修中はルームメートだった中田厚仁さん。彼が命を落としたコンポントム州の任地に向かったのが30年前の9月8日でした。今回は平和構築NGOインターバンドの仲間とともに彼が亡くなった場所にできた学校を訪ね、4月〜5月にかけて行ったクラウドファンディングで作った平和教育教材の配布と、特に貧しい子どもたちへの教育支援を目的にカンボジアに来ています。

 私の説明とソフィア先生の朗読に熱心に聞き入る子どもたちを見ていると、中田厚仁さんが、たったひとつしかない自らの命を危険に晒してでも守ろうとしたものはこれだったんだと、感慨深い思いでした。




























































終戦記念日に戦争と和解について改めて考える-破産宣告したスリランカにどう向き合うか

2022年08月15日 17時23分31秒 | 政治
今日は終戦記念日。戦争と和解について改めて考えてみたいと思います。

私は戦争と和解をテーマに列国議員同盟(IPU)の一員として演説をしたことがあります。(2012年10月。カナダ・ケベック)この時は、故江田五月参議院議員や中林美恵子衆議院議員などとともに参加していました。

私は紛争国の民主的な選挙支援や、除隊した兵士の自立支援などに長く従事していました。スピーチでは、戦争中に行われた様々な行為について真実を明らかにすること、そして正当な裁きを行うこと、つまりキリスト教的な考えに基づく『正義の回復』が非常に重要であることは当然であるとともに、対象の国や文化によっては、新たな局面を生み出すためにはアジア的な『赦し』の思想を組み入れることにも検討価値があるのではないかとの問題提起です。これはもちろん、加害者の側の責任をあいまいにすることではありません。

スリランカ(当時はセイロン)のジャヤワルダネ元大統領(当時は大蔵大臣)は、1951年のサンフランシスコ講和会議において、「憎悪は憎悪によって消え去るものではなく、ただ慈愛によって消え去るものである(hatred ceases not by hatred, but by love)」という仏陀の言葉を引用し、対日賠償請求権を放棄しました。

「戦争は戦争として、終わった。もう過去のことである。我々は仏教徒である。やられたらやり返す、憎しみを憎しみで返すだけでは、いつまでたっても戦争は終わらない。憎しみで返せば、憎しみが日本側に生まれ、新たな憎しみの戦いになって戦争が起きる」

「戦争に対して憎しみとして返すのではなく、優しさ、慈愛で返せば平和になり、戦争が止んで、元の平和になる。戦争は過去の歴史である。もう憎しみは忘れて、慈愛で返していこう。」

 対日賠償請求権の放棄を明らかにするとともに、わが国を国際社会の一員として受け入れるよう訴える演説を行いました。

「日本に今、この段階で平和を与えるべきではない」「日本は南北に分割して統治すべき」など、さまざまな対日強硬論が中心であった中、この演説は多くのリーダーの心を動かしました。ドイツが東西に分割されたことなどを考えるとジャヤワルダナ大統領は私たち日本人にとっての恩人と言えるでしょう。

こんな歴史的事実も踏まえて紛争と和解についてスピーチをしたところ、スリランカからの議員団は立ち上がって大きな拍手をしてくれました。残念ながら多くの日本人が知らないこの事実を、私は教育の場でも教えるべきだと思っています。

2013年、スリランカ仏教において大きな役割を果たしたダルマパーラ師の生誕150周年記念式典に招かれ、アントニオ猪木参議院議員とともに参加しました。スリランカ最大のテレビ局(マハラジャ・グループ)の会長にスタジオに招いて頂いたので、このことをお話しし、スリランカの方々に日本人として改めてお礼を申し上げたいとお願いしたところ、会長の鶴の一声で私のメッセージが放送されることになりました。その日はちょうど中国の周近平主席がスリランカを訪問し首脳会談をした当日。現地のニュースはその話題でいっぱいでしたが、ゴールデンタイムのニュースの中で放送して頂き、冒頭のジャヤワルダナ大統領の言葉を引用して、アジア的価値観、仏教的価値観に基づいた紛争解決の新しい手法について提案することができました。

『赦し』を受け入れたからこそ、不断に真実の解明を行う責任、赦しによってさらに重くなる責任をどのように果たしていくか、そこに国家としての責任や誇りも問われると思います。一方、日本の侵略戦争によって被害を受けた国の国民がこの演説から何を感じたのか、どのように受け入れたのか、さらに研究したいと思います。決して綺麗ごとでは済まないと思うからです。

さて、このスリランカは対外債務が膨らみ、この7月5日に破産宣言をする事態になっています。大きな要因はラジャパクサ大統領一族による独裁政治です。大統領の出身地であるハンバントタ港の、インフラ整備に中国企業から借りた借金の返済が行き詰まり、担保にしていた南アジア最大の港であるハンバントタ港の運営権を中国企業に99年間引き渡さざるを得なくなるなど、中国の『債務の罠』の犠牲になったとの見方もあります。また、新型コロナウイルスにより観光業が打撃を受けたこと、外貨不足によりエネルギーや食糧の輸入が困難になり物価が高騰。また、停電が相次ぎ、物流の停滞が滞っていることも要因とされています。

こんな時こそ、ジャヤワルダナ大統領に受けた恩を返す時かもしれません。民主的な選挙の支援や、産業の育成とセットに借金返済の支援を行うなど日本にできることは何か、具体的な検討に入るよう、政府に要望したいと考えています。

*昨年8月15日の投稿にスリランカの現状への問題意識を加筆したものです。




日米地位協定をめぐる問題点から見る、より進化した協力関係の在り方について

2022年08月07日 18時38分34秒 | 政治
先日、日米地位協定の問題点と、日米のより進化した協力関係の在り方について講演をした時の映像です。4月にアメリカ空軍の方々に対してオンライン講演をしたものをベースにお話ししています。

日本有事の際の指揮権の密約や、裁判権放棄密約など、日本が主権を放棄した状況が続いていることが、米国の公文書によって明らかになっています。このような状況が在日米軍と日本の官僚によってのみ決められ、国会に報告義務がなく、日米国民にも知らされていない状況では、真に平和に貢献する日米関係にはなり得ません。では、どうすべきなのか。より良い日米関係の構築の在り方についてお話ししています。

日米関係は非常に重要な二国間関係ですが、政府が国民に事実を隠し続けてきた状況で防衛費を増やしても、真の日米関係の強化にはつながりません。ドイツやイタリア、韓国は交渉によって国内法の適用などの権利を勝ち取っていることを例に、本当の戦後レジームの転換に向けた政治の責任の果たし方について私の決意をお話ししました。


より良い未来をつくる日米関係の在り方について①-日米地位協定をめぐる状況


より良い未来をつくる日米関係の在り方について②-質疑応答1 民主党政権の取り組み


より良い未来をつくる日米関係の在り方について③-質疑応答2 日本の平和貢献の在り方について