ミハイル・ゴルバチョフ元ソ連大統領が亡くなりました。私の人生にもっとも影響を与えた政治家のひとりです。
私が子どもの頃、隣国の大きな存在だったソビエト連邦。怖くて、冷たくて不気味な存在と思っていた人が多かったことでしょう。また『嫌いな国』のナンバー1であったと思いますが、だからこそ、私は興味を持ちました。高校生の頃、ソビエト共産党が支配するソ連と、そこに住む普通の人々は違うのではないかと思うようになり、ソ連関係の本を読み漁るようになり、ドストエフスキーの『罪と罰』や『カラマーゾフの兄弟』、トルストイの『戦争と平和』『アンナ・カレーニナ』などのロシア文学を片っ端から読みました。ドラマティックで魂に響くストーリーに心奪われ、勉強の時間はほぼ読書に捧げたので成績は悲惨なことになりましたが、自分の考え方、生き方の核になる部分を育んでくれた読書体験だったと思います。
大学生になった時、そんな私の目の前に登場したのがゴルバチョフ氏でした。ソ連共産党のリーダーに上り詰めるまで、改革の意志は固く心に秘め、しかし、ソ連の体制は壮大なペテンであり、持続不可能であることを見抜いて、トップに立った時からペレストロイカ(改革)、グラスノスチ(情報公開)などを進めていきました。本当の勇気が必要なことだったと思います。それまでのソ連の指導者に見られなかった笑顔、また、理想を語る言葉の明快さにも魅了されました。
ゴルバチョフ氏の改革が、東西冷戦の終結、そしてソ連と東欧諸国の体制の崩壊へとつながって行く過程も、真に心躍るものでした。その頃の私は大学を卒業してキヤノン株式会社で複写機輸出部にいたのですが、希望して担当していたのが、ソ連東欧や中国市場でした。
1989年、天安門事件や、ベルリンの壁の崩壊など大きく歴史が動きます。翌年東西ドイツが統一され、さらにソ連が崩壊。自由、そして民主主義を求める人々のすさまじい熱量を感じ、そんな人々の鼓動を感じたい、できることなら力になりたい!と思う気持ちが私の心に湧き上がりました。そして3年後、国連が史上初めて一国の統治を暫定的に担い、自由で公正な選挙の実施を担うミッションがカンボジアで実施されることを知ったとき、何が何でも行きたい、自分の人生を懸けてこの仕事をしたいと思ったのは自然な思いでした。
昨日亡くなった京セラの稲盛和夫会長や、サッカー旧ユーゴスラビア代表監督だったイビチャ・オシム氏など、直接薫陶を受けた偉大な人物が今年相次いで世を去ってしまったこと、とても寂しく思います。民主化を進めると思われたロシアはウクライナに侵攻。ゴルバチョフ氏の理想はまだ道半ばです。国際的には大きな名声を得ているゴルバチョフ氏は、ソ連を崩壊させ、社会の混乱、さらに現在の紛争の要因を作った人物として、旧ソ連の国々、特にロシアでは評価していない人が大半のようです。しかし、不可能と思われた大きな壁に怯むことなく立ち向かい、世界史を大きく変える役割を果たしたゴルバチョフ氏の政治哲学ー対話と相互協調、そして政治思考の非軍事化には大きな影響を受けました。心から哀悼の祈りを捧げたいと思います。
*写真は旧ソ連のキルギス共和国で選挙監視をした時に代表して投票所で挨拶する機会があり、上記のような思いをお話ししました。ロシアでの活動の写真が見つからなかったこともあるのですが、旧ソ連の15の共和国のひとつでの民主的な選挙の実現は、まさにゴルバチョフ氏の功績だと思います。
*二つ目の写真は、サンクトブルグで通訳をしてくれた女性がロシア文学好きで、ドストエフスキーの『罪と罰』のゆかりの場所、つまりドストエフスキーが普段生活していたエリアで、主人公のラスコーリニコフが様々な行動をした場所として作品に描かれている場所を案内してくれました。右手奥の壁の下の隙間が、彼が老婆を殺した斧を埋めた場所とされているそうです。
私が子どもの頃、隣国の大きな存在だったソビエト連邦。怖くて、冷たくて不気味な存在と思っていた人が多かったことでしょう。また『嫌いな国』のナンバー1であったと思いますが、だからこそ、私は興味を持ちました。高校生の頃、ソビエト共産党が支配するソ連と、そこに住む普通の人々は違うのではないかと思うようになり、ソ連関係の本を読み漁るようになり、ドストエフスキーの『罪と罰』や『カラマーゾフの兄弟』、トルストイの『戦争と平和』『アンナ・カレーニナ』などのロシア文学を片っ端から読みました。ドラマティックで魂に響くストーリーに心奪われ、勉強の時間はほぼ読書に捧げたので成績は悲惨なことになりましたが、自分の考え方、生き方の核になる部分を育んでくれた読書体験だったと思います。
大学生になった時、そんな私の目の前に登場したのがゴルバチョフ氏でした。ソ連共産党のリーダーに上り詰めるまで、改革の意志は固く心に秘め、しかし、ソ連の体制は壮大なペテンであり、持続不可能であることを見抜いて、トップに立った時からペレストロイカ(改革)、グラスノスチ(情報公開)などを進めていきました。本当の勇気が必要なことだったと思います。それまでのソ連の指導者に見られなかった笑顔、また、理想を語る言葉の明快さにも魅了されました。
ゴルバチョフ氏の改革が、東西冷戦の終結、そしてソ連と東欧諸国の体制の崩壊へとつながって行く過程も、真に心躍るものでした。その頃の私は大学を卒業してキヤノン株式会社で複写機輸出部にいたのですが、希望して担当していたのが、ソ連東欧や中国市場でした。
1989年、天安門事件や、ベルリンの壁の崩壊など大きく歴史が動きます。翌年東西ドイツが統一され、さらにソ連が崩壊。自由、そして民主主義を求める人々のすさまじい熱量を感じ、そんな人々の鼓動を感じたい、できることなら力になりたい!と思う気持ちが私の心に湧き上がりました。そして3年後、国連が史上初めて一国の統治を暫定的に担い、自由で公正な選挙の実施を担うミッションがカンボジアで実施されることを知ったとき、何が何でも行きたい、自分の人生を懸けてこの仕事をしたいと思ったのは自然な思いでした。
昨日亡くなった京セラの稲盛和夫会長や、サッカー旧ユーゴスラビア代表監督だったイビチャ・オシム氏など、直接薫陶を受けた偉大な人物が今年相次いで世を去ってしまったこと、とても寂しく思います。民主化を進めると思われたロシアはウクライナに侵攻。ゴルバチョフ氏の理想はまだ道半ばです。国際的には大きな名声を得ているゴルバチョフ氏は、ソ連を崩壊させ、社会の混乱、さらに現在の紛争の要因を作った人物として、旧ソ連の国々、特にロシアでは評価していない人が大半のようです。しかし、不可能と思われた大きな壁に怯むことなく立ち向かい、世界史を大きく変える役割を果たしたゴルバチョフ氏の政治哲学ー対話と相互協調、そして政治思考の非軍事化には大きな影響を受けました。心から哀悼の祈りを捧げたいと思います。
*写真は旧ソ連のキルギス共和国で選挙監視をした時に代表して投票所で挨拶する機会があり、上記のような思いをお話ししました。ロシアでの活動の写真が見つからなかったこともあるのですが、旧ソ連の15の共和国のひとつでの民主的な選挙の実現は、まさにゴルバチョフ氏の功績だと思います。
*二つ目の写真は、サンクトブルグで通訳をしてくれた女性がロシア文学好きで、ドストエフスキーの『罪と罰』のゆかりの場所、つまりドストエフスキーが普段生活していたエリアで、主人公のラスコーリニコフが様々な行動をした場所として作品に描かれている場所を案内してくれました。右手奥の壁の下の隙間が、彼が老婆を殺した斧を埋めた場所とされているそうです。