阪口直人の「心にかける橋」

衆議院議員としての政治活動や平和構築活動、趣味や日常生活についてメッセージを発信します。

事務所の整理をして見つけた懐かしい絵葉書に思う

2022年01月08日 09時42分31秒 | ボランティア
事務所から運び込んだ段ボールの整理をしていたら、20年以上前にカンボジアの教育の支援のために自分が作った絵葉書や、インターバンドとも連携していたフェアトレードショップ『あまほろ』で売っていた絵葉書を発見しました。

写真の絵葉書は私が撮影したもので、国連の平和構築活動で住み込んでいたカンボジア・ラタナキリ州の山岳少数民族の暮らしをモチーフにしています。マラリアが猛威を振るう地域で、小さなこどもさえ竹のパイプでタバコの一種を吸って、マラリア蚊を寄せ付けないようにすることが文化として根付いています。

インターバンドと姉妹関係にあり、ともに首藤信彦元衆議院議員が設立したアフリカ平和再建委員会のルワンダ支援では、現地の女性たちがバナナの葉っぱで作った絵葉書を売り、現地での活動につなげていました。

当時は、このような小さな支援でも様々な支援活動の資金の一部にできたのですが、日本の経済力の低下とともに、その力が小さくなっていることも実感します。新たなアイディアも組み合わせた活動にしていかなければならないと痛感します。










二ヶ領用水を父と散策

2022年01月01日 19時44分10秒 | ボランティア
今年の新年は10数年ぶりに両親と一緒に迎えました。父親が設立し、川崎市を流れる二ヶ領用水の環境美化を目指すNPO『二ヶ領用水ウォッチングフォーラム』の活動について振り返りながら散策。

400年の歴史がありながらかつてはドブ川のようにも見えた二ヶ領用水が、多くの方々の力で川下りイベントができるほどにきれいになっている様子を改めて確認。市民の思いの結集がもたらす力を実感することができました。













私の人生に大きな影響を与えた人-中田厚仁さんの思い出

2021年12月08日 23時10分47秒 | ボランティア
国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC)の仲間だった中田厚仁さんが活動中に銃撃を受けて亡くなった場所にできた中田厚仁学校(アツスクール)。私の人生に大きな影響を与えた中田厚仁さんと学校の歴史について、映像にまとめました。

私の人生に大きな影響を与えた人-中田厚仁さんの思い出(阪口直人YouTubeチャンネル)

https://youtu.be/bVVY6QXtnJ0

今日はこの学校の教育プログラムを支える方法について、インターバンドの仲間と作戦会議をしました。クラウドファンディングなどの方法を探っていきます。

武藤嘉文元外務大臣との不思議なご縁

2021年12月02日 20時52分33秒 | ボランティア
荷物の整理をしていたら、1993年6月21日に武藤嘉文外務大臣から表彰を受けた時の写真が出てきました。

国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC)の一員として、自由公正な選挙の実施に貢献したことが理由とのことでした。紛争地のリアリティを肌で感じ、自分の人生の目標を持てたこと、そして多くの素晴らしい仲間に出会ったことが何よりの意義だと感じていました。国のためではなく、あくまで現地の平和に寄与するために国連の一員として行ったのでお断りするつもりでしたが、すでに代表で挨拶することになっていると連絡を受け、国会議員に直に接する人生最初で最後の機会と思い直して受けることにしたのでした。

家に帰って活動中に来ていたTシャツに着替えて写真を撮ったようですが、28年間段ボールの中でした。

将来、岐阜3区の総支部長になり、ご子息の武藤容治衆議院議員に挑戦させて頂くことになるとは、当時は夢にも思いませんでした。不思議なご縁だと思います。







高邑勉元議員からのマスクの寄贈先

2020年04月26日 18時41分11秒 | ボランティア
 先日、衆議院当選同期の高邑勉さんが中国から寄贈されたマスクを2000枚寄付してくれました。私はあくまでも仲介者として、知人を通して松阪市の社会福祉協議会に900枚(新聞記事)、残りはミャンマー・カチン州から戦乱を逃れて日本で難民申請をしている方々、また神奈川県の医療施設などに全てのマスクを寄付しました。送り主は『伊達直人』こと高邑勉元議員になっています。

 2015年11月、ミャンマー総選挙に選挙監視員として現地を訪れた際、環境破壊、人道問題の象徴と現地の人々が考えているカチン州に建設中のミッソンダムの現状もKIO(カチン独立組織)の方々の案内で視察しました。このダム建設がきっかけで内戦になり、多くの国内避難民や、故郷を追われて海外に逃れる人が続出しています。カチン族の人々とは、7年間行われていない伝統的な祭りであるマノー祭を2018年に松阪市で実施するなど様々な交流を行ってきました。日本に逃れたものの難民申請が未だ通らないカチン族の方々は、生活が安定せず、病気のリスクは非常に大きなものになっています。

 このダムの建設は中国が行っており、現在は現地住民、そして国際世論の反対などで建設工事は凍結中です。中国に対するカチン族の方々の思いは複雑ですが、まずは日本で大変な思いをしているカチン族の方々に中国から贈られたマスクは活用して頂きたいと思います。

  信頼できる知人を通し顔の見える形態で、それぞれニーズの高い場所にマスクを送ることができて良かったと思います。










高邑勉元衆議院議員のタイガーマスク運動

2020年04月17日 23時11分14秒 | ボランティア
 衆議院当選同期の高邑勉さんが中国から寄贈されたマスクを2000枚寄付してくれました。私はあくまでも仲介ですが、選挙区では寄附行為になる可能性があり配れません。従って他県の児童施設や老人介護施設など、マスク不足でもっとも困っていると思われる方々に全てのマスクを届けてもらうよう、他県の知人たちに託すことにしました。送り主は『伊達直人』かな。もちろん私ではなく高邑さんです。

 高邑元衆議院議員は今、日中合同医療プロジェクトのコーディネートなどをしており、2万枚のマスクを新型コロナウイルスに苦しむ武漢に寄贈したところ、20倍返しで40万枚のマスクが送られてきたとのことです。

 高邑勉さんは同僚議員として東日本大震災の被災地支援などに一緒に取り組みましたが、その卓越した行動力、発想力にはいつも圧倒されました。南相馬市など福島県の避難所で寝泊まりをし、まさに被災地から国会に通う毎日でした。今朝、徹夜で運転して各務原市に到着し、仮眠してマスクを届けてくれた後、岐阜市で柴橋市長にマスクを寄贈し、その後は越前大野、そして加古川市に移動。それぞれマスクを渡して今も移動中だそうです。今、不要不急の移動を自粛するのは当然ですが、有要緊急のニーズに駆け回る姿には感銘を受けました。お互いに頑張りましょう!



 

 

ナカタアツヒト学校の日本語クラスを瀬戸康史さんが訪ねました

2020年03月17日 17時45分20秒 | ボランティア

 3月20日(金) 17:00~19:00 BSフジ『瀬戸康史が行く、気ままな“ガチ”旅 ~カンボジア・魅惑の世界遺産すべてを巡る!~』が放映されます。私の25年来の友人、小市琢磨さんがコーディネートを務めた番組。ナカタアツヒト小中学校についても放映される見込みです。去年開設に漕ぎ着けた日本語クラスの生徒などを取材しています。嬉しい!

  小市さんが熱心に働き掛けてくれた結果、瀬戸康史さんがアツ学校を訪問し、子ども達と交流する場面が番組宣伝写真(1枚目)になっています。アンコール遺跡群、天空の寺院プレアビヒア、そしてアンコールワットより500年も古いサンボープレイクックの3つの世界遺産全てを巡るのが主なテーマですが、BSの利点を活かした2時間丸ごとの構成でカンボジアの魅力を伝えます。









自分ではない役を演じる経験は政治にも活きる?-再び演劇に出演

2019年10月29日 14時11分36秒 | ボランティア

 仲間からの誘いで演劇『木地小屋の怪力専故物語』に出演させて頂くことになりました。前回初めて出演した演劇では放浪の旅を続ける俳人『阪口芭蕉』役でしたが、今回は平安時代の惟喬親王を演じます。自分ではない存在になりきることは面白いですね。いい勉強になりそうです。













『厚仁の夢プロジェクト』として絵本を読む会を実施

2019年05月14日 10時19分10秒 | ボランティア

 日曜日は『厚仁の夢プロジェクト』の一環として、3月にカンボジアで出版した絵本『中田厚仁物語-夢は世界を平和にすること』の朗読会を午前、午後と二つの会場で行いました。

 最初に私がカンボジアの現代史や経済、政治状況、さらに国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC)での活動についてお話しし、絵本の朗読の後は、現在の政治状況、そして中田厚仁さんが殺害された場所にできた『ナカタアツヒト学校(アツスクール)』の現状についてお話ししました。

 絵本セラピストの方が感極まって泣き出すほど感情を込めて読んでくださったこともあり、参加者の方々もとても熱心に参加して下さり、50冊以上用意した絵本も完売でした。

 まずはリクエストがあった教科書が買えない子どもたちへのサポートや文字の判別が難しいほど古くなった各教室の黒板をホワイトボードに替えるなどの資金に使わせて頂きます。絵本は1冊1000円(送料は10冊まで360円)で販売させて頂いています。ご希望の方は阪口直人(sakaguchi-naoto@nifty.com)までご連絡ください。

午後の会場では、お疲れ様でしたと参加者からカーネーションの花束を頂きました。母の日にカーネーションをもらったのは初めてです!

 明日15日には岐阜市でも同様の機会を作りました。吉野克弘氏が行っている心理学勉強会の中でお話しさせて頂きます。


 日時:5月15日(水) 10:30~12:00

 場所:岐阜市琴塚2-8-5 高畑建設敷地内(4つある建物の中の右奥の建物です)

 移動式建物になっており、高畑建設の駐車場の駐車可能です。















絵本『中田厚仁物語-夢は世界を平和にすること』を出版

2019年03月12日 19時26分43秒 | ボランティア

 先週はカンボジア・コンポントム州の中田厚仁学校(アツスクール)を訪問。作成した絵本『中田厚仁物語-夢は世界を平和にすること』を生徒たち全員に配りました。絵本の朗読や質疑応答などを通して中田厚仁さんについて、またこの学校の歴史について理解を深めてもらう機会を作りました。

 この学校を訪問するのは7回目です。中田厚仁さんが活動中に銃撃を受け亡くなってからまもなく26年。彼が亡くなった場所にできた村、アツヒト村に生まれたこの学校は日本とカンボジアの友情のシンボルのような存在ですが、生徒たちが国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC)や、中田厚仁さんのこと、学校ができた経緯をあまり知らず、多くの人々の記憶からも薄れつつあることを何とかしたいと思っていました。プノンペンでの研修中、2ヶ月間ルームメイトだった時のエピソードなども含めて作成した絵本に子どもたちが見せてくれた姿に感無量でした。

 日本でも絵本を読む会をしたいと思います。イラストを担当して下さったMary Watanabeさん、出版コーディネートを担当して下さった小市琢磨さんなど、多くの方々の協力に感謝したいと思います。

 
 この絵本については、カンボジアの多くの新聞やテレビニュースで報道されました。その中の一つ、Cambodia News Todayの記事を、プノンペンの王立行政学院に留学し、カンボジアの専門家を目指している若い友人が訳してくれたので紹介します。多くの方々に関心を持って頂き、初版の3000部はすぐになくなってしまいそうです。


















【UNTAC時代にカンボジアで殉職した日本人男性の話の絵本が学生に配布される】

 UNTAC時代のカンボジアにおいて、”平和と民主主義”のために自らの命を懸けた日本人男性”中田厚仁”氏の勇気ある正義感の強い個性や生き方を描いた絵本が出版され、2019年3月2日、コンポントム州アツヒト村にある”アツ”小中学校の学生に配布された。

 この絵本は、日本の元衆議院議員阪口直人氏および在カンボジア日本人会会長兼株式会社Locomo Group創業者の小市琢磨氏らによって、計1000冊あるうち450冊が”アツ”小中学校の生徒に配布された。(初版は計3000冊出版)

 この絵本は、1992年にUNTACの国連ボランティアとして、1993年のカンボジア総選挙の支援のため、カンボジアに赴任して来た中田厚仁氏の生涯や功績を描いている。罪のない数百万人の国民を殺害したポルポト政権に続いて長引いた内戦後、カンボジアはUNTACの協力により、平和と民主主義の第一歩としての、自由と公正を第一に掲げた総選挙の実施に向けて準備をしていた。その中で、中田厚仁氏は、国連ボランティアとして、当時軍事衝突が激しかったコンポントム州において、住民へ選挙の重要性を唱え、選挙への参加を呼びかけた。

 しかし、1993年4月8日、選挙まで残り数週間というところで、中田氏は銃撃に遭い、25歳という若さで亡くなった。

 そしてその後行われた1993年の総選挙では、彼が担当した地域の投票率は99.9%にまで上った。また、中田氏の功績を讃え、彼が銃撃にあった村がアツヒト村と改名され、加えて、日本の遺族からの支援で、アツヒト小中学校が建てられた。

 阪口直人氏も、1992年、UNTAC時代のカンボジアで、国連ボランティアとしてカンボジアの総選挙支援に取り組んでいた。

 当時、阪口氏が2ヶ月間プノンペンにて任務およびカンボジア語の研修を受けていた時、中田氏のルームメイトだった。その研修後、阪口氏と中田氏は共に選挙監視員としての任務に就いた。

 阪口氏は、2009年から2014年まで、日本の衆議院議員として活動していた。UNTACのミッション終了後も、阪口氏は現在に至るまでずっとカンボジアの総選挙の監視に携わってきた。

 この絵本は、カンボジア語と日本語で書かれており、Sakura Network Systemの協力および株式会社Locomo Groupのコーディネートにより出版された。

ミャンマー・カチン族のマノー祭りを実施!(1)

2018年08月28日 17時51分32秒 | ボランティア

 まさか、松阪市の奥地でミャンマー北部の少数民族・カチン族の伝統祭事を実施できるなんて! 8月25日、26日に実施したマノー祭りは全ての関係者の努力が結実した奇跡のようなひとときでした。沢山の写真で紹介したいと思います。

 私は2015年11月、アウンサンスーチー氏率いる国民民主連盟(NLD)が政権交代を果たしたミャンマー総選挙の監視活動を行いましたが、その直後にカチン州に入り、内戦を巡る状況や環境破壊の象徴とされるミッソンダムについて調査を行いました。この時、案内して下さったのが今回の実行委員長を務めた上村眞由氏です。

 異なる言語を持つカチン族の諸族は、連帯への思いを込めて毎年この祭りを行ってきましたが、2011年に始まったミャンマー政府軍とカチン独立軍の戦闘により10万人を超える国内避難民を生み出し、マノー祭りも7年間実施されていません。従って、カチン州から祭司や関係者を呼び、日本各地にいるカチン難民や数多くの難民申請中の方々と一緒に、ふるさとカチン州に似た風景が広がる松阪市飯高町波瀬にてこの伝統的なお祭りを実施しました。目にも鮮やかな彩り豊かな民族衣装、そして誰でも参加できる踊りを、参加者は心から楽しめたのではと思います。

 前日には交流会を行い、歌や踊り、カチン料理を楽しみました。松阪市内から50キロ余り離れた山深い地の学校跡に100人近いカチン族の方々を受け入れ、カチン料理を始め、700食あまりを共に作るなどボランティアの方々のお力添えがあっての素晴らしいイベントになりました。私は踊りは大の苦手ですが、何となく踊れてしまったような気がしています?

 なお、内戦により多くの国内避難民になっているカチン族の人々をサポートするため、9月17日には松阪市クラギ文化ホールでチャリティー・コンサートも行います。平和活動に尽力するソプラノ歌手・下垣真希さんの歌や、世界的二胡奏者の演奏もあります。申し込みは上村眞由(まさよし)さんまで(携帯:090-2683-4915)
























幼稚園以来の演劇で『さすらいの俳人・阪口芭蕉』役を演じる

2017年11月28日 17時05分28秒 | ボランティア

 26日(日)は、松阪市で活動していた時の支援者でもある小林典子氏が脚本・演出を手掛けた演劇『心の月の光みがかん』に役者として参加させて頂きました。演劇をさせて頂くのは幼稚園の時に大国主命を演じて以来です。

 江戸後期の彦根藩主・井伊直弼の懐刀で国学者の長野主膳の人生を陰で支えた多紀の生涯がテーマです。多紀が松阪市飯高町宮前に生まれ育った人であることから、脚本を書いた小林典子氏が長年やりたいと思っていらっしゃったストーリーだそうです。

 長野主膳はNHKの第一回大河ドラマの主人公になったこともあり、松阪の人々にとっては大きな存在です。一方、小林氏によれば「多紀は地味な女性。それ故に多紀の寂しさや心の葛藤を表現することは難しく、盛り上がりの少ない、地味なストーリーになった」とのことですが、舞台袖で見ていても、観客の笑いや涙が伝わってくるなど、皆さん熱心に観て下さったようです。

 小林氏には脚本を書いている時から、是非出演してくださいと言われていました。伊勢の国(三重県)から美濃の国(岐阜県)まで旅をする途中、故郷を離れて旅を続ける主膳と多紀に話しかける『さすらいの俳人・阪口芭蕉』役が私のパート。自分を松尾芭蕉の生まれ変わりなのでは?思っている能天気な俳人として、主膳と多紀が故郷の人々に別れを告げるシーンで観客を泣かせた直後に笑いを取る難しい役回りでした。もし選挙などと重なって参加できなくても全体のストーリーには何の影響もない場面ですよ!とのことで安心して引き受けたのですが、5分以上の長いセリフをほとんど一人で話すことになっていて、初めての経験にしてはかなり荷が重いものでした。ただ、自由にやってくださいと言われていたこともあり、本番では脚本になかったアドリブやオチもつけて楽しく演じることができました。客席がどっと沸く場面もあって、演じることの醍醐味も感じることができました。

 一度でクビになるかと思っていたのですが、次回もまた出演依頼を頂くことになったそうです。受けるかどうかはどんな役なのかを聞いてからにした方がいいかもしれません。



俳句について講釈をする阪口芭蕉


美濃の国に入った主膳と多紀に話しかける阪口芭蕉








中瀬古初美県会議員と

命の終焉を覚悟した瞬間からの学び

2017年06月19日 00時58分20秒 | ボランティア

命の終焉を覚悟した瞬間からの学び

「金を出せ。さもなければ撃つぞ!」車を止められた私は、荒々しくドアを開けた4人の兵士に銃口を突きつけられました。兵士たちの殺気立った様子、そして、引き金を引いた状態で私に突きつけられたAK47のゾッとする冷たさは、目的を遂げるための凶暴な決意を示していました。

自分の命もここで終焉か…? と背筋が凍りつきました。カンボジアPKOでの選挙支援活動中に銃撃され命を失ったかつての同僚、中田厚仁さんが襲われた状況と同じだったからです。しかし、座席に置いてあったバッグを奪い取った兵士は、「さっさと行け」とばかりドアを蹴るように閉めました。1995年10月1日。カンボジアで起こった一瞬の出来事でした…。

ちょうど、レポーターを務めたNHKのドキュメンタリー番組『新生カンボジア・3年目の現実』の取材を終え、支援していたNGOを訪ねた帰りでした。貴重な取材ノートも、カメラも、現金も全て失ってしまいましたが、命あることのよろこびは何物にも換え難いことを実感しました…。

彼らは政府軍の兵士たちでした。政府の財政難のため給料が支払われず、他の仕事を行う技術もないため生活に困窮し、強盗団として各地で暗躍していたのです。被害届を出しに行ったプノンペンの警察署で聞いたところ、何と警察署長も同じ目にあったそうです。もちろん、犯人を見つけることなど不可能とのことでした。

昨夜のNHKスペシャルはカンボジアでのPKO活動中に襲撃を受けて亡くなった日本人文民警察が置かれた状況を検証する特集でした。ポル・ポト派の支配地域に隣接する危険な地域での活動、そして襲撃の恐怖。CG映像で再現された様子は私が襲われた状況とほとんど同じでした。そして文民警察の方々が、自分の身を守るために15ドルで自動小銃を購入し、いざとなったらこれを使うしかないとの覚悟、私も理解できます。それではとても身を守ることはできないことも。もちろん『駆けつけ警護』を要請するなど全く不可能でしょう。

その後、私はポル・ポト派の元兵士を含む除隊兵士の社会復帰を支援する活動を数年間にわたって行っていました。ノーベル平和賞受賞者でもあるムハマド・ユヌス博士が開発した貧しい人びとに対する小規模融資を行う手法を応用して、元兵士たちが農村で自立するためのサポートを行いました。

幼い頃から銃を持って闘うことしか知らずに育った兵士にとって、戦争の終焉は失業を意味します。そして、食べていくことができなければ、また、社会の不公平や不条理に怒りを抑えられなくなった時には、再び銃を使って目的を遂げようとします。

このような状況から彼らを脱却させ、銃と未来を交換させるために支援を行うことも日本ができる大きな平和貢献と改めて感じています。











がん研究を支援する『生命の駅伝』

2017年06月03日 10時49分52秒 | ボランティア

 今年は第23回『生命の駅伝』に参加し、合計63キロを走りました。がん研究を支援すること、がんを知り、がんと向き合うために三重県内を9日間で386キロ走るイベントで、2015年11月にミャンマー・カチン州で選挙支援活動を一緒に行った上村眞由氏が中心になって運営しています。

 私はファイナルイベントを含め、3回走りました。最初は5月14日。松阪市飯高町での開会式の後、松阪市の中部台公園までの56キロのコースを約30キロ走りました。ここ数か月は交差点での街頭活動中に走るぐらいでジョギングさえもしていなかったこと、また30度近い気温もあって過酷な状況でしたが、皆さんと会話もしながら楽しく走ることができました。沿道でサポートして下さったボランティアの方々にも感謝です。選挙区の区割り変更に関する取材が再三入り、走りながら電話取材を受けるなど忙しい一日でした。

 二度目は25日。叩きつけるような土砂降りの中、志摩から鳥羽までの23キロを走りました。23年前にモザンビークでPKO活動に従事していた時、Wet T-shirt contest(濡れたTシャツ姿を競い合うコンテスト)に飛び入り参加させられ、なぜか優勝したことがあるのですが、その時にも負けないほどびしょ濡れになりました!

 みんなで走りながら集めた募金は小児ガンへの取り組みや、分子遺伝学へのアプローチなど目新しい研究、未来を担う学生の研究支援などに使われます。

















24年目の再会ー山岳少数民族の村から届いたメッセージ

2016年12月06日 19時36分45秒 | ボランティア

 昨日は嬉しいことがありました。1992~3年にかけて私が国連の一員として活動していたカンボジア・ラタナキリ州の山岳少数民族の村で先生をしている女性からメールが届いたのです。

 私は選挙を実施するための地域の責任者でしたが、内戦で破壊された村には電気も水道もなく、首都プノンペンからは国連のヘリコプターでしか行けない陸の孤島でした。彼女は当時生まれたばかりの赤ちゃんで、私の記憶はないそうです。でも、私が撮った写真は家に宝物のように大切に飾られていて、この写真を見て、両親に私のことを沢山質問したそうです。そして、いつか私に会ってみたいと思い続けてくれていたそうです。

 山岳少数民族の言葉には文字もなく、教育の機会も十分ではありません。しかし、彼女は努力を続けてプノンペン大学を卒業し、少しでも村の発展の力になりたい!と先生として村に戻ってきました。Facebookで私を発見し、英語でメッセージを送ってきてくれました。これからは、24年前に1年間過ごした村の様子を彼女を通して知ることができます!


 I want to inspire people. I want someone to look at me and say " Because of U I didn't give up" .

 彼女のこの言葉、私もしっかり受け止めて頑張らなくては!と改めて思いました。 



1992年のボケオ村の様子。後方が村のマーケットです。当時は村には食べ物があまりなく、私もかなり痩せて見えます。


私の著書『心にかける橋』に、いつも彼女を抱っこして遊びに来る少年と一緒に撮った写真も載っています。


左端が彼女の父親です。一緒に仕事をした仲間ですが、亡くなってしまったそうです。


プノンペン大学で学ぶ彼女


プノンペン大学を卒業する彼女