阪口直人の「心にかける橋」

衆議院議員としての政治活動や平和構築活動、趣味や日常生活についてメッセージを発信します。

私の健康法

2008年03月06日 00時53分03秒 | 日常
 先週は、私のスタッフ2人が高熱を出し、共に4~5日ほど休みました。事務的な仕事はかなりの部分をスタッフに任せているのですが、2人とも病気だとそうも言ってられません。その間は、訪問した方々へのお礼葉書の作成や住所の整理などを行うとともに、ひとりでもできる訪問活動に特に力を入れました。

 私は小沢一郎代表が言う「川上」。つまり、都市からはなるべく遠い地域から訪問活動をしていますが、これまでは鉄板の自民支持だったそんな地域においても、2大政党制、そして政権交代への期待が高まっているのを改めて感じました。

 さて、今日はちょっと趣向を変えて「私の健康法」について書きます。私はもう20年ほど、風邪などの病気で寝込んだことがありません。例外は1993年に罹ったマラリア。でも、この時は100%がマラリアのキャリアと言われる山岳少数民族の村で生活をしていましたから、これは、誰もが浴びる洗礼のようなものだと思っています。

 この10年あまりは、紛争地での国際協力活動や、国会の秘書をしながら大学院にも通って論文を書き、その後は、国会議員の立候補予定者として路上生活をしています。規則正しい生活とは縁がありません。睡眠時間も少ないですし、かなり無理な生活をしているようにも思いますが、不思議なことにずっと健康なのです。

 どうしてそんなに元気なのですか? とよく聞かれるので、私の健康法を列挙してみます。

 1.筋肉を鍛えること。

 私は暇さえあれば腕立て伏せや腹筋をしています。筋肉の割合を高めることで代謝が上がったせいか、寒さ、暑さに本当に強くなりました。風邪をひかなくなった一番の理由だと思います。

 2.ジョギングをすること

 走る時間を確保するのは難しいのですが、定期的に汗をかくのは代謝を上げる上で必要と思います。でも、走った後は体を冷やさないよう気をつけて!

 3.豆腐を沢山食べること

 豆腐は吸収されやすいたんぱく質が豊富で、老化や病気の防止、さらに美容にもいいそうです。私は一日1~2丁の豆腐を食べるようにしています。食べ方は、器に入れた豆腐に豆乳をかけ、電子レンジで温めます。小鉢に入れたポン酢に浸けて食べれば、本当に美味しいですよ。残った豆乳は再び温め、ハチミツ浸けの生姜を入れて飲みます。その間、全部で約3~4分。胃には重くないけど腹持ちがいいし、体は温まるし、体調も日々良くなりますよ。是非、皆さんもお試しください。朝4時台に起きる時など、本当に短い時間で準備しなくてはなりませんから、朝食はいつもこのパターンです。昼間食べ過ぎた時は、夜も豆腐を主食にすることもあります。地元で作られた品質のいいものでも100円ちょっとですから、貧乏な私には本当にありがたい食べ物です。

 4.ラーメンを沢山食べること

 私はラーメンが大好きで、毎日のように食べています。寒い日に駅や路上で活動しながら大きな声を出していると、「喉がコラーゲンを求める」状態になります。従って、私が食べるのはいつもコテコテの豚骨ラーメンです! 和歌山はラーメンのレベルが高いのが嬉しいところです。あまり喉は強くなかった私も、最近は咳き込んだり声がかすれることがなくなりました。でも、ラーメンが健康食とは誰も信じてくれないかもしれません。

 5.自然の食材を食べること

 自然のエネルギーをもらえる食材-旬の魚や山菜、果物などは、絶対に体にいいはずですよね。和歌山は自然の食材が豊富で安いので、なるべく地元のものを地元で買って食べるようにしています。私は賞味期限にはまるで無頓着ですが、添加物が入ったものは食べません。   

 参考になったでしょうか!? ずっと続けているのは1、2、そして5番目です。


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成人式を迎えた皆さんへ

2008年01月14日 01時43分48秒 | 日常
 今日は終日、橋本市で活動しました。ここ数日は様々な団体の「新春の集い」で和歌山市で過ごす時間が長かったのですが、今日は成人式を迎えた皆さん、そして、スーパーに買い物に来られた方々に、数時間にわたって街頭演説をしました。

 今日も寒い一日でしたね。スーツ一枚で長時間立っていたので、一日中、体が冷え切った状態で、熱いお湯に肩まで浸かって、今、ようやく体が温まってきた感じです。私は20年近く風邪で寝込んだことはありませんが、今日は久し振りに熱っぽくなる予感がありました。でも、大丈夫みたいです。

 新成人の皆さん、本当におめでとうございます。

 成人を迎えること、それは大人としての義務と権利が生じることです。私が成人になった24年前と比較すると、今の日本に明るい未来を感じる人は少ないようです。でも、皆さんと力を合わせて、もっと元気な未来を作っていきましょう。

 そのためには、もはや機能不全になっている古い政治体制を変えなくてはなりません。

 「進化論」を記したダーウィンは、大きな環境の変化の中、生き残れる者は、賢い者でも、強い者でもなく、変化に適応できる者だ! と言っています。世界が凄まじい勢いで変化している今、古い政治体制-自分たちの利権だけを守る政治をこれ以上続ける余裕などありません。変化に対応できる日本を作るためにも、今こそ、変える勇気が求められているのです。

 どんな時でも、新しい時代を切り拓くのは若者の力です。皆さんの力、そして勇気に期待しています。ともに頑張りましょう!


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ネコの駅長「たま」

2007年11月30日 18時09分10秒 | 日常
今日のメッセージは、こちらのブログ(ブログ「もうひとりの阪口直人」)に詳しく掲載しています。私が駅頭活動をした貴志駅の駅長「たま」について、雑感を綴っています。

 是非、お読みください。

 阪口 直人



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もうひとつのブログを開始!

2007年11月09日 23時15分42秒 | 日常
 今日はかつらぎ町のJR笠田駅で朝、駅頭活動をして、その後、駅周辺から、北側の山の斜面に沿った家々を一軒一軒、歩いてまわりました。

 日本一の柿の産地、かつらぎ町は、今、まさに柿の収穫シーズン。真っ赤に染まった柿の実は、日本の田園風景を、とても情緒深く見せてくれます。個別訪問は、政治活動における最大の楽しみですが、今日はとりわけ楽しく、温かい気持ちでお話をすることができました。

 さて、今日、私の2つ目のブログ「もうひとりの阪口直人」を立ち上げました。

 http://ameblo.jp/sakaguchi-naoto/

 今、読んで頂いているブログは、政治活動や国際情勢など、硬派な話題が中心です。でも、もっと自分自身の「日常」についても、自由に書いてみたいと思いました。政治活動、日常生活で見える社会の風景を、なるべく写真を沢山使って、エッセイ風に書きたいと思っています。あまり飾らず、自分らしく、時に過激に。

 こちらの方にも、是非、コメントをお寄せください!


 
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星空を見る愉しみ

2007年10月25日 23時59分01秒 | 日常
 和歌山で政治活動を始めて半年あまり。田園風景の中で活動・生活をしていると、都会では味わえない様々なシーンに遭遇します。ここ数日は星空が創り出す芸術に興奮・感動しました。

 21日の夜は、オリオン座流星群を見ました。遅くまで活動して帰宅する途中、ふと、インターネットで見たニュースを思い出した私は、紀美野町の山奥に向けてハンドルを切りました。理由はひとつ。オリオン座流星群を見るためです。天気は快晴。そして、流星がピークを迎える時間帯でしたから、迷うことなく生石山方面に向かいました。

 本当に素晴らしかったですよ。満天の星空の間を流れる流星を、1時間ほどの間に、20個ほど見つけることができました。ほとんどがオリオン座周辺でしたから、たぶん、その時間帯の流れ星は、全て見ることができました。

 私は星空を見るのが大好きで、何度も印象的な星空、そして流星を見てきました。

 学生時代にキャンプカウンセリングをしていた南アルプスの麓の村では、毎年ペルセウス流星群を見ましたし、私が住んでいたカンボジアやモザンビークの山岳少数民族の村では、夜の一番の楽しみは星空を眺めることでした。北朝鮮の平壌では、星空の美しさに、電気の消費量の少なさを実感しました。一番驚いたのは、カラコルム山脈のオアシスの村、パキスタンのフンザで見た星空です。夜空を煌々と照らす星の明るさに、日本画家・平山郁夫氏が描く、明るいブルーの空を思い出しました。
 
 そして、今夜10時頃、ジョギング中に、とてつもない明るさの彗星が目の前を流れました。あまりの明るさに打ち上げ花火かと思いましたが、ネットで調べてみたら、ホームズ彗星が大規模な爆発現象(大アウトバースト)を起こしたとのこと。国立天文台によると、ホームズ彗星上最大級の明るさの彗星とのことです。何てラッキーなんでしょう!!!

 これからは、夜空が美しい季節。皆さんも、是非、星空を楽しんでください! 


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ここにも「逆転の夏」!

2007年08月23日 00時35分18秒 | 日常

 今日は、開放同盟の方にお付き合い頂き、選挙でお世話になった方々へのお礼訪問を続けました。参議院選挙では連日駆け回っていましたが、しかし、私と顔を合わせることもなかった方々が、地道に、懸命に支えて下さっていたこと、挨拶を続けるごとに実感しています。

 選挙当日のポスター貼りに奮闘して下さり、個人演説会にも来て下さった方が、つい一週間ほど前に亡くなったことも知りました。せめてもう少し早く伺っていれば・・・と残念でなりません。政治活動をしていると、お世話になったり迷惑をかけることばかり。当選し、より良い社会の実現に寄与する以外に返す方法がないことを改めて実感しています。

 夜は、親戚の女の子が我が家にやってきました。何としてもアンコールワットを見たくて、ひとり旅をしたいとのこと。もちろん、できる限りの情報を伝授しました。アンコールワットに関するドキュメンタリー番組「新生カンボジア・3年目の現実(NHK1995年11月放送」を作ったり、修士論文の研究テーマにしたり、学生を引率して一緒にマラソンを走ったり・・・。私の思い入れが沢山詰まっている場所のひとつです。度重なる内戦、そして900年の時を超えて聳え立つあの気高い姿、できる限り多くの方々に感じて欲しいものです。

 それにしても・・・! 今日の甲子園の決勝戦は本当に素晴らしい試合だったようですね。それまで1安打に抑えられていた佐賀北高校が、8回に5点を取って大逆転した試合展開もさることながら、野球エリートがいるわけでもなく、体も小さな公立高校の生徒が、名門校を次々に破って快進撃を続けること自体が本当に感動的でした。昨年は予選の1回戦で敗退したチームが優勝。「逆転の夏」がここにもあったこと、本当に勇気づけられました。敗れた広陵高校もとても爽やかで、救われた気がします。



夏を実感する日々

2007年08月16日 23時59分50秒 | 日常
 連日、暑い日が続いていますね。私は挨拶回りを続けながら、お祭りや盆踊りに飛び入り参加したり、お墓参りやお見舞いなど、多忙な日々を過ごしています。

 お祭り等には議員ではない私が招かれるわけではありません。しかし、政治活動ではなく、地元を知る機会と思って接すると、皆さんも、あまり距離を感じることなく話してくれて、本当に貴重な機会であることを実感します。

 お盆休みの間も自転車に乗って活動を続けていますが、眩しい光にクラクラするような感覚になります。この活動は「意表をつく」こともコミュニケーションのきっかけになりますし、私は太陽が大好きですから、暑ければ暑いほど喜んで飛び出していくのは言うまでもありません。もっとも、ここ数日は、あまりの猛暑のせいか、昼間路上を歩いている方はとても少なかったような気がしますが・・・。

 

  
 

有吉佐和子「紀ノ川」

2007年08月13日 01時39分21秒 | 日常

 2日間、民主党本部や議員会館で選挙報告や挨拶回りをして、昨日帰って来ました。

 さて、帰りの車内で有吉佐和子さんの「紀ノ川」を読みました。有吉作品を読むのは「複合汚染」以来、25年ぶりでしたが、読み始めた途端に引きずり込まれ、あっという間に読んでしまいました。

 何といっても、私が日々活動をしている慣れ親しんだ場所で展開する物語であることが一番の理由です。物語の冒頭に、主人公「花」が紀ノ川上流の九度山村から中流の六十谷に船を使って嫁入りするシーンがあります。私自身が車で、そして自転車で、紀ノ川を眺めながら何度も何度も走ったところ。明治の女性である「花」の凛とした生き方を通し、当時の社会や文化が現在の様子とオーバーラップしました。彼女の夫は村長から県会議員、さらに衆議院議員になりますが、当時の政治家や、政治家を守る妻を取り巻く状況も大変興味深いものでした。

 伝統・格式を守りながら賢く、気品のある生き方を貫く「花」。母である花にことごとく反発し、奔放に生きる理想主義者・文緒の強さは表面的なもので、エリート銀行員に出会った途端、自分が徹底的に批判していた支配階級にあっという間に組み込まれていきます。そして、その娘の華子が、有吉佐和子自身と言われています。

 本が書かれたのは1959年、有吉佐和子が28歳の時です。明治の文化・風俗を調べ上げ、自らの想像力を交えて綴った文章の細緻な表現にも驚きました。

 「ワイルド・スワン」(ユン・チアン著)という本があります。中国の近現代史を、祖母、母、本人の3人の女性の苛烈な人生を通して綴った本です。自分自身が「心にかける橋」を書きながら繰り返し読んでいたこともあってとても印象深い本なのですが、時に時代に翻弄され、時には時代に闘いを挑む強さを持った3代の女性を通して近現代史を描く手法がこの本ともオーバーラップしました。

 「紀ノ川沿いの嫁入りはのう、流れに逆らうてはならんのやえ。みんな流れにそうてきたんや。自然に逆らうのはなによりもいかんこっちゃ」

 これは、「花」の祖母、豊乃が、花の縁談を決めた時の言葉です。

 軍閥の妾であった祖母、戦争や文化大革命に翻弄される母、そして自らの力で自由を掴む本人。「ワイルド・スワン」のストーリーは、戦争、そして封建社会の崩壊とともに没落していく家の歴史を描いた「紀ノ川」とは異なる、政治的メッセージの強いストーリーですが・・・。

 様々な時代を水面に映しながら、今も美しく流れる紀ノ川。明日も紀ノ川沿いを走ってみたくなりました。あ、その前にこれからペルセウス流星群を見てきます!

ロウソクが結ぶ心と心

2007年06月24日 22時15分33秒 | 日常
 
 皆さん、こんにちは。いつも様々なコメント、ありがとうございます。今日は、カフェラテさんと三高さんのコメントに関して書かせて頂きます。

 100万人のキャンドルナイト。

 1本のキャンドルが、国境を、宗教や立場を超えて世界を結ぶ。何てロマンティックで、崇高な発想でしょう。税金の無駄遣いを象徴するような安倍首相の電球のCMと比較するまでもなく、そのスピリチュアルな発想に心動かされます。

 1992~3年にかけてUNTAC(国連カンボジア暫定統治機構)の選挙監理員として活動していたラタナキリ州・ボケオ村。そこには電気も水道もなく、夜はロウソクの光で生活していました。私は現地の人の家の一角に住んでいましたが、一日の仕事を終えた後、ロウソクを何本か立てて、その灯りの下で本を読んだり、手紙を書くのが楽しみでした。高床式の家の下には家畜がうごめき、同じ空間に住む家の人が、蚊帳の中で何やらささやく声が時おり聞こえました。ロウソクの炎に集まってくる虫が、私の腕にとまり、したたる汗の海で溺死するほど暑い夜。揺れる炎を見つめ、遠くで響く銃声を聞いていると、平和活動の現場の真っ只中にいることを実感しました。その時、両親に宛てて書いた手紙が、私の最初の著書・「心にかける橋」の原型になりました。

 半年少し過ぎた頃、仕事が本当に忙しくなり、発電機を導入。私の家に電灯が灯りました。ちょうど刈り入れが終わった祭りの季節。村中の人がやってきて、私の家の電灯の下、老若男女が夜遅くまで踊り明かす日々が続きました。静かだった夜が、笑顔と歓声にあふれ、人々の平和への希望が日に日に大きくなるのを実感することができました。

 1本のロウソクがもたらす安らぎと希望。そして文明がもたらす生活の変化を同時に感じることができたこと、それは、私の精神にもたらした大きな衝撃でした。

 しかし、文明の中にいるからこそ、1本のキャンドルに平和への思いを託す。そんな叡智も、私たち人類は持っているのですね。

 今夜こそ、キャンドルナイトのもと、ひとときを過ごすつもりです。当選?いえ、平和への祈りを込めて!


 写真:私が住んでいた家の人々。夕方、川で水浴びをした後のくつろぎのひとときです。(1992年10月。カンボジア・ラタナキリ州ボケオ村にて)


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負けないで

2007年05月31日 01時23分06秒 | 日常
 「今日も自転車で」への沢山のコメント、ありがとうございます。

ZARDの「負けないで」は、私の大好きな曲のひとつです。三高さん、ひまろんさんの間で、いつの間にか、私の応援曲ということになっているようですね。なんて光栄なことでしょう!!

 皆さんもご存知の様に、私はスポーツにはやたら詳しいけれど、音楽(&芸能)のことは殆ど知りません。その私が、何度も何度も聴いて励まされたのがこの曲でした。

 1993年、カンボジアから帰ってきた私は、その後も国際協力&平和構築活動を現場で続けたいという強い気持ちを持っていました。しかし、職業として成り立つ仕事とは言えず、自分自身の専門性も十分だとは思えなかったので、強い気持ちを持ち続け、とにかく、この生き方を貫ける土台をつくらなくては!と決意していました。そんな時、私の心にストレートに届いたのがこの「負けないで」でした。

 その年、カンボジアでの経験を出版するチャンスが巡ってきましたが、その著書「心にかける橋」を書いている間も、何度もこの曲を聴いてとても勇気づけられました。さわやかで透明感のある声、そして、明るく前向きなメッセージ。本当に元気をもらえる曲ですよね。今も聴きながら書いています。

 そのZARDの坂井泉水さんが、ガンで入院中の病院で事故により亡くなったこと、本当に残念です。しかし、音楽という手段で多くの人々の心に希望や勇気を与え続けた生き方、本当に素敵だと思います。

 私自身も、人に希望や勇気を与える人間になれたら・・・という思いが全ての活動の原点です。現場での活動も、執筆活動も、そんな思いで取り組んでいますけど、私の場合は、未だ応援されることの方が圧倒的に多いようです。しかし、弱い立場の人の未来を守る政治を実現することで、つらい思いをしている人に希望を与えられたら・・・と、今、切実に思っています。

 明日からの3日間は、橋本市、および紀南地方で、徹底して自転車街宣を行います。坂道をマイクで話しながらペダルを漕ぐのはなかなか大変なのですが、そんな時はこの曲をイメージして走ることにしましょう!!

 

曽我の梅林に想う

2007年02月16日 21時53分41秒 | 日常
  先日は国府津の「みかん山」について書きましたので、今回は国府津に隣接する曽我地区の梅林について書きます! 

私の家から自転車で10分、車で5分ぐらいのところに、広大な梅林があり、35000万本の梅の木が植えられています。「曽我の梅林」として有名なこの梅林は、今、梅の花が満開です。一面雪が降り積もったかのように白く輝く様子は、富士山の眺望と併せ、本当に見事な眺めです。

 今は「小田原梅まつり」が行われていて平日も多くの方が花見を楽しんでいますが、流鏑馬(やぶさめ)が行われた先週の日曜日は、本当に多くの方々で賑わっていました。

みかん山も梅林も、私にとっては同様に魅力的ですが、来訪者の数、また、地元の経済への貢献度を比べても梅林が圧勝です。

 曽我の梅林および「梅まつり」が成功している主な要因はこんなところでしょうか。

○「曽我の梅林」「曽我の梅干」などブランド化に成功していること
○「梅ジャム」「梅酒」「梅の苗木」「梅の鉢植え」「梅ゼリー」など、関連商品が豊富にある。
○不便な場所にあるものの、駐車場や臨時バスなど来訪者への便宜を図っていること
○「流鏑馬」「小田原ちょうちん祭り」「寿獅子舞」「梅干しコンクール」「俳句大会」「短歌大会」など、伝統芸能や参加型イベントも連日行われていること。
○梅だけでなく、様々な地元特産品の出店が並んでいて楽しい雰囲気である。

 圧倒的な自然の美しさに頼るのではなく、そこにあるものを魅力的に見せる。また、以前あったものを再現する。また、旅行者にも参加してもらう。そして体に良く美味しいものを買ってもらう。そんな手作り感覚でいっぱいのイベントであることが魅力の要因だと思います。以前、早咲きで有名な伊豆の河津桜を観に行ったことがありますが、ここも、本当に地元の工夫と努力によって生まれた魅力的な観光地でした。リピーターが多いことも併せ、曽我の梅林とも共通点が多いような気がします。

 曽我地区は、日本三大仇討ちの一つ「曽我物語」の主人公、曽我十郎、五郎兄弟の育った場所として有名で、数多くの史跡もあります。また、昔ながらの家々が多く、大きな庭に咲き乱れる季節の花々や、道端に並ぶ石仏の数々など自然や伝統文化と調和した風景は本当に魅力的で、歩いていても本当に飽きないところです。梅は今週いっぱいがピークで、この週末が最後の見頃かも知れません。是非、足をお運びください! 今週は南足柄市で街宣活動をしますので、行き帰りに立ち寄るのが楽しみです。


 写真:地元の方に頂いた鉢植えの梅と。この写真は先週の土曜日に撮りましたが、今はこちらも満開です!

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国府津でもオレンジ革命を!

2007年02月09日 22時05分30秒 | 日常
 私が住む小田原市国府津は海岸線のすぐ近くに丘が連なっていて地元では「みかん山」と呼ばれています。戦後すぐに歌われ大ヒットした童謡「みかんの花咲く丘」のメロディーは、東京から東海道線に乗るとこの地域から始まるみかん畑、そして海の車窓風景をイメージして作られたといわれています。秋から冬にかけて、緑豊かな丘が鮮やかなオレンジ色に染まる風景は、真っ青な海や富士山の風景とあいまって、それは見事です。私はこの丘が大好きで、時間がある時はよくこの丘を散歩したりジョギングで駆け上がったりしています。

 先日、地元の方と一緒にこの丘を歩きました。

 美しいみかん畑も、よく見ると木によって表情がまるで違うことがわかります。シーズンも終わりに近い今は、すでにみかんが出荷された木も多いのですが、種類によってはこれからが本番だそうです。しかし、手入れがされず荒廃している木も多数あり、木の上で干からびていたり、野鳥に食べられて皮だけになっているものもありました。

もともと人手が足りない上、みかん価格の長期下落傾向によって作っても儲けにならず、やむを得ず放置されているのです。

一方で、荒廃したみかん畑を再生するためのNPO「みかんの花咲く丘」が設立され、首都圏などからも人が参加して熱心な活動を続けているそうです。私もみかん農家の状況を少しは経験しなければと思い、瀬戸利一氏にお願いし、瀬戸氏のみかん畑(南足柄市)で収穫を手伝わせてもらいましたが、楽しくも大変な作業でした。

 どうすれば、みかん山の美しさを残しながら国府津地域の発展に結びつけることができるのでしょうか? 多くの個人商店が大型スーパーなどに客を奪われてシャッター通りになっているこの地域。みかん畑だけが復活すれば良いという話では
ありませんが、東京からの近さと素晴らしい風景をセットにPRし、是非、もっと多くの方々に足を運んで頂きたいものです。

 もうひとつのセットは「ヨシノブ」。以前お話を伺った地元の方によると、第15代将軍徳川慶喜が避寒地として訪れた記録があり、慶喜が食べていた献立なども残っているそうです。この地域に自生していた様々な野草、たとえば自分で摘んだつくしなども食べていたとか。由緒ある地元のみかんをブランド化し、彼が食べていた食材で献立を作って、駅近くのレストラン等で食べられるようにすれば、訪ねてみたいと思う方も多いのではと思います。 すぐ近くの「曽我の梅林」は「曽我の梅干し」人気もあって大賑わいなのですから! 


 写真:国府津のみかん山にて。私が掲げているのはウクライナの「オレンジ革命」のマフラーです。ユーシェンコ大統領候補(現大統領)のサインと「ウクライナを信じる!」という意味のことが書かれているそうです。

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いじめを受けた経験(1)

2007年01月25日 23時59分29秒 | 日常
 先日、道を歩いていたら5年生ぐらいの男の子が、数人の子供たちに小突かれていて、半泣きになりながらもされるがままになっている様子を目撃しました。何か言ってあげるべきと思いながらも、その背景を知っているわけでもなく、躊躇しているうちにタイミングを逃してしまいました。ちょうど同じ頃、自分もいじめにあっていたことを思い出し、胸が痛くなりました。

 小学校5年生の時、私は新潟県長岡市から兵庫県尼崎市に転校しました。それまではのんびり育った田舎の優等生で、必ず学級委員などを務める積極的な子だったのですが、都会の学校ということもあってレベルが違い、成績は一気に落ちてしまいました。また、背が伸びるのが遅かったこともあり、大きくなっていく同級生にコンプレックスを持つ目立たない存在になっていきました。偶然座った席が、体が大きなクラスの番長グループ的な子たちの真ん中だったせいもあり、やがてふざけて小突かれたり、からかわれたりするようになりました。今にして思うとさほど陰湿ないじめだったわけではありません。しかし、私の反応が面白かったのかどうか、少しずついじめっ子グループの欲求不満の捌け口になっていき、また、そうなると、クラスの中でも強い疎外感を感じるようになりました。

 転校した最初から、当時の担任の先生は肝臓病で入院されていて、他の先生が交代しながら教える変則的な体制でした。クラス担任は教頭先生が代行していましたが、多忙のためあまり来ることができず、自習の時間などいじめっ子はやりたい放題でした。先生が復帰された時は本当に救われた思いでした。

 しかし、いじめはなくなりませんでした。ご自分の体調に不安があったせいかもしれませんが、授業をするのが精一杯の様子でした。カバンや勉強道具を隠されたり、落書きされたり授業中も全く集中できませんでした。

 ある日、先生が教室に入ってきて黒板にいきなり「おしゃべりマシーン」と書いたのです。何のことだろうと思っていたら、「私は誰にもあだ名をつけるのは好きではないけれど、授業の時に私の話を聞かない人は許しません。これからは阪口君のことを「おしゃべりマシーン」と呼びなさい!」と言って、みんなの前で私を攻撃したのです。青天の霹靂というか、全く何のことか分かりませんでしたが、いじめに対処するべく授業中にガサガサしていたことが気に入らなかったらしく、先生からもいじめのお墨付きをもらってしまったのでした。とにかく悲しく、そして口惜しく目の前が真っ暗になりました。いじめっ子たちの攻撃がエスカレートしたのは言うまでもありません。

小さな世界の中に生きている子供にとって学校生活の苦痛ほど辛いものはありません。朝起きた時から学校に行くのが苦痛で苦痛で仕方がなく、もう、このままどこかに行ってしまいたいと思うようにもなりました。


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バルト諸国の悩みと希望

2006年12月30日 01時19分50秒 | 日常
 ラトビア、およびエストニアでの観光開発調査から帰ってきました。

首都リガ、およびタリンは、13~15世紀にかけてハンザ同盟としてバルト海貿易を独占し栄えた街です。旧市街は中世ドイツの名残がある本当に魅力的な街並みでした。15年前まで共産主義に支配されていたとは思えないほどヨーロッパ的な活気にあふれ、フィンランドなどからの観光客も数多く見かけました。

 しかし、日本人観光客は本当に少なく、今回の滞在中も見かけませんでした。ラトビアが人口230万人、エストニアは130万人余りの小国でありながら、これといった資源もなく、経済的に発展する明るい展望はあまり見えません。そんな中、貴重な文化遺産を活かした観光開発は雇用の拡大、伝統文化の保全に有効に作用する可能性があります。

 リトアニアも含めたバルト3国では、ソ連からの独立(1991年)、そしてEU加盟(2004年)により自由が生まれた反面、経済格差から労働力の流出を招き、ソ連時代には強かった民族的なアイデンティーが急速に希薄になりつつあるようです。私のコーディネーター&通訳を務めてくれた女性によれば、民族、言語が共通し、地理的にも近いフィンランド、ノルウェー、スウェーデンなどスカンジナビア諸国に「出稼ぎ」に行く人々は多いけれど、多くの場合、労働条件は劣悪だそうです。経済格差に起因する差別、特にセクシャルハラスメントなどに対抗する手段もなく、彼女を含めこの問題で現地での仕事を諦め帰国する若い女性は本当に多いそうです。また、女性を目的にして訪れる観光客の増加も、双方の人心の荒廃に悪影響を与えているとのことでした。

 私の修士論文(経済学)は「持続可能な観光開発と経済発展」についてでした。観光開発は諸刃の刃。比較的早期に経済効果がある反面、様々な問題が生じる可能性も高いのです。オンリーワンとしての価値を高め、持続可能な開発を行うこと、つまり長年にわたって観光地としての価値、品格を保ち続ける努力を行うことが大切なのです。エストニアやラトビアの文化遺産は、様々な付加価値を与えることで持続可能な方向に開発できる可能性は大きいと思います。

 写真:エストニアの首都・タリンにて

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「ベルリンの秋」

2006年11月17日 23時37分30秒 | 日常
 今回はベルリンにも立ち寄りました。

 私が「民主化支援」という分野に関わるきっかけ、それは、1989年11月9日、共産党独裁政権の打倒と民主化を求める人々が起こしたうねりによって、ベルリンの壁が崩壊するプロセスでした。人生の大きな転機を生み出したベルリンという街を知っておきたいと思い、コソボでの制憲議会選挙監視(2001年11月)や、ドイツでの妹の結婚式(2002年11月9日)の後に、友人を訪ねて滞在しました。

 3度目の今回も11月。春江一也氏が書いた「ベルリンの秋」の舞台を巡って歩きました。私は、前作『プラハの春』以降、春江氏の作品に心酔し、どちらも3回ずつ繰り返し読みました。「プラハの春」は、筆者が在チェコスロバキア大使館に勤務した経験をもとに、「プラハの春」と言われた1967年の民主化運動に伴って展開する人間ドラマを描いた作品です。人々の希望がソ連軍の軍事介入によって無残につぶされる過程が、日本人外交官と旧東ドイツの反体制活動家の女性との禁断の恋を交えて綴られています。

 一方、「ベルリンの秋」は、1969年からベルリンの壁崩壊までの約20年間を、東西ベルリンを中心に、モスクワ、日本、さらにアフリカのアンゴラやモザンビークまでも舞台として壮大に描いた本です。社会主義が崩壊するまでのプロセスを、人々の熱い思いや権力の恐ろしさともに克明に描きながらも、資本主義社会の哀しい現実にも触れ、広い意味で考えさせられる作品です。

 マルクス・レーニン主義によって生まれた共産党一党独裁が、いかに独善的で人間性を奪うシステムであったか。しかし、そんな中でも、前作「プラハの春」のカテリーナをはじめ、自由と尊厳を守るための闘いに身を捧げた人たちが大勢いたことに、何よりも勇気づけられました。「マルクス・レーニン主義はペテンなのだ!」と看破し、ソ連の近い将来の崩壊を歴史的必然! と断定する秘密警察「シタージ」のベーナー次官の言葉は、日本における政権交代の必然とオーバーラップして私の心に響きました。

 このシリーズは、私にとっては、プラハとベルリンを歩く特別なガイドブックでもあります。幼いシルビアと亮介が待ち合わせをしたカレル橋のフランシスコ・ザビエル像、そしてカテリーナが悲劇の死を遂げた旧市街広場に、時代に翻弄された彼女たちの面影を感じました。また、ベルリンでは、シルビアと亮介が再会したアレクサンダー広場や、ベーナー次官が非情な体制に挑む孤独な闘いの拠点にもなったペルガモン博物館、さらにベルリンの象徴であるブランデンブルグ門周辺を歩きながら、現実の町並みと交錯する登場人物の鼓動に思いを馳せました。おかげで町を歩く楽しみは何倍にもなったように思います。

 私も、このような作品をいつか書いてみたいものです。

 
 写真:ベルリン・ブランデンブルグ門を背景に(ちょっと暗くてごめんなさい)

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