「夏目漱石の美術世界展」面白そうな美術展が東京で有るらしい・・・
それは先日ネットで見て興味があったのだが~
展覧会は東京は7月7日までで、7月13日からは静岡県立美術館で
あるらしいが、残念ながら大阪には来ないようだ。
「漱石の美術展。見てから読むか、読んでから見るか」とチケットの
タイトルも面白い。
先日行った高野山大学の図書館の雑誌置き場で「芸術新潮」6月号を見た。
「夏目漱石の眼」という特集をやっている。
この展覧会を機に特集らしい!
面白そうなので昨日、本屋さんでまだありますかと聞いたら、あった!
1500円と値段も上等だが、きれいなグラビアの素敵な雑誌だ(^ム^)
33歳でロンドンに行った漱石が博物館、美術館、ギャラリーなどを訪れ、
西洋美術に親しみ『草枕』、『坊っちゃん』などに脇役として登場する西洋美術の
数々の写真が・・・(実はあんまり気付かずに読み過ごしたものもあるが・・・)
これは『草枕』に登場するミレーの「オフェリア」
『坊っちゃん』に出てくる傘のように開いた松、
ターナーの「チャイルド・ハロルドの巡礼」の絵だそうだ。
『三四郎』にも人魚の絵が出てくる・・・とても楽しい本だし写真も美しい(*^^)v
美術を愛する文豪がこだわりぬいた漱石本のデザインもいろいろ見れます。
『虞美人草』橋口五葉の装幀・・・本当にきれいです!
もしも手に入ればお勧めの一冊です(*^^)v
それは先日ネットで見て興味があったのだが~
展覧会は東京は7月7日までで、7月13日からは静岡県立美術館で
あるらしいが、残念ながら大阪には来ないようだ。
「漱石の美術展。見てから読むか、読んでから見るか」とチケットの
タイトルも面白い。
先日行った高野山大学の図書館の雑誌置き場で「芸術新潮」6月号を見た。
「夏目漱石の眼」という特集をやっている。
この展覧会を機に特集らしい!
面白そうなので昨日、本屋さんでまだありますかと聞いたら、あった!
1500円と値段も上等だが、きれいなグラビアの素敵な雑誌だ(^ム^)
33歳でロンドンに行った漱石が博物館、美術館、ギャラリーなどを訪れ、
西洋美術に親しみ『草枕』、『坊っちゃん』などに脇役として登場する西洋美術の
数々の写真が・・・(実はあんまり気付かずに読み過ごしたものもあるが・・・)
これは『草枕』に登場するミレーの「オフェリア」
『坊っちゃん』に出てくる傘のように開いた松、
ターナーの「チャイルド・ハロルドの巡礼」の絵だそうだ。
『三四郎』にも人魚の絵が出てくる・・・とても楽しい本だし写真も美しい(*^^)v
美術を愛する文豪がこだわりぬいた漱石本のデザインもいろいろ見れます。
『虞美人草』橋口五葉の装幀・・・本当にきれいです!
もしも手に入ればお勧めの一冊です(*^^)v
漱石がヨーロッパに行ったのは33才頃なのね
子規と同級生だものね。そう言えばそうなのに漱石と聞くともっと大人を連想してしまいます。
へ~え!!!芸術新潮という雑誌があることすら知りませんでした。
おもしろそうですね。さっそく探してみよう・・・
今日はPCに嫌われたのか、何回も送信失敗です!
私は愚鈍にも「芸術新潮」という雑誌の存在さえも知りませんでした。
面白そうですね。また探してみます。
漱石は美術館巡りや観劇に精を出して、大学には入らず洋書を購入して独学だったそうです。
留学中で変わったところでは自転車の練習をしたそうです(^_-)-☆
2年間の留学中に神経衰弱に罹り帰国決定。11月末にロンドンで子規の訃報を聞く。
その数日後の12月5日ロンドンを出発、翌1月25日神戸港着。
明治34年11月6日に子規が漱石に出した手紙には「僕はもう君に再会することは出来ぬと思う。もし出来たとしてもその時は話もできなくなっているであろう。実は僕は生きているのが苦しいのだ。書きたいことは多いが苦しいから許してくれたまえ」とある。
この手紙はカタカナ書きである。苦しい時は誰かに紙を持たせてカタカナ書きの文字を書いたということです。痛々しいですね~
『芸術新潮』私も実は初めて見る本です。
だから高野山大学の図書館で目にしなかったら知らずに通り過ぎた本でしょう。
これも何かのご縁かな~(*^^)v
漱石は東京帝国大学を卒業していると思っていますが。「坂の上の雲」でも子規と落語だったかに熱中していた話しがあったような(記憶違いかも・・)。子規は中退してしまったけれど。
子規との文通はなかなか面白いよね。性格が出ていて・・。
「坂の上の雲」私もみていましたよ。
子規は予備校みたいなところに秋山真之?と入って東京帝国大学に入ったのかしら。
その予備校時代から漱石とも知りあい、大学でも一緒だったのか。これはテレビでの物語。
もっといろいろな分野のものも読みたいと思いますが、なかなか時間が確保できなくて・・・
明治17年、漱石は17歳で東京大学予備門に入学(明治19年に第1高等中学校に改称)明治21年その本科に進学、ここで同級の子規と出会うそうですね~
明治23年、晴れて帝国大学文科大学英文科に入学、26年卒業となっています。その後大学院に進み・・・めちゃめちゃ秀才だったんですね~
ボートを漕いだり歌舞伎見物にかよったり、禅に凝ったり~よく遊んで学んだ人みたいですね~(^_-)-☆
すごい人がいて、すごい友人が周りにいて、往き来があって~すごい世界ですね(^ム^)
本が届けば・・・きれいで面白いよ~
子規の側から、漱石の側からもっともっと知りたいことがいっぱいですね~
この前買った坪内稔典さんの本も面白かったよ!
また持っていくね!
漱石の脳は東京大学に保存されているそうですよ。
漱石は潔癖症で子規とは正反対の性格だったそうだけれど友達だったのよね。子規は漱石を親友と思っていたらしいけれど漱石はどうだったのかしらね。
そう明治33年に33歳で留学・・・大正に入ったら分かりにくいけれどね~
正反対の性格って案外友達関係が続くのかもね~
それにしても二人とも若くして亡くなって惜しいよね~
文明のように二人が100歳まで生きたら何を残したかしらね~