渡辺浩『日本政治思想史[十七~十九世紀]』(東京大学出版会、2010年)
江戸時代から明治にかけての日本の政治思想史をまとめた本ですが、著者の専攻が中国思想史の方面にも関わっているということで、類書とはかなり趣の違った内容になっており、なかな面白い指摘が多いです。例えば科挙制度導入の可能性がない江戸時代の日本で儒学が広まるのは実は危険なことだったとか、中国で「公用」とは、誰でも使える、誰もが使うという意味であるとか…… 以下、例によって面白いトピックを挙げておきます。
日本人と儒学
江戸時代の儒学者は、日本では儒学の「聖人の道」が広まっていないにも関わらず、どうして天下太平を保っているのかということについて真剣に思い悩んでいた。それに対する服部南郭の結論は……「それは……日本人が中国人より優れているからなんだよっ!」「な、なんだってーーーー!!」
黙ってても年貢が入ってくるのってやっぱり異常じゃね?
そして本書でも農民がどうして従順に年貢を納め続けたのかが問題に。(この項については「黙ってても年貢が入ってくるのって異常じゃね?」を参照。)著者の推測によると、おそらく農民自身が過酷な処罰を恐れていたから、あるいはは百姓とはそういうものだと信じていたから。……やっぱり怖い人にボコボコにされるから、もしくは昔からの習慣なので何となくということじゃないかっ!w
日本は小国か?
18世紀の日本は3000万を越える人口を擁しており、世界的には巨大であると言える。にも関わらず自らを小国と見なしていたのは、大国としての比較の対象がカラと天竺だったからである。
このあたりの根拠のない小国意識は今でも変わりませんね。考えてみれば人口1億人を越える国家や、日本より人口の多い国家が世界でどれだけあるというんでしょうか。いわゆる先進国に限っても、西欧諸国など日本より人口が少ない国が多数を占めるんじゃないかと思うのですが。にも関わらず、今の日本が何となく小国であるというイメージが流布しているのは、比較対象がアメリカ・中国・ロシアあたりに限定されているからじゃないかなあと。
蘭学者と「支那」
学ぶ対象を「中華」から西洋に切り替えた蘭学者たちは、もはや大陸のことを「中華」、すなわち世界の中心とは呼べなくなり、オランダ語からインド由来の「支那」という呼び方を取り入れた。これは同時期に使われ始めた「皇国」という自称と対をなした。
これは前に読んだ『江戸の思想史』でも同様のことが指摘されていましたが、蘭学のダークサイドを見てしまった気分になります……
幕末の尊王攘夷と現代中国の反日
明治維新は当時の社会にあって最も鬱屈を抱えていた下級武士による革命だった。で、彼らが信奉した尊王攘夷の思想だが、これは西洋人や西洋文明に対する反発というよりも、当時の政府(すなわち江戸幕府)に対する抗議の表明であり、彼らは政府を苦しめ、打倒するための手段として攘夷思想を利用した。
この構図って、現代中国における反日と似てますよね。反日暴動も政府や官憲に対する不満の表明、あるいは嫌がらせとしての側面が見られますし。自らの存在意義にも関わる問題なので政府が表立って反日を否定できないというのも、江戸幕府と攘夷思想との関係に似てるなあと。
以下は本書401~402頁からの引用。「『ご威光』でいかめしく輝いていた『幕府』を『尊王』を掲げて罵れば、溜飲が下がったであろう。『攘夷』のできない臆病で『不忠』な『幕吏』を脅迫し、『天誅』を下すのは、快感だっただろう。『公論』に従えと叫んで、家中の『門閥』をやりこめ、さらには『藩主』までをも操作するのは、小気味よかったことであろう。『志士』たちの居丈高な姿勢と往々サディスティックな暴力の背後には、ルサンチマンと『正義』の結合があったのであろう。」
読んでて何だか泣けてきた(;´д⊂) 尊王攘夷派の志士だけでなく、新選組の隊士たちの心性もこれと似たり寄ったりだったのだろうなと。
江戸時代から明治にかけての日本の政治思想史をまとめた本ですが、著者の専攻が中国思想史の方面にも関わっているということで、類書とはかなり趣の違った内容になっており、なかな面白い指摘が多いです。例えば科挙制度導入の可能性がない江戸時代の日本で儒学が広まるのは実は危険なことだったとか、中国で「公用」とは、誰でも使える、誰もが使うという意味であるとか…… 以下、例によって面白いトピックを挙げておきます。
日本人と儒学
江戸時代の儒学者は、日本では儒学の「聖人の道」が広まっていないにも関わらず、どうして天下太平を保っているのかということについて真剣に思い悩んでいた。それに対する服部南郭の結論は……「それは……日本人が中国人より優れているからなんだよっ!」「な、なんだってーーーー!!」
黙ってても年貢が入ってくるのってやっぱり異常じゃね?
そして本書でも農民がどうして従順に年貢を納め続けたのかが問題に。(この項については「黙ってても年貢が入ってくるのって異常じゃね?」を参照。)著者の推測によると、おそらく農民自身が過酷な処罰を恐れていたから、あるいはは百姓とはそういうものだと信じていたから。……やっぱり怖い人にボコボコにされるから、もしくは昔からの習慣なので何となくということじゃないかっ!w
日本は小国か?
18世紀の日本は3000万を越える人口を擁しており、世界的には巨大であると言える。にも関わらず自らを小国と見なしていたのは、大国としての比較の対象がカラと天竺だったからである。
このあたりの根拠のない小国意識は今でも変わりませんね。考えてみれば人口1億人を越える国家や、日本より人口の多い国家が世界でどれだけあるというんでしょうか。いわゆる先進国に限っても、西欧諸国など日本より人口が少ない国が多数を占めるんじゃないかと思うのですが。にも関わらず、今の日本が何となく小国であるというイメージが流布しているのは、比較対象がアメリカ・中国・ロシアあたりに限定されているからじゃないかなあと。
蘭学者と「支那」
学ぶ対象を「中華」から西洋に切り替えた蘭学者たちは、もはや大陸のことを「中華」、すなわち世界の中心とは呼べなくなり、オランダ語からインド由来の「支那」という呼び方を取り入れた。これは同時期に使われ始めた「皇国」という自称と対をなした。
これは前に読んだ『江戸の思想史』でも同様のことが指摘されていましたが、蘭学のダークサイドを見てしまった気分になります……
幕末の尊王攘夷と現代中国の反日
明治維新は当時の社会にあって最も鬱屈を抱えていた下級武士による革命だった。で、彼らが信奉した尊王攘夷の思想だが、これは西洋人や西洋文明に対する反発というよりも、当時の政府(すなわち江戸幕府)に対する抗議の表明であり、彼らは政府を苦しめ、打倒するための手段として攘夷思想を利用した。
この構図って、現代中国における反日と似てますよね。反日暴動も政府や官憲に対する不満の表明、あるいは嫌がらせとしての側面が見られますし。自らの存在意義にも関わる問題なので政府が表立って反日を否定できないというのも、江戸幕府と攘夷思想との関係に似てるなあと。
以下は本書401~402頁からの引用。「『ご威光』でいかめしく輝いていた『幕府』を『尊王』を掲げて罵れば、溜飲が下がったであろう。『攘夷』のできない臆病で『不忠』な『幕吏』を脅迫し、『天誅』を下すのは、快感だっただろう。『公論』に従えと叫んで、家中の『門閥』をやりこめ、さらには『藩主』までをも操作するのは、小気味よかったことであろう。『志士』たちの居丈高な姿勢と往々サディスティックな暴力の背後には、ルサンチマンと『正義』の結合があったのであろう。」
読んでて何だか泣けてきた(;´д⊂) 尊王攘夷派の志士だけでなく、新選組の隊士たちの心性もこれと似たり寄ったりだったのだろうなと。