博客 金烏工房

中国史に関する書籍・映画・テレビ番組の感想などをつれづれに語るブログです。

『北条氏と鎌倉幕府』/『戦国誕生』

2011年05月23日 | 日本史書籍
細川重男『北条氏と鎌倉幕府』(講談社選書メチエ、2011年3月)

北条氏はなぜ征夷大将軍にならなかったのか?その理由を江間(北条)義時・北条時宗の生涯をたどることで考えてみようというのが本書の主旨ですが、そっちよりも鎌倉武士のDQNっぷりの方に目が引き付けられてしまいます(^^;) 

飲み屋での悪ふざけから一触即発の状態にまで至った三浦一族と小山一族。どちらが格上かをめぐって「オレを誰だと思ってやがる?!ナメるんじゃねェー!」(本書44頁より)と、年甲斐もなく喧嘩をおっぱじめた幕府の宿老足利義氏と結城朝光。悪の帝王学により世紀末覇者のごとき独裁者となり、蒙古襲来にも打ち勝った北条時宗。そして文弱で悲劇の貴公子というイメージが持たれる源実朝すら、「幕府、ナメてんのか?!」(本書73頁)と御家人相手に啖呵を切るなど、実はしっかりDQNの親玉を務めていたことが明らかにされています。

本書によって鎌倉武士=DQNというイメージが私の中で更に確固たるものとなりました(^^;) なお、本書の著者は同時期に『鎌倉幕府の滅亡』(吉川弘文館歴史文化ライブラリー)も刊行しています。ネタ本としては『北条氏と鎌倉幕府』の方が上ですが、論考としては『鎌倉幕府の滅亡』の方が優れてますね。

渡邉大門『戦国誕生』(講談社現代新書、2011年5月)

こちらは戦国の始まり、すなわち日本の中世の終焉は15世紀の半ばであった!ということで、応仁・文明の乱の推移を中心に論じていますが、足利将軍家や斯波氏・畠山氏・細川氏などの家督争いのカオスっぷりに目が引き付けられてしまいました。それぞれの利害が入り乱れすぎていて、最早略系図片手に関係者を追っていっても何が何だかよく分からなくなる始末…… 

以下、本書で気になったエピソード。赤松満祐は嘉吉の乱の際に南朝の後裔を天皇に推戴し、足利義尊を将軍に擁立しようとしたとのこと。「足利義尊って誰?」と思ってググッてみたら、足利直冬の孫(らしい)ということですが、そんな人物がいたのですか…… そして応仁の乱の際に西軍がやはり南朝の後裔を天皇に据えようとしましたが、当時にあってもその年齢すら正確に把握されていなかったらしく、さすがに色々とムリがあって断念したとのこと。……やっぱりカオスですね。

以上、ここで紹介した書籍により、鎌倉時代はDQNの時代、室町時代はカオスの時代であるとそれぞれ位置づけられるのではないかと思いました(^^;)
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『近現代日本を史料で読む』

2011年05月01日 | 日本史書籍
御厨貴編著『近現代日本を史料で読む』(中公新書、2011年4月)

明治から戦後にかけての政治家や軍人の日記の解題をひたすら並べている本ですが、日本近現代史をやってる人はこういう史料に日々向かい合ってるわけだなあと感心した次第。以下、本書の雑感。

○『植木枝盛日記』では、植木が交渉を持った100人以上の女性の名前が事細かに記録されており、どう考えても尋常ではないとのことですが、ならば日記に男色の相手を記録していた悪左府頼長の立場はどうなるのでしょうか……

○高松宮が薨去された後に突然発見された『高松宮日記』。扱いに困った高松宮妃は靖国神社の宮司に相談しますが、返ってきた答えは「何かあっては取り返しがつかないので焼いてしまった方がいい。」工工エエエ(´Д`;)エエエ工工.

○『高松宮日記』は結局紆余曲折を経ながらも高松宮妃の強い意志により刊行まで漕ぎ着けるわけですが、その一方で闇に葬られた史料もあるんだろうなと思った矢先に、『卜部亮吾日記』の記述から同じような感じで発見された昭和天皇の日記が闇に葬られていた(らしい)ことが発覚。

その他、『大蔵公望日記』が歌舞伎・新派劇のレビュー日記と化している件、『有馬頼寧日記』が野球のレビュー日記と化している件、「!」や「?」が頻出する『宇垣一成日記』、林銑十郎を目の敵にして彼のことをいちいち「土蜘蛛」「蜘蛛」と書いてる『真崎甚三郎日記』など、愉快なネタが満載です(^^;) 史料にここまでネタが盛り込まれているなら、研究してても楽しいでしょうね。
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『「大日本帝国」崩壊』/『江戸の思想史』ほか

2011年03月02日 | 日本史書籍
加藤聖文『「大日本帝国」崩壊 東アジアの1945年』(中公新書、2009年)

アメリカのミズーリ号上で降伏文書の調印がなされた1945年9月2日を終戦の日と見るべきであるという議論がある昨今、本書では敢えて8月15日を起点として、朝鮮・台湾・満洲・南洋諸島・樺太といった大日本帝国の版図の崩壊の様相を見ていきます。

大日本帝国は元来は日本人のみを国民とする小さな国家であったのが、対外戦争を経て植民地帝国・多民族国家へと変貌していった。しかし敗戦までほとんどの日本人はその事実に気付こうともしなかった。問題の根っこはここにあったのだなと気付かされます。

田尻祐一郎『江戸の思想史 人物・方法・連環』(中公新書、2011年2月)

朱子学・国学・平田神学など、タイトル通り江戸時代の思想を総ざらいした本ですが、個人的に印象に残った部分は蘭学の部分。本書によると、蘭学者は好んで中国のことを「支那」と読んでいましたが、そこには中国を文明の中心とする意識がなく、かつ中国を異民族に支配される文弱の国とする負のイメージが付きまとっている。更には、日本を停滞するアジアの中から脱却させなければならないという危機感、国益の追求、武士による支配への不満も、ある種の蘭学者たちの中から生まれてきたとのこと。

蘭学に対するこのような評価は初めて見た気がします。江戸時代の思想でヤバい方向に先鋭化したのは国学や陽明学だけではなかったのだなあと。

伊藤計劃『虐殺器官』(ハヤカワ文庫、2010年2月)

大森望氏の解説によると近未来に託して現在の問題を描くのがSFの得意技ということですが、本書の場合そこはかとなく昨今の中東諸国の革命を思わせる要素が見られるあたり、むしろ未来に託して近い将来の問題を描いたといった方が適切なんじゃないかなあと。
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『江と戦国と大河』

2011年01月31日 | 日本史書籍
小島毅『江と戦国と大河 日本史を「外」から問い直す』(光文社新書、2011年1月)

『義経と東アジア』『義経から一豊へ』に続く小島氏による大河の便乗本……と言いたいところですが、以下に見るような事情で悪ノリ本と言っていいレベルの著作に仕上がってます(^^;)

本書の前半は基本的に近年の大河ドラマに対するツッコミが中心で、家族会議で政策決定するなとか、大河のホームドラマ化はいかがなものかとか、割ともっとも意見が多いのですが、問題なのは「相手は生涯を通じて妻一人という男性が大好きな方は大河を見るのをやめていただきたい。そのせいで近年の大河は極めて偏った人ばかりが主人公になっている」というくだり。(本書37頁あたり)

で、その例として山内一豊や直江兼続らを挙げているのですが、そこで山内一豊は妻の千代以外に「女」はいなかったにしても「男」はいただろうとか、直江兼続も当時の通例で男性関係は豊富だったはずで、初体験はたぶん主君の上杉景勝とか、一体誰に向けて書いてるんやと問い詰めたくなるようなツッコミが…… 小島先生、自重して下さい!!(^^;)

本書後半では著者の現在の専門を生かして江の時代の国際関係の話も出て来ますが、最後の最後で歌舞伎の話題が出たところでまた男色の話題が…… だから小島先生、そんなネタふっても腐女子が喜ぶだけですから!!「山本勘助と高坂弾正は絶対にあやしい」と力説されても困るのですよ(^^;)

というわけでこの本、以前に紹介した同じ著者の『足利義満 消された日本国王』『織田信長 最後の茶会』とはまた別の意味でお薦めです。
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年末に読んだ本

2011年01月02日 | 日本史書籍
今年最初の更新が年末に読んだ本の紹介というのもナンだなあと思いつつ……

小林敏男『日本国号の歴史』(吉川弘文館歴史文化ライブラリー、2010年9月)

「日本」という国号の由来や、「倭」から「日本」への国号変更の経緯をまとめた本。「日出づる処」の意味での「日本」という呼称は、倭国の内側から生まれたとは考えにくく、朝鮮半島など倭国の外側から生まれたのではないかという議論はちょっと面白いが、これを「日本号韓国起源説」と称するのは誤解を招くもとになるのではないかと思ったり(^^;) この本が参照している神野志隆光『「日本」とは何か』が読みたくなりました。

安永祖堂『笑う禅僧 「公案」と悟り』(講談社現代新書、2010年11月)

オビには「まったく新しい禅問答入門」とありますが、禅の公案をネタにしたエッセー集のような感じですね。個人的にウケたのは以下の2点。

○生まれ変わりについて。東洋では人間は死後人間以外の動物などにも生まれ変わるとされるが、西洋では人間は人間にしか生まれ変わらないという前提がある。これはキリスト教における神と人、自然との捉え方に起因する。

○キリスト教徒と神との関係は、主人に忠実な飼い犬と飼い主との関係に似ている。禅僧と仏との関係は、気ままなニャンコと飼い主との関係に似ている。

加藤隆『福音書=四つの物語』(講談社選書メチエ、2004年)

福音書はなぜマルコ・マタイ・ルカ・ヨハネの四つが書かれなければならなかったのかという疑問について解説した本……のはずですが、どうも私が期待していたのとは少し違うなあという感じが…… 同じ著者の『『新約聖書』の誕生』を先に読むべきだったのでしょうか……
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『古語の謎』

2010年12月15日 | 日本史書籍
白石良夫『古語の謎 書き替えられる読みと意味』(中公新書、2010年11月)

「ひむがしの野にかぎろひの立つ見えてかへり見すれば月かたぶきぬ」この有名な柿本人麻呂の歌は、実は古学が発展した江戸時代に「創られた」詠みであった。……このネタを枕にして、古学の発展により往時存在しなかったはずの古語やテキスト、はたまた考古学的遺物がいかに作られていったのかというのが本書のテーマです。題材となっているのは日本の古学ですが、これを漢学・中国学に置き換えても充分にあてはまる話で、個人的に色々と啓発される所がありました。

面白かったのは以下の3点。

○偽物の考古学的遺物が作られるのは、古典研究の発展とその社会への浸透の賜物。……本書ではこれに関連して志賀島金印(有名な「漢倭奴国王」の刻字があるもの)の偽物説についても触れています。しかしそうであるとすれば、偽物の文物が溢れかえっている現代中国は、古典研究や歴史学がかなりの程度発達し、かつ一般に浸透しているということになりますねえ(^^;) 実際文革の頃には偽物文物への関心はそれほど無かったでしょうし、これはこれで説得力のある見解かもしれません。

○本居宣長の見解その1。古語の語源なんて解明しようがないし、そんなものは言ってしまえばどうでもいい。大切なのは、その言葉が古文の文脈の中でどういう意味で使われているかを研究することである。……これって、日本語の古語に限らず、漢字の字源説なんかにもマンマあてはまりますよね。私もかねがね古文字の字形から漢字の字源を探るよりも、その字が甲骨・金文などでどう使われているかを見る方が重要で、字源は特に必要がなければ探る必要はないと考えていたので、これで意を強くした思い。

○本居宣長の見解その2。神代文字について。神代文字の存在を主張するのは、文字なくして生活できない現代人の発想。古代人は文字が無くても事足りたのだ。……正論すぎて思い切りワロタw 神代文字の実在を主張する人は、まずこの意見を噛みしめるべき。
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『殴り合う貴族たち』

2010年12月12日 | 日本史書籍
繁田信一『殴り合う貴族たち 平安朝裏源氏物語』(柏書房、2005年)

著者の名前がどこかで見たことあるなと思ったら、以前読んだ『天皇たちの孤独』を書いた人でした。

今回のテーマは平安貴族と暴力。平安貴族と言えば雅・華やか・文化的といったイメージで語られることが多く、暴力とは縁遠い存在と思われがちです。しかし本書では、宮中で一対一の取っ組み合いをする貴族、気に入らない者を一方的にリンチしたり、知り合いの強姦に手を貸したりする貴公子たち、自分にナメた態度を取る受領どもを暴力で思い知らせる皇族、借金を返さない相手に実力行使をする大貴族、はたまた宮中の女性たちも殴り合ったり、夫を奪った女を襲撃したりといった具合に豊富な実例を挙げ、平安貴族たちがかなりの程度暴力に親しんでいた、言い換えればDQNであったことを実証していきます。

こういう現実で知ってしまうと、平安貴族をもう「花よ蝶よ」のイメージでは見られなくなり、かわりに「殴り込み」とか「しのぎ」「鉄砲玉」といったフレーズが浮かんできます(^^;) こういうDQNな王朝貴族の末裔が地方に土着すると、DQNな武士になっていくのかと妙に納得した次第…… (中世の武士がいかにDQNな存在であったのかは、さしあたってこのブログでも紹介した本郷和人『武士から王へ』などを参照してください。)
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『天皇はなぜ万世一系なのか』

2010年11月27日 | 日本史書籍
本郷和人『天皇はなぜ万世一系なのか』(文春新書、2010年11月)

私的にはタイミング良く本郷和人氏の新著が刊行されたので、これも読んでみることに。タイトルが随分とキャッチーですが、中身の方は本郷氏が今までの著書の中で取り上げた事項等を「世襲と才能」というテーマを軸にまとめ直したもので、今までの著書とかなりネタがかぶっております。中国のような官僚制が存在しなかった日本において、朝廷・幕府・寺社が高貴な血筋を重んじつつ実務家をどのように登用していったかが話の中心です。

本書の中で、特に平安時代の武士には残虐な戦士としての側面と、一通りの教養を身に付けた馬術・弓術などの芸能者(本書では「スポーツマン」と表現しています)としての側面とがあり、どちらが武士の本質かという議論がなされることがあるが、このような設問には意味がなく、武士は基本的には残虐な戦士であり、時たま突然変異的に教養を身に付けたスポーツマン的な武士が出て来るのだとしています。

これを分かりやすくまとめると、武士には基本的にラオウとかジャギとかサウザーみたいな奴らしかいないが、その中で稀にトキとかケンシロウみたいなのが出て来るということになるわけですね(^^;)

タイトルにある「天皇はなぜ万世一系なのか」という疑問については、日本は中国などと比べても支配者層の世襲をより重視するお国柄で、更に一夫多妻の状況下で皇子は常に余っており、皇女については皇族以外との結婚は避けられる傾向にあった。これにより、気がついてみれば自然と男系による皇統が連綿と続いてしまうこととなった。言わば「万世一系」とは計画的なものではなく、結果としてそうなったものにすぎないと結論づけています。このあたりは色々と異論があるところでしょうが……
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『武士から王へ』

2010年11月23日 | 日本史書籍
本郷和人『武士から王へ ―お上の物語』(ちくま新書、2007年10月)

同じ著者の『選書日本中世史1 武力による政治の誕生』が面白かったので、旧著のこちらも読んでみることに。当然と言えば当然かもしれませんが、内容は『武力による政治の誕生』などと一部重複しております。

本書の主旨は以下の通り。鎌倉幕府は武士の武士による武士のための政権であり、御家人の生活さえ成り立てば民衆がどうなろうと知ったこっちゃないという発想で、当初は民衆を統治する意志も能力も無かった。しかし次第に北条重時・安達泰盛・南北朝期の足利直義など民を愛護し、民衆の統治というものを真剣に考える人士を輩出するようになり、武士は長い時間をかけて民衆を統治することを学んでいった。そして戦国大名に至っては、領民に対するより良い統治が領国を保つ要件と見なすようになったのである。

……やっぱり中世の日本がリアル『北斗の拳』に見えてくるのですが(^^;) 本書を読んでるとどうしてもモヒカン兵が村の長老から来年の種籾を強奪したり、「汚物は消毒だーーーーーっ!!」と火炎放射器を振り回す絵面が浮かんできます。そして鎌倉武士や南北朝期のバサラ大名と比べて織田信長ら戦国大名が真っ当な常識人であったように思えてくる始末…… 戦国時代って、源平合戦の頃とか南北朝時代と比べるとまだ世の中に秩序というものがあったんじゃないのかという気すらしてきます。

本書でウケた一文。「いくら武士の知能が高くないとはいえ、かかる悲惨な事態が生じる前に、何らか対策を講じないものだろうか」(本書117頁。太字は筆者による。)……これはひどい(^^;) 
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『正倉院文書の世界』

2010年07月20日 | 日本史書籍
丸山裕美子『正倉院文書の世界』(中公新書、2010年4月)

奈良時代・平城京つながりということで、『木簡から古代がみえる』に続いて本書を読んでみることに。

正倉院文書というのは文字通り(主として)正倉院に保管されていた古文書のことですが、紙が貴重だった当時、表面を使用した後にリサイクルに回され、裏面に別の文書が書かれ、しかも文章量の多少に合わせて紙を切ったり継ぎ合わせたりしたので、表面に記された文書を拾い出そうとすると、紙を切ったり継ぎ合わせたりの過程を復原するというパズルのようなことをしなくちゃならないという、とても面倒な史料なのであります。現在正倉院文書の多くは『大日本古文書』の中で活字におこしたうえで出来る限り元の順番に復原されているのですが、それでも誤りは免れないとのこと。

むかーし大学院の講義で正倉院文書に触れた時、「こんな面倒臭そうな史料を扱うなんてごめんだなあ」と思っていましたが、その正倉院文書の概説書が本書。

本書で面白かったのは東大寺写経所の写経生の日常。一見写経するだけで充分な給料が出て、おまけに朝晩の食事と昼のおやつも付いてくるという理想的な職場のようですが、その実態は写経中に誤字脱字が発見されると規定に応じて給料から多額の罰金がさっ引かれ、食事も段々と粗末なものになっていき、おまけに給料も規定分が出ていなかったのか、前借りする者が続出。それで写経生が一致団結して待遇改善を求める始末。規定上の待遇と実際の待遇が一致しないのは昔からだったようです……

本書でもう一つ印象に残ったのは、正倉院文書に何度も顔を出す「安都雄足(阿刀男足)」なる人物。当初写経所の舎人であったのがおそらく藤原仲麻呂とのコネクションを得たことによってトントン拍子に出世し、越前国史生・造東大寺司主典を歴任し、法華寺金堂や石山寺の造営にも関わった人物。職務のかたわら私田の経営や高利貸しなんかもしていてブイブイ言わせていたのが、藤原仲麻呂の乱の前あたりから名前が見えなくなる。そういった人物です。

史書に見えない人物が大きくクローズアップされるのがこの手の史料の魅力だったりするのですが、私の専門の西周金文でも一人の人物の足跡を追って時代の風潮を描き出せたら面白いだろうなあと思うのですが……
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