博客 金烏工房

中国史に関する書籍・映画・テレビ番組の感想などをつれづれに語るブログです。

絵本楊家将 第12章 孟良盗馬(前編)

2012年02月15日 | 絵本楊家将
第12章 孟良盗馬(前編)

真宗は楊六郎兄妹が遼将に大勝したことを知ると、大いに喜び、楊六郎を高州節度使に任じようとしましたが、楊六郎は却って官位の低い佳山寨巡検の職への任官を要望しました。真宗は六郎の忠誠心に感動し、彼の要望に応じます。

出発する直前に、六郎はまず「花刀の岳勝」を帰順させました。佳山寨に到着すると、今度は勇猛な孟良を帰順させます。ほどなく、孟良はまた親友の焦賛を佳山寨に招きました。六郎は続けざまに三人の猛将を得て大変に喜び、ただちに朝廷に報告させました。真宗は命令を下して彼らにそれぞれ官職を授けます。六郎はまた陳林と柴幹を招き寄せ、これにより佳山寨は勇将が勢揃いして兵士も馬も強壮となり、遼兵とて軽々しく攻め込んで来られません。

間もなく仲秋の名月の時期が到来し、六郎は山寨で部将たちとともに酒を酌み交わして月を眺めることにしました。その席で、六郎は突然大きくため息をついて言いました。「私の父親の遺骨はまだ李陵碑の下に埋まったままだ。遺骨を取り戻して埋葬し直したいとずっと思っているのだが、この願いが果たされるのはいつのことになるのか!」言い終わると涙が顔中にあふれ、席を離れて立ち去ってしまいました。

孟良は六郎の話を聞くと、こっそり柴を刈る木こりに変装し、夜を徹して李陵碑まで赴きましたが、楊令公の遺骨がどうしても見つかりません。孟良が尋ね回ったところ、楊令公の遺骨は既に蕭太后によって幽州の紅羊洞に改葬されていることがわかりました。そこで、孟良は今度は遼の人に変装し、一路幽州へと向かいます。

数日後、孟良は幽州の街で紅羊洞を探し当てました。孟良は日が暮れてから洞の中に入って盛り土を掘り返すと、その下から石の箱が出て来ました。孟良はこれこそが楊令公の遺骨であるに違いないと見当を付け、風呂敷でしっかり包んで街へと持ち帰ります。

孟良は路上で良馬が牽かれているのを目にしました。その馬は目が青くて毛並みが良く、足は六尺もの高さがあり、大勢の兵士によって護送されています。孟良はこの馬をとても気に入り、盗み出してやろうと思いました。彼は密かに聞き込みをして、その馬は驌馬と言い、西涼国が蕭太后の誕生日の贈り物として献上したものであることがわかりました。蕭太后はこの馬をしっかり世話するように命じ、禁軍に日夜護衛させていたのでした。

この日の夜、孟良は厩舎に潜入し、飼い葉桶にこっそりしびれ薬を撒き散らして立ち去りました。次の日、驌馬が元気を無くして、何も飲み食いしなくなり、馬の世話係が慌てて蕭太后に報告します。蕭太后は馬の病気を治せる名医を募集するように命じ、治せたら厚く恩賞を与えることにしました。

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絵本楊家将 第11章 宋遼比武(後編)

2012年02月12日 | 絵本楊家将
第11章 宋遼比武(後編)

勅書を受け取ると、八姐と九妹が走り寄って来て尋ねます。「兄上、今回の出征に私たち姉妹も着いて行っていいでしょう?」楊六郎は二人の妹の武芸が優れているのを知っていますので、すぐさま承諾します。

当日、楊家の兄妹三人は兵を率いて晋陽へと赴き、ほどなく双方が腕比べを行う陣前に到着しました。遼将の招吉は槍法では自分の右に出る者はいないと思い込んでおり、槍を突き出して陣前で挑戦を呼びかけます。突然宋の陣営から一騎が飛び出してきましたので、みなが見てみたところ、まさに女将の楊八姐です。彼女は突撃して招吉と打ち合いを始め、数合もしないうちに、赤く細長い巾を放り投げ、招吉に絡ませて落馬させてしまいました。宋軍がすぐさま駆けつけて招吉を生け捕りにします。寇準は大喜びし、「誠にさすがは武門の娘ですな!」と褒め称えました。

この時、遼将の慶吉がまた挑戦にやって来ました。九妹はこれを見ると、大刀を振り回して陣から出撃し、慶吉と渡り合います。ただ二十数合戦っただけで、九妹は慶吉を一刀のもとに切り捨てました。九妹が陣に戻ると、寇準は続けざまに褒め称えます。「楊家にあなた方のような女傑がおられたとは、誠に朝廷にとってはめでたい限りですな!」

遼軍は続けざまに二人の大将を失ってしまい、総大将の土金秀は面目が丸つぶれとなり、馬を鞭打って出陣し、叫びます。「私と弓比べをする者はおらんか?」この時、楊六郎が槍を引っさげ馬を走らせて出陣してきました。六郎が笑って言いますには、「お前の弓術など大したことはなかろうに、どうして私の前で大口を叩くのか?」言い終わると、強弓を引いて三発の矢を連射し、すべてが的の中心を射貫き、兵士たちが一斉に喝采します。

六郎は弓を土金秀に渡して言いました。「私と弓比べをしたいというなら、まず私のこの弓を引いてみよ!」土金秀は弓を受け取ると、歯を食い縛って目をいからせ、死にもの狂いで力を出し尽くしましたが、弓の弦はびくとも動きません。土金秀は驚いて言いました。「このような強弓を引くことができるとは、本当に神のような人だ!」

宋軍では歓呼の声が響き渡り、土金秀はすっかり恥じ入ってしまい、遼兵を率いてしょげ返って幽州へと引き返して行きました。

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絵本楊家将 第11章 宋遼比武(前編)

2012年02月12日 | 絵本楊家将
第11章 宋遼比武(前編)

宋の太宗は高齢により、遂に病に倒れてしまいました。この日、太宗皇帝は八賢王と寇準を身辺に呼び寄せ、皇位を八賢王に譲ろうとしましたが、八賢王は固辞してしまいます。そこで宋の太宗は皇位を自分の息子の七王元侃に譲り、国家がもし危難に遭遇すれば、楊延昭を重用せよと言い残しました。西暦997年3月、宋の太宗は世を去り、七王元侃が位を継ぎました。すなわち宋の真宗です。

宋の真宗は王欽を自分の腹心の重臣であると思い込み、彼を東枢密使に封じ、謝金吾を枢密副使に封じて、政治の権限を握らせました。この日、王欽は蕭太后に密書を書き、彼女に宋の太宗が崩御し、また朝廷に良将がいないこの機に乗じて出兵し、宋を討伐するようにと勧めました。

蕭太后は群臣と協議し、巻簾将軍の土金秀が言いますには、「宋にはまだ少なからぬ名臣名将がおり、今出兵しても、勝てるかどうかはわかりません。私にひとつ方法がございます。陛下が宋の皇帝に書信をお送りし、やつらに辺境の晋陽まで来させて腕比べをさせるのです。宋がもし我々に勝つようなら、もう数年してから征討することにするのです。もしやつらが負けるようであれば、宋には人材がいないと断定でき、我らは安心して出兵し、中原を奪い取ることができましょう。」蕭太后はその通りであると思い、宋の真宗に挑戦状を送らせます。

真宗は挑戦状を受け取ると、早急に大臣たちを招集して協議します。寇準が言いますには、「我が堂々たる大宋に、まさかやつらに勝てる者がいないはずがありますまい。」真宗が言いました。「一人いることはいるが、その者は先帝の時代に潘家の父子を殺した事件によって鄭州に配流となり、今は都に戻っておるが、我らの方に借りが多いものであるから、その者が果たして出征を承知するものかどうか。」寇準は真宗が言っているのが楊六郎のことであると知りつつ言いました。「陛下が命令をお下しさえすれば、楊延昭は必ずや軍を率いて出征することを保証いたします。」

宋の真宗はこれを聞くと非常に嬉しく思い、ただちに楊延昭を遼討伐軍の先鋒に、寇準を監軍に任じ、大軍を率いて晋陽に応戦に行かせることにしました。

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絵本楊家将 第10章 楊家報仇(後編)

2012年02月11日 | 絵本楊家将
第10章 楊家報仇(後編)

この日、潘仁美は報告を得ると、自分が身代わりを立てるという策が楊六郎に見破られたと知り、大慌てで荷物を取りまとめ、二人の息子と謀って後門から遼国へと逃亡しようとします。潘仁美らが後門から出ようとしていたところ、ちょうど楊六郎と七郎の妻の杜金娥、そして楊府の炊事係の娘の楊排風が仇討ちに来たのに出くわしました。

杜金娥は仇敵を見ると、切歯扼腕し、両足で馬の腿を引き締めて突撃すると、一槍突いただけで潘仁美を落馬させます。杜金娥は潘仁美を大木に縛り付け、短槍を振り上げて怒鳴りつけました。「この犬畜生、あの日貴様は私の旦那様に百三本の矢を放ったから、今日は貴様に二百六本の槍をお返ししてやる。」言い終わると、杜金娥はひとしきりめった刺しにし、潘仁美を無惨に突き殺してしまいました。

楊六郎は潘仁美の首を切り落とし、天波府へと戻りました。彼は潘仁美の首を父親の霊前に捧げて跪き、涙ながらに言いました。「父上、私はようやく仇討ちを果たしました!どうか天上から私たちを見守っていてください。」言い終わると、楊六郎は三回叩頭し、首を持って皇宮の門前へと向かいます。

太宗は知らせを聞くと、慌てて楊六郎を御前に召し出すよう命令します。楊六郎は宮殿へと上り、跪いて処分を待ちます。太宗が大いに怒って言うには、「大胆な楊延昭め、そなたが皇命を軽んじ、白日凶行に及ぶとはな。本来なら九族を誅殺すべきところであるが、そなたが国のために功績を挙げたことに免じ、そなた一人を斬首することにいたす。誰かある、連れ出して斬刑に処せ。」命令が伝わると、二人の門番が出て来て、楊六郎を宮殿の外へと護送します。

宮殿の門を出ると、八賢王と寇準があたふたと駆けつけて来て、二人して宮殿の前で跪きます。寇準は太宗に対して事の次第を話して聞かせて、言いました。「潘仁美は敵と通じて国に背きましたが、楊郡馬は国のために害を取り除き、主君のために奸賊を排除し、罪よりも功績の方が上回っております。例え褒賞には及ばずとも、功績でもって罪を償うには充分であるはずでございます。」八賢王も傍らでその意見に賛成します。

宋の太宗は寇準と八賢王の話を聞くと、信じないわけにもいかなくなり、言いました。「朕は甥であるそなたの面子を立て、楊延昭の死罪を免じ、一切の官職を剥奪して鄭州に配流することといたす。明日出立せよ。」

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絵本楊家将 第10章 楊家報仇(前編)

2012年02月08日 | 絵本楊家将
第10章 楊家報仇(前編)

朝議の際に、寇準は潘仁美の供述を太宗皇帝に渡しました。太宗はこれを見ると、困ったような態度を見せ、どうしたら良いのかわからなくなりました。この時、潘妃が宮廷に駆けつけ、泣きながら皇帝に父親を処刑しないようにと求めます。太宗は八賢王に対して言いました。「そなたの叔母が願い出ておるのだ、斬刑にするにしろ赦免するにしろ、そなたが見計らってやるがよい!」

と言って八賢王も腹が決まらず、寇準が知恵者であるとわかっていましたので、彼を来させて事態を収拾させることにしました。寇準は楊家のために公正に取りはからってやりたいと思いましたが、皇帝の機嫌を損ねるわけにもいかず、まずは楊家のために皇帝に褒賞を願い出ることにします。太宗は楊府として天波楼を建てさせ、かつ佘太君に龍頭の杖を授けることを承諾しました。続けて、太宗は言いました。「太師の罪は、斬刑に処されて当然のものであるが、潘妃が朕に仕えておる功績に免じ、辺境に配流して軍務に就かせることとする。楊延昭は軍紀違反により、適当な日を選んで鄭州に配流することとしよう。」

寇準は楊六郎が潘仁美を殺さずにはおかないと誓っていることを知っていますので、朝議が終わった後、こっそりと六郎に復讐の方法を教えてやりました。

その日の晩、六郎は八賢王に謁見し、涙ながらに言いました。「殿下、お別れに参りました。」八賢王は跳び上がるほど驚き、慌てて事情を尋ねます。楊六郎は言いました。「私は堂々たる身の丈八尺の男児であるというのに、親兄弟が殺害されて、仇も討てないとなれば、どの面を下げて生きていけましょう?殿下にはただ我が一門の孤児と寡婦の面倒を見て下さるようお願いするばかりです!」言い終えると宝剣を抜き、首にあてようとします。

八賢王は汗だくになるほど大慌てし、必死で六郎を取り押さえます。ちょうどその時、寇準がやって来たので、六郎は剣を下ろしました。八賢王は寇準を見て言いました。「そなたは知謀に長けておる。きっと何か良い策があろう。」寇準は彼がそのように言うのを見て、急いで自分の考えを述べると、八賢王は続けざまに策が精妙なのを褒め称えます。

次の日、八賢王は太宗のもとに赴いて独角赦を貰い受けました。この独角赦さえあれば、人を殺しても罪には問われないのです。八賢王はこの独角赦を楊六郎に渡し、楊六郎は七郎の妻の杜金娥と八姐・九妹を引き連れ、潘仁美が護送される道で待ち伏せをします。

この日、彼らはついに黒松林で潘仁美を護送する車を目にしました。楊六郎は突撃して護送車の檻を真っ二つにし、潘仁美の頭髪を引っ掴んで確かめてみると、それは見たこともない人物で、訊問してようやく潘仁美が別人を身代わりにして流刑地に送ろうとしていたことがわかりました。楊六郎は大いに怒り、彼を護送車に押し込め、慌ただしく都へと引き返します。

楊六郎は潘仁美の身代わりとなっていた囚人を寇準の面前に引っ立て、黒松林でのことを彼に話しました。寇準も潘仁美がこんな手を使ってくるとは思ってもみませんでしたが、考え直して言いました。「郡馬殿、そうであるなら、やつには主君を欺いた罪があるということになり、我々がやつを殺すのに、またひとつ口実が増えたことになる。」

それから寇準と楊六郎は慌ただしく南清宮へと向かい、八賢王に対してこのことを詳しく報告して、言いました。「潘仁美が身代わりを立てて配流させたとなれば、やつは今潘府に隠れているはずです。しかし潘仁美が主君を欺く罪を犯したとはいっても、陛下はおそらくやつをお許しになるでしょう。我らとしては先にやつを処断して事後承諾を得るしかありません。」

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絵本楊家将 第9章 計審潘楊案(後編)

2012年02月05日 | 絵本楊家将
第9章 計審潘楊案(後編)

八賢王の後ろ盾を得て、寇準は思う存分に振る舞えるようになりました。次の日の夜、寇準は酒席を準備させ、それから召使いの劉超を呼びつけて、耳元で二言三言申しつけます。劉超はすぐさま四人のかごかきを呼びに出て、ほどなく潘仁美を監獄から連れ出して来ました。

寇準は潘仁美がやって来たのを見ると、特別に懇ろにもてなします。寇準は潘仁美を上客として持ち上げ、更に楊家は実は自分の仇であり、今回は彼らを根絶やしにし、怨みを晴らす絶好の機会であると言いました。

潘仁美は思いがけないことを聞いて喜び、寇準に対するあらゆる警戒心が吹き飛んでしまいました。そして、潘仁美は自分が楊継業を死に追いやり、矢を乱射させて楊七郎を射殺させたことを得意になって最初から最後まで話してしまいました。

潘仁美が話し終えたかと思うと、ガサッという音が聞こえ、八賢王が役人とともに奥の小部屋から出て来ました。実は、これはすべてが寇準と八賢王が仕掛けた罠だったのです。八賢王は潘仁美を見ると怒鳴りつけて言いました。「この人の面をしたけだものめ、まだ何か言うことはあるか?」

潘仁美は驚きのあまり、酔いがすっかり覚めてしまいました。しかし彼は酒に酔っての言葉であると言い逃れをし、供述書に署名するのを拒みます。八賢王は怒りで顔色が変わりましたが、寇準は取りなして言いました。「殿下、お怒りをお静めになってください、私めに方法がございます。」そこで再び潘仁美に手枷足枷を付けさせて、監獄へと戻させました。

潘仁美を戻させた後、寇準は陳林と柴幹に手紙を書き、彼らを証人として呼び寄せることにしました。二人は手紙を受け取ると、すぐさま出発し、数日もしないうちに都の西台御史の門前までやって来ました。陳林と柴幹は楊七郎の墓で見つけた三本の矢を寇準に手渡します。三本の矢にはいずれも「潘」の字が刻まれているのが見えました。寇準は大喜びし、それを記録させ、ひたすら翌日の裁判の開始を待ちわびます。

次の日、法廷では寇準が自分に何も出来やしないと高をくくり、潘仁美が言い逃れを続けます。寇準は落ち着き払い、陳林と柴幹を来させて証言をさせ、また潘仁美が楊七郎を射殺させた三本の矢を取り出しました。ここに至り、潘仁美はようやく本当のことを白状せざるを得なくなり、かつ供述書に署名をしたのでした。

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絵本楊家将 第9章 計審潘楊案(前編)

2012年02月04日 | 絵本楊家将
第9章 計審潘楊案(前編)

党進が潘仁美を護送して帰京した後、太宗皇帝は故意に岳父の肩を持ち、この案件を参知政事の傅鼎臣に審理させることにしました。

傅鼎臣はお金に目のないとんでもない貪官で、こんな大きな案件を任されて、彼は裁判が始まらないうちから、どれだけうまい汁が吸えるのかと皮算用をしています。この日、果たして潘府の黄夫人が、大事なことで相談があるからと侍女を派遣してきたと知らせがありました。傅鼎臣が奥の部屋にやって来ると、侍女は跪いて言いました。「奥様が私めに黄金百両と玉帯を送り届けるよう命じられました。どうかお納めになってください。潘様のことであなた様に面倒をおかけしますので。」傅鼎臣は黄金と玉帯を見ると、相好を崩し、すべての品を受け取りました。

さて、八賢王は傅鼎臣が金に汚いことを知ると、傅府の状況を逐一監視させます。この日潘府の侍女が傅府に入ったと聞くと、八賢王はすぐさま駆けつけ、うまい具合にその侍女を捕まえました。傅鼎臣は八賢王を見ると、驚いて顔が土気色になります。ひとしきり厳しく訊問されると、その侍女は本当のことを白状しました。八賢王は供述を記録し、太宗に上奏しました。太宗は腹立ちのあまり、傅鼎臣を平民の身分に落としたのでした。

それから、八賢王は今度は寇準を推薦して西台御史に昇格させ、潘・楊の案件を審理させることにしました。知略に富んだ寇準はこの案件を任されると、こう思いました。「かたや陛下の岳父殿、かたや八賢王の義理の弟。この案件はうまく治められればよいが、ちょっとでも過失があろうものなら、おそらく命すら保てまい。とは言っても皇命には逆らえぬし、思い切って西台に赴任するしかあるまい。」

寇準が赴任しないうちに、潘仁美の娘の潘妃がもう一度同じ手を使い、小間使いの宦官に贈り物の目録を送り届けさせて言いますには、「お妃様は御史様に寛大なご処置をとのことです。」寇準はとっさに考えがひらめき、ただちに金に目がくらんだ様子を装って目録を受け取り、それからそれを懐に押し込んで八賢王の南清宮に直行します。寇準は八賢王に見えると、地面に跪いて叩頭しました。八賢王は奇妙に思って尋ねます。「お前は西台に赴任せずに、どうして南清宮にやって来たのか?」寇準はすぐさま潘妃の贈賄のことを話し、また懐から目録を取り出し、八賢王に渡して目を通してもらいました。

八賢王は目録を目にすると、怒りで顔色が変わり、この潘妃にしっかり灸を据えねばなるまいと思いました。彼が考えをめぐらせると、突然怒りが喜びに変わり、思わず「こいつめ、このように頭が回るとは、誠に宰相の才覚を有しておるな。」と口に出してしまいます。ドサッという音がしたかと思うと、寇準が地面に跪いて「ありがたき幸せ!」と言いました。八賢王は訳が分からずに尋ねます。「何がありがたいのだ?」寇準は言いました。「殿下は私を宰相に取り立ててくださいました。どうして感謝しないでおれましょう。」八賢王は失言をしたことに気付きましたが、潘・楊の案件が片付いたら彼を吏部に行かせて宰相にさせてやると承諾するほかありません。

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絵本楊家将 第8章 六郎告御状

2012年02月01日 | 絵本楊家将
第8章 六郎告御状

潘仁美は悪事を働いたことで不安に駆られ、楊延昭が逃げたと聞くと、居ても立ってもいられなくなりました。切羽詰まり、彼はやましい所のある自分の方から先に訴え出ることをさっさと決意し、夜通しで上奏文を書き上げます。彼は文章の中で、楊継業が軍令を聞かず、手柄を上げるために無闇に戦いを仕掛け、全軍の壊滅を招いたと誣告しました。書き終えると、やはり夜通しで皇帝のもとに送り届けさせます。

六郎楊延昭は馬を休ませずに道を急ぎ、宋国の辺境に入りました。天候がひどく暑く、六郎は暑さで喉が渇き、樹の下で足を休めて涼んでいたところ、突然向かい側から書生のような人がやって来るのが見えました。六郎が進み出て話しかけてみると、この人は王欽といい、上京して科挙を受けに行くところであることがわかりました。六郎は王欽の風采が垢抜けており、話しぶりも非凡であるのを目にするや、自分の受けた不当な仕打ちを彼に語りました。王欽は六郎の話を聞くと、彼が上京して皇帝に訴え出るのに賛成し、訴状を書くのを手伝ってやりました。六郎は彼が書いた訴状が言葉遣いが率直で、文章が滑らかで悲壮感があるのを見て非常に感激し、何度も彼にお礼を言って別れを告げました。

この王欽が、実は遼国が中原に派遣した間者であることを、六郎がどうして知りましょう。王欽が宋国の辺境までやって来て、どうやったら大宋の朝廷に潜り込めるのかと思案していたところ、うまい具合に楊延昭と出会ったという次第です。

六郎は都に到達すると、ちょうど七王元侃が巡察に出るところに出くわしました。六郎は前方に走り出て、かごを遮り自分の境遇を訴えます。七王が六郎を王府へと連れ帰り、彼の訴状を見てみますと、しきりに感嘆し、誰が書いたのかと尋ねますので、六郎は包み隠さず話しました。数日後、七王は王欽を探し当てさせ、彼を自分のもとに留めて側近に取り立てました。

次の日、六郎は七王に別れを告げ、皇宮の外の太鼓の前まで赴き、バチを取り上げ、自分の境遇を訴えながら太鼓を高らかに打ち鳴らします。門兵がそれを目にすると、大急ぎで彼を提獄官のもとへと引き連れ、提獄官はまた彼の訴状を太宗皇帝に進呈しました。太宗は訴状を読み終えると、にわかに怒りで顔色が変わります。ちょうどこの時、枢密院が今度は潘仁美の上奏文を送ってきました。太宗は読み終えると頭が混乱し、どうすれば良いのかわからなくなりました。

潘仁美の妻の兄にあたる南台御史の黄玉は皇帝が考えあぐねているのを見て、慌てて進み出て言いました。「楊継業は軍令に違反して手柄を焦り、全軍を壊滅させ、遼兵に殺されたのでございます。それが今却って総大将を誣告しようとは、陛下は楊延昭を打ち首にすべきでございます。」

八賢王趙徳芳は聞き終えると憤慨して言いました。「楊家の父子は何度も命がけで陛下をお救いし、朝廷に対してまことに忠誠心が厚うございます。それが今明らかに悪人によって陥れられようとしているのです。陛下はただちに命令を下し、潘仁美を捕らえて審問にかけられますよう。」

太宗皇帝はこれで更に困ってしまいました。というのは、太宗皇帝のお妃の潘妃がまさにその潘仁美の娘であり、潘仁美は太宗皇帝の岳父ということになるからです。今、かたや八賢王、かたや岳父の、どちらかに不義理をすることになり、太宗はこの事に対して手を下しかねていました。

八賢王は太宗の思いを読み取り、自分が審問に行こうとはしませんので、皇帝が命令を下さねばなりません。太宗はやむを得ず「誰も捕らえに行こうとせぬなら、潘仁美が戻ってからということにしようではないか。」と言うほかありませんでした。

八賢王は太宗の言葉尻をとらえ、すぐさま殿前に立って高らかに問い掛けました。「陛下は既に潘仁美を捕らえて罪に問うことを決定されたが、大臣の中で審問に行きたいという方はおられるか?」太尉の党進が答えます。「国のために悪党を取り除きたいと思います。私めが言って参ります。」太宗は仕方なく、党進を欽差大臣に任じ、聖旨を持たせて潘仁美を捕らえ、審問させることにしました。

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絵本楊家将 第7章 七郎遇害

2012年01月29日 | 絵本楊家将
第7章 七郎遇害

七郎が援軍を求めるために軍営に戻り、本陣に足を踏み入れようとすると、酒席での遊びの物音が聞こえます。彼が中に入ると、杯や食器が取り散らかされ、潘仁美が酒を飲んで騒いでいるのが目に入りました。七郎は怒りで全身が震えそうでしたが、我慢に我慢を重ね、高らかに潘仁美に対して言いました。「我らは敵に包囲されてしまい、危機が目前に迫っております。元帥、どうか速く援軍を送って下さい。さもなければ今にも全滅してしまいます!」

潘仁美はちらりと七郎を見て、落ち着き払って言いました。「楊家の父子は戦に長けているのではなかったのかな。本日開戦したばかりだというのに、どうして援軍を求めに来たりするのかね?」七郎は穴から煙が噴き出すほど怒り、罵って言いました。「あなたが我らに五千の軍馬さえ与えてくれれば、我らは十万の遼兵とも戦えるというのに、世の中にこんな理不尽があってたまるものか!」

潘仁美は陰険な口振りで言いました。「ここの軍馬には別の任務があるのだ。申し訳ないが援軍を送ることはできぬ。」七郎は青筋が立つほど怒り狂い、大声で罵ります。「潘仁美、この畜生め、公務にかこつけて個人の恨みを晴らそうとするとは、何と心の狭いやつだ。俺様が生きて戻って来られたら、お前をバラバラに斬り刻んでやるからな!」七郎が言い終えて本陣を出ようとすると、数人の大男が乱入してきて、彼をがんじがらめに縛り上げて門外へと連れ出します。

潘仁美は七郎を樹上に吊させて、手下に命じて矢を放たせました。七郎の体には百三本の矢が当たり、そのうち七十二本が急所に命中し、息が途絶えて死んでしまいました。潘仁美はそれでもまだ恨みが解けず、七郎の遺体を石に縛り付け、黄河に投げ捨てさせました。

さて六郎楊延昭はと言いますと、包囲を突破したものの、援軍が見あたらないので、黄河に沿って引き返して行きます。彼は突然全身に矢が刺さった死体が流れてくるのが目に入りました。六郎がすくい上げて見てみると、何と自分の弟ではありませんか。何本かの矢には「潘」の字が刻まれています。六郎は胸がえぐられるような思いとなり、泣く泣く弟を埋葬しました。

六郎が小道に沿って陳家谷へと戻ると、父親が李陵碑の前で死んでいるのが見え、こらえきれずに声を上げて大泣きし、また父親を埋葬しました。六郎は強い悲しみと、飢えと疲れも加わって、頭がふらつき目がくらんできます。彼が向き直ろうとすると、突然遼兵に包囲されてしまいました。六郎は心の中で、天が我が楊家を絶やそうとするなら、自決してしまえば済むことだと思いました。六郎が自殺しようとすると、背後から突然何者かが飛び出し、武術で遼兵を追い払ってしまいました。六郎が目をこらして見てみると、何と邠陽で行方知れずとなった五番目の兄の楊延徳ではありませんか!兄弟二人悲喜こもごもとなり、抱き合って大声で泣きました。

実は五郎は他の兄弟と邠陽で離ればなれとなった後、五台山で出家して和尚となっていたのです。この日、宋・遼の両軍が陳家谷で戦うと聞くと、五郎は下山して結果を見届けようと思ったところ、はからずも六郎と遭遇したというわけです。六郎は兄に対して父親と弟が無惨な死を遂げたことを泣きながら訴えて言いました。「私は明日陛下の御前に赴いて父上と弟のために無念を訴えることにします。」

次の日の朝、六郎は五郎に別れを告げ、汴梁へと向かいました。潘仁美は楊延昭が逃走したと聞くと、彼が都に赴いて訴え出ると予想し、矢継ぎ早に手を回し、部下の陳林と柴幹を派遣し、都への道中で殺させてしまい、楊家一門を根絶やしにしようとします。

潘仁美が予想していなかったことに、陳林と柴幹は彼の部下ではあるものの、人柄がまっすぐで義侠心に富んでいました。彼らは楊家の忠烈に敬服しており、この機に乗じて六郎を捜し当て、命を懸けて彼を守り、潘仁美の追撃から逃れさせたのでした。

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絵本楊家将 第6章 楊継業殉国(後編)

2012年01月28日 | 絵本楊家将
第6章 楊継業殉国(後編)

呼延賛は話を聞くと、大本営へと突入し、潘仁美を見るや怒鳴りつけます。「この野郎、お前は総大将の身でありながら、わざと儂を陥れおったな!もし楊将軍がいなければ、我らはとっくに全滅しておったというのに、お前は功績を認めないばかりか、将軍を殺そうとするとは!将軍の毛一本でも抜いてみろ、儂がどうしようと悪く思うなよ!」 潘仁美は恐怖のあまり声も出せません。

潘仁美は計略が失敗したと見るや、またもや一計を案じます。彼は軍中の糧秣が不足しているというのを口実として、かたや呼延賛を糧秣の運搬に赴かせておきながら、かたや遼軍に挑戦状を届けさせておき、呼延賛が不在であるのをよいことに、楊継業に応戦に行かせることにしました。呼延賛は楊継業が心配ではありましたが、軍令には逆らえず、楊継業に自分が戻って来るまで戦いに出ないよう再三言い含めるほかありません。楊継業は頭を下げて承諾しました。

蕭撻覧は宋軍の将帥が不和であることを知るや、耶律斜軫に命じて陳家谷に伏兵を仕掛けさせ、かつ耶律奚底には一万の兵馬を率いて宋の軍営で挑発をさせます。楊継業は兵が挑発に応じないよう制止しますが、遼軍の方は罵倒がどんどん酷くなり、潘仁美の方もしきり出兵を促すようになります。楊継業は本当にどうしようもなくなり、潘仁美に対して「陳家谷は地勢が険しく、敵はおそらく伏兵を置いているはずでありますので、明日必ず現地に援軍を派遣してくだされ。さもなければ軍を保つことができませぬ。」と言うほかありません。潘仁美は承諾しました。

二日目、両軍が陳家谷の前で交戦します。楊継業は刀を振り回して耶律奚底を迎え撃ちますが、数合も戦わないうちに、耶律奚底は馬首を巡らせて逃走し、楊継業はその後を追います。数歩も追わないうちに陳家谷に至り、楊継業は引き返そうとしましたが、山上で天を震わせるような怒声が聞こえ、耶律斜軫が伏兵を率いて山の斜面から突撃して来ました。耶律奚底も再び馬首を返して突撃して来て、宋軍はぐるりと包囲されてしまい、危機が目前に迫っておりますが、潘仁美が派遣するはずの援軍は影一つ見えません。

楊継業は楊延嗣に命じて谷の入り口を突破し、潘仁美に援軍を送るよう求めに行かせました。楊継業は全力で戦いつつ、楊延昭に向かって叫びます。「我ら父子は一緒に捕らえられるわけにはいかん、お前は早く脱出するのだ!」楊延昭は泣き叫んで言いました。「私は父上のために血路を切り開きます!」言い終わると、雷のような怒鳴り声を上げ、力を奮って戦い、もう一度振り返ってみましたが、ただ父親が再びぐるりと包囲されているのが見えるだけでした。楊延昭はただ南路へと突撃し、援軍を待つほかありません。

この時、楊令公の部下は百人も残っておらず、彼は残った兵を率いて荒れた廟へと退きました。楊令公が四方を見渡すと、目に入るのは遼兵ばかりで、思わず「天よ、天よ!」と叫んでしまいました。彼が不意に頭を上げると、前方に「李陵碑」と書かれた石碑があるのが目に入ります。楊令公は万感こもごも胸に迫り、金の兜を取り外すと、頭を石碑にぶつけました。にわかに鮮血が飛び散り、楊令公は恨みを込めたまま死んでしまいました。

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