博客 金烏工房

中国史に関する書籍・映画・テレビ番組の感想などをつれづれに語るブログです。

夏の河北6日間 秦皇島・老龍頭等

2009年08月30日 | 旅行・オフ会・展覧会
さて、気を取り直して老龍頭へ。



ここは万里の長城の最東端にあたる所で、城壁が渤海へと突き出ています。テレビでこの光景を見て以来、一度来てみたいと思っていたんですよね(^^;)

で、老龍頭の敷地内にこういうガラスで覆われたブロックがあるのですが、これは明代の長城の残片とのこと。



じゃあ、目の前にあるレンガ造りの城壁は後代に「修復」「整備」されたものということなんでしょうか(^^;) 以前知人と「今の万里の長城って明代のものですよね」という話になった時、「いや、そんな古いもんじゃないから。八達嶺なんかは毛沢東とか小平の時代のもんだから。」という返答を聞き、驚いたもんですが、こういうのを見ちゃうとその話もあながちデタラメとは思えなくなってきます……

おまけ。敷地内にあった八卦陣迷路。



分かっていると思うけど、「これが長城と何の関係があるのか」とかツッコむな!

老龍頭を出た後は、「秦皇求仙入海処」(秦皇求仙文化城)に行ってみることに。ここは始皇帝が碣石の地に巡幸した折りに、不老長寿の霊薬を求めて方士らを出航させた所とされており、明代の「秦皇求仙入海処」という石碑が建てられていたとのこと。で、それを記念して海辺に巨大な始皇帝像が建てられています(^^;)



この始皇帝像の先の埠頭にも何やら東屋が見えるのですが、そこから先は35元の入場券では入れず、120元の通し券が必要となります。



さすがに何だかよく分からないもののために120元も出せません。この通し券で海水浴も出来るということですが、1人で来ていて海水浴なんてしねえよ!(^^;) というか、中国では海水浴場に入るのに入場料が必要なんでしょうか……

仕方がないので始皇帝像後方の「求仙殿」をのぞいてみることに。



ここは要するにお土産売り場なんですが、ここで西洋人のツアー団体と遭遇。海水浴に来た……というわけでもなさそうなので、お土産を買わされるためだけにここに連れて来られたんでしょう(^^;)

この求仙殿の一角に秦代の瓦当の破片とか土器などが展示されており、始皇帝がやって来たかどうかは分かりませんが、当時ここに宮殿だか何だかがあったのは確かな模様。ついでに明代の「秦皇求仙入海処」石碑の残骸も発見。パネルによると「1966年に毀たれた」とありますが、要するに文革で破壊されたと理解していいんでしょうか(^^;)

今回の旅はここで終了です。毎度のことなんですが、旅に出ると自分の幻想とかロマンがどんどんブチ壊されていきますよね。まあ、それが面白くて旅をしている面もあるんですが……
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夏の河北6日間 秦皇島・山海関

2009年08月29日 | 旅行・オフ会・展覧会
4日目は朝一で高速バスに乗って承徳から北京へ。この日は海澱(海淀)図書城やその隣の大型書店「第三極」を物色。で、5日目の8月24日に日帰りで北京から秦皇島に行ってみました。

というわけでまずは山海関へ。



山海関は万里の長城の関門の中では最も東に位置しており、華北と東北との境目となっています。明末に呉三桂が守将となり、清に帰順したことで知られる場所です。上の写真は山海関の東門にあたり、箭楼には「天下第一関」という扁額が掛かっています。下の写真は城壁に登って撮った箭楼。



ガイドの説明を適当に盗み聞きしたところによると、下の写真の風景が関外、すなわち関東ということになるようです。私は普段その関東で暮らしているわけですが。



城壁と関門だけではなくかつての城内にあたる所も観光できるようになっているのですが……



これが見事に横店化していて苦笑い(^^;) まんま影視城みたいな雰囲気になってます。しかもムダに広い…… 写真は街の中心に位置する鐘鼓楼。で、その街の一角に鏢局を発見。



ただ、ここは門をくぐった所で記念撮影(有料)をするためだけの場所で、そこから奥には入れないようになってました。

こちらは城内の大通りをはずれた所にある王家大院。



山海関に暮らしていた清末の富豪の邸宅ということですが、こちらはそれほど「修復」が施されておらず、落ち着いた雰囲気。

そんでここまでで午前中が終了。城内の食堂で昼飯を済ませた後、バスで老龍頭へと移動します。バス停に下りると「長城奇観園」という建物が見えたので、ここが老龍頭の入り口かと思いきや……



単にハリボテの八達嶺とか居庸関などが展示されている所でした(-_-;) 入場料の30元をドブに捨てたような気分です。これなら山海関からタクシーで老龍頭の入り口まで連れて行ってもらった方が安くついたのではないか思うと、とても気分が滅入ってきます…… これが今回の旅行の最大のガッカリです。

老龍頭の本当の入り口はこの長城奇観園から更に少し歩いた所にありました。長くなったので一旦ここで区切ります。
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夏の河北6日間 承徳・外八廟等

2009年08月28日 | 旅行・オフ会・展覧会
旅の3日目、8月22日は避暑山荘の周辺にある清代創建のラマ寺院群「外八廟」を見て回ることにしていたのですが、その前に避暑山荘の真ん前にある関帝廟へ。



ここは清朝皇室御用達の関帝廟とのこと。もれなくカンフースーツっぽい服を着たお姉さんがガイドしてくれます(^^;) 解説によると廟内に乾隆時代の清官劉墉の部屋があるということですが、「この人知らない」と言ったら、お姉さんが「えっ、知らないの?テレビドラマもあるよ!ほら、こんな風に背の曲がった……」と説明しだし、そこでこの劉墉がドラマ『宰相劉羅鍋』の劉羅鍋のことだと思い当たった次第。しかし普通外国人に劉羅鍋のことなんか話しても分かってもらえんぞ(^^;)

関帝廟を出た後は外八廟の中でも最大規模という普陀宗乗之廟へ。



写真後方にポタラ宮っぽい建物が見えますが、これは本当にラサのポタラ宮を模したもの。そのポタラ宮を拡大してみるとこんな感じ。



壁をよく見ると赤い塗料が所々剥落してしまってますが、だからと言って修復するとまた例によって元のものとは似ても似つかないシロモノになっちゃうんでしょうなあ(-_-;)

ここを出た後は隣にある須味福寿之廟へ。下の写真はさきほどのポタラ宮と似てますが、違う建物で大紅台。



杭州の六和塔を模したという瑠璃宝塔もありますが、本物と比べてあんまり似ているようには見えません(^^;)



このように外八廟には各地の寺院を模した建物が造られてますが、避暑山荘内の建築物の多くが江南の名勝を模しているのと同様、清朝皇帝が帝国全土の名刹名勝を掌握したことを象徴しているといった王権的な意味合いがあるんでしょうか。

で、この須味福寿之廟を出たところで昼食タイムに。これでは1日で外八廟すべてを見切るのは到底不可能と思い知ることに…… 「1箇所2~30分ぐらいで見て回れば全部回れるっしょ!」とか思ってましたけど、正直外八廟をナメてました。すんません……

午後は外八廟の中で一番最初に建立されたという普寧寺へ。



写真の建物「大乗之閣」の中には高さ22メートルの巨大ロボットと見紛うばかりの千手観音菩薩像が(^^;) ただ、こういう所では仏像の撮影が禁止なのが惜しまれるところです…… で、この普寧寺にはパンチェン・ラマ11世(もちろん中国側が指名した方)が来訪したことがあるらしく、建物の内部にこれ見よがしにその時のパネル写真が……

普寧寺を出た後は、承徳の街を歩いていて下の写真の矢印の物体、磬錘峰が気になったので、ケーブルに乗って近くまで言ってみることに。



ほんで到着。



岩の真ん前まで行って手で触れます(^^;) 遠景から見ると今にも細い岩が落っこちそうですが、実際は岩の根本が地面にしっかりくっついています。

こちらはケーブルに乗っている時に目撃した普楽寺。



「もう上空から全景を見ちゃったから、ここには行かなくていいや」と思っていたのですが、ホテルに戻った後でガイドなどを確認すると、この北京天壇を模した建物の中に巨大な歓喜仏があることが判明。これを見逃したのが今回の旅の最大の心残りです……
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夏の河北6日間 承徳・綺望楼賓館

2009年08月27日 | 旅行・オフ会・展覧会
3日目に回った外八廟を取り上げる前に、承徳で泊まったホテル「綺望楼賓館」について紹介しておきます。

そもそもここに泊まることにしたのは、ネットで宿を探した時に予約が空いている中でここがほどほどに立地条件が良く、部屋代が安かったからという即物的な理由によるもの。地図で場所を確認すると避暑山荘の真ん前にあるような感じでしたが、実際は避暑山荘の中にありました(^^;) 



で、ここが入り口。避暑山荘を取り囲む城壁に門口が穿たれており、山荘内部にホテルの敷地が広がってます。そもそもこの「綺望楼」というのは前回紹介した避暑山荘の「乾隆三十六景」の1つに数えられており、普通のホテルではなく河北省の接待所とのこと。だから立地の割には宿泊代が安いんですね。

中は四合院形式となっており、建物が複数あってしかも敷地がムダに広いので、慣れるまでどの建物に自分の部屋があるのかよく分からず、迷いまくります(^^;) 下は私の泊まっていた建物。



で、その広い中庭に……



ウサギちゃんがおり……



孔雀もいます(^^;) それぞれ1羽だけでなく複数羽います。それと明け方に鶏の鳴き声がしたので、どこかに鶏小屋もある模様。この様子だと山荘内の鹿が紛れ込んでいてもおかしくないような気がします。で、更に……



なぜか敷地の片隅にパオもあります。案内によるとここでバーベキューができるそうですが……

こういう一風変わったホテルなので、宿泊客も夜中まで中庭で椅子に座ってだべってたり、散策して写真を撮ったり、あるいは敷地内で迷ってウロチョロしてたりするわけです(^^;)

あと変わっていると言えば宿泊代の支払い。中国のホテルでは一般的にチェックインの時に宿泊代とデポジットをまとめて支払うというシステムになっているのですが、(デポジットは大体1泊分の宿泊代程度の金額で、特に何も無ければチェックアウト時に返金されます。)このホテルでは宿泊代はチェックアウトの時に後払いするようになってました。おまけにデポジットの支払いも無し。その代わりネットでの予約時に無断キャンセルした時のためにクレジットカードの番号の通知を要求されたのですが……

おまけ。承徳の街の広場で見つけた康熙帝像。

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夏の河北6日間 承徳・避暑山荘

2009年08月26日 | 旅行・オフ会・展覧会
ということで河北旅行記本題です。

8月20日~25日までの旅行ですが、20日は北京で本を買ってただけなので特にはかばかしいこともなし。21日の早朝に北京駅で快速列車に乗り込み、正午前後に避暑山荘へ。



上の写真は正門にあたる麗正門。避暑山荘の敷地全体がぐるっと壁で覆われていて、所々にこういう門があります。麗正門をくぐるとまずは宮殿区へ。



上の写真は宮殿区の入り口の内午門。ここは夏の間清朝皇帝が政務を執ったりした場所で、宮殿区全体が「避暑山荘博物館」という扱いになってます。で、宮殿区を抜けると……



湖景あり、



平原あり、(写真のパオは、当時避暑山荘にやって来たモンゴルの王侯がこのあたり一帯で宿営したということらしい。)



山景ありという、広大なワンダーランドが展開しているのでありました(^^;)

話は変わりますが、私が専攻している西周金文に出て来る地名に「方京辟雍」というのがありまして、(「方京」の「方」字は本当はもっとややこしい字ですが、取り敢えずこれで代用しておきます。)そこでは祭祀儀礼や政務のための宮殿があったり、王侯貴族が湖池に舟を浮かべて漁をしたり、はたまた鹿や狐、虎(!)を狩ったりしているわけですが、イメージ的にこの方京辟雍がどうも避暑山荘によく似ているのではないかと思うわけです。

ただ、避暑山荘内では狩猟は行われなかったようですが、(承徳市の北にある「木蘭囲場」が御狩場にあたるらしい。)敷地内にはお誂え向きに鹿がうろついてます。



奈良の鹿と同じように、餌をあげるとお辞儀します(笑)

で、実は現在その「方京辟雍」に関する論文の準備に取りかかっており、今回はその取材のためにここにやって来たのであります…… すんません、半分ウソです。ホントは単に避暑山荘が見たかっただけなんです(^^;) でも論文の準備をしているのは本当です。

ちなみに敷地内には「康熙三十六景」・「乾隆三十六景」なるものが設定されており、該当の場所には案内の石碑が建ってます。例えば2つ上の写真のパオがあるあたりは乾隆三十六景の1つ「万樹園」。ただ、数が多い上に敷地内が広すぎてとても全ては回りきれません。景品付きでスタンプラリーとかやってみると面白いかもしれませんが(^^;)



こちらは承徳の古名「熱河」の由来となった熱河泉。山荘内の湖水の水源の1つであり、冬になっても結氷しないのでこの名が着けられたという説明書きがありました。

そして避暑山荘内の建築物で忘れてはならないのが、『四庫全書』の7部の正本のうち1つが収められていた文津閣。(文津閣本『四庫全書』は現在は北京図書館に収蔵。)



寧波の蔵書楼として名高い范氏の天一閣の形式にならったとのこと。このように山荘内の建築物の多くが江南の名勝を模しているということです。
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福井日帰り

2009年07月26日 | 旅行・オフ会・展覧会
本日教員採用試験が終了し、これで今回の帰国の目的を果たして一安心。というわけで本日は24日に行って来た福井日帰り旅行のご報告をば。

そもそも今回福井に行くことになったのは、福井在住5年になる友人から「たまには俺が大阪に出向くんじゃなくてお前がこっちに来い!」と誘われたため。で、2人して福井市近郊の代表的な観光地である東尋坊と永平寺に行くことに。ちなみに私にもきっちり支給されていた定額給付金は大阪~福井間の特急サンダーバードの切符代できっちり使い切りました(^^;)



東尋坊は高さ約25メートルの絶壁が約1キロに渡って続いており、北朝鮮の金剛山、ノルウェーのフィヨルドとともに世界三大奇勝とされているそうです(^^;) 折角なんで上の画像にあるような遊覧船に乗って周囲の島などを見てみることに。下の画像は遊覧船からの風景。



かたや永平寺の方は鎌倉時代に道元が開いた曹洞宗の大本山。道元は宋に留学し、臨済宗の栄西とともに日本での禅宗の師祖となった人物です。



寺に入るとまず若い修行僧が観光客を集めて寺の概要を解説してくれます。その解説に曰く、「寺では食事をするのも、トイレに行くのも、風呂に入るのも、はたまたこうやって皆さんにご説明をするのも、すべてが修行」とのことですが、なるほど寺の中を歩いている修行僧はみんな引き締まった顔をしています。洛陽の白馬寺でふてぶてしい顔つきをして偉そうに歩いていた坊主とは大違いです(^^;)

ここでは一般客の泊まり込みでの修行も受け付けているということなので、連れと「いっぺん参加してみるのも良さそうやね」と話してましたが、連れ曰く「冬に参加してみたい」とのこと…… 冬は勘弁して下さい。



上の画像は寺内の仏殿。明治になってからの改築ですが、中国宋代の様式を留めているとのこと。

永平寺を見た後は福井市内に戻りましたが、帰りの電車までまだ時間が余っていたので、福井駅からほど近く、柴田勝家とお市の方の最期の地として知られる北ノ庄城跡を見学。観光地として整備され、城の遺構が見られるようになってます。



で、こちらは柴田勝家像。



敷地内には柴田神社が建ってます。再来年の大河ドラマがお市の娘のお江ということで、ここもそのうち人が押し寄せることになるんでしょうか。


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西安周遊旅行 西線ルート

2009年06月04日 | 旅行・オフ会・展覧会
5日目の続きです。

昼食をとった後、法門寺の出入り口付近にたむろっているタクシーの運ちゃんたちに「周原遺址、もしくは周原博物館に行きたい」と言ってみましたが、「聞いたことない」とか「周公廟のことじゃないの?」という返事が…… 「いや、周公廟とは別の場所なんだ!」と粘ってみましたが、こちらも「周原遺址は法門寺の北にある」としか把握しておらず、手持ちのガイドや現地で入手した地図にも周原遺址の場所が記されていないので、諦めて周公廟に行ってもらことに。ああ……

長春に戻ってから留学生仲間にこの話をしたら、「そう!彼らは遺跡の場所なんか知りもしないのよ。だから現地の考古研究所に事前に電話しておいて案内してもらうといいよ。」とか「僕が行った時は『中国文物地図集 陝西巻』のコピーを持って行った。で、法門寺からマイクロバスで岐山県まで出て、そこからタクシーの運ちゃんにその地図を見せて連れて行ってもらった。」という返答が…… そういうことは旅行に行く前に言ってください(;´д⊂)

とにもかくにも周公廟に到着。



ここは周公旦を祀った所ですが、2004年頃からこの近辺で「周公」の名を記した甲骨や城壁跡・墓地などが発見されたことから、本当に周公ゆかりの地だったのではないかということで一躍注目されるようになりました。(ただし、現在はここが周の王都、もしくは周王の墓地であるとする説も有力。)例によって建物の装飾などがあんまり古い感じがしないので、周公廟遺跡の発見後に観光地として整備されたのかもしれません。ここでは他に召公・太公なども祀られていますが、境内の一角にこんなものが……



まさかの哪太子廟を発見(^^;) 周初関係の名所には付き物ということなんでしょうか。

下の写真は周公廟近辺の風景。西安とか宝鶏近辺は山がちで、こういう「」と呼ばれる台地状の地形が広がっています。周原や岐山県の南に位置する五丈原の「原」も実はこの「」のこと。



ここでタクシーの運ちゃんが「西安から来たのなら、法門寺からの運賃と合わせて400元で西安まで行ってやるけどどうだい?」と持ちかけてくる。法門寺からの帰りの遊バスは出発が夕方5時ということだし、そんなに待ってられないということでこの話に乗ってみることに。ただ、西安に素戻りするのもナンなので、途中で茂陵に寄ってもらうことにしました。タクシーの運ちゃんは「実は俺、茂陵の近くに住んでいるんだ。だからそのあたりの道はよく知っているのさ!」と砂利道やらデコボコ道、更に先日の雨で出来たぬかるみなんかを物ともせずに突き進み、茂陵へと到着。

茂陵は漢の武帝の陵墓ですが、その陪葬墓である霍去病の墓が現在「茂陵博物館」として整備されています。霍去病の陵墓と言えば何と言ってもこれ、「馬に踏みつぶされる匈奴像」です。



ここではこういう石刻や、その他漢代の文物が展示されています。しかし武帝絡みの名所となると、「我們既~然~~、曾経擁有~~ッ! 我的愛~~、就不想停~頓~~♪」と、ついついドラマ『漢武大帝』のEDテーマが頭の中で流れてきます(^^;)

茂陵を見た後は咸陽市を経由して(ここで水がタプタプの渭水を目撃。)西安へと戻ったわけですが、玉祥門にさしかかるあたりで運ちゃんが「実は俺、西安の街中についてはよく知らないんだ。だからここで別のタクシーに乗り換えてくれないか?」とか言い出します。な、なんだってーーーー!!ホントに得意・不得意の差が激しいよなあ。仕方が無いので言われるがままにタクシーを乗り換えます。で、乗り換え先のタクシーの運ちゃんに「法門寺から来たのかい?」と尋ねられ、(たぶん方向とタクシーのナンバーで分かったのでしょう。)「うん、そうなんです。でもあの運転手、西安の街中はよく分からないと言うんです。」と答えたら、「まあ、そうだろうねえ。」という返答が。どうやら観光地のタクシーは大体そんな感じのようです……

というわけで今回の旅行記はこれでおしまいです。周原のほか、武則天の陵墓乾陵や漢景帝の陽陵・阿房宮跡・鎬京遺址など見たいと思いつつ寄れなかった所も多いので、次の機会(また10年後ぐらいになるかもしれませんが……)には是非ここらへんを制覇したいですね。
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西安周遊旅行 法門寺

2009年06月03日 | 旅行・オフ会・展覧会
5日目目はまず法門寺まで出て、そこから近辺にあるはずの周原遺址へとタクシーで向かう計画です。朝7時頃に宿を出て西安駅東側の広場に向かい、法門寺行きの遊2バスへと乗り込みます。2時間ほどで法門寺に到着し、山門へと向かいましたが……



何だか古刹とは程遠い雰囲気なんですが(^^;) おまけに入場料が120元とバカ高い…… おそらくこれまでに行った観光地の中で最も高いのではないかと。(参考までに、兵馬俑の入場料が90元。これも大概高いです。で、長春の偽皇宮が80元、安陽の殷墟が61元(これは宗廟宮殿区と王陵区を合わせた入場料)、北京故宮が40元です。)更に参道へと足を踏み入れると……



参道の両側にこんな感じのバカデカい金ピカの仏像がズラッと並んでいます…… 向かって右側奥に見えるダイヤ型の建物が、参道の一番奥に鎮座する仏舎利塔です。この仏舎利塔を拡大すると以下の通り。



仏舎利塔内部の地上部分にはやはり絵にも描けない金ピカの毘盧遮那仏やら弥勒菩薩(中国なんでもちろん布袋さんバージョン)やらが鎮座してます。地下部分は一応法門寺出土物などの博物館になっているのですが…… で、山門からこの仏舎利塔までおそらく1㎞以上はあります。ムダにスケールがデカいです。

そして仏舎利塔から山門までの風景がこんな感じ。



あ、ありのまま今起こった事を話すぜ!「俺は法門寺にやって来たと思ったら、いつの間にか新興宗教団体の総本山みたいな所に足を踏み入れていた」 な、何を言ってるのか分からねーと思うが、俺もどういうことなのかわからなかった…… 頭がどうにかなりそうだった…… 横店化だとか何とか、そんなチャチなもんじゃあ断じてねえ。もっと恐ろしいものの片鱗を味わったぜ……

そして参道一帯には大音量でお経ソングが流れてます。この近辺の農家の皆さんは毎日こんなBGMを聞かされながら農作業に励んでいるかと思うと何だか泣けてきます(;´д⊂)

肝心の法門寺本体は参道の横っちょにある小道を抜けた所にありました。



ここもダメな意味での修復の跡が見えますが、それでも見ていてとてもホッとしました(^^;) しかしお寺本体の数倍はある参道って、やっぱりおかしいよなあ…… おまけに法門寺本体の方にも入出口が儲けられており、駐車場も整備されております。それじゃあさっきの遊バスもわざわざ山門の方に回らずにこっちに駐車すりゃ良かったんじゃないかと思うのですが…… いろんなものにドン引きしながら法門寺を後にし、近くの食堂で昼飯を食べることに。 

追記
ふと「法門寺」でググッてみたら、以下の記事がヒットしました。

「仏教の聖地に3万人集う!法門寺で仏舎利塔の落成式典」:『レコードチャイナ』

山門とか仏舎利塔などは先月出来たばっかりのようですね。うっかりリニューアル(?)後に探訪してしまった私は運が良いのか悪いのか…… 塔内に鎮座する仏像の写真も2枚ほどアップされてます(^^;)
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西安周遊旅行 宝鶏

2009年06月02日 | 旅行・オフ会・展覧会
4日目は西安から高速バスに乗って宝鶏市へと向かいます。2時間か2時間半ぐらいで到着するということで余裕をかまして8時前に宿を出たら、バスが席が埋まるまでなかなか出発しないわ、この日から端午節で連休に入り、道路がほどほどに混んでいるわで、結局宝鶏に到着したのがお昼時……

早速宝鶏での目的地宝鶏青銅器博物館へと向かいますが、何と博物館の入場券売り場に売り子がいない…… お昼ご飯でも食べに行っちゃったんでしょうか(泣) おまけに入り口にガードマンがいるものの、「券を買いたいのですが」と尋ねてみても「売り子の帰りを待て」と言うばかりで替わりに切符を売ってくれない…… そうこうしている間に何人か見物客がやって来ましたが、ガードマンに入場料が20元だと聞くと「高いね」と漏らして帰って行きます。イヤイヤイヤ、問題は入場料の高い低いではなくて入場券売り場に人がいないことなんですよ!(^^;)(入場料自体はそんなもんだと思う。)

仕方がないので私も一旦引き上げ、近くの食堂で昼食を取って先に博物館の向かいの人民公園を見物することに。「公園」と名が付いてますが、ここも洛陽の王城公園と同じく遊園地となっています。もちろん私が見たいのは遊園地ではなく、この公園の更に奥にあるはずの渭水(現在の名称は渭河)です。渭水は黄河最大の支流で、周王朝はこの渭水の流域から興ったのであります。この渭水を見ることが今回の旅の目的のひとつであったわけですが、公園を抜けて土手に登ってみますと……



何か水が思いっ切り涸れ涸れなんですが(^^;) 下の写真は比較的水が流れている部分。



しかしこれも昨日の雨で一時的に増水しただけなんでしょうなあ。トホホ…… (ただしこの翌日に咸陽市でタクシーの車窓から渭水を見た時には水がタプタプでしたので、同じ渭水でもある所には水があるようです。)微妙にガッカリしながら再び博物館へ。



今度はちゃんと売り子がいて中に入れました。館内では宝鶏文理学院という大学の旅遊管理専業の学生さんがガイドをしてくれました。何でも土・日・祝日にはボランティアと職業訓練を兼ねてこうしてガイドをすることになっているとか。

ここの目玉は「中国」という語の最古の用例が見える西周金文の何尊と、2003年に陝西省眉県楊家村から発見された逨盤・逨鼎などの青銅器群、そして周原遺址で発見された甲骨文です。しかし青銅器に関しては明らかにレプリカだろうというものでもちゃんと「複製品」と断り書きがしていないものもあったりするのがナンですが……

ここでじっくり見物しすぎたせいで博物館を出たのが3時半ごろ。何だか微妙に西安に帰るにはいい時間になってしまいました。今更言ってもナンですが、もう1時間ほど早く宿を出ておくべきでしたね…… もっとも、宝鶏市内にはここ以外には張三丰が修行したという金台観ぐらいしか見る所も無いわけですが。

で、この日の夕食は西安鼓楼付近の回民街で食べることに。



ここは回族の料理屋や屋台なんかが集まっているところで、名物の牛肉麺を食べたり土産物を物色したりしましたが、やはり休日ということで観光客で溢れてました。
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西安周遊旅行 西安市内

2009年06月01日 | 旅行・オフ会・展覧会
3日目は天気予報通り朝から雨。まずは路線バスで陝西省歴史博物館に向かうことにしたものの、たまたま乗ったバスの車内放送がかからずに最寄りのバス停を行き過ぎたり、(長春でもそうなんですが、平日朝の時間帯だと車内放送がかからないことがよくあります。)何とか最寄りバス停にたどり着いたら今度は博物館までの道が分からず、結局タクシーで博物館まで乗り付けたりと散々な目に…… で、やっとこさ到着。



ここでは西周期の金文の孟簋・五祀衛鼎・柞鐘・多友鼎・師丞鐘などをじっくり鑑賞。兵馬俑坑から出た青銅の鶴や彩絵跪射俑、石の甲冑などもここで展示されてました。兵馬俑博物館の方で展示すればいいのに…… ちなみに歴史博物館は上海博物館・河南博物院などと同じく現在は入場無料になってます。

ここを出た後は碑林博物館へ。



ここは各時代の石碑・石刻などが所狭しと並べられており、開成石経や大秦景教流行碑などが見所。唐の太宗の陵墓にあった昭陵六駿も展示されてましたが、このうち2~3個に「複製品」という説明が付いてました。「昭陵六駿」でググッてみると複製品のオリジナルはアメリカに収蔵されているようですが。

碑林を出た後は小雁塔に行ってみることに。実は旅行前に知り合いから小雁塔の隣に新しく西安市の博物館が出来ており、そこに西周青銅器も展示されているという話を聞いていたのであります。それで実際に足を運んでみると小雁塔の敷地内一帯が歴史公園として整備されており、その一角に西安博物院という博物館が建っておりました。下がその西安博物院の写真。



やっぱり変なモニュメントが立ってます(^^;) ちなみに入館料は小雁塔の入場料などと含めて50元。ここでは西周豊鎬遺址の出土品や西周金文の員簋・永盂・呂服余盤・衛簋などを鑑賞。館内は工事の騒音が「ガガガ」と鳴り響いており、あからさまに「今造ってます」感が…… 

折角なんで小雁塔の写真も載っけておきます。



以前にツアーで西安に来た時は大雁塔には確実に行ったのですが、小雁塔については行ったかどうか覚えてません(^^;)
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