博客 金烏工房

中国史に関する書籍・映画・テレビ番組の感想などをつれづれに語るブログです。

『鄭和下西洋』と『宝蓮灯前伝』

2009年04月15日 | 中国歴史ドラマ
先日中日聯誼病院の薬局で買えなかった目薬の件ですが、本日相互学習の同学D氏のご尽力により無事入手できました。多謝、多謝!!

さて、このほどCCTV8で『鄭和下西洋』の放映が終了。鄭和の大航海が始まってからも話の半分は明の宮廷での話に費やされ、鄭和が主役なのか唐国強演じる永楽帝が主役なのかよく分かんない状況に。こうなると『鄭和下西洋』というタイトルよりは『鄭和与永楽』といったタイトルの方が内容に合ってるような気がしますね。

しかも鄭和の大航海に反対する永楽帝の子洪熙帝が何だか物凄い悪役にされてます。「大航海は民の重税によってまかなわれており、民力を休めるために航海事業を休止すべき」ともっともな理屈を挙げているのにも関わらず反大航海派が悪役にしか見えないって、どういう演出なんだよ……

で、この後番組として昨晩から『宝蓮灯前伝』が放映開始。数年前にヒットし、うちのブログでも紹介した『宝蓮灯』の前の時代の物語ということですが、二郎神訳の焦恩俊さんなど、キャスティングはおおむね前作のままのようですね。この若かりし頃の二郎神が主役で、例の情けない哮天犬も登場するみたいです(^^;)

全46話ということで前作より間尺が延びているうえ、第1話は二郎神の両親、すなわち玉帝の妹と下界の人間の楊某(ドラマでは楊天佑という名前になってます)が出会うところから始まります。毎度のことながら一体どれだけ壮大なスケールの物語にするつもりなのかとツッコミたくなります(^^;) 

二郎神に三聖女がいるということは、そのうえにもう1人兄か姉がいたんだろうということで、三兄弟の長兄「大郎」楊蛟が登場。(もっとも、話の帳尻を合わせるかのようにすぐ死んでしまいますが……)父親の楊天佑とかこのキャラなんてのは所詮ドラマオリジナルだろうと思いきや、『百度百科』の記事を見ると何だか元ネタがありそうな感じですね?

昨晩はサーバーが不調なのかネットが繋がらない状態で(最近夕方から深夜にかけてネットが異常に繋がりません……)、仕方なくこのドラマを見ていたのですが、楊一家を惨殺に来る天界の軍隊が韓国ドラマ『朱蒙』の漢軍みたいな感じになっていたりと(おいっ(^^;) )、視聴者を煽りまくる演出が神すぎる…… 何だかんだで最後まで見てしまいそうです。
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中原逐鹿の旅7日間 洛陽

2009年04月15日 | 旅行・オフ会・展覧会
前回から間が空きましたが、河南省の旅3日目です。この日は長距離バスに乗って鄭州から日帰りで洛陽へと向かいます。洛陽に着いてまずはタクシーに乗り、王城公園と公園に隣接する洛陽博物館へと向かいます。タクシーの運ちゃんは「洛陽博物館?あそこは小さくて大した物も無いよ。博物館ならそれよりもっと面白い所があるぜ」と言うものの、とある予感があった私はスッパリとこれを無視。

まずは王城公園に到着。運ちゃんに「この次は白馬寺に行きたい」と言うと、王城公園と博物館を見終わるまで待っていてくれることに。何となくタクシーをチャーターした状態になったようです。

この王城公園ですが、文献によると西周の成王の時代にこの辺り一帯に王都のひとつとして成周(洛邑)が建設され、平王の代にはここを正式な都とするようになります。(すなわち周の東遷。)敬王の代には更に後の漢魏故城(すなわち後漢から北魏の時代にかけて洛陽が置かれた場所)へと都城が移転し、元々成周の都城が置かれていたこの場所は「王城」と呼ばれるようになります。西周金文の「何尊」はこの成周を「中国」と呼んでいたと読み取れる一文があり、すなわち当時の感覚ではこの辺り一帯こそが「中国」、すなわち天下の中心なのであります!(^^;)

散々煽ったところで王城公園に足を踏み入れてみると、そこは遊園地でした(^^;) それも動物園を併設する日本ではめっきり少なくなったベタな遊園地です。取り敢えず園内を流れる澗河らしき川の写真を載っけておきますが(この澗河をまたぐような形で東周期の王城遺址が発見されたそうな)、この河もご覧の通り貸しボート乗り場になってます。



気を取り直して洛陽博物館へ。



河南博物院や鄭州博物館と同じく入場無料かと思いきや、きっちり入場料20元取られました…… 規模もタクシーの運ちゃんの言うとおり小さいですが、予想通り洛陽北窯西周墓地出土器などが展示されてました。

その後さきほどの運ちゃんと合流し、白馬寺へと向かうことにしますが、運ちゃんはどうもさきほど言いかけた「面白い博物館」に行かせたい模様。よくよく話を聞くとそこは「古墓博物館」と言って漢代から隋唐あたりまでの墓葬が集められているとのこと。何だか凄そうなので、ここにも寄ってみることに。



ということで邙山山麓の古墓博物館に到着。ここは展示室が回廊型の地下室になっていて、まるで牢獄の中でひとつずつ独房を探訪するような感じで各時代の墓室が見られるようになってます(^^;) と言っても元からここにある墓は下の写真の北魏宣武帝の景陵のみで、他はすべて洛陽近辺の中小規模の墓葬をここに移してきたようですが。後で聞いた話によると、各時代の墓誌銘が収集されていると言うことで、漢から唐あたりまでの考古学をやっている人には聖地みたいな所ということですが……



古墓博物館を発った後はようやく白馬寺へ。



「古墓博物館から白馬寺経由で洛陽駅まで戻るのに計200元でどうだい?」とあからさまにボッタクリモードに入ってきたので、タクシーの運ちゃんともここでお別れです(^^;) 

ここは後漢の時代に中国で初めて建てられた仏教寺院で、さきほど触れた漢魏故城ともほど近い所にあります。ガイドブックには境内に塔があると書いており、この塔から漢魏故城があった辺りを一望できるかなと思いきや、この塔が折悪く現在修築中…… しかも境内はダメな具合に綺麗に整えられていましたが、寺の一角に「印度殿」なる謎の建物が……



仏教発祥の地インドとの友好を記念したものらしいですが、色々といい加減にしていただきたい(^^;) ちなみに中には巨大なガンダーラ風の仏像が安置されています。

帰りはバスで洛陽駅まで戻ることにしましたが(駅の近くに鄭州への長距離バス乗り場もある)、途中で「王城広場」なるバス停を発見。王城公園とは別に広場もあるのねと思い、そのままスルーしましたが、後から調べたところ数年前にこの辺りで東周期の車馬坑がいくつも発見され、これらの車馬坑を見学できる「洛陽周王城天子駕六博物館」が建てられたとのこと。こんなものを見逃すなんて一生の不覚…… そう言えば語学で一緒のクラスだったバックパッカーも以前洛陽で車馬坑を見たとかいってましたっけ。あああ……(;´д⊂)
コメント (5)
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